三十九話 二頭の竜

 ガルダリン皇国は、隙あらば帝国に侵攻する事を狙っている困った国なのだが、これはガルダリン皇国が「我こそは古帝国の後継者である」として、帝国の存在を認めていない事による。


 古帝国は確かに、現在のガルダリン皇国はおろか、海の向こうのバーデレン帝国の一部をも支配していたらしい。だから帝国こそが古帝国の後継者であると言われても、他の古帝国所縁の地にしてみれば、ちょっと待てと言いたくなるのかも知れない。


 なんで古帝国の後継者であると主張したいのかというと、後継者認定されれば、古帝国が支配していた領域全ての領有権を主張出来る、という理屈かららしい。結局は侵略の口実じゃん。


 それはともかく、ガルダリン皇国はこのところ、侵攻するとなれば故地回復を狙ってザクセラン王国に侵攻してくる事が多かった。それが今回は皇帝直轄地を狙い、帝都への進軍を図っているという。


「これは、あれでしょう。どうやら帝国が二分して争っている事を嗅ぎつけたのでしょうね」


 フェルセルム様が(変装したままだが)仰った。なるほど。多分その通りだろう。


 帝国が南部北部に分かれている現状で、皇帝直轄地に侵攻してきたガルダリン皇国軍を、南部北部のどちらが対応するかは、難しい問題となる。


 南北共に、出来れば相手陣営に対応してもらって、相手の戦力減を図りたいところだろう。しかし同時に、その事で相手陣営が皇帝陛下に恩を売り皇帝陛下を相手陣営に引き入れられても困るのである。


 そういう政治的綱引きが行われれば、それ自体が隙となり、ガルダリン皇国にとっては好機となる。なるほど。随分と帝国の事情に詳しく、機を見るに敏な奴がいたものね。


 だが、確かに難題ではあった。もちろん、南部同盟で帝都を救援しても良い。現在、ホーラムル様率いるイブリア王国軍はスランテル王国にいるから、早馬で要請を出せば遅くとも五日後には二千騎の騎兵がやって来るだろう。それに、帝都にいる衛兵なり徴募した兵なりを集めれば、ガルダリン皇国軍が常軌を逸した大軍でも無い限り、対応出来るだろう。


 軍勢が足りなければ、持ちこたえつつ援軍を呼べば良い。オロックス王国には常備軍がいるし、ザクセラン王国も五日もあれば軍勢を派遣出来る筈だ。


 しかしながら、ガルダリン皇国の侵攻に南部同盟だけで対処した場合、撃退したところを北部連合に攻撃されるかも知れないという懸念が生ずる。そこまでいかなくても帝都の近くに南部の軍勢が展開する事で、南部が帝都を押さえてしまうのではないかと北部連合の各国に警戒され、北部も軍勢を派遣、睨み合いになり、そのまま戦争になってしまうかも知れない。


 これはつまり、裏を返せば北部連合が事態に対処しても南部的には同じような懸念を抱かざるを得ないという事である。北部が軍を動かしたら放置は出来ない。南部も軍を動かして北部連合軍が帝都を押さえないように動きを注視しておかなければならないだろう。


 まったく厄介な。そう思って私は気が付いた。こういう厄介事には大抵、この目の前にいる胡散臭い美青年の企みが絡んでいるものではないか。私は胡乱な目でフェルセルム様を睨んだ。


「まさかフェルセルム様、貴方がガルダリン皇国を引き入れたのでは無いでしょうね?」


 フェルセルム様は胡散臭い笑顔全開でこれを否定する。


「まさかまさか。そんな事は致しませんよ」


 怪し過ぎる。この男ならやりかねまい。


 その場合フェルセルム様の狙いはなんだろうね。おそらくだが、フェルセルム様はこの事態を利用して、南北の決定的な対立、戦争状況にしたいと考えているのではないかと思う。


 はっきり言うと、南部同盟の状況はまだ固まっていない。相互協力がようやく始まったというところで、軍事協力の詳しい手順すら決まっていない。


 それに対して、北部はそもそも仲の良い国同士であるし、クセイノン王国のエルミージュ陛下などはフェルセルム様に心酔している。そしてクーラルガ王国は皇帝陛下のお膝元であり、帝国軍の結成などはクーラルガ王国主導で行われる事がどうしても多かった。


