三十三話 神出鬼没のイリューテシア

 ザーカルト様の忠誠を受け(私が受けても仕方が無いんだけど、私を通過してクローヴェル様にも忠誠が届くと思えばまぁ良いかと受ける事にした)、彼と密約を結んだ後、私は一度旧王都に引き上げた。


 ザーカルト様とは彼が王位を目指す際に、現国王や王太子と争いになった場合、武力を含む支援を約束した。ただ、ザーカルト様曰わく、イブリア王国から強い支持を受けているとはっきりすれば、国内の親イブリア王国派が勢いづいて、ザーカルト様は自然に王位に押し上げられるだろうとの事だった。


 そんなに甘くは無いだろうけどね。ザーカルト様は騎士だけに、見方が真っ直ぐ過ぎる。王侯貴族の狡さ汚さを甘く見ない方が良いだろう。 


 私はザーカルト様に私の支持を証明するアクアマリンの指輪を渡した。イブリア王国の色である水色の宝石の指輪だ。王国の紋章も入っていて、簡単に手に入るものではないと一目で分かる。これを見たらイブリア王国が彼を強く支持していると分かるだろう。


 ただ、ザーカルト様は「出来れば王妃様の口から王族や諸侯に」支持を表明して欲しいと言われた。もっともな要請だが、私はまだ山の中で謹慎している事になっている。うかうかと人前に出る訳にはいかない。


 と、私が言うと、ザーカルト様は呆れたように仰った。


「この度の様な大騒ぎを起こしておいて、よく仰いますな?」


 鎧と兜で誰やら分からなかった筈だからセーフセーフ。そもそも私がどうやって旧王都と王都を行き来しているかが分からなければ、姿を見られても見間違いだと強弁出来る。ザーカルト様もどうやっていきなり王都にいたのか不思議がっていたし。


 私は旧王都でアリバイ作りの為に数日過ごし、今度はスランテル王国のホーラムル様の所に飛んだ。


 ホーラムル様が駐留している町は地図で確認しておいたのだが、流石のブケファラン神も私が行ったことの無いところにまっすぐ行くのは難しかったらしく、私はスランテル王国内で迷ってしまった。おかげで時間切れになり掛かったが、どうにか目的地には辿り着く事が出来た。危ない危ない。


 ホーラムル様は幸い駐留している町にいたが、私は平民の服を着てスカーフを頰被りにしていたので取り次いでもらうまでに時間が掛かった。王妃が来たわよ! と堂々登場というわけには行かないからね。


 幸い、私の顔を知っている兵士がいて、彼は驚きにひっくり返りそうになりながらも、私をホーラムル様のところにこっそり案内してくれた。


 ホーラムル様も私の登場に驚いたが、本部に使っている貸住宅の客間に私を招き入れ、現状を説明してくれた。


「スランテル王国とロンバルラン王国の紛争地帯は、スランテル王国軍と協力して失地の回復を進めているところです」


 進駐して最初に手を付けたのが、スランテル王国の希望していたロンバルラン王国との国境争いの解決だった。イブリア王国への反発を和らげるには、まずスランテル王国の希望を叶えるのが良いと判断したのだそうだ。


「トーマの者たちに要請して、ロンバルラン王国の東国境で騒乱を起こさせております。その隙にスランテル王国とイブリア王国連合軍で紛争地帯の占領を進めています」


 幸い、今の所それほど大きな戦いにはなっていないという。ロンバルラン王国はいる筈がないイブリア王国軍に驚いて、戦わずして逃げ出しているらしい。


「ある程度ロンバルラン王国との国境争いに決着が付いたら、ザクセラン王国とオロックス王国にも備えねばなりますまい。軍事的には、ロンバルラン王国よりもその二つの国の方が脅威です」


 そう心配するホーラムル様に私はドヤ顔で言った。


「ザクセラン王国は心配ありません。ザーカルト様が味方になりましたから」


 驚くホーラムル様に、私はザーカルト様から忠誠を誓われた事情について話した。ホーラムル様は「私も戦女神様に稽古をつけて頂きたかった」と嘆いたが、私はもうランべルージュ様を二度と我が身に憑依させる気は無いので諦めて下さい。


