五十二話 クセイノン王国征伐(前編)

 皇帝に即位されたクローヴェル様は、皇帝麾下の諸侯を集め、早速政務に取り組んだ。


 私は驚いたのだがクローヴェル様は驚くぐらい帝都の事情に詳しかった。クローヴェル様曰く、前回私を旧王都に置いて上京した時に、帝都の諸侯とは繋がりを作っていたし、頻繁に書簡もやり取りしていたそうだ。同時に独自の情報網でもって帝都の事情を調べてもいて、それで皇帝陛下になられると同時にスムーズに政治を始めることが出来たらしい。


 クローヴェル様は常に現状の一歩先、二歩先を見据えて行動なさる。本当に凄いわ! 私は感心しきりだったのだが、クローヴェル様は苦笑して仰った。


「言っておきますが、貴女の行動の先が読めた事は一度もありませんよ? リューはいつも私の予想想像を軽く飛び越えた事をしでかすのですから」


「あら、それは失礼を致しました」


「いいえ、どんどんやってください。私はリューが次に何をしてくれるのかが一番楽しみなのです」


 クローヴェル様の期待には応えなければならないでしょう! 私は予定通り、クセイノン王国征伐の準備をホーラムル様と始めた。この時点で既に、ホーラムル様はレイミード公爵の位を賜っている。公爵は帝国を探してもそれほどいないくらいの高位諸侯だ。このレイミード公爵家というのはかなり昔にあって断絶していた家で、それを復活させたのだ。


 ホーラムル様は父親と爵位が並んだ事にご機嫌だったわね。公爵になり、王族以外の諸侯よりも位が上になったため、帝国軍を指導し易くなった事にも喜んでいた。


 帝国軍は南部連合軍だけで三万七千。帝都の諸侯からも徴募してこれが一万。合計で四万七千だ。もちろん、これを全て征伐に動員出来る訳では無いが、クセイノン、クーラルガの両王国が国内の兵を根こそぎ動員してもせいぜい三万。クセイノン王国だけなら一万で、森の民への備えや王都防衛を考えれば、私達に向けられる軍勢はせいぜい五千。頑張っても七千というところだろう。


 私はホーラムル様とも相談して、まず一万の軍勢をクーラルガ王国と皇帝直轄領の境に差し向けた。牽制のためだ。フェルセルム様とて軍事圧力が目に見える形に表れていれば、自国を放置してクセイノン王国を救援するわけにはいくまい。私がクセイノン王国を狙っている事を察したとしても。


 その上で帝国軍三万を率いて、私はクセイノン王国に向けて帝都から進発した。私が掲げるのは水色の竜旗ではない。七色の地に金色の七つ首の竜が描かれた帝国の皇帝旗だ。ただ、本来はこの旗は、皇帝自らの出陣の時に掲げられる軍旗だ。私が掲げて良いものか? と思ったのだが、ホーラムル様もカイマーン陛下も誰もが「イリューテシア様に文句を言う奴はおりませんよ」と言うので持つことにした。


 クローヴェル様は帝都に残る。先帝陛下もいらっしゃる帝都を抑えて下さるのだ。正式にイブリア王国国王になっているエングウェイ様とフセイミン公爵になっているグレイド様も残る。この二人がクローヴェル様を助けてくれれば帝都は万全だと言えるだろう。


 私と共に出陣するのはホーラムル様と、オロックス王国国王カイマーン陛下。ザクセラン王国のザーカルト陛下だ。ロンバルラン王国のコルマドール陛下は国に戻ってクセイノン王国との国境を固め、場合によってはそちらから侵攻する予定である。


 帝宮の入り口の広場に集合する私たち帝国軍の首脳部に、皇帝陛下であるクローヴェル様は大女神アイバーリンの祝福を与えて下さった。


「この世界の母なる大女神アイバーリンよ。戦士たちに加護を与えたまえ。彼女らを護り、導き、勝利を与えたまえ」


 簡易な祝福だが、金色の力を持たないクローヴェル様は竜を呼ぶことが出来ないので、大仰な儀式を行っても仕方が無い。金色の力の持ち主が皇帝になった場合は帝国軍出陣の儀式で竜を呼んで竜の加護を与えるそうだけど、丸一日で効力が無くなってしまうのに力の無駄遣いよね。