 つまり北部連合はこれまでのやり方を一部踏襲出来るのだ。結成は遅かったが、同盟国同士で協力して事態に対処する実務に手慣れているのは、南部よりも北部なのである。


 フェルセルム様としては、南部同盟の体制が固まる前に、有利な情勢で戦争状態にして、その混乱の中で南部同盟を切り崩して行こうと考えているのだと思われる。そのために、おそらくガルダリン皇国を唆したのだ。


 フェルセルム様の考えそうな策略だなぁ、ともはや彼の陰謀に慣れ始めている私は思う。何かあったらフェルセルム様を疑え、というのは既に私の習い性と化している。


 しかし、今回の事態が彼にとって完全に思い通りだと考えるのもやや早計かと思う。ガルダリン皇国は油断出来る相手ではないし、まして帝都を狙われては北部だって防衛を優先せざるを得まい。


 実際、侵攻の報告を受けた時、フェルセルム様ちょっと焦ってたしね。


 もうちょっと控えめな、国境を騒がせる程度を想定していたのに、意外にガルダリン皇国が思い切った軍事行動に出てしまって驚いた、という感じかしら。藪を突いて蛇を出すつもりが大蛇が出てしまったのだろうね。


 しかしどうしようか。南部としても帝都の危機は放置出来ないが、状況次第では戦争になってしまうのでは迂闊に手を出せない。北部もガルダリン皇国軍と戦って弱った所を南部に一網打尽にされる危険を考えれば、軽々に迎撃を引き受けられない。


 私はうーん、と唸ってしまう。見ると、フェルセルム様も笑顔のまま悩んでいるようだった。こういう時はクローヴェル様に相談したいのよね。家の旦那様なら私の思いもよらない知恵を出してくれると思うの。そういうところがフェルセルム様には足りないのよね。


 私とフェルセルム様が沈黙したその時、皇帝陛下が右手をお上げになった。自然と全員が注目する。


「其方達、帝国に対する忠誠心に変わり無いというのは間違い無いな?」


 其方達、とは私とフェルセルム様の事だろうか。おそらくそうだわね。


「はい。間違いありません」


「そうですね」


 私とフェルセルム様はほぼ同時に頷いた。すると皇帝陛下はニヤッと、作り笑顔ではない悪戯っぽい笑顔を浮かべた。


「そうか。では私は帝国皇帝として両名に要請する」


 要請? 妙な含みのある言葉だった。私とフェルセルム様は少し身構える。そこへ皇帝陛下は衝撃的な提案を投げ込んだ。


「両名が協力して軍を率い、ガルダリン皇国を撃退してもらいたい」


 はい? 私は思わずそう言いそうになって辛うじて耐えた。


 フェルセルム様の方も驚いて微笑みの仮面が取れてしまっている。


「双方が同じだけの軍を率い、協力してガルダリン皇国に当たれ。これは帝国皇帝としての『要請』である」


 ・・・これは、皇帝陛下に一本取られたわね。 


 この「要請」は私たちが言った、現在の皇帝権力の不十分さを逆手に取ったものである。


 現在の皇帝の権力は確かに弱い。他国を制圧出来る実力が無いから、高圧的に命令は出来ず、せいぜい『要請』しか出来ない。


 しかしこのため、皇帝陛下が何をやっても、最終的な責任を皇帝陛下は取らなくてもいい、という事にもなるのだ。


 つまり要請であって命令では無いから、要請を受諾した者に最終的な責任を押し付けられるのである。


 今回の場合、私とフェルセルム様が協力して戦ってくれ、と要請された訳だが、これを受諾すると、私たちは自ら望んで共闘したという形になる。命令された訳では無いのだからそうなるわよね。


 そうなると、事実上南北を代表する私たちが、帝国のため、帝都と皇帝陛下を護るために手を取り合って戦ったという状況が生ずる。


 こんな状態になっては、南北ともに相手側を一方的に敵視するのは難しくなる。何しろ不仲で有名な筈の私とフェルセルム様でさえ共闘したのだから。


 両陣営の緊張は緩和される事になる。更に言えば、私たちを「和解」させた皇帝陛下は政治的な得点を上げる事になるだろうね。皇帝陛下の権威は高まる事だろう。


 では、そんな要請は聞けない、と突っぱねられるかといえばそれは出来ない。私とフェルセルム様のどちらかが皇帝陛下の要請を突っぱねた瞬間、皇帝陛下は相手側の陣営に付くことになるだろうから。


