三十五話 帝都のクローヴェル様

 私は激しく反省した。今回、クローヴェル様が無理を押して帝都に向かったのは、どう考えても私のせいだったからだ。


 私が後先考えずに力一杯暗躍して、数年がかりで進めるべき構想をあっという間に進行させてしまったが故に、クローヴェル様が帝都でその後始末をして下さったのだ。


 この場合、私が行ったら事態が悪化しただろう事間違い無く、その意味で私が妊娠してしまって動けなかった事は幸いだったとさえ言える。私が今回の竜首会議に出ていたら、熱くなった私はエルミージュ陛下辺りとやり合ってしまい、皇帝陛下含む帝国との関係はその場で決裂して、帝国とイブリア王国連合の戦争に突入していた可能性が高い。


 そんな事になればどちらも大きな被害を出しただろうし、どっちが勝ったかも分からないようなむごい有様になっただろう。ガルダリン皇国に付け込まれて帝国は亡んでいたかもしれない。


 私は何しろ目標が決まると突っ走ってしまう女だ。クローヴェル様と皇帝を目指すのだ、ウオー! っと盛り上がってしまったせいで、ちょっと周囲の事が見えなくなっていたようだ。反省である。いや、本当に。


 その事がクローヴェル様が帝都から帰って来て、やはりお疲れだったからか一週間くらい熱を出されて寝込んだ後に、色々報告をして下さって、私は理解した。なかなか大変だったらしいのだ。今回の竜首会議は。


 クローヴェル様はご自分の病弱さを理解していらっしゃったので、旧王都から帝都まで非常に慎重に進んだ。道中、数日同じ場所に留まる事もなさったので、最短では十日ほどで着くはずの道中を一カ月も掛けて進まれたそうだ。


 勿論、体調だけが理由ではなかった。道中のほとんどの行程はスランテル王国内を進むことになる。クローヴェル様はスランテル王国の王都を含む、有力諸都市を順繰りに巡って、王族や諸侯とお会いになった。


 スランテル王国の王族や諸侯にしてみれば、何時の間にやらイブリア王国に半占領されてしまっていて、疑問に思うやら不満に思うやらしている者も多かったらしい。何しろ私はいきなりハナバル陛下と話を付けてしまったので、彼らには何もかもが寝耳に水の話だったのだ。


 クローヴェル様はそういう方々と会って、丁重にお話しをして、彼らの権益を侵すつもりはなく、イブリア王国はスランテル王国の強力な庇護者となって共に歩みたいのだ、と仰って、彼らの理解を求めたのだそうだ。


 性質温厚で、人に好かれるタイプのクローヴェル様が丁重にお話しした甲斐があって、スランテル王国内の情勢は落ち着いたらしい。スランテル王国内の諸侯貴族にとっても、危険な隣国であったイブリア王国と強固な同盟を結ぶのは悪い話では無いのだ。後は権益と気分の問題だ。その意味でクローヴェル様の人格は良い方に働いたらしい。


 あまり裕福な国ではないスランテル王国としては、トーマからの攻撃やロンバルラン王国の侵攻に備える軍事費は大きな負担であったから、イブリア王国の進駐によって軍事費が大きく削減出来ることは大きな利点だ。そしてイブリア王国やトーマの人々との交易が盛んになれば、スランテル王国の発展に繋がる。


 クローヴェル様はご自分が皇帝を目指す事をはっきりとスランテル王国内でも公言し、支持を求めた。その結果、スランテル王国麾下の諸侯は一致してクローヴェル様を支持してくれるようになり、クローヴェル様はイブリア王国、スランテル王国両国の一致した支持を得て、次期皇帝レースに臨むことが出来るようになったのである。


 そうしてゆっくりと進まれたクローヴェル様は帝都にお入りになった。私が飛んでいくのと違って堂々と馬車でお入りになったのだ。帝国中の王侯貴族が注目していて、クローヴェル様には社交の招待が殺到したそうだ。


 しかしクローヴェル様は慌てず、まず二週間も休養を取ったそうだ。その間に帝都の情勢を事細かに調査して、それからおもむろに社交にお出になった。


 最初の社交は定番化している(本来はそんな軽い扱いにしてはいけない社交なのだが)皇帝陛下からのご招待だった。皇帝陛下が招いて下さるのだからお断りは出来ない。そしてどう考えても最初に出ざるを得ない。


