最終話 神になるために

 フェルセルム様はクーラルガ王国王都で一カ月ほど療養させた後で帝都に護送した。その間にクーラルガ王国は完全に帝国軍で掌握し、クーラルガ王国軍にも忠誠を誓わせる。まぁ、彼らは私の前に出るなり震えあがって顔も上げられない有様だったからそんな必要も無かったみたいだけどね。


 そうしてクーラルガ王国を完全に平定した後、私は帝都へ帰還した。


 春先だが、北にある帝都はイブリア王国より寒いので体感的にはまだまだ冬だった。その冷たい空気を纏いながら帝都に帝国軍が入城すると、大歓声に出迎えられた。帝都の市民が街路を囲んで大騒ぎで私たちを迎えてくれたのだ。


 まぁ、市民たちは帝国を再統一した、なんてことは説明しても分からないんでしょうけど、大軍が帝都を行進するのは良い見世物だものね。私は後ろにカイマーン陛下、ザーカルト陛下を従えながら先頭で鎧姿で馬に乗って行進した。


 大歓声に包まれながら手を振るのは中々気分が良いものね。私はご機嫌になり、笑顔を振りまいて四方満遍なく手を振ってあげた。人々は歓声を上げ、手を叩き、場合によっては笛を吹いたり太鼓を叩いたり何やら旗を振ったりして私を讃えてくれる。


「皇妃イリューテシア万歳!」


「聖女イリューテシア万歳!」


「紫髪の魔女よ帝国を護り給え!」


 なんて声も掛かる。そうよ。私は皇妃で聖女で魔女なんだからね。いっその事、ブケファラン神を呼んで炎の馬に乗って入城しようかしら? とカイマーン陛下たちに相談したのだが、両陛下に「市民がドン引きするから止めましょう」と止められたので断念したのだ。


 下町を抜け、貴族街を抜けて帝宮に向かう。貴族街では諸侯や貴族たちが着飾って門前に出て頭を下げていた。私は彼らにも特大の笑顔を向けて手を振ってあげた。そんな所作は貴族婦人的じゃないだろうけどね。今日だけは特別だ。


 そして貴族街を抜けた先にある帝宮の城門。その前の広場に出た。城門の前には数十人の人々が立っていた。その先頭にいるくすんだ金髪の人物。紺碧色の瞳が穏やかな色を讃えて私を見上げていた。


 私はすっかり嬉しくなり、馬を飛び降りると鎧を鳴らしながら彼の所に駆け寄った。


「クローヴェル様! やりましたよ!」


 そのままクローヴェル様に抱き着く。ちょっと勢い余ったのでクローヴェル様は痛そうに呻いてよろけたが、後ろに立っていたホーラムル様がさりげなくクローヴェル様を支えてくれた。


「おかえりなさい。リュー。頑張ってくれましたね」


「なんてことはありませんわ!」


 私は誇らしい気持ちでそう応える。クローヴェル様は嬉しそうに私の頬を撫でてくれた。


「お母様!」


 かわいい声がしたので下を見ると、レイニウスがちょこちょこと走り寄って来る所だった。子犬のくせにレイニウスよりも大きくなったミーシカが護衛するように横にいる。


「レイニウス! 帝都に来ていたのですね!」


 私は嬉しくなり、我が長男を抱き上げた。見ると後ろには乳母に抱かれたフェレスティナもいる。私が出征している間にイブリア王国王都から帝都に移動して来ていたようだ。


 レイニウスは私の首に抱き着くと、教えられていたらしい台詞をたどたどしく唱えた。


「おかえりなさいませお母様。出征、ご苦労様でございました。帝国の為のお働き、お見事でございました」


 ふふふ。私はレイニウスを両手で天に差し上げ、高々と掲げた。


「貴方の為に帝国を平らげておきましたからね! でも、これで終わりではありませんよ。待っていなさい! 貴方が皇帝になる頃にはこの帝国は何倍もの大きさになっていますからね!」


 私が叫ぶと、すぐ傍にいたエングウェイ様とグレイド様のお顔が引き攣るのが見えた。これ以上何をしでかす気だ、と言いたげだったわね。


 でもとりあえず、今日は祝いの日だ。未来の事は置きましょう。私はレイニウスを高い高いしたままクルクルと回って笑ったのだった。


   ◇◇◇


 私に忠誠を誓ったフェルセルム様は、クローヴェル様に謝罪し、クセイノン王国とクーラルガ王国の国替えを受け入れた。同時に、フーゼンの街は皇帝直轄とされた他、両国には皇帝直属の監視官を十年送り込まれる事も決まった。


