第9話 テレビのアーマイクとダインの追憶

 箱舟という閉じた世界ではあるが、そもそも人口は2000万人をこえており、帝国戸籍に登録されていない者も合わせるとさらに多いと試算されている。


 そして安定した生活ができる者も多い。つまり何が言いたいかというと。


「はぁ……」


 俺は貯金残高を見て溜息を吐いていた。これだけの人口を抱えているのだ、箱舟一つと言ってもその経済圏は広く大きい。そして生きていくためには金が必要である。


 俺の貯金残高は4000万エルク。中間層に住む者たちの平均年収が550万エルクという事を考えると、年齢の割に蓄えはある方だろう。


 だが今は安定した収入はないし、この貯蓄で一生食べていける訳でもない。仕事用の車の件も含め、改めてどうするかを考えていた。


「とはいえ俺にできる事といえば、ノア・ドライブ関連の整備だしなぁ。これはこれで手に職付いた専門技能ではあるんだが」


 しかしそれを活かした整備業の下請けをしようと思うと、やはり車は必須になる。そんな悩みを抱えつつも俺は今日もテレビの電源を入れた。


『当社比最高ののど越し爽快感! アーキスト社から新ビール発売!』


『先日72区で起こったレヴナント化事件について帝国政府は……』


『えー、それでですね。この度、この新しい税制度を施行する運びとなった訳です』


 普段ならまず気にしないが、お金に敏感になっている今、この新しい税制度というのが気にかかった。


 テレビでは帝国法を制定する貴族議員が、取材に取り囲まれながら話している。


『しかし20年以上前モデルの自動車所有者に対する新たな税というのは、貧困層に考慮していないのでは?』


……ん?


『いいえ。帝国データバンクによると、いわゆる貧困層のほとんどは自家用車を所有していません。20年以上前モデルを持っている者の多くは、趣味で所有している者……つまり高所得者になる訳です』


……んん?


『つまり今回の税制度は高所得層を対象にしたものだと』


『そうです。それに20年以上前モデルともなると、旧態依然とした駆動機関を用いている車種も多い。今回の税制度は古いモデルからの乗り換えも推進し、環境保全及び経済の刺激も兼ねています』


…………!?


『しかし新たな課税というのは、消費者の心に大きな負担を強いることになります。経済の刺激とは直接繋がらないのでは? 何よりこうした高所得者を狙い撃ちにしたかのような制度は、能力ある者の働く意欲減退につながるのではないでしょうか』


『ははは。言ったでしょう、環境保全も目的にしていると。それに乗り続けたければ税金を納めて乗ればいいだけの事。一種の贅沢ともいえるでしょう。いわゆる貧困層も存在する中、そうした自由な振る舞いをしているのです。きっと喜んで納税するはずですよ。それに専門家チームでも、今回の税制度が帝国内における景気の減退にはつながらないと結論を出しています』


「ふざけるな……!!」


 俺の乗る初代モデルのベルトガル7は42年前のモデルとなる。改めて情報端末で調べると、この新税制度は年式の他に総スペックも加味して制定されていた。


 早速ベルトガル7のスペックと年式を計算式に打ち込んでみる。


「年間自動車保有税……67万エルク!? ふざけんな……! それなら煙草税を倍にしろ倍に!」


 煙草こそ真の贅沢品だ。箱舟の限られた箇所でしか栽培されておらず、年間生産量も制限されている。車とは違う、本物の嗜好品だ。それこそ貴族や超高所得者しか愛用しない。


『えー、続いてのトピックスです。先日帰還した第八地上探索部隊 《アイオン》ですが、見事にその任務を終え、アルテアの貯水率はブルーラインを……』


 続いて別のニュースが流れるが、もう俺の頭には入ってこなかった。


 くそ! あの議員がこんなくだらない税を考えたのか!? 環境保全と言えば全てが許されるとでも思ってんのか!? 


 第一、たかだか車の出す排気がどれくらい大気に影響を及ぼしていると思っている!? これだけ浄化施設の整った環境で、僅かでも影響を与えられると本気で考えてやがるのか!?


『ここで《アイオン》総指揮官であるアーマイク艦長と中継が繋がっております! 早速お呼びしてみましょう! ……アーマイク四位。聞こえますでしょうか?』


『……はい、聞こえております』


 新たに考えなければならない事が増え、腹を立てながらどうするかを考えている間にも、テレビは新たな映像を映し出していた。


 画面には壮年の男性と、その隣に立つ補佐官らしき女性が映っている。


「え……」


『アーマイク四位。今回の任務では誰一人欠ける事なく、全員が無事に帰還できたと聞いております! 地上探索部隊の指揮官の中では最も経験豊富な事で知られる四位ですが、やはり長年の経験に裏打ちされた実力が発揮されたのでしょうか!?』