 皇帝陛下が「帝国への忠誠に変わりないな?」と念を押したのはこのためだ。要請を断った瞬間、その陣営は帝国に叛くものとして朝敵認定を受ける。皇帝陛下の、帝国の敵と認定されたりすれば、南部も北部も動揺は免れ得まい。


 私とフェルセルム様はそれを避けたくて今日ここでの会談に臨んだのだ。せっかく皇帝陛下が中立になろうとしていたのに、ここへ来て相手陣営に追いやるわけにはいかない。


 つまり皇帝陛下はそういう事を見越して、私とフェルセルム様の足元を十分見た上で、そんな「要請」をして見せたのだ。


 流石は皇帝陛下よね。


 私は渋々こう言わざるを得なかった。


「私としては問題ありませんわ。ええ。帝国の、皇帝陛下の御ためとあらば」


 そして私が要請を受諾した以上、フェルセルム様もこう言わざるを得ない。


「分かりました。私の忠誠心をお見せ致しますとも」


 ・・・こうして、ガルダリン皇国の迎撃に、私とフェルセルム様が軍を率いて当たる事が決定したのだった。



 なんとも不本意ではあるが仕方が無い。皇帝陛下の「要請」の巧みなところは、その中に私に対する利が潜ませてあった事にある。


 私が恐れていたのは、どちらかの陣営が帝都近郊に軍を展開する事で、相手陣営に「帝都を奪われるのではないか?」という疑心暗鬼が生じ、なし崩しに戦争状態に突入する事だった。


 しかしながら皇帝陛下の要請に乗る分には、その可能性は低くなる。なにせ共闘だ。しかも同数の軍を率いるとまで取り決められている。疑心暗鬼が生じようもない。


 ある意味安心してガルダリン皇国に対処出来るのである。これはフェルセルム様にしても同じ事だ。戦争状態にしようとしていたフェルセルム様には不本意だったかもしれないが、予想外に多勢のガルダリン皇国軍に対処しなければならない事を考えれば、皇帝陛下の提案はフェルセルム様にとっても利があるのだ。


 ここで南部北部が共同でガルダリン皇国軍に当たる事は、帝国の結束を対外的にアピールする意味でも重要だ。内部で争っていても、対外的には協力して対処するという事が知れれば、対外的な強い牽制になる。


 突拍子も無い提案だと思ったが、冷静に見ると二重三重によく出来ている。流石は皇帝陛下だわ、本当に。まだまだ私もフェルセルム様も敵わないかもね。


 私は公爵屋敷に帰ると、すぐにスランテル王国のホーラムル様に帝都近郊まで軍を出すように命じた。ガルダリン皇国軍は七千から一万くらいの軍勢らしい。対抗する帝国は一万の軍をこれに当てると決まった。


 なので南部同盟から五千、北部連合から五千の兵を出すことになる。これを私とフェルセルム様が率いるのだが、フェルセルム様は兎も角、私は指揮など出来ないので、ホーラムル様とグレイド様にやってもらうしかない。


 今回、軍勢を五千以上皇帝直轄地に入れる事は厳重に禁止された。多めに連れて来て待機させる事は許さないという事だ。不測の事態を避けるためで当然だろう。


 兵の編成は自由だったので、私はトーマの軽騎兵を多く連れて来るようにとホーラムル様にお願いしておいた。これにはトーマの民も南部同盟の一員だと強調する意味がある。


 後は、できれば同盟国からも少しは軍を出してもらいたかったのだが、今回は早くガルダリン皇国軍を迎撃しなければならなかったので断念した。


 ホーラムル様に早馬を出して僅か三日後、イブリア王国軍きっちり五千は帝都近郊に到着した。先行の早馬が来ていたので、私とグレイド様はあらかじめ帝都の外で待っていた。ちなみに、帝都内に入っていた三百の護衛兵は今回の兵力にはカウントされない。ただし、戦地には連れては行けない決まりだ。