 フェルセルム様もアライード陛下もクローヴェル様に服従し、フェルセルム様はクローヴェル様に黄色の象徴色と神器の槍を捧げた。


 フェルセルム様が国王位を続ける事には異論も多かった。何しろエルミージュ陛下は退位を余儀なくされ、しかも嫡男ではなく四男への譲位を強いられたのだ。最もクローヴェル様に反抗的だったフェルセルム様が王位を保つのは公平ではないのではないか? という意見が出たのである。


 もっともな意見だったが、これはフェルセルム様が徹底してクローヴェル様に服従する姿勢を見せ、帝宮でクローヴェル様に謁見する際はあのいつでも堂々としていた彼とは思えないくらい小さくなり、社交にも一切出ずほとんど屋敷で謹慎していたことで、むしろ生き恥を晒すのが罪になると思われた事から段々と消えていった。この辺の処世術は流石だわね。


 フェルセルム様は実際、もう全然クローヴェル様と私には敵意を無くしており、従順だった。クローヴェル様が「どうやってあの男の牙をああまで抜いたのですか?」と不思議がるくらいだった。


 彼は事ある毎に「私は皇妃陛下の忠実な騎士である」と言い、特に私にはもう完全に服従状態だった。それこそ私が逆立ちしろと言えば普通に逆立ちして帝都の下町を歩いて見せるだろう。それはまぁ、クセイノン王国の国王が私に絶対に逆らわないのは帝国統治の上では歓迎される事ではあったのだが、その懐き過ぎた犬を思わせる陶酔した目はちょっと気持ちが悪いのよね。


 帝国七王国は完全にクローヴェル様の麾下に入り、クローヴェル様と私、つまりブロードフォード家は完全に七王家の上に君臨する事になった。別に制度化したわけでは無いが、この先は我がブロードフォード家が代々皇帝位を継いで行くことになるだろう。


 そのための儀式として、選帝会議が開かれた。帝宮の大神殿に集まった七王家の王族や帝国各地の大諸侯。それ以外にも各地から有力領主や貴族が集まっている。


 通常であればこの選帝会議は何日もに渡って行われ、場合によっては皇帝を選び出すまでに何度も何度も会議を繰り返すのだと聞いていた。兎に角七王家の同意が無いと皇帝になれず、大諸侯の意見が集まると王国の意見も動かされる事があったので、強力な皇帝候補がいないと揉める事も少なくなかったのだ。


 しかし今回は違う。クローヴェル様はもう既に完全な皇帝陛下だ。なので今回の選帝会議の場合、議題は皇帝を選ぶことではなくクローヴェル帝を承認するかどうかだ。そして、承認しないなどと言い出せばどうなるかはこの場にいる誰もが分かっている。


 カイマーン陛下が集まった王侯貴族たちに言う。


「私としては知勇に優れその威厳は帝国を圧する程であり、大女神様のご加護も篤いクローヴェル陛下こそ、この帝国を統べる皇帝陛下として相応しいと考える!」


 するとそれに応じてハナバル陛下が重々しく同意する。


「そうとも。遊牧民を従え森の民を従え、遂にはガルダリン皇国をも屈服させたクローヴェル陛下しか皇帝陛下に相応しいものはおらぬだろう」


「さよう。帝国の南から北の端までを駆け巡り、あらゆる王家諸侯にその威厳を見せつけたのはここにいる者たちは先刻承知であろう」


 ザーカルト陛下も声を張り上げる。……ちょっと私の事績が混じっちゃってるけど良いのかしらね?


