五十三話 クセイノン王国征伐(後編)

 「大帝」アーメンジウス。現在では彼は古帝国の皇帝としてよりも神様として圧倒的に有名である。大女神アイバーリンの左には戦女神ランベルージュ。そして右にはアーメンジウスが跪いているというのが、神殿の絵画で定番の図柄なのだ。ただ、神様として有名になり過ぎていて、皇帝として何を成し遂げたのかは誰も知らないのが実情よね。


 彼は古帝国の何代目かの皇帝なんだけど、元々は現在の神殿領と帝国の南の一部しか領有していなかったものを、大遠征をおこなって一気に帝国全土どころかガルダリン皇国やその向こうまで領域を拡大したのである。それどころかトーマの民の祖先まで征伐してその向こうの砂漠を越えようとした(これは失敗した)らしい。トーマの住まう大草原を焼いた大王とは彼の事だ。


 愛馬ブケファランと共に大陸中を駆け回った彼の伝説は英雄として、あるいは殺戮者として各地に残っている。もっとも、その彼が神であるアーメンジウスであるとは意外に知られていないのだが。なぜなら、伝説の彼はメノジアスと呼ばれているからだ。神になった時に呼び方が変わったのか、あだ名か何かだったのかはよく分からない。


 それは兎も角、戦女神様に匹敵する大神だ。きっと物凄く強い神に違いない。森の民の神であるロヴェルジェ神は炎を吐いた。戦女神様はそんな事をしなかったが、アーメンジウス神に出来ないとは限らない。そうでなくとも、彼は何しろ戦争の天才として歴史に名を遺す人物だ。おまけに残虐性でも知られていた。トーマの草原を焼き尽くしたのは序の口で、ガルダリン皇国にあった城塞都市を一つ丸焼けにして挙句に叩き潰して地に埋めて塩を撒いたという伝説があるのだ。


 慈悲深き大女神アイバーリンの元にいるのだから、少しは丸くなっているかもしれないが、ここは戦場である。興奮して昔の素が出るかも知れない。そして、フェルセルム様が率いて分離した部隊は大体千くらいか。竜の力を得ているあの部隊が、アーメンジウス神に率いられて帝国軍の後背から襲い掛かってきたらどうか。


 帝都防衛戦で私がやった事の再現になるだろう。帝国軍は動揺し、壊走して敗北を喫するだろう。そんな事になったら帝都は動揺し、離反する諸侯が出てしまうだろう。南部同盟は大丈夫だと思うが、今やクローヴェル様は皇帝なのだ。南部だけが保てれば良いという訳にはいかない。


 どうすべきか。私は竜旗を握りしめた。方法は一つしかなかった。私はトーマの軽騎兵を率いて戦場を迂回し、フェルセルム様=アーメンジウス神の部隊の前に出た。トーマの軽騎兵は正面からの戦いには強く無い。正面から当たりたくはないが、他の部隊はクセイノン王国軍との戦闘が佳境に入っている所で引き抜けないのだ。


 平原なので五百メートルくらい離れた所にいる敵の事が良く見えた。先頭に黄色い旗を持つ騎馬の人物。尋常じゃ無いくらいの圧力が発せられている。うわ。なにあれ。黒い煙のように神威が立ち上っている。私に続くトーマの者たちが動揺の声を上げるのが聞こえた。


「「おや、イリューテシア様、いらしたのですか? なぜ竜の力を使われないのですか」」


 物凄い圧力のある声だが、口調はフェルセルム様のものだ。やはりこの人は、神を我が身に下ろしても意識を手放さずに済むようだ。悔しいが、私には無理だ。何か方法があるのだろうか?


「「御覧の通り、私はアーメンジウス神のお力をお借りしています。貴女も竜を呼ばなければ勝てませんよ?」」


 アーメンジウス神のお力がどんなものかは知らないけれど、確かにあれは尋常じゃ無いわね。無策では勝てないだろう。しかし、ここでフェルセルム様の誘いに応じてほいほいと竜を呼ぶ訳には行かない。私が竜を呼んで力を使い切った後に、フェルセルム様は何らかの切り札を切って来るだろう。それに、力を使ったらアーメンジウス神への対抗手段が無くなる。