 ザクセラン王国に備えないで良いのであれば随分と楽になるとホーラムル様は喜んだ、あっという間にロンバルラン王国を追い出した事でスランテル王国軍の幹部はイブリア王国とホーラムル様に好感を抱くようになっていて、当初より随分と協力的になってやり易くなっているのだそうだ。


 私はある程度状況が固まったら、ホーラムル様には帰国するようにお願いした。こき使って申し訳ないが、今度はザーカルト様がザクセラン王国内で事を起こした時に支援に向かってもらわなければならない。ザーカルト様とホーラムル様は仲が良いからね。ホーラムル様が行けば心強いだろう。


 するとホーラムル様が少し考えてこう仰った。


「どうせなら、このスランテル王国側からザクセラン王国に出兵した方が良くありませんか?」


 本来イブリア王国がいない筈のスランテル王国から、イブリア王国軍が侵入してくれば、ザクセラン王国側は驚くだろう。そしてイブリア王国がスランテル王国に進駐している事実が知れれば、イブリア王国の勢力の伸張が強調出来てザクセラン王国内のイブリア王国派が勢い付くだろう。というホーラムル様の見立てだった。なるほど。それは面白いわね。


 私はホーラムル様の案を採用する事にし、王都に戻った時にザーカルト様へ密書を送ってホーラムル様はスランテル王国に進駐しているので、救援要請はスランテル王国に出すように伝えておく事にした。


 私はスランテル王国滞在中も精力的に動いた。一番頑張ったのはスランテル王国に従う有力諸侯に対する工作だった。


 スランテル王国に臣従している諸侯の中には、掛け持ちでロンバルラン王国やオロックス王国にも従っている者がいる。そういう諸侯はスランテル王国がイブリア王国の麾下に入った事を知って、スランテル王国の麾下から抜け出すことを考える者がいるだろう。


 それを防がないとスランテル王国の国力が激減して、それを理由に更なる諸侯の流出を招きかねない。


 なので私は書簡を出しまくり、有力諸侯を私の滞在している町まで呼び付けた。


 ホーラムル様は国王代理としてここにいるので、ホーラムル様の名前で呼び出されたら、諸侯としては反感はあってもとりあえず来ざるを得ない。彼らは渋々やって来て、私がいる事を知って驚倒するわけである。


 まぁ、ドレスの調達が難しかったのと、着付けをしてくれる侍女もいなかったから、王妃らしい格好が出来ず、私だと信じさせるのに結構手間取ったけどね。


 私は貴族にしては珍しく髪を短くしているし、色も珍しい紫よりの黒だし、紫色の瞳が私の特徴だというのは結構有名だったので、一応は信じさせる事が出来た。庶民服を着ているのはお忍びで来ているからだ、という事にした。


 私は来てくれた公爵、侯爵、伯爵なんかと話をし、イブリア王国としても、王国に協力するなら彼らの領地を安堵すると伝えた。


 その代わり、協力せず他国に転ぶ者あらば必ず攻め滅ぼすと、かなり強い口調で脅した。実際、ロンバルラン王国などに諸侯を奪われてしまった場合、情勢によってはまず諸侯を討ち滅ぼす必要が出てくる。


 私はこの時、他の竜首の王国への武力行使の可能性をしきりにチラつかせた。その結果、私の本気を感じ取った有力諸侯は、一応はイブリア王国に忠誠を誓うと言ってくれた。まぁ、あんまり信じ過ぎるわけには行かないだろうけどね。


 私があまりにも武力を振り翳して高圧的な交渉をするのを見たホーラムル様は驚いたようだった。


「王妃様がそのように武力行使に積極的だとは思いませんでした」


 私は笑って言った。


「まさか。私は戦争なんて好きじゃないから、しないに越したことは無いと思っていますよ」


 ホーラムル様は呆れた。


「先ほどのご様子では、諸侯はイブリア王国と他の王国との戦争近しとの感想を持った筈ですぞ?」


「そう思わせましたからね」


 私はホーラムル様に説明した。


 諸侯に武力を見せつけて交渉した理由は二つある。まず一つはやはり諸侯に裏切られたら困るという事。諸侯をイブリア王国に従わせるには、領地の安堵とそれを保証する軍事力を見せつけるのがやはり効果的だろうと考えたのだ。


