第25話『精霊の森(前編)』

 マシューと書類上の婚約が成立したサシャは、両親へ対面での説明をするため魔導列車が待つ駅を目指した。

 金曜日の放課後に乗り込めば朝には着くからと少女は夕方、駅へ向かう。その後ろからはいつも通りカラスの騎士が二羽と、星魔法使いのユベール・シモン・ソレルがついて行く。

「バレット様、やはり朝方の出発になさっては?」

ユベールは先ほど太陽騎士団の団員であるとサシャへ暴露したところ。

「いやぁそわそわしちゃって落ち着かないので……。こう言う時はもうさっさと移動しちゃうに限ると言うか……」

 サシャは自分の旅行カバンを持ってホームへ。ユベールは列車の乗車口に足をかけた太陽の娘を心配そうに見上げた。

「では、十分にお気をつけて」

「はい! お見送りありがとうございました、先生」


 オレンジゴールドの髪の少女は、帰路に着く通勤客の間をぬって空いている自由席を探す。

「なー、主人マスター、個室は〜?」

人型のまま着いてくるフラターは口を尖らせる。

「普通の席で我慢して」

「ヤダ、狭い」

 フラターはツンと顔をそむけ、アミーカは己を邪魔そうに避けていく通勤客をジロリとにらむ。

「俺もここは落ち着かないから嫌だ」

「もー、ワガママ言わないで。向こうは指定席で値段高いの。チケット買ってないし。入学初日は特別に学生に開放されてただけなんだって」

 サシャは一人分の席が確保できればと思ったのだが、カラスたちは人型のまま主人の周りを固めるべく四人座れる向かい席を探し、先に座っていた客に圧をかけて退かせた。

「ちょっと二人とも! ごめんなさいうちの子が……」

 アミーカはいつものようにサシャの右側、フラターは向かい側に座る形で相棒と共に主人を挟む。

「どうしたの? 普段は席いらないって言うクセに……」

(どこの誰だかわからねえ人間とご主人様密着させてたまるかってんだ)

(ホントだよ。うちのご主人様に気安く触るな)

二体一対のカラスたちはお互いの頭の中だけでやり取りをし、フンと鼻を鳴らす。

「あ、お夕飯どうしよ。買うの忘れた」

「車内販売は?」

「この時間あったかなぁ……。食堂は高いし……」

 金曜の夜となるといくら学生と言えど疲れが溜まっており、サシャはしばらく夕暮れの街並みをながめたのちスッと寝入ってしまった。

「ほーらやっぱり。警戒しといて正解」

「だから個室にしとけっつったのに」

 アミーカは片側だけ羽を出し少女を隠す。通路側にいるフラターはヨイショと腰を上げた。

「車販探してくる」

「軽めのメシにしとけ」

「はいよ」


 サシャがまぶたを開ける頃にはすっかり日が落ちていた。

「んゆ」

「あ、起きた。ホイ」

 サシャはフラターが差し出した水のボトルを受け取り、喉をうるおす。

「ぷはぁ……。ありがと。今どこ?」

「三つ手前くらい」

「え、もうそんなに進んでた? 結構寝てたな……」

 サシャはふわわ、とあくびをしてから毛布代わりになっていたアミーカの羽を撫でる。

「ありがとう。寒くなかった」

「寝落ちは予想してた」

「それで両脇固めたがったのね……」

「個室にしときゃいいのに」

「うーん、そうね。まあ疲れてはいたけど……」

 サシャはフラターから差し出された牛肉のサンドイッチを受け取り、包みをはがしてかぶりつく。

「うん」

(美味しい)

 サシャたちが座る向かい席の周りでは、通勤客や学生たちがチラチラと少女を気にしていた。

(すっげー、精霊の騎士初めて見た)

(あれ本物? 本物なんだろうな……。すごいな……)

