三十八話 皇帝陛下との話し合い

 私が皇帝陛下と話そうと考えた理由は二つある。


 まず、皇帝陛下は王国同士の争いでは中立の立場を取る。それが原則だ。ならば今回の南部北部の対立でも中立を保ってもおかしくない。特に今の皇帝陛下は七王国の鼎立に拘っている印象があった。


 もう一つは皇帝陛下とフェルセルム様の関係が微妙である、という事だった。聞き集めた情報によれば、不仲という程では無いものの、親密でも無いというのが実際のところであるらしい。同じ社交に出る事がほとんど無く、開かれる社交の趣向や雰囲気もそれぞれ異なるそうだ。


 二つ目も恐らくだが、一つ目に関わってくるのだと思う。皇帝陛下は自国であるクーラルガ王国があまり強大化しないように配慮しているのだ。故に、フェルセルム様が次期皇帝になる事に、あまり賛成では無いのだろう。二代続けて同じ王国から皇帝陛下が出ると、やはりどうしてもその王国は強大化する。竜首の七王国のバランスが崩れるのである。


 しかしフェルセルム様は、自分が金色の竜の力を持っているために、自分が次期皇帝になるべきだと考えている。実際、彼は若い王族からの人望もあるし、能力も皇帝に相応しいくらいあるらしい。欠点は女心が分からないくらいだ。クローヴェル様と私が次期皇帝に名乗りを上げなければ、今頃は次期皇帝になっていたと思われる。


 力があり能力があれば皇帝になるのは仕方が無いが、それを父であるが国王であり皇帝である自分が推しているような姿を見せると、七王国の結束に良くないと皇帝陛下は考えているのだと思う。だからあえてフェルセルム様に冷たい姿勢をとっているのだ。


 そう考えれば、フェルセルム様が主導していると思われる北部連合に皇帝陛下が加わってしまうと、南部北部の対立が決定的、先鋭化してしまう事も皇帝陛下は避けたいとお考えの筈だと思う。それを防ぐには皇帝陛下と皇帝直轄地が南部北部どちらにも加わらず、中立を保つ事が必要である。そういう方向になら説得の余地があると思われる。


 私は帝都へ飛んだ。



 皇帝陛下は基本的には帝宮から出ない。ご親征の時くらいじゃ無いかしら。帝宮をお出になるのは。昔は安全上の理由だったらしいが、今は単なる慣習だろう。まぁ、忙しくて出ている場合じゃないという事もあるのだろうが。


 なので、帝都の他の場所で社交にお出になる事も有り得ない。呼んで来て頂く訳にはいかないという事で、お会いしたければ帝宮に行くしかないのである。


 だが、帝宮での社交に参加するのは大変名誉な事で、王族以外の諸侯や貴族が参加する機会はあまり無い。現在、イブリア王国から帝都にはグレイド様ご夫妻しか来ていない事になっている。私がいる事は内緒だ。グレイド様ご夫妻は国王代理なので、王族に準じる扱いを受けているのだが、それでも帝宮での社交には年に数度招かれる程度である。


 うーん、どうしようか。どなたか南部同盟の王族のどなたかに頼んで、また随伴侍女か何かに化けて潜り込もうかしら。


 そう考えて数日。私に遅れる事数日でグレイド様が帝都に帰って来たその日に、帝宮から昼食会への招待状が届いたのである。


 ・・・ずいぶんタイミングが良いわね。偶然ではあり得まい。恐らく皇帝陛下は私が帝都に居る事、私が皇帝陛下との会談の機会を伺っている事、を予想していらっしゃるのだ。


 流石は皇帝陛下よね。何しろ海千山千。七王国の利害を調整しながら外国とも渡り合って、それでいて自国の利益もきっちり守って来たという政治的傑物だ。まったく簡単な相手ではない。しかしこの交渉に失敗して皇帝陛下が北部連合に与するような事があれば、南部北部の争いは先が見通せなくなってしまう。


 何としても皇帝陛下を説得せねば。私は随伴侍女に変装しながら気合を入れた。



 皇帝陛下の昼食会というのは、非常に小規模な社交の一つだ。呼ばれるのは多くても一人か二人。昼食まで社交に使われる事は社交塗れの王族にとってもあまり無い事だ。私的な時間に招くという意味合いが強いので、皇帝陛下の昼食会に招かれる事はその人が非常に親しい、あるいは重要視されているという事を意味する。