 なんだかんだ言っても、諸侯は弱い者には従わない。イブリア王国がスランテル王国よりも、それ以外の国よりも強ければ、諸侯も私たちに従い易いだろう。


 もう一つは諸侯を通じて、私の高圧的な姿勢が他の王国に知れる事を期待した事である。


 先程も言ったが、諸侯は大体、いくつかの王国に掛け持ちで臣従しているものだ。これは独立性の高い有力諸侯になればなるほどそうである。


 そのため、私との今回の会見で、私がしきりに武力を使いたがる女だという評判は、すぐにロンバルラン王国やオロックス王国の国王陛下にも届くだろう。それが狙いなのだ。


 私はこれまで、帝都で各国の国王に色々名を売ってはきたが、基本的には淑女、ちょっと奇矯な所はあるが貴族婦人の枠内で有名になってきた、つもりである。


 故に少し甘く見られているところがあると思う。戦場で活躍した事があると言ったって、フーゼンで少し前線に出た程度。それも安全なところから力で竜を呼び出しただけ。


 女性であるから戦争や戦闘は嫌いだろう。積極的ではないだろうと思われているとだろうね。小国群への出兵計画を潰したし、各国との関係が悪化すると、すぐに山の中に引き篭もって謹慎した。それに夫はあの見るからに温厚そうなクローヴェル様だ。そういうところからも、争いを好まない女性だと思われているのでは無いかと思う。


 だから私はそのイメージを覆すべく、諸侯に対して好戦的な女性を演じたのだ。いつでも武力で貴方たちをすり潰せるんですよ? と脅す私は、誰がどう見ても平和主義者には見えなかっただろうね。


 私が武力行使に躊躇しない女である。しかもイブリア王国軍は既にスランテル王国に大規模に駐留している、などと言うことになればどうなるか。


 ロンバルラン王国やオロックス王国としては、これまでのようにイブリア王国に好き勝手な事は言えなくなるだろうね。そうなればロンバルラン王国は今回スランテル王国に奪い返された土地の奪還に躊躇するだろうし、オロックス王国としてもザクセラン王国での騒乱に関わるを控える事だろう。


 私としては両国のその躊躇が欲しいのだ。両国が積極的に動いたら対応しなければならない。そうすると暗躍の自由度が減る。私が好き勝手するにはロンバルラン王国とオロックス王国が手をこまねいてくれるのが一番良いのだ。


 私の説明を聞いて、ホーラムル様は額に汗を浮かべていた。


「その、王妃様? もう次の暗躍をお考えですか?」


 私は当然だと頷いた。


「当たり前ではありませんか」


「その、スランテル王国を事実上占領して、ザクセラン王国を支援したら、流石のイブリア王国もそれ以上の軍事行動は無理ですぞ」


 それはそうだろうね。既に王都には兵力がほとんど残っていない。トーマの民に備える必要が無くなって兵力に余裕が出来たからこそスランテル王国に出兵など出来たのではあるが、これ以上の動員は難しい。


「だからこれ以上の軍事行動は考えていませんよ。むしろ余力が無い事を悟らせないための強気です」


 自分の懐具合を悟らせないのは詐欺の基本である。ロンバルラン王国やオロックス王国をペテンに掛けるなら、こちらの実情を悟らせてはならない。イブリア王国の戦力は十分ですよ。いつでも両国に攻め込めるんですよ、という顔をしていなければ脅しにならないのである。


 私はスランテル王国で諸侯への工作を完了すると、今度はそこから帝都へ飛んだ。大忙しだ。そのせいか、帝都の公爵屋敷に到着すると私は珍しく体調を崩してしまった。五日ほどお屋敷の客間でひっそりと休養する。


