四十話 帝都防衛の戦い

 勢いで前進してしまったが、私は槍すら持っていない。そんな状態では戦える訳がないわよね。槍持ってても無理だ。使った事なんて無いもの。


 竜の力を浴びたからか、恐怖心は全くないけど、だからこそ逆にタチが悪い。ワーッと前進して矢が降り注ぎ始めて初めて気が付いた。あ、まずい。これ、どうしようか。


「王妃様をお守りせよ!」


 と周囲の騎兵が前進して、私を囲んでくれ、盾を翳して私を守ってくれた。


「無茶をしないで下さい! 王妃様!」


 と馬を寄せて来たグレイド様に怒られた。はい。すいません。私は馬のスピードを緩めたが、周囲の騎兵はそのまま前進してガルダリン皇国軍の中に喚声と共に踊り込んだ。


 ガルダリン皇国軍歩兵部隊は長槍を翳して迎え撃つが、帝国軍騎兵部隊は構わずぶち当たり、槍を弾き歩兵を跳ね飛ばし、あっという間にガルダリン皇国軍の隊列に深く食い込んだ。


 私は戦いの様子をこれほど間近で見た事が無かったので、流石に息を呑んだ。雄叫びと馬の嗎と剣戟の音。そここで血が飛び散り、断末魔の悲鳴が響く。


 私はなんだかんだ言って、平和な田舎のお姫様だ。戦いや殺人とは縁遠い世界で生きてきたのだ。グッと胃の腑が迫り上がるような心地がした。


 ダメだダメだ。この戦いは私の命令で起きたのだ。ここで人が死ぬのは私の責任だ。私には彼らを指揮し、勝たせ、見届ける義務がある。


 私は顔を上げる。情けない表情をしているとは思うが、兜を被っているから顔は見えまい。私は色んな感情を振り払うように、イブリア王国の水色の竜旗を大きく振った。


 こんなにゴチャゴチャしていては戦況は良く分からない。グレイド様に促されながら、私は馬を進める。と、カーンカーンと鐘の音がすると、突入した騎兵がさっと馬首を巡らせてガルダリン皇国の中から脱出してきた。そして、私とグレイド様に続くような隊列を組む。そして、隊列が乱れたガルダリン皇国軍に、雄叫びを上げつつ帝国軍の歩兵部隊が突入して行くのが見えた。


 そして、少し騎馬を走らせた後、グレイド様はサッとガルダリン皇国軍を指差す。今度はカンカンカンと短く鋭い鐘の音がして、帝国軍騎兵隊が一気に方向を転換し、グレイド様の指差した場所に突撃した。


 多分こうやって何度も騎兵隊の突入を繰り返してガルダリン皇国軍を翻弄し、そこを歩兵が突き崩す作戦なのだろうね。


 恐らく、フェルセルム様やホーラムル様も違う場所で突入作戦を繰り返していることだろう。竜の力を得た帝国軍は流石の強さで、見ている範囲ではガルダリン皇国軍を圧倒しているように見える。これなら勝てそうね! と私はグレイド様に叫んだのだが、グレイド様は同意してくれなかった。


「流石に敵が多過ぎます。それにガルダリン皇国は戦意が高い。これだけ圧倒しているのに浮き足立った様子が無い」


 数に劣る軍が多勢に勝つには、敵を混乱させ、煽り、相手を恐慌状態にするしかないのだそうだ。しかし、ガルダリン皇国軍は力を得て普通ではない強さになっている帝国軍と戦いながらも、統制を失っていない。これではいくら竜の力で強化されている帝国軍でも、その内に数の力で磨り潰されてしまうだろう。


 それを防ぐには、ガルダリン皇国軍浮き足立たせる何か、を起こさなければならないだろうという。敵の戦意を挫く何か。とりあえず敵がこちらと戦うよりも後退しなければならないと焦る事態を起こすのだ。そうすればガルダリン皇国軍は総崩れになり、帝国軍はそれを追撃するだけで容易に勝利出来るだろう。


 しかし、それは容易な事ではない。グレイド様は唸る。


「正直、空に二頭の竜が舞い踊った時点で、ガルダリン皇国軍は恐慌をきたすと思っていました」


 しかしながらそうはならなかった。ガルダリン皇国軍は金色の竜を何度か目にしているからだろうとグレイド様は言った。そうね。私はフーゼンの戦いで呼んだし。フェルセルム様もおそらくガルダリン皇国との戦いで呼んでいるのだろうね。