 はっきり言うと、そんな社交に外交上重要な国であるイブリア王国の国王代理とはいえ、準王族のグレイド様夫妻を招くというのは通常あり得ない事である。周囲からは「それだけ現在の情勢は風雲急を告げており、イブリア王国との話し合いは急務なのだろう」と見做されるに違いない。


 しかし恐らくは、皇帝陛下は私が来るのを見越している。それでも私は堂々と帝宮に乗り込む訳にはいかなかった。現在の情勢で帝都に私がいるのは危険過ぎるからだ。帝都は帝国北部に位置しており、どちらかと言えば北部連合の影響が強い。クーラルガ王国、クセイノン王国から近く、その気になれば二日くらいで軍勢が押し寄せるだろう。


 イブリア王国もスランテル王国に国軍の駐屯地があり、そこからなら二日もあれば帝都に軍勢を送り込めるが、本拠地から送り込める北部の方が優勢である事は間違い無いだろう。帝都は一応は中立地域の筈だが、皇帝陛下の意向次第ではどうなってしまうか分からない。


 なので私はまた茶色いロングヘアのかつらを被って、随伴侍女に変装していた。こういう昼食会では給仕を随伴の侍従や侍女がやる。毒見も兼ねて。私が毒見をして死んでしまったら洒落にならないんだけどね。


 帝宮の奥まった所にある庭園の東屋に昼食会場は設定されていた。重要な会談の際には、密偵による盗聴や覗き見の危険を減らすために、庭園に場所を設定する事はむしろ多い。


 東屋に置かれたテーブルに設定された席はえーっと、六つ。・・・六つ?


 皇帝陛下、皇妃様、グレイド様、フレランス様で四つあれば十分の筈・・・。


 って、流石は皇帝陛下だわ。私は内心で感嘆した。


 皇帝陛下とグレイド様夫妻が挨拶を交わし、席に着く。当然のように席が余る。


「イリューテシア様もどうぞ」


 皇帝陛下が微笑みながら仰る。バレバレにも程がある。そうよね。今回の招待は私を招いたも同然だもの。バレているどころの騒ぎでは無いのだ。


 仕方無く私はかつらを脱ぎ、一礼した。


「ご招待いただき有難く存じます。こんな形で失礼いたしますわ」


「なに、イリューテシア様の事情は存じておる。気にする必要は無い。さぁ、どうぞ」


 私は侍女に髪飾りを着け直してもらい、こっそり持参したネックレスとイヤリングを着けて貰った。流石に侍女そのままの格好で皇帝陛下とお話しする訳にはいかない。身だしなみは女の鎧兜。交渉の時にははったりも大事なのだ。


「お会い出来て嬉しゅうございますわ。皇帝陛下」


「こちらこそ。イリューテシア様とはお会いしなければならぬと思っておった」


 完全な社交笑顔で皇帝陛下が仰る。料理が出され、しばらくは何という事も無いお話が続く。料理もお酒も最高級のもので、明らかにこれは私を、イブリア王国を最大限に歓待している態度だ。ここで少し劣る料理や、北部でしか飲めないお酒や料理が出てくると「私は北部連合に与する事にした」というアピールになり、交渉が難しいと悟らざるを得ない所だったが、今の所皇帝陛下はイブリア王国に含みは無いとアピールしていると思われる。


 見れば東屋の周りは開けていて、少し離れたところに灌木があるが、そこには衛士が立っていて誰も近付けないようになっている。料理が乗っている皿は、イブリア王国製の陶器が多く、特にメインの乗っている皿は最新の磁器だった。明確にイブリア王国への友好姿勢をアピールするとともに、他の王国を交えず話し合いがしたいという事も主張している。これは話し合いの余地はあると考えても良いだろう。


