二十七話 遊牧民の土地へ

 竜首会議が終わって一カ月後、私とクローヴェル様は帝都からイブリア王都へ引き上げた。長居は無用だ。こんな陰謀渦巻く帝都にいたら何に巻き込まれるか分かったものではない。行きと同じくクローヴェル様の体調を見ながらゆっくりと街道を進み、イブリア王国に帰国した。


 今回の帝都行きでは私だけではなくクローヴェル様を各国の王族に印象付ける事が出来た筈だ。社交も沢山したし、竜首会議ではクローヴェル様の発言で会議の方向性が決定付けられた。私の夫としてだけではなく、クローヴェル様個人として強い印象を与えられたのではないだろうか。病弱さも知れ渡ってしまったとは思うけど。


 クローヴェル様の名が他の王国に知れ渡る事こそクローヴェル様を皇帝にするための第一歩だ。その目的は達成出来たと思う。その意味では私は今回の帝都行きに満足していた。


 しかし、やはりイブリア王国から帝都は遠過ぎるわね。早馬に使う、峠道を越えるルートならもっと早く着くらしいが、馬車では使えない。帝都で変事があった時に馬車でチンタラ七日も十日も掛けてはいられない。もう少し早く移動出来る方法は無いものか。


 私たちは十日後にイブリア王国王都に到着した。あら、ここにいた時には気が付かなかったけど、帝都に比べると王都はやっぱり暖かいわね。


 幸いクローヴェル様のお疲れもそれほどではなく、王宮でゆっくり休めば数日で公務に復帰出来そうだった。


 私とクローヴェル様は旅装から普段着に着替えると、真っ先にレイニウスに会いに子供部屋に行った。レイニウスは特に病気をする事も無かったようで、私が内心恐れていたように私達を忘れてしまって泣く事もなく、可愛らしくキャッキャと笑っていた。一安心だ。乳母曰く、活発で目が離せないとのこと。やっぱりアルハインの血が強いのかしら。


「リュー。貴方が大人しい赤ん坊だったとは思えませんが?」


 そうですね。他人のせいにしてはいけません。間違い無く私の息子ですね。はい。


 帝都での出来事を報告すると、アルハイン公爵は溜息を吐いた。


「皇帝陛下はそれほどイブリア王国を警戒していましたか」


「そうですね。ですから他国への援助を大盤振る舞いしてきた訳ですけど、先に書類で報告した程度の援助なら、王国の予算にそれ程は響きませんよね?」


「それは大丈夫です。ですが・・・」


 お義父様は難しい顔をして唸ってしまった。どうしたのだろう?」


「留守中、何か問題が?」


「いえ、本来なら良い事で、王国の利益にもなる事です。なのですが、おそらくですが、皇帝陛下の警戒心を高めてしまうと思われる事なのです」


 何だろう。私が想像も出来ずに首を傾げていると、アルハイン公爵は言った。


「遊牧民のいくつかの部族が、我が国への臣従を申し出ています」


 なんと。私もクローヴェル様も目を丸くする。


「何でまた?」


「どうも、ここ数年、遊牧民の土地は冬が厳しかったようで、家畜が多く死んだようです。それなのにイブリア王国は略奪を許さず、神殿領への侵攻も撃退され、八方塞がりになったようなのです」


 遊牧民の生活レベルは家畜の生育次第で大きく変動する。夏が涼しく家畜の餌である草が育たなかったり、冬が厳しく家畜が死んだりすると即座に飢えに繋がる。不作の年に備えて貯蓄が出来る農耕とはここが異なる。


 それをカバーするのが遊牧民の場合、略奪である。他の民族の土地に侵攻して富を略奪するのは、遊牧民にとっては産業なのである。しかも必須の。略奪に失敗すれば飢えるのだから。


