第3話

 男は位の高い軍人だった様子で、顔を合わせた兵士や主祭の従者達はみな「将軍」と呼び謙った対応を見せた。程なくして私は木箱二つ分の食料と、小さな革袋にぎっしり詰まった金貨と共に馬車へ積まれた。

 着替えさせられた丈の長いドレスとフード付きのコートは、縦にも横にも少し余る。

「そろそろ、話していただけませんか」

 不慣れな揺れを味わいつつ、斜向かいの男に尋ねる。食料の木箱が床で場所を取っているせいもあるが、小さな馬車は明らかに窮屈そうだ。馬車が揺れる度に、重量級の膝が当たって地味に痛い。

「そうだな。とりあえずこの世界の概要を伝えて、そのあと質問に答えるのがいいだろう」

 男は腕組みの姿勢を解いて頷き、無精髭に覆われた四角い顎をさすった。

「我々はこの世界をキリア・シエナ、我が国をマルティヴァ神聖国と呼んでいる。国土は約九千六百万ヘクタール、人頭税から推察する人口は約一千万人だ。ここ聖都カーノヴムを中心に、東西に一つずつ大きな行政区がある。国の元首は聖王せいおうと呼ばれ、国政と祭祀を司る。神の子である初代が降り立った日を境に暦が分かたれ、今はマクナ歴九九〇〇年。百二十八代目の聖王がお就きになって、約五十年経つ」

 日本が確か三千八百万ヘクタールほどだから、約二.五倍の面積だ。そんな広大な大地に、東京都の人口にも満たない人数しかいない。治療魔法や治療薬があるのなら際限なく増えそうなものだが、そういうわけではないのか。

「かつて魔法が支配した時代もあったが、皆がより魔力の高い子孫を生み出そうと戦略的な婚姻を繰り返した結果、逆に弱まり命そのものが産まれにくくなってしまった。今は魔力の高い者は聖職者や魔法士として国に仕えているが、全土で一割もいない。ほかの国民はみな、簡単な治療魔法や生活に役立つ火魔法などが使える程度だ。ただ、今の世においても高い魔力を誇る種族がいる」

 男は一息つき、掛けがねを外して窓のよろい戸を開く。少し目を細めて外を確かめたあと、閉じた。

「それが魔族だ。マルティヴァの北方に広がる約一億ヘクタールの凍土に城を築いている。有史以来何度となく剣を交え、今は十年戦争と呼ばれる戦を終えて五十年になるところだ。現在は不可侵条約を締結している。牽制し合ってはいるがな」

 魔法に続いて、魔族か。ファンタジーでしかなかった用語が現実味を帯び始めたのはともかく、この世界でも戦争は起きるらしい。思わず、溜め息をついた。

「今は、その北の国境近くへ向かっているところだ。この世界では、黒髪に黒い瞳を持つのは魔族か禁忌である闇魔法の使い手に限られる。主祭は魔族領への放逐を望んでいるが、町に住まわせたとしても今のままでは生き延びられぬ。国境付近には、俺が魔物討伐の際に利用する山小屋がある。そこでなら、守ってやれる」

 相変わらず理不尽この上ない話だが、どうしようもない。死にたくはなかったが、まさかこんな世界に来てしまうとは。

「とりあえずはこんなところか。質問はあるか」

「ご説明ありがとうございます、将軍」

「エレでいい。俺の名前はエレイ……だ。親しい者は皆、エレと呼んでいる」

 聞き取れない部分は、私の知識に変換できる素材がなかったからか。

「では、エレ。暦は、どうなっていますか」

「一年に十六の月があり、一月に二十の日がある。キリアは赤い月、シエナが青い月で、キリアが輝く十時間を昼、シエナが輝く十時間を夜と呼ぶ。季節は農産物の成長に合わせて、四期に分かれている。萌芽期、万緑期、収穫期、休眠期だ。今日は萌芽期二月目、十一の日だ」

「自転や公転は、ありますか?」

「すまない、音は分かるが意味が分からない。おそらく、こちらにはない概念だろう」

 やはり、暦や惑星の状況はまるで違うらしい。そもそもここは、惑星なのか。

「私の住んでいた世界は天から見ると丸く、一年を掛けて一周することで季節が変わります。ここは、そういったことはないのですか」

「そうだな。この大陸は平たく、常に浮遊していて、大陸の端は崖のようになっている。そして少しずつ崩れ続けている。国土が年々、小さくなり続けているのだ」

 予想外の状況に驚く。浮遊大陸で、しかも崩れ続けているとは。

「マルティヴァは季節が移り変わるがゆえに風雨の被害を受けやすい。初代の頃は今の二倍以上の土地を誇っていたらしい。それが今や、一億ヘクタールに満たぬほどになってしまった。国境も、随分北上したのだがな」