 食後のお茶が出る。皇帝陛下はこういう、ほっと一息つけるタイミングで本題を切り出す癖があった筈だ。私がそう思っていると、案の定皇帝陛下がさらっと仰った。


「ところで、少々南部が騒がしいとの報告を受けておる」


 そらきた。私は微笑みながら言った。


「そうなのですか? 由々しき事でございますね。イブリア王国はこの所平和そのものでございますよ」


 嘘ではない。「イブリア王国は」平穏だ。色々騒がしかったのは南部連合の他の国だ。


「何でも、南部の諸国が集まって同盟を組み、北部の諸国を圧迫していると、エルミージュ陛下が訴えて来たそうな」


「まぁ!」


 私は大げさに驚いて見せた。


「それは初耳でございます。皇帝陛下はそのような虚言をまともにお扱いにはならないでしょうね?」


「無論、全てを単純に受け入れる事はしない。だが、南部の諸国が同盟を結んだのは事実であろう?」


 そこまでは確信情報として知っているのだぞ、という意味だろう。私はシレっとした顔で頷いた。


「事実でございますよ。ですが、どうも情報が偏っているようですわね」


「どう偏っておるのだ?」


 私はニッコリと笑って言った。


「同盟を結んだのはむしろ、北部の国からの侵略に対抗するためです。スランテル王国がロンバルラン王国から一方的に侵略されていた事は皇帝陛下もご存知でしょう?」


 これは皇帝陛下も認定しているのだから間違いが無い事である。皇帝陛下は頷いた。


「そのような侵略から身を守るために、南部諸国は同盟を組み、軍事力に勝るイブリア王国が同盟国の守備を請け負っているだけなのですわ」


 皇帝陛下は笑顔のまま突っ込みを入れた。


「帝国の七王国を支援するのは私、皇帝の役目だ。イブリア王国に代行してもらうような事では無いぞ」


「あら? ですがスランテル王国への侵略は、もう何年も解決を皇帝陛下に願っておりましたのに解決しなかったではありませんか。それに、かつてイブリア王国が遊牧民に侵攻を受けた折、皇帝陛下に援軍を断られた事がございました」


 皇帝陛下が笑顔のまま沈黙する。当時アルハイン公国だった頃の話を持ち出されても困る、と思ったかも知れないが、皇帝陛下の弱点を突いたのも確かであろう。


 皇帝陛下、というより皇帝という地位は、七王国の国王よりも格上ながら、実際的な権力という意味ではほとんど国王と変わらない。


 各王国への強制的な命令は出せないし、独自に軍勢を抱えている訳では無い。勿論、人口莫大な帝都と皇帝直轄地から兵を徴募して動員する事は可能なのだが、これまでそれが行われたのは、複数の王国が出兵して帝国軍が結成された時の補助的な軍勢を徴募した時だけだ。皇帝陛下が独自に軍を動かすために徴募が行われた事は無い。なので皇帝には独自の軍事力が無いと言っても間違いでは無いだろう。


 そのため、皇帝陛下は要請しか出来ず、王国が要請を無視した場合の懲罰力を持たないのだ。スランテル王国を侵犯するロンバルラン王国を武力懲罰出来なかったのはこのためである。この問題は帝国全体としては些細な問題であったし、豊かでないスランテル王国もロンバルラン王国とあまり事を荒立てたくなかったという事情もあって、なぁなぁで侵犯が黙認されてきたという事情がある。


 アルハイン公国に援軍を出さなかったのも、既にクーラルガ王国を実質運営していたフェルセルム様が援軍を出すのを渋って、それに他の国々も同調し、最終的には皇帝陛下もアルハイン公国の力を弱められるなら、と同調したという事情があるらしい。


 つまり皇帝陛下は七王国を従わせる実力に欠けるのだ。王国の国王を兼務しているから、王国が鼎立する様に調整していると、皇帝も実力的に突出出来ず、実力が無いために帝国を強力に率いることが出来ない。それが皇帝という地位の最大の弱点である。


「皇帝陛下のお手を煩わせる前に、イブリア王国が解決できるところは解決してしまおうと考えただけですわ。北部への圧迫ですとか事実無根です。ましてや皇帝陛下を困らせるような事は何一つ考えておりません」


 ここは事実なので私は堂々と言った。私は北部と決定的な対立になってしまう事など望まない。大人しくイブリア王国の軍門に下って欲しいとは思っているけど。


 皇帝陛下は少し沈黙し、それから探る様に言った。


「イリューテシア様はそう仰るが、イブリア王国が南部の同盟を組んだ事は、帝国からの独立を企んでいるようにも見えるのだ。それについてはどう思うかね?」


 私は言った。


「私とクローヴェル様は、この帝国の次期皇帝になりたいのであって、帝国を分裂させる事など望みません。むしろ南部を危険視する北部の方々こそ、帝国の分裂を望んでいるのでは?」


「それは責任転嫁では無いか?」


「何故でしょう? 私とクローヴェル様は、北部の国々が同盟に加わろうと仰って下されば、今の同盟国と同じように扱いますよ? 別に侵攻して支配する事を企んでいる訳ではございません。敵視されるのは心外です」