 それと、大女神アイバーリンはガルダリン皇国でも広く信奉されているのだが、帝国の祖として伝わる七つ首の竜は、他国では大女神と戦った悪者として語られているらしい。


 つまり竜を呼んだ帝国軍は大女神様に逆らう悪の軍団と認識されるようで、それと戦うガルダリン皇国軍は聖なる軍隊だということになり、逆に戦意が上がっている可能性さえあるらしい。


 竜の力による強化は、フーゼンの戦いの経験からすると丸一日は保つようだ。しかし、この戦いがその一日で終わるとは限らない。太陽は既に真上だ。明日になって効力が切れると力が貯まるまで三日は竜は呼び出せない。


 何としても今日一日で決着を着ける必要があるだろう。


「グレイド様、どうすれば敵の戦意を挫けましょうか?」


 私が尋ねると、グレイド様は言い淀んだ。


「・・・王妃様。何をしでかすおつもりですか?」


「奥の手を使います」


 もう私の手札は本当に残り少ない。切り札はギリギリまで隠しておくべきだし、フェルセルム様には見せたくない手札ではあるのだが、ここで出し惜しみして帝国軍が敗れては元も子も無いだろう。


 グレイド様は顔を兜で隠していても分かるくらい嫌そうな顔をしていたが、彼とて状況の打開方法は喉から手が出る程欲しいのだろう。渋々仰った。


「一番効果的なのは敵の大将を討ち取る事です。司令官を失えば敵は動揺しますし、大軍だけに指揮系統が瓦解して、軍勢は崩壊するでしょう」


 私は頷いた。


「敵の司令部の場所は?」


「敵軍の陣列の中央後方です。無理ですよ。王妃様。単に後ろに回り込むだけでは突けぬ位置です」


 グレイド様が先回りして仰った。しかし現在は帝国軍が優勢に戦っている事は間違い無いのだ。敵の陣列には綻びが出来ているだろう。そこを突けばあるいは。


 というよりもうそこに賭けるしかない。私は決断した。


「グレイド様、トーマの軽装騎兵を借りますよ」


「何をするおつもりですか! 王妃様! 無茶はお止め下さい!」


「無茶は元より承知の上です! 私が帝国軍を勝たせます!」



 私はトーマの軽装騎兵一千騎を率いて戦場を離脱する。元々トーマの軽騎兵は乱戦には向かないので、後方にいたために分離は容易だった。私は彼らの先頭に立って馬を駆けさせた。


 残り少ない手札なのだ。易々とは使えない。しかし温存し過ぎて負けてしまっては意味が無い。使い所が大事なのだ。


 帝国軍は竜の力で強化されていて、圧倒的に押してはいた。しかしながら、何しろ敵は数が多い。次々と戦力を交代させ、波状的に攻撃を仕掛けてくる。こうなると戦力に劣る方は段々と疲弊してくることになるだろう。竜の力で疲労を感じにくくなっていると言っても限度がある。


 私は離れた所からなるべく戦場を広く観察した。しかし、ほとんど平地であるので戦場の全容はよく見えない。少し丘になっている所に上がったり、大きく移動して敵味方の動きを見る。ダメねよく分からない。


 やはりアレをやるしかない。しかしやっても状況を打開出来るかは五分五分だ。歴戦の指揮官であるホーラムル様やグレイド様、フェルセルム様なら私よりも戦場がよく見えているのかも知れないし。


 だがこの乱戦である。グレイド様も敵の強さにてこずり、攻めあぐねていた。状況を打開するには何か突拍子も無い事、ガルダリン皇国が予測もしていない事をするしかない。


 私は自分の馬の首を叩いて祝詞を唱えた。


「大草原の守護者にして馬を総べる神であるブケファランよ! 目覚めたまえ、その御力を我が馬に貸し与えたまえ!」


 すると、私の馬がブワッと光を纏った。同時にカッと熱くなり、瞬時に鞍と手綱が焼け落ちる。アチチチ!馬は炎に包まれた。そして顕現したブケファラン神はこの世のものとも思えないような声で嘶いた。


