イブリア王国の暴走王妃

三十一話 暗躍するイリューテシア

 飛んで移動出来るので早いし、姿を隠す事も出来て隠密行動にも向いているしで、暗躍にはもってこいなブケファラン神だが、なにしろ神様なので、こんな便利使いして大丈夫かな? 怒らないかな? と最初、私はけっこう心配していた。


 のだが、何しろ馬の神様なので実はブケファラン神は駆けるのが(飛ぶのが)大好きらしく、呼び出して私の馬に憑依させると大変喜び、大興奮で空を駆け回るのだった。むしろ呼び出す間隔が大きく開いたり、飛ぶ距離が少ないと不満らしく、暴れたり拗ねたりするのだ。なかなか楽しい神様だ。


 ブケファラン神を顕現させておけるのは、私が全力で力を使っても朝から晩までくらい。イブリア王国旧王都から現王都までは半日で行けるが、流石に帝都までは一度では飛べない。一度王都で休み力を回復させてから飛ばなければならなかった。


 しかしながら、馬車で行けば二週間も掛かるところが休憩含めて四日で行けるのだ。画期的だ。私は事前にグレイド様に書簡を出して公爵邸に部屋を用意させ、帝都まで飛んだ。


 グレイド様は額を抑えながら俯いていた。


「いくら何でも非常識過ぎるのでは?」


「エングウェイ様もそう仰ったわね」


 私は寒さ対策で沢山着込んでいた服を脱いで、出された熱いお茶を飲んでほっと一息吐きながら返事をした。ブケファラン神の移動は早くて便利だが、裸馬にしがみ付きながら、凍えそうな上空を半日以上飛行するのだからけして楽では無いのだ。


「もちろん、山の中で謹慎している筈の私がここにいる事は極秘です、口外しないようにね」


「言っても誰も信じませんよ」


 私はとりあえずグレイド様に帝都の情勢を聞いた。


「イブリア王国国王夫妻が失脚、謹慎したという話は帝都の社交界で瞬く間に広まりました。まぁ、王妃様がやり過ぎた、調子に乗り過ぎたのだからやむを得まい、という論調が大半ですね」


 確かに、トーマの民の大半をイブリア王国に服属させるのはやり過ぎといえばやり過ぎだった。だけどあれは不可抗力だったと私は主張したいわね。


 クローヴェル様と私が旧王都に引き籠もった事は、一時期は帝国軍を結成しての討伐を云々するレベルまで高まっていたイブリア王国への非難を、かなり落ち着かせる効果はあったらしい。


 ただ、イブリア王国の国力が衰えたわけでは無い。隣国にあたるスランテル王国とザーカルト王国は引き続き警戒しており、両国は解決策として皇帝陛下にイブリア王国からの領土の割譲を求めているとか。何ですかそれは。


 皇帝陛下とはいえ、王国の領土を勝手に取り上げて振り分けることは出来ない。必然的にその前に軍事侵攻をしてイブリア王国の実効支配をしなければならないだろう。皇帝陛下はもうそこまでやる気はないようで、スランテル王国やザクセラン王国の要求を退けてはいるらしい。


 しかし安心は出来ない。両王国が他の王国を巻き込んで、イブリア王国に軍事侵攻を企む。もしくはそうイブリア王国を脅迫して領土の割譲を要求する可能性は大いにありそうだ。


 グレイド様のその話を聞いて私は少し不思議に思った。両国とも随分強気ね。


 イブリア王国は今や遊牧民の騎兵まで麾下に収める、帝国一の軍事大国だと言っても良い。はっきり言って、スランテル王国とザクセラン王国が組んで攻め込んで来ても、撃退するくらいなら造作ないと思う。それくらいイブリア王国は強い。


 皇帝陛下の命で帝国軍が結成され、帝国の総力を挙げて攻撃されても、多分簡単には負けない。もっとも、帝国全体と完全に敵対したら不味いのは軍事的にではなく経済的な損失と長期に渡る影響の方である。故に致命的に皇帝陛下と敵対しないために私たちは引き篭ったのだ。