 思いもかけないクーラルガ王国との共闘に、ホーラムル様は当惑なさっていたわね。


「共闘するとは言っても、いつ連中がこっちに牙を剥いてこないとも限りません」


 もっともな意見だった。同じ事は向こうも考えているだろうけどね。


 私とグレイド様が鎧姿で騎乗して合流し、クーラルガ王国軍との合流予定地点に向かう。イブリア王国軍の編成は騎兵二千、トーマの軽装騎兵が一千、歩兵が二千という編成だ。スランテル王国に駐留していた部隊で、歩兵は既に相当数スランテル王国で徴募した兵士なのだそうだ。


 トーマの軽装騎兵はイブリア王国に留学している若者と、放牧よりも言い良い稼ぎになるからと出稼ぎに来ている者が半々くらいだった。略奪が出来なくなった代わりにそういう仕事を与えてトーマの民を助けているそうで、これはホーラムル様の発案であるのだそうだ。


 クーラルガ王国は騎兵が二千と歩兵が三千。特に騎兵は馬まで鎧姿の重装騎兵だった。ガルダリン皇国軍は歩兵の集団戦を得意としていて、対抗するには重装騎兵が効果的な事は過去の戦訓から分かっている。


 両国軍は合流したが、やや離れて野営した。警戒心ありありだ。私を含む指揮官は打ち合わせを行ったのだが、その会合も両陣営から中間地点に張られた天幕で行われたのである。


 クーラルガ王国軍の指揮官はフェルセルム様で、私と違って実際に指揮もするみたいだった。銀色に輝く華麗な鎧姿で、不思議なことに貴族風の衣装を着ている時よりも凛々しくて胡散臭さが軽減されていた。男は鎧姿の時は三割り増しでいい男に見えるというのは本当ね。


「ガルダリン皇国軍は街道を進んで、寄り道をする事もなく一直線に帝都をめざしているようです」


 クーラルガ王国の幕僚がそう説明する。ガルダリン皇国軍は概算一万。ほとんどが歩兵で騎兵は多くても二千騎。


 途中の帝国の防衛拠点で打撃を加えて進軍を遅くしているが、何しろ大軍なので大きなダメージを受けてはいないらしい。そのままの兵力でぶつかる事になるだろうとの事。


 それにしても、先年、イブリア王国とザクセラン王国でガルダリン皇国軍には大打撃を与えた(クローヴェル様が活躍なさったのだ)筈なのだが、もうこんな侵攻が可能なまでに回復しているとは驚きだ。ガルダリン皇国は人口がかなり多いらしいのよね。


 フェルセルム様とホーラムル様、グレイド様は相談の上、迎撃地点を丘陵地帯から平地に出る地点に定めた。敵の行動を制限し易く、こちらは戦力を無駄にし難い地点だったからだ。元々帝都防衛の時に防衛し易いようにわざわざ街道をそこに通しているらしい。そこであれば絶対的に有利な状況で戦えるとの事だった。


 ならば勝利は疑い無いわね。一万対一万の戦いで戦場が有利に設定出来たのなら、私の金色の力で竜を呼び出す必要は無いだろう。あれは兵士を強制的に戦わせる力であまり使いたくは無いし、フェルセルム様を牽制する関係上、力は残しておきたい。フェルセルム様が私やイブリア王国軍主力をここに引き付けておいて、他所で何か企んでいた場合には、ブケファラン神に乗って駆け付けなければならないだろうし。


 私がそんな事を考えていた、その時だった。天幕の中に兵士が駆け込んで来た。


「申し上げます!」


 イブリア王国の兵士だ。ずいぶん慌てている。ホーラムル様が怒鳴る。


「なんだ! どうした!」


 すると兵士は青ざめた顔で報告した。


「ただいま、オロックス王国から伝令が! ガルダリン皇国軍の増援が、オロックス王国を抜けてこちらに向かっているとの事! その数一万!」


「「「なんだと!」」」


 ホーラムル様。グレイド様、フェルセルム様が揃って叫んだ。私は叫び損ねた。え? 増援? 一万?