「もしかして、魔族との戦争が起きる理由は」

 思い当たる理由に、エレは頷く。

「一つは領土獲得のため、もう一つは魔石確保のためだ。魔石の鉱山は凍土に多く存在する。魔石は魔力を補助するもので、魔法薬の原料にもなる」

「人間側からの侵略戦争、ということですか?」

「お前の世界では許される発言なのだろうが、こちらでは決して発さぬようにな。人は神の子だが、魔族は神に仇なすものだ。ここでは、それだけで滅すに充分な理由となる」

 これまでで一番冷ややかで、厳しい口調だった。軍人として、見過ごせないことなのだろう。自分達と違うから殺し、奪うのか。世界が違えば当然、常識だって違うだろう。ただそれを理解していても、ショックなのは確かだ。

「どうして、私はこの世界に呼ばれたんですか」

「それは話せぬ。ただ意にそぐわぬ結果だからとこのように放逐するのを、よくは思わぬ者もいる」

 少し和らいだ口調に、落ちていた視線を上げる。いつの間にか目の前にあった手が、荒く頬を撫でた。熱く固い手のひらに驚いて、エレを見る。

「お前は美しい。現れた時はまるで、たおやかな花が零れ落ちたかのようだった」

 これまで聞いたことのない褒め言葉に、固まった。まさかこれは、口説かれているのか。

「エレ、私には」

「このまま匿うだけでは、知られた時に申し開きができぬ。だが妻になれば、俺の立場なら目溢しされる。もう元の世界には戻れぬのだ。この世界で生きるのなら、俺の傍より安全な場所はない」

 エレは説き伏せるように返して、私の手を握った。これまでの親切全てが下心からくるものではないのは察せる。粗野なところはあるが多分、悪い人ではないのだ。でもそんな簡単に受け入れられるものではない。

「気持ちは嬉しいですが、私にはできません」

 力なく頭を横に振ると、エレは木箱を向かいの座席に積み上げる。私の隣へ無理やり腰を下ろし、肩を抱き寄せた。

「このようにか細い体で、一人で生きていけるわけがない。しばらくは山小屋で不自由をさせるが、必ず屋敷に呼び寄せて良い暮らしをさせてやる。お前に合う服を誂え、その美しさを引き立てる装飾品を贈ろう。旨い食事と酒で腹を満たし、穏やかに暮らせば良い。お前は、それが相応しい女だ。獣や魔族に襲われ、惨めに命を落とす最期ではない」

 飴と鞭で揺らす声に俯いた時、馬の戦慄く声が響き馬車が急停車する。

「何事だ!」

 エレは前につんのめりそうになった私の体を抱き止めながら、太い声で御者に尋ねた。

「獣の群れです、囲まれました!」

 返答を待たず窓を開いたエレは、見えた景色に舌打ちする。バレたか、と低く呟くのが聞こえた。

 エレは窓を閉じて向き直り、私の顔を両手で包むように掴む。

「じっとして、音を立てないようにな。大丈夫だ、必ず守ってやる」

 言い聞かせるように伝え、いきなり抱きついた。頬を固い無精ひげが撫で、野太い腕が万力のように体を締め上げる。汗と体臭の混じったような男臭さが、鼻を刺した。

「待っていろ」

 少し名残惜しそうに私から離れると、剣を手に怯むことなく出て行く。将軍とは、名ばかりの職ではないのだろう。

 やがて響き始めた獣の唸りや悲鳴に怯えつつも、この先のことを考える。ここで待っていれば、エレは全て倒して戻ってくるのだろう。そして説得を続けて山小屋へ連れて行き、私を妻にするのだろう。おそらくはそれが、本人の言うように私がこの世界で生きていく上で一番安全な道なのだ。でも。

――ここでは、それだけで滅すに充分な理由となる。

 相容れない常識が生んだ衝撃を、この先も受け入れられる自信はない。

 与えられたばかりのコートを脱ぎ、パンと果物、金貨を数枚入れて包む。解いていた髪を高い位置で結び直しながら、エレが出て行った扉と反対側の扉に張りついて耳をそばだてる。全てエレが引き受けているのか、大きな音はしなかった。

 少し開けて様子を確かめるが、獣の姿はない。たくし上げたドレスを膝の辺りで結び、音を立てないように外へ出る。響いた獣の声に竦みそうになった足を奮い立たせて、森の中へと向かった。

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