第5話『太陽とカラス』

 朝早くに目を覚ましたサシャはベッドから跳ね起きた。

「アミーカ?」

精霊との繋がりは感じるものの姿が見えず、サシャは不安になる。

「まず着替えろ」

頭の中に声が響き、サシャは顔をだらしなくゆるめた。

「えへへぇ」

アミーカはちゃんといた。

 サシャはジョギングのためにジャージに着替え始める。

「どこ行く気だ」

「朝のジョギング!」

「あっそ」

 サシャが着替え終わるとカラスは少女の影の中から煙のように出てきた。黒い三角帽。ボタンが多い一昔前の成人男性のコート姿。サシャはカラスのその姿が気に入っていた。

「ふへへぇ」

「走るんならさっさと行け」

「はーい」


 サシャはオスカーたちと走った校舎と森をへだてる馬車道をリズムよく走る。

「ほっほっ」

 食堂までたどり着いたサシャは、魔法で二十四時間自動販売が行われている購買へと向かった。

「ふぃー、何飲もうかな」

 アミーカは本来のワタリガラスの姿でサシャの近くにあるテーブルの上に乗った。

「アミーカ何食べる? クッキー?」

「そんなもんオウムに食わせとけ」

「甘いもの好きじゃない? そう……」

 サシャはアミーカが言葉に含めていない微細な感情を読み取って返事をした。

「一個だけサンドイッチ残ってるよ」

「腹壊しそう」

「冷蔵庫の中だから大丈夫だってー」

「いらねえ」

「うーん、そう」

 サシャは結局ボトル入りの水と紙コップを買い、テーブル席に腰を下ろしてアミーカに水を分け与える。

「いらねえつったろうが」

「お水だよ」

「てめえは成長期なんだからパンでも何でも食え」

 アミーカは人の姿になると紙コップを受け取って水を飲んだ。

「うふふ」

「……俺の顔見るたびにニヤつくのやめろ」

「だって嬉しくて」

サシャは何よりも、このカラスが自分との契約のために学園まで来てくれたことが嬉しかった。

「うふふ。実はまだみんなには内緒なの」

「サプライズってか?」

「そう!」

サシャは自然と持ち上がる両頬を両手で押さえた。

「でも先にニヤけちゃってバレそう」

「ポーカーフェイスとか苦手だろ」

「そんなことないし」

 アミーカは静かになると少女のオレンジ色の髪へ手を伸ばした。サラサラとした感触を楽しむと、カラスは手を引っ込める。

 サシャは思ったよりもアミーカがなついてくれていると感じ、腰を浮かせると彼の首に腕を回して膝の上に乗った。

「わざわざ来てくれてありがと」

「……フン」

素直じゃないカラスの照れ隠しを感じ、サシャは彼の額に口付けた。




「あれっ」

 朝一番に人姿のアミーカを連れて友人たちと顔を合わせたサシャはその驚きように満足した。

「えっ、いつ?」

「ふふふ。実はあのあと学園まで来てくれたの。裏の森にいてびっくりしちゃった」

「なんだって?」

 オルフェオはアミーカをいぶかしんだ。

「どうやって入った? この学園には結界が何重にも張られているし、人用も精霊用も出入り口は決められている」

「ああ、警備が確認するはずだよね」

アミーカはサシャ以外の月と太陽を冷たく見下ろし、フイと視線を外して遠くを見た。

「そっか森番とかいるはずだよね? どうやったの?」

 主人であるサシャが見上げるとアミーカは少女の目を見つめ返す。

「王立魔導学院の結界は堅牢けんろうで有名だが、仕組みは古いままだ。大したことなかったな」

「ふぅん、結界ってすり抜けられるの?」

「えっ? 出来ないよ。いや、方法はあるけどそれは道具とか……えっ?」

マシューが見上げるとアミーカはサシャの首に腕を回して少女の額に口付け、誤魔化した。

「ん? なに?」

「違法な手段を使ったんだな。先生に報告するべきだ」

「うわ、アミーカってすっごくワル」


 サシャが素直に太陽専任のアルリーゴ・デルカ、月寮にいる関係から月専任のオーレリア・ミューアへ報告を入れると二人は渋い顔をした。

「なんとまあ知らない間に大冒険を」

「すみません……」

サシャが先生から怒られている間、アミーカは黙って二の腕を組み主人の後ろに立っている。

「アミーカ、どの辺りの結界を狙ったんだね?」

