五十五話 大女神降臨

 進んで来るクーラルガ王都の市民達に帝国軍は後退するしかない。しかしその時、クーラルガ王国軍が急進して帝国軍の右側面に回り込もうという動きを見せた。


 戦場の左には大きな川が流れている。このままでは川と市民とに動きを阻まれた状態で、側面からクーラルガ王国の攻撃を受けることになってしまう。


 その状態で市民達が襲い掛かってきたら、大混乱は必至だ。大軍は混乱に弱い。壊走の危険すらある。ここで敗北しても私が脱出して再度兵を整えれば良いので、最終的な勝敗はもはや動くまいが、フェルセルム様に名を成さしめてしまう事になるだろう。


 例えばその状態でフェルセルム様が降伏すると、クローヴェル様は彼を疎かに扱えなくなってしまう。兵力差を覆して勝利を得た彼は英雄として扱われるだろうからだ。その彼を冷遇すればクローヴェル様の器量が小さいと見做されるだろう。クーラルガ王国とクセイノン王国の国替えも出来なくなるかもしれない。


 やはりここで負けるわけにはいかない。問題になってくるのはやはりこちらからは攻撃出来ない市民の動きだ。接敵されてしまってはどうにもならなくなる。足止めしないと。


 私は馬の首を叩いて祝詞を唱える。


「大草原の守護者にして馬を総べる神であるブケファランよ! 目覚めたまえ、その御力を我が馬に貸し与えたまえ!」


 私の馬の中に眠っていたブケファラン神がお目覚めになり、私の馬を炎で包む。


 私は躊躇無くブケファラン神を空に舞い上がらせた。そして市民達の前に出る。


 市民達は燃え上がるブケファラン神を見上げて驚愕しているようだったけど、足は止まらない。それどころか何やら怒ってこちらに石を投げてくる者まである。こら、ブケファラン神が怒ったらどうするの!


 姿に驚いて止まってくれる事を期待していたんだけど、やむを得ない。少し手荒に行くわよ!


 私はブケファラン神にお願いする。


「彼らを足止めするために、彼らの前の地面を燃やして下さいませ!」


 いくら竜の力を得ていても、火の中に飛び込むほど正気を失っている筈はない、ブケファラン神のお力で草でもちょっと燃やしてもらおう。そういうつもりだった。


 すると、ブケファラン神は天を圧するような音量で嘶くと、その炎の翼をグワっと伸ばしたのだ。その長く伸ばした翼を剣のように振るって地面を切り裂く。


 途端、大爆発が起こった。地面が吹き飛び、火柱が上がり、直前にいた市民達が流石に仰天して足を止める。


 その様子を見てブケファラン神は面白そうに嘶くと、二撃。三撃と翼を振るい轟音と火柱を立ち上げる。市民達は流石に大混乱に陥っていた。その右往左往する市民を見て、ブケファラン神は大変ご機嫌な様子で空を駆け回った。私はしがみ付いている事しか出来ない。


 と、とんでもない。流石はメノジアスと共に大陸中を暴れ回り、トーマの草原を焼き尽くしたと謳われる神だ。その凶暴性は森の民の神ロヴェルジェ神とどっこいどっこいだわ。こんな恐ろしい神を便利使いしてしまっている事が今更恐ろしくなってきたわよ。


 しかしこれでとりあえず市民達の動きは止める事が出来た。帝国軍はクーラルガ王国軍の動きに集中出来るようになっただろう。私はそう、フェルセルム様の動向に注意せねば。


 今回の戦いでは、できればランべルージュ神にはお出まし頂きたく無い。連続でお呼びするのは不敬と思われるかもしれないし、そもそも私の身体が保たない。前回のダメージがまだ抜けていないのだ。


 だが、フェルセルム様がアーメンジウス神を呼ぶのであれば、対抗上私も呼ぶしかない。でもフェルセルム様だってアーメンジウス神を降ろして無傷な筈は無いと思うのよね。むしろあの荒っぽい神様だから、かなり乱暴に身体を使われてそう。