 竜の力はここでは温存すべきだろう。考え過ぎかも知れないが、敵の誘いに乗るのは危険過ぎる。


 ではどうするか。私は竜旗を掲げた。


「大女神アイバーリンの剣であり盾であり、槍であり矢であり鎧である、戦女神ランべルージュよ。その力を我に示したまえ。我に宿りてその強さと美しさを示したまえ」


 竜旗から光が立ち上り、空に吸い込まれた。私はその間に息を整える。完全に意識を手放してはならない。フェルセルム様に出来るんだから私にだって出来る筈。


 光が降ってきて私に直撃した。その瞬間、覚えのある声が頭の中に響く。


「「ふふふふ、良くぞ我を呼んだな。あの痴れ者とははっきり白黒つけてやらんと思っておったからな。良い機会じゃ!」」


 意識がぐわーっと押し流されそうになるのに必死で抗う。


『ランベルージュ様! 今は戦争中です! どうか帝国軍にも気を使って下さいませ!』


「「案ずるな。其方の軍は勝ちつつあるではないか。後はあのバカ者を天にたたき返すだけじゃ!」」


 どうもランベルージュ神とアーメンジウス神には何らかの因縁があるらしい。大女神様の寵を競ってたりするのかしらね。


 体の自由の感覚も無いが、どうやら意識は残せたようだ。何も出来ないのでランベルージュ様に声掛けするくらいしか出来ないが。ランベルージュ様は裸馬もなんのその。平然と乗りこなして進み出ると、地の底から轟くような大音声を発した。


「「こりゃあ! アーメンジウス! この馬鹿者が!」」


 するとフェルセルム様、いやアーメンジウス神が空気がビリビリと震えるようなお声で怒鳴り返してきた。


「「その声は貴様か! ランベルージュ! 愚か者が! ヒョイヒョイ呼ばれて出てきおって! 神の威厳はどこへ忘れてきた!」」


「「ぬかせ! 我に篤い信仰が集まっているだけの事よ! 貴様に建てられた神殿なぞ無かろう! 我の勝ちじゃ!」」


「「うるさい! 貴様こそ、人の身だった頃のことなぞ忘れ去られておるでは無いか! 我の伝説は今でも多く残り、人々を恐れさせておるぞ!」」


 あら、ランベルージュ様も元は人間だったのね。それは確かに知らなかった。


「「その悪名が故に、其方には信仰が集まらんのではないか! この千年、我は信徒を集め続け、大女神様の聖名を高め続けておる! 貴様など、大女神様のついでに像が造られるだけではないか! それで我と対等だなどと、思いあがるでない!」」


「「我は人の身の時に大女神様の威光を大陸中のほとんどに広めた! おかげで現在でも大女神様の聖名が大陸中で崇められているのではないか! 我はその功績で大女神様の右の座に上げられたのだ! 貴様がとやかく言う権利は無い!」」


 どうも神様の世界も序列争いが激しいようだわね。貴族夫人も王妃の右に座るか左に座るかでいつも揉めているもの。あれと同じ感じなんだわ。多分。


「「おのれ! 言わせておけば! 二度とその口開けぬようにしてくれん!」」


 戦女神様は私の護衛から槍を受け取るとグルンと頭上で二回転させて構えた。そして後ろのトーマの者たちに向けて叫ぶ。


「「者ども! 続けい!」」


 そして馬腹を蹴ってアーメンジウス神に向けて突っ込み始めた。こ、こらー! ダメよ! ランベルージュ様!


「「なんじゃやかましい!」」


 無理ですよ! トーマの軽騎兵は近接格闘戦向きじゃありません! フェルセルム様が率いているのは重装騎兵じゃありませんか! 正面からぶち当たったら勝てませんよ!


「「我一人でなぎ倒してやるから心配はいらん!」」


 あっちにはアーメンジウス神がいるじゃないですか! ランベルージュ様が彼の神に掛り切りになっている間はトーマの軽騎兵はどうしたら良いんですか!