 どうやらオロックス王国を素通りして帝都へ向かう構えらしい。カイマーン陛下は当然軍を出して追撃したのだが、皇帝直轄領に入られてしまい追撃出来なくなってしまった。現在、私達以外の軍勢が皇帝直轄地に入る事は、私の命令で禁じてあるからである。


「い、一万だと? 敵が倍になるという事ではないか! 至急こちらも援軍を呼ばねば!」


「お待ちあれ! 現在、皇帝陛下に我々が許可されているのは五千の兵を直轄領に入れる事だけです!」


 ホーラムル様が叫び、グレイド様が止める。そう、増援を呼んだら、皇帝陛下との約束違反になり、問責の理由になり得る。


「そんな事を言っている場合か! 敵が我が軍の倍になるのだぞ! 勝てる訳が無い! 至急オロックス王国に援軍を要請しろ!」


 ホーラムル様は叫んだが、私は許可出来ない。一人では。


 そう。私一人で皇帝陛下との約束を違える訳には行かない。イブリア王国だけが朝敵になってしまう。それはまずい。


 フェルセルム様、クーラルガ王国も同様に動いてもらう必要がある。私はそう思いながらフェルセルム様を見る。しかし、フェルセルム様は笑顔のまま固まってしまっていた。あれ? どうしたのかしら?


「・・・援軍は、呼べません」


 フェルセルム様の言葉にホーラムル様は噛み付くように抗議した。


「何故ですか! このままでは我々は壊滅! 下手をすると帝都が陥ちてしまいますぞ!」


 フェルセルム様は渋々といった感じに白状した。


「・・・現在、クーラルガ王国軍の残りとクセイノン王国軍は、ロンバルラン王国の要請でスランテル王国の国境に向かっています」


 ・・・みなまで言わなくても分かりますよ。


「・・・イブリア王国軍の主力がここに来ている隙に、ロンバルラン王国が『奪われた』スランテル王国の領地を取り戻すつもりだったのですね?」


「そうです。ですから、使者を送るのに二日。急いでやって来ても五日は掛かるここまで呼んでももう間に合いません」


 ホーラムル様が憤慨したように叫んだ。


「馬鹿な事を! イブリア王国軍の主力はここに来ていますが、スランテル王国軍が集中して守備をしておるのです。南部の他の王国に備える必要が無くなったのですから、スランテル王国のほぼ全軍がですぞ! 簡単に勝負が着く状況ではありません!大戦争になってしまいますぞ!」


 フェルセルム様の狙いは戦争状態にする事だったのだから、それでも良かったのでしょうね。しかしそれも、帝都の無事が保障されればこそだ。


 困った事になった。理由はどうあれ、フェルセルム様が援軍を呼べない以上、私も呼ぶわけにはいかない。それが決まりだ。緊急事態だからと言い訳して私だけが約束を違えた後に、フェルセルム様に難癖を付けられても困るのだ。


 我々は協議をして、敵をこの地で迎撃する事を諦めた。ガルダリン皇国軍の援軍は私達がいる場所を迂回して、帝都を直撃する構えを見せていたからだ。後退して帝都を背にして戦わなければならない。


 しかし後退すれば、そこは帝都近郊の平地である。だだっ広い平地で、大軍同士がぶつかる場合はほとんど正面から戦うしかないだろう。


 そして、相手は約二倍の軍勢だ。騎兵の機動力を生かせる平地ではあるが、大軍の力が十全に発揮される地形でもある。しかも相手は強兵で知られるガルダリン皇国。これはどう考えても厳しい戦いになると思われた。私達は皇帝陛下に連絡し、帝都の城門を閉めて出入りを禁止してもらった。慌てた皇帝陛下からは援軍を呼び寄せる許可が出たが、もう遅い。


 帝都近くに戻った二日後、地平線の辺りがキラキラと輝き出した。鎧兜や刀槍が朝日を受けて輝いているのだ。合流したガルダリン皇国軍、約二万の勇姿だった。流石に二万の大軍勢となると圧巻だったわね。綺麗な方陣を組み、一糸乱れず歩調を合わせて前進してくる姿は、まぁ、見るだけなら凄い凄いと感心するような光景だったわよね。