 私はブケファラン神を駆って戦場の上を飛び回った。カイマーン陛下もザーカルト陛下も流石、包囲の危機に動揺する事なく上手く部隊を転換させ、お互いに呼吸を合わせて軍を分け、その間にクーラルガ王国軍を呼び込んでいた。


 竜の力を得た軍隊の弱点はやはり正面からの戦いに強過ぎるあまり、馬鹿正直に戦ってしまう所だと思えるわね。カイマーン陛下もザーカルト陛下も上手く敵の攻撃を受け流して包囲網に誘い込んでいる。


 市民達は混乱して帝国軍に構っている場合では無くなっている。私は市民達の上に出て皇帝の竜旗を振りながら叫んだ。


「私は帝国皇妃イリューテシアです! 皆の者に告げます! 帝国は我が夫である皇帝クローヴェル陛下の元にあります! 私に弓引く事は帝国に弓引く事です! クーラルガ王都の者達は帝国に逆らうのですか?」


 市民達が戸惑ったように立ち尽くすのが見えた。フェルセルム様の言葉を信じて、帝国軍が侵略者だと信じ込んでいたのだろうから無理も無い。


「私に逆らうのであれば容赦は致しませんよ! 私の力は見たでしょう! 次は脅しでは済みませんよ!」


 本当は私の力ではなくブケファラン神の力だけど、私の願いに応じて使われたのだから彼らから見れば同じ事だ。


 市民達は跪き、私に赦しを乞い始めた。元々は善良な市民だもの。いくら竜の力を得ていたって、火柱に取り囲まれた現状で戦い続けられるわけがない。


「では、大人しく王都の中に戻りなさい!」


 私が命ずると、彼らは追い立てられるように王都の方へと向かい始めた。これで良し。市民さえいなければ、帝国軍は存分に戦える。そうなれば負ける筈がないのだ。


 私が安心した、その時だった。


 市民達の行手、王都の城門の前に金色の光が立ち上がった。あ、あれは!


 金色の光の柱は次第に形を変えて行く。そしてそれは金色の巨大な神獣、竜の姿に変わっていった。力を得るために呼ぶ際に現れる光の塊が竜のシルエットを持っているだけのものとは違う。もっと生々しい姿をしていた。


 全身を虹色の鱗で覆い、頭には鋭く長い角。爛々と輝く瞳は赤く憎悪に満ちて見える。王都の城壁を越えようかという大きさだ。そして金属を擦り合わせたような耳障りな咆哮を放つ。しかしその咆哮を聞いた者にはフェルセルム様の「声」が聞こえたのだった。


「「逃げるな愚か者ども! 戦え! 火など乗り越えて進め! さもなくば・・・・・・!」」


 竜はその大きな口を開ける。するとその口の中に光が生まれ、どんどん大きくなっていった。そして大きな口から溢れんばかりになった瞬間、竜はゴワーッと雷光をブレスに乗せて放った。市民の前にだ。


 閃光と轟音が炸裂して、驚き慄いた市民がこちらに逃げ戻って来る。しかしこちらでは私が炎の馬に乗って待ち構えているのだ。炎の馬と竜との間に挟まれて市民たちは恐慌状態に陥ってしまう。まずいわね。このままフェルセルム様に押し込まれると、市民がパニックになって炎の中に飛び込みかねないわ。そうなれば私が市民を焼き殺した事になってしまうだろう。


「「さぁ! イリューテシア様! 決着を付けようではありませんか!」」


 フェルセルム様が咆哮する。竜に変じたのに意識を失っていないのは、流石の精神力だ。私には出来るかどうか分からない。だから私まで竜に変じる訳には行かない。


 しかしあれを放置すれば市民たちを脅すだけではなく、帝国軍にも攻撃してくるかもしれない。何とかしなければなるまい。どうするか。方法は一つしかない。やったことが無いからどうなるかは分からないけど。