 帝国全ての国を南部同盟に組み入れれば、それは帝国をイブリア王国が統一する事と同義である。南部同盟ではイブリア王国の優位が確定しており、軍の自由通行権や同盟軍指揮権など帝国皇帝よりも強い権限を持っている。クローヴェル様がそうして皇帝になれば、帝国皇帝は現在の皇帝陛下よりもずっと強い権限を有する事になるだろう。


 だが、そんな事は言わない。言わないでも皇帝陛下はご承知の事だろう。つまり私はクローヴェル様をただ皇帝にするのではなく、現在の皇帝よりも強い権力を持った地位に引き上げた上で、皇帝にしたいと望んでいるのである。南部諸国はそれを認めているのだから、北部の国も認めてくれれば良いだけだ。


 皇帝陛下は表情を変えなかったが、少し固い口調で仰った。


「それはイブリア王国が帝国を支配するという事ではないか。到底容認できぬ」


「なぜでしょうか? 王国は諸侯臣従させ、支配下に置いていますわよね。同じ様に王国は皇帝に臣従するべきだと思うのです。上意下達には上下関係の確立が大事です。皇帝は王の上に立って明確に命令できるようにするべきでしょう」


「それは帝国の伝統に反する。帝国は七つ首の竜である。一首が強くなり過ぎるのは帝国の安定を損なう」


 私は目つきを鋭くして皇帝陛下を睨んだ。この皇帝陛下にとって帝国の伝統は守るべきものだろうが、そんな事は知った事ではない。


 私が、クローヴェル様が望むのは古帝国時代のように絶対的な皇帝になる事だ。強力な権力を持ち、帝国をパワフルに率いていくことが出来る地位だ。そう。本来「皇帝」というのはそういう地位だ。古帝国時代にはそうだったのだ。


「皇帝は大女神アイバーリンの代理人ではありませんか。竜の首は七つ。皇帝はそれに含まれません。皇帝は竜を打ち破った大女神の代理人でございましょう」


 大女神の代理人である皇帝は神話的にも七つ首の竜とは違う立場で、七つ首の竜を率いて行く立場なのだ。


 私の言葉に皇帝陛下は沈黙した。微笑みは変わらないが、雰囲気がピリピリしてきた。これはあれだわね。皇帝陛下は私を危険人物と見なし始めているのだわね。仕方が無い事ではあるが。ここで皇帝陛下が私とクローヴェル様を危険視して、イブリア王国の敵に回る事は避けなければならない。


 私はここで切り札を出した。


「この考えは私とクローヴェル様だけが持っている訳ではございませんよ」


 私がそう言うと皇帝陛下は虚を突かれたような表情を一瞬なさった。


「どういう事かね?」


「もう一人の皇帝候補、フェルセルム様も同じ様にお考えだという事です」


 それを聞いて皇帝陛下の笑顔の仮面が一瞬剥がれた。目を見開く。


「なぜそれを」


 やっぱりね。フェルセルム様も皇帝権力の絶対化を望んでいたのだ。だからこそ皇帝陛下はフェルセルム様の次期皇帝認定に積極的では無く、お仲が悪いように見えたのだ。


「以前聞きましたもの。あの方は私にプロポーズする時に『私達の子供にも金色の竜の力が発現する事が期待出来ます。そうなればその子も皇帝になる事になるでしょう』と仰いました。だから私と結婚したいのだと」


 つまり自分の子供を皇帝にしたいから、金色の力を持つ私と結婚したいという、身も蓋もなくロマンチックの欠片も無いプロポーズだった訳だが、理屈は分からないではない。そしてああいう事を言うという事は、フェルセルム様も皇帝権力の強化をして、国王と皇帝の血統を分離しようと考えていたであろうことが推察されるのだ。


 つまり、私達とフェルセルム様は、皇帝権力の強化を望んでいるという観点で言えば同士であるとさえ言える。皇帝にしたい人は違うけどね。


 そして、私は更に言った。これは最初にここに来た時から気が付いていた事だ。


「そうでございましょう? フェルセルム様?」


 皇帝陛下が流石に顔色をお変えになる。嫌ねぇ。別に私の勘が鋭い訳では無いと思いますわよ。このテーブルを囲む席は六つ。皇帝陛下、皇妃様、グレイド様、フレランス様、そして私。一つ余るのだ。


