五十一話 皇帝即位

 開け放たれた帝都の南門から続々とイブリア王国の誇る騎兵隊が入城してくる。銀色の鎧を輝かせ、各々が水色のイブリア王国の竜旗を掲げていた。


 トーマの民の軽騎兵もいる。帝都の市民は驚いているだろうね。しかし、トーマの者たちもお行儀良く隊列を組み、水色の竜の旗を持っている。これを見れば帝都の民衆も、今や長年恐れられていた東方の遊牧民が、イブリア王国の麾下に入ったのだと分かっただろう。実は森の民の弓兵もいた筈だけど、目立たなくて分からなかったかもね。


 何しろ、三万七千の軍勢だ。かつてガルダリン皇国と大会戦を行った時でも五万くらいの軍勢だった事を考えれば、帝国史上稀に見る程の大軍勢が帝都に入城してきた事になる。


 さぞかし壮観だっただろうね。私も上空からででも見てみたかったわ。私はこの時帝宮でクローヴェル様をお待ちしていたから、実は実際には見ていないのだ。だから先ほどの光景は後で人に聞いた事を元にした想像である。


 もちろんだが、この軍勢を全て帝都城壁内に泊め置いたら社会不和の元になりかねないから、クローヴェル様の入城式が終わったらほとんどの軍勢には城外に出て郊外の街に泊まってもらう予定だ、一度クローヴェル様が大軍勢を率いて入城するというのが大事なのである。


 軍勢の先頭には七人の男性が煌びやかな鎧に身を固めて馬上にいる。


 まず、スランテル王国国王ハナバル陛下。オロックス王国カイマーン陛下。ザクセラン王国国王ザーカルト陛下。ロンバルラン王国国王コルマドール陛下。


 そしてイブリア王国次期国王エングウェイ様とイブリア王国軍総司令官ホーラムル様。


 その錚々たる面々を率い、先頭で白馬に乗って堂々と進むのが、イブリア王国国王にして南部同盟の盟主。クローヴェル陛下だ。銀色に輝く鎧に身を固め、いつも通りの柔和な笑みを浮かべて沿道の観衆に手を振っている。


 帝都の人々は、最初は大軍勢が入城してきた事に驚き、大騒ぎになり掛かったのだが、先頭に立って入城してきたクローヴェル様が優しく微笑んでいるのを見て、すぐに騒ぎは落ち着いたとの事だ。


 ちなみに、クローヴェル様には女性から黄色い歓声が上がっていたとの事で、妻としては誇らしいやら面白く無いやらで複雑な気分だが、クローヴェル様がその威圧感のない容姿のおかげで帝都の市民に好意的に受け入れられたのなら良かったのは良かった。


 軍勢が通過する街路は計画通りしっかり警備兵が立ち、混乱は即座に解決したそうだし、南部同盟軍も厳しく軍律の厳守を申し渡した甲斐があって、軍隊が起こしがちな乱暴狼藉のような問題は起こらなかったようだ。トーマの者たちも、今回入城させたのはもう何年かイブリア王都に留学して帝国の常識が身に付いた若者だったから、問題は起こさなかったみたいね。


 南部同盟の大軍勢は帝都の大通りを行進し、貴族街を抜けて帝宮へと向かった。


 私は帝宮正門前の広場で待っていた。力一杯着飾って。オレンジ色のかなり派手なドレス。フリフリのレースや刺繍で飾られ、宝飾品も着けられるだけ着けている。


 本当は私も鎧姿でお出迎えしようと考えていたのだが、フレランス様メリーアン様を始め、女性たちに総出で却下を食らったのだ。


「帝宮にお入りになるクローヴェル陛下をお出迎えになるなんて、一世一代の晴れ舞台ではありませんか! 絵画に描いて帝宮の大広間に飾るべきシーンでしょう! 生半可なおしゃれでは許されませんよ!」


 と帝都女性社交界のファッションをリードするお二人が総力を上げて私をデコった結果がこの衣装だった。なんでも屋外なのだから、これくらいでなければ目立たないだろうとの事。


 目立つ必要は無いでしょうに、と思うと共に、確かに私とクローヴェル様の長年の夢が叶う瞬間なのだから、私だっておめかししたい気分が少しはあったので。結局は二人の言う通りに派手派手しいドレスで身支度をしたのだった。