 もうずいぶん昔。イカナの戦いに向かう前、私はお父様から王家に伝わる金色の竜の力の秘伝を伝授された。イブリア王国はその時点で三代に渡って金色の力の持ち主が出ておらず、やり方の形式と祝詞だけを教わったという頼りない伝授だったけど。


 その時教わった金色の竜の力の使い方は二つ。兵士に力を与える方法と、兵士から力を奪う方法だった。


 その時は何で二つの力の使い方があるのかはよく分からなかったのだけど、神殿領に行って大神殿の資料を調べる中で、金色の力の使い方にはいくつかの種類があることが分かった。主に神々に力を奉納して力をお借りする方法。力と引き換えに神々に降りて来て頂く方法。そして自分の力と引き換えに他人が借りた神々の力を奪うか、神々にお帰り頂く方法だ。


 この最後の使い方のバリエーションで、竜の力を得た兵士たちの力を奪って鎮める事が出来るらしい。何でこんな力の使い方があるのかしら? と不思議に思ったわね。


 この使い方があるがゆえに昔、金色の力の持ち主同士が争う時、先に力を使ってしまう事は禁物だったようだ。力を使った後に相手に対抗され力を奪われてしまうからだ。ただ、この場合力を奪った方もそのために力を使ってしまうわけで、その後は実力勝負になってしまう。そのため、一概に力を奪った方が有利になる訳ではない。


 だけど今は有効だと思う。フェルセルム様は力を使って竜を既に呼んでいる。そして血で贖って竜に変じている。経験上、竜になってしまったら人の身に戻ってもすぐには行動出来ない。つまり竜旗に力を込めてあっても使う事は出来ない。


 フェルセルム様は最後の手札まで切ってしまっている状態なのだ。


 そう。私は遂にあのフェルセルム様を追い詰めたのだ。こうなればもうこちらも遠慮無く最後の手段まで使う事が出来る。金色の力でフェルセルム様が呼んだ竜の力、そしてフェルセルム様が竜になったその血の力を私の力で奪えば良いのだ。


 問題は、私がそんな力の使い方をした事が無かった事と、果たして兵士と市民に与えた竜の力と、フェルセルム様の血の力を奪う事が同時に出来るかどうかだった。私が教わったのはあくまで兵士の力を奪う方法だったからね。


 でも理屈では行ける筈よね。だけどもしもこの方法で同時に兵士とフェルセルム様を鎮められないと、フェルセルム様が変じた竜を鎮めるためにはそれなりの神様に来て頂くか、私が竜に変じるしかなくなる。できればそれは避けたい。特に私が竜に変じて竜同士の戦いをやらかした場合、周囲に被害を出さない自信が無いからだ。


 やってみるしかない。私はお父様に教わった事を懐かしく思い出しながら、ブケファラン神の上で天に両手を翳した。


「おお、我が祖でありその源である七つ首の竜よ。戦士たちを鎮めたまえ、猛き者たちを鎮めたまえ。我が力と引き換えに、竜の力を天に返したまえ!」


 私が天に向かって叫ぶと、思いもよらぬ現象が起こった。


 いつもなら力を使うと私の両手から光が放たれるのだが、今回は光は放たれず、代わりに目の前の市民たち、そしてクーラルガ王国軍の兵士たちからジワっと光が漏れ出し、それが暗くなった空に向けて吸い込まれて行くのだ。な、何事? 初めての展開に驚くが、手は降ろさない。そのまま天を、光が集まり、次第に何かを形作る様子を見守る。


 見れば、竜身を得たフェルセルム様からも光が立ち上っている。というか、その光は多い。兵士一人の光はほっそりしているのに、竜から立ち上る光は太い。蠟燭と焚火くらいの違いがある。


