第4話『精霊の騎士』
入学から三日目の朝。新入生全体で使い魔との合同授業があると聞き、サシャ・バレットは肩を落とした。十二歳までに使い魔がいない魔法使い見習いには教育機関が助成すると決まっているのだが、サシャのように神の花嫁の性質を持つ者に現実は厳しい。
使い魔との相性はフィーリング。加えて、精霊なら大体と仲良くできてしまう神の花嫁の場合、ほかの精霊よりも強く勇ましい者でなければ守り手たりえない。
こればかりはサシャを目の敵にしているナルシス・モンテすら使い魔がおり、初めてサシャの先を行ったと彼女は鼻を高くした。
「おーっほっほっほ! 使い魔もいないなんてみじめねぇ!」
「神の花嫁の場合、相性のいい精霊を見つけるのは難しいよね」
マシュー・レインはナルシスに聞こえるよう幼馴染のオルソワル・オルフェオ・ベルフェスに話しかけた。オルフェオはマシューの意図を
「ああ。動物が精霊になるまで時間がかかるし、ましてや多くの精霊から愛される神の花嫁であれば、守り手としての強さや勇ましさも必要になる。条件が多いほど相手が見つからないのは何事においてもそうだ」
マシューとオルフェオはうんうんと頷いてサシャに顔を向ける。
「こればかりは仕方ないよ」
「大丈夫だ。必ず見つかる」
「ふ、二人ともありがとう……!」
そばにいた双子の姉妹、アガサ・ティアラとアリス・ティアラもサシャの肩に手を添えて微笑む。
「これから出会うサシャの騎士、楽しみね」
「素敵な精霊よ。きっとそう」
サシャは今日も美しい月の姫たちの微笑みに、顔をだらしなくゆるめる。
「うん!」
ナルシスはサシャにマウントを取るはずが彼女と友人の仲を深めてしまい、嫉妬で顔を真っ赤にした。
神の花嫁は月属性に多い性質。月の姫の中にはまだ己の精霊と出会っていない者も少なくない。サシャは彼女らや他の生徒と共に、獣学の専門家であり精霊の調教師であるモーガン先生の説明を聞く。
「これから私の師匠である精霊使いヴァーノン先生の元へ参りますー。オールドローズ通りへ向かうので、はぐれないようになさってくださいねー」
すでに使い魔がいる生徒たちは別の先生のもとで授業を進めるため、サシャはマシューやティアラ姉妹、オルフェオに手を振って学園の外へと向かった。
のんびりしたモーガン先生の声で一クラス分くらい、四、五十人の塊がぞろぞろと校舎を出て魔法使いの街へ繰り出す。月属性の娘たちはサシャを真ん中にして連れ歩く。
「モンテさんはどうしてああなのでしょう? 印象がどんどん悪くなります」
「ごめんね。気にしないであげて」
「まあ、バレット様が謝る必要なんてどこにもないわ」
「そうですよ」
「でもさー、わたし一応火種だし」
「ご自分が悪くないのに謝ってはダメよ」
魔法使いたちの街、オールドローズ通り。一軒一軒が小さく細い入り口をしていてずらりと並ぶさまは壮観。所狭しと魔法の道具や材料が並び、道ゆく魔法使いたちを引き留めている。
ミスターヴァーノンの精霊屋。とんがり帽子の白い屋根、漆黒の壁と柱は威圧感があったが中に入ると広々としたホールが明るく照らされている。
「わあ」
サシャは思わず月の子と声を揃えて感嘆の声を上げた。元の建物よりも魔法で空間を広げた屋内は王城のダンスホールのように広かった。
「こちらですよー、はぐれないでねー」
モーガン先生の背中を追いかければ、片眼鏡をかけた小柄でずんぐりと丸っこい調教師が待っていた。
「月の姫君たちにお会いできて
モーガン先生の師匠ヴァーノン氏は一人一人生徒を呼び出しじっくりその顔を観察し、あちこちにある扉へそれぞれを案内していく。
「わあっ可愛い」
「すげードラゴンの子供だぜ!」
みんながワイワイ使い魔とはしゃぐ中、サシャは一番最後。そして精霊使いヴァーノンは少女の顔をいつまでも
「あの……」
