五十四話 クーラルガ王国へ

 会戦の翌日、クセイノン王国軍の降伏を受け入れ捕虜を後送し、帝国軍の再編を行うと、私たちはすぐさまクセイノン王国の王都へと進撃した。帝国軍の後方に現れたクーラルガ王国軍は碌に戦う事も無く撤退したらしく、そのままクーラルガ王国の国内に逃げ込んだらしい。フェルセルム様も一緒に逃げたのだと思うが、油断は出来ない。彼が金色の力を溜め込むまでにクセイノン王国は落としてしまいたい。


 ホーラムル様はすぐに目を覚まし、そのまま軍を率いると叫んだのだが、私が却下して後送した。キリルミーユ神の治癒で傷は癒えていたが、失ってしまった血が多くて動けない状態だったのだからやむを得ない。ホーラムル様は泣いて悔しがったが、私は彼の頬にキスをして慰めて、帝都で療養するように命じた。


 帝国軍の指揮は代わりにカイマーン陛下にお任せした。カイマーン陛下は先の戦いで後方に切り離されてしまって活躍出来なかった事に不満気だったので、張り切って進撃の指揮を執ってくれた。


 戦場になった関門がクセイノン王国最後の要害だったのだ。帝国軍はあっという間にクセイノン王国王都を包囲した。王都は城門も閉じておらず、あからさまに混乱していた。エルミージュ陛下は関門の戦いで敗色が濃厚になった時点で逃げ出しているので、この王都にいる筈だ。


 私はクセイノン王国に繋がりのある伯爵に依頼して、降伏を勧告する使者になってもらった。


 事がこの期に及んでエルミージュ陛下が降伏を拒むようだと、帝国軍はこのまま王都になだれ込むしか無くなる。クセイノン王国には戦力がもう無いし、あの通り王都の防衛も投げ出している状態だ。容易に占領出来るだろうが、王都を陥落させるような真似はあまりしたくはない。クセイノン王国に屈辱を与えてしまうからだ。


 しかし、エルミージュ陛下はそこまで愚かではなかった。使者と共に王都を出て来ると、私の所までやってきた。


 エルミージュ陛下は明らかに憔悴してらしたわね。この方は武人ではなく、先の戦いでも戦場には出られていたけれど、戦ってはいないだろう、戦況が不利になると逃げ出してしまった。


 敗戦時に国王が逃げてしまうのは、やむを得ないが最悪の選択である。まして今回の場合、王都を背に護る王国の命運を賭けた一戦だったのだ。恐らく人心は離反して王都に戻っても身の置き所が無かった事だろう。


 私は馬上から、跪くエルミージュ陛下をニコニコと笑いながら見下ろした。これは、彼に屈辱を与えると禍根が残るので「これからは仲良くしましょうよ」と親愛の情を示したつもりだったのだ。


 が、後でカイマーン陛下が言うには「この世にあんなに恐ろしい笑顔があるとは知らなかった」とのことだったわね。まぁ、内心は煮えくりかえっていたわけだから、それが若干漏れてしまっていたのだろうね。


 許しを与えても顔が上げられないエルミージュ陛下を見ながら、私はどうしてくれようか。もとい、どうしましょうかと考えていた。


 私とクローヴェル様に最後まで逆らい、戦火まで交えたクセイノン王国とクーラルガ王国をただ許す事は出来ない。信賞必罰は社会を動かす重要な約束事だ。


 しかし、クセイノン王国を衰弱させるわけにはいかない。例えば領地の一部没収などを行うと、クセイノン王国が大きく衰退してしまう可能性があるのだ。


 クセイノン王国は東西貿易に国益を大きく依存してきた。しかしこれからは、貿易は南ルートが主流となり、その受け入れ口はスランテル王国とロンバルラン王国になる。つまり、クセイノン王国の国益は大きく減少するのだ。


 その状態で領地まで奪ってしまうと、クセイノン王国は大きく衰弱してしまうかもしれない。クセイノン王国は森の民の土地と国境を長く接している。現在は森の民と帝国の関係は良いが、将来的にどうなるかは分からない。森の民が力を付ける、あるいはその向こうの東の蛮族が本当に帝国に攻め寄せて来た時に、真っ先に対処すべきクセイノン王国の国力が衰え過ぎているのは帝国にとって良く無い。