 光はどんどん天に上り、集まり、何かを形作って行く。竜だ。兵士たちに与えられた竜の力が抜けて、天で竜に戻りつつあるのだろう。どうやら成功ね。私は安心した。のだが。


 竜はどんどん大きくなる。な、何事? 兵士たちは多少戦って力を消費している筈。それなのに竜が召喚された時よりも大きくなるなんて……。


 見ると、フェルセルム様が変じた竜がだんだん小さくなって行く。その代わりにどんどん光が竜から吸い取られて天に昇って行く。あれのせいで竜が大きくなっているのだろう。


 竜に変じるための力は血と引き換えだ。これほどの力が生ずるという事は、それだけ血を使っているという事だ。フェルセルム様はそれほどの血と引き換えに竜と化したのだ。……おそらく、命と引き換えたのだろう。


 天の竜はどんどんドンドン大きくなる。その内にその首が枝分かれを始める。そして遂にフェルセルム様の姿が人に戻った時、光が天に昇るのが終わった時、暗い空を圧して舞うのは七つ首の竜。帝国の七王家を象徴する、竜旗にも描かれる伝説の大神獣の姿だった。


 複雑に胴をうねらせ、互いに呼吸を合わせて舞う七つの首。それは幻想的で圧倒的な、神々の世界に間違って足を踏み入れてしまったかのような畏れさえ覚えるような凄まじい光景だった。クーラルガ王都の市民たち、そして帝国軍の兵士たちはもう動くことも出来ずに唖然として空を見上げている。


 私も天に両手を上げて見上げたまま動くことが出来ない。ど、どうしよう。この出てきてしまった七つ首の竜はどうなるの? 私は戸惑ったのだが、その次の瞬間、七つ首の竜の全ての首の、その赤く光る両目が私を睨んだ。ひぃ!


 そして竜は雪崩れるように私の方に向かってきた。落ちてきた。ちょ、ちょっと待って! どうして? 何をどうすれば、って、ぎゃー!


 ドーン! と竜は私に衝突して、そして私に吸い込まれた。吸い込まれるなり私の中で、私の金色の力と相殺されて行くのが感じられた。なるほど。こうやって相手が呼んだ竜を消すのね。してみると竜は神々と違って天にいるのではなく、私のような力の持ち主の中にいる物で、それを放出するのが竜の召喚なのだわ。だから血の力でのみ竜に変ずる事が出来るのだろう。


 私は納得しながら竜を自分の身体に受け入れたのだが、途中まで吸収したところで、気が付いた。こ、これ、私の力足りなくない?


 何しろ落ちてきた七つ首の竜は巨大だった。私がいつも呼ぶ竜は一つ首だ。単純に七倍だ。という事は私の力で相殺出来る竜は普通に考えて一首のみ。後の六首は相殺できないという事になる。なんでそんな事に?


 それはフェルセルム様の血の力の分だ。フェルセルム様がおそらく命を賭して放出した竜の力なのだ。それで竜が七つ首になったのだろう。


 吸収しきれなくなった分はどうしたら良いの? その疑問はすぐに解消された。私の中の金色の力が相殺されて尽きた瞬間、更に入って来ようとする竜の力に、私の身体は灼熱した。熱い! 身体に熱湯を流し込まれるような心地だ。ぎゃー!


 叫んでも止まらない。ドンドン相殺出来ない力が私の身体に吸収されてしまう。アッという間に私の受け入れられる限界を超えて、それでも更にグイグイと入って来ようとする。まずい、困る。身体は内側から燃やされたように熱くなるし、破裂しそうに感じるようになってきた。


 ここで私は悟った。フェルセルム様の狙いをだ。


 私が金色の力を温存している状況で、フェルセルム様がすべての力の手札を使い切れば、私が竜を鎮める儀式をする事が彼には分かっていたのだろう。


 その際に、私が吸収しきれないほどの力を使えば、私を金色の力で内側から破裂させ、殺すことが出来ると考えたのだ。


 もちろん、それほどの力を放つには自らの命と引き換えにして、自分の血の全てを力に変換する覚悟が必要になるだろう。つまりフェルセルム様は私を倒すために、ここで我が身と私を刺違える覚悟だったのだ。何というか、思い切りが凄い。


 もう入り切らないというのに七つ首の竜はドンドコ私の中に入って来ようとする。このままでは本当に破裂してしまう。あまりの熱さに頭は茫洋としてきた。どうにかしないと。私はこんな所で死ぬ気は無い。クローヴェル様の所に帰るんだからね!