 私は数年前にイカナで遊牧民を撃退したが、あれは彼らの身になってみれば、飢えを満たすための略奪を阻まれた事になる。おかげで冬に多くの遊牧民が死んだ事だろう。止むを得なかったとはいえその事を考えると少し心が沈む。


 おまけにあれ以来、イブリア王国は国境の防備を強化し、遊牧民の侵入を拒み続けている。しかも、神殿領にまで遠征して防衛してもいる。遊牧民としては生活の糧を奪われて大迷惑な事だろう。


 それを考えると、小国群の盟主になりつつあるヴェーセルグと遊牧民が結んだという話も、イブリア王国以外の略奪場所を求めての事かもしれない。小国群を通過すればクセイノン王国とかクーラルガ王国とかにも侵攻出来るようになるし。


 そういう企てが上手くいかなくなった遊牧民のいくつかの部族が進退極まってイブリア王国に保護を求めてきた、という話らしい。


「臣従と言っても、連中には領地があって無いようなものです。領地を得ることは出来ません。馬を降りて土地を耕せとも言えません。ですから、イブリア王国に略奪に来ない事、東方での軍事作戦の際には協力する事を約させた上で、食糧支援をするという契約を結ぶしか無いと思います」


 んんん?私はちょっと疑問に思った。


「ずいぶんと遊牧民に有利な条件ではありませんか?」


「そうは言っても、遊牧民から取れるものなど無いのが事実なのです。名馬と、後は軍事力。名馬は今では十分育成していますし。残りは軍事力以外にイブリア王国が必要なものを連中は持っていないのです」


 なるほど。持たざる者の強みという事ね。


 ただ、その遊牧民の軍事力は魅力なのだという。遊牧民は生まれながらの騎兵だし、勇敢で剽悍だ。騎乗しながら弓を弾く能力にかけては帝国民ではどんなに修練を積んでも追い付けないほどの差があるのだという。


 そのため、遊牧民は手強い敵なのだが、その遊牧民に遊牧民をぶつける事が出来れば戦場の様相は劇的に変わる。遊牧民の軽騎兵と帝国の重装騎兵を組み合わせて使えれば、戦術の幅も増える。おそらく、遊牧民単独の軍勢は簡単に撃退出来るようになるだろうという。


 と、いうような事を熱弁してくれたのはホーラムル様だった。何度も遊牧民を撃退してきたホーラムル様は、遊牧民の強さを一番よく知っている。悩まされ続けた遊牧民が味方になればどれほど心強いかも。


「是非、その部族の臣従を認めるべきです。そうすれば、イブリア王国の軍事力は帝国の他の国の追随を許さないほどになりましょうぞ!」


 ・・・なるほど。お義父様の懸念していた事はこれか。


「なるほど。もしも無事に遊牧民の諸部族を服従させ、その軍事力をイブリア王国軍に組み入れると、イブリア王国軍が強くなり過ぎてしまうという事ですね?」


 アルハイン公爵は頷いた。


「左様でございます。ただでさえ軍事力の大きさ、国力の大きさで皇帝陛下に警戒されている現状で、遊牧民を臣従させ、軍事力を増大させ、東の国境の不安定さまで解消させる事が果たして王国にとって良い事なのかどうか」


 そりゃ、皇帝陛下は警戒するわよね。もしも遊牧民を臣従させ、彼らをイブリア王国軍として運用出来るようになった場合、私が吹いた「イブリア王国だけで海まで進撃してくれん」という大ボラが、ホラで無くなる可能性が出てくる。


 遊牧民の恐ろしさは帝国の者なら誰でも知っている。その遊牧民を味方に付けた場合、イブリア王国軍は帝国一、いや、この世界一の軍事力を誇るようになると言っても過言ではない。そんな王国の誕生など隣国や皇帝陛下にとっては看過出来ないだろう。