『いいえ。第八は誰もが私よりも有能なのです。今回も皆の協力があったからこその成果だと考えています』


『さすがに落ち着いておられますね! ではアイヴェット六位にもお聞きしたいと思います! アイヴェット六位、アーマイク四位はこの様におっしゃられておりますが、実際のところはいかがなのでしょう!?』


『艦長はいつも謙遜されておられますが……』


 テレビに映った地上探索部隊の指揮官。その顔を見た時、俺に昔の記憶が蘇ってきていた。


 あの顔、そして話し方。……間違いない、親父と一緒にいた頃に会った事がある……。


「う……」


 あれはいつだったか……。俺は右手で額を抑えながら、昔を思い出していた。





 ダイン・ウォックライド。だがこれが本当の名前なのか、認識している年齢も正しいのか。俺には判断がつかない。


 というのも、俺には幼い頃の記憶がないのだ。気づけば親父……ルネリウス・ウォックライドと一緒に暮らしていた。


 親父が言うには、12才の頃に大きな事故に巻き込まれ、俺はそれ以前の記憶を失ったそうだ。確かに俺の記憶は、病院のベッドから始まっている。


 具体的にどんな事故だったのか、母親はいないのか。そうした疑問に答えてくれる事はなかったが、当時の俺は21区で平和に暮らしていた。


「すごいじゃないか、ダイン。その年でもうノア・ドライブの基礎理論を理解したのか」


「へへ! でもよくできているよね、ノア・ドライブって!」


 この時の俺は、ノア・ドライブの仕組みに大きな興味を抱いていた。超巨大箱舟アルテアは永久動力機関エテルニアを動力源にして動いている。


 これはかつて人が、この世界に逃げる前に住んでいた地で作り上げたものだ。しかし今となってはどういう原理で動いているのか、その製造方法も含めて謎に包まれていた。


 だがノア・ドライブにはこのエテルニアが生み出す力を蓄積する性質があった。小型のものから大型のものまで用途に合わせて様々あるが、箱舟はこのノア・ドライブのおかげで便利な生活を送れていた。


「それに父さんがいつもいろんな資料を見せてくれるから! なんだか楽しくなっちゃって!」


 親父のルネリウスはどこかの研究機関に勤めており、家にはこうした工学系の専門誌や資料が大量に置かれていた。俺は学校に通う傍ら、家ではいつもこうした資料に目を通していた。


 何でも分解するのが楽しい年頃だったからな。単純にモノの構造を理解するという工程が楽しかったのだ。


 親父は知り合いは少ないのか、あまり人が家に来ることはなかった。だがある日、そんな我が家に一人の軍人がやってきた。


「アーマイクさん、よく来てくれた。久しぶりだ」


「ああ。……ルネリウス、その子が?」


「……あがってくれ」


 親父より年上のその男の名はアーマイクといった。後にも先にも親父が家に連れてきた客人はこの男だけだ。


 俺も何度か直接話すことがあったが、何を話していたのかは覚えていない。だがよく褒めてくれていた印象はあるし、俺の人生の岐路において大きなきっかけをくれた人でもある。


 当時の俺はきっと覚えたばかりのノア・ドライブの知識を、得意気に披露していたのだろう。





「そうだ……あの時、親父と一緒にいた男だ……」


 あれから数年経っているが、インタビューに答えるその男性の顔は、記憶にあるものとそう大きく変わらなかった。名前も同じだ、間違いないだろう。


『アーマイク四位はコーヒー好きという情報もありますが!』


『そうですね。ですが実は、淹れる方が好きなのですよ。淹れている最中に漂う香り、そして自分の淹れたコーヒーを誰かに飲んでもらう事もね』


 そうだ……俺も何度かこの人からコーヒーを淹れてもらった事があった。


 初めは砂糖とミルクを多めに入れて飲んでいたけど、いつしかこの人の様に香りも楽しめる様になりたいと思い、ブラックで飲む様になった。


 もっとも、俺には豆の違いまでは分からなかったため、銘柄まではこだわってはいないのだが。


「軍人なのは分かっていたが……地上探索部隊の指揮官だったのか……」


 情報端末で簡単なプロフィールを検索する。


 アーマイク・ブライベル。54歳。地上探索部隊の指揮官を務めて12年になる。つまり俺と初めて会った頃には、すでにその地位に就いていたのかもしれない。


「なんで……忘れていたんだろう……」


 テレビで顔を見るまで、俺はその名も忘れていた。公殺官を辞めるまで、それくらい目まぐるしい人生だった自負はある。


 それに俺の人生は12才から始まっている。そして第二の転機となったのは学校を卒業して直ぐ。


 その時期はいろいろ大変だった事もあり、15才から16才の間の記憶はだいぶあやふやなものになっているのだ。


 俺は改めて自分の過去を見直していた。

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