 その一つには誰が座るのか。皇帝陛下が南部北部の緊張緩和を考えているのなら、私の言い分を聞き私を説得するだけでは不十分だ。北部の指導者の説得も必要だろう。出来れば皇帝陛下に近しく、北部で絶大な指導力がある人物。一人しかいないじゃん。


 私が見やると、その人物、侍従を装って皇帝陛下の後ろに立っていた金髪の人物がかつらを脱いでクスクスと笑った。現れたのは赤茶色の美男子。お久しぶりですね。フェルセルム様。


「見抜いていたのならお声を掛けて頂きたかったですな。私だけ食事を食べ損ねた」


「最初からそこに座っていて下されば食べられたではありませんか」


「私がいてはイリューテシア様は本音を話されないと思いましてね」


 フェルセルム様は優雅に椅子に腰掛けた。相変わらず胡散臭い美麗笑顔だ。何が胡散臭いって、この人は顔は生まれつき笑顔のような造りをしているのに、その緑色の目が笑うのを私は見た事が無いのだ。


「どうですか? 狙い通り私の本音を引き出せましたでしょうか?」


「どうでしょうね。私がいる事が分かっていたなら、大事な所は隠されてしまったかも知れませんし」


 私とフェルセルム様はうふふ、はははと笑いながらバチバチと火花を散らし合った。皇帝陛下がやや疲れたような口調で仰る。


「イリューテシア様とフェルセルムは同じように皇帝権力の強化を志しているという事でよろしいか?」


 私は頷いた。


「同じかどうかは知りませんよ。でも私は今回、南部同盟の諸国の事を調べて唖然としたのです。国境を越えたら何も分からないために、物凄い非効率な事が平気で横行していました。ああいう非効率を無くすために帝国という組織があり、皇帝という地位があるのでは無いでしょうか?」


「同感ですね。帝国程の国土を持ち、国力を持ちながら、ガルダリン皇国に文化的、経済的、軍事的に後れをとっている部分があるのは、皇帝の権力が少なく、国土から十分な動員が出来ない事が原因でしょう」


 ふむ。やっぱりね。その辺はフェルセルム様に近い王族の方々から同じような不満の声を聞いた事がある。


 私達の声を聞いて皇帝陛下はがっくりとため息を吐いた。


「其方達の言い分は、私が間違っていると言っているのと同じだな」


「陛下ご自身は制限のある状態で良くやっていらっしゃると思います。ただ、もうそれが限界だろうと言うだけで」


「そうですとも。父上だって皇帝権力の制限で歯がゆい思いを何度もされていたではありませんか」


 そういう皇帝陛下を見ていたからこそ、フェルセルム様は皇帝権力の強化を志したのだろうね。そのためにはいけ好かない私みたいな女にも無理して求婚する。努力は認める。


「イリューテシア様。皇帝権力の強化が急務であるとお分かりなら、どうして皇帝陛下に逆らうような事をするのです? 南部で同盟を組んだことは、皇帝の権力を侵害していますよ」


「何度も言いますが、南部は皇帝陛下に逆らってなどいませんよ。南部同盟は帝国の中に帝国とは別に存在します。皇帝陛下の要請には従いますわ」


「皇帝陛下が南部同盟の解散を要請したら従うのですか」


「もちろんでございますわ。ですが、その解散が何時になるかは分かりませんけどね」


 これは、ロンバルラン王国が、スランテル王国への侵攻を咎められ、撤退を要請されながら、無視していた事を当てこすっているのだ。そこが正に、現在の皇帝権力の弱点なのである。過半数の王国が賛成する要請であれば強制力も持つが、そうでない場合は無視しても懲罰も出来ない。現在のイブリア王国の強大化を止められないのも同じ理由だ。


 それでは今後の帝国の発展の大きな阻害要因となるだろう。私はクローヴェル様をそんな見せかけだけの皇帝にする気は無かった。目指すは古帝国の皇帝。大女神アイバーリンの代理人として絶対的な権力を振るえる存在にする事だ。


「むしろ北部の方が一方的に南部を敵視しているのではありませんか? 南部が北部を非難した事は一度もありませんのに、エルミージュ陛下辺りは南部を公然と非難なさって、対抗しての連合の結成を叫んでいるではありませんか」