 クローヴェル様はご自分と、グレイド様ご夫妻。そして、ムーラルト様の四名でその夜会に出席なさった。


 帝宮の、王族限定だが国王はクローヴェル様しか招かない小規模な夜会は、明確にクローヴェル様だけを接待するんですよ、という明確なアピールである。皇帝陛下が個人を接待して下さるなんて大変な名誉なので、クローヴェル様、イブリア王国を重要視しているんですよ、というアピールにもなる。


 こういう夜会に出たなら、皇帝陛下に好意的にならないのは難しい事だ。皇帝陛下からのご厚遇を受けてなお皇帝陛下に反抗的だと、周囲の者達は「皇帝陛下に恥をかかせた」と批判的に見る事になる。皇帝陛下はそういう社交のやり方が実に上手い。


 この時の社交にはクローヴェル様の切り札、社交の最終兵器、ムーラルト様が同行していた。正直、私はそれを聞いた時「せめて皇帝陛下の夜会だけはムーラルト様を置いて来るべきではなかったですか?」とクローヴェル様に言ったものだ。


 ムーラルト様は美人でセンスも良く、悔しいが社交の場では私よりもよほど輝いていらっしゃる。この時は不在の私の代理で、国王の姉であり王妃代理としてこの場に入るので、ほぼ王族扱いである。だから(いや、でもこの人はそういうのは関係無くいつもだが)王族の中に混じっても全く臆さず堂々と振舞っていらっしゃった。


 その場にいた王族の皆様は、みな私のお友達だ。お友達だが私に多少苦手意識を持っていらっしゃる方が多い。なので私がいないと分かると残念がりながら、少しホッとしてもいたらしい。


 特に皇帝陛下の娘であるメリーアン様は私の不在を残念がり、しかし私がいなければこの夜会の主役は私で決まりね、と思って華やかに笑っていらっしゃったらしい。しかしそこで、彼女に声を掛ける女性。そうムーラルト様がいつもの調子で言い放ったのだ。


「あら? メリーアン様ではありませんか? お元気でした? 相変わらず派手なドレスです事。でも、貴女は首が太いのだから、首周りは盛らない方がよろしくてよ?」


 いきなりドレスにケチを付けられて、メリーアン様の笑顔が消えてしまう。誰よ、この女! とムーラルト様の顔を見たメリーアン様の顔色が変わる。


「む、ムーラルト様!?」


「あら、覚えていて下さって嬉しいわ。お久しぶりですね」


 おほほほ、と笑うムーラルト様をメリーアン様は愕然とした顔で見ていたそうだ。どうやら旧知の間柄だったらしい。ムーラルト様はアルハイン公国時代に令嬢として帝都の社交界に出ていたらしいからね。・・・という事はムーラルト様のヤバさを知っているという事だ。


「相変わらず社交三昧なのですか? 駄目ですよ。ちゃんと家の事もやらなければ。子供は出来たのですか? 私なんてこの間四人目を生んだのですよ。女はやはり子供を産んでこそ。遊んでばかりではいけませんよ?」


 メリーアン様が夫と不仲で(夫は有力な伯爵なのだが、メリーアン様は王族に嫁ぎたかったらしく、夫と不仲なのだそうだ)子供もまだいないというのは帝都では有名な話らしい。


「う、うるさいわよ! なによ貴女! 貴女は公女でしょう? この王族しかいない夜会になぜいるのですか!」


「今は結婚して伯爵夫人よ? でもそれ言ったら貴女もそうではなかったかしら?」


 メリーアン様の顔が引きつる。そうなのだ。彼女は王族のような顔でいつも王族の夜会に出ていたが、実は伯爵夫人なのでもう王族では無いのである。しかしそれは言わない約束なのだが、そんなのはムーラルト様には通用しない。


「それに私は、王妃イリューテシア様から代理を頼まれておりますの。ですから王妃代理なのですわ」


 遺憾ながらそうなのである。ムーラルト様がこの場では自分では上位だと分かったメリーアン様が顔を青くする。ムーラルト様は頬に手を当てながらメリーアン様の事を上から下まで見て、首を横に振った。


「相変わらずちぐはぐね。昔私が言ったではありませんか。貴女は首が太く、脚が短いのだから、首周りにはあまり大きなネックレスを付けず、ヒールの高い靴を履きなさいと。そのような豪奢なネックレスは似合わないし、そんな靴では短足がバレてしまいますわ」


 そういう指摘がいちいち正しいから余計に腹が立つのである。ムーラルト様は実にお洒落でセンスも完璧で、私にドレスを見立ててくれると本当に私に似合うドレスを出してくれる。これでもう少し口が控えめなら、私の専属コーディネーターとして傍にいて欲しいくらいなのだ。


