三十六話 夫婦喧嘩の仲裁

 王都に帰還する前、私は神殿領まで飛んだ。私の銅像を造るなんて暴挙を止めさせるためと、大神像に力を奉納するためだ。前回に奉納してからかなり日が経ってしまったからね、


 大神殿の裏口の門の内側に私が降り立つと、巫女たちは驚き慌てて大騒ぎになってしまった。それはそうだろう。神殿長で筆頭巫女のアウスヴェール様も卒倒ばかりに驚いていたわね。


 驚くと同時に喜んで、目立ちたくない私の意向を汲んで、私の部屋を神殿の中に用意してくれた。本来、大神殿の中で寝泊まり出来るのは巫女(未婚か寡婦)だけだが、私は聖女枠で特別に許可された。誰が聖女か。


 私はアウスヴェール様に銅像を造るなんてとんでもない。私を崇拝するような事も止めるようにと申し渡したのだが、これには彼女は意外と強く抵抗した。


「大女神像を動かし、炎の馬で空を飛ぶような方は聖女どころか生き神様じゃ。拝まずにはいられぬ」


 というのだ。まぁ、人間離れしていることは確かだわね。


 結局、私は力の奉納と引き換えにすると脅して銅像だけは取りやめさせたが、私への崇拝行為を止めさせる事は断念せざるを得なかった。


 私は二週間ほど滞在し、力を大女神像に奉納するとともに、図書室に行って神々の事を調べ直した、


 戦女神様の御力を良く知らずに迂闊に借りたら酷い目に遭ったのに懲りたので、神々の事を良く調べたのだ。神話だとか御力についてとか、性格などを調べた。御名やお姿が分かればそれもメモして記憶した。私の力はどうやら神々について知れば知るほど有効に使えるようだからね。


 大女神像には三回もしっかり奉納したので力は満杯になった。ここまで力が満ちれば、一般信徒の祈りで消費される程度の力であれば十年くらいは保つだろう。これから忙しくなるから、しばらく奉納には来られないからね。


 それと、これからの事を考えると、イブリア王国の後背にあたる神殿領で騒ぎが起きて欲しくないので、大女神像の防衛機能を最大にしておきたかったという事情もある。


 そうして用事を済ませて私は旧王都に戻り、それから王都に帰還したのだった。



 王都にはちょくちょく飛んで来ていたので、久しぶりという感じではなかった。だけど馬車での帰還だったので、その遠大な行程に驚いたわよね。七日も掛かるのだもの。半日で飛んでしまえるブケファラン神の偉大さを思い知るしかなかった。


 三歳のレイニウスと一歳にならないフェレスティナを連れての旅だったので無理は出来ず、クローヴェル様も大分旅慣れているとはいえこれも無理をさせられない。馬車はゆっくりと進んだ。


 道中、レイニウスはずっとご機嫌ななめだった。この我が家の長男坊は、離宮の周りの子供たちとすっかり仲良くなってしまっており、引っ越しを大変嫌がったのだ。


 最終的には泣き喚くレイニウスを無理矢理馬車に押し込まざるを得ず、ちょっと可哀想な事をしてしまった。でもまさか将来の王太子を置いてくるわけにもいかないし。


 王都は特に変わりも無いようだった。王宮に入った私は妊娠期間中に溜まった案件を処理し、報告を受ける。もちろん、雪に閉されている時期以外は書簡で報告を受けているので、それほど多くは無いけど。


 私が一番気にしていたのはザクセラン王国の情勢だった、


 ザクセラン王国では国王派とザーカルト派の争いが最終局面を迎えていた。そもそも軍に大きな影響力を持っていたザーカルト様だけに、彼が立ち上がると国軍や騎士達は一斉にザーカルト様を支持した。


 しかしそれだけで趨勢が決まる程事は単純ではない。国王ノルザック陛下は王都に拠りザーカルト様に対抗する。ザーカルト様とて王都に攻撃を加えるような真似は出来ない。軍で圧力を加えながら父である国王と交渉を行う。


