第6話『太陽と灼熱と影』
気疲れのせいか主人である神の花嫁は日が昇っても目を覚まさなかった。髪と揃いのオレンジ色のまつ毛の揺れを眺めたアミーカは聖域のように静かな寝室から抜け出した。
気ままな時間に何をしようか。カラスの精霊がのんびり廊下を歩いていくと清掃員の男性がチラリとこちらを見た。
「あ?」
ガンつけてんのか、とアミーカが食ってかかろうとしたら清掃員は口を開け、舌に刻まれた太陽を示す大輪の焼印を見せてきた。
「……へえ」
その印には見覚えがあった。太陽神ソルを崇める古代ソル教の太陽騎士団。太陽神のしもべたちが使う紋様だった。
「久しぶりに見たな、それ。で? 見せたからには話があるんだろ?」
「サシャ様のために捨て身にならぬよう。こちらからの忠告です」
(様ね。太陽神になんか関係あるのかあいつ)
「あんなガキのためにそこまでする気はない」
「貴方は言葉と態度がそぐわない。忠告が警告にならぬよう、身の振り方にご注意を」
「てめえの判断じゃなさそうだな」
「私はあくまで伝達係です」
「指示を出す奴は別か」
アミーカは清掃員の前を通り過ぎそのまま立ち去る気でいたが、気が変わって足を止めた。
「てめえ酒とタバコは?」
「……タバコなら持っていますが」
「未成年の主人に
太陽騎士団所属の清掃員から小瓶のビールとタバコをもぎ取ったアミーカは、その二つを楽しんでいる最中にジョギングをする太陽属性の女子生徒に
「ま、まあ……!」
(はーん、太陽の娘だがこいつは神の花嫁じゃねえのか)
アミーカはビールを飲み干してタバコを吸った。
「何見てんだコラ」
「ふ、不良! 不良ですわ!」
アミーカは立ち上がると羽を広げた。
「てめえ俺のご主人様に散々
「ひっ」
ナルシスは精霊の騎士の
「次から上手くいくと思うなよ」
ナルシスは涙目になりながらカラスの精霊を
「な、なによ。サシャサシャって、あの子ばっかり! あの子の立ち位置にいるのは本来わたくしなのよ……!」
嫉妬か、とアミーカは
「いいことを教えてやろう。あいつの弱点だが……」
ナルシスの目の色が変わったのを見てアミーカは口の端を上げた。
「靴下の左右があるタイプは苦手なんだとよ」
「まっ……! バカにして!!」
ナルシスは顔を真っ赤にして走り去った。その後ろ姿がモタモタとして哀れなのでアミーカは煙と共に息を吐き出した。
「早朝ジョギングもサシャの真似か?
誰かが育てている畑からミントを失敬して口の中を綺麗にしたアミーカは、何食わぬ顔で主人が眠る寝室へと戻った。
オレンジ色のまつ毛が持ち上がり同じ色の瞳がのぞくと、アミーカはそわそわと羽を揺らした。
「おはよう……」
「おはよう。ジョギングするには遅いぞ」
「なんじ?」
「もうすぐ六時四十五分ってところだ」
「じゃあやめとく……」
アミーカが触れ合いを期待すると、サシャは寝ぼけ
「おいで」
アミーカは少女の腕に収まると胸の真ん中に頭を乗せる。サシャは使い魔の髪を撫でた。
「どうしたの? 甘えん坊だね」
「気分いいから一つ教えてやる」
「うん?」
アミーカは頭を持ち上げると少女の顔をのぞき込んだ。
「神の花嫁には
「んー、ヴァーノン先生がなんか言ってたような……。で?」
「てめえは今のところ見かけた中で最上級の花嫁だ。その自覚は持て」
「うーん、わかった……」
アミーカは口の端を持ち上げると再び少女の胸の上に頭を置いた。
(その最上級の花嫁に特別気に入られてるってのはいい気分だからよ)