「異存はない。全てにおいてクローヴェル陛下こそ皇帝の座に相応しい」


 コルマドール陛下が言えば、アライード陛下も緊張した様子ながらはっきりと言う。


「皇帝陛下、いえ、その資質、実績は古の帝国を統べる神にも等しい存在だった皇帝に相応しいでしょう!」


 エングウェイ陛下も右手を挙げながら言う。


「そうだ我々はここに、古くて新しい絶対的な皇帝陛下を迎えることが出来た。ここより帝国に新たな時代が始まるのだ!」


 そしてフェルセルム様がうさん臭さ全開ののキラキラ笑顔で両手を広げつつ言った。


「我ら七王国の国王はここに、クローヴェル陛下とその妃イリューテシア様への絶対的な忠誠を宣言する。真に偉大なる皇帝陛下クローヴェル様! 永久に帝国を慈しみ愛し統べて頂きたい。大女神アイバーリンと七つ首の竜の加護を帝国にもたらしてください!」


 如何にも茶番だが、茶番だからこそ意味がある。七王国の王が茶番をやらかしてクローヴェル様をべた褒めするくらい服従している事が帝国各地の諸侯に知れただろうからだ。


 七王の言葉を受けてクローヴェル様が立ち上がる。私とクローヴェル様は最前列に置かれた階の上にある皇帝座、皇妃座に座っていた。クローヴェル様の首には七王国の七色の象徴色の布が既に掛けられている。


「私クローヴェルは七王国の偉大なる王達に推挙された事を喜び、誇りとし、非力を非才な身であることを承知で皇帝位に上がろうと思う。異存のある者があらば名乗り出るが良い」


 するとフェルセルム様が真っ先に立ち上がって拍手を始め、カイマーン陛下、ハナバル陛下、ザーカルト陛下、コルマドール陛下、アライード陛下、エングウェイ陛下がほぼ同時に拍手をする。


 これを見て諸侯が一斉に拍手を始める。勿論、諸侯列の一番前にいらっしゃるホーラムル様、グレイド様、お義父様も笑顔で大拍手だ。


 クローヴェル様は両手を上げてこれに応え、そして精一杯の大きなお声で仰った。


「皆の請願を受けて我は大女神アイバーリンの代理人として、帝国を統べる者である皇帝になろう。帝国に大女神と神々の恩寵があらんことを」


 そこで私が立ち上がる。この時の私の格好は、槍を右手に盾を左手に。肩には剣を腰には杖を。虹色のマントを羽織り胸に羽ペンを挿しネックレスを首から下げている。つまり全ての神器を身に付けたアイバーリン様のお姿を模した格好だ。ちょっと重い。髪型だけは違うけれど。


 その重厚な格好で立ち上がると、私は遠慮無く大きな声を出した。


「ここにクローヴェル様は輝ける栄光の座に着かれました。大女神アイバーリンの代理人としてこの大陸に遍く大女神様のご威光を行き渡らせて下さるでしょう。かのアメンジウス神のように。さすれば私は戦女神ランべルージュとなって陛下の敵を撃ち破りましょう!」


 まぁ、アーメンジウス神とランべルージュ様を私達夫婦に当て嵌めたら怒られそうだけどね。


 私は振り返り、大神殿の大女神像。私と同じ格好をしているそれを見上げる。そして視線に力を込める。


「おお、帝国の祖である七つ首の竜よ! 大女神アイバーリンよ! 偉大なる皇帝陛下クローヴェル様と帝国にご加護を下さいませ! 帝国に大いなる栄光と永久の繁栄お与え下さいませ!」


 私が大女神像を見上げながら叫んだ瞬間、大女神像はぶわっと金色の光を、全身から放射状に放った。諸侯の皆様が驚きの声を上げる。前回の簡易即位式の時はうっかりだったけど、今回はわざとだ。


 それどころか私はこの大女神像にこの選帝会議前からたっぷりと力を注ぎ込んでいる。だからこんな事も出来る。


 大女神像がグググぐっと動くとしゃがみ込み、手をクローヴェル様の方に伸ばす。クローヴェル様は頷くと、その手の上にそっと乗った。


 大女神像はクローヴェル様を手に乗せたまま立ち上がった。クローヴェル様は流石顔色一つ変えずに、大女神像の肩に手を当てて立っている。聖都大神殿の巨大女神像には及ばないとはいえ、その身長は七メートルくらいあるのだ。国王の皆様も諸侯の各位も唖然としながら大女神像に乗ったクローヴェル様を見上げている。