 しかし帝都社交界のファッションリーダーを自認するメリーアン様にしてみれば、自分のセンスの不足を公衆の面前で指摘されたらたまったものでは無い。


「わ、私、ちょっと用事を思い出しましたわ!」


 と叫んで、お作法の限界の速足で退場してしまったらしい。夜会を途中退席するなど、後日醜聞になってしまってもおかしくない無作法だが、そんな危険を冒してでも、ムーラルト様と同席したくなかったらしい。


 社交界の華であり、百戦錬磨の貴婦人であるメリーアン様でさえこの有様なのだから、この時いらっしゃった貴婦人方の惨状は察するにあまりある。因みに、グレイド様の奥様であるフレランス様は終始、笑顔の能面のような顔でいらっしゃったそうだ。


 そういう社交はムーラルト様にお任せして、クローヴェル様はゆっくり皇帝陛下とお話しする事が出来たのだそうだ。クローヴェル様は体力が無いからね。この場に居る方全員と挨拶をして談笑したり、ダンスを何曲も踊ったら体力的に厳しい。ムーラルト様の毒舌のお陰で、出席者はクローヴェル様に迂闊に近付けなくなってしまったのだ。近付くと良い餌食になってしまうので。


 皇帝陛下はクローヴェル様をいつも通りのにこやかな表情で迎えた。私がやらかした宣戦布告をエルミージュ陛下から聞いてない筈は無いから、内心では緊張していた筈だけどね。


 クローヴェル様は皇帝陛下に言った。


「イブリア王国に対する寛大なご処置に感謝致します。ちょっと我が国としても予想外の展開でして」


 クローヴェル様が巧妙なのは、どこからどこまでが予想外の展開だったのかと言わないところだ。同席していたグレイド様に言わせれば、クローヴェル様と私が王都に移ってから起こった事は何もかも予想外だ、と言いたいところだっただろうが、勿論クローヴェル様にとってはそうではない。


「それはそうであろうな。なかなかクローヴェル様も大変なのではないか?」


 皇帝陛下のこのお言葉に、クローヴェル様は意図的にズレた返答を返した。


「そうですね。山中からこの帝都まではなかなか遠かったですからね」


 山中に謹慎していたのは大変だった、という意味である。皇帝陛下は笑顔のまま少し固まった。謹慎は皇帝陛下が強制した事では無いが、皇帝陛下を含む竜首の王国がイブリア王国に圧力を掛けた結果だ。


 クローヴェル様がその事を恨みに思っているとすれば、今やスランテル王国を麾下にし、ザクセラン王国に大きな影響を与えつつあるイブリア王国が、その事の復讐を企む可能性は十分ある。


 クローヴェル様は薄らその事を匂わせつつ、朗らかに笑いつつ皇帝陛下に仰った。


「状況というのはコロコロと変わるものです。予想外の事が起きても対応出来るように備えておかなければなりませんね」


 つまり、これからも予想外の事が起こりますよ。とクローヴェル様は匂わせたのである。皇帝陛下は笑顔のまま沈黙した。


 クローヴェル様はこう見えて、皇帝陛下に向かって初対面の時に、自分が次の皇帝になると堂々宣言した男である。皇帝陛下にしてみれば、交流も少なく、何しろ私の夫でもある。十分に得体の知れない男なのだ。


 それで、皇帝陛下は婉曲に探るのを止めて、正面から聞いてみることにしたようだ。


「スランテル王国に軍を派遣しているようだが、何を企んでおるのかね。不穏ではないかという意見があるが?」


 クローヴェル様は自然に微笑みながら答えた。


「あれはスランテル王国の防衛のためです。遊牧民、トーマの民は我が国の言うことしか聞きませんので。スランテル王国に我が国の軍がいれば、攻撃する事はありません」


「ロンバルラン王国軍を追い出しているようだが?」


「あそこは元々スランテル王国の領土です。皇帝陛下もお認めになっている筈」


 国境の紛争地帯は、だいぶ昔の皇帝陛下の裁定でスランテル王国の領土と確定していたものを、無視したロンバルラン王国が実効支配を続けていた土地だったのである。だからクローヴェル様の言う事は正しい。


「では領土問題が解決して、遊牧民が侵攻して来なくなれば引き上げるのかね?」


「それはイブリア王国とスランテル王国の二国間で協議する事になりましょうね」


 クローヴェル様はのらりくらりとかわして皇帝陛下に言質を与えなかった。


 ただ、自分は戦争など望んでいないと言い、状況の変化の早さには自分も戸惑っているとは強調したそうだ。ここで私がクセイノン王国のエルミージュ陛下を通して放った過激発言とやや食い違いを作ったのである。