 そもそもザーカルト様が父王と溝を深めたのは、軍備拡張を主張するザーカルト様に対してノルザック陛下が反対したからである、ザクセラン王国は帝国の中でも豊かな方の国であるが、その割には軍を整えるのに消極的だった。ザーカルト様はそれが不満だったのだ。


 もっともノルザック陛下にも言い分はあっただろう。常備軍というのは莫大な費用が掛かる組織である。イブリア王国のように東西からの侵攻に備え迅速に軍を動かす必要がある国とは違い、ザクセラン王国は基本的にガルダリン皇国に備えれば良く、いざとなれば帝国軍を要請すれば良いのだから、大規模な常備軍など必要無い。という意見には一理あるのだ。


 もっともそれではザクセラン王国はイブリア王国やオロックス王国、皇帝陛下に借りを作り続けてしまう事になり、帝国内での発言力が低下し続けてしまう。それを不満に思う者が、ザーカルト様を推すのも当然だろう。


 それだけなら長く王国を大過無く治め、諸侯からも支持されているノルザック陛下の方が流石に優位だっただろうが、ここにイブリア王国の躍進という要素が加わると、途端にザーカルト様の勢いが増す事になる。


 そもそも、ザクセラン王国は西がガルダリン皇国、東がスランテル王国、北がオロックス王国、そして南がイブリア王国に囲まれていて、それぞれの国に近い諸侯が派閥を形成していた。ザーカルト様はアルハイン公国へ何度も視察に訪れていて、ホーラムル様とも仲が良く、元々親アルハイン公国・イブリア王国派だったのだ。


 そこへ、私がザーカルト様に名馬をプレゼントするなどして強力に推す構えを見せた。同時にイブリア王国は急成長を始める。帝都でも存在感を増し、ガルダリン皇国の侵攻をザクセラン王国と共同で退け、トーマの民を服属させた。


 こうなると、親イブリア王国派は勢い付くし、実際問題として軍事力を増大させるイブリア王国の機嫌を損ねない事はザクセラン王国としては国防上重要な事になる。


 そうなると、名馬を十頭も贈られて、国王クローヴェルからも直々に武勇を讃えられ、明らかにイブリア王国が推しているザーカルト様を国王にする事は十分国益に叶う。イブリア王国と強力に組んでおけば、帝国内部での地位上昇とガルダリン皇国への対抗力の強化が容易に行える。それがザーカルト様を国王にするだけで手に入るのだ。


 親イブリア王国派を中心にザーカルト様を次期国王に、という動きが強まる中で、ザーカルト様はイブリア王国に来て、私、というか戦女神様にしばかれて、国王になる事を決意したという訳だった。


 決意すればザーカルト様の動きは早く、あっという間に軍をまとめ、王都を脅かし、その圧力を背景に国王ノルザック陛下と交渉を行った。自分に王位を譲る様にと。次期国王ではなく直ぐに王位を譲れとは武人らしいなかなか性急な要求だが、ザーカルト様も、イブリア王国による急激な情勢変化を感じ取っているのだろう。


 しかし当然だがノルザック陛下も抵抗する。彼とて息子には負けないという意地があるし、国王として長年王国を率いてきたというプライドもあるのだ。


 だがここで、決定的な事が起こる。イブリア王国軍がスランテル王国方面から侵入してきたのである。これにはザクセラン王国中が衝撃を受けたらしい。


 何しろ、イブリア王国がある南からでは無く、東のスランテル王国側からホーラムル様は軍を率いて入って来たのである。この事は、スランテル王国の中をイブリア王国軍が自由に動ける。つまりスランテル王国は事実上、イブリア王国に支配されているという事が明らかになったのである。


 ザクセラン王国は南と東からイブリア王国に半包囲されている。その事が分かれば流石のノルザック陛下も時代が変わった事を認識せざるを得ない。


 結局、ノルザック陛下はザーカルト様への譲位を決めた。ザーカルト様は王都へ入城し、ノルザック陛下と王太子は王都城外にある離宮に入って軟禁される事になったそうだ。ザーカルト様は即位し、ザーカルト一世陛下になったのだった。


