黒猫のお客様
「賑やかだと思ったら…藤堂さん。これはどういう訳でしょうか?」
髭を蓄えた初老の男声が食糧で一杯になった買い物袋を両腕で抱え、僅かばかりある小さな階段を降りてくる。ゆっくりと注意深く革靴を鳴らして…よく見れば俺よりも随分質の良い革靴らしい。カツンカツン…と小気味よく響く。
「おう、マスターおかえり…お疲れさん。…いや、ちょっとばかり新顔と話してたもんでさ。」
「そうそう!この方初めてお見かけするのよ。…もしかしてマスターとお知り合いかとおもって。」
藤堂と呼ばれたあの樋熊のような男は、幾分バツが悪そうに顎の無精髭を掻きながら応答する。傍らのブロンド美女も食い気味に言葉を続けた。
「櫻子さんまで…はぁ、私は店番を頼んでいたんですよ?それでは新規のお客様が怯えてしまったでしょう…可哀想に、御無事ですか。」
「ああ、いえっ大丈夫で…」
階下に降り立つマスター…と呼ばれた男性は然も心配そうに俺の顔をそっと覗き込んだ。反射で後退りしそうになったが、俺の背中は店の壁に行き当たってしまう。そのまま軽く前髪を撫でられた。
「そうですか…何よりです。
「はっはい。だっ大丈夫…です…。」
「ふふっ息子を思い出しますねえ…改めていらっしゃいませ。非礼のお詫びと言ってはなんですが、私のお勧めブレンドを御馳走したいと思います。如何でしょうか?」
人の良さそうなマスターに誘われ、悪い気はしていない…が見れば見る程難解な人達だ。
抱えた買い物袋は今時珍しく茶色の紙袋である。常連客らしい二人も最近ではあまり見ない出で立ちをしているし…もしや変人の集まり。いや、少し落ち着いて考えるか…。
純喫茶らしい店内を見渡し、一先ず今日のところは珈琲を御馳走になってみよう。
「…じゃあ御言葉に甘えて、少しだけ…。」
その日飲んだ一杯は、衝撃的な美味しさで俺を虜にする。
深みのある光沢を見せる珈琲は薫り高く俺を包んでいく…仕事終りの身体にじっくりと染み込んで、疲れきった心をやさしく癒してくれた。
何時までも忘れられない…まるで幼い頃から知っていたかのような…飲んだ瞬間懐かしさに
いつの間にか緊張も
思わず溢れた大粒の涙が物語る本物の暖かさ。
…泣いたのは久しぶりだった。
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こうして俺は喫茶店Hatmanの常連客となったわけなのだが…
「なあ…マスター?俺は店員じゃねえんだけどよ。」
「なら、雇いますか?」
「おお!時給三千円以上で頼むよ。」
「御冗談を…三百円でしょう。」
「うふふっマスターも藤堂さんもやめてくださいよ………ふう…面白いんだから。」
ズズッ…
賑やかなやり取りの側で上手く馴染めないでいる俺は、只独り…静かに珈琲を啜る他なかった。
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