 皇帝陛下としてみれば、クローヴェル様が私が放言したような過激思想の持ち主であれば、なんとしてもイブリア王国の野望を挫くべく動く必要があった。クセイノン王国、オロックス王国、ロンバルラン王国との結束を強めて、イブリア王国に対抗しなければならなかった。


 しかし、クローヴェル様が穏健な考え方の持ち主なのであれば、致命的な対立に陥る可能性は低い。そうであれば皇帝陛下としては、複数の国の利害を調節するよりは、クローヴェル様を懐柔して取り込んだ方が容易だと考えるだろう。


 実際、皇帝陛下はそう考えたようだ。この夜会で、皇帝陛下はイブリア王国との関係修復の意向を強く滲ませた。クローヴェル様はにこやかに皇帝陛下に「イブリア王国は帝国への反逆など考えてもいない」と主張したそうである。おかげで帝宮での夜会は和やかに(ムーラルト様の周り以外は)終わった。


 その後の社交でもクローヴェル様はあのトンデモじゃじゃ馬王妃のイリューテシアの夫とは思えないと評判になるくらい、極めて温厚に振舞った。そのため、帝都の社交界ではクローヴェル様の評価は急上昇し、もしかしたらイブリア王国と帝国の戦争になるのではないかと心配していた貴族達を安堵させた。


 しかしながら勿論だが、イブリア王国との対決姿勢を鮮明にしている国もあった。特に実効支配していた領土を奪われたロンバルラン王国は、とある夜会に宰相格の公爵がやってきて、クローヴェル様に強く抗議したそうだ。国王陛下であるコルマドール様が出てこない所に複雑な思いが垣間見えるわね。


 クローヴェル様はその宰相にあくまでも穏便に対処しながら「あそこは元々スランテル王国の土地だと聞いていますので」と正論を押し通した。正論に実力が伴えば、それが正義である。


 クセイノン王国のエルミージュ陛下は直接夜会に出てこられ、クローヴェル様とお話ししたそうだ。


 クローヴェル様は事前に、エルミージュ陛下に「妻の暴走に手を焼いている」「イブリア王国としてはクセイノン王国と対立したくない」という弱気な内容の書簡を送っており、夜会でもエルミージュ陛下にかなり下手にでたようだ。


 これでエルミージュ陛下が私とクローヴェル様の間に隙があると考えてくれればしめたものだし、そこまで行かなくても迷いが生じることになるだろう。


 ただ、エルミージュ陛下はかなり私に対して怒っていたようだ。


 何しろ私は、どういう手品を使ったのか、神出鬼没にあちこちに出没し、帝都で会ったと主張したエルミージュ陛下は大恥をかいてしまったそうだ。


 旧王都に調査に来た伯爵の口から私の「無実」が証明されると、エルミージュ陛下は嘘で私の名誉を毀損しようとしたとまで言われて信用が失墜してしまったようなのだ。それは怒るだろう。


 オロックス王国のカイマーン陛下はクローヴェル様を夜会に招いて、正面からイブリア王国の意図を問い正したのだそうだ。流石は騎士を自認する国王陛下だわね。


 それに対して、クローヴェル様はイブリア王国はこれ以上の領土的野心は持たぬこと。ザクセラン王国の政変はあくまでもザーカルト様のご意志であり、イブリア王国はザーカルト様を見込んで支援しているだけだ、と言って理解を求めたそうだ。


 どこまでそれを信じたかは分からないが、カイマーン陛下はそれ以上イブリア王国を非難するような事は仰らなかったという。どうやら、ザーカルト様をご存じで、同じ王族騎士ということで好感を持っているようだとのこと。あら、それは少し困ったわね。ザーカルト様とカイマーン陛下が近付き過ぎるのはあんまり好ましくない。


 そうして前哨戦の社交をこなした後、いよいよ本番の竜首会議を迎える事になる。


 ムーラルト様は王妃代理なので、竜首会議にも出席出来る権限があった。しかし、それは流石にマズイだろうという事で、クローヴェル様が上手く誤魔化して出席させなかったのだそうだ。


 だが、ムーラルト様が張り切ったおかげで、彼女の毒舌を避けた方がクローヴェル様が出る社交に出るのを嫌がるようになり、出席者が減ってクローヴェル様の負担が大幅に軽減したのだから、ムーラルト様を連れて行ったのは成功だったようだ。