 クローヴェル様は大女神像掌の上で右手を上げて言った。


「大女神アイバーリンは我が即位を祝福して下さった。私には大女神のご加護がある!」


 続けて私が叫ぶ。


「帝国万歳! 皇帝クローヴェル陛下万歳! 大女神アイバーリンのご加護篤き帝国と皇帝に永遠の繁栄と栄光あれ!」


 するとエングウェイ陛下、ホーラムル様、グレイド様がもうやけくそ気味に叫ぶ。


「皇帝クローヴェル万歳! 皇妃イリューテシア万歳! 帝国に永遠の栄光あれ!」


 それを皮切りに、諸侯が一斉に「帝国万歳! 皇帝陛下万歳!」と叫び、神殿は怒涛のような歓声に震えた。


 文句無しの全会一致。圧倒的な支持を受けて、私とクローヴェル様は帝国の皇帝と皇妃として全王族、全諸侯から承認された。私とクローヴェル様は共に二十七歳。帝国史上最も若くして、そして強力な皇帝が誕生したのだった。


   ◇◇◇


「やり過ぎですよ皇妃様」


 儀式が終わった後、案の定エングウェイ様には怒られた。


「そうかしら? あれくらいで丁度良かったのではない?」


「王族も諸侯もドン引きしていたではありませんか。大女神様の権威をお借りするのは重要ですが、女神像が光るくらいで十分だった筈です」


 そうかもね。でも、あそこまでやっておけば、私とクローヴェル様に大女神様の特別なご加護があることは分かったでしょう。反抗の目を潰すにはやり過ぎなくらいが良いのよ。


「そういう事を言うから、貴女は『恐怖の皇妃』なんて名前で呼ばれてしまうんですよ? イリューテシア様」


 何その二つ名? 随分人聞の悪い響きがあるわね。私、そんなに人を脅かす事したかしら?


「したに決まっているでしょう。何しろ貴女は軍勢を率いて帝国中を駆け回り、クセイノン王国やクーラルガ王国に至っては自ら攻め滅ぼしているのです。炎の馬に乗ってね。七つ首の竜を呼び出してクーラルガ王都を脅かしたとも聞いています」


 ちょっと待ちなさい。誰が七つ首の竜を呼んでクーラルガ王都を脅かしたと言うのか。どちらかと言えば逆よ! 私が七つ首の竜を消したんじゃないの!


「まぁ、各国の王は元より、諸侯は大体本当の事を知っていますがね。これ以上誤解されるような事をすればどうなるか分かりませんよ?」


 ・・・・・・仕方が無い。ちょっと自重しよう。本当はこの後行われる帝都市街でのお披露目パレードで大女神像動かしてその上に立って練り歩こうと思っていたんだけどね。


「貴女が何かしでかせば、クローヴェルに迷惑が掛かるんですからね。身体の弱いあいつにこれ以上負担を掛けないでください」


「あら、クローヴェル様は私が次に何をしてくれるか、楽しみになさっていると言っていたわ」


 私が言うと、エングウェイ様は苦笑した。


「そうでしょうね。あいつは貴女が何かをしでかす度に大きく変わって行く。クローヴェルがあんなに大きくなるとは、私には予想も出来ぬ事でした」


 エングウェイ様はジッと私を見つめた。


「何もかも貴女のおかげですよ。イリューテシア様。ですが、もうちょっと地位相応に自重というものを覚えて頂きたい」


 この人はいつも私に手厳しいが、それはクローヴェル様を、そして私たち夫婦の事を慮っているからだと分かっているから腹も立たない。


 でも、自重はしてあげない。私は歯を見せてニヤッと笑った。


「それは出来ない相談ですね。クローヴェル様は帝国だけの皇帝では収まり切らぬ方ですよ。私はこれからも全力で行かせて頂きますわ!」


 エングウェイ様は最初から私の自重には期待していませんでしたよ、というお顔で笑ったのだった。



 帝都市街を無蓋馬車でパレードしたら、今度は帝宮に戻って祝賀パーティが行われる。帝国の貴族という貴族が集まって行われるものすごい規模のパーティで、今回はガルダリン皇国の特使も来ているし、トーマや森の民の代表団も参加している。


 なんと五日間毎晩行われ、その間帝都でも各王都でも市民たちはお祭りをしてくれるらしい。何でそんなに大騒ぎする必要があるのかしらね。


 兎に角、そんなに宴が続いたら、とてもではないがずっとは出ていられない。特にクローヴェル様は儀式とパレードでもう一杯一杯だ。宴の一番最初で乾杯の音頭をとって頂いたら、直ぐに内宮に戻って頂いた。かなり頑張ってたから、これは三日位寝込むでしょうね。