アミーカは酒とタバコの話がナルシスの口から広がるのを警戒したが、特に騒ぎ立てられることはなく胸を撫で下ろした。
(誰かが先回りしたか? ……今後あいつの弱点になるような言動は控えたほうがいいか)
珍しく自省した休憩中のアミーカの前へ新品のタバコが差し出される。彼は驚いて相手を見上げた。初めて見る精霊の騎士は爽やかに微笑んだ。
「我が
「……噂自体はとうに流れてるのか」
「我々の
見知らぬ精霊の騎士はアミーカへ片手を上げて軽く挨拶をし、さっさと帰ってしまった。
「……なるほど」
ナルシスは早速サシャの悪口として使い魔の酒とタバコの話をしたが、貴族たちに軽くあしらわれたのだろう。
(今回はいいほうへ転んだか)
アミーカは早速もらったタバコに火をつけた。
「ほー、高いだけあるか。好みからは外れるが」
アミーカは一本だけ吸って残りは清掃員に
サシャたちのほうは本格的な基礎訓練が始まっていた。太陽属性は特に心臓が強いことで有名で、魔力をガンガン生み出す性質から使い魔
サシャとオルフェオは身体能力が優秀で、授業では常に一位と二位を争っている。
アミーカが屋外競技場で授業中の主人の様子を見に来ると、サシャとオルフェオは的に向かって火球を投げていた。どちらが多く投げられるか競争しているようだ。
「ふーん」
精霊たちは決められた場所で姿を現しそれぞれ自分の主人を応援している。神の花嫁は月属性にこそ多くあり、月クラスでは騎士だらけで授業参観のようになっているが、太陽クラスではアミーカしか騎士がいない。一人だけ人型で目立つ精霊は、動物姿の精霊たちから離れたところで用具入れの壁に寄りかかった。
その様子を見ていたサシャのクラスメイトが近くの仲良しに話しかける。
「騎士ってなんか迫力あるよな」
「ん? ああ、サシャんとこの? わかる」
「俺の精霊も人の姿になれるけど、なんか違うよなぁ。上手く言葉にできないんだけど」
「何だっけ、精霊の騎士とただの変身の違い」
「うーん、そのうちやるさ。獣学か精霊学で」
ナルシスは今日も膨れっ面だった。太陽クラスには自分もいるのに、何故か女子はサシャしかいないような雰囲気があって面白くない。
(何よ! 太陽属性で女性なら貴族からモテてモテて仕方ない、男に飽きるくらい囲まれるって聞いたのに!)
太陽クラスの男子たちはサシャをチラチラ見るものの、ナルシスに対しては全くそう言う視線を持たない。
(不公平だわ!!)
サシャは
美人かどうかで言えばナルシスのほうが整っているし、彼女にはその自覚があった。見目の良さでほかの女子に勝てると思っているからこそ、サシャのような平凡女子がモテている理由がわからない。
休憩時間になるとアミーカは購買で買ったレモネードをサシャの頬に押し付けた。
「ちべたぁ!」
少女はありがとうと伝えながらボトルを開けてレモネードをきゅーっと飲み出す。
「うんまあ!」
「そりゃあれだけ動いたらな」
「レモネード飲みたいなぁって思ってたの!」
「だから買った」
「気が利く〜」
アミーカは少女の隣に腰かけ、チラチラ飛んでくる視線を見渡した。
「あ?」
何見てんだとカラスが
「コラ!」
「さっきからうるせえんだよ視線が」
「だからって絡まない!」
サシャはそう言えばと今朝から噂になっているアレについてアミーカに質問する。
「タバコどうしたの? 買ったの?」
「…………もらった」
「目を合わせないってことは後ろめたいのね」