 護衛と侍女に囲まれて待っていると、遠くから歓声が聞こえてきた。広場にも大勢の観衆、ここに来られるのだから貴族達が、ソワソワとし出す。私も自然と心が浮き立ってきた。


 やがて、歓声に包まれて騎馬隊が姿を表す。南部同盟各国の竜旗、諸侯の紋章の旗に包まれた中を、クローヴェル様が王や諸侯、兵達を率いてやってくる。あああ、凄い。


 この光景を何度夢見た事だろう。どれほど望んだ事だろうか。本当はその時は私もクローヴェル様の隣で馬に乗って手を振っているつもりだったんだけど、こうして彼を美しく着飾って迎えるというのも悪くはない。


 遂にクローヴェル様は帝宮の正門の前に馬を停めた。馬上から優しい紺碧色の瞳が私を見下ろしている。私は感動のあまりうまく笑えない有様で、うっかりすると泣いてしまいそうで、何も言えずに唇を震わせながらただ右手を私の大切な夫に向けて伸ばした。


 クローヴェル様は私の手を取る。手甲をしたままだから冷たい、しかし、かがみ込んで私の手に口付けた唇は熱かった。あ、これは少し熱があるんだわ。私は悟ったわね。


 おそらく、帝都の門前で馬車から馬に乗り換えたのだろうが、そこからここまで来るまでには大観衆に応えながらの行進なので三時間くらい掛かっている筈だ。その間、堂々とした姿勢で馬に乗りっぱなしなんて、この人にはちょっと無理だったのである。


 おそらく、入宮したらしばらく寝て療養する必要があるだろうね。でも、クローヴェル様はそうなってしまう事が分かっていながら、ここで帝都市民や貴族達に見せつける事の重要性が分かっていたから、こうして頑張って下さったのだ。


「頑張りましたね、ヴェル」


「貴女ほどではありませんよ。リュー」


 クローヴェル様の頬が赤い。私はそれを見ながら微笑む。見つめ合う私の周囲で歓声が沸き起こる。カイマーン陛下が大音声で叫んだ。


「皇帝クローヴェル万歳!」


 続けてホーラムル様、その他の方々が口々に声を上げる。


「皇妃イリューテシア万歳!」


「帝国に栄光あれ!」


 ・・・・・・こうして、クローヴェル様は遂に帝都に入城し、帝宮に入られた。これ以降、クローヴェル様は帝都の外に出る事無くこの街で生涯を過ごされる事になる。



 予定通りクローヴェル様は二日寝込み、皇帝陛下との面会はその後になった。


 この時、皇妃様は誰とも連絡が取れないようにイブリア王国軍の監視付きで幽閉中だ。いくら慈悲深い私でも厳重に幽閉を命じざるを得ない。フェルセルム様と連絡を取り合われでもして帝都で蠢動されては事だ。侍女も全員、イブリア王国の侍女と入れ替えたのだ。知らない侍女に囲まれたら気が休まらないとは思うがやむを得ない。


 皇帝陛下はサロンで私たちを出迎えた。


「調子はすっかり宜しいのかな? クローヴェル陛下」


 クローヴェル様は微笑んで応える。


「ええ。すっかり良くなりました」


 三人とも席に着く。お茶もお菓子も出ない。私に対する暗殺騒ぎがあったので、皇帝陛下は万が一の疑念をも廃しようとして下さっているのだろう。


 クローヴェル様は皇帝陛下と私に、上洛の経緯を話してくれた。クローヴェル様はイブリア王国を出るとまずスランテル王国に入った。この時、予定を変えてエングウェイ様が同行したのは、彼が次のイブリア王国国王だと帝国中に周知する為だったそうだ。本国にはお義父様がいるから後顧の不安は無い。


 スランテル王国のハナバル陛下は既に帝都にいらっしゃったからお会い出来なかったそうだが、もうスランテル王国の軍権はホーラムル様に殆ど移譲されているから問題無く兵は動員出来る。イブリア王国とスランテル王国の兵でまず二万の軍勢が編成された。


 クローヴェル様は使者を出し、ザクセラン王国とオロックス王国にそれぞれ五千の軍勢を出すように命じた。軍勢を寄越せば良く、ザーカルト様とカイマーン陛下に来いとは言わなかったそうだ。