 どうにか思い付いたのは「入らなければ出せばいい」という事だった。そう、吸収しきれない力は放出してしまえばいいのだ。放出。つまり竜にするか神様に奉納して降臨して頂くか。


 とはいえ、どんな神様に奉納すれば良いのか。竜か、戦女神様か。そんな事を考えている余裕はない。限界だ。私はもう咄嗟に叫ぶしかなかった。朦朧とした頭に浮かんだのは大神殿で奉納した時のあのお姿。あの容量たくさんな大神像ならこの巨大な力も難無く吸収出来そうだな、と思ったというのもある。


「全知全能にしてこの世界の母たる大女神アイバーリンよ! 我が力で降臨し、帝国を護り助けたまえ! 我は御身の繁栄と永遠の平穏を願いて祈り捧げる者なり!」


 私の両手からグワっと光が放たれ空に突き刺さった。それはもう見たことも無い強さの光で、私は目を開けている事も出来ない。だが、身体の中に納まりきらなかった金色の力は放出され、入って来る七つ首の竜もドンドン光に変換され放出して行く。う、上手くいったわ。私は祈りながらホッと息を吐いていた。


 光は私の両手、両腕、遂には全身から放たれ始める。流石にフェルセルム様が命がけで放出した力なだけはある。物凄い量だ。そしてついには光の柱が天地を貫いた。そこでようやく七つ首の竜はすべて光に変換され、天に捧げられたのだった。私は手を降ろし、ブケファラン神に乗ったまま残る巨大な光の柱を見守るしかなかった。そういえば前回、クセイノン王国での戦いではこうやって光の柱からキリルミーユ神がご降臨なさり、兵士たちを癒してくれたのだったわね。


 すると、光の柱が形を変えて行くではないか。その姿はだんだん人型になり、女性の姿になる。槍と盾を持ち、剣を背負い、腰帯に杖を挿し、ネックレスをして羽ペンを胸に挿し、虹色のマントを羽織っている。そのお顔は慈愛に満ち、威厳にあふれ、全身は金色に神々しく輝いている。


 大きさも造形も聖都の大神殿の大女神像そのままのお姿。まさに大女神アイバーリンのご降臨だった。


 私が記録で見た限り、流石に大女神様が現世にご降臨になった事などない。大女神様のお力をお借りするために、代替手段として大女神像が造られたのは、あまりに力が必要過ぎてご降臨を願うのが難しいからだ。


 その圧倒的な神威に満ちたお姿に、私は慌ててブケファラン神から飛び降りて跪く。見れば市民も兵士も一人残らず跪いて頭を下げていた。ブケファラン神も嬉しそうなお顔で大人しく頭を下げている。冷汗が出てきた。だ、大女神様を呼び出してしまうなんて。正直、呼び出せるとは思わなかった。必要も無いのに呼び出してしまって、アイバーリン様怒っていないかしら? 慈悲深いアイバーリンとは言うけど、神々はかなりエキセントリックな方が多いじゃない? アイバーリン様も怒ったら怖い方だったらどうしよう……。


 大女神様はゆったりと大きな身体を動かされた。光の粉が舞い散る幻想的なお姿だ。我が身を見て何だか嬉しそうに、楽しそうなご様子で微笑まれると、不意に上を見上げ、手の甲を口に当てた。