 我が軍の戦力の倍。いや、こちらはイブリア王国軍とクーラルガ王国軍で完全に分かれており、それぞれ五千。場合によっては五千で二万を相手しなければいけないのか。フェルセルム様の出方次第では・・・。


 ・・・無理よね。流石に四倍の敵はどうやっても相手に出来ない。勝ち目が無い。勝つにはどうしてもこちらの戦力を二倍にする、つまりクーラルガ王国と一体になって戦う必要があるだろう。


 私は馬を飛ばしてクーラルガ王国の陣営に駆け付けた。当然だがホーラムル様と護衛の兵士たちも一緒だ。私がやって来た事に、クーラルガ王国の指揮官達とフェルセルム様は驚き、警戒したようだった。


 全身鎧姿の私はズカズカとフェルセルム様の前に歩み出た。フェルセルム様は相変わらずの作り笑顔だが、何事かと緊張している事が察せられる。私は大きな声で言った。


「出し惜しみは無しにしましょう!」


 私の言葉の意味を悟りかねたのか、フェルセルム様は私の言葉をおうむ返しした。


「出し惜しみは無しにしましょう? ですか?」


「そうです。他に方法はありません。私は全力で竜を呼びますから、貴方も呼んでください」


 私が言うと、フェルセルム様は僅かに眉の間に皺を入れた。


「なるほど。しかし、私が竜を呼んだ後に、貴女が約束を違えて竜を呼ばなければどうなります? イブリア王国が金色の竜の力を温存してこの戦いに望み、その後で貴女が改めて竜を呼んで、今度はクーラルガ王国軍に襲い掛かって来たら?」


 その懸念は私も持たざるを得ない。私とフェルセルム様はお互いを非常に信用していないが、自分が隙を見せたら危ないと互いに警戒する意味では、非常に信頼し合っていると言える。その強い疑心暗鬼がこのままであれば、私達はここでの状況を打開し得る竜の召喚が行えず、お互いにやられる前に目前のガルダリン皇国軍に潰される羽目になるだろう。


「それを防ぐために、二人で並んで同時に竜を呼びましょう」


 両軍の目前で、並んで仲良く竜を呼べば、どちらかが約束を破ったら一目で分かるし、両軍とも私達が真の意味で共闘するつもりである事を理解して、しっかりガルダリン皇国軍だけを相手に戦ってくれるだろう。


 フェルセルム様は珍しく笑顔を消して、真剣な顔で私を睨んでいた。恐らく、私を信用するのが本当に難しいのだろう。何を企んでやがる、と思っているに違いない。私もそれは同様だ。この世の中で一番信用出来無い男が、このフェルセルム様である。あらゆる意味でクローヴェル様の対極に位置する男。その彼が、やがて溜息を吐いて言った。


「金色の竜の力だけではなく、その機転、度胸。本当に惜しい。貴女を私の妻に出来なかったのは本当に痛恨事でした」


「皇帝陛下も仰っていたでしょう。貴方には無理ですよ。私を御せるのはクローヴェル様だけです」



 ガルダリン皇国軍はゆっくりと前進を続けて来た。四角い歩兵陣を連ね、その両脇を騎兵隊が挟む形で、全体としては密集した四角というか丸い陣形だ。どこからの攻撃にも対処し易い陣形だと言える。これほどの大軍に、些末な作戦など必要無い、という自信に満ち溢れている。


 対する帝国軍は騎兵が多い。この騎兵を上手く使って相手をかき回し、振り回さなければ、半数に過ぎない我が方は勝利出来無いだろう。その辺はホーラムル様とフェルセルム様を含めたクーラルガ王国指揮官がさっき話し合っていた。聞いていた限りでは、フェルセルム様は十分熟練した軍の指揮官であり、その知略ははホーラムル様も安心するレベルだったようだ。


 熟練の指揮官であり、金色の力の使い方にも習熟しているのだ。おまけにもう随分長い事クーラルガ王国の内政を引き受けて大過無く治めており、策謀を巡らす知略もあり、各国の王族からの人望もある。本人が、我こそは次期皇帝に相応しいと自負するのも無理は無いのだろうね。対するクローヴェル様は金色の力も無いし、ご健康でもない。でもね、私は人物としてはクローヴェル様の方がフェルセルム様より何倍も大きいと思うのよ。