 その軍事大国に対して、どうして両国はそんなに強気に出られるのだろうか。皇帝陛下は帝国軍の結成は無いと仰っているらしいのに。


 私がそう言うと、グレイド様は少し考え込んで、言った。


「ここで弱気な姿勢をイブリア王国に見せたくないという事でしょうな」


 つまり、圧倒的な軍事力を持っているイブリア王国に少しでも弱気を見せれば、勢いに乗ったイブリア王国に飲み込まれかねないと恐れているのだろうという。


 そのため、強気な態度を崩さず、諸国との連携を強調しているのだろう。なるほど。実際そういう強気の姿勢が功を奏して、私たちは失脚したという事になっている。このまま強気で押して、イブリア王国と有利な条約でも結びたいと。そういう腹なのだろう。


 そんなのは虚勢に過ぎない、とは外交に関しては言えない。なぜなら、軍事力に差があっても戦争はそれだけで勝敗が決まらないからだ。戦争はやってみなければ分からない。だから、為政者としては戦争はなるべくやりたくはない。


 戦争を辞さない態度、相手に引かない態度を見せる相手との外交はだから難しいのだ。やりたくはない戦争を強いられる可能性があるからだ。


 この場合、イブリア王国が両国との戦争に実際に踏み切ってしまうと、後付けで他の諸王国や諸侯が相手側の支援に乗り出してきて泥沼化しかねない。そんな事になれば何が起こるか分からない。


 それを考えると、軍事的に優位な立場にあるイブリア王国としても、むやみやたらと強気には出られないのである。それを見越しての両国の強気なのだろうという。


 なるほど。しかしながらそれが分かっていればやりようはあるわよね。私はニンマリと笑うと、グレイド様にある事を相談した。


「・・・随分と大胆な事を考えましたな。王妃様。まぁ、王妃様ならそれほどでも無いのか」


 とグレイド様は自己完結で納得していらしたわね。



 数日後、グレイド様はスランテル王国の国王ハナバル陛下が開催された夜会に出席していた。国王クローヴェル様の名代としてである。フレランス様も一緒だ。フレランス様は侍女を二人引き連れている。夜会に出る貴婦人がお世話係の侍女を連れ歩くのは当然だ。


 この夜会への出席はグレイド様から「お話したい事がある」と提案して実現した。グレイド様の出席を拒絶しなかったところに、スランテル王国の微妙な立場と考え方が垣間見えるわね。


 スランテル王国としても、イブリア王国と本当に戦争になるような事態は避けたいのだ。強気に出る目的は、イブリア王国を交渉において譲らせたいからである。故に交渉の機会は逃せないし、イブリア王国から辞を低くして交渉を持ちかけて来た、今回のような機会は特に逃したく無いだろう。


 グレイド様とフレランス様はハナバル陛下の前に出て礼をした。国王の名代なので跪かない。


「お招きに預かりまして、恐悦至極に存じます」


 ハナバル陛下はもう五十歳を超えている。栗色の髪とグレーの瞳の方だ。ハナバル陛下は口元を緩めて微笑まれた。


「ようこそいらっしゃった。グレイド殿。国王クローヴェル陛下はご息災かな?」


 山の中に引き籠もっている事は知ってるくせに。白々しいったらないわね。まぁ、そういう心にも無い事をしれっと言えないようでは王族なんてやってられないのだ。


 そこからグレイド様とハナバル陛下は和やかにお話されていた。お二人とも両国の関係が危ういなどとは表に出さない。それが貴族の社交というものだ。


 しかし、会話の端々にバチバチと火花が飛び散るのである。


「イブリア王国も遊牧民の面倒を見るのは大変だろうな。どうかな?奴らの領域の一部をスランテル王国で面倒をみてやろうではないか」


「せっかくのご提案ですが、奴らは国王陛下か王妃様の言う事しか聞きません。お二人が謹慎している今、イブリア王国でもコントロール出来ない状態でして」


 だからトーマの民がスランテル王国を襲っても、イブリア王国には責任ありませんよ、と匂わせる。


「おやおや、遊牧民を臣従させたという割には頼りない事ではないか」


 ハナバル陛下は笑ってみせたが、少し眉間に皺が寄っている。スランテル王国にとって遊牧民対策は国防の重大事項だ。イブリア王国が遊牧民をコントロール出来ていないという情報は見過ごせないのだろう。