 しかし、実際には両国王とも各々七千の兵を率いてクローヴェル様の下に馳せ参じたらしい。「新たな皇帝の帝都入城に立ち会いたい」と主張したのだそうだ。ガルダリン皇国と条約が結ばれて、突発的な侵攻を心配しなくて良くなったという事情もあるのだろう。


 予定より多い三万四千の兵を率いて進軍することになったわけだが、道中の諸侯が協力を申し出てくれて、補給に苦しむ事は無かったそうだ。


 皇帝直轄領に入る直前にロンバルラン王国のコルマドール陛下が三千の兵を率いて合流する。兵の数が少ないのは、ついこの間まで北部連合に属していて、南部の国々に警戒されているからである。しかしクローヴェル様は喜んでコルマドール陛下を、抱擁して迎えたそうだ。


 何しろ自分の虚弱が分かっているクローヴェル様はゆっくりと進軍し、その間に国王達や諸侯と交流を持った。クローヴェル様のお人柄は、この間まで敵であったコルマドール陛下をも魅了して、すっかり関係が良くなられたという。


 そして事前に皇帝陛下から通過の許可が出ていた皇帝直轄領を何の問題も無く抜けて、クローヴェル様は帝都に入られたのだった。


 クローヴェル様のお話を聞いて、皇帝陛下は苦笑なさった。


「カイマーン陛下もコルマドール陛下もなかなか我の強い性格で、ご意見の調整には苦労したものなのだが。クローヴェル陛下に掛かれば形無しだな」


「イリューテシアが最初に彼らを屈服させてくれたからですよ。力で抑え込んだ後に慈悲を掛けるのは人心掌握の基本でしょう」


「ふむ。皇妃が恐怖を与え、皇帝が慈悲を掛けるのか。普通は逆だと思うのだがな」


 なんですか。恐怖を与えるって。別に私は皆様に恐怖なぞ与えておりませんよ。と私はむくれたのだが、クローヴェル様も皇帝陛下も笑うだけで同意してくれなかった。


 皇帝陛下はクローヴェル様に皇帝位を譲ると改めて明言なさり、そしてやはり、クローヴェル様にもフェルセルム様との和解を求めた。クローヴェル様は簡単に頷いて了承なさった。


「もちろん、私も帝国のこれ以上の混乱など望んではおりません。しかし、和解は一方的にするものではありませんでしょう。フェルセルム様やエルミージュ陛下にその気がなければ、和解は出来ません」


「それは私が仲介しよう。フェルセルムもエルミージュ陛下も、情勢がこうも不利になり、クローヴェル陛下が皇帝になれば、二人もクローヴェル陛下に従うしかあるまい」


 皇帝陛下のご意見を聞いて、クローヴェル様はニッコリ笑ってなかなか辛辣な事を言った。


「陛下はお甘いですね」


 皇帝陛下は驚いたようだったが、クローヴェル様は微笑みを崩さず仰った。


「彼らにも矜持がありましょう。戦ってもいないのに負けを認める事はありませんよ」


「では、やはり攻め滅ぼすと言うのか?」


「いえ。クーラルガ、クセイノンの両王国は帝国の経済を支える大国です。衰亡させたりすれば帝国は自分の脚を削る事になります」


 クローヴェル様はそう仰って、なぜかここで私の方を見た。


「彼らにも恐怖を与えて心を折らねばなりますまい。慈悲を与えるのはその後で」


 なるほど。先ほどの話の通りだと、その恐怖を与える役目は私の仕事になるという訳ですね?


 クローヴェル様のお言葉を聞いて皇帝陛下は慌て出した。


「待たれよ。それはやはり両国と戦争をするという事ではないか」


「大丈夫ですよ。私のイリューテシアに任せれば上手くやってくれますよ」


 クローヴェル様は優雅に微笑んで私に丸投げた。皇帝陛下は呆れたようなお顔をなさったが、私達の間では普通の頃だ。丸投げは信頼の証し。私だってクローヴェル様にまるっきりお任せしている事は沢山ある。