「「オーホホホホホホ!」」


 は? 私を含め見守っていた者たちは目が点になった。


「「おーほっほっほっほっほ! ふふふ! ほほほほほほ!」」


 お笑いになっていらっしゃる。爆笑しておられる。周りで唖然としている私たちにお構いなくはしたなく大爆笑していた大女神アイバーリンは、尚もくすくすと笑いながら手に持った槍を天に突き上げた。


 瞬間、光が槍先に炸裂し、思わず私は目を閉じてしまった。


 そして目を開けた時には大女神様のお姿は跡形も無く消え失せ、後には光の粉が舞い散っているだけだった。


 え? これだけ? な、何か奇跡とかご加護とか、そういうのは?


 どうも負傷者が癒されている様子は無いし、そこらで燃えている火も消えてはいない。何かをして頂いた感じもしない。どうやら大女神アイバーリンはご降臨なさって、大爆笑しただけでお帰りになったようだ。……どういう事?




 私はカイマーン陛下とザーカルト陛下に戦場の後始末を頼むと、市民たちに呼びかけ、家に帰るように言った。


 クーラルガ王国軍は私の儀式で竜の力を抜かれてしまった上、アイバーリンの爆笑を見てすっかり毒気を抜かれてしまっており、戦う気は完全に無くなっていたので、帝国軍の指示に素直に従っているようだった。負傷者は多数いるが、不思議な事に死者は見当たらない。まぁ、戦っている時間は少なかったからかしらね?


 市民たちも大人しく、というか何だか呆然としてぞろぞろと王都に向かっている。そりゃ、炎の馬は攻撃してくるわ竜は出るは七つ首の竜は天を舞い踊るわ、終いには大女神アイバーリンまでご降臨なさって大爆笑だわでは、市民たちには理解がまるで追い付かなかった事だろう。


 私はブケファラン神がお帰りになったので、馬を代えて(手綱も鞍も無いのでは危ないから)護衛を付けると王都に向けて馬を歩かせた。


 そして、王都の門の傍。ぞろぞろと王都に入って行く市民たちの行列が避けて歩いている所に倒れている、鎧姿の人物の所に近づいた。


 背の高い、赤茶色の神の人物が俯せに倒れている。私は馬を降りて近付き、しゃがみこんで彼に声を掛けた。


「死んでますか? フェルセルム様?」


 死んでいる筈なのだ。あれだけの血の力を使い、七つ首の竜や大女神様を呼び出せる程の血を失った筈なのだから。絶対に死んだ。死んでいる筈だ。


 しかしながら、彼のものとは思えないほど弱弱しい声ながら、返事が返って来た。


「……残念ながら生きていますよ……」


 ……そうだと思ったのよね。私は溜息を吐く。


「流石にしぶといですね。フェルセルム様。さて、どう見てもこれは私の勝ちだと思うんですけど? 言いたいことはありますか? 勝者の余裕で聞いてあげます」


 私が鼻息を荒くして言い放つと、フェルセルム様は地面に顔を伏せたまま苦笑する気配がした。


「何も、ありません。負けました。完膚なきまでに。命と引き換えに心中してやろうと思ったのに、失敗したようですね。情けない」


 まったく。最後の最後まで油断も隙も無い。だがしかし、流石にこうなっては何も出来まい。


「これであなたの生殺与奪は私次第という事になりました。どうしますか? フェルセルム様」


 フェルセルム様は穏やかな声で仰った。


「殺しなさい。私を生かしておいても仕方がありませんよ。私はここまで貴女に逆らったのです。殺さなければ周囲が納得しないでしょう」


 そうよね。私もそう思う。でもね。


「そうだろうと思うのですが、貴方を殺すことは出来ません。貴方が生きているのは大女神アイバーリン様の思し召しだからです」


 フェルセルム様が驚いたように目だけで私を見上げた。私は続ける。


「完全に力を使い果たし、死んだ筈の貴方が生きているのは偶然ではございませんよ。死んでしまったのを大女神様のお力で生き返ったのです」


 先ほどから見た限りでは、死んでしまった兵士や市民がいないのもおかしいのだ。いくら何でも。おそらくは大女神様がそのお力で、死んでしまった者たちを生き返らせたのだろう。流石は慈悲深く死を嫌う大女神様。ただ爆笑していただけでは無かったのだ。