 ちなみに、大女神アイバーリンを降臨させて力をお借りする事は、私にも出来ない。何度か試した事があるのだが、流石に大女神様だけあって必要な金色の力が桁違いに多いらしく、呼び出せないのだ。おそらくそのために、聖都の大神殿の大女神像や、帝都やガルダリン皇国皇都の大女神像ような、お力をお借り出来る像が造られたのだと思われる。


 儀式を終えたクローヴェル様は手甲で覆われた私の手を取り、心配そうなお顔で仰った。


「リュー。無理してはいけませんよ? 貴女は皇妃。本来戦うのは仕事では無いのですからね?」


 それに対して私は鼻息を荒くして答えた。


「いいえ。ヴェル。これからは皇妃も戦いに出るのが当然になります! 私が前例になるのですから!」


「それだと、レイニウスのお嫁さんのなり手が少なくなってしまいますよ」


 クローヴェル様は苦笑して、私の隣に立つホーラムル様を見上げて声を掛ける。


「ホーラムル兄。イリューテシアをよろしくお頼み申します」


 ホーラムル様は気合と緊張を露にした顔で、胸に拳を当てる騎士礼をしながら叫んだ。


「必ずお守り致します! 一命に代えましても!」


       ◇◇◇


 帝都を進発した帝国軍は皇帝直轄領を東へと向かった。クセイノン王国との国境までは急げば朝に出て夕方には着く。そこから王都までは更に一日といったところらしい。昼夜兼行で駆け付ければ王都まで丸一日。起伏が無い地域であるという事もあるが、これは近い。七日も掛かるイブリア王国とは大違いだ。


 帝都は古帝国の時代から東西交易の中継点だった。その頃は帝都から今の神殿領の聖都の所にあった古帝都へと交易ルートは向かっていたわけだが、古帝国が滅び、古帝都が衰えると、帝都は東の大国から届く商品の荷下ろし場となる。帝都からは交易商のキャラバンではなく、帝国の商人が荷物を買い取り、陸路か海路で更に西の国へと販売して行くのである。


 帝都はそもそもが交易拠点であり、そこに本拠を置く帝国は元々が交易によって成り立つ国だったと言える。森の民の土地を抜けてやってくるキャラバンを迎え入れるクセイノン王国と海路を抑えるクーラルガ王国が帝国創設に深く関わっていた事は疑い無い。なので両国とも帝都にほど近い位置に所領を持ち、密接な関わりを持ってきたのだ。


 クセイノン王国と皇帝直轄領の境には警戒設備すら無かった。こちらの方向から侵攻されるなどあり得ない、という考え方がはっきりと分かる。皇帝とクセイノン王国は一体であるという考えだったのだろう。まさか皇帝と対立することになるとは歴代国王は考えてもいなかったに違いない。


 しかし私が率いる「帝国軍」は七色の竜旗を翻して国境を越えた。国境を越えてすぐのところで野営して、翌日、クセイノン王国の王都に向けて進軍を続けた。夕方には王都に着いてしまうが、当然、相手方はそれを阻止しようとするはずだ。


 敵が軍を置く地点は分かっていた。帝都とクセイノン王国王都を繋ぐ街道はほとんど何もない平地を進むのだが、唯一一箇所だけ低い山の隙間を通るのだ。そこが王都へ向けての関門になっていて、砦が築かれている。


 少数であるクセイノン王国軍が多数である帝国軍に対するには地形の利を利用するしか無いだろう。事前の予想では、敵は山上を占位して帝国軍を待ち受けているだろうと予測された。


 街道を挟む山に陣を張り、街道を通る帝国軍を挟み撃ちにする。王都防衛のための設備が整えられているらしく、大型の仕掛け弓や投石機まで備え付けてあるらしい。その他にも罠があるかもしれない。