 クセイノン王国を衰えさせずに罰しなければならない。難しい。私は考え、口を開いた。


「エルミージュ陛下。貴方には退位してもらいます」


 エルミージュ陛下は頭を下げたまま動かなかった。それくらいは覚悟していたのだろう。私は続ける。


「そして貴方には帝都の屋敷で謹慎を命じます。王位は第四王子のアライード様に譲りなさい」


 エルミージュ陛下は驚いた様子でお顔を上げた。まず、死罪でない事に驚いたようだ。しかしながら、クセイノン王家を存続させる気なら、エルミージュ陛下を殺すわけにはいかない。後継者に恨みが残るからだ。


 そして私が次期国王に指名した第四王子アライード様は、まだ十代の若い王子だ。フーゼンの戦いの時に従軍した方で、あの時から私を熱狂的に支持して下さっている。彼なら私には逆らうまい。


 だがそれで終わりではない。私は言った。


「それと、クーラルガ王国を征伐して屈服させた暁には、国替えを命じます。アライード様はクーラルガの王に、フェルセルム様はクセイノンの王になることになります」


 エルミージュ陛下は驚愕に大きく口を開けてしまった。


「く、国を取り替えろと?」


「そうです。別に問題は無いでしょう? そもそも貴方のガイウス家はクセイノン王家が絶えた時にクーラルガ王家から養子に入った王子が起こした家なのですから」


 大事なのは金色の力が宿る王家の血を引く者が王になる事だ。だから王家が絶えても養子が行く事で問題無く国は続くのだ。であれば、王家を入れ替えたって問題は無いという理屈だ。


 エルミージュ陛下は呆然としていらしたが、その辺りの理屈、そして私の目的を察したのだろう。再び頭を深く下げた。


「分かりました。ご寛恕に感謝いたします。皇妃様」


 私の狙いは、ガイウス家、クーラルガ家を長年統治していた王国から引き離すことで、両家が確保していた権益を失わせる事である。簡単に言えば土地と人々との繋がりによって生まれる様々な利益を失わせる事を狙っているのだ。


 国替えによってクーラルガ王国に行かされたガイウス家は一から統治の基盤を作らなければならない。諸侯貴族はもちろん。商人、農民との協力関係なくして王国の統治は出来ない。それを一から築き上げなければならないのだから、多大な労力が必要となる筈だ。その労力と失われた権益こそが私の与える罰だった。


 だが、側から見れば、王家の地位はそのまま。代替わりさせられたとはいえ、命を奪われるわけでもない。非常に寛大な処置に見えるだろう。これでも私の処置にエルミージュ陛下が不満を漏らせば、エルミージュ陛下の方が非難を浴びる事になるだろうね。


 私は当面の処置としてエルミージュ陛下を帝都へ護送し、帝都屋敷で謹慎させる事にした。そして自分は兵を率いてクセイノン王国王都へ入城しする。


 流石に交易で栄え、土地も豊かなクセイノン王国の都だけあって、王都も王宮も豪華で華麗だった。私は武装解除させた上で王宮に入り、クセイノン王国各地を征服する手配をした後、流石に一週間寝込んだ。


 そりゃそうよね。このまま一気にクーラルガ王国に攻め入りたかったけど、流石にあまりにも無茶が過ぎた。身体が付いてこなかったのだ。


 幸い、カイマーン陛下とザーカルト陛下はサクサクとクセイノン王国の征服を進めてくれた。クセイノン王国麾下の諸侯は協力的だったようだ。どうもエルミージュ陛下は南北の内戦の為に国内の貴族から人も金も相当動員していたらしく、挙句に何度も敗れた事で人心を失っていたようだ。


 こうして、私はクセイノン王国征服に成功したのだった。これで剣は手に入れた。残る大女神アイバーリンの神器はクーラルガ王国が持つ槍だけだ。


   ◇◇◇


 ようやく体調が回復した私は、カイマーン陛下、ザーカルト陛下と作戦会議を行った。三人で王宮のサロンでテーブルを囲む。


 三人共にかなりリラックスしていた。格好も私はドレス。両陛下はスーツだ。冬だが屋内で暖炉をガンガン焚いている。それほど重い服装ではない。


 油断は出来ないが。戦力的にはもう勝ちは動かないだろうと見られていた。帝国軍はまだ三万を超える兵力があって、クーラルガ王国軍は精々一万。金色の竜の力を持ってしても兵力差が覆せない事は、この間の関門の戦いで証明している。