 しかし会談を終えて当座の新居である離宮に引き上げてきた私は、クローヴェル様に尋ねた。


「皇帝陛下にあれほど戦争を匂わせる必要は無かったのでは? 皇帝陛下には和平をすると言って安心させておかないと、譲位に差し支えるかも」


 クローヴェル様は早速、帝宮の大図書館から借りてきた(いや、もう帝宮は私たちの物なのだから自分の物だと言っても良いわね)本を開きながら微笑んだ。


「リュー。皇帝陛下はそんなに甘くはありません。和平を仲介する際に、南北に貸しを作り、先帝陛下になられてからも、私たちの政治に一定の影響力を残すつもりです。何しろあの方はクーラルガ王国の国王陛下です。自国の国益は確保したいでしょうからね」


 クローヴェル様曰く、私の脅しに屈服したスランテル王国のハナバル陛下。即位時に私に借りを作ったザーカルト陛下。暗殺未遂事件を起こして私に借りがあるオロックス王国のカイマーン陛下。軍事的に包囲されて屈服したロンバルラン王国のコルマドール陛下。この南部の四ヶ国は実力で私とクローヴェル様に屈服させられていて、クローヴェル様の格下になっている状態である。


 この状態でクローヴェル様が皇帝に即位すれば、四国の国王は格下のままであり、クローヴェル様は絶対的な皇帝になることが出来るだろう。


 しかし、ここで北部の二国と和平をするとどうなるか。和平とは基本的に対等な関係で結ばれるものである。現状の南北の勢力差を考えれば南部有利の条件になるとしても、それでも完全に屈服させるような和平条件にはならないだろう。それはそうだ。北部はまだ負けたわけでは無い。


 すると、クローヴェル様が皇帝になっても北部の二国は対等な関係を要求してくる事だろう。クローヴェル様の立場は北部二国の国王よりちょっと上の、これまでの皇帝と同じレベルに留まる事になる。つまり、北部二国の方が南部四ヶ国より立場が上になるのだ。


 そんな馬鹿な話は南部諸国だって認めるわけにはいかないだろう。北部と同等の地位を要求してくる筈だ。すると、結果としてクローヴェル様の絶対性は低下してしまう事になる。それではこれまでの皇帝と変わらなくなってしまう。


 そして皇帝陛下は南北の和平が成ったなら、南北仲介を功績だと主張して、帝政に影響力を発揮して、北部の地位向上、つまりはクローヴェル様の絶対的権力を低下させるように動くだろう。元々皇帝陛下は皇帝の絶対化には反対の立場だったからね。皇帝陛下が和平を主張し、仲介をするとしきりに言うのはそのためだろうとクローヴェル様は仰った。


 なるほど。単に平和主義で帝国の国力の衰亡を懸念しているから南北和平を主張し、仲介の労を厭わないと言っているわけではなかったのだ。流石の老獪さだわね。


「だから私は『北部はまず屈服させる』と主張したのです。対等な和平など許さないと。皇帝陛下も理解して下さったと思いますよ」


 つまりクローヴェル様は皇帝陛下に対して、皇帝絶対化の方針に変更はないと主張し、皇帝陛下の暗躍を阻止すると暗に伝えたのだ。


「皇帝陛下が勝手にクーラルガ王国やクセイノン王国と連絡を取らないよう注意して欲しいとグレイド兄やホーラムル兄には言ってあります」


 皇帝陛下と北部連合の裏取引を防ぐためだ。私はその辺りは無警戒だった。流石はクローヴェル様だわ。


「全面戦争をすると言ってしまえば皇帝陛下のとのお約束を破る事になります。ですからリューに任せると言ったのですよ。貴女は硬軟自在、どんな手段を使うか予測も出来ませんからね」


 そして皇帝陛下としても、暗殺未遂を妃が起こしてしまって大きな借りのある私の行動に注文は付け難いだろうという。成程だわ。単なるいつも通りの丸投げではなかったのだ。やっぱりその深謀遠慮は私の及ぶところではない。クローヴェル様は本当に凄い。


「ですからリュー。貴女に任せます」


「お任せ下さい! きっとエルミージュ陛下とフェルセルム様の心胆を寒からしめて、彼らをクローヴェル様に跪かせて見せますわ!」




 ということで、私はまず、張り切ってホーラムル様のところへ向かった。


 ホーラムル様は帝都に入城し。その後は帝都郊外の街に駐留させている軍勢の管理をしているのだが、やはり数が多過ぎて大変らしい。同盟の盟主とはいえ、他国の軍勢を頭ごなしに命令するわけにもいかず、統制に苦慮しているようだった。