 しかしながら。帝国軍の戦力は圧倒的だ。力付くで押し通り、包囲して山上に攻め上がっても良いし、被害を出したくなければ遠巻きに包囲して補給を絶っても良い。十重二十重に包囲して圧力を加えれば、降伏させる事も出来るだろうというのがホーラムル様達、軍事の専門家の見立てだった。


 専門家が太鼓判を押したのだから、信頼して大丈夫だろう。私は進撃を命じた。


 ところが、その低い山に挟まれた関門の手前にはクセイノン王国軍はいなかった。なんで? 私もホーラムル様も驚いた。不審に思って斥候を出してみると、クセイノン王国軍は関門の向こうの平原に陣取っている事が分かった。


 なんだろう? 何度も言うようだがクセイノン王国軍は帝国軍よりも少数である。少数で多数に対するには要害に拠るしかない筈だ。それを、関門の向こうに陣取る理由が分からない。


「うーむ。我々が通過したら関門を閉じ、後退を妨害し、その上で包囲するつもりだと考えられますな」


 ホーラムル様は顎を撫でながら仰った。なるほど。あり得なくはない。だが、敵の兵力は多く見積もっても七千程度。こちらは三万。包囲殲滅を試みるには戦力差があり過ぎると思う。


「いえ、皇妃様。軍隊というのは退路を断たれると途端に浮き足立ちます。少数で大軍に勝つには、相手を動揺させ、浮き足立たせ、その上で打撃を与えて壊走させなければなりません」


 そういえば、帝都防衛線でガルダリン皇国軍と戦った時も、最終的には私(戦女神様)の後方からの奇襲で動揺した敵軍が壊走したのが勝因だったわね。軍隊は大軍になればなるほど臆病になり、動揺に弱いのだそうだ。


「これを防ぐには、全軍に前を向かせる事です。前方に攻撃することに集中していれば、後方遮断が全軍を動揺させることはありません」


 なので関門を通過したら即座に前進して敵軍に突入する。敵に包囲される前に敵の陣列を突破すれば問題無い。ホーラムル様は力強く請け負って下さった。頼りになるお義兄様にお任せしておけば大丈夫そうね。


 私は頷いて全軍に前進して関門を通過するように命じた。


 帝国軍三万は隊列を長くして山の間にある関門を通過する。関門の城壁には少数の敵兵が見える。先にこれを陥落させて占領しておこうか? とチラッと思ったのだが、ホーラムル様が攻城に取り掛かった所を襲われて損害を出してもつまらないからと反対したので、放置することになった。


 私とホーラムル様は隊列の前の方に、ザーカルト陛下とカイマーン陛下は後方にいた。関門を通過と同時に軍を二つに分け、クセイノン王国軍を挟み撃ちにするのだ。


 そして帝国軍が関門を半分通過した、その時だった。


 突然、空が真っ黒な雲で覆われた。ギョッとする私達の前、今や目視出来る位置に展開するクセイノン王国軍から金色の光が立ち昇っていた。あ、あれは!


 見覚えがあり過ぎる光景に私は咄嗟に反応出来ない。そして光が黒雲に吸い込まれると、そこに巨大な神獣。光の渦にも似た竜が姿を現したのだった。


 な、なんで? どうして竜が⁉︎


 私の動揺をよそに竜は優雅に空を泳ぎ回ると、地上に、クセイノン王国軍に向けて一気に落下した。そして光が炸裂する。


 思わず目を閉じる、そして目を開けたその時には、空は青空に戻っていた。聞こえるのは興奮の叫び声。喚声、怒声、あるいは勝鬨だ。


 何が起こったのかは明白だった。しかし私には信じられない。


「皇妃様!」


 ホーラムル様の声に我に返る。私は慌てて手綱を握り直した。危ない危ない。帝国軍の馬は竜の光に驚き興奮状態だ。私の馬は金色の光には慣れているけど、他の馬の興奮に煽られている。