「やっぱりーバレットさんはー難しいですかー? せんせいー」
「ううむ……」
月の姫たちの相手が数多く見つかっているのにサシャに見合うだけの者はいないようだ。太陽の娘は思わず肩を落とす。
「そう落ち込まずに。己の騎士に出会う日は星によって決められているし、必ず見つかる」
「このお店にはいませんか?」
「君は華やかだ。精霊たちをより多く
「そうですか……」
「せんせいー、他の地域でも探してみましょうー」
「そうしよう。大丈夫、こちらで探しておく。気長に待ちなさい」
「はい……」
サシャは己の使い魔に出会えないまま次々に新しい授業を迎えた。月の姫たちも己の騎士と出会い日々仲良くなっていく中、サシャはひとりぼっちになった気がして
「あーあ」
初学年の一週間が過ぎ土曜日を迎えても、精霊使いヴァーノンからの連絡はなかった。
(ほんとに見つからないんだなぁ……)
寝室の窓から森を眺めていたサシャは、目の前に見慣れた白いフクロウが現れて目を丸くした。
「ジェミニ」
「バレット様、我が主人がお呼びです」
「マシューが? なんだろ」
マシューはオルフェオと共に制服ではないラフなシャツ姿でサシャを迎えた。
「おはようサシャさん」
「おはようマシュー、オルフェオ」
「おはよう。私もマシューから誘われてね」
「うん、なに?」
「サシャさんの精霊のことなんだけどね……」
マシューは二人に顔を寄せるように言って声を落とした。
「実はちょっと悪い方法があって」
「え、なに? ワクワクするんだけど」
「さすが太陽。オールドローズ通りから離れた治安の悪い区画に、人型の精霊が多く集まる酒場があるんだ」
「何それ耳より!」
「でも治安が悪い」
「問題はそこだ」
「治安の悪さどのくらい?」
「スリと強盗は当然かな。あとたまに指名手配犯がうろついてる」
「こっっっわ。でも? 方法がある?」
「あるんだ」
マシューはこっそりと水薬を取り出した。
「大人に変身しちゃえば舐められない」
「わる〜い!」
サシャは大喜びでその提案に飛びついた。
大人になったサシャは思ったよりも胸が増え、仕方なく手持ちの服の中で一番大きなスウェットを着た。
「くそ〜もっと可愛い服着たかった……」
マシューとオルフェオはより美しく凛々しく成長し、あまり似合っていないよれた男性服を着て学園の裏の森で待っていた。
「その服どうしたの?」
「清掃員の私服を借りた」
「えっ、いいなー」
「食堂のおいしいビール代で助けてくれたよ」
「えー、マシューったらワルー」
学園の森を抜ける裏道を使った三人は街を歩きながら酒場に入ったあとのことを相談する。
「この年齢で精霊探してます、はさすがにないでしょ」
「まあほとんどないかな……。理由まで考えてなかったよ。どうしようか?」
「マシューは案外行き当たりばったりだからな。ついてきて良かったよ」
「てか、オルフェオが乗ると思わなかったんだけど。真面目そうだし」
「マシューに用心棒になってくれと頼まれて断れるとでも?」
「真面目だから断らなかったのか……」
三人は薄暗い細い道を選んで進んでいく。ある程度のところまで着いた途端、街の様相がガラリと変わった。焦点の合わない目で壁に向かってつぶやく男や、奇声を上げながら道の真ん中で
(うわぁ想像以上……)
三人はなるべくまとまって歩きつつ、目的の店を探し当てる。
「ここだ」
年季が入りすぎて文字が読めなくなった看板には酒瓶が描いてあった。窓の外から中を見ようとすると、丁度よく店の扉が開き酔っ払った精霊同士が掴み合いながら転がり出る。
「喧嘩は外でやれ!!」
店主に締め出された精霊たちは路上でなおも喧嘩を続ける。
サシャは二人を連れて店の中へと避難した。
「ちょっと」
マシューは焦ったが時すでに遅し。サシャは呼吸を一つしてエヘン、と咳払いをした。