 私はホーラムル様に、クローヴェル様の皇帝即位と同時に、集まった軍勢は帝国軍に認定し、ホーラムル様を公爵に叙爵して総司令官にすると言った。


 ホーラムル様は呆然としたような顔をなさった。


「私が公爵ですか?」


「ホーラムル様の功績に報いるには些少な褒賞だとは思いますが」


「そんな事はございません! 身に余る光栄でございます!」


 ホーラムル様は顔を紅潮させて喜び、私の前に跪いた。うん。これが普通の反応よね。


 私はそして、帝国軍はまずクセイノン王国に侵攻し、エルミージュ陛下を一戦して破る方針だと伝えた。


「クセイノン王国ですか?」


「軍事力はクーラルガよりも低いですし、森の民へ警戒しなければならないのですから、帝都からの侵攻に集中するわけにはいかないでしょう」


 つまり、クーラルガ王国と戦うよりは与し易い。まずは弱い方と戦う方が良いに決まっている。


「戦いは圧勝しなければなりません。その後に、エルミージュ陛下と降伏交渉を行います」


 圧勝した方が結局は敵味方の被害は少なくて済むだろう。深く追撃して敵を殺しまくるような真似をしなければ、クセイノン王国に深いダメージを負わせ、恨みを植え付ける事も無い筈だ。


 一戦して鎧袖一触で圧勝し、エルミージュ陛下の心を折り、その上で降伏を勧告する。それが私達の勝利条件だ。ただ勝つだけでは意味が無い。


 私は圧勝するためだったら、あまり好きではない竜を呼ぶ事もするつもりだった。そのため、クセイノン王国侵攻には私も同行する事にした。私がそう言うと。ホーラムル様はびっくりなさったわね。


「皇妃様が軍に同行なさるのですか?」


 確かに、従来なら皇妃が軍を率いるなど前代未聞の事だっただろうね。でも、私はこれまでも何度も従軍してきたし、山賊まがいの事までやった。今更だ。


「私は新しい皇帝陛下になられるクローヴェル様の妃として、新しい皇妃になるのです。前例は忘れてくださいませ」


 ホーラムル様はなぜか感動したように目を潤ませて跪いた。


「このホーラムル。新しき皇妃様のおん為に力の限り戦いますぞ、何なりとお命じ下さい!」


 私は鷹揚に頷いた。ただ、私が軍に同行するのは、ホーラムル様はもちろん、好戦的な国王であるザーカルト様やカイマーン陛下のやり過ぎを掣肘するためでもある。


 というのは、クローヴェル様は、やはり国力の消耗を防ぐために大規模な戦闘は避ける方針なのだ。だから、戦意に逸った軍人たちが、やり過ぎないように私が手綱を握らなかればならない。


 北部との決戦に備えて準備を進めると共に、私とクローヴェル様は譲位式の準備も進めていた。先にも述べたが、とりあえず簡易な譲位式を行い、北部を平定した後に正式に盛大な即位式を行う予定だ。


 だが、簡易とはいえ、皇帝の位をやりとりする儀式なのだから簡単に済ますわけにはいかない。譲位自体は歴史上何度も例があるもので、儀式の内容も様式も決まっているのだ。


 私とクローヴェル様はとりあえず儀式で羽織るマントの採寸を行い、皇帝冠、皇妃冠を調節するために頭のサイズも測った。そして、式の格に合うような礼装の新調と宝飾品の手配をする。


 当然だが、譲位式には各国の王も出席する。彼らは「礼装の用意に二ヶ月は欲しい」と言い出した。私たちの衣装も実際にはそれくらい制作に掛かるので、それでも良いかとも思ったのだが、そんなに間を開けるとフェルセルム様が何を企むか知れたものではない。私は各王の要求を却下した。結局、衣装は突貫工事で作らせて、譲位式は年明け直ぐに行われる事になったのだ。


 本来は譲位式に先立って、選帝会議が行われる筈である。しかしながら選帝会議には竜首七王国の国王が七人とも揃わなければならないという規定がある。


 なので、選帝会議は北部を平定してから改めて行うこととし、とりあえず竜首会議を簡易な選帝会議として執り行う事とした。一応はエルミージュ陛下にも招待状は出して体裁は取り繕う。