 私は深呼吸して心を落ち着けようと試みた。大丈夫大丈夫。落ち着きなさいイリューテシア。全く予想していなかった訳じゃ無いんだから。


 金色の竜は金色の力の持ち主にしか呼び出せない。現在、この世界で私が知っている力の持ち主は四人。私、ヴェーセルグ、エメイラ猊下、そしてフェルセルム様だ。


 ヴェーセルグとエメイラ猊下がここにいるはずがない。いや、ヴェーセルグが私を裏切ってここにいる可能性は無くは無いが、あの男が先祖の因縁があるクセイノン王国に味方する事はまずあり得ないと思う。


 ならばあの竜を呼んだのはフェルセルム様でしかあり得ない。私がクーラルガ王国国境に軍を向かわせたのはブラフだと見切って、ここに駆け付けたに違いない。


 そういう事もあるだろうとは思っていたが、実際にやられると驚くと共に感嘆してしまう。あの人の思い切りの良さは知っているつもりだったけれど、その決断力の見事さは流石と言うしかない。


 もしもクーラルガ王国軍がここに来ているとすれば、敵軍は前方のアレだけではあるまい・・・・・・。あ・・・・・・!


「皇妃様! 公爵! 後方に敵が現れたとの報告が!」


 そう。クーラルガ王国軍はおそらく、山の中に隠れていて、このタイミングで山を降りて後方に回り込んだのだろう。帝国軍は関門を通過途中で分断された状態だ。両軍合わせてもおそらく、せいぜい一万強の軍勢だとはいえ、帝国軍は分断され、退路を断たれた状態だ。


 しかも、前方の軍は竜の力を得ている。七千とはいえ、ただの七千人ではない。竜の力があれば、倍の敵をも圧倒出来る事は何度も証明済みだ。これは、マズイ。これを打開するには・・・・・・。


「皇妃様! こちらにも金色の竜の力を!」


 ホーラムル様が叫んだ。そう。金色の竜の力に対抗するには、こちらも竜の力を使う必要があるだろう。幸い、別れて潜んでいたクーラルガ王国軍にはおそらく、竜の力は及んでいない。こちらは一つの隊列を組んでいるから、帝国軍全軍に竜の力を授けられるだろう。


 私は頷き、両手を天に掲げよう・・・・・・、として躊躇した。何かが引っ掛かる。


「皇妃様?」


 ホーラムル様が戸惑ったような声を出した。しかし私は動けない。なんだろう。何が気になるのか・・・・・・。


「力は、使えません」


「皇妃様?」


 ホーラムル様が驚愕する。私は頭をフル回転させて、私が感じた違和感を言語化しようとする。うーん、私、直感で動く事が多くて、自分の考えを言葉にするの苦手なのよね。


「えーっと、そう。フェルセルム様はなぜこれ見よがしに竜を呼んで見せたのでしょう?」


「は? そ、それは必要だったからでしょう。帝国軍の方が多数です。少数で多数に勝つには竜の御力が必要だと思ったのでしょう」


「そう、そうですね。でも、私がいれば、私が竜の力を使う事も予想出来る筈ですよね。私が竜を呼べば力は互角になります。そうなれば数が多い帝国軍が勝つに決まっていますよね。竜を呼ぶ意味が無くなります」


「な、なるほど」


 ホーラムル様は納得したようだった。そう、竜の力をお互いに使用すれば、竜の力を得たアドバンテージは消滅してしまう。だから、竜を呼ぶ場合の絶対条件の一つは、敵方に金色の力の持ち主がいない事なのだ。


 なのに、フェルセルム様は堂々と竜を呼んでみせた。さぁ、貴女も竜を呼びなさい、と言わんばかりだ。


 つまり、フェルセルム様が竜を呼んだ狙いは、私にも竜を呼ばせる事なのだろう。おそらく、私が竜を呼んだ場合の対処法が何かあるのだと思われる。


 敵軍に包囲された状態で、絶対的な信頼のある竜の力を何らかの方法で破られたとしよう。全軍に与えられる動揺は計り知れない。おそらくそれが狙いなのだ。大軍を寡兵で撃ち破るには大軍を動揺させるべし。