 その報告を受けると、私は即座に祝賀の使者を送り、ホーラムル様へはスランテル王国へ戻り、その後一度王都へ帰還せよと命じた。あまりイブリア王国軍が長居すると、ザクセラン王国内の対イブリア王国感情が悪化しかねないからね。同時に、帝都にも使者を送り、グレイド様に「イブリア王国はザーカルト陛下の即位を大歓迎する」という事を帝都の社交界で宣伝するようお願いした。帝都でザーカルト陛下が簒奪をした、などと悪評が立たないために牽制するためだ。


 ザーカルト陛下もイブリア王国へ友好の使者を送り、即位への協力に深く感謝すると言ってきた。同時に、イブリア王国に対して、領地の軍の通行権を与え、有事の際に同盟軍を組んだ時の指揮権の委譲もすると約束した。これはスランテル王国に準じた措置である。ただ、この時点でザクセラン王国は北のオロックス王国と軍事的緊張が高まっている訳では無かったし、ガルダリン皇国も大人しかったため、即座にイブリア王国軍を進駐させる事はしなかった。実を言えば流石のイブリア王国軍にもその余裕は無かったし。


 ザーカルト様もイブリア王国にそれほど余力が無い事を見越して、平然と臣従したと取られてもおかしくない通行権と指揮権の委譲をくれたのだろう。引き換えにザーカルト様はイブリア王国が持つ常備軍編成のノウハウや、名馬の育成方法、そしてトーマの騎兵の援助などと期待している事だろうね。流石名将。簡単な相手では無さそうだ。


 しかしながら、私としては万々歳な結果が出たと言っても良いだろう。これでイブリア王国の北の国境の両国は事実上、イブリア王国の支配下に入った。帝国竜首の七王国の内三首が一致してクローヴェル様を推す体制が整ったという事である。クローヴェル様の皇帝への道がぐっと近づいた事を意味する。


 一年前、旧王都に引き籠った時には想像も出来なかったような情勢になった訳である。飛び回って暗躍した甲斐があったわよね。



 当然、私は次を考えていた。今度は何処の国に工作を仕掛けようかしら。


 竜首の王国でイブリア王国の麾下に無い国は残り四国。クーラルガ王国、オロックス王国、ロンバルラン王国、クセイノン王国だ。この内、クーラルガ王国は皇帝陛下とフェルセルム様の本拠であり、南の端のイブリア王国から北の外れのクーラルガ王国と距離も離れている。工作を仕掛けるのは時期尚早だ。ラスボスだと考えておくべきだろう。


 ザクセラン王国と国境を接しているのはオロックス王国。スランテル王国と国境を接しているのはオロックス王国とロンバルラン王国だ。なのでオロックス王国とロンバルラン王国のどちらかを次の標的にすべきだろうね。


 この二国の内、オロックス王国のカイマーン陛下は我がイブリア王国とか以前からあまり親密では無いが、それ程の緊張関係にも無い。カイマーン陛下は騎士精神をお持ちの国王陛下で、ガルダリン皇国への強い敵愾心をお持ちだ。そのため、以前から熱心にガルダリン皇国への逆侵攻を主張していて、それにしきりにイブリア王国を巻き込みたがっていた。


 そのカイマーン陛下の構想に協力して差し上げれば、彼はあまり帝位には興味が無いようだから、クローヴェル様に選帝会議で一票下さる事だろう。なので、カイマーン陛下はこの時点では放置で構わないのではないか? と私は思っていた。ロンバルラン王国の方はスランテル王国と既に争いがあり、占領されていた地域から追い払ったせいで、現在でもそこを護るイブリア王国軍と緊張状態にある。こちらの方からどうにかした方が良いだろう。


 と、思っていたのだが、その考えは早々に変更を余儀なくされた。ザクセラン王国から早馬がやって来て、ザーカルト陛下から書簡が届いたのだ。封を剥がして中を読んでみると、意外な事が記されていた。