「チッ。……半ばカツアゲだったがそのあと返してきた。プラマイゼロだ」
「ほんとー? 誓える?」
「お前に嘘はつかない」
「ん、ならよし」
アミーカは残りのレモネードを飲み出した主人の横顔をチラリと見て、呟くように口を動かした。
「吸うなとは言わないのか」
「何で? だってアミーカは大人だし。あ、タバコって美味しい?」
「絶っっっ対吸うな。誓え、お前こそ誓え」
「なんで!?」
「肺でも壊してみろ。極上の魔力が不味くなる」
つい勢いで本音を出してしまい、アミーカはあっと口を押さえた。
「極上?」
アミーカは目を逸らし、サシャはすぐそばにいるオルフェオに顔を向けた。
「……ってどゆこと?」
「精霊
「ふーん? 私の魔力って美味しいの?」
サシャが身を乗り出してのぞき込んでもアミーカは体をひねって顔をそらす。
「ほー、美味しいんだ? よく分からないけど」
「太陽系列の三属性は甘いらしいぜ。どっかで聞いた」
「火と光と風?」
「そう」
「へーえ。残りの月系列は?」
「苦いって聞いたな」
「ふーん!? 面白いね」
私って甘いのか、とサシャは思いながらレモネードを飲み干した。
休日前の金曜日。光属性の二年生が十人ほどまとまってサシャに声をかけてきた。光属性は月ほど露骨ではないが女性が大半で、男性は少ない。
「ダンスの練習会ですか? 今夜?」
「ええ、そう。学年に関係なく太陽の方と月の方、わたくしたちと闇の子にお声がけしております」
「太陽のってことは……」
二年生たちは顔を見合わせると声を落とした。
「モンテ様ももちろんお声がけを」
「ま、まあそうですよね……」
「なので、対策をしております。どうか緊張せずにいらしてください」
光属性の女子生徒はサシャを呼びたくて仕方ないようだ。サシャはまあいいか、と気楽に頷いた。
「お待ちしておりますね!」
女子たちははしゃぎながら来た道を戻っていった。
夕食ののち。ダンス用の練習室にて。サシャは手持ちの中で一番綺麗なワンピースを着てきたが、受付の上級生は少女を隣の部屋へ案内した。
隣はダンスのための貸衣装室になっており動きやすさとは程遠い。
「こちらへ」
サシャは寒くないようにと太陽の上級生から上着を貸してもらい、練習室が見える扉の前へ案内される。
「私は何をしたら?」
「何もせず見守ってください」
上級生たちはそう言うと何食わぬ顔で受付や案内に戻った。主人がやや寒そうなのでアミーカは影から現れ少女を背後から抱きしめた。
「お、あったかい」
「つまらん風邪引かれたら困る」
サシャはアミーカへ微笑んで、腰を下ろして彼へ寄りかかり事を見守ることにした。
が、数分後サシャと同じように案内されたマシューがダンス用の軽装で現れる。
「マシュー!」
「なんかここで待つように言われて……」
「マシューも?」
マシューの使い魔ジェミニも、主人が寒くないようにと影から出てきて羽を広げた。
「てめえは出てくるな。邪魔くせえ」
「君が羽を仕舞えばいいだろう」
「誰が」
「こらこら、仲良く」
四人は狭いところで寄り集まって成り行きを見守った。
ナルシス・モンテはようやく自分が主人公になれるのだと悟った。光属性の上級生からダンスへ誘われ、太陽クラス、月クラス、光に闇と貴族の上位家系が揃い踏み。ここで彼らとの親交を深めれば、彼女の理想の玉の輿へ道がひらける。
ナルシスが会場に着くと貴族たちは拍手で迎えた。
(そう、そうよ! これよ!)