 後はフェルセルム様が何を企んでいるかだけだが、この間の捨て身の計画から見れば、もうそれほど手札は残っていないはずよね。


 それ故、私たちはお茶とお菓子を摘みながらリラックスして会話を楽しむ余裕があったのである。カイマーン陛下もザーカルト陛下も気持ちの良い性格の方だから。話していると楽しいしね。


「クローヴェル陛下は婿殿だったのですよね」


 カイマーン陛下が仰ったので、私は頷いた。


「そうです。お見合いをして私がクローヴェル様を選んだのです」


 ふむ、とカイマーン陛下は顎髭を撫でながら考え込み、そして仰った。


「ということは、エングウェイ陛下、ホーラムル様、グレイド様、クローヴェル陛下の中からクローヴェル陛下を選ばれたという事ですな? その、どこが決め手になってイリューテシア様はクローヴェル陛下を選ばれたのですか? 後学のために教えて頂きたい」


 娘に婿を選ばせる時に教えてやりたいのだ、とカイマーン陛下は仰った。


 むーん。改めて聞かれると難しいわね。


 お見合いでクローヴェル様を選んだ時、最終的な決め手になったのは、クローヴェル様が一番私を大事にしてくれそうだ、という事だった。能力とか、人格とかはその後に来たのだ。


 私の婿は国王になる事が決まっていた。イブリア王国の為に頑張ってもらうことが定められていたのだ。そのための能力がなければ困るのは困るけど、三人にお会した時点で、三人共優れた能力の持ち主であることは分かっていた。


 能力が十分な中から選ぶのだもの、後は私との相性だけが問題になる。だからあの未だに思い出すと頬がにやけるあのプロポーズを受けた時、私は彼が私を大事にしてくれることを確信出来て、彼を選ぶ決心をしたのだ。


 だけど、クローヴェル様は私の予想を遥かに上回る器量の持ち主だった。あの人はイブリア王国がまだ、山間部の貧乏王国だったあの時に「皇帝になる」と仰ったのだ。そして着実に歩を進めてついに皇帝になられた。


 ホーラムル様もグレイド様も相当優秀な方で、お婿に来ていればイブリア王国はきっと大きく発展しただろうとは思うのよ。でも、皇帝になるなんてことは言い出しもしなかったと思うわ。


 じゃぁ、私がクローヴェル様のそんな大きさを見抜いていたかと聞かれると・・・・・・。無理よね。そんなの、あの時は分からなかったわよ。


 病弱で柔らかな外観に隠された、意外な覇気と優れた知性、そして人格的な包容力には気が付いていたけどね。何しろ私があの時望んだお婿さんは山間部の小さな王国をしっかり治めてくれる程度の人だ。それ以上の凄い方である必要なんて無かったのよ。


 だけど、クローヴェル様はどんどん大きくなっていかれた。みんなは誤解しているけど、私が好き放題に飛び回っても大丈夫だったのは、クローヴェル様が私がやらかした事のフォローをしっかりしてくれて、それを生かして更に見事に発展させてくれたからだ。


 私としてもまさか、というしかない。クローヴェル様が私の予想も想像も遥かに上回った方であったからこそ、私たちは皇帝の座を極められたのだ。それは嬉しい誤算であり、あの時彼を選んだ私にとって感動的な事であり、彼の妻としては冥利に尽きる、誇らしい事だった。


 そうねえ。私は考える。あんな凄い方は二人といらっしゃらないし、それが見抜けなかった私に男性の素養を見抜くためのアドバイスなんて出来はしない。一番気に入った男性を自信をもって選べば良いんじゃない? と言おうかと思ったのだが、ふと考える。


「そうですね。一つ言えることは・・・・・・」


 カイマーン陛下とザーカルト陛下が興味深げに大きな体を乗り出す。私は晴れやかに笑いながら言った。


「ロマンチックなプロポーズが出来る男を選ぶと良いですよ。女性の夢みるロマンが分からない男は大成しません」


 お二人は目を丸くして、おそらく自分の身を振り返ったのだろう。苦い微笑みを浮かべたのだった。


  ◇◇◇


 帝国軍はクーラルガ王国が完全に掌握出来た事を確認してから王都を出発した。この時には既にエルミージュ陛下は帝都に入り、アライード様への譲位も行われ、新国王であるアライード陛下はクローヴェル様への忠誠を誓って象徴色の黒い布と神器の剣を捧げたそうだ。