「オロックス王国のカイマーン陛下が王都にやって来て、連合を組もう、共にガルダリン皇国と戦おう、と言ってきている」


 との事。あらま。


 カイマーン陛下がザーカルト陛下に、同じ騎士精神の持ち主として親近感を抱いている事は、クローヴェル様から竜首会議の事を聞いた時から分かってはいたが、ずい随分と行動が早い。しかも自らザクセラン王国の王都に乗り込んでくるとは。


 ザクセラン王国王都からイブリア王国王都までは、早馬で二日くらいで来る筈。もしかしたら、というか多分、まだカイマーン陛下はザクセラン王国王都にご滞在だろう。わざわざ早馬を寄越したというのは多分、私に来いという事なんだろうね。


 私はクローヴェル様とアルハイン公爵にちゃんと許可を取ってから、ザクセラン王国王都に飛んだ。


 ザクセラン王国王都には行った事が無く、少し手間取ったが、そもそもブケファラン神のお力ならそれほど遠くもない。上空から王宮を探し、人目に付かなそうな中庭に降りる。そして歩いていた侍女を捕まえて事情を説明する。侍女はびっくり仰天よね。衛兵も飛んで来て大騒ぎになったが、どうやらこれ有るを予想していたザーカルト陛下に説明されていた衛兵の長によって、私は無事、ザーカルト陛下に会う事が出来た。


「本当に飛べるのですな」


 ザーカルト様は呆れたように言った。まぁ、いきなり誰も入れない王宮の中庭に馬を連れていたら、それは飛んで来たと思うしか無いだろう。


「言いませんでしたか?」


「王妃様から直接は聞いてはおりませんが、まぁ、噂で聞いてはいました。神出鬼没だと。まぁ、戦女神様を乗り移らせた時点で、王妃様が何をしでかしても私は驚きません」


 ザーカルト様はちょっと以前よりもお顔付が引き締まったわね。やはり国王になって見ると、三男坊で好き勝手にしていた頃とは勝手が違うし、気苦労も多いのだろう。


「で? カイマーン陛下は?」


「まだご滞在中です。どうやらあちらも、イリューテシア様を待っているようですな」


 おやまぁ。どうやら私はおびき寄せられたらしい。カイマーン陛下も私の神出鬼没だとか、空を飛ぶとかいう噂をご存知なのだろう。ただ、その気になればここまでは馬車でも三日四日あれば来れるからね。それまで待つ気だったのかも知れないけど。


「カイマーン陛下の要望は、連合軍を組んでのガルダリン皇国への侵攻ですか?」


 私は当然そう予想して尋ねたのだが、ザーカルト様は首を横に振った。


「そうは仰いませんでしたな。ガルダリン皇国と戦おうとは仰いましたが」


 どうもそれほど勢いが良くないようだったそうだ。それはおかしいわね。カイマーン陛下がザクセラン王国、イブリア王国に望む事なんてそれしかないと思っていたけれど。


「ザーカルト陛下には心当たりは?」


「カイマーン陛下は元々、クセイノン王国のエルミージュ陛下と仲が良かったと聞いています。ですが、例の東征計画がとん挫した頃から、少し関係が悪くなったそうです」


 小国群への侵攻計画をとん挫させた張本人は私だが、カイマーン陛下も確かに反対だった。その事で、クセイノン王国とオロックス王国の関係が少し悪くなっている。なるほど。それで?