「「ではどうしろと言うのだ!」」


 正面から当たるのはよしましょう。トーマの軽騎兵の真骨頂は離れての騎射です。離れて戦えば、重装騎兵は手も足も出ません。


「「ふむ。手の届かないところから一方的に攻撃出来るという事じゃな、気に入った!」」


 ランベルージュ様はそう言いながらも正面から一気に距離を詰めて行く。ちょっと? 話聞いてた? 私が不安になるくらい敵との距離が接近したその瞬間、ランベルージュ様は見事な乗馬技術(なにしろ、鞍も手綱も無いのだから凄いものだ)で馬を方向転換させた。敵前で右に回頭する。トーマの者たちも続いて馬首を巡らせる。


「「射よ!」」


 ランベルージュ様の号令でトーマの者たちが馬を走らせながらザッと敵に向けて矢を放った。敵はこちらが突っ込んでくると思って密集隊形を取ってしまっていた。そこに矢が集中したのだ。効果的な一撃になったようである。


「「ふむふむ。なるほどな。これは良い」」


 ランベルージュ様は凶暴に歯を見せて笑うと、槍を振って後ろに合図をし、馬をさらに走らせて敵の後方に回り込もうとする。


「「おのれ猪口才な! ランベルージュ! 正々堂々戦わんか!」」


 アーメンジウス神が喚くのが聞こえるが、ランベルージュ神は心地良さそうに言い返した。


「「貴様ほど正々堂々と縁遠い男が何をぬかす!」」


 確かに伝説のメノジアスは、女に変装して敵陣に忍び込んで敵の首領を撃ったとか、敵の砦の水源に毒を混ぜたとか、降伏すれば寛大に扱うという約束を反故にして捕虜を生き埋めにしたとか、あんまり正々堂々な印象が無いわね。


 ランベルージュ様はトーマ軽騎兵を率いて敵の後方に回り込んだ。そしてまた射撃を命じようとした、その時だった。窪地に潜んでいたと思しき百名ほどの部隊が、突然地面に立ち上がった。伏兵だ! そして立ち上がるなり弓を引いて矢を放ったのだ。


 距離も近く、こちらは騎射の姿勢になっていたから躱し様がない。トーマの者たちが何人も悲鳴を上げて落馬した。しまった! 後ろに回り込む事を読まれていたんだわ!


「「おのれ! 悪辣な!」」


 槍を振り回して矢を跳ね除けたランベルージュ様は吠えたが、悪辣という程では無い。こちらは軽騎兵なのだから、機動力を生かして回り込もうとするのはむしろ当然だろう。それが予測出来れば罠を仕掛けて足を止めようとするのも当然の戦術だろう。そして、痛撃でこちらの足を止める事に成功すれば次はどうするかなど決まっている。


「「女の浅知恵に負けるものかよ!」」


 いつの間にかアーメンジウス神が目前に迫っていた。明らかにこちらがここで罠に落ちるのを待っていたという動きだ。


 口ぶりからしてランベルージュ様とアーメンジウス神は互角なのだろう。だとすれば後はお二人以外の戦力が問題となる。足を止められて近接戦闘に持ち込まれれば、トーマの軽騎兵は重装騎兵には勝てない。蹴散らされてしまうだろう。そうなると二柱の神の戦いが膠着して、天にお帰りになった後に、私は敵中に一人残される事になってしまう。


 私が捕虜になんてなったら帝国軍は勝っていても降伏を余儀なくされる事だろう。それは困る。


 ランベルージュ様は歯を軋らせて怒った。そして今度こそアーメンジウス神に向けて突っ込んで行こうとする。私は咄嗟に叫んだ。


「「なんの! 罠に嵌ったのは貴様の方ぞアーメンジウス!」」


 あ、声が出た。ランベルージュ様も驚き、動きが止まっている。私はほら吹きイリューテシアの本領を発揮して更に叫ぶ。


「「この我が貴様などの罠に嵌るものか! 考えたら分かりそうなものぞ! 勝ち誇る貴様の顔が驚愕に歪むのが見たくて、罠に嵌った振りをしてやったんじゃわい!」」


 私の大法螺に、警戒したかアーメンジウス神と敵兵の動きが止まる。その隙に矢を射掛けられて混乱していたトーマの者たちも落ち着いたようだ。


 ランベルージュ様! 逃げますよ!