 うーん。こんな事なら竜首会議であんなに吹かなきゃ良かったわね。あれほど好戦的な女を演じたのだ。今更ラブ・アンド・ピースと微笑んだって誰も信じてくれないだろう。他国への援助も相まって、イブリア王国が実力で帝国を掌握しようと試みていると思われてしまうかも知れない。


 しかし、単純に見るなら、遊牧民との関係改善はイブリア王国にとって良いことだ。遊牧民対策に帝国は長年悩まされ続けてきた。イブリア王国に限っても、多大な予算と労力を遊牧民対策に費やしてきたのだ。


 一部とはいえ、遊牧民を臣従させる事が出来れば、その部族に他の部族の対応を任せる事が出来るだろう。遊牧民の部族というのは利害関係が一致した時は連合して大勢力になるが、それ以外は関係無く暮らしており、時には普通に争いを起こす。


 ただ、問題は・・・。


「遊牧民を信じるのは危険です」


 エングウェイ様が難しい顔をしながら言った。


「彼らの価値観は我々と違います。今回の話も我々と向こうとでは考えている事が違うかもしれません」


 そうなのだ。遊牧民には臣従の概念が無いと聞いている。同族は仲間、違う部族と組む時も上下関係は無く対等な関係なのだという。ごく稀に彼らの信じる神に選ばれた部族長が現れると、その神の名の元に連合して統一される場合もあるが、その際にも上下では無く対等な同盟という形を取るのだという。


 それなのに今回イブリア王国に臣従したいというのは、おかしい。何か裏があるか、誤解があるか。


「しかしながら、今回の話を蹴ったら、遊牧民達は自暴自棄になってイブリア王国を襲うかも知れぬ」


 ホーラムル様がエングウェイ様に言う。ホーラムル様としては、遊牧民の脅威を取り除く事が出来るこの機会を逃したくないのだろう。エングウェイ様とてその事は同じ思いなのだろうが、これまでにも何度も裏切られたという遊牧民を信用する事が難しいのだろう。どちらの考えも分からないではない。判断が非常に難しい問題だった。


 判断するには材料が足りない。ならば。


「私が交渉に出向きましょう」


 私が宣言すると、その場のアルハイン一族が全員驚愕した。


「その、臣従を申し出て来た遊牧民の者と私が会ってみます。それで判断を下しましょう」


「お、お待ちください!王妃様!危険過ぎます!」


 ホーラムル様が叫んだ。あれ?止めて来るならエングウェイ様かクローヴェル様だと思ったけど。だが、ホーラムル様は血相を変えて言った。


「エングウェイ兄が言ったように、奴らは何をしでかすか分かりません。連中の事をまだしも知っている私でも危ないくらいです」


 ホーラムル様の懸念はもっともだと言えた。だが、何をしでかすか分からないからこそ、私が自ら会って判断したいのだ。


「何を考えているのですか?リュー?」


 クローヴェル様が静かに言った。う、ちょっと怒っている気配がある。クローヴェル様が私に向けて怒るなんて滅多に無いことだ。


「大した事は考えていませんよ。事が大き過ぎるので、出来るだけ私自身が持っている情報を増やして、判断を誤らないようにしたいだけで・・・」


「それならまず、ホーラムル兄に交渉してもらい、その交渉で安全が担保されてから貴女が行けば良いでしょう?いきなり最初の交渉に貴女が行くのは危険過ぎるではありませんか」


 やっぱり怒ってる。まぁ、無理も無い。確かに危険ではあろうし先走っている自覚はある。だけど、最初の交渉から私が出しゃばりたがる理由も一応あるのだ。


「いきなり王妃が出て行ったら、遊牧民は驚くでしょう?人は驚くと本性が出ます。何か隠し事をしていた場合に看破し易くなると思います」


「つまり、貴女は遊牧民が隠し事をしていると思うのですね?」


 そういう事になる。・・・いや、この所、アノ男の暗躍に慣れ過ぎて、なにかというとアノ男の陰謀企みではないかと疑うのは悪い癖だとは思うのだが・・・。今回の遊牧民の動きは如何にも怪し過ぎる。臣従の概念が無い遊牧民がどうしてイブリア王国に臣従しようなどと言い出したのか。その経緯を洗えば、アノ男の陰謀の尻尾を掴めるかもしれない。そろそろアノ男の陰謀に翻弄されるにも飽きて来た。逆に陥れる位の事をしてやりたい。