「オロックス王国はクセイノン王国との交易が重要な国益だったそうです。クセイノン王国が東から輸入したものを、オロックス王国が西のガルダリン皇国に売る。その中間利益を得ていたわけです」


 ところが、両国の関係が悪くなると同時に、クセイノン王国はクーラルガ王国と組んで海上交易に乗り出した。そうすると、陸路での交易が減ってしまう。オロックス王国は打撃を受けたのだ。


「なので、オロックス王国としてはガルダリン皇国に侵攻している場合では無いのだと思われます」


 元々、ガルダリン皇国への侵攻は、交易での優位を確定するためだったらしい。ところが、その交易の量が激減してしまったのだ。侵攻の必要性は著しく低くなってしまった。


 へぇ、そんな事情があったとは。イブリア王国から遠いオロックス王国やクセイノン王国の事情はなかなか分からない。そういう事情があったのだと、カイマーン陛下が仲が良かった筈のエルミージュ陛下と対立してまで東征に反対したのは、交易の利益が海に逃げて行くのを防ぎたかったからでもあったのかもしれないわね。


 となると、カイマーン陛下がやや性急にザクセラン王国に押しかけて来た理由もなんとなく分かってきたわね。私は思わずニンマリと笑った。


 カイマーン陛下は四十代前半。まぁまぁ若い王なので、場合によっては次の皇帝になれる年齢の方だったが、クローヴェル様、フェルセルム様は二十代。ザーカルト陛下が三十代前半、コルマドール陛下が三十代後半で、次期皇帝候補の年齢が大きく下がった現在ではむしろ年齢が上過ぎる感じになってしまっている。


 体格は大柄で口ひげもお似合いの、お義父様のアルハイン公爵をより精悍にしたような方だったが、彼は私を見てその凛々しいお顔が台無しになる位驚かれた。


「ど、どうしてここにいるのだ!」


 ずいぶん驚いているな、と思ったのだが後でザーカルト様に、おそらくはイブリア王国から来る者を監視していたのだろうと言われた。なるほど。私は呑気に頷いたが「イブリア王国が軍勢を率いてやって来て、カイマーン陛下を捕えようとするかもと警戒していたのでしょう」と言われて呑気さを恥じた。


 そう言えば、カイマーン陛下は僅かな護衛しか率いていなかった。国王が移動するなら一万くらいの兵を率いていてもおかしくない。多分、国内の者にも秘密でザクセラン王国にやって来たのだ。


「まぁ、それは、良いではありませんか。女のする事をあんまり詮索するのは野暮ですわよ」


 私は薄黄色のドレスでニコニコと笑ってごまかした。このドレスは借りものだ。ザーカルト様のお妃様からの。このお妃様、バベーニャ様だが突然王妃になってしまった事に右往左往としているらしく「私はどうすれば良いのでしょう」としきりに私に向かって不安を訴えていた。知りませんよそんなの、とは言えず「何かあったら私に頼りなさい」と言って慰めてあげたら物凄く懐かれた。いえ、お妃様の方が年上だと思うんですけどね。


「エルミージュの言っていた『奴は魔女だ!』というのは本当の事だったのか」


「そうですね。そういう事にしておいてください」


 私はあしらいながらカイマーン陛下の正面に腰を下ろした。カイマーン陛下も腰を下ろす。どうも落ち着かない素振りだ。


「一昨年の竜首会議以来でございますね。カイマーン陛下。ご壮健でいらっしゃいましたか?」


「ああ、そちらこそ、クローヴェル陛下のご健康はどうだ? 今年の竜首会議ではかなり無理をなさっている様子だったが」


 あら、ご自分ではおっしゃらなかったけど、やっぱり周囲からは無理をしていると事が見受けられたらしい。


「おかげさまで、王都に戻ってからは元気です。それにしても、カイマーン陛下とザクセラン王国の王都で会うとは思いませんでした」


「・・・私は、貴女かクローヴェル陛下に会うためにここまでやって来たのだ」


 カイマーン陛下が仰って、私は少し目を見開いた。やっぱりね、とは思ったが。


「あら、それ程私達に会いたいと思って頂けるなんて光栄ですわ。ですけど、私達は陛下に何をして差し上げられますでしょうか?」


 カイマーン陛下は特に迷う様子も無く、きゅっと目を細めて私を見詰め、言った。


「私を、オロックス王国を助けて欲しい」


 そしてカイマーン陛下がその理由を説明して下さったのだが、これがあまりにも予想外の事だったので、途中から私は頭を抱えてしまったのだった。


 なんでもオロックス王国は北に皇帝直轄領が接していて、帝都にも馬車で二日くらいで行けるため、カイマーン陛下はほとんど帝都で育ったのだそうだ。


 その関係で、カイマーン陛下は十七歳の時に、現在の皇帝陛下の先帝陛下の娘と結婚した。当時の皇帝陛下はクセイノン王国の国王陛下で、つまりカイマーン陛下のお妃ヘライネ様はクセイノン王国の王女、エルミージュ陛下の妹だという事になる。