「それは対抗上止むを得ませんでしょう」


「では南部だけ、イブリア王国だけが責められるのはおかしいではありませんか。そうは思われませんか? 皇帝陛下」


 私に問い掛けられて、とっくに笑顔の仮面を外してしまった皇帝陛下は深く溜息を吐いた。そういう素の顔をなさっていると、皇帝陛下は十も二十も年老いたように見えた。やっぱり皇帝陛下というのは何かとご苦労が多い地位なのだろうね。そんな地位にあの病弱なクローヴェル様が着いて、大丈夫なのだろうか。私は少し心配になった。


「・・・そうだな。南部も北部も同じ様なものだ。おまけに思想的にも似通っているときては、とてもでは無いがどちらかを肩入れする訳には行くまいな」


 フェルセルム様が少し口の端を引き攣らせた。彼としてはここで私の危険性を強調して、皇帝陛下を自陣営に引き入れる腹だったのだろう。だから最初からは席に着いていなかったのだ。


 しかしその予定が私がフェルセルム様を引っ張り出して、しかも大昔の横恋慕プロポーズを引用する事までして彼の考えを白日の下に晒した事で狂ってしまった。皇帝陛下も薄々は知っていらしたらしい、彼の皇帝権力強化の野望がはっきりしてしまった。


 こうなると、王国の鼎立による帝国の安定を図る皇帝陛下としては、南部にも北部にも与する事は出来ないという結論になってしまう。


「父上。どう考えても軍事力に勝る南部の方が危険ではありませんか。南部が野心に駆られて帝都に攻め寄せて来たらどうするのですか?」


「そんな事は致しませんと、ここで私が約束いたしますわ」


 私はここぞとばかりに言った。フェルセルム様は嫌そうな顔をなさった。


「貴女は王妃で、王では無いでしょう? その約束にどれほどの価値がありましょうか?」


「あら? それを言ったらフェルセルム様も王太子でございましょう? しかも北部連合を代表している訳ではありませんわよね?」


 フェルセルム様は咄嗟に反論し損ねたようだ。私は胸を張って言う。


「私とクローヴェル様は一心同体です。私の言葉はクローヴェル様のお言葉だと考えて頂いて結構ですわ!」


 視界の端でグレイド様が頭を抱えるのが見えたが無視する。


 皇帝陛下もフェルセルム様もやや呆れ顔をなさっていた。


「イリューテシア様のお言葉を信じるしかなさそうだな」


 皇帝陛下は言って、フェルセルム様を見た。


「其方の嫁にしなくて良かったな。フェルセルム。どう考えても其方の手に負える女性では無いぞ。彼女は」


 まぁ、なんと失礼な。どういう意味なんですか? そこ、フェルセルム様もグレイド様も、フレランス様も、侍女達まで! 頷く所ではございませんよ!


 まぁ、良いでしょう。これで皇帝陛下はどうやら北部に加わらない見通しになった。その状態なら南部同盟の方に利がある。私はやれやれと少し身体から力を抜いた。


 せっかくフェルセルム様もいる事だし、皇帝陛下を交えてもう少し今後の事を交渉してみましょうか。出来れば北部と決定的な対立になって、戦争が起こるような事は避けたいしね。フェルセルム様の恐ろしさは、隠れて暗躍して他人をけしかけてくる所にある。表に出て来てこうして正面から交渉すれば、口の達者さ加減は私に分があると思われる。


 そう思った私が気合を入れ直し、姿勢を正した、その時だった。


「申し上げます!」


 一人の貴族が庭園の中を走って来た。どうやら帝宮の官僚のようだ。皇帝陛下は大きな声で怒鳴った。


「今日はここに近付いてはならぬと言ったろう! 来るでない!」


 近付かれたら私がここにいるのがバレてしまう。私は慌てて侍女を呼んで髪飾りを外して貰い、かつらを被せて貰った。フェルセルム様も慌ててかつらを被っている所を見ると、彼も現在帝宮にいる事は内緒なのだろう。


「し、しかし至急報告せねばならぬ事がございます!」


 皇帝陛下は私達の変装が終わるのを見届けると、その官僚を呼び寄せた。官僚は慣れない全力疾走に息も絶え絶えだ。どう見ても尋常な報告では無さそうだ。皇帝陛下は立ち上がって官僚を怒鳴りつけた。


「なんだ!」


「も、申し上げます! ガルダリン皇国軍が大規模に国境を侵し、帝都に向けて進軍中との報告が!」


「「「なにっ!」」」


 重大過ぎる知らせに、皇帝陛下とフェルセルム様と私の声が綺麗にハモったのだった。

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