「「ぬ……」」


 ランベルージュ様は不満そうに呻いたが、頭に血が上ったのは収まったのだろう、状況の不利は分かってくれたようだった。私の言葉を引き継いで、何食わぬ顔で叫ぶ。


「「見るがいい!」」


 そして槍を天に掲げると、その槍先がカッと光を放った。敵が大きく動揺するのが見えた。しかしながらアーメンジウス神には通じない。


「「なんじゃ、ただの目晦ましではないか。こんなものが何になると……」」


 神には目晦ましでしか無かろうが、人の身には超常現象の輝きだ。ランベルージュ様は敵兵の動揺の隙にトーマの軽騎兵に合図を送り、同時に馬首を巡らせて一気に駆けさせた。


「「な、ランベルージュ! 逃げるのか! 卑怯者!」」


 アーメンジウス神の怒鳴り声にランベルージュ様は物凄く不満そうに奥歯を噛みしめていたが、一言も言い返すことなくトーマの者たちを連れて一目散に戦場を離脱してくれた。




「「こんな惨めな思いは三千年かぶりぞ!」」


 ランベルージュ様は怒り狂っていらした。申し訳無い。


 むろん、このままでは終わらせない。私だってフェルセルム様に一本取られたままでは終われない。大きく戦場を離脱したランベルージュ様は負傷者を切り離して隊列を再編すると、再度フェルセルム様が率いる部隊を攻撃しようとした。


 フェルセルム様の率いる部隊は帝国軍の中核、ホーラムル様が率いる部隊への突入を図っているように見える。流石はアーメンジウス神なのかフェルセルム様なのか。今このタイミングでホーラムル様の部隊が損害を受ければ、クセイノン王国軍の圧力を支えきれなくなり戦線が崩壊する危険がある。阻止しなければならない。


「「まだぞろ、罠の危険もあるがな」」


 ランベルージュ様の言葉に私はハッとなる。大いにあり得る。先ほどの事から考えても、フェルセルム様の狙いは明らかにこの私である。私を討ち取る、もしくは捕らえて戦況の逆転を狙っているのだろう。


 しかしながら、ホーラムル様の部隊を後方から攻撃されて困るのも確かだ。どうすれば良いのか……。


「「ランベルージュ様、アーメンジウス神はどうしてフェルセルム様の願いに応じて顕現なさったのだと思いますか?」」


「「そりゃあ、奴は戦争が大好きじゃからな。戦場で呼ばれたら喜び勇んで降りて来るに決まっておる」」


 今の私は傍から見れば一人で会話する怪しい人だ。馬を走らせている最中だから誰にも見えてはいないだろうけど。それにしてもランベルージュ様といいアーメンジウス神といい、神様は血の気が多過ぎではないだろうか。


「「……アーメンジウス神にとって、戦争とランベルージュ様と闘うのとどちらが楽いと思いますか?」」


 ランベルージュ様はムッと沈黙した。そしてなんだか不機嫌そうなお声で答える。


「「それは我と闘う方じゃろうな。奴はどうも我を目の敵にしておる。白黒つける事を狙っておるじゃろうからな」」


 なんだかモジモジとしたはっきりしない物言いだ。ランベルージュ様にしては珍しい。


「「アーメンジウス神はランベルージュ様よりも強いのですか?」」


 その瞬間ランベルージュ様は激怒した。


「「馬鹿を言うでない! 我の方が強いとも! 奴は馬鹿みたいに神力があるし、悪辣じゃから面倒な相手ではあるがな!」」


 どうやら実力は五分五分というところらしい。しかしながらそれほどの好敵手であれば、好戦的な事で知られるアーメンジウス神なら誘いに乗ってくれるだろう。私はトーマの者たちに向けて叫んだ。


「「貴様らはこのまま進んで敵部隊を迂回せよ! 敵部隊が帝国軍本隊に突入しようとしたら、側面から射撃して阻止せよ!」」


「皇妃様は……、戦女神様はどうするのですか!」


 護衛の者が叫ぶ。私はニヤッと笑いながら応じる。かなりランベルージュ様が混ざってしまっているようだ。


「「あの馬鹿者と一騎打ちするのじゃ!」」




 私は馬を真っすぐに駆けさせながら大音声で呼び掛けた。


「「アーメンジウス! まだるっこしい事は終わりにしようぞ! 貴様と我で勝負を付けようではないか!」」


 何しろ神の声である。空気に風を呼び大地を震わせ轟いた。すると、向こうからも軍勢をその声だけど圧し潰しかねない迫力のある神威の声が響き渡った。


「「おう! その言葉を待っておったぞランベルージュ! 今こそ一万年の決着を着ける時ぞ!」」


 ……随分と嬉しそうなお声ね。私はそう思ったのだが、好戦的な事ではアーメンジウス神に引けを取らない筈のランベルージュ神が随分げんなりしたご様子だ。なんだろう。この方も強い敵と戦うのは望むところの筈なのに。