 方法はいくつか考え付く。私だってフェルセルム様と最終決戦に臨むにあたって色々考えたのだ。しかしながら先手を打たれたこの場合、対抗手段は非常に限定されてしまう。


「おそらく、私が竜を呼んだらフェルセルム様は自らを竜に変じるつもりです」


「帝都の戦いでフェルセルム様がやったあれですか?」


 私は頷く。


「そうです。それに対抗するには、私も竜に変じるしかありません」


 だが、それをやると、私は丸々一か月は動けなくなってしまう。それにもっと問題なのは……。


「でも、私は竜に変じた後、自分の意識をしっかり持つ自信がありません」


 竜に精神を乗っ取られ、怒りに任せて敵味方関係無く虐殺を始めてしまうかもしれない。帝都防衛戦でフェルセルム様はそのような事をなさらなかったそうだから、私よりも竜の感情をコントロールするのが上手なのだろう。


 つまり、フェルセルム様の狙いは、私に対抗上止むを得ず竜に変じさせ、暴走を誘う事なのだ。そんな事になったらたとえこの戦いに勝利しても、征伐は失敗だ。敵を虐殺などしたらクセイノン王国には私への、帝国への深い恨みが残り、クローヴェル様の治世に大きな支障を生ずるだろう。


 私が金色の力を使い切った状態で、フェルセルム様に竜に変じられてはもう打つ手が一つしか無くなってしまう。故に私は金色の力をここで使う訳にはいかないのだ。


「……ホーラムル様。竜の力無しに勝つことは出来ませんか?」


 私は思わずホーラムル様にすがるように言ってしまった。この状況を打開する事は私には出来ない。どうにもならない。この義兄に頼るしかないのだ。


 お見合いの時の因縁が思い浮かぶ。私と結婚する気満々だったこの人を思い切り振って、私はクローヴェル様を選んだのだ。しかし、ホーラムル様はそれを不満に思い、クローヴェル様を監禁して婚約を破棄させようとした。私は激怒して駆けつけて、ホーラムル様を𠮟りつけてクローヴェル様を取り戻したのだ。


 イカナの戦いで初めて金色の力を使った時はホーラムル様は大喜びして私に感謝してくれたっけね。イブリア王国が王都移転した時も大歓迎してくれた。それ以来、この人は私に非常に忠実に仕えてくれた。たまに奥様に「主人は私への愛よりも妃殿下への崇拝の方が大きいのですから」と嘆かれるくらいに。


 だが、私は彼にやっぱりちょっと隔意があったのだ。お見合いの時に感じた悪い印象が抜けきれなかったのだと思う。だから私はホーラムル様に仕事を任せつつ、頼りにし過ぎる事は避けていた。アルハイン公爵子息の内、クローヴェル様は別格として、エングウェイ様グレイド様よりも少し下の信頼度を彼には与えていたと思う。


 だが、事がこの期に及んでは、もう彼に頼るしかない。どうしても信頼し切れなかった彼に全面的に自分の運命を委ねる事は怖い事だった。それに婿攫い以来、私は彼には上からの目線で対してきた。対等な姿勢で対すると、またお見合いの時のように図に乗るのでは? と思っていたのだろう。だが、ここでは少なとも彼と同じ目線で、対等の関係で彼に頼まなければならない。それも私に恐怖に近い感情を覚えさせた。


 しかしホーラムル様は少し驚いた様子を見せた後、破顔した。彼らしい豪快な笑顔だった。


「皇妃様、帝国の戦女神のお頼みとあらば、このホーラムル。何とかして見せましょう! 安んじてお任せあれ!」


 そしてホーラムル様は部下に命じた。


「よし! 騎兵は集合せよ! 密集して敵の前進を止めるぞ! 歩兵は左右を固めよ!」


 次に伝令を呼び寄せて言う。


「後方のザーカルト様やカイマーン陛下に連絡せよ。そちらは後方に現れた軍勢に集中すべしと!」


 それから周囲の者たちに檄を飛ばす。」


「我が軍の方が数は圧倒しておる! 帝都の戦いでガルダリン皇国軍に苦戦した事は覚えておるな? 今度はこちらがあれをやれば良いのだ!」


 ガルダリン皇国の戦術はこちらの突進を受け止めて、かつ戦力を次々入れ替える事でこちらの疲弊を待つといったものだった。確かにあの時は私とフェルセルム様の二人の竜の力を得た帝国軍も苦戦したのだ。