 クセイノン王国の捕虜はアライード陛下によって無事買い取られ、すぐにクセイノン王国に帰還していた。諸侯貴族を含む彼らは、ほとんどの者が私がお呼びしたキリルミーユ神の癒しを受けていて、それで敗戦の恨みなど吹っ飛んでしまっていたようだった。彼らは王都に帰還するなり我々も罪滅ぼしの為に従軍したいと言い出した。


 流石に許可は出来なかったがこれなら反乱の心配は無かろうと、私は彼らに王都と国内の事を任せた、おかげで帝国軍は全軍で出立することが出来たのだった。


 クセイノン王国王都からクーラルガ王国国境まで一日。そこからは帝国最北部を切り取った形をしているクーラルガ王国国内を東西に縦断する事になる。王都までは四日掛かるらしい。


 途中に低い山地もあり、要害の地もいくつかある。フェルセルム様はその何処かに立て籠もって帝国軍に対抗するのでは? とカイマーン陛下は予想していた。


 ところがあにはからんや、全く敵の姿が見えない。関門や砦は帝国軍を見るなり門を開いて降伏し。城塞都市も領主自らが帝国軍を出迎えて歓待してくれる。


 領主達が言うには、前国王になられた先帝陛下がクローヴェル様を支持しているのに、自分達がその意向に逆らう筈がない、というのだ。新国王のフェルセルム様の意向はどうなのか? と聞くと、フェルセルム様から説明も何も無いので分からない、との事。


 どうもフェルセルム様はクーラルガ王国全体で軍を動員しなかったみたいなのよね。どういうつもりなのかしらね? フェルセルム様。彼の手持ちの軍勢は精々七千人くらいで、三万もいる帝国軍にはとても抗し得まい。何を企んでいるのか。


 帝国軍は東からクーラルガ王国へ侵入して、西へと進んだ。途中、北へと進んで帝国軍は懐かしのフーゼンに立ち寄った。


 街の人たちは私を覚えていて、大歓迎してくれたわね。私はあの時も泊った代官の屋敷に入り、代官や街の有力者から問題無く忠誠を得ることが出来た。彼らは街に所縁の深い私が皇妃になった事を喜んでくれた。


 ただ、この時私がフーゼンに立ち寄ったのは、懐かしさの為ではない。


 フーゼンは帝国全体で考えても最大の港町だ。私はこの街をクーラルガ王国から取り上げて皇帝直轄都市にする事を考えていたのだった。


 私が前にフーゼンに来た当時、ここの大商人たちが海賊国と通じて独立を図っていたと先帝陛下に聞いたのだ。あの時は海賊国だけではなく、海の向こうのバーデレン帝国などの支援もあったようだ。またあのような事を企んでもらっては困る。


 それと、今後は森の民の港が貿易港として発展する事が予想される。その時にフーゼンと森の民の港で諍いが起こっても困るのだ。それらを防ぐためにはこの都市を皇帝が直接統治して管理を強めた方が良いだろう。


 そして私は、フーゼンを直轄地にしたら、ここを帝国による海洋支配の拠点にすることを企んでいた。


 だって、今、帝国の北に広がる海を牛耳っているのは海賊国とバーデレン帝国だと聞いている。そんなの悔しいじゃないの。これを、森の民のヴェーセルグやガルダリン皇国と協力して覆せないだろうかと考えたのだ。そうすれば海洋交易はもっと発展するだろうし、もっと遥かに遠い国へと貿易を広げられるようになるかもしれない。


 この頃から私は、帝国統一が成し遂げられた後の事をちょっとずつ考え出していたのだった。だって、帝国統一が終わったら、帝都でのんびり暮らすなんて私向きじゃないもの。新たな目標を定め、飛び回って邁進する方が性に合っている。どうせなら新たな舞台は帝国の外、全世界よ!