カッコよく酒を頼んでしれっと席へ座ろうとしたサシャは、視線が集中した気配で怖くなった。
精霊からすれば神の花嫁は一目でわかる。何故そのことを直前まで忘れていたのだろう? サシャだけではなくマシューにも視線が集まり、三人は焦った。
「あっ、えっと」
「ほほぉ、神の花嫁だぜ。初めて見た」
治安の悪い区域にいる精霊は人同様にガラが悪い。三人の近くにいた犬の精霊五人組が立ち上がり、マシューは無意識にジェミニを呼び出した。
「おいおいご高貴な花嫁さまたちが何しに来たんだ?」
「新しい精霊探しか? 俺とかどうよ?」
「退け。酒のメニューが見えねえ」
端の席に座っていた男が一言放つと、野犬はそちらを
「すっこんでろカラス野郎」
「メニューが見えねえっつったろうが」
「ああ!? やんのかコラァ!?」
次の瞬間、カラスは羽を広げたと思えばあっという間に犬の精霊たちに強烈な蹴りを喰らわせた。
乱闘になるかと思いマシューとジェミニ、オルフェオとイゥスは構えたが、カラスの精霊は羽を大きく広げ犬たちを見下ろしてすごむ。
「魔法使い一人
「騒ぐなら酒は出さねえ!」
店主が大声を出すとカラスは舌打ちをする。
「興が
カラスの精霊はサシャの
しばらく歩き、カラスは隣の通りの近くでサシャを解放した。
「酒が飲みたいならもう少しマシな店にしろクソガキ」
「私あなたがいい!」
サシャは見た目の年齢も忘れてカラスのコートを
「私の騎士」
「……シラフかと思ったらてめえも酔っ払いか」
カラスはサシャの腕から雑にコートを取り外すと来た道を引き返す。
「待って!」
「サシャ、注目が集まりすぎた。逃げよう」
「でも……!」
サシャはマシューとオルフェオに手を引かれ走り出した。少女は去り行く黒い後ろ姿に心を残しながら、泣きそうな顔で学園へと逃げ戻った。
理想の精霊は見つけたものの振られてしまったサシャは、月曜日を迎えても元気になれなかった。
「あのカラスが良かったのに……」
精霊使いヴァーノンがよい精霊を見つけたと言うので、今日は授業の合間にその精霊と顔合わせをする。
待ち合わせの時間を迎え、サシャはあの黒い長身が現れるのを期待したが、精霊使いが連れてきたのは勇ましく爽やかなタカの精霊だった。
(違った……)
「どうだねバレットくん?」
サシャは首を横に振る。
「ごめんなさい。決してその精霊が力量不足だとか、そんなことはないんですけど」
「ううん、駄目かね」
ヴァーノンは残念そうに見上げたが、タカの精霊は気にしていないようだった。
「私としてはこのままお仕えしても構いません」
「君もこの花嫁には抵抗がないかね?」
「はい。美しい方ですね」
「ううむ、バレットくんは華やかだからな……」
己が選んだタカの精霊すら魅了されてしまい、ヴァーノンは溜め息をつく。
「仕方ない。来週までに別の者も探しておこう」
サシャは首を横に振る。
「いいです。先生のお手を
「いや、探す範囲は広いほうがいい。今のうちに多くを当たって」
「違うんです!」
サシャは涙をにじませた。
「もう見つけたんです。でも彼が嫌がったから……」
「何だって?」
サシャは土曜日の出来事をヴァーノンに白状した。
「そんな危ないところへ……」
「好奇心で。すみません」
「怪我がなかったからよかったものの。では、精霊から断られてしまったのか」
「はい」
それは落ち込むのも仕方がない、とヴァーノンはサシャをなだめた。
「他にもその資格を持つ者がいるかもしれない。やはり引き続きこちらでも探しておこう」
「……ありがとうございます」
さらに半日ほど落ち込んでいたサシャは、考え抜いたあと覚悟を決めた。
(やっぱりもう一回あの酒場に行こう)
あのカラスに会って、もう一度契約を申し込んでみよう。
(今度は見た目を誤魔化したりしない。十五歳のまま申し込む!)