 私とフェルセルム様は馬を並べて帝国軍の前方に進み出た。もう矢を放てば届くかもしれないくらい近くに、ガルダリン皇国の銀色の輝きが見えている。威嚇の雄たけびが聞こえる程だ。なぜこんな土壇場にまで儀式を引っ張ったのかと言えば、そこまで行けばお互い何も企まずに竜を呼ぶしか無いだろう、と二人して考えたからだった。私達はお互いを本当に信用していないのだ。


 私は兜の面覆いを上げてフェルセルム様を見る。栗毛の良い馬に乗ったフェルセルム様も同じく兜の面覆いを上げて私を見る。そして互いに頷いた。よし!


 私とフェルセルム様は同時に天に両手を差し伸べた。そして結婚の宣誓でもあるかのように、ぴったりと声を揃えて祝詞を唱えた。本当は金色の力を発揮するには祈りと集中だけが必要で、祝詞は意味が神に通じれば何でも良いのだが、竜の召喚の祝詞は代々伝わっているものだから、二人して同じ文言を唱える事になったのだ。


「「おお、我が祖でありその源である七つ首の竜よ。我が戦士に力を与えたまえ。戦士たちに勇気を与えたまえ、戦士たちに力を与えたまえ、戦士たちに幸運を与えたまえ。その剣は鋭く鎧は堅牢で、その腕はたくましくその脚は疲れを知らぬ。おお、七つ首の竜よ。その末裔たる我らに勝利を与えたまえ!」」


 同時に、私達の両掌から光が放たれた。離れたところから見ればそれは、二柱の光の塔が突然平地に出来上がったように見えたに違いない。光が天に吸い込まれると、晴天だった空が一転、にわかにかき曇り、黒雲が空を埋め尽くした。ゴロゴロと雷が轟き、稲光が輝く。


 そしてその中に、巨大な二頭の、金色の竜が現れた。


 非現実的なまでに大きくて煌びやかに輝く金色の竜。それが絡み合うように戦場の上を身体をうねらせて舞い踊る。どよめきは味方のものか敵のものか。そして空を圧して泳いでいた二頭の竜は、突然、首を下げて落下して来た。帝国軍の頭上に。


 帝国軍の中央に同時に落ちて来た金色の竜は、兵士たちに触れるや否やカッと輝いて炸裂した。光の奔流が荒れ狂い、誰もが目を開けていられなくなる。私だって例外ではない。フェルセルム様を警戒していたから、目を閉じたくはなかったけどね。


 やがて光が止む。どうだろう。竜が出たんだから成功したと思うけど、私とフェルセルム様で二頭出しても大丈夫だったのかしら。仲悪くて喧嘩しなかったかしらね?


 しかし心配は無用だったようだ。見ると、私の身体もぼんやりと光っている。これまで金色の竜の力を使って自分が光った事は無かったから、これはフェルセルム様の力なんだろうね。聞いていたように力が無限に湧き上がってくる気分がするし、実際に身体も軽い。目も良くなったようで、遠くにいるガルダリン皇国軍の兵士が驚愕に目を丸くしている様子も良く見えた。


 そして雄たけびが聞こえた。背後から。私の後ろにいる帝国軍一万が、力を得た事で興奮して叫んでいるのだ。間違い無く竜の儀式は成功したようだった。


 私はフェルセルム様を見る。フェルセルム様も私を見ていた。当然彼も全身が金色に光り輝いていた。あれは私の力なんだろうね。ちょっと微妙な気分だった。


 フェルセルム様は頷いた。私も頷くと兜の面覆いを下ろした。そして、従卒からイブリア王国の水色の竜の旗を受け取る。フェルセルム様もクーラルガ王国の黄色の竜の旗を手に持った。私達は旗を大きく振るい、回すと、それで前方を指し示した。ガルダリン皇国軍の方向をだ。


「「いけー!」」


 私とフェルセルム様が叫ぶと同時に雄たけびと地響きが巻き起こる。ドッと馬蹄が轟き、刀槍、鎧兜の擦れるガシャガシャという音が混じり合い、私の後ろでブワっと戦気が盛り上がったのが分かった。


 私はそれに背中を押されるように、旗を掲げて馬を前方に走らせ始めたのだった。

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