「「あ奴はしつこいし、卑怯だし、負けても負けを認めぬし、あんまり戦いたくないのじゃ」」


 私の思いを読んだのか、ランベルージュ様が呟く。私は思わず笑ってしまった。


「「お仲がよろしいのですね」」


「「よろしいものかよ。それより、其方分かっておるのか?」」


「「終わった後の事ですね? 大丈夫です。考えてありますよ」」


「「ならば、遠慮は無用じゃな。今回こそ奴に神の序列というものを分からせてくれん」」


 いや、あの、私が怪我をして動けないなんて事があると、この後の予定に差し支えるから、少しは遠慮して頂きたく……。という私の要望は無視して、ランベルージュ様は馬を進め、その前にアーメンジウス神が黒馬に跨って現れた。アーメンジウス神が降りている肉体はフェルセルム様だ。兜は取ってその美麗な顔を見せているのだが、その表情は明らかに困惑していた。おそらく、フェルセルム様の予定と違う状況になっているのだろう。


「「アーメンジウス様、先に敵を撃ち破った方が良いとご自分で仰ったのでは無いですか」」


「「やかましい。挑まれて逃げる事など、このメノジアス、生まれてこの方したことが無いわ!」」


 ……一人二役は他から見るとあんな奇妙な状況に見えるのか。ちょっと私がげっそりしていると、ランベルージュ様が叫んだ。


「「最初に言っておくが、負けても後でブチブチ言い訳するでないぞ!」」


「「ぬかせ! 二百年前に顕現して戦った時には我に負けておるくせに!」」


「「あれは時間切れで勝敗が付かなかったじゃろうが! その前の四百年前、五百年前の戦いでは我が勝っておろうが! それなのに其方は言い訳をして勝敗を認めようとせぬのじゃから!」」


 どうやら何回も対決しては勝敗付かず、というような事を繰り返しているみたいね。互角なら好都合だ。


「「ごちゃごちゃうるさいわ! 行くぞ!」」


 アーメンジウス神が馬腹を蹴って突進してきた。武器は槍だ。ランベルージュ様もおう! と叫んで槍を繰り出した。槍が交差してガキンと物凄い音がした。「「ぐ!」」「「うぬ!」」と両神が唸る。力は互角。双方馬が止められてしまった。そのまま槍を交差させたまま、お互いに睨み合って膠着する。ランベルージュ様は裸馬に乗っているのに凄いものだ。


 力を振り絞りつつ押し合うがお互いに動かない。やおらランベルージュ神が槍を振り上げ、アーメンジウス神に叩きつける。しかしアーメンジウス神はそれを槍の胴で受けて払い、逆にこちらを突いてきた。神速の突きだったがランベルージュ様は流石、難無く躱して自分の槍を捨て、相手の槍を左手で掴んだ。そして力任せに引っ張ると、同時に右手で瞬時に剣を抜いてアーメンジウス神に叩きこんだ。


 どう考えても避けられそうに無い一撃だったが、アーメンジウス神は未練無く槍から手を離すと、馬を足だけで動かして後ろに下がってランベルージュ様の攻撃を躱し、自分も剣を抜く。


「「我の怒りを知るが良い!」」


 アーメンジウス神がそう叫ぶと、彼の持つ剣が炎を纏った。えー! 驚いた私だがランベルージュ様は小動もしない。


「「貴様の怒りなど弾き返してくれん!」」


 すると私の持っている剣が雷光を纏った。そしてランベルージュ様はアーメンジウス神の炎の一撃を雷光の剣で受ける。グワッと光と炎の渦が舞い上がり轟音が戦場に響き渡った。


 あちちちち! 熱い! 間近に迫る炎の剣のおかげで私の鎧は瞬時に熱せられてしまう。火傷、やけどする! だが、本来あの灼熱の炎がこんなに近づいたら丸焦げになってしまってもおかしくない。ランベルージュ様のお力で護られてはいるのだろう。