「迂闊に後退するなよ! 後方の敵の砦から攻撃される。前進して敵を押し包んで圧殺しろ!」


 周囲の者たちが一斉に「オウ!」と応える。流石にもう長らくイブリア王国軍とスランテル王国軍を指揮して、勝利を得続けているホーラムル様だ。兵たちの信頼は抜群なのだ。


「皇妃様にはトーマの者を率いて戦場を駆けてもらい、兵たちの士気を上げて頂きたい」


「士気を?」


 ホーラムル様はニヤッと笑った。


「戦女神様の鼓舞ほど兵たちの士気を上げるものがまたとありましょうか」


 それなら竜旗に込めてある金色の力を使って、また戦女神様をお呼びすれば……。私は一瞬そう考えたのだが、私は首を振って自分でその考えを振り払った。ダメだ。この旗に込めてある力は私の切り札の一つ。フェルセルム様の手札が出切ったと確信できるまでは切ることが出来ない。


 私の馬にはブケファラン神を宿らせて眠って頂いている。こちらの方はそれほど長くない時間だが飛べるだろう。こちらを使おう。


「分かりました! 飛び回って兵たちを鼓舞すれば良いのですね?」


「くれぐれも戦ってはなりませんよ? 御身にもしもの事があれば私が皇帝陛下に殺されます」


 ホーラムル様は冗談めかして言うと、振り返り、部下に細かい指示を出し始めた。背中から強烈な気合が発せられていて、迂闊に声を掛けられない雰囲気だ。話は終わりという事なのだろう。私はだが、ぐっと歯を食いしばってその背中に向けて叫んだ。


「貴方も! 死んではなりませんよ! 貴方が死んでもクローヴェル様は悲しむんですからね!」


 返事は無い。私も馬を返してトーマの軽騎兵の所に向けて駆けさせた。



 クセイノン王国軍は密集陣形で一気に前進し、帝国軍に襲い掛かって来た。竜の力を得ているので物凄い速度だった。


 これに対して帝国軍は一歩も引かなかった。騎兵を密集させ、槍をしっかりと抱え、正面から受け止める。これは迂闊に後退してしまうと、後方に敵の砦がありそこからの攻撃を受ける可能性がある事と、後方の部隊を後ろから圧迫して後方での戦いの邪魔をしてしまう可能性があるからだ。ホーラムル様は騎兵を率いて最前線で敵に対処した。


 流石にクセイノン王国軍の攻撃はすさまじく、方々で帝国軍の陣列が崩壊する。しかし、ホーラムル様の率いるイブリア王国の中核部隊は良く持ちこたえ、崩壊した陣列はすぐに後方に控える部隊によって修復された。そして騎兵が受け止めている隙に歩兵部隊が左右を進んでクセイノン王国軍を包囲してクセイノン王国軍の動きを封じる。


 ホーラムル様はガルダリン皇国が帝都防衛戦で使った戦術を良く分析していたようだ。竜の力を得た軍隊は圧倒的な攻撃力を誇るが、別に人数が変わるわけでは無い。手が三本や四本になる訳でもない。一対一では圧倒されるが、二人三人で対抗すればどんなに強くても対応出来なくなる。複数の方向から攻撃すればなお良い。


 そしてホーラムル様はどうやら竜の力を得た軍隊の欠点にも気が付いているようだ。竜の力を得ると、力が沸き上がり、戦意が上がり恐れを知らなくなる。そのため、攻撃をする事に気を取られて防御が疎かになる傾向があるのだ。そのため、ホーラムル様は敵に攻撃を誘い、受け止めた隙に歩兵で側面から攻撃させている。よし、それなら!