 選帝会議で、皇帝陛下は譲位を議題として出し、出席した国王六名の全会一致でクローヴェル様が皇帝位に就く事が認められた。


 そして数日後、譲位式が執り行われた。


 場所は帝宮内の神殿である。流石に神殿領の大神殿には及ばないものの、列柱を巡らせた荘厳で華麗な神殿である。


 中にはやはり大神殿のアレよりは小さいものの、身長が十メートル近いと思われる大女神アイバーリン像があり、その前には大きな祭壇が飾られていた。


 私とクローヴェル様は手を取り合ってゆっくり神殿の中を進んだ。祭壇の前には南部同盟の国王であるハナバル陛下、カイマーン陛下、ザーカルト陛下、コルマドール陛下が左右に分かれて跪いている。少し離れてエングウェイ様とホーラムル様とグレイド様がやはり左右に跪いている。私たちは彼らの間を豪奢な衣装を揺らしながら優雅に通過する。


 祭壇の前には皇帝陛下が立っていた。本来であれば皇妃様もいるべきなのだが、まさかこの場に犯罪者は出せないわよね。代わりにこの神殿の神殿長であり筆頭巫女だという中年の女性が立っていた。彼女が皇妃の役割を代行してくれる。


 私は祭壇の前に出ると、クローヴェル様をチラッと見上げた。クローヴェル様は私の視線に気が付いてふっと笑う。いつもと変わらない笑顔ね。緊張しないのかしら。


 そして、私たちは跪く。その前で皇帝陛下は両手を天に掲げ、朗々と祝辞を唱えた。


「この世界の母たる大女神アイバーリンよ。今ここいる者は、新たなる竜の七つ首を束ねし者である!」


 おそらくは本当はここで皇帝陛下が金色の力を放たれ、それが大女神像に吸収されて何かが起こったのだと思われる。陛下には力が無いから何も起こらないけどね。


 ガルダリン皇国にある大女神像がエメイラ猊下に思し召しの光を下さったようなギミックが、この大女神像にも何か仕込んであると思うのよね。


「私、ファランスはこの者、クローヴェルを認め、大女神アイバーリンの代理人の地位を譲るものなり。大女神よ。クローヴェルを導き、護り、ご加護を下さらんことを」


 クローヴェル様は立ち上がり、両手を天に掲げた。


「私、クローヴェル・ブロードフォードは新たなる大女神様の代理人として、七つ首の竜を束ね、率い、大女神様のご意志に反するものを撃ち破り、大女神様のご威光を全世界に知らしめることを誓います」


 すると、クローヴェル様の声に応じて、僅かに大女神像が光った。ボンヤリとだが。これは竜の手鏡と同じ理屈で、竜の血を引く者かどうかを判定する機能が大女神像にはあるのだそうだ。光らなければ皇帝になる資格無しという事である。


 一応、事前にクローヴェル様でもボンヤリ光ることは確認済みだ。彼にも王家の血は結構流れているからね。もしも光らなかったら、式でこの部分は省くつもりだった。


「大女神様はクローヴェル様に祝福を下さいました」


 神殿長が厳かに告げる。この瞬間、クローヴェル様は皇帝陛下として大女神様に認められたという事になる。


 クローヴェル様は皇帝陛下の前に出て、今度は跪かずに立つ。逆に皇帝陛下は自分の被っている皇帝冠を外して捧げ持ち、そのまま跪く。


「新たなる皇帝クローヴェル陛下に祝福を」


 クローヴェル様は頷いて、皇帝冠を手に取り、それを自分のくすんだ金髪の上に載せた。


 それが終わると、私は立ち上がり、進み出て、神殿長の前に出る。神殿長は皇妃では無いから冠を被っていない。祭壇に飾られていいた皇妃冠をとって跪く。


「新たなる皇妃、イリューテシア様に祝福を」


 私は微笑んで、皇妃冠を手に取り、私の黒に近い紫髪の頭に載せた。うふふふふ、似合っているかしらね。私は思わず目を輝かせてクローヴェル様を見てしまう。彼は苦笑しながら口だけで「似合いますよ」と言ってくださった。