 私の後ろに続いていたトーマの人々が驚きと畏怖の声を上げる、ブケファラン神は彼らの神だ。一目で炎の馬が何なのか分かったのだろう。祈りの声も上がる。


 これが最後の切り札、の一つだ。三日前にブケファラン神を一度召喚しておいて、それから私の馬の中でお休み頂いたのだ。こうすると召喚した状態のままにしておける。そして先ほど祝詞で起こして再び顕現して頂いたのである。


 勿論、休眠して頂いている間にも力は消費されるようなので、ずっと召喚して置けはしないし、その分顕現していられる時間は少なくなるようだ。三日も経っているから飛べても精々二時間くらいだろう。なので行動を急ぐ必要がある。


「あなた達はそのまま進んで後方に回り込んで、私の命令を待ちなさい!」


 私はトーマの軽騎兵にトーマの言葉で命じてから、ブケファラン神を空に舞い上がらせた。後ろからどよめきと歓声が上がる。


 上空から見下ろせば戦場の状態は一目瞭然だ。ある程度上空に上がるとブケファラン神の隠蔽能力が発揮されるので、敵に見られる心配はない。まぁ、見られて大騒ぎになってくれても良いと思うけどね。だけど矢でも撃たれたら大変だ。無礼に怒り狂ったブケファラン神が何をしでかすか分からない。神様は怒ると怖い。戦女神様で私は学習したのだ。


 私は戦場を観察する。ガルダリン皇国軍はがっちり固まり、それを左前からイブリア王国軍、右前からはクーラルガ王国軍が攻める形になっている。帝国軍はあえて正面を避け、敵が中央を突破したらそれを良いことに後方へ回り込むつもりだったようだ。


 しかし、ガルダリン皇国軍はその誘いに乗らず、軍を二つに分けて、それぞれイブリア王国軍、クーラルガ王国軍に当てているようだ。それでもそれぞれ五千に対して一万の兵力だから圧倒的だ。そして正面の戦いでは負けていながらも、陣列を横に伸ばして包囲を試みているように見える。この辺は訓練されたガルダリン皇国の歩兵部隊ならではだわね。


 本来は騎兵の機動力で翻弄したいところなのに、相手がこれほどどっしり構えていては辛いものがある。帝国軍は結局、竜の力で強化された攻撃力で正面からぶつかり合う事を余儀なくされつつあった。


 これではまずい。何かを起こして戦況を変えなければ勝ち目が無い。私は敵の様子を観察した。敵の本陣は何処だろう? グレイド様は中央後方と言っていたけど・・・。


 見ると、敵の大将とその近衛兵団数百の部隊は、大きく二つに分かれたガルダリン皇国軍の間にいるようだった。上空から見ると、二つの大きな四角の間に小さな丸が挟まっているように見える。イブリア王国軍、クーラルガ王国軍からは多くの軍勢を挟んで安全な位置だが、機動力が大きいトーマの軽騎兵なら大きく迂回して手薄な後方中央に突入出来る。


 それを確認すると、私はまず、クーラルガ王国陣営に飛んだ。


 上空からフェルセルム様を見つけて間近へ舞い降りる。当然だがいきなり空から現れた私にクーラルガ王国軍は大騒ぎになる。何しろ燃える馬に鎧姿の私が乗っているのだ。反射的に攻撃されなくて良かったわよ。


 兜を被ったままでも一目で私だと見抜いたようだ。面覆いだけを上げたフェルセルム様は呆れたような声で言った。


「出し惜しみは無しとか言って、力を隠していたのですか?」


「内緒です。貴方だって切り札の一枚二枚は隠しているでしょう? それより、これから敵の本陣を突きます。恐らく敵が動揺すると思いますので、そこで一気に勝負を付けますよ! 貴方も隠している切り札を切りなさい!」