「イブリア王国としては王妃様のおかげで奴らが略奪に来なくなっただけで十分だと考えておりますよ」


 それ以上の、トーマの騎兵を大規模に編成して、他国を攻撃するような野心はありませんよ、とアピールする。


「その恩恵を帝国全体にも行き届かせる事が、奴らを臣従させたイブリア王国の役目ではないのかね?」


「はぁ。国王陛下と王妃様がお戻りにならないと、名代に過ぎない私やアルハイン公爵では何ともお答え致しかねますな」


 グレイド様はのらりくらりと返事をして、ハナバル陛下に言質を与えない。こんな、周囲が聞き耳を立てている社交の場で大事な話はしない。


 ダンスだの他の出席者との談笑だの、いわゆる社交らしい社交をこなした後、ハナバル陛下はグレイド様夫妻をサロンに誘った。個人的友誼を深めましょう、というお誘いな訳だが、もちろんそんな訳がない。ここからが今回の交渉の本番だ。


 スランテル王国国王ご夫婦とグレイド様ご夫婦が向かい合ってお座りになり、お酒と軽食が出される。いいなぁ。私も呑みたいわね。


 もちろん、密室に国王ご夫婦と国王名代ご夫婦が向かい合う訳だから、侍女、侍従と更に護衛の兵士が双方の周囲をがっちり固めている。


 グレイド様とハナバル陛下は軽く帝都の気候の話などしてから、おもむろに本題に入った。


「さて、グレイド殿。今回貴殿がしたいというご提案について、そろそろ伺いたいものだな」


 グレイド様はにこやかに笑いながら頷き、サラッと言った。


「それについては、私よりももっと相応しい方からお話頂きましょう」


「は?」


 ハナバル陛下が目を瞬かせる。何を言っているのだ?と表情が言っていた。


 私は予想通りの反応にフフフっと笑いながら一歩進み出て言った。


「お久しぶりでごさいますね。叔父様?」


 ハナバル陛下が私の方を見て怪訝な顔をした。なんだ、何を言い出した?と言わんばかりの表情だ。しかし、隣に座っていた、陛下と同年代のお妃様はすぐに気が付いたようだ。顔色が変わる。やはり女性の方がこういう所は鋭いわね。


「い、イリューテシア様!?」


「何!?」


 ハナバル陛下はお妃様の言葉に驚愕し、私を二度見した。しかしよく分からないようだ。


 無理も無いわね。私はこの時、フレランス様のお付きの侍女を装って、緑色の地味なドレスに身を包み、茶色髪のかつらまで被っていたのだ。私はかつらを脱いでみせた。


「フフフ、お母様と同じ髪色を選んでみましたの。似ておりますでしょう? お母様に」


 お父様の三人目のお妃様。私の生母という事になっている方は、ハナバル陛下の末の妹君だったのだそうだ。もちろん私は顔も知らないが、肖像画によれば茶色の髪だったらしい。


 かつらを脱いでみせれば流石に分かる。ハナバル陛下は表情を取り繕う事も出来ずに驚愕を露わにした。


「い、イリューテシア様!? 何故? どうやって帝都に?」


 当たり前だが、王族が優雅に馬車で帝都を出入りすれば目立つ。当然、各国の帝都屋敷ではその動向を見張って監視しているから、私が馬車で帝都入りしていない事はスランテル王国では把握していただろう。常識的に考えれば私がここに居るわけが無い。


 私は何食わぬ顔で微笑んだ。


「あら? 叔父様はご存じありませんか? 私は空も飛べるんですのよ?」


 人が空を飛べる筈はないから、冗談に聞こえるだろう、と思ったのだが、ハナバル陛下とお妃様はガタガタと震えだした。あら? どういう反応なのかしら? これは。


「ま、魔女だという噂は本当だったのか・・・」


 あらあら。そういう事ですか。せっかくだから利用させて貰いましょうかね。


「そうですよ。私は紫色の魔女ですからね。造作も無い事です。さて、叔父様。少しお話を致しましょうか?」


 私はグレイド様に譲られた席に座った。お酒も呑みたかったし、お腹も空いていたが自重する。ハナバル陛下は何とか立ち直って、額に汗を浮かべながらだが笑顔を取り戻していた。しかし、私の発言に陛下はいきなり笑顔を失う事になる。