 と、考えていた事は、実はクローヴェル様にはとっくにお見通しで、というか、もっと遥かに以前からクローヴェル様は全世界を視野に入れた構想を抱いていらっしゃたのだ。おかげで私はこの後も、帝都の皇妃座が温まる事が無いような人生を送ることになる。


 クーラルガ王国の王都は王国の西の方にある。ガルダリン皇国との国境に近い。イブリア王国もそうだが、王都をガルダリン皇国の近くに置くことで彼の国からに侵攻に警戒しているのだ。今はエメイラ皇主猊下と仲良くなっているからいきなり侵攻される可能性は減っているけど、これまでは不倶戴天の敵国だったからね。


 王都にまで数時間の距離にある町に入り、偵察隊を送る。するとフェルセルム様の率いるクーラルガ王国軍は王都の近くに陣を張って、こちらを待ち受ける構えだという事が分かった。特に要害の地でも無さそうで、兵力も予想通り七千程度。三万もいる帝国軍の相手ではない。今度は油断無く慎重に偵察も出しているし、これまで制圧(というほどの事はしていないが)してきたクーラルガ王国の諸侯から補給も十分受けている。そもそもここと帝都はせいぜい三日の距離でそれほど遠くも無い。情報も補給も増援もその気になれば帝都から受ける事が出来るだろう。


 流石のフェルセルム様も諦めたのかな? と私は疑った。あのフェルセルム様がまさかとは思うが、戦力的にも情勢的にもこちらの勝ちが動かないのは確かなのだから、諦めて降伏して私とクローヴェル様の慈悲を問うのがもっとも賢い選択であるのも確かである。


 諦めて降伏してくれればそれに越した事は無い。私はクーラルガ王国の諸侯の一人の伯爵を呼んで、フェルセルム様に降伏勧告を伝える使者になってもらった。


 了承した伯爵は護衛とお供を連れてフェルセルム様の陣営に向かって、すぐに帰って来た。


「降伏はしないと仰いました」


 伯爵は言って、書状を差し出した。フェルセルム様から預かったのだという。私は受け取って封蝋を剥がす。何度か見た事があるフェルセルム様の筆跡で文章が綴られていた。


『……天は我を見放したとはいえ、運命は未だ尽きまじ。我に未だ兵あり。我に未だ力あり。大女神アイバーリンの加護は我にあり。クーラルガの大地に黄色の竜旗が翻る時、見よ我が剣に宿りしは最も古い王家の竜の力なり……』


 ……大仰で詩的で装飾過剰で読み取りにくいが、要するに自分はまだ諦めていないので、決戦して勝敗を着けようではないか。という挑戦状だった。なんというか、まさか敗北のロマンに浸っているんじゃないでしょうね? と言いたいような文面だった。まさかね。あのプロポーズにはロマンの欠片も無かったあの人が、突然ロマンチックな事をし出すとも思えないのよね。


 書簡を呼んだカイマーン陛下も若干呆れたようなお顔をなさっていた。


「とてもあのフェルセルム様の書く文面とは思えませんな」


 私とカイマーン陛下の一致した見解として、あのフェルセルム様が突然ロマンに目覚めるなどあり得ない、という事になった。だとすれば、この書簡はこちらを油断させようとしているか、あるいは正面からの決戦を期待させておいてからめ手から攻撃してくる等の策謀の準備だろうと考えられた。


 ただ、フェルセルム様がここで取り得る作戦がどれほどあるのか。考えられるのは思いもよらぬ援軍だ。我が軍が正面からフェルセルム様の軍に襲い掛かった所を思いもよらぬ援軍が後方から襲い掛かって来る。そんな事になれば確かに危ない。


 しかしながら、私と帝国軍首脳部はその可能性は極小であると結論付けていた。


 考えられる援軍元は二つ。ガルダリン皇国か海賊国だ。二つともフェルセルム様と関わりが深い国である。フェルセルム様にはフーゼンの戦いの時に両国を上手く動かしてみせた前科もある。


 だが、ガルダリン皇国の線はもう無い。エメイラ猊下は私と別れて皇都に帰った後、反乱を起こした諸侯を徹底して粛清して、フェルセルム様との繋がりの深かった諸侯も一掃したと聞いている。戦女神様の化身であると証明されたエメイラ猊下は皇国で求心力を増しており、そもそも威厳も統治の才能もあったから、急速に権力を掌握しつつもあるようだ。この状態でフェルセルム様が援軍をガルダリン皇国から引き入れるのは無理だろう。