 私は私の馬に手を当てて祝詞を唱えた。

 

「大草原の守護者にして馬を総べる神であるブケファランよ! 目覚めたまえ、その御力を我が馬に貸し与えたまえ!」


 私の馬が燃えあがり、草原の神ブケファランが姿を現す。私の後ろに続くトーマの軽騎兵たちが彼らの神の姿に歓声を上げる。私はブケファラン神を飛ばさず、地を駆けさせた。その方が力の消費が少なく、長く顕現していただくことが出来る。


 私は竜旗を翻しながら叫んで帝国軍を鼓舞する。


「大女神アイバーリンのご加護は帝国軍の皆にあります! 戦いなさい!」


 ゴウと空気が唸るような歓声が沸き起こる。うん、竜の力を得た敵を前にしても戦意は落ちていない。私は戦場の真っ只中を掛けながら方々で兵たちを鼓舞し続ける。そして敵の様子を伺う。


 刀槍の煌めきとぶつかる音が聞こえるほどの前線に出る。怒声や喊声や時には断末魔の叫びさえ聞こえるが、怖くは無い。何度も戦場に出たから慣れたのだろうか? いや、そうではない。おそらく興奮で麻痺しているのだ。竜の力を得なくても、人は興奮すれば色々な事に鈍感になってしまうのだろう。


 目立つ私に向けて矢が飛んでくる。護衛の騎士が慌てて私を止める。


「皇妃様! お下がりください!」


 私は言われた通りに下がりながらも、敵が私を見つけて一斉に襲い掛かって来る様子を見ていた。やはり目標に向けて損害をも度外視して遮二無二突っ込んでくるようだ。


 私は率いているトーマの騎兵に向けて叫んだ。


「私が囮になります!」


「な、なんですと?」


 これはトーマの者では無く、私の護衛をしてくれている諸侯の声だ。騎士で軍の指揮官の一人である。私は彼に向けて続けて怒鳴った。


「私が飛んで注目を集めれば、敵軍は私目掛けて突っ込んで来ようとするでしょう。そこを側面から攻撃しなさい! トーマの軽騎兵、と他の部隊を使って!」


「き、危険でございます皇妃様!」


「危険は承知です! 敵の攻撃を逸らさなくては、正面を受け持っているホーラムル様が危険です!」


 敵の攻撃を分散させ、それをそれぞれ数の力で側面から押し包むのだ。私はブケファラン神を促して空へと舞い上がった。そして低い高度のまま最前線に進み出た。敵も味方も目を丸くしている。私は七色の竜旗を大きく振って叫んだ。


「私はイリューテシア! 帝国の皇妃イリューテシアである! クセイノン王国の戦士たちに告げる! 今すぐ戦いを止め、我がもとに跪きなさい!」


 同時にブケファラン神がこの世のものとも思えないような地響きにも似た嘶きを放った。クセイノン王国軍が大きく動揺するのが見えた。


 しかし、クセイノン王国軍の指揮官が叫んだ。


「見よ! あの異形の神に乗る姿を! あれが何で聖女であるものかよ! 我が国はあのような者が皇妃であるとは認めぬ! 討ち取れい!」


 むう。不勉強な奴め。確かにブケファラン神は草原の神だけど、元はと言えば古帝国の伝説的な皇帝の愛馬で、それが神になったのだから、大女神アイバーリンに繋がる立派な神の一柱なのだ。


 しかし、その指揮官の叫びはクセイノン王国軍にとって説得力のある意見であったようだ。彼らは気を取り直して私に向けて突撃してきた。帝国軍も負けじとそれを受け止める。何しろ私は目立つので、それまで頑強に抵抗しているホーラムル様の率いたイブリア王国騎兵を目指していた部隊も、私の方へ向かって来ようとしている。よしよし。狙い通りね。