 代わりに私は存分に祝宴を楽しんだ。各王国より持ち寄られた銘酒が一杯だもの。沢山呑まないとね。私たちの為に持って来てくれたんだから。お酒だけではなく山海の珍味もテーブルに並ぶ。ちなみに盛られた器はみんなイブリア王国製の磁器だ。イブリア磁器はこの頃には強力な交易品となっていて、イブリア王国に多大な富を齎していた。


 私が宴を楽しみまくっていると、グレイド様がフレランス様と共にやってきて、呆れた様に仰った。


「帝国中の酒を呑み尽くすおつもりですか?」


 そんなに呑んではおりませんよ。まぁ、付き合って下さっていたカイマーン陛下はさっき潰れちゃったけどね。


「淑女に見える程度には抑えているつもりですよ」


「皇妃様は最初から淑女だとは思われていませんよ」


 グレイド様は遠慮無く仰った。グレイド様は今や公爵でいらっしゃるが、私は皇妃なんだから更に上位だ。その私に対して無礼極まりないわね。


 でも、この人が私に不躾にモノを言ってくれなくなったら、私はきっと終わりだと思うのよね。遠慮の無いしっかりした意見を遠慮無くぶつけてくれる人は貴重だ。それが有能で親しければ更に重要な存在になる。特に私は皇妃になり、周囲には私より身分が低い人しかいなくなってしまう。グレイド様までが私に忖度し出したら、私の耳には阿諛追従の類いしか入らなくなってしまうだろう。


 この人はなんだかんだ文句を言いながら私たちの為に力を尽くしてれた。周りは敵だらけだったこの帝都で頑張って、私たちが皇帝になると信じて活動してくれたのだ。それなのにグレイド様はその事を誇ったり報償をせびるような事もなさらない。クローヴェル様は凄いけど、グレイド様のそういうところも違う意味で凄いと思うのよね。


 私はホーラムル様もグレイド様も選べなかったけど、彼らは私とクローヴェル様を一番助けてくれた。今や感謝しかない。そういえば、クローヴェル様にこの人との浮気を疑われた事もあったっけね。お隣にいるフレランス様の誤解を招いて大変な事になったんだったわ。


「色々世話を掛けますね。グレイド様」


「何ですか気持ちが悪い。そんな殊勝な事を言いながら、次はどんな無茶振りをしようかと企んでいるんでしょう?」


 グレイド様は如何にも迷惑そうなお顔で仰った。流石にフレランス様が彼の腕を叩いて嗜める、私は苦笑するしかなかった。


「皇妃様、ダメではありませんか」


 ギクッ! と私は飛び上がりそうになってしまった。この声は・・・・・・。


「何ですかそのドレスは! 相変わらず野暮ったい。帝国女性の頂点に立ったという自覚が無いのですか?」


 そういう貴女は皇妃をこき下ろしているという自覚があるんでしょうね? ムーラルト様。とは言えない。そりゃ、皇妃と伯爵夫人では身分は天地の差があるわけだけど、この人は義理の姉だ。


「皇妃様は髪が短くて上が軽いのですから、下も軽くしないとバランスが悪いではありませんか。そんな重厚なスカートを着るなら髪を盛らないと」


 実は今日の装いをコーディネートしてくれたのは他ならぬここにいるフレランス様とメリーアン様だ。その当人であるフレランス様はムーラルト様登場と同時に笑顔の能面の様に表情が不自然に動かなくなってしまっていた。ちなみにメリーアン様とフェルセルム様は、ムーラルト様がいらしゃる場所には絶対に出て来ないらしい。


「それと、ダメですよ皇妃様。それ以上脚を太くしては。ただでさえ肩幅も広いのに、似合うドレスがより限定されてしまいます。それに、クローヴェルと並んだ時にイリューテシア様の方が男らしく見えたらお嫌でしょう?」


 ほっといて! 仕方が無いじゃない! 従軍して馬に乗り続けだったんだもの。それは脚も太くなるでしょうよ!