 遊牧民に「あなた達は騙されている」とフェルセルム様の陰謀の証拠でも突き付けれて唆せば、遊牧民が怒ってクーラルガ王国を襲うくらいの事はさせられるかも知れない。


 私はそこまでは言わなかったが、クローヴェル様は大体察しているようだった。彼は溜息を吐いて言った。


「止めても無駄なようですね。貴女が何かを決めたら止められないのはいつのも事ですが。仕方が無い。行っておいでなさい」


 クローヴェル様は私の事を良く分かっている。だが、それでも私の手を握りながら言った。


「ですが、十分に気を付けるように。貴女の身よりも大事なものなど、この帝国のどこを探しても無いのですからね?」




 ということで、私はホーラムル様率いる五千の軍勢と共に東の国境に向かった。イブリア王国は常備軍というほど厳密では無いが、有事には即応すると契約して訓練している兵士が大体一万人いる。この内、騎兵が三千いて、これはほとんど騎兵を専業としている。騎兵は馬に乗る技術も要るし、集団戦闘にも訓練が必要だからだ。その分騎兵には高い給金が払われている。土地が与えられている高級騎兵は騎士と呼ばれ貴族となり、領地が広くなれば諸侯に分類される事もある。


 これ以外にいざという時に徴用する兵士がいて、更にイブリア王国傘下の諸侯から兵を動員すると、目一杯集めて三万くらいになる。計四万。騎兵は諸侯保有の騎兵を合わせると五千くらい。これがイブリア王国最大動員兵力である。しかしながら、徴用兵は碌に訓練もしていないし、普段はただの農民だ。それを徴募するのだから集めるのには時間も手間も掛る。諸侯は動員を渋る事もあり、あまり頼りにはならない。やはりいつでも使える一万の兵力こそイブリア王国の戦力なのだ。


 なのでこの時東へ向かった戦力はかなりの大兵力だと言って良い。特に騎兵は二千騎も連れて来ていた。それだけ遊牧民に対して警戒しているのだろう。私では無く軍を預かるホーラムル様が。


「あいつらは弱い者の言う事は聞きません。こちらが隙を見せれば噛み付いてきますからな。油断大敵です」


 お見合いした頃は、気勢ばかり高くていまいち頼りにならなかったホーラムル様だが、現在では経験も豊富な立派な軍指揮官だ。人格もかなりしっかりしていて、兵士からの人望も高い。クローヴェル様や私を侮る事ももう無い。私もすっかり信頼している。


 私はイカナの街までは馬車に乗って行った。騎馬で行っても良かったのだが、私の世話をしてくれるために同行してくれているポーラ達侍女が困るから馬車にした。その代わり、イカナの街からは騎馬で交渉の場所まで向かわなければならない。


「連中は馬に乗らぬ者は信用しません」


 との事だったからだ。遊牧民は馬を愛し、馬の上で生活する事を誇りとする。近年は大女神信仰の部族も増えているらしいが、それでも最大の信仰を集めている彼らの神は馬の姿をしていると聞いた。


 イカナの街でコーブルク子爵の歓待を受け、一日休養を取った後、私とホーラムル様率いる軍勢はいよいよ遊牧民の土地へと足を踏み入れた。私も騎馬である。出産の後、鈍った身体を戻すために乗馬はしていたので、特に騎乗技術に衰えは無い。乗馬服に身を包み、騎兵に遅れる事無く付いて行く私にホーラムル様は眩しそうな視線を向けた。