サシャは注目されているとは知らずにサンドイッチを食べ進める。

「車内販売あったんだね」

「七時までだった。ギリギリに買わなくて正解だったよ。オレのあとめちゃくちゃ買いにきたもん」

「そっか、ありがとう」

 サシャはいい子、とフラターの頭を撫でる。

「二人のおやつ買い損ねちゃったね」

「いいって。疲れてるし!」

「そう?」




 少女は気付けば実家のベッドの上におり、窓からは見慣れた森の朝焼けが見えていた。

「……ふわぁ」

 これまでと違う点は大鴉が二羽、使い慣れた机と椅子の背もたれに脚をかけて朝からお喋りをしているところ。

「起きたな。おはよう」

「おはようアミーカ、フラター」

「おはよう主人マスター!」


 サシャはシャッキリしないまま着替えを済ませ、階下へ降りた。

「おはようー……」

「あっ、おはようサシャ!」

 母シャルルは朝の支度で忙しそうに物を持って歩き回る。己の洗濯物をカゴへ入れた少女は、二階から飛んできたフラターを肩に乗せてからキッチンでお湯をわかす。

「ふわわわ……」

 洗い場でイチゴのヘタを取っていた父ディオンは、娘が開けた口の前へイチゴを一つ差し出した。サシャはイチゴを口へ転がし、常温保存の棚を開け卵をボウルに取り出す。

「何作んの?」

「ハムエッグ。もしくはベーコン……」

次に冷蔵庫を開けると、ハムとベーコンの姿はなかった。

「今日はウインナーしかない感じかな? 仕方ない」

 サシャがコンロの前で炊事を始めると、アミーカが人姿で主人の上着を持って降りてくる。

「それじゃ寒いだろうが」

「火使うしいいかなって」

「よくない」

 薄いセーターを羽織ったサシャは焼き上がったウインナーと目玉焼きを、父ディオンが用意したイチゴとレタスのサラダの上へ並べていく。

 三人分の食事を用意したサシャはいつも通り座ろうとして、ハッとしてアミーカとフラターを見た。

「二人も食べる?」

「ウインナー欲しい!」

「じゃああと四本焼くね」

「……イチゴは? 食べるか?」

 ディオンが控えめに聞くとカラスたちはトリの姿に見た目を揃えて鳴いた。

「食べる!」


 父と母、少女の両脇にカラスが一羽ずつ。母シャルルは、テーブルに乗り娘の手からウインナーやイチゴをもらうカラスたちを見て微笑んだ。

「うちの娘にもとうとう使い魔ねぇー」

「ん? ああ、自己紹介しとく?」

「昨日着いてすぐした」

「あれ、そうだっけ?」

「お前ほとんど寝てたろ」

「うん、覚えてない」

 アミーカとフラターは主人から餌付けをされて満足すると、ソファとローテーブルがある一角へ飛んでいった。

「それで婚約ってどう言うこと?」

「あ、それね。えーと……」

 サシャは己の月であるマシューに出会ったこと、彼と婚約する前に別の男性に婚約を申し込まれかけ、慌てて婚前契約書を作ったことをかいつまんで話した。

「どこの家?」

「ん? どっちが?」

「月の方ほうよ」

「レイン家の跡取り。男の子なの。珍しいでしょ?」

母シャルルは大きく溜め息をついた。

「あんたとはその辺と無縁で暮らして欲しかったのにねぇ……」

サシャはやはり、母シャルルが自分から家を出たのだと察した。

「お母さん、何でよりによってこんな田舎に越したの?」

「知り合いが一人もいないからよ」

「そう言う理由なんだ……」

「あたしは戻って来いって言われても戻る気ないからね。あんたが貴族に戻っても、母親ですって出張って行く気ないから」

「えー」

父ディオンはウインナーを飲み込むと、シャルルに合わせてうなずく。

「母さんにも事情がある。お前にもな。だが親子として会う分にはいくらでも機会は設けられるし、何も問題はない。これまで通りだ」

「そう? それならいいけどさ」

「お相手があんたに無理矢理契約書かかせたんなら一発殴ろうと思ってたのよ」

「マシューそんなことしないもん!」

「本当に? ちゃんと信用出来る?」

「日曜日には書類整えてこっち来るって。私が向こうへご挨拶したから、今度は逆」

「あっそう。それならいいけど。……日曜?」

「明日」

「あんたそう言うことは着いてすぐ言いなさい!!」


 シャルルが雑貨屋へ出勤していく後ろ姿を見送ったディオンと娘サシャは、やっとそれぞれの支度を始める。

「今日はどうするつもりだ?」

「ん? んー、久しぶりだし隣町ぶらぶらしてこようかなって」

「そうか。ホウキは持ってきたのか?」

「多分」

「ないなら納品のついでに送っていく」

「うん、ありがとう」

 サシャが部屋へ戻って荷物を確認してみるとホウキはなかった。昨日の午後、準備を急いだせいで抜けたのだろう。

「またお父さんの予知当たった……」

「ん?」

 カラス姿のフラターが首をかしげるとサシャは首をすくめた。

「お父さん、よく当てるんだよね。お母さんがお裾分けもらってきた時とか、今日みたいに私の忘れ物とか」

「ふーん? すげえな」

「特技だと思うんだよね。でもお父さんが魔法使ったところ見たことなくて」


 サシャはディオンが作った家具の積み込みを手伝い、そのついでに荷車へ乗せてもらう。

「道交法」

「田舎だからそんなものは無視よ、無視」

 サシャは家具の隙間に寝転がって伸びをする。

「んーっ、お父さんの車久しぶり」

「ロバ馬車だぞ?」