ナルシスは一番に、見目麗しい光属性の男子から誘われ、ステップを踏み始めた。
「ん?」
サシャはナルシスのステップを見て違和感を覚える。
「……なんかステップ間違ってない?」
マシューもすぐに気付いた。
「誰か先生に習ったとか、そう言う感じではないね」
案の定ナルシスは相手役と足が揃わずいつまで経ってもダンスの調子が合わない。焦った彼女は相手役を見上げるが、男子生徒は微笑むだけで一定のリズムを刻む。ナルシスは相手役の足を踏んでしまった。
「あっ、痛そう」
危なげながらナルシスはダンスを終えるが、次の男子生徒がすぐ彼女にダンスを申し込み足を止めさせない。
「……ねえこれって」
「見世物か」
サシャはアミーカの言葉で悲しくなった。
ナルシスはダンスの断り方が分からず三人目の相手をさせられる。息は上がり、足はフラフラだ。
「も、もう見てられない……」
サシャが顔を覆ってしまうとアミーカ、マシュー、ジェミニは彼女を撫でて慰める。
「
「精霊の間では悪い意味で噂になってるそうだね。太陽の姫をいじめてるって」
「ま、当然だな」
三人目とのダンスが終わるとナルシスは完全に息が上がりへたり込んでしまう。
ナルシスの前に歩み出た者は、今夜サシャを誘った光属性の二年生だった。
「初めまして。貴女の勘違いを正したくてこの場をお借りしました」
一体何が始まるのか。サシャ以外の三人は食い入るように見つめた。
「“太陽属性の女性は優遇される”と言う噂を
二年生は己を恨めしそうに見上げたナルシスを
「本校を受験なさり、わたくしたちの手本となった太陽の皆々様は卒業後、国の重要な役職に就くことが多くございます。そして、そう言った方々は基礎的なマナーは言うまでもなく習得済み。その上でさらなる高みを目指していらっしゃいます」
二年生の女子生徒はその場を見守っている生徒たちに顔を向ける。するとその中から二人の男子生徒が前へ出た。
「オルくん……!?」
「えっ?」
サシャが顔を上げるとナルシスの横にオルソワル・オルフェオ・ベルフェスとオスカー・ベルフェスが立っていた。
「オルに断って先に言うと、君の行動は目に余った。分家の俺から見てもね」
オスカーに譲られ、オルフェオも口を開く。
「ダンスの際の礼や
光属性の生徒はオルフェオの言葉に頷くと続きを話す。
「先の大戦後、太陽の方々は各地へ散り散りになり元の屋敷へ戻って来られなかった方もいらっしゃいます。そう言った方々は身の危険から市民に混ざり、過去を捨て暮らしていらっしゃる。そんな方のご子息ご息女様がまれに見つかると、民間の出という枠で募集してもう一度わたくしたちの元へ戻ってくるよう
光属性の女子生徒はナルシスの前で膝をついた。
「バレット様は戻ってきた方、貴女は一から始める方です。そして、お分かりかと思いますがダンスも
女子生徒は目を伏せると立ち上がる。
「こんなことをして、貴女に好かれるとは思っておりません。ですが、わたくしたちダンス練習会は毎週金曜日、必ずこの時間におります。貴女がもし……もし本当に上を目指すつもりであれば、わたくしたちは貴女を歓迎します」
女子生徒は美しい
「オスカーと共に寮まで送るよ。この騒動の責任者として」
ナルシスが去ったあと一同から謝罪を受けたサシャは、マシューたちと共にゆっくり学園の林道を歩いた。
「薄々勘づいてたけど、目をつむってた。家のこと」
「……所作は誰から習ったの?」
「お母さん」
「そう。じゃあ、君のお母上がベルフェス家の
サシャは星空を見上げて息を吐き出す。白い吐息はすぐに薄くなり消えた。
「あーあ、田舎の普通の子だと思ってたのに」
あの田舎は決して好きではないけれど、故郷には違いなかった。
「ほかにも太陽属性の女の子がいっぱいいて、みんな
サシャは振り向いて後ろからついてくる己の使い魔を見上げた。
「アミーカは気付いてた? 私の素性」
「
「そう……」
サシャが立ち止まるとほかの三人も足を止めた。
「明日から、どうしようかな……」
「どうもしねえだろ」
サシャが顔を上げるとアミーカは腕を組んでフンと鼻を鳴らした。
「今まで通りだ。何も変わらん」
「でも……」
「お前はお前だ。家柄なんぞどうでもいい」
サシャはそうだろうか、と思いつつうつむいた。
「俺は嬉しいよ。サシャさんが親戚ってわかって」
マシューは少女の目の前までゆっくり歩み寄った。
「ベルフェス家とティアラ家、うちのレイン家ってかなり血が近いんだ。ここ四代は特にね。サシャさんも多分そうだよ。ね、兄弟が見つかったって思うことにしない?」
サシャはマシューの言葉で顔を上げた。少年はすかさず少女の両手を握る。
「お帰りなさい、俺たちの姉妹」
「……うん、ただいま」
サシャが頑張って笑顔を作ると、マシューは満面の笑みになった。
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