 体調が回復した私は応接室でグレイド様に帝都の情勢を聞いた。グレイド様がまぁ、心底呆れたようなお顔をなさっていたわね。


「いったい、何をしでかしたのですか? 王妃様」


「何がですか? 心当たりがあり過ぎて分からないわね」


「まずスランテル王国でイブリア王国の兵がウロウロしていると大騒ぎになっています」


 しかし、詳しい事情を聞こうにも、ハナバル陛下は「病気」と称して社交にも出てこなければ、皇帝陛下との面会も断っているという。


「そして同時に、スランテル王国麾下の諸侯から『イブリア王国に脅された』という情報が入っていますね」


 随分情報が早いわね。それだけ重要情報だと思われたのだろう。きっと早馬か何かで帝都まで緊急で伝えられたのだ。


 どうやら「王妃イリューテシアと会った」という情報もあったらしく、グレイド様に真偽を確認する者もいたらしい。


 しかし、そんな事はあり得ないと、グレイド様は自信満々に否定したそうだ、この人もなかなかの嘘吐きだわね。


 まぁ、実際今はもうスランテル王国にはいないわけだしね。今から密偵が私を探しに行ってももう遅いのだ。まさかもう帝都にいるとは思うまい。


「現在、帝都にはスランテル王国国王ハナバル陛下の他は、クセイノン王国国王エルミージュ陛下しかおられません」


 あら。そうなの? オロックス王国かロンバルラン王国の国王陛下がおられれば、お会いして工作したかったのに。


 それにしても、クセイノン王国のエルミージュ陛下か。あの人はフェルセルム様を支持していらっしゃるし、昨年の竜首会議で色々やり合った間柄である。あんまり仲良しだとは言えない。実際、今年の竜首会議ではその復讐のように、イブリア王国への懲罰を強く主張していたようだ。


 あの人に会っても仕方が無いかな? 帝都に常駐している王族の有力者に密かに接触して工作しようか。


 私がそんな事を考えていると、何やら私がいる応接間のドアの外が騒がしくなり始めた。? 何事かしら。


 すると執事が入ってきてグレイド様に耳打ちをした。それを聞いてグレイド様は天を仰いだ。


「何とも。王妃様は面倒ごとを持ってくる天才ですな」


 なんですかそれは。


「なんと、エルミージュ陛下がお越しだそうですよ」


 は? どういう事? 社交の予定でも入れていたの?


「とんでもありません。事前のお話もありませんでしたよ。どうも抜き打ちで王妃様がいないかどうか調べに来られたようで」


 あらまぁ。随分と勘の鋭いことですわね

。どうやら、私がスランテル王国のハナバル陛下とお会いしてお話した事は、噂話レベルではあるが使用人の口から漏れ伝わっているらしい。なので私が密かに帝都に来ているのではないかと密やかな噂になっているのだそうだ。


 その噂を聞きつけたエルミージュ陛下は、社交の場でグレイド様に真偽の程を何度か問い正したのだそうな。もちろん、グレイド様は否定したのだが、どうも怪しいと思ったエルミージュ様は今日この時、おん自ら確認に見えたのだのだろう。マメな王様ね。


 自ら来られたのは、竜首の王国の国王の来訪なら立ち入りを断れないからだろう。確かに、エルミージュ陛下がご来訪下さるのは名誉な事なので、突然の事であろうとお断りは出来ない。


 まぁ、よく鍛えられている公爵屋敷の使用人なら、私がこのままここに潜んでいても表情に出すなどして悟らせる事は無いと思うけどね。私がいる事は上級使用人数人しか知らない事だし。


 だけど、せっかくエルミージュ陛下が来て下さったのだ。これを奇貨とすべきかもしれない。他の場面では社交とか正式な会談になってしまい人の目は避けられない。公爵屋敷なら何かあっても隠蔽は容易だ。


「グレイド様。私、ちょっとドレスに着替えて来ますから、その間場を繋いでおいてくださいませ」


 グレイド様が目を剥いた。


「お会いなさるおつもりですか⁉︎」


「そっちの方が面白そうでしょう?」



 グレイド様はエルミージュ陛下を出迎えて陛下を応接室にお通しした。ちなみに、応接室はいくつかあるので、私がいた部屋とは違う部屋だ。


「突然ですまぬな。グレイド殿」


 エルミージュ陛下がにこやかに笑って言った。金髪を少し短めにしていて、細身のお顔も相俟って、実年齢の四十代前半よりも若く見える方だ。


「たまたま近くに寄ったのでな。迷惑だったかな?」


 全くですよ。とはグレイド様は言わない。爽やかに笑いつつ、エルミージュ陛下をソファーに導いた。


「とんでもございませぬ。エルミージュ陛下のご来訪を受けるような名誉な事を迷惑だなどと思うわけがございません。ただ、突然の事なので十分におもてなし出来ない事を危惧しております」