 二柱の神は二合三合と剣を打ち合わせる。その度に炎と雷光が飛び散り大変な騒ぎになっていた。しかし、周囲に兵士たちはいないので迷惑は掛かっていないだろう。


 そう。私はランベルージュ様にお願いして、闘いながら戦場からだんだんと離れてもらっていたのだ。こんな神々の戦いが戦場で行われたら、帝国軍と北部連合軍の戦いに影響を与えてしまう。引き離しておかなければならない。神々の干渉さえなければホーラムル様率いる帝国軍は勝つに決まっている。


 二柱の神の打ち合いは互角で、永劫に続くかと思われた。


 しかし、そんな訳はない。やがて神々の剣に宿る光と炎が薄れ始めた。


「「ぬ!」」


「「むぅ」」


 ランベルージュ様とアーメンジウス神が残念そうな声を上げる。そう。時間切れだ。私とフェルセルム様が捧げた金色の力が尽きたのだ。


「「おのれ! もう少しだったものを! 仕方が無い。この勝負預けるぞ! ランベルージュ!」」


「「ぬかせ! 見よ! こちらの軍が勝っておるではないか! 我の勝ちぞ!」」


「「元々そっちの軍勢の方が多かったではないか! それに人の成すことなど我はもはや興味は無い!」」


 などと存在を薄れさせながらもやいのやいの口喧嘩していた二柱だったが、最後にお互い宿主に向かって怒鳴った。


「「次はブケファランを用意しておけ! それなら負けぬ。良いな!」」


「「虎じゃ! 虎を用意しておけ! やはり馬では調子が出ぬ!」」


 しらんがな。そして神々は同時に天に帰られた。


 同時に私の全身に強い脱力感、倦怠感が生ずる。そして、あちこちに打ち身や火傷が出来ているらしく身体中が痛い。しかし私は何食わぬ顔をして馬の上に身体を起こしていた。まだ終わっていない。何しろ目の前には宿敵たるフェルセルム様がいるのだ。


 フェルセルム様も疲れ果てている筈だったが、それでも彼は平然と顔を上げて胡散臭い微笑みを見せてきた。


「貴女もしぶといですね。イリューテシア様」


「皇妃様と呼びなさい。貴方のお父上たる先帝陛下は私たちの即位を認めてくださいましたよ」


「そんなものは貴女を捕らえてクローヴェル様を脅せば覆ります」


 そんなクローヴェル様がそんな脅しに屈する筈は無いけどね。まぁ、これではっきりした。アーメンジウス神まで呼んで私との直接対決に及んだのは、こうしてお互いの力が尽きた後に、私を捕らえるためだったのだ。


 私は体力はそれなりにあるが、武芸の心得が無い。それに対して王太子として軍を率いる事が期待されていたフェルセルム様はおそらく幼少時から武芸を仕込まれていた事だろう。神々の戦いにかこつけて私を護衛から引き離し、神々がお帰りになったなら武芸に優れたフェルセルム様が私を捕らえる。そういう計算だったのだ。


 これほどの劣勢になれば、私を捕らえてクローヴェル様と交渉するくらいしか、状況を覆す方法が思い浮かばなかったのだろう。肉を切らせて骨を断つ。これまで自分ではなるべく動かず、裏から手を回していたこの人にしてはずいぶん捨て身の作戦だ。


 しかし、この時彼には計算違いが一つ、残ってしまった。


「私はまだ金色の力をこの身に残していますよ。フェルセルム様」


「……そうでしたね」


 そう。私はまだ、金色の力を温存中だ。故に、フェルセルム様が自分の力と、竜旗の力を使ってしまい、後は血と引き換えに我が身を竜に変ずるしか手札が残っていないのに対し、私には力と血の二つの切り札が残っている。そして、私が力を使っていないこの状態で、フェルセルム様は自分だけが竜に変ずる事は出来ない。


 フェルセルム様は忌々しそうに呻いた。


「本当にしぶとい。まさか最後まで金色の竜の力を残すとは……」


「どうします? 戦っても良いですよ? ここで決着をつけますか?」


 私の言葉に、フェルセルム様は気持ちが良いくらい胡散臭い笑顔で応じた。


「止めておきましょう。仕切り直すとします。クーラルガ王国でお待ちしておりますよイリューテシア様」


「あら、それは残念。首を洗って待っていると良いですわよ」


 私もコロコロと上品に笑いながら言い放った。私たちは二人してははは、うふふ、と笑いながら馬を下がらせ、少し離れたら馬を返して一気に離れた。


 ……良かったわよ。あそこで「では決着をつけましょう」と言われなくて。


 何しろ私はもうボロボロだ。ランベルージュ様にご降臨頂くといつもそうだが。こんな状態でフェルセルム様ともう一回戦などご免被る。疲れ果てているから金色の力を使う集中力が出せたかも怪しいし、竜に変じなどしたらあっという間に意識を持って行かれてしまうだろう。まぁ、多分、フェルセルム様も事情は似たようなものだったと思うけどね。