 海賊国の線も無いと思われる。私はイカナ滞在中に海賊国の動きを探らせていたのだ。その結果、大規模に軍を動かしている様子は無いと結論付けられた。そもそも海賊国は基本的には略奪者で、陸地での会戦は得意ではない。


 森の民のヴェーセルグも私と友好関係にある以上、フェルセルム様の為に駆け付けてくれる外部勢力はもう無いという事になる。バーデレン帝国とかガルダリン皇国の西にあるよく分からない国だとか、森の民を襲うという東の蛮族だとか、そういう現実的にはあり得ない所からフェルセルム様が魔法のように援軍を呼び込んでいる可能性はあるが、そこまで考えてしまったら何も出来ない。実際、偵察部隊は特に大規模な軍勢を見つけてはいないのだし、やはりフェルセルム様への援軍は無いと考えても良いと思うわね。


 フェルセルム様が正面からの決戦でこちらを撃ち破れると考えているとすれば、どういう戦術を使って来るのだろうか。


 まず、竜を呼んで全軍を強化する。そして、竜旗に込めた力でアーメンジウス神を呼び出す。そして、いよいよとなれば自ら竜に変ずる。彼が金色の力を全開で使ってくればそういう事になるだろう。


 しかし、それだとクセイノン王国での関門の戦いと同じ事になるのよね。こちらは竜の力を温存して数と戦術で軍勢を圧し潰し、アーメンジウス神は私もランベルージュ神を降ろして対抗する。そうすればフェルセルム様が最終手段で自らを竜に変じても、私が金色の力で対抗する事が出来る。もう後が無いフェルセルム様はそれで敗北だ。


 あのフェルセルム様がその程度の事が分からないとも思えないのよね。だとすれば、違う事を考えているのではないかと思われる。それは何かしら? そこまでは分からない。だが、分からないからと足を止めていても仕方が無い。


 私はカイマーン陛下、ザーカルト陛下と相談した上で決戦を決める。まだ春は遠い季節であるから夜明けは遅い。その遅い夜明けを待って、私たちは滞在していた町を三万人の軍勢を率いて出立した。目指すはクーラルガ王国王都。これを落としての帝国統一である。



 クーラルガ王国王都は盆地にあり、横を大きな河が流れていた。とはいっても盆地には十分な広さがあり、クーラルガ王国軍と帝国軍が決戦するにはまったく支障が無いだろう。この立地はガルダリン皇国が侵攻してきた時に防御し易いようにと考えられているので、ガルダリン皇国側に抜ける方は狭い上に関門も築かれているが、帝都側には広い入り口があって立派な街道も通っている。帝国軍三万は冬の冷気に震えながらも何の問題も無く盆地に侵入した。


 やや高い盆地の入り口からは王都とその手前に展開するクーラルガ王国軍が見えた。いやが上にもテンションが上がる。遂にここまでやって来たのだ! あの軍勢をやっつけてクーラルガ王国の王都に落とせば帝国の統一は成り、私たちの夢が叶う。待ってて下さいね! クローヴェル様!


 しかし、そこでクーラルガ王国軍を観察して、私は少しおかしい事に気が付いた。


「多いわね?」


 私も流石に何回も戦場に出たので、軍勢の大まかな数は遠望して分かるようになっている。私は山育ちで目も良いしね。その私の目算では、七千しかいない筈のクーラルガ王国軍がどうももっと多い、二万人くらいいるように見えるのだ。


 そんな筈は無いのだが。軍隊の数はそれほど簡単には増やせない。兵士を徴募しても支給出来る兵装には限りがあるからだ。イブリア王国は他の国に比べれば動員兵力はかなり多いのだが、これは普段から支給出来る鎧兜や槍や剣などの兵装を蓄えているからである。いきなり人数だけを集めても装備が不十分では戦力になり得ないのだ。


 事前の調査では、クセイノン王国王都周りの兵士の動員可能兵力は精々一万で、二万人も集めるのは、それは人だけは無理やり集めれば可能だが、兵装が整わないので無理だろうという話だった。それなのにどうしてまたあんなに軍勢がいるのか。