サシャは上等な私服に袖を通し、一昨日使った学園の裏の森を一人で進んだ。
「ええと、酒場に着いたら言い訳どうしようかな。て言うか一人だけど大丈夫かな? 駄目かも。やっぱりマシューとオルフェオに……」
独り言で己を鼓舞をしたサシャはみるみるうちに自信をなくす。
「無計画で行ってもなぁ……」
「おいクソガキ」
その場にしゃがみ込んだサシャは頭の上から降ってきた声に驚いて身を震わせた。
「酒が飲みてえなら学校の中でやれ」
「アミーカ!!」
呼ぶと同時にカラスの精霊は少女の前に舞い降りた。精霊が立ち上がると少女はその腰に抱きついた。
「どこの品のいい魔法使いかと思って
「アミーカ! いま名前決めた!」
「ほんっとにうるせえガキだな」
カラスはサシャの腕を
「てめえが勢いで殺人鬼どもの中に突っ込まねえよう見張ってやる」
契約してもいい、と精霊から伝えられサシャは涙を浮かべた。
「うん!!」
「泣くな。鼻水が汚ねえ」
「私と契約してください……」
「して欲しいならさっさと杖出せ」
精霊になり人の姿へ変身する術を覚えたカラスたちは毎日人に紛れて騒ぎ立て、その
精霊兵の仕事は多岐にわたるが、主に魔法使いでは手が回らない地道な下調べや、敵国を惑わせる工作や奇襲の下地を作ることが主だった。
カラスの兄弟は決して特定の主人を作らず、兄弟だけで活動した。
他人はいつでも裏切る。ましてや戦争中の魔法使いなど、野良の精霊兵は安く使える労働力として容易に切り捨てる。
一時的に契約をして魔力と
アミーカと名付けられたカラスは兄弟の一番上で、頭の回転が早かった。彼は弟たちよりも先に結界をすり抜け敵の懐に飛び込んでトラップを仕掛ける。罠が発動すると魔法使いと共に弟たちが奇襲しにかかった。
大戦が終わり、戦争従事者と戦没者には
首都近くの治安の悪い区画に居着くようになったのも騒がしさが欲しかったから。静かな場所では弟たちのことを思い出してしまうから、
酒で酔い泥のように眠る日が続いた。それが当然になってきたある日、酒場にある女性が現れた。
甘い風が吹いた。大輪の花が入ってきたのかと思った。
オレンジゴールドの髪、同じ色の瞳。輝くような白い肌。まだ年若い魔法使い。
神の花嫁と称される魔法使いは何度か見たことがあったが、これほど華やかな女性が今までにいただろうか? カラスは一瞬で目を奪われた。そしてそれは、周りにいるゴロつきも一緒だった。
野犬を追い払い花嫁を店の外へ避難させたあと、彼女のほうから契約を申し込まれたカラスは内心焦っていた。こんな治安の悪い場所で
格好をつけて断り、逃げていく神の花嫁に後ろ髪を引かれながらカラスは酒場へ戻った。
安いビールを一本飲み干したカラスは知らぬうちに花嫁の香りをたどっていた。
並行にならぶ通りを突っ切った花の香りは、王立魔導学院の小さな子供たちが集まる学園の森へと入っていった。
(魔導学院? こんなところ金持ちのボンボンが通う……ああ、あのガキもそうだったのか)
合点がいった。花嫁はあまりにあの場にふさわしくなかった。大方、ちょっと悪いことをしてみようと思ったのだろう。
(魔導学院の結界は
カラスは腕を鳴らした。
三時間ほどかけ巨大な結界の繋ぎ目を探し出し、層が特に薄くなる時間を狙って干渉する。カラスは警報も鳴らさずに結界をするりと超えた。
(大したことねえな)
さてこの広い森でどう花嫁を探したものか。考えた結果、自分にもう一度会いに来る可能性に賭け裏の森で花嫁を待ち構えた。案の定彼女は来た。酒場に入る都合、あの時は大人に変身したのだろう。十五、六歳といった姿の、同じ髪色の少女が腕を振って大股で歩いてくるものだから、笑えてくる。
「ええと、酒場に着いたら言い訳どうしようかな。て言うか一人だけど大丈夫かな? 駄目かも。やっぱりマシューとオルフェオに……うーん……」
少女は自信を無くしたのか立ち止まり、しゃがみ込んでしまった。
「おいクソガキ」
オレンジゴールドの瞳と目が合う。少女は泣き出す寸前だった。
「酒が飲みてえなら学校の中でやれ」
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