「でも、戦場に出たって言うから心配していましたが、幸いお顔にもお肌にも傷は無いようですね。良かったわ」


 ・・・・・・この人も口は悪いが、弟であるクローヴェル様と義妹である私を心底心配はしてくれているのだ。口は悪いけど。


「やっぱり、心配ね。私も帝都に住んで皇妃様とクローヴェルの面倒を見てあげましょうか?」


 ・・・・・・夫である伯爵に言って、この人はなるべくイブリア王国から出さないようにお願いしよう。うん。いくら忖度無い意見がありがたいと言っても限度があるもの。そうしましょう。私はフレランス様とアイコンタクトを交わして頷き合ったのだった。


   ◇◇◇


 祝宴から内宮に引き上げ、居室に入ると、クローヴェル様がソファーに沈み込むように座って本を呼んでいらした。テーブルにランプがあって、その灯りがクローヴェル様の秀麗なお顔を陰影深く美しく照らし出している。私は酔いに任せて弾むような足取りで彼に近付くと、ソファー越しに彼の後ろから抱き付いた。


「もう起きても大丈夫なのですか? ヴェル?」


 クローヴェル様は優しく微笑みながらも言った。


「お酒くさいですよ。リュー。貴女は大事な身なのですから少しはお酒は控えなさい」


「祝宴の時くらい良いではありませんか。たまには。毎日こんなには呑みませんよ」


「どうでしょうね。暇で毎日社交に出るようになったら、毎晩夜会で大酒を呑むのではありませんか?」


「まぁ、怖い。では、暇にならないようにした方が私の健康のためには良いですわよね」


 私はうふふふっと笑ってクローヴェル様が読んでいた本を見る。クローヴェル様は本当は詩集や物語がお好きだ。だが、この時は地理書を読んでいらっしゃったようである。どうやら、海賊国についての本みたいね。それを見て私の目が丸くなってしまう。どうやら私の構想はクローヴェル様にばれているようだ。


「……良く分かりましたわね?」


「クーラルガ遠征の時に必要も無いのにフーゼンに寄ったではありませんか。あれを見れば、ああ、リューは海賊国を狙っているんだな、くらいは誰にでも分かります」


 いや、誰にでもは分からないと思うけどね。それで早速海賊国の事を調べて下さっていたらしい。


「良い狙いだと思いますよ。海賊国を味方にして北方の海を制圧すれば、バーデレン帝国やガルダリン皇国の向こうの国へ遠征する事も可能になります」


 帝国を統一したばかりなのに気が早いと怒られるかと思いきや、クローヴェル様はもう全然先の事を考えていらっしゃる。私はなんというか、嬉しいんだけど悔しいみたいな気持ちになってしまう。何でこの人はこんなに大きな人になってしまったんだろうね。


「貴女に追い付くには私なんかは必死で頑張らなくては追い付きませんよ。それでも貴女のやることには追い付ける気がしません」


「そんな事はありませんわ。クローヴェル様を選んだ私の目に間違いはありませんでした!」


 私は彼の頭を抱きしめ、キスの雨を降らせた。クローヴェル様も笑って、そして私たちはしっとりとした長いキスをした。


「……クローヴェル様、その後は?」


「……後?」


「海賊国やバーデレン帝国。ガルダリン皇国の向こうの異教徒の国。森の民の東の蛮族をやっつけて、その後はどうするのですか?」


 まぁ、きっと異教徒の国の先にも沢山の国があるんだろうし、神殿領の海の向こうにも国がある筈だし、トーマの草原の先の砂漠を越えた先には帝国に匹敵する大国があるとも聞いている。全部を征服するのは無理だろう。何事にも終わりがある。多分、世界征服を完了する前に私たちの寿命が尽きてしまうだろうね。


 果て無く戦いを続けるわけにはいかないし、目的も無く戦い続ける事も出来ないだろう。そんな事はクローヴェル様ならお分かりの筈だ。何を目的に、目標にこの先を戦うのか。帝国の皆に戦ってもらうのか。


 すると、クローヴェル様はなんとも言えないような表情を浮かべた。笑っているようで、どこか遠くを見ているようで。覇気のあるそれでいて静かな。白皙の頬を紅潮させ、夢見るような口調でクローヴェル様は仰った。


「神になりましょう」


 はい? 私は聞き間違いかと思い、クローヴェル様をマジマジと見てしまった。しかし、クローヴェル様は私を紺碧色の瞳でしっかり見据えながらもう一度仰った。


「私たちは二人で神になるのです」


 ……とんでもない事を仰ったわよ。私は目をパチクリするしかない。するとクローヴェル様は珍しく声を上げて笑われた。


「貴女ともあろうものが何というお顔をしているのですか」


 どうも余程間抜けな顔をしていたらしい。で、でも、仕方ないじゃ無い! そんな、冗談でもびっくりするわよ!