 かなり私に向けて注目が集まった段階で、トーマの軽騎兵が敵の後方に回り込んだ。数は一千。それが一斉に走りながら矢を放つ。


 私を目指して前に集中していた所に後方から矢の雨が降ったのだ。痛撃となった。そして更に帝国軍の歩兵が側面から突っ込む。竜の力を得ているためか、それでも攻撃は止まないが、突進力は鈍ったようだ。私はブケファラン神のお力で飛び回り、敵の動きを翻弄し、その隙に帝国軍に攻撃を仕掛けさせる。


 開戦から数時間が経過した。太陽は中天を過ぎている。帝国軍は良く戦っていた。よし、こちらの損害も大きいが、敵の動きはだんだんと封じられているし、これなら勝てそうじゃない? と私がちょっとホッとし始めた、その時だった。敵の後方にから一部隊が離れた。上空にいた私には見えたが、他の者たちは気が付かないようだ。私は周囲の者たちに警戒を呼び掛けようとした。


 と、その部隊の中に黄色の旗を翻す騎馬の者が見えた。黄色? 黄色はクーラルガ王国の色だ。という事は、あれはもしかしてフェルセルム様では?


 私が気が付いたその瞬間、フェルセルム様が持つ黄色の竜旗より金色の光が天に立ち上った。あ! しまった。私が竜旗に力を込めているなら、フェルセルム様も同じことをしていると考えるべきだった。竜旗は全力で力を込めても、発揮した力を及ぼせる範囲は一人だけだし、神様の知識が無ければ竜の力を自らに込めるくらいの役にしか立たない。しかし私がやって見せたように戦女神様を降臨させる事も出来るのだから、使いようによっては重大な切り札になり得るのだ。


 ただ、竜旗を使って我が身を竜に変じさせる事は出来ない。あの技はどうやら自らの血と引き替えにしなければ出来ないようなので、フェルセルム様が竜に変じる事は無かろう。であれば何をするつもりか。自分が竜の力を得てもあまり意味は無い。戦女神様が男性の身に降臨するとは思えない(あの御気性ではね)。動物神も降ろせないだろう。


 天より光が降り注いでおそらくはフェルセルム様を直撃した。神がご降臨なさったのだと思われる。何だろう。何の神が降りて来られたのだろう? これほど遠くではよく分からないわね。


 と、その時、ブケファラン神がビクッと身体を震わせた。そして私の意思を無視して馬体を翻すと、空を蹴って光が落ちた方向。つまりフェルセルム様の方へ行こうとした。私は鬣を引いて慌てて止める。


「待って! どうしたの?」


 ブケファラン神は一応は止まってくれたが、そわそわと前脚で空を搔いている。どうしてもあっちに行きたそうだ。なんだろう。ブケファラン神が、特に私の馬に宿った時に私の意図に逆らうなんてこれまでに無かった事だ。しかしどうもブケファラン神は不機嫌そうではない。随分と嬉しそうなのだ。


 ……嬉しそう? あああ! それで私にはフェルセルム様がどの神をその身に宿らせたのかが分かった。


「「我が愛馬、ブケファランよ! なぜにそのような者を背に乗せておるのか! こちらに来よ! 久しぶりに共に戦場を駆け巡ろうぞ!」」


 人間にはあり得ない大音声。いや、声では無いのだろうね。空間に響き渡り、魂に直接呼び掛けられるようなお声。その声に応じてブケファラン神は大きく嘶き、私を無視してその神へと駆け寄ろうとする。


 が、しかし、そこで時間切れになった。私の馬から炎が薄れ、地面に降り立つと同時にブケファラン神は天に帰られた。ブケファラン神様、きっとがっかりされているわね。どれくらいかぶりの再会なのかは知らないけど、自分の認めた本当の主人との再会が出来なかったのだから。


 そう。ブケファラン神が現世におられた時の主人。死後にブケファラン神と共に神に上げられたという、古帝国の伝説的な皇帝。人と神の世界が現在でもよほど近かった古帝国の時代とは言え、神に上げられた皇帝はそれほどいない。まして愛馬まで神になったのだからその功績や能力への評価は物凄いものだったのだろう。


 「大帝」アーメンジウス。神になり、大女神アイバーリンの右に侍る者となったという神のご降臨だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る