 この時のグレイド様は額に汗を浮かべて視線を彷徨わせている。明らかな挙動不審だ。演技ではあるが、半分くらいは本当に困っていたのだ。


 挙動不審のグレイド様を見て、エルミージュ陛下は、自分の疑いが正しかったという確信を持ったようだ。


「どうしたグレイド殿。何かあったのかな?」


「はぁ、そのなんと言いましょうか」


 グレイド様はしどろもどろにエルミージュ陛下に応対している。エルミージュ陛下の笑みが深まる。


 ここでエルミージュ陛下はあからさまに「何を隠している? まさかイリューテシア王妃を隠しているのではあるまいな?」などとは言わない。


 グレイド様の態度では自白しているようなものなのだから、この場はそれとなく私がいる事を確信しているような事を匂わせるに止め、後日の交渉のカードにしようと考えていたのだと思う。もちろん、公爵屋敷は厳重に監視して私の逃亡を防ぐ。


 場合によっては、帝都の主人で全権限を持つ皇帝陛下に頼んで公爵屋敷を捜索してもらっても良い。それで私が見つかれば、イブリア王国はクローヴェル様が皇帝陛下に誓った謹慎を破った事になり、皇帝陛下に問責される事態になるだろうね。


 まぁ今更、皇帝陛下がイブリア王国を問責して帝国軍を編成して懲罰を企んだとしても、スランテル王国とザクセラン王国がイブリア王国側に付いた現状では。満足な帝国軍が編成出来ないし、帝国を二分する大内戦になってしまうから無理なんだけどね。


 そうとは知らないエルミージュ陛下は自らの優位を確信した顔で、グレイド様に嫌味をぶつけている、グレイド様も何かというと貧乏くじを引かされる、不憫な方よね。主に私のせいで。


「私の義理の兄をいじめるのはその辺にしてあげてくださいな。エルミージュ陛下」


 私は押し開けられた扉から応接室に入ると、開口一番こう言った。グレイド様は嫌そうな顔をしたわね。誰のせいだと言わんばかりだったわ。


 エルミージュ陛下は軽く驚いただけだった。私が出てくる可能性も十分あると予測していたのだろう。社交的な笑みを浮かべて私を睨む。


「これはこれはイリューテシア様。こんなところでお会い出来るとは。貴女はここにいる筈の無い方ではありませんか?」


「そうですわね。幻でも見たと思って忘れてくださると幸いですわ」


 青いドレスに着替え、ばっちりお化粧もした私は歩き、グレイド様に譲られた。エルミージュ陛下の正面のソファーに座った。


「そうはいきますまい。皇帝陛下とお約束した謹慎の期限まで、まだ半年は残っているではありませんか。それが堂々帝都にいらしゃるとは。帝国の竜の一首としては看過できませんな」


 エルミージュ陛下は舌なめずりでもしそうな口調で仰ったが、私は毛ほども感銘を受けなかった。この人は知らないが、現状、既に竜の首は七つではない。イブリア王国は既に七分の一では無いのだ。


「エルミージュ陛下。イブリア王国はスランテル王国を麾下に収めました」


「は?」


 エルミージュ陛下は何を言われたのか分からない、というお顔をなさった。


「それと、ザクセラン王国では政変が進行中です。第三皇子のザーカルト様が、イブリア王国の支援のによって国王になる予定です」


 これにはエルミージュ陛下の顔色が変わった。ザーカルト様の評判、ザクセラン王国一の勇者だと言われている事を知っているのだろう。そんな名将がイブリア王国の手で国王に押し上げられるなどという話は看過出来まい。


「ザクセラン王国の政変が終了し次第、イブリア王国、スランテル王国、ザクセラン王国は三国で軍事同盟を締結し、イブリア王国を盟主として帝国に対抗するつもりです」


「な! 帝国から独立しようというのですか?」


「そうですね。いえ、このまま帝国を端からバリバリと食べてしまい、飲み込んでしまおうと。そう考えております」


 私の発言は、完全な帝国への宣戦布告だと言って良かった。グレイド様が私のあまりの発言に真っ青な顔をして汗をダラダラかいている。エルミージュ陛下は唖然とし、しかしどうにか頭を振って立ち直ると笑顔を忘れて私を睨んだ。