 私も面覆いを上げてフェルセルム様を睨む。


「ここで失敗したら勝ちは有りませんよ! 帝都が陥ちでもしたら、貴方も私達にも皇帝の目は無くなります」


 帝都の主人こそが皇帝だ。帝都を守り切れないような事があれば皇帝に相応しいとは見做されなくなるだろう。


「・・・そんな事、貴女に言われるまでもありません。分かっていますよ」


「では、頼みましたよ!」


 私はそう言い残すと再び空へ舞い上がった。続けてイブリア王国陣営に飛ぶ。


 ホーラムル様を目掛けて舞い降りると、ホーラムル様は驚きそして大いに喜んだ。


「おお! 流石はイブリア王国の戦女神! 素晴らしい勇姿でございますな!」


「そんな名前で呼んだら、私がランベルージュ様に怒られるから止めてくださいませ!」


 私はホーラムル様にもこれから本陣を突くことを教えた。流石にホーラムル様の顔つきが引き締まった。


「この機会を逸すれば勝ち目はありません。頼みましたよ! ホーラムル様!」


「分かりました! 王妃様もご無事で!」


 まずい。多分、もう時間がギリギリだ。私は急いでブケファラン神を促して空を飛び、戦場を大きく迂回していたトーマの部隊の所に舞い降りた。降り立つと共にブケファラン神が天に戻られた。馬を包んでいた炎が消える。こうなると私はただの裸馬に跨っている状態になってしまう。重い鎧兜を着て、鞍無し、鐙も手綱も無しは危な過ぎる。


 幸い、トーマの部隊は替え馬を用意するのが普通だったので、一頭を借りて乗り換えることが出来た。大事な私の馬(ブケファラン神が気に入っているようなので)は従卒に預けて退避させる。私は従卒からイブリア王国の竜の旗を受け取った。


 そして、竜旗を天に翳す。竜の旗には(ちゃんと決まった様式で作られて、素材や文様に間違いが無ければ)神器として金色の力を籠めることが出来る。クローヴェル様がお持ちになって戦場に向かった事がある、あれだ。この旗には王国から持ち出す前に力を込めてある。


 クローヴェル様が使った時には旗が光るだけで周囲には影響が無かった、とホーラムル様は思ったようだが、実は旗に込められた金色の力が及ぶのは、旗を持っている本人に対してだけなのである。あの時もクローヴェル様ご本人だけは竜の力で強化されていたのだ。でなければクローヴェル様の体力で丸一日戦場で馬上にいて、部隊を指揮するなんて無理よね。


 そう。この旗に込めてある力を使えば、私自身に力を使う事は出来る。竜を呼んで力を使っても良いが、それだと私の個人的武勇を強化するだけになってしまう。私はそもそも武芸の心得が無い。強化してもあまり意味が無いのだ。そもそも部隊を率いて戦場に突入するなんて真似は、怖いから無理なのだ。


 ではどうするか。・・・手段を選んでいる場合ではない。これが私の本当の最後の切り札だ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。肉を切らさねば骨は断てぬ。勝利のためには犠牲が必要だ。私は覚悟を決めて天に向かって叫んだ。


「大女神アイバーリンの剣であり盾であり、槍であり矢であり鎧である、戦女神ランべルージュよ! その力を我に示したまえ。我が身に宿りてその強さと美しさを示したまえ!」


 光が旗から天に向かって駆け上がり、そしてドーンと落ちて来た。私に。


『なかなか良い覚悟じゃ。その覚悟で呼ぶのであればわらわも応えてやらんではない。ふふふふ、久しぶりの戦場じゃ! 血がたぎるのう。後はわらわに任せておれ!』


 前回とは大違いのランベルージュ様のご機嫌な台詞が頭に響いたかと思うと、私の意識は無くなった。


 ・・・のでこれは後からトーマの者達に聞いた話になる。


 私、に乗り移って顕現したランベルージュ様は、非常に上機嫌に旗と槍を従卒に交換させると、軽々と槍を振るって叫んだ。


「ようし! 者ども! 遅れを取るでないぞ! 付いて参れ!」


 そう叫ぶや否や、私は、ランベルージュ様は一気に馬を駆けさせ、ガルダリン皇国軍の中に乗り込んだのだそうだ。後方で、手薄になっている部分とはいえ、警戒している部隊はいる。その部隊は我々を発見すると一斉に矢を射かけて来た。