アミーカはアルリーゴに問われてもにらみ返すだけで答えず、ライオンヘアーの先生は目を丸くする。

「……やはりな」

「ん? アミーカどうしたの?」

「モーガン先生にお聞きしましたが、バレットさんは神の花嫁の中でも騎士を決めるまでが非常に難しかったと」

「はい。それが、ええと?」

「より多くの精霊をきつける花嫁の騎士は、己の力量の高さと主人への忠誠心の強さからプライドが非常に高くてね。主人がよいと言うまで他者と口を利かない場合がある」

「えっ!?」

サシャはアミーカを見上げ、コートのすそを引いた。

「ダメダメ、ちゃんと先生の質問には答えて。必要があって聞いてるんだから」

アミーカは主人と教師たちからフイと視線をらした。

「何故俺が手の内を明かさねばならない」

「あっ、コラ! めっ!」

サシャはその場でアミーカをひざまずかせ人差し指を立て、精霊に言い聞かせる。

「いい? 警備上の大事なことなんだからちゃんと協力する」

アミーカが反抗的な眼差しを返すとサシャは手を腰に当て胸を張った。

「今はちゃんと、先生に協力する!」

「……御意」

サシャが上手く精霊を扱っている姿を前にし、アルリーゴとオーレリアは頷き合った。

「大丈夫そうですね」

「うむ、杞憂きゆうだったようだ」




 サシャは問題の結界が薄い場所までアミーカに案内させる。アルリーゴとオーレリアの二人組に森番を加え、一行は裏の森の拓けた場所にたどり着いた。

「ここ?」

サシャが問うとアミーカは頷いた。

「日曜の午前三時五十九分から四時の間、一瞬だけ結界が一枚になる」

「それを狙ったの?」

「一枚になっちまえば突破は容易だ」

森番はその話を聞いてとんでもないと首を振った。

「そんな瞬間はありませんぜ。あったとしても警報を鳴らさずに突破なんて出来やせん」

「午前四時って日の出より前じゃん。ずっとここにいたの?」

「一日二日寝ずに機会を狙うくらい朝飯前だ」

アルリーゴはアミーカの話を聞いて納得した。

「君は精霊兵か」

「精霊兵? 聞いたことあるような……」

「第三次世界大戦中、魔法使いの手が足りず正式に採用された人間以外の傭兵だ。まさか本物にお目にかかれるとは……」

「アミーカ兵士だったの?」

「謝礼はたんまり出たな」

「そう……」

サシャは彼が戦争で色々失ったのだろうと思い、背中を撫でた。アミーカは主人からの労りの気持ちを感じ取り、くすぐったさで羽を揺らした。

「一枚でも結界があるなら警報が鳴るはずですが」

「この手のデカい施設は人力じゃなく魔道具で結界を張ることが多い。対魔法使いの結界突破はめんどくさいが、魔道具ならクセがある」

「アミーカそんなことまで知ってるの?」

「この辺は経験だ」

「すごーい……」

「ううむ、すごいがそれでは警備上困る。どうやってすり抜けたか見せてもらえるか?」


 警備上の問題とのことでサシャとアミーカは手が空いている教師の前で侵入技術を見せることになった。

 アミーカの前にはこの学園を守る結界と同じ波動を出す小型の水晶が台座と共に置かれている。

「ではどうぞ」

 水晶は一つにつき三重の結界を生み出す。大人が二人入れる程度の狭い空間を作り出した水晶はずっと同じ調子で波動を出す。

「……どうするの?」

 サシャがうながすとアミーカは透明な薄い膜を指差す。

「小型も大型も、装置がきちんと動いているかどうか確認するために一定の間隔で結界を張り替える。一瞬だが一枚になる時間があって、そこを狙う」

アミーカの説明を聞きながら教師たちは「でも」と口を挟む。

「一枚でも残っていれば侵入は感知されるはずですが」

「わざと一枚にしてみましょう。やってみてくれますか?」

 結界が一枚だけとなった水晶を前にし、アミーカは腕を突き出す。

 アミーカの手が結界に触れた途端、結界はさざなみを起こすが警報は鳴らず。そして、

「いやーっ!!」

アミーカと感覚を共有しているサシャが悲鳴をあげた。

「やだ!! それやだ!! やめて!!」

アミーカはスルスル、と腕を進めて結界の中へ腕を侵入させる。

「ど、どうなってる?」

「やだーっ!! やだやだ!! もうやめて!! アミーカやめて!!」