 帝国軍とクセイノン王国軍の戦いは終わりつつあった。竜の力を得たクセイノン王国軍も、数の力とホーラムル様の巧みな戦術には勝てなかったのだ。どうやらエルミージュ陛下は逃亡したらしく、夕方になりだんだんと竜の力の効力が切れ始めていることもあり、クセイノン王国軍は降伏し出しているようだった。


 ホッと一息だ。私は護衛とトーマの軽騎兵と合流してホーラムル様がいる本隊へと向かった。予定とはずいぶん異なってしまったが、何とかクセイノン王国軍には勝つことが出来た。進軍してクセイノン王国の王都を陥落させ、エルミージュ陛下を跪かせなければならない。


 そんな事を考えながら本陣に近づくと、私をみとめた軍首脳の諸侯が叫んだ。


「皇妃様! こちらへ! ホーラムル様が!」


 血相を変えて私を呼んでいる。私は驚き、馬を飛び降りて走った。


「ほ、ホーラムル様がお怪我を!」


「何ですって!」


 私も顔色が変わってしまう。私が駆け付けると、ホーラムル様は布を敷いた地面に大きな体を寝かされ、鎧を脱がされて手当を受けていた。う……。そのわき腹ににじむ赤からは、かなりの出血があったことが分かる。私は傍らに飛び込み、その手を握った。


「ホーラムル様! 気を確かに!」


 すると、ホーラムル様は苦し気に閉じていた目を開けてこちらを見た。額には脂汗が浮かんでいる。


「……おお、皇妃様……。勝ちましたぞ」


 力のない声だ。私は彼の手を握りしめながら頷く。


「ええ! 貴方のおかげですホーラムル様!」


「ご謙遜を……。すべて皇妃様のおかげでございますよ……」


 私は手当をしている従軍医師を睨んだ。医師は小さな声で言った。


「深手でございます。出血も多うございます」


 そしてホーラムル様に見えないように小さく首を横に振った。私の背中に戦慄が走り抜ける。


「しっかりしなさい! ホーラムル様! 帝国統一まであと少しではありませんか! こんなところで死んでいる場合ではありませんよ!」


 だが、ホーラムル様は直接は応えずに、穏やかなお顔で呟いた。


「あの弱虫クローヴェルが皇帝に、ね。思いもよらぬ事でした。私には見る目が無かったのですなぁ。あいつの虚弱を見下して随分と虐めてしまった……。それなのにあいつは一言も私を責めなかった……」


 ホーラムル様は意識が混濁し始めたのか、私がいるのとは微妙に異なる方向を見ながら言った。


「どうでしょう。皇妃様。この勝利で私は少しは贖罪出来ましたでしょうかね? 公爵にまでしてくれた恩を少しは返せましたでしょうか?」


 貴方ね! クローヴェル様がそのような事を考える方でないことくらい、もう分っているでしょう! あの方はお見合いのあの時から、ドンドン大きくなられて、もう昔は抱いていたであろう個人的な恨みだとか、望みだとか、そういう事を超越した方になられたのだから!


 だが、言葉が出ない。私に言えたのは悲鳴に似た一言だけだった。


「知りません! そんな事は自分で聞きなさい!」


 ホーラムル様はそれを聞いてニッと笑った。満足そうな、それでいて寂しそうな笑顔。それを見た瞬間、私の頭で何かが焼き切れた。私は両手を天に掲げた。


「貴方も祈りなさい! ホーラムル様!」


 全力で金色の力を放出する。死なせるものか! ここでホーラムル様を死なせるわけには行かない。戦に勝っても主将を失えば、帝国軍には痛手だし、クセイノン王国への恨みが残る。帝国中にクセイノン王国への処罰感情が沸き起こってしまうだろうし、実際に処罰しないと納得しないだろう。そんな事になればクセイノン王国は大きなダメージを受け、帝国への恨みが生ずる。それは何百年も残ってしまうだろう。帝国の負の遺産として。