 しかし、我々は軽装だ。警戒部隊の予測を越えたスピードで一気に接近して、一気に突破する。


「相手にするでないぞ! 目標は敵の大将じゃ!」


 流石はランベルージュ様、良く分かっている。トーマの軽騎兵は正面に立ち塞がる部隊にのみ矢を放ち、斬り崩すとあっという間に突破して、遂に敵の本陣の中に踊り込んだ。


「おう! 我こそはアイバーリン様の剣であり鎧でもある、戦女神ランベルージュぞ! 我とは思わん者は前に出よ!」


 戦女神を騙るとはなんという不遜な女なのか、とガルダリン皇国軍の者達は思っただろうね。彼らも騎士であれば戦女神様の信徒だろうから。総司令官を守る意味もあって、数十人の騎士たちが怒りも露わに襲い掛かって来たそうだ。


 しかしまぁ、戦女神様は無茶苦茶に強かった。槍を振るって騎士を突けば、大男の騎士が空高く跳ね飛ばされる有様であったそうだ。ただ、大女神様は殺生を嫌うからか、戦女神様が自らの戦闘で相手を殺す事は無かったらしい(戦女神様が投げ飛ばした者をトーマの者が止めを刺した例は沢山あったが、それには戦女神様は何も言わなかったようだ)ランベルージュ様は明らかに戦いを楽しんでおり、わざわざ敵を接近させ、わざと攻撃を受け、それから反撃して敵を投げ飛ばしていたそうだ。・・・人の身体だと思って好き勝手やって下さったものね。


 戦女神様の切り開いた血路からトーマの軽騎兵も突入し、ガルダリン皇国軍の本陣は大混乱になる。司令部の動揺は全軍に伝わる。ガルダリン皇国軍の結束にほころびが生じた。そしてその時、クーラルガ王国軍の中に再び大きな竜が現れたのだそうだ。


 金色の竜は、今度は消える事無く地上にあり、そして大きな身体を振るってガルダリン皇国軍を跳ね飛ばし、口から雷を吐いてガルダリン皇国の兵士を黒焦げにしたそうだ。恐らくそれは、フェルセルム様の「奥の手」だ。私も知らない力の使い方で、自らを竜に変化させて戦ったのだと思われる。やはり切り札を隠し持っていたわね。まったく油断も隙も無い。


 司令部の動揺、竜の出現。この二つでガルダリン皇国軍は遂に浮足立った。この機を逃さず、イブリア王国軍はホーラムル様の命令一下、全力攻撃を敢行した。グレイド様は騎兵隊を大きく走らせてガルダリン皇国軍の側面に突入する。


 これで遂にガルダリン皇国軍は陣列が崩壊した。総崩れとなる。


 ガルダリン皇国軍は敗走し、帝国軍は追撃を掛けた。しかしながら帝国軍にも流石に余力が無い。日が沈んでしまった事もあり、ある程度追撃を掛けた所でホーラムル様が命じて帝国軍全部隊を停止させた。国境まではまだ遠いが止むを得まいとの判断だったそうだ。


 こうして、帝都近郊でのガルダリン皇国と帝国軍の戦いは、帝国側の大勝利に終わったのである。



 私が目覚めたのは帝都の公爵屋敷の自分の部屋のベッドだった。あれ? 夢? と思うくらい意識を失った時とは状況がかけ離れていた。身体を起こすとポーラが飛んで来た。話を聞けば、戦場でパッタリ倒れた私はトーマの者に抱えられて撤退し、慌てたホーラムル様に背負われてここに担ぎ込まれた挙句、どうやら一週間も寝ていたらしい。もう起きないのではないか、と心配したポーラは泣きながら怒っていた。


 まぁ、竜を呼び出し、ブケファラン神を呼び出し、終いには戦女神を乗り移らせて戦ったのだ。力と体力の使い過ぎだろう。一週間も寝ていたのでもう身体の痛みなどは無かったわね。運び込まれた当初はうなされていたようだったけど。


 起きてドレスに着替えてホーラムル様とグレイド様を呼んで報告を聞く。二人とも私の目覚めを喜んで、物凄くホッとした顔をなさっていたわね。


 帝国軍は帝都近郊で倍差を跳ね返してガルダリン皇国軍を撃退した。余力が無かったので国境まで追撃は出来なかったが、既に国境封鎖の依頼が皇帝陛下より行っていたオロックス王国のカイマーン陛下が兵を急行させ、敗走するガルダリン皇国軍を蹴散らして千単位の捕虜を得たそうだ。