 それから、私たちは並んで跪いている国王陛下たちの所に進んだ。


 まずスランテル王国のハナバル陛下のところだ。ハナバル陛下は立ち上がって、クローヴェル様に紫色の布を首から掛けた。スランテル王国の象徴色だ。そして次に私にネックレスを渡す。スランテル王国に伝わる大女神様の神器だ。私は自分で首に掛けた。


「我がスランテル王国は皇帝クローヴェルに絶対の忠誠を誓います」


 ハナバル陛下は跪いて深く頭を下げつつ言った。ここは本来は「皇帝陛下に従い帝国を護ると誓います」という文言だったのを変えたのだ。


 続けてオロックス王国のカイマーン陛下が赤い布をクローヴェル様に掛け、私に神器である杖を渡す。私はそれを帯に挿す。カイマーン陛下もクローヴェル様に忠誠を誓う。


 ザクセラン王国のザーカルト陛下は桃色の布とペンだ。私はペンを胸の所に挿す。


 ロンバルラン王国のコルマドール陛下は緑色の布とマント。マントは虹色というか銀色というか不思議な色合いで、私は儀式のマントの上に重ねて着た。


 エングウェイ様は水色の布をクローヴェル様に掛ける。何とも嬉しそうというか、誇らしそうなお顔をしていたのが印象的だったわね。で、イブリア王国の神器である盾を私に渡すのだが、その時コソッとお小言を言うのはこの人ならではだ。


「皇妃様。自重して下さいよ」


 分かってるわよ。この場の主役はクローヴェル様だもの。私が目立ってはならない。騒ぎは起こさないわよ。


 そして、祭壇の前に戻ると、皇帝陛下、ではなく先帝陛下となられたファランス陛下が、跪いて大きな声で仰った。


「新たなる皇帝クローヴェル陛下万歳!」


 本来であれば七王国全ての象徴色と神器を受け取った段階で、皇帝は即位したと見做される。だが、ここにはクセイノン王国のエルミージュ陛下はそもそもおらず、クーラルガ王国国王のファランス陛下は皇帝退位と同時に位をフェルセルム様に譲ると宣言されているので、この時点でもう先王陛下だ。象徴色と神器を授与する資格がない。


 なので不完全だがクローヴェル様の即位はこれで完了したということにしたのだ。ふん、いいもんね。直ぐに全ての神器を揃えてみせるんだから! クーラルガ王国の槍とクセイノン王国の剣をね! すぐよすぐ!


 私はここで思わず大女神像を見上げてしまった。というのは、大女神像は神器を全て持っている状態だからだ、背中に剣を背負い、右手で槍を持って地に立てている。それを見ながら私は気合いを入れたのだ。


 それがいけなかった。私がグッと大女神像を睨んだ瞬間、大女神像がジワジワと光りだした。あ、不味い、と思った時は遅かった。


 大女神像は盛大に金色の光を放ち始めた。わー! だめー! と思っても収まるものではない。先帝陛下や国王陛下たちは唖然茫然とし、神殿長は驚きのあまり卒倒し、ホーラムル様は目を輝かせ、グレイド様とエングウェイ様は頭を抱えている。


 どうしよう! と思っていたら、クローヴェル様が私を抱き寄せ、さり気なく私の視線を大女神様から外させた。すると程なく、大女神像の光は収まった。そ、そうか、見なきゃ良いのか・・・・・・。


「私たちの即位を大女神様も祝福下さいました。大女神アイバーリンよ。ご加護に感謝いたします」


 クローヴェル様が大女神様に一礼すると、気を取り直したようにカイマーン陛下が叫んだ。


「大女神様の恩寵篤き新たなる皇帝クローヴェル陛下と、皇妃イリューテシア様に栄光あれ!」


「皇帝クローヴェル、皇妃イリューテシアよ、帝国を護り導きたまえ!」


 各王が、そしてクローヴェル様の三人の兄達が。口々に私達を讃える。私たちは誇らしい思いを胸に手を上げてそれに応えたのだった。


 私もクローヴェル様もこの年に二十六歳。あの星降る夜に、クローヴェル様と皇帝になると誓ってから十一年の年月を経て、遂に私たちは帝国の皇帝と皇妃になったのである。


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