「そうやって生き返った貴方を殺すわけには行かないのですよ。大女神様に怒られます。それに、貴方を王にするのは先帝陛下とのお約束でもあります」


 フェルセルム様は無言だった。そういうみすぼらしく倒れている姿を見ていると、何となく初めて会った時からの因縁が思い浮かぶ。結婚式に来た筈が、私に向かって横恋慕プロポーズをして、逆切れして怒って帰ってしまったあの時以来の因縁だ。


 それはもう、この男には何度も何度も悩まされたのだ。フーゼンの戦いでは危うく謀殺されかかったし、神殿領でもトーマの土地でも唆された連中に捕らわれた。それからも何かというと彼の計画で私はこの身を脅かされた。


 なんかもう、腹が立ってきた。こんなに腹が立ったのに彼を一思いに殺すことが出来ないのだ。大女神様と先帝陛下のせいで。こんちくしょう!


 私は腹いせに叫んだ。


「私に忠誠を誓いなさい! フェルセルム!」


 フェルセルム様の目が見開かれた。わずかに顔を傾けて私を睨む。


「どういう意味ですか?」


「どうもこうもありませんよ! 私に絶対の忠誠を誓い、私の為に働きなさい! 私に勝てないことは分かったでしょう?」


 フェルセルム様はなんだか愕然としていたが、唸るような声で反論する。


「……私の忠誠など信用出来ないでしょう? いつ裏切るか気が気じゃない筈です」


「貴方を信用出来る筈はありませんけど、貴方が勝てない相手に逆らう程馬鹿だとも思っておりません。貴方は私に勝てません。だから私に従いなさい」


 私が言い放つと、フェルセルム様は茫然とし、そして、笑い出した。ククククっと面白そうに笑い、ゴロンと身体を仰向けにした。その胡散臭い顔に何だかスッキリとした笑顔を浮かべている。


「確かに貴女には敵いませんな。イリューテシア様」


「帝国に数少ない金色の力の使い手を減らすわけには参りません。これから私とクローヴェル様は世界制覇に乗り出すんですからね! 貴方にはそのために存分に働いてもらいます!」


「せ、世界制覇ですか?」


「そうですよ?」


 フェルセルム様は驚きに目を丸くしていたが、また面白そうに楽しそうに笑うと、右手をよっこいしょという感じで胸に乗せて言った。


「分かりました。確かに貴女にもクローヴェル陛下にも、その気宇壮大さについては勝てそうもありません。貴女に忠誠を。イリューテシア様」


 私は頷く。フェルセルム様は草臥れ果てたという顔に、穏やかな顔を浮かべて言った。


「最初からこうすべきでした。イリューテシア様。私は貴女をどうしても私のものにしたかったのです。でも、途中からそれは叶わない事だと分かったのですから……、私が貴女のものになれば良かったのですね……」


「そうしてくれれば私も余計な手間を使わずに済んだのですよ」


 私が鼻息一つ吹いて言うと、フェルセルム様は苦笑し、彼はそこで意識を失ってしまった。まぁ、大女神様が蘇生してくれたんだからそうそうは死なないわよね。私は兵士たちにフェルセルム様の収容と治療を命じたのだった。


 ここに、帝国七王国のなかで纏ろわなかった最後の国王、クーラルガ王国国王フェルセルム様は私に敗北して、以降の忠誠を誓ったのだった。これにて帝国は私とクローヴェル様の元に統一され、新しい時代を迎える事になった。


 遂に私とクローヴェル様の夢が叶ったのである。


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