 帝国軍の損害は流石に無しとはいかず、イブリア、クーラルガ王国合わせて千人以上の死者が出て同じくらいの重傷者が出た。これはかなりの損害だと言えるが、倍の数の敵を撃退したのだから止むを得ないだろうとホーラムル様は言った。王族や騎士として戦った諸侯に死者が無かったのは奇跡に近い事だったそうだ。


 帝国軍はボロボロになりながら帝都に帰還したのだが、皇帝陛下が自ら帝都の外までお出迎えになり、特例を与えて帝国軍全員を帝都に入れる許可を下さったそうだ。それは何よりね。重傷者は病院に入ることが出来たそうだし。


 皇帝陛下は使者を出して私にお見舞いを下さり、ホーラムル様とグレイド様にも特にお礼と恩賞を下さった。恩賞は宝石とお金だったそうだ。帝国軍が編成される事はよくある事だが、国王以外にお礼と恩賞が出る事はまず無い事である。


 さて、気になるのはクーラルガ王国のフェルセルム様の動きだったが、どうやらあちらも寝込んでいるという話だった。聞けば、自らを竜に変化させて戦ったのだそうで、そんな力の使い方があるのか、と私は驚くやら内緒にしていたフェルセルム様に警戒心を新たにしたりしのだが、やはり尋常な使い方ではなかったようだ。戦場で意識不明になってそのまま帝都に担ぎ込まれたらしい。


 まだ目覚めたという話が聞こえてこないので、恐らくまだ動けないのだろうとの事。なら私が寝ている隙に暗躍されたという事は無さそうね。一安心だ。


 既に早馬が走って王都にいらっしゃるクローヴェル様には報告が為されたようだ。恐らくその時は私が倒れて寝込んでいるという話になっているのだろうから、凄く心配して下さっているだろう。寝込んでいる間に力も貯まっているから、一度王都に帰ろうかしら・・・。


 うーん。しかし私は考えた。今貯まっているこの力は違う事に使うべきよね。今回は激しい戦いで、多くの負傷者が出ている。今も生死の境目で苦しんでいる者もいるようだ。全て私の決断と命令で起こった事なのだ。


 そういう人死にを冷然と無視して人を指図出来るのが、王族として政治家としての正しい姿なのだろうとは思う。既に敵味方合わせて数千人も人が死んでいるのだから、今更人の命を惜しむなんて偽善だし、甘いと言われても仕方が無いと思う。でもねぇ。


 実際私は甘いのだ。覚悟が足りず勇気も足りなかったから、自分の力で戦場に突入出来ず、ランベルージュ様の力に頼ってしまった。そういう覚悟の足りない私には、助けられる人の命を無視して先に進むなんて出来ない。


 同時に、それでも良いと思う私もいる。私は庶民出身だし、兵士の大半は庶民だ。せっかく庶民出身の私が皇妃になるなら庶民を見捨てない皇妃になるべきでは無いか。クローヴェル様は自身の身体がお弱いからか、昔から弱者に対してお優しい。旧王都では町の人々と親しく付き合って皆に慕われていた。ああいう、庶民と王族、皇帝の距離が近い帝国を私達は造りたいのだ。


 私は負傷者が入れられている病院に行った。はっきり言って病院と言っても、建物の中にゴロゴロと負傷者が床に転がされ、医師と看護の者が治療するだけの場所だ。丁重な面倒を見られている訳では無い。むっと何かが腐った臭いがするし、血の臭いも漂う。私が中に入って行くと、転がっている負傷者たちは目を丸くした。何しろ私は美しいドレス姿。ホーラムル様と侍女、護衛の兵士まで付けている。


 視線は好意的なものでは無かった。そりゃそうよね。私たち上層部の命令で戦わされて大きなケガをしたのだもの。人によっては命は助かっても手足を失ったり、不自由になったりする者もいるだろう。私を恨みに思うのは当然だ。ホーラムル様が警戒する様に剣に手を掛ける。彼は私が病院を見舞いたいと言った時に強く反対した。危険だと。恐らく、この雰囲気を予想していたのだろうね。