 もっとも、グレイド様は「空気の読めなさ加減は王妃様も似たようなものだが」と仰っていたそうだ。・・・否定出来ないわね。毒舌と過激発言。どちらもグレイド様に言わせれば似たようなものだろう。


 というわけで、竜首会議にはクローヴェル様お一人で出席された。この会議は基本的には夫婦同伴だが、国王一人で出席される場合も多いから問題にはならない。勿論、クローヴェル様の後ろには護衛とグレイド様がいる。


 今回、スレンテル王国のハナバル陛下はご欠席だった。ご病気との事だったがあからさまに仮病だ。ハナバル陛下は最近、社交にも出ていないらしい。


 ザクセラン王国のノルザック陛下もご欠席だ。本国で政変が起きていてそれどころでは無いのだろう。


 この時点でザーカルト様はご自分の地盤である西の国境地帯から段々と王都に向けて勢力を伸ばしており、しかも東からはホーラムル様率いるイブリア王国軍が進駐しつつあるという情勢で、東西から圧力を掛けられたノルザック陛下は譲位するかどうかを迫られている状態だった。そりゃ帝都になど来ている場合では無いだろう。


 その結果、竜の七首はイブリア、クーラルガ、クセイノン、ロンバルラン、オロックスの五首しか揃わない事となった。


 竜首会議に全ての竜首が揃う方が稀なので、珍しい事ではないが、今回はイブリア王国の勢力拡大がこの事態を産んでいる事は明白なので、いつもとは事情が異なる。


 会議が始まると、最初に猛然とクローヴェル様に喰って掛かったのは、ロンバルラン王国のコルマドール陛下だった。


「イブリア王国はロンバルラン王国の権益を侵している! 一体何の権利があってロンバルラン王国の土地と民を奪うのか!」


 それに対してクローヴェル様は前述の正論を繰り返した。つまり、皇帝陛下の御裁可を無視して武力で無法を働いてるのはロンバルラン王国だと主張したのだ。そしてニッコリ笑いながらこう言った。


「それとも、コルマドール陛下は武力による現状変更を是となさるのでしょうか?」


 するとコルマドール陛下はうっかりこう答えてしまった。


「強い者が多くを支配するのは当然ではないか! その方が民も幸せになろうというもの」


 あ、皇帝陛下やその他の方々は顔色を変えたらしい。今回の竜種会議における致命的な失言がこれだった。


 クローヴェル様は言った。


「良く分かりました。ならば強者であるイブリア王国が武力で現状を変更しても、コルマドール陛下は異論が無いという事でございますね?」


 コルマドール陛下は失言に気が付いて真っ青になる。イブリア王国が武力でロンバルラン王国を追い出した事を問題視出来なくなる事に気が付いたのだろう。


 この失言に拠れば、イブリア王国がスランテル王国に進駐している事も、コルマドール陛下は問題にしない、ということになる。これでコルマドール陛下はイブリア王国を追及する手段を失ってしまった。


 エルミージュ陛下はイブリア王国の勢力拡張は、帝国支配の野望があるからでは無いのか? とクローヴェル様を問いただした。私の帝国を滅ぼすぞ宣言を直に聞いたのだから当然の考えだろう。


 しかし、クローヴェル様はしれっとこうお答えになったそうだ。


「私と妻が一年にも渡って謹慎して、そんな野心はないと身の証を立てた筈でございますが?」


 その謹慎していたはずの私が飛び回っていた事を知っているエルミージュ陛下は「嘘をつくな!」と喉まで出掛かった事だろうが、私たちの「無実」は皇帝陛下の使者によって証明されている事である。


「我が国の行動は全て、帝国の安定のためでございます。一国の野心のために兵を動かす事など致しませんと、私は改めてここで大女神と竜に誓わせて頂きます」


 クローヴェル様は嘘は言っていない。全ての行動はイブリア王国のためにやっているのではない。クローヴェル様と私の野望の為だ。


 クローヴェル様はこんな風に他国からの追求を交わし続け、結局、今回の竜首会議で帝国全体としてイブリア王国を非難したり問責したりする事はなされなかった。


 参加五カ国の中で、イブリア王国を強く非難したのがロンバルラン王国とクセイノン王国。オロックス王国とクーラルガ王国(と皇帝陛下)は中立を保ったのだ。これでは帝国としての意見を統一してイブリア王国を責められまい。