主人が泣きかけたのでアミーカは手を引っ込めた。

「バレットさん、説明してくれないか」

サシャはアミーカに駆け寄ると腰に抱きついた。

「結界に触ってる部分だけアミーカの体が溶けてるんです……!!」

「……なに?」

 教師たちが意味を理解できず首を傾げたタイミングで学長アグトリアが場に居合わせた。

「なるほど、君が“霧影きりかげ”か」

 アミーカはアグトリアを横目でチラリと見た。

「てめえの顔は何度か見た」

「うむ。大戦中、どんな結界も突破する凄腕すごうでの傭兵がおってな。魔法使いなのか精霊兵なのかすら不明の男で、いや男か女かすら分からなかった。そのくらい痕跡こんせきを消すのが上手くてな」

アグトリアはうんうんと頷く。

「精霊兵だったか。それも戦争を生き抜いた」

アグトリアの話を耳にしつつ、サシャは自分の魔力を使い魔へ注ぎ込み傷を癒す。

「送りすぎだ。やめろ」

「やだ、やだ。元に戻るまで同調する」

「チッ、わかったよ」

アミーカはサシャの魔力を受け取り、結界と混ざって溶けた分の容量を取り戻す。

 アミーカの体の中心を花風の甘い香りが吹き抜けていく。晴天の下、どこまでも広がる花畑にいるような気分になりアミーカはうっとりする。

(こいつの魔力は本当に甘いんだな)

 サシャは傷が治ったのを確認すると涙目でアミーカを見上げた。

「その技二度と使わないで」

心配からくる命令だとわかり、アミーカは仕方なく片膝をついた。

「御意。お前の命令がない限りは使わない」

「そんな命令出さない」

「わからねえだろそんなの」

アミーカは主人が本格的に泣きべそになる前に少女を引き寄せて抱きしめた。

「わかったから」

「ん」

 サシャとアミーカがそうしている間、教師たちはアミーカの技について議論していた。

「体の表面を溶かして膜の向こうで再生する? めちゃくちゃですな」

「体が魔力で構成されている精霊にしか出来ませんね。我々では肉の器が邪魔になります」

「うむ、めちゃくちゃですな。ほっほ」

 アグトリア学長は微笑んだまま闇魔法使いのオルミル・サンデルを見やった。

「“霧影きりかげ”についてはサンデル先生が調べておりましたな。どうでしょう? 本人を前にして」

サンデルはサシャと抱き合うアミーカをチラリと見た。

「一つの懸念は消えました。……しかし新たな懸念が生まれたところです」

「そうですか。ほほほ」




 話を聞き終えたマシューたちは呆れて物が言えなかった。

「何その命がいくつあっても足りない方法」

「捨て身だな。なるほど、他にできる者がいない訳だ」

「方法がわかって真似した精霊はみんな結界の中で溶けて死んじゃったんだろうね」

 マシューとオルフェオが叱るように言い放っても、アミーカは大鴉の姿でサシャの膝の上でくつろいでいた。

「もうしないって約束してくれた」

「当然だよ」

アガサとアリスはサシャの肩を撫でながら、怖い話だとまなじりを下げる。

「そんな手段を取ってまで戦わなければならなかったのですね」

「美談にするな。人も精霊も関係ない殺し合いだ。それ以上でも以下でもねえ」

アガサとアリスはアミーカをいたわってその羽を優しく撫でた。

「チッ、花嫁だらけで調子が狂う」

 アミーカは吐き捨てるとサシャの膝から降り、煙となって主人の影の中へ戻った。

 サシャは体の中に精霊が戻り、胸の真ん中をさすった。

「アミーカしばらく中にいてね。どこにも行かないで」

「……御意」

 サシャはアミーカを大切にしようと決意し、暗い気分を取り払うため首を横に振った。

「今日はもう甘いものいっぱい食べちゃお」

「そうするといいよ。疲れたでしょう」

「うん! 購買でケーキ三つ買う!」

「どうせなら喫茶スペースで簡単な茶会にしないか?」

「お茶会?」

「いいですね」

「そうしましょサシャ」

「うん! じゃあ私ホステスする!」

「いや、ねぎらわれる側なんだしゲストでしょ?」

「あれ?」

少年少女は笑い合った。

アミーカは優しい世界しか知らない子どもたちの中で、静かに目を閉じ意識を闇へ放った。

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