 しかし私は構わず進み出て、全員を見渡した。そして大きな声で言った。


「皆さま。イブリア王国のイリューテシア王妃です。皆さまが良く戦って下すったおかげで、帝国は勝利を得る事が出来ました。心からお礼を申し上げます」


 私は頭を下げた。王族が庶民に頭を下げるなど本当はしてはならない。だが、私は他に感謝の仕方を知らない。


 私が頭を下げた事で、雰囲気は大分緩んだ。少し笑い声さえ起こる。うん、これなら言う事を聞いてくれそうね。私は続けて言った。


「お礼にこれより皆様に治療の神、キリルミーユの癒しを掛けます。この癒しは竜の力と違って私が一方的に力を使っても効果がありません。皆も一斉に同時に祈って欲しいのです」


 驚きのどよめきが起こった。それはそうだろう。キリルミーユは医療の神で、比較的よく知られている神様だ。何なら病院には必ず祀られているので、この建物のどこかには像が飾られている筈だ。何度も像を見た事があるから、改めてお姿を確認する必要は無いから探さないけど。


 癒しのやり方は大神殿の資料で見た。治療を受ける者の真剣度合いで治癒効果が変わる難儀な術らしいのだ。私を心から信用してくれないと効果が薄くなってしまう。私は三階建ての病院の全ての階で同様にお礼をして治療を知らせた。ホーラムル様は慌てて、特にイブリア王国の兵士に、真剣に祈る様に命じていた。元より、竜の力の効果を戦場で実際に感じた者ばかりだから、私の力は疑っていないでしょう。


 知らせが行き渡るのを待って、私は病院の建物の前の通りに出た。動けるものは窓際に出て私を見ながら両手を胸の前で重ねて祈りの姿勢を取っている。異様な光景に野次馬が周囲にドンドン集まって来てしまい、護衛の兵士が必死に近付かないように制御していた。あんまり長引かせるわけにはいかないわね。


 私は真っ直ぐに両手を天に差し上げた。初めて祈る神様なので明確にお姿を脳裏に思い浮かべ、真剣に祈る。


「慈愛と博愛に満ちた医療と治癒の女神、キリルミーユよ! 我が力を受け、我が祈りに応えたまえ! 大女神と竜の子孫である帝国のために戦いし兵士たちの傷を癒し回復させ、彼らを再び大地に立たせたまえ!」


 私の両手から金色の光が立ち上がり、初めて見るのだろう帝都の野次馬から驚きの声が湧き上がった。次の瞬間、光は私に向かって落下し、私に当たると同時に周囲に円を描いて拡散した。


 同時に病院の負傷者たちも燃え上がる様に金色に輝く。私は必死に祈る。祈りの強さが治癒の力に繋がるらしいからだ。皆が治ります様に。欠損した腕や足や目が戻りますように!


 やがて光が止んだ。ど、どうかしら。あまりにも全力で祈ったので頭がくらくらした。すると、直ぐに病院の方から大歓声が上がるのが聞こえた。


「凄い! 治っているぞ!」


「怪我が跡形も無い!」


「脚が、脚が戻っている!」


「奇跡だ!」


 などと凄い騒ぎだ。良かった。儀式は成功してかなりの効果があったらしい。ちゃんと私を信じて真剣に祈ってくれたようだ。私がホッとしていると、病院の窓に治療された兵士たちが溢れんばかりに乗り出して、私に熱狂的な歓声を浴びせた。ちょっと、そんなに乗り出したら、せっかく治ったのにまた落ちてケガするわよ!


「イリューテシア様! ありがとうございます!」


「イブリア王国万歳! 王妃イリューテシア万歳!」


「いや! 皇妃イリューテシア万歳! 必ずクローヴェル様とイリューテシア様を皇位に!」


「聖女イリューテシア万歳!」


 大騒ぎだ。ふふふ、竜の力を兵士に与えた時にもやはり大騒ぎになるんだけど、あれは何となく兵士を戦場に追い立てているような気がして気分が良くないのだ。だけど今回の歓喜の大騒ぎは、誰もが幸せになる大騒ぎなので気分が良いわね。


 やっぱり、この金色の力はこういう、みんなが幸せになる事に使いたいし、使うべきだと思うのよ。私はそんな事を思いながら、涙さえ流しながら私を讃えてくれる兵士たちの声に手を振って応えたのだった。


 この時の私の儀式は野次馬の口から帝都に遍く広まってしまい、どこがどう変化して伝わったのか、私が死んだ兵士を生き返らせたという話になってしまい、しばらくは帝都中で「死者をも蘇らせるイリューテシア」ととんでもない噂になってしまったようである。





 

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