「小さい頃からお仕事ついでによく乗せてもらってたのー」

 サシャが荷台でくつろいでいる横ではフラターが。アミーカはディオンが引くロバの背に乗って風を楽しむ。

 ディオンは黄金とダイヤモンドの瞳を持つカラスを見て、渋い顔をする。

「……の覚醒度合いは?」

「全然。己の潜在意識は理解したが、表の人格との融合ゆうごうは進んでいない」

「……そうか……」

主人あるじもまさか父親が太陽騎士団とは思うまいよ」

「元、だ。シャルル様と婚約した段階で抜けた」

風向きの変化で父親の話し声を耳にしたサシャは上半身を起こした。

「お父さんなんか言ったー?」

「お前のカラスは賢いな!」

「うん、まあねー!」

ディオンはハァと溜め息をつき、カラスに向き合う。

「俺にとっては娘だが、尊い方でもある」

「複雑だな。疲れないか?」

「覚悟なら、あの子が七歳の時にしたさ」


 町へ着いたサシャはディオンについて行き、荷下ろしを手伝う。

「サシャじゃないか! 久しぶりだなぁ! また伸びたか?」

 ふくよかな家具屋の店主は笑顔で少女の頭を撫でた。

「身長伸びたよー。おじさんも相変わらず元気そうでよかった」

「学校忙しいのか? 丸一ヶ月帰ってこないなんて!」

「結構ハードだよ、授業。土日も必要なら補習とか自習とかあるし」

「ほほお、頑張ってるなぁ」

 ディオンはその後も納品のやり取りがあるから、と娘を解放する。

「帰りの時間は合わないだろうから、カラスに送ってもらえ」

「ん? 魔法ってこと?」

「羽のある精霊ならその程度たやすい」

そうだろう? とディオンが顔を向けると二羽のカラスは少女の両肩でうなずいた。

「呪文すら要らん」

「ふーん? そうなんだ?」

「お昼とおやつくらいは食べてくるつもりだろう?」

「うん」

「なら先に帰ってる。気をつけて帰ってこい」

「うん!」


 父と別れ、サシャはさびれた大型ショッピングモールを見上げて溜め息をついた。

「昔から遊ぶのも買い物するのもここ」

「通い飽きたって感じか」

「どこに何があるのか目をつむってても分かる」


 サシャは朝からおやつを堪能するべく、クレープ屋を目指した。

 クレープ屋の店員は近付いてくる見知った顔を見るとげぇと声を出す。

「サシャじゃん!」

「あれ? エリーヌだ」

 エリーヌと呼ばれた赤毛のそばかす少女はチッと舌打ちをした。アミーカとフラターは大鴉の姿のまま、店員の女を警戒し始める。

「しばらくムカつくツラ見なくて済むと思ったのに!」

「あんた私がいく進学校に負けないくらいのところ行ったんじゃ……?」

「あーあー、聞こえない。ご注文どうぞ」

 サシャは首をかしげつつカウンターに置かれたメニューを見る。

「んー、カスタードクレープで」

「お飲み物もいかがですかー」

「じゃあホットコーヒーください」

 サシャはクレープを焼き出した中等部の同級生を見て、本来なら自分と同じようにいい学校の寮へ入っているはずのエリーヌが何故こんなところでバイトをしているのだろう、と首をかしげる。

「学校どうしたの?」

エリーヌはクレープを焼きながら口をとがらせていたが、観念したのか溜め息をついた。

「全部落ちた」

「えっ?」

「全部! 滑り止めも全部!」

「な、何で? あんた私より頭いいじゃん」

「知らないわよ! 仕方ないから地元でバイトしてんの!」

「ええー……」

 人生何があるかわからない、とサシャは目を丸くする。エリーヌは器用にクレープを焼き上げ、ホットコーヒーの用意も始める。赤毛の少女は元クラスメイトの肩にとまる二羽のカラスをチラリと見た。

「で? あんたはまた向こうで精霊と仲良し?」

「あ、うん。こっちがアミーカ、反対側がフラター」

カラスたちは主人から紹介をされてもエリーヌをただじっと見つめる。

「デカいカラスね」

「ワタリガラスだよ」

「あー、あの冬に移動する。つかカラスってもっとお喋りじゃなかった? 黙ってるけど」

「ああ、うん。珍しく静かだけど……」

サシャが様子をうかがっても二羽のカラスはたまに毛繕けづくろいをする程度。

 サシャがカラスたちの喉元を撫でると、二羽は気持ちよさそうに目を細めた。

「あんたホント、精霊懐かせるのだけは得意ね」

「まあ、このくらいしか特技ないしさ?」

「そーね! あんたなんてそんなもんよ」

 エリーヌは嫌味と共にコーヒーを差し出した。

「あ、今日は服屋やめときな」

「え? なんで?」

「あたしと一緒で、男に振られて帰ってくるしかなかったマルゴが泣きながら仕事してるから」

「えっ!!」

 マルゴも地元の中等部の同級生で、ここら一帯では一番の美人だった。金持ちの男に見染められて十五歳になると早々に婚約し、華々しく町を出て行ったはずだ。

「ふ、振られた? マルゴが!? あの美人が……!?」

「ほんと、何があるかわからないわよね人生」

「えっ? 理由は? て言うか……」

 サシャは周りを見渡す。田舎といえど、いや田舎ならば買い物で賑わう土日。今日はあまりにも人がいなかった。

「どうしたのこの閑散かんさんっぷり??」

「まずそこからね」

エリーヌはクレープ屋店員の帽子を机に放り投げた。

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