 そのため、カイマーン陛下とエルミージュ陛下は義理の兄弟として若い頃から大変仲が良かったそうだ。現在でも仲は良く、政策上の意見は対立する事はあるが、帝都で会えばお互いの屋敷を訪問して酒を酌み交わす仲なのだそうだ。


 なので、クセイノン王国との関係はそこまで悪くはない。確かに貿易額は減ってて、オロックス王国としても打撃だが、クーラルガ王国にも都合があるから仕方が無いと仰る。ならば何が問題なのだろう。


「貴女のせいだ。イリューテシア様」


「は? 私?」


 なんとカイマーン陛下のお妃様であるヘライネ様が、次々と勢力を伸張させるイブリア王国に激しくライバル心を燃やしてしまっていて、カイマーン陛下に「貴方も頑張りなさい!」と叫んで発破を掛けているそうな。


 ヘライネ様は皇帝陛下の娘である自覚が強く、常々「私は皇妃になるのです!」と言っていらっしゃるらしい。皇妃になるにはカイマーン陛下が皇帝にならなければいけない。カイマーン陛下が消極的ながら皇帝候補に挙げられていたのはそういう訳だったようだ。


 しかし、クローヴェル様を皇帝にすべく爆進するイブリア王国の伸張によってオロックス王国は相対的に地位が低下した。こうなるとカイマーン陛下の皇帝の目は相当薄くなる。


 焦ったのはヘライネ様だ。彼女は兄であるエルミージュ陛下に連絡し、なんとかしてくれと泣き付いたのだが、エルミージュ陛下だってそんな事言われても困るわけである。色良い返事は寄越さない。


 癇癪を起こしたヘライネ様はカイマーン陛下に当たり散らし、カイマーン陛下はほとほと参ってしまっているらしい。カイマーン陛下は結婚した時は上位の皇帝の娘だったヘライネ様に頭が上がらないようだ。


 このままだと実績作りの為に無茶な侵攻を強いられそうな雲行きで、そんな事になれば国力が傾きかねない。そこをガルダリン皇国にでも突かれれば国が滅び帝国自体も窮地に陥る。何とかして欲しい。との事。


 ・・・知らんがな。夫婦の事は夫婦で何とかしなさいよ。私が渋い顔をしていると、カイマーン陛下は自分も渋い顔をしながら仰った。


「ヘライネはエルミージュと仲が良い。イリューテシア様はエルミージュと関係が良くなかろう。エルミージュがイブリア王国に何か仕掛けようとする時に、我がオロックス王国が尖兵にされるかも知れぬ」


「そこはカイマーン陛下がお止めくださいませ」


「それが出来ぬからこうして相談しておるのではないか」


ダメだこの人。騎士で顔はキリっとしているのに、とんだ恐妻家だった。


 しかしこんな内情ではオロックス王国は相当危うい。ヘライネ様が暴走してその矛先がザクセラン王国やスランテル王国に向けば、イブリア王国が防衛しなければならないし、ロンバルラン王国と組まれてスランテル王国を狙われでもすれば、大紛争になってしまう。


 それに、こんな面白い話をフェルセルム様が見逃すとは思えない。いや、ヘライネ様を焚き付けているのはフェルセルム様ではないかというのは疑いすぎだろうか?