 クローヴェル様の大勝利だと言ってよかった。そう言ってクローヴェル様を讃えると、クローヴェル様は苦笑して仰った。


「それだけイブリア王国が強くなってしまったのですよ。一国で既にスランテル王国の分を含めて二国分の発言力があるのです。そうでなければあんな私の屁理屈は通りません」


 詭弁も力を伴えば理屈を超越する説得力を持つということだ。しかしながらそれを快く思わない国も当然ある。特に利害関係が完全に対立したロンバルラン王国と、そもそも私と反りが合わないエルミージュ陛下のクセイノン王国は完全に敵に回してしまっているだろう。


 こうなると中立にいるオロックス王国と皇帝陛下を含むクーラルガ王国がどちらに付くかで情勢は大きく変わって来るだろうね。


 そういえば気になるのはあんちくしょう。失礼。例の人。フェルセルム様の動向だが、今回は帝都に居なかったのかしら?


「もちろんいましたよ。何度か社交でご一緒しましたが、挨拶以外には私に近付こうとはしませんでしたね」


 やはりクローヴェル様と対立している事をアピールするために近付かなかったのかしら。でも、それもアノ男らしくないような。フェルセルム様なら表面上は仲良くしていながら、裏でコソコソと陰謀を企んでいそうなのに。


「どうも姉上と旧知だったようで、姉上を見るなりいなくなりましたし、姉上を近くにいて頂いたら近付いてきませんでした」


 ・・・フェルセルム様にも天敵扱いされているのか。ムーラルト様。金色の竜の力をものともしない空気の読めなさ加減と毒舌は、今回の帝都社交界でも猛威を振るったらしい。因みにムーラルト様は竜首会議が終わっても、もうしばらく帝都を楽しみたいとまだ滞在しているらしい。グレイド様とフレランス様の胃に穴が開かなければ良いが。


 フェルセルム様がクローヴェル様に近付かないのを見て、フェルセルム様はイブリア王国に隔意がある。クーラルガ王国は反イブリア王国派だ。いや、でも皇帝陛下はクローヴェル様を厚遇していらっしゃったぞ? などと帝都では憶測が飛び交ったのだとか。対立が鮮明になると、自分の手の内が隠し難くなるからフェルセルム様は困っただろうね。これもある意味ムーラルト様のお手柄だ。


 他にもクローヴェル様は、帝都に居る有力諸侯とも社交を何度か行い、自分への支持を求めたのだそうだ。帝都直轄地に近く、帝国政府の中枢に近いこれらの諸侯は、クローヴェル様が皇帝になった場合は政治の実務を行う官僚となる。彼らの支持は重要だ。彼らは現在の皇帝陛下に忠誠を誓っているが、特に個人的家臣では無い。クローヴェル様が皇帝になるなら仕えましょうという態度で特に反感は無かったようだ。


 そうして帝都で十分に存在感を見せつけて、クローヴェル様は帰って来たのだった。帰りは最短時間で大急ぎで帰って来たそうだ。私が年初に出産した事を聞いて、居ても立っても居られなくなったらしい。そう言えば今回は帝都で寝込む事は無かったそうだ。十分に休養の時間を取った事と、ムーラルト様のお陰で負担の多い社交を避けて会談に集中出来たからだろう。


 今回は私がいなかったから、クローヴェル様個人の強いアピールが出来ただろう。私と違って性格温厚で穏健派である事も知られたと思う。過激派の私と穏健派のクローヴェル様が両立していれば、それぞれに反対の意見を持つ者がいても、逆の意見の方に話を持って行き易くなる。クローヴェル様はそう意図的に振舞って、私があまりにも振り撒き過ぎた過激成分を薄めてきて下さったのだろう。


 私はちょっと、独走暴走を反省した。これからはクローヴェル様と協調して歩調を合わせて行こうと。そうしないとクローヴェル様にまた負担を掛け過ぎる事になるだろう。


 しかし、私がそう言うと、クローヴェル様は笑って言った。


「貴女の行動のフォローをするのが私の仕事です。というか、私にはそれくらいしか出来ません。貴女の持ち味は天才的な発想と行動力ではありませんか。私の事など気にする必要は無いのですよ。どんどんやりましょう」


 くくくくっ! この旦那様は! そう言って私をおだてるのだから!


 知りませんよ? そんな嬉しいことを言われたら、私はまた思い切り張り切ってしまいますからね!


 クローヴェル様がお帰りになって二か月後、暖かくなるのを待って、私とクローヴェル様はレイニウスとフェレスティナを連れて、王都に帰還した。

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