 私もカイマーン陛下も戸惑い、とりあえず軍を止めて偵察を出してみた。すると帰って来た斥候は驚くべきことを言った。


「あれは王都の一般市民です。女子供までいます」


 は? 私はびっくりだ。


 聞けば、着の身着のまま王都を追い出されたように見える者たちだそうで、冬の寒さに震えているとの事だった。な、なんという酷い事を! 私の頭は一瞬で怒りに沸騰した。


 一般市民は王都を追い出されてどんどん出て来る様子だという。クーラルガ王都の人口は十万人くらいだろう。まさか全員を追い出すのは無理だろうけど、数万人かが出てくると考えられる。一体何が目的で……。


 取り合えず私は前進を命じた。クーラルガ王国軍は追い出された一般市民の後ろにいるとの事で、一般市民に惑わされている内に攻撃される懸念は低いだろう。クーラルガ王国軍と決戦する時に、市民を巻き添えにしては大変だ。私はカイマーン陛下と相談して、諸侯の一人を使者に向かわせて市民たちを誘導して避難するよう試みる事にした。


 するとその時、空が一瞬で真っ黒に染まったのだった。


 ま、まさか! 私が愕然と見上げるその空に、金色の竜の姿が現れたのだった。王家の祖であるその神獣は優雅に猛々しく黒い空の中を威圧的に飛び回り、そして落下する。


 市民たちの上にだ。あっ! 私はその瞬間、フェルセルム様の狙いを悟った。な、何という事を!


 私はフーゼンの戦いの時、意図せず街の人々にまで竜の力を与えてしまった結果、街の人々が興奮して海賊国の船に襲い掛かって、そのおかげで勝利したことがある。


 フェルセルム様はそれを意図的に起こしたのだ。王都の市民に竜の力を与えて強制的に戦わせる。フーゼンでのあの時、興奮して海賊国の船に襲い掛かったのはただの船乗りたち。それに女性や子供も協力して戦ったのだと聞いている。金色の竜の力を得て恐れを忘れれば、一般市民も十分に戦力になるという事だ。


 それに、当たり前だが、帝国軍には襲い掛かって来る一般市民を迎え撃つ事が出来ない。いくら興奮して恐怖心を失っていたとしても、彼らは非武装の者たちだ。完全武装の帝国軍が迎え撃ったら虐殺になってしまう。


 クーラルガ王国の王都市民を虐殺するなど許されない。理由がフェルセルム様の暴挙によるのだとしても、虐殺してしまった帝国軍に責任無しという訳にはいかないのだ。帝国軍の声望は地に落ち、私とクローヴェル様には汚名が付き、クーラルガ王国には深い恨みが残されるだろう。


 うぐぐぐぐ、っと唸る私の耳に、高らかに叫ぶフェルセルム様の鼓舞の声が聞こえてきた。


「さぁ! 誇りある王都の者たちよ! あれぞ父祖の地を侵そうとする侵略者たちぞ! 王都を守れ! 家族を守れ! クーラルガ王国を守れ! 大女神様の加護は我にあるぞ!」


 フェルセルム様の鼓舞に王都の市民たちが雄たけびを上げて応えた。見れば女性も女の子までもが諸手を上げて興奮状態で叫んでいる。とんでもない事だ。私が竜を呼ぶのが好きでは無い理由は、竜の力を受けると兵士たちが恐れを知らず、平気で死地に踏み込んでしまうからだ。あの興奮した市民たちも、死をも恐れず完全武装の帝国軍に襲い掛かって来る事だろう。私の最も嫌う金色の力の使い方だ。


 それをフェルセルム様は平然と行った。自らの目的の為に一般市民、庶民の命を使い捨てる選択をしたのだ。あんな事私は勿論、クローヴェル様も絶対にやらないわ。いえ、してはいけない。帝国の諸侯貴族、庶民の全ての上に立ち、それを慈しみ統治しなければならない皇帝と皇妃として、絶対にこんな事をしてはならないのだ。


 私は思わず、黄色の竜旗を翻す人物、フェルセルム様に向けて叫んだ。


「やっぱり貴方に皇帝になる資格はありません! フェルセルム!」



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スクウェア・エニックス様のSQEXノベルより、二月七日書籍版発売です!大幅加筆しております。よろしくお願いいたします!


 


 


 


 

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