「流石はイブリア王国の戦女神。凛々しいお姿です」


「貴方が付けたその二つ名のお陰で、帝都では虚像が独り歩きして大変だったんですからね」


「ですが、その虚像以上のご活躍だったと聞いておりますぞ。やはり私の目には狂いは無かった」


 まぁ、じゃじゃ馬姫もこの人の命名なんですけどね。今度も何かやらかすとまた妙な二つ名を付けられてしまうかも知れない。気を付けねば。


 しばらく進むと、帝国とは風景がだんだんと変わって来た。地形としては帝国から山という程では無い丘陵地帯を越えて行くと、程無く木が少なくなり、乾燥した平原がどこまでも続くようになる。そこからが遊牧民の土地だ。ここからそれこそ何日も掛けないと果てまで辿り着かない広大な平原全体が、遊牧民が馬や羊を放牧して追いながら暮らす遊牧民の領域なのである。


 遊牧民の部族数、総人口は判然としないらしい。一度帝都が遊牧民の連合軍に囲まれた時には数万に及んだらしいから、全部集めれば相当な人口がいるのだろう。ただし、遊牧生活の厳しさは前述した通りだから、人口の変動も激しいと思われる。


 今回、帝国に従うと言ってきた部族は二十数部族に及び、女子供含めて二千人を超えるらしい。元々イブリア王国と繋がりがある部族の仲介で予備交渉をして、ある程度の話をしてはいるのでそれくらいは分かっている。


 遊牧民は普段はテント生活で、移動しながら生活しているらしいが、冬の際には特定の場所で定住するそうだ。そういう家が冬ごもりし易い土地にあるそうで、今回は帝国に近いその一つが交渉の場所になっていた。丘陵の南側に数件の家があり、そこに遊牧民の一団がいるのが見えた。あれが交渉相手の者達だろう。


 最初に私達を案内して来た友好的部族の者が近付き、話をする。そしてその者達が私達の所に来て言った。


「代表者同士が前に出て、馬上で話をしようという事です」


 遊牧民は何かの話し合いをする時にも馬に乗って行う。聞いていた通りだ。しかし次の言葉にホーラムル様が目を剥いた。


「代表者は三名まで。護衛は認めないという事です」


「なんだと!」


 三人(三騎)だけで護衛無しというのはなかなか厳しい条件だ。何しろその代表者の一人は戦闘力皆無な私なのだから。


「そんな事は認められん。譲らぬのなら、王妃様は交渉には出せぬ」


 ホーラムル様の意向を向こうに伝えると、戻って来た者は首を傾げながら言った。


「ならば交渉は無しだと言っております」


「正気か?奴らの方から帰順したいと言ってきたのではないか!」


 やはりどうやら誤解か行き違いがありそうね。というか、陰謀の臭いがプンプンする。


「ホーラムル様。やはり話をする必要がありそうです。条件を飲んで交渉に参りましょう」


「王妃様!なりません!」


「どうも話がおかしいではありませんか。ここで交渉を打ち切れば、ホーラムル様が仰ったように、遊牧民の大侵攻を呼び込みかねません。話し合いは必要です」


 私がきっぱりと言うと、ホーラムル様は天を仰いだが、仕方無さそうに私の護衛に腕利きの騎士を一人付けてくれた。そして私とホーラムル様、護衛の騎士は三人で馬を進めた。向こうも少し派手目の服を着た初老の男と壮年の男が二人、鹿毛の馬に乗って進み出てくる。