「冗談ではありませんよ」


 クローヴェル様は静かな表情で言う。


「古の帝国では、功績を挙げた皇帝や皇妃が大女神様の祝福により、神の座に上げられる事は希にあったようです。かのアーメンジウス神も古帝国の領土を大幅に拡大した功績で神になったのです」


 そうだと聞いているわね。……まさか。


「ということは、私たちもこのまま帝国を拡大し、大陸にあまねく大女神様のご威光を広められれば、大女神様の祝福を受けて神になる事が出来る筈です」


 と、とんでもない事を考えていたわこの人! びっくりだ。私が呆然としていると、彼は私をしっかりと見据えて更に続けた。


「私は私の女神である貴女を、本物の女神にしたいのです。永遠に語り継がれ、信奉され、祈りを捧げられる存在にしたいのですよ。私が皇帝を目指したのはそのためです」


 キッパリと言い切られたしまった。確かに、クローヴェル様がなんで皇帝を目指す気になったのか、はっきり聞いた事は無かったんだけど、まさかそんな理由だとは……。


「既にして貴女は聖女として帝国で有名ですし、このままでも女神の座に上げられるかも知れませんが、それでは私の目的は半分しか達成されませんからね」


「半分ですか?」


 クローヴェル様は気合いの入った笑顔で頷いた。


「そうです。私も神になり、貴女と並び立つのです。二柱の夫婦神としてね。そうすれば貴女と、永遠に夫婦でいることが出来ます」


 私の顔が真っ赤になってしまう。な、何というとんでもない事を考えるのか!


 つまり、クローヴェル様は私と永遠に夫婦として過ごすために、神の座を目指すと言っているのだ。何という遠大な計画だろうか。そして何というな壮大な愛情だろうか。この私が聞いても正気とは思えない。しかしクローヴェル様は本気も本気であると目で語っていた。そもそも、クローヴェル様はこんな類いの冗談を言う方では無いしね。


 私は呆れると共に、押さえられない喜びが沸き上がってきた。私はどうやらこの世界一の旦那様に、思っていたよりも遙かに強く愛されていたようだ。愛されている、もの凄く愛されていると思ってはいたけど、そんなものじゃ無かったようだ。嬉しいと同時に、夫の愛情が把握出来なかった自分がなんだか悔しい。だって仕方ないじゃ無い。妻を女神にしたいから世界征服を企むほど妻を愛している夫なんて聞いた事が無いもの。流石の私も、クローヴェル様を愛しているから神様にしよう、なんて企んだことは無い。


 負けた。いえ。まだ負けていないわ!


 そう。クローヴェル様がその気なら、私だって協力するわ! 私だってクローヴェル様と永遠に夫婦でいたいもの!


 私の心の底から熱いものがフツフツと沸き立ってきた。思い出すわね。クローヴェル様が「皇帝になる」と仰ったあの日も、同じように心が熱くなったのだったわ。ワクワクして、嬉しくて、じっとしていられないような興奮に包まれる。私は沸騰した気持ちをそのまま乗せて叫んだ。


「なりましょう! 神に! 一緒に! 私も協力します。いえ、この私が、貴方を神の座に導いて見せます!」


「貴女ならそう言ってくれると思っていましたよ。リュー。目指しましょう。一緒に」


 私とクローヴェル様は抱きしめ合った後、両手を握り合い、野心に溢れた熱い笑顔を向け合ったのだった。



 こうして皇帝になったばかりだというのに、私たちは次の目標、世界征服に向けて計画をあれこれ練り始めたのである。そうしてその晩は、レイニウスとフェレスティナがお休みの挨拶をしに来るまで、楽しく悪巧みの相談を続けたのだった。


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スクウェア・エニックス様のSQEXノベルより、二月七日書籍版発売です!大幅加筆しております。よろしくお願いいたします!



 

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