「単刀直入に言います。スランテル王国はイブリア王国の麾下に入りませんか?」


 ハナバル陛下のお顔が引きつった。しかしながらそこは海千山千の国王陛下。一瞬で取り繕うと唸るような声で問い返した。


「どういう事かな?」


「そのままの意味ですよ。スランテル王国はイブリア王国に臣従しませんか? と言っているのです」


 ハナバル陛下のお顔が段々赤くなり、ブルブルと震え出した。おお、怒っているわね。


「な、なんと無礼な! 何様のつもりか!」


 それはそう思うでしょうね。帝国の竜首の七王国は同格だ。そういう建前だし、皇帝陛下は全ての王国が均衡する様にかじ取りをしている。それなのに同格の王国の前に跪けというのは、無礼と言われても仕方が無いだろう。


「強い者に跪くのは恥ではございませんよ叔父様。諸侯はそうして王国に臣従しているのではありませんか。諸侯はそれを恥だと思っているとお考えですか?」


 ハナバル陛下は鼻白んだ。竜首の王国の国王と諸侯を一緒にするな、と思っているのだろう。しかしながら、私はハナバル陛下の認識の甘さを指摘した。


「トーマ、つまり遊牧民の全部族を麾下に収めたイブリア王国は、スランテル王国の数倍の軍事力を誇ります。イブリア王国がその気になれば、スランテル王国は三日もあれば蹂躙して占領出来ます。これは、王国と諸侯領との軍事力の差に匹敵しますよ。それを思えば私の要求が不遜なものでは無いと言えるのが分かると思いますが」


 ハナバル陛下が絶句する。まぁ、ちょっと盛ったけど事実に近いからね。


 スランテル王国は、王国の平均より少し広い国土は持つが、農耕の他に目立った産業も持たず、東北は小国群、東南はトーマの民の土地、西北はオロックス王国、西南はザクセラン王国、北はロンバルラン王国、南はもちろんイブリア王国に囲まれており、外国との交流が少なく交易が盛んではない。そもそも竜首の七王国の中でもあまり国力が大きな方では無いのだ。


 そのくせ、ご覧のように帝国内の多くの王国と国境を接しており、王国同士の関係性に気を使わなければならない環境にある。イブリア王国の躍進に必要以上に神経を尖らせるのは、イブリア王国が他の王国と揉め事を起こした場合、必然的に巻き込まれる可能性が高いからなのだ。


 つまり、国力が低いだけに軍事力も低く、調べた限りではイブリア王国と単独で戦ったならまず勝てない。トーマの民を上手く動員出来るなら、三日は無理でも一カ月くらいで王都を攻略できるのではないかしら。まぁ、そんな事をしたら色々大変だし戦費も物凄く掛かるから、出来ればやりたくないけどね。


 やりたくは無いけど出来る。これが私の強気発言の根本だ。スランテル王国の虚勢の強気とは訳が違うのだ。それが分かっているからハナバル陛下は青い顔をして沈黙している。私の本気を感じ取りもしたのだろう。軍事力による恫喝は、本気でやる気があると相手に感じさせなければ意味が無い。彼我の力関係をたっぷり認識させた上で、私はおもむろにハナバル陛下に言った。


「もう一度言いますが、力のある者に従うのは恥ではありませんよ? スランテル王国がイブリア王国の麾下に入るのであれば、スランテル王国には最大限の支援を致しましょう。叔父様が長年抱えていらっしゃる懸案は幾つも同時に解決することでしょう。例えば、ロンバルラン王国との件」


 ハナバル陛下が驚きに目を見張る。


「なぜそれを・・・」


「叔父様とロンバルラン王国のコルマドール様の関係が良くないのは見れば分かりますもの。国境争いでじりじりと国土を侵食されているというお話も聞いています。イブリア王国の麾下に入ればここも我が王国の軍が護りましょう」