「本気、いや、正気ですか?」


「どうでしょうね。私はホラ吹きイリューテシアですからね」


 対照的に私は嫣然と微笑んだ。


「お伝えした情報も全ては信じぬ方がよろしいかと。まぁ、その内真実は明らかになるでしょうけどね」


 エルミージュ陛下は絶句してしまった。うんうん。これくらい驚いてくれないと、精一杯吹いた甲斐無いというもの。もちろんだが、私はこの時点で帝国全体と戦争をする気などない。


 しかし、エルミージュ陛下が多少でも真に受けてくれればしめたものだ。彼は皇帝陛下やフェルセルム様に報告してくれるだろう。その結果、皇帝陛下やフェルセルム様は驚いて詰問の使者を公爵屋敷に寄越すに違い無い。


 しかし、その時はもう私はいないという寸法だ。幸い、体調不良で寝込んでいる内に力は溜まった。エルミージュ陛下がお帰りになったら、中庭から空飛んで王都に帰るのだ。


 皇帝陛下の使者に公爵屋敷を隈なく見せて差し上げて、グレイド様に言って頂くののだ。「エルミージュ陛下は幻でもご覧になったのではありませんか?」と。エルミージュ陛下は大恥をかくし、故無く疑われたグレイド様はエルミージュ陛下や皇帝陛下に抗議する事が出来る。今後の社交や交渉で優位に立てるようになるだろう。


 もちろん、エルミージュ陛下はご自分が幻を見たわけでは無い事を知っていらっしゃるし、エルミージュ陛下からお話を聞いた皇帝陛下もフェルセルム様も、エルミージュ陛下が幻想を見たと思わないだろう。


 つまり私は公式記録に残らないこの場で、幻の宣戦布告をエルミージュ陛下、ひいては皇帝陛下とフェルセルム様に行ったのである。私は殊更に朗らかに。上気したように顔を赤く染めながら言い放った。


「イブリア王国が帝国を呑み込んで、新しい帝国を作って差し上げます。どうですか? エルミージュ陛下? 陛下は新しい帝国に味方しますか? 古い帝国と一緒に滅びますか? 私はどちらでも構いませんよ?」


 唖然茫然愕然としながらエルミージュ陛下がお帰りになると、私は慌てて着替えて中庭に出て、ブケファラン神を呼び出して炎の馬に跨った。一刻も早くこの帝都から消えないといけない。皇帝陛下の使者にでも見つかったら幻の宣戦布告が本当になってしまう。それはまだ時期尚早だ。


「では、グレイド様。後をお願いしますね」


 グレイド様は涙目で叫んだ。


「いくらなんでも無茶振りが過ぎるでしょう! あんな出鱈目を言い放ってエルミージュ陛下を怒らせるなんて! 公爵屋敷をいきなり攻撃されたらどうするのですか!」


 そんな事にはならないと思いますけどね。それよりも。私はグレイド様に笑顔を向けた。


「違いますよ。グレイド様」


「は? 何がです?」


「出鱈目ではありません、本気です」


「は?」


「エルミージュ陛下に言ったのは全て本気です。本当の計画です。グレイド様もそのつもりでいてください」


 グレイド様の顔がサーっと音を立てて青くなる。


「帝国を滅ぼすというのが、ですか」


「新しい帝国を作るには古いものは滅ぼす必要があるでしょう?」


 私がニンマリと笑って言うと、グレイド様が頭を抱えて叫んだ。


「無茶苦茶だ!」


「今更ですよ。では、後を頼みます」


 私はブケファラン神を促して空へと舞い上がった。


 翌日、やってきた皇帝陛下の使者によって私の不在は証明され、エルミージュ陛下はグレイド様に納得がいかないまま謝罪を余儀なくされたそうだ。


 エルミージュ陛下が確かに私を見たのだと言い、スランテル王国内で私を見たという噂も広まったが、やはり同時期に旧王都を歩いていたという話も伝わり、一体どれが本当のイリューテシアなのだ! とちょっとしたミステリーとして語られる事になったそうだ。


 神出鬼没のイリューテシア。私にそんな二つ名が付けられてしまうまでに、それほど時間は掛からなかったそうだ。

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