「貴様が族長か!」


 ホーラムル様が馬上から怒鳴った。あまりの大声に驚いたが、相手も同じくらいの大声で怒鳴り返して来た。これが遊牧民の流儀らしい。


「そうだ!集まった部族の代表として俺は来た!」


 あら、帝国語が喋れるのね。だから代表を任されたのかも。


「それで?貴様らが帝国に従いたいという話だが」


 すると相手は怪訝な顔をした。


「従う?我々に従属の意思は無い!あくまで対等な同盟を結びたいという話だ!」


 ほら、やっぱり行き違いがあったようだ。


「事前の交渉では臣従するという事になっていた筈だ!」


「臣従とは貴様らが行っている王と諸侯の関係だろう!諸侯は王に従属している訳では無いと聞いている!」


 確かにそれはそうだ。名目上は。だが、王と諸侯の関係は単なる上下関係では無くもっと複雑だ。庇護を与える側と受ける側の、いわゆる紳士協定によって成り立っている部分がある。単なる国力だけで関係が成立しないのは、イブリア王家とアルハイン公爵家の関係を見れば分かるだろう。


 つまり、遊牧民の者達は自分達を諸侯と認めよと言っているのである。あらま、良く考えたわね。それとも誰かの入れ知恵かしら。遊牧民を諸侯と認めれば確かにイブリア王国としては遊牧民を蔑んでこき使う訳にはいかなくなる。それどころか麾下の諸侯であれば援助するのが当然だ(逆に王国への協力も義務になるが)。困窮している遊牧民をイブリア王国は盟主として守らなければならない。


 ただ、主君と諸侯の微妙な関係を、遊牧民が理解しているとはとても思えない。イブリア王国が主君として命令を下した時、諸侯として遊牧民が義務として受け入れるとはとても思えないのである。


「貴方たちを諸侯と認めた場合、貴方達には王国に対して兵役と上納の義務が生じますよ?それは承知ですか!」


 私は山育ちだからその気になれば大きな声を出せる。私の大声にホーラムル様は驚き、遊牧民達は感心したようだった。大声の持ち主はそれだけで遊牧民の中で尊重されるとは後で聞いた話だ。


「兵役?上納?なんだそれは」


「王国が求めた時には兵を提供し、税の上納を年一度行う義務です。貴方達が諸侯と認めて欲しいなら、帝国の諸侯が主君と結んでいるそのような契約をする必要があります」


 まぁ、主君が弱くなると諸侯が命令を無視したり、税の上納に至ってはイブリア王国ではほとんど有名無実化して、払って来ない諸侯の方が多いのだけどね。イブリア王国が豊かだから通用する話だが。しかしそんな事をここで言う必要は無い。


 遊牧民の族長は愕然としていた。


「そんな事は知らぬ!出来ぬ!」


「では、貴方達を諸侯と認める訳には参りません。ですが、王国の民として認める事はしましょう。ですがそれにはイブリア王国国王に従属する事を認め、忠誠を誓ってもらわなければなりません!」


 ここは譲れない。ここで対等の同盟などを認めてしまうと、裏切りが日常茶飯事らしい彼らにただ食料をただ貰いされてしまう可能性が高い。それどころか王国から食料を貢がせているくらいに考えて、食糧援助を打ち切った途端に怒って攻め込んで来る事になるだろう。明確に従属を認めさせ、きっちり契約をせねばならない。


 だが、遊牧民の族長は憤然として叫んだ。


「我々は自由の民だ!誰にもどこにも従属せぬのが誇り!そんな事は認められぬ!」


「では交渉は決裂ですね。今年の冬が暖かいと良いのですが。ホーラムル様。戻りましょう。とんだ無駄足でしたわ」


 私はそう言うと馬を返してホーラムル様を促した。


 するとその瞬間だった。


「やれ!」


 相手の族長が叫んだ瞬間、私は馬から転落した。え?というか、馬が転倒した。後から聞いたが、交渉している最中に馬の足元ににじり寄っていた遊牧民の男が、私の馬の脚に縄を絡め、引き倒したのだ。


 どんなに乗馬が巧みでも、馬が転んでは落馬は免れない。私は溜まらず逆さまに落下したが、幸い頭が地面に叩きつけられる前に受け止められた。良かったわ。


 と、安心している場合では無