 ロンバルラン王国は国土の小ささに悩んでおり、スランテル王国に国境沿いの土地を譲る様に圧力を掛けているらしい。実際、奪われた土地もあると聞く。なんだか難しい事情が(過去数代に遡る因縁があるらしい)あって、皇帝陛下の仲裁も上手く行っていないようだ。そんなもの、イブリア王国が武力で解決してあげるわ、というわけだ。


「他にも我が国の麾下に入ればトーマの民の侵攻は無くなります。そして平和な交易すら出来るでしょう。交易の弱さはスランテル王国の弱点でしたね。同時に、イブリア王国の武力を背景に他の竜首の王国とは有利な関係を築けるでしょう」


 脅し一転、私はイブリア王国の麾下に入った場合の利点を派手に宣伝する。そう。強国の麾下に入る事は悪い事ではないのだ。強国の武力を背景に自国だけでは不可能だった他国と有利な関係を築ける。虎の威を借りると言わば言え。外交関係で一番大事なのは強いか弱いかだ。どんな手段を用いても優位に立った者が勝者なのだ。


 後はつまらないプライドだけだ。帝国の七つ首の竜の一首のプライド。それを捨てる事は流石に難しいだろう。脂汗を流しながら私を睨むハナバル陛下に私は慈悲深い笑みを向けて言った。


「もちろん、対外的には『イブリア王国と親密な同盟関係を結んだ』と言って頂ければ構いませんわ。臣従したなどとは言わないで結構です」


 まぁ、臣従を神に誓ってもらっても、情勢が変化すればどうせ何やかや言って裏切られるのが当たり前なのが外交関係だ。イブリア王国が強い間だけでも味方してくれれば問題無い。


「・・・条件は?」


 ハナバル陛下がぼそっと言った。あら、ずいぶんあっさり落ちたわね。


「そうですね。貴国内における軍隊の自由通行権を下さいませ。ロンバルラン王国との争いを解決するのにも必要ですものね。あと、有事の際のスランテル王国軍の指揮権も欲しいです。イブリア王国の方が多くの軍を出す事になるのですから当然ですね。そうそう。何ヶ所か軍隊の駐屯地も欲しいですわ」


 ハナバル陛下が目を剥く。


「完全に戦争準備ではないか!」


「そうですよ。だってそうしないといつ帝国軍が編成されてイブリア王国目指してやって来るか分かりませんもの。その場合、最初に攻撃されるのは帝都に近く、他の王国に囲まれている『同盟国』のスランテル王国です。スランテル王国を防衛するのは『同盟国』として当たり前の事ですものね」


 まぁ、本当の目的は違う所にあるのだが、建前としてはおかしくも間違ってもいないから大丈夫でしょう。


 さて、条件は提示した。実利もちらつかせた。もちろん、これを断ったらイブリア王国と致命的な対立に陥ってしまう事はハナバル陛下もご承知だろう。脅しも完璧だ。さてさて、ハナバル陛下はどんな決断を下すのかしら。私は他人事のようにワクワクしながら待っていた。ハナバル陛下は私の見立てでは愚かでは無いはず。


「・・・其方は、本当にマクリーン陛下にそっくりだな」


 ようやく口を開いたハナバル陛下は意外な事を言った。


「お父様と?」


「ああ、幾重にも縛って動けなくするようなやり口がそっくりだ。私はそれで妹を奪われたのだ」


 あらあら、あの好々爺にしか見えないお父様にも昔はそんな一面があったのね。血の繋がりは無いけれど、お父様に似ていると言われるとなんだか凄く嬉しいわね。


「それでは?」


「断りようがなかろう。確かにもはやイブリア王国に単独で対抗するのは難しい。幸い、其方と私は叔父と姪の関係だ。其方の夫、クローヴェル様が皇帝になった暁には私は皇帝の近い縁戚となる。それを考えれば、ここでクローヴェル陛下に傅いておくのも悪い選択ではないだろう」


 やっぱりハナバル陛下は騙せなかったわね。そう。スランテル王国を臣従させるのは、クローヴェル様を皇帝にするための重要な布石なのだ。スランテル王国にイブリア王国軍を入れて前進基地を造る事が出来れば、帝都までの距離はぐっと近くなる。帝都への軍隊を率いての上洛が容易になる。力を見せつけての上洛こそクローヴェル様の皇帝への道の近道だ。


「分かって下さると思っていましたわ。流石は私の叔父様です」


 私がニッコリ笑うと、ハナバル陛下はそっぽを向いた。


「其方の顔は妹には全然似ておらぬがな」


 多分、私が養女である事も見抜いているのでしょうね。でも、私の叔父であるという立場はこれから先で重要になって来る。手放す気は無いだろう。彼が私の叔父を名乗っている間は同盟者として信用していても良さそうだ。


 王国の七王国はほとんど均衡していた。しかし、イブリア王国がスランテル王国を飲みこめばどうか。大きく均衡は崩れる。二国合わされば、皇帝陛下が帝国軍を結成したとしても容易には討伐出来ない。討伐が泥沼化すれば帝国が分裂しかねない。それを恐れれば、皇帝陛下としては迂闊にイブリア王国とスランテル王国を罰する事が出来なくなるのである。


 これでイブリア王国が帝国全体から攻撃される可能性はかなり減っただろう。ホッと一息だ。


 私とハナバル陛下はその場で秘密協定を書面にしてサインを交わした。一応は大女神アイバーリンに誓う神聖なものだ。これでスランテル王国の事実上のイブリア王国への臣従が決定した。


「私はこれからすぐに戻って、イブリア王国軍の進駐準備を進めさせますから、ハナバル陛下はお国に書簡を出して受け入れ準備を進めさせて下さいませ」


 話が通っていなくてスランテル王国軍とイブリア王国軍が戦うような事があると、いきなり同盟関係が壊れてしまうからね。


「すぐ帰るとは、どうやって帰るのだ?」


 ハナバル陛下はまだご機嫌が悪そうだ。屈辱的な臣従を誓わされたのだからそれはそうだろう。しかし私は構わず朗らかに笑いながら天を指差した。


「もちろん、空を駆けて帰るのですよ」




 ということで、私はその夜の内に帝都から王都に飛んで帰って、アルハイン公爵とエングウェイ様に事の次第を伝えた。もうエングウェイ様は呆れるのも疲れたような顔をして仰ったわね。


「展開が早過ぎます。なんですかそれは」


「ハナバル陛下が賢くて助かったわ。まぁ、陛下はあれで強かだから、イブリア王国を利用して長年の懸案を片付けるつもりでいるんでしょう。せっかくだから利用出来るところは利用させてもらいましょう」


 スランテル王国への進駐は重要な任務なのでホーラムル様に行ってもらう事にした。事情を聞いたホーラムル様は何を言われたのか分からないような顔をしていたわね。


「スランテル王国へ進駐ですか?」


「そうです。スランテル王国への行って、現地の軍と協力してロンバルラン王国との国境を整理してもらいます。微妙な任務ですし、他の者には任せられません。お願い致しますわ」


 私が頼むと、ホーラムル様は顔を頬を赤くして胸を拳でドンと叩いた。


「分かりました! 王妃様のご命令とあればこのホーラムル! 全力で取り組みましょうぞ!」


 うん。今のホーラムル様なら安心して任せられる。彼はトーマの人々からも信頼されているから、スランテル王国から近いトーマの部族も動員して上手くやるだろう。私は長期に渡る任務になるので奥様の機嫌をちゃんとケアするようにと忠告しておいた。私のせいで旦那が帰って来ないなんて恨まれたら困るからね。


 色々手配した後、私は一度旧王都に帰る事にした。クローヴェル様に報告しなければならない。次の暗躍の相談もしたいしね。私がそう言うと、アルハイン公爵がぎょっとした顔をした。


「次? もう次をお考えですか?」


「当たり前ではないですか。山奥に謹慎している事になっている今が暗躍のチャンスなのです。畳みかけていきますよ」


「一体今度は何処で何をするつもりなのですか?」


 私はフフフっと笑った。


「内緒です。何年も前に仕込みは済んでおります。さて、あの種がどう育っているか、楽しみですわね」

 

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