 そして、ホーラムル様が亡くなったら、アルハイン公爵もコーデリア様も、エングウェイ様もグレイド様も、ムーラルト様も悲しまれるだろう。ホーラムル様の奥方にも三人いるお子にも顔向けが出来ない。そして誰よりクローヴェル様が悲しまれ、ご自分を責められるだろう。そんな事はさせない。絶対に。


「慈愛と博愛に満ちた医療と治癒の女神、キリルミーユよ! 我が力を受け、我が祈りに応えたまえ! 大女神と竜の子孫である帝国のために戦いし者の傷を癒し回復させ、彼らを再び大地に立たせたまえ!」


 私の身体から光の柱が立ち上がる。すると我知らずに流していた涙が金色の光に吸い込まれるのが分かった。どうやら血だけではなく、涙も金色の力を含むらしい。そのためか、金色の力の放出はいつもよりも激しく大きくなった。


 お願いします! キリルミーユ様! ホーラムル様を癒して下さい! 私が思わず天に向けて叫んだ瞬間、思いもよらぬ事が起こった。


 常であれば天に向かって吸い込まれた力が私に降ってきて、神の力が発現するのだが、今回は天と地を繋ぐ光の柱がそのままの状態になったのだ。驚く私の前で、光の柱は姿を変え始めた。だんだんと人型に。そう。女性、女神の姿に。あ、あのお姿は。


 医療の治癒の神、キリルミーユだった。右手に薬草を持ち、左手に瓶を持っている。長い髪をなびかせ、丈の長いふわっとした衣装を身に纏っていた。神殿や治療所で見たお姿そのままだ。ただし、その大きさは巨大である。神殿領の大女神像。あれとほぼ同じ大きさだ。


 そしてキリルミーユは地を見下ろし、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。やはり女神はこうあれかし、というような笑顔だった。いや、誰と比べてとは言わないわよ。


 地にある人々はそのお姿を呆然と見上げていた。この時、敵味方の兵士たちは戦いを忘れて、誰もが一度は祈ったことがあるキリルミーユ神を見上げてしまった。そして、思わず祈ったのだった。


 キリルミーユ神はそんな人間たちを見て笑みを深めると、左手に持った瓶の中に右手の薬草をスルっと差し込んだ。そしてやおら瓶の口を下げると、中に入っていたものを大地に撒く。液体のような七色のそれはドッと地面に振ってきて、地面に当たると膨大な光となって飛び散った。


 誰もが思わず目を閉じる。そして恐る恐る再び目を開けた時、キリルミーユ神は消え失せ、光の残滓がキラキラと辺りに漂っているだけだった。


 す、凄かった。凄かったけど。私は慌ててホーラムル様を見る。これでもダメだったら私にはもう打つ手がない。キリルミーユ神はあくまで医療と治癒の神だ。蘇生の神ではない。致命的な病気や怪我は直せないと聞いているし、本人に治す気が無ければ治癒出来ないのだ。


 しかして、ホーラムル様は……。眠っていた。死んでいない証拠に、胸の所が静かに上下していた。医師が慌てて診察をする。そしてホッとしたように頷いた。


 ……おおおおお。私は天を見上げキリルミーユ神に感謝の祈りを捧げると、涙を流しながらホーラムル様の上にばったりと倒れた。そして安堵と疲労のせいで限界を迎えて、ホーラムル様の胸にすがりつくような格好で意識を失ってしまった。こんな風にしているのを見られたら、また社交界で私とホーラムル様の関係が噂になってしまうわね。とか思いながら、私の意識は急速に闇に落ちた。


 この「関門の戦い」では帝国軍は大苦戦を強いられ、千名に迫る損害を出してしまった。だが、辛うじて竜の力を得た北部連合軍を撃ち破る事には成功し、特にクセイノン王国軍はそのほとんどが降伏した。これによりクセイノン王国は戦力を完全に喪失したのである。


 ちなみに、この戦いでは両軍共に死者は出たが、負傷者はほとんどいなかった。戦いの最後に顕現したキリルミーユ神を目撃した者たちが一心に祈ったせいで、ほとんどの負傷者が治療されてしまったからである。

 


 


 


 


 

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