 しかしこんな話、私にどうしろというのか。私は考えた末、カイマーン陛下に「効果があるかは分かりませんよ」と念押しして、カイマーン陛下を先に帰らせた。


 そして三日後、私はブケファラン神を呼び出してオロックス王国王都へ飛んだ。


 あらかじめ王宮の配置を聞いておき、内宮の一番奥まった中庭に私はブケファラン神に降りてもらった。ブケファラン神は姿を隠す事が出来るが、目の前に来れば流石に見える。


 つまり私は、中庭に待ち受けていた、カイマーン陛下とヘライネ様の目前に降り立ったのだ。


 カイマーン陛下とヘライネ様はそれはもう驚いたわよね。そりゃ、炎を纏った馬に乗って空から降りて来たら驚くのが当然だろう。だが、ヘライネ様が卒倒してしまったのには焦った。


 ヘライネ様がお目覚めになってから、私はヘライネ様と面談した。私はヘライネ様に、カイマーン陛下は皇帝への野心をお持ちではなく、オロックス王国は今や強国では無いのだから、妙な野心は持たぬように、とお説教した。まぁ、私より二十も年上の方にお説教してもいかほどの効果があるか分からない、と思ったのだか。


 ヘライネ様はガタガタ震えながら私に何度も頭を下げ、終いには跪いて祈りを捧げ始めた。どうも最初の登場が衝撃的過ぎたらしい。私はもう慣れているし、最近はアルハインの一族の方々も慣れてしまって驚かなくなっていたので忘れていたのだが、空から馬で降りてくるというのはかなり非常識な事だからね。


 カイマーン陛下も脂汗を流しながら私に跪いて祈りを捧げ、忠誠を誓約した。彼としても相当衝撃的な出来事だったようである。


 カイマーン陛下としては、イブリア王国とザクセラン王国軍がオロックス王国との国境を程良く緊張させ、それに備えるために他には軍を動かせないのだ、とヘライネ様に言い訳出来ればそれで良かったらしいので(なら最初にそう言ってくれれば良かったのだ)、私のこの解決法はかなり予想外だったようだ。


 私は力が回復するまで三日、オロックス王国の王宮に宿泊し、カイマーン陛下、ヘライネ様と同盟の内容について打ち合わせた。軍の自由通行権と有事の同盟軍指揮権を貰う他は特に要求はしなかった。それさえあれば、遂にクローヴェル様の軍を率いての上洛の道が開けるのだ。


 後は、私がブケファラン神で飛んで歩いてる事は他言無用だとは言っておいた。一応。まぁ、親密な関係であるエルミージュ陛下に伝わる事は避けられないと思った方が良いだろうね。山中にいる筈の私が帝都にいたカラクリがバレたら、エルミージュ陛下はそれは怒るだろうなぁ。


 カイマーン陛下もヘライネ様も「聖女様の御言い付けに背くような事はけして致しませぬ!」と言っていたがどうだかね。それにしても誰が聖女か。せめて魔女と呼んでほしい。


 そうして秘密条約を結んだ後、私はお二人の祈りに見送られてイブリア王国王都に戻ったのだった。予定より大分遅れての帰還に、クローヴェル様は物凄く心配して待っていてくれた。私は遅れを謝った後、オロックス王国での出来事を語った。


 クローヴェル様はあまりの出来事に少し瞑目してしまったが、一つ頷くと納得して下さった。


「結果的にオロックス王国まで影響下に置けたのですから、良しとしましょう。よく頑張ってくれましたね。リュー」


 クローヴェル様が納得して下さって私はホッと一息だ。クローヴェル様は予想外の事も平然と受け入れてくれる方だ。本当に器量が大きいわ。


 それにしても、旦那を皇帝に押し上げようとしていたのは私もヘライネ様も同じなのよね。でも、どこが違うかと言えば。やっぱり旦那の資質が違うんだと思うのよ。


 カイマーン陛下なんかより、クローヴェル様の方が何倍も度量が大きいもの。私がやり過ぎてしまっても、失敗しても、平然とフォローして後始末を出来る人なんてクローヴェル様しかいないわよね。


 やっぱり、クローヴェル様は帝国の皇帝になるべき人だ。私は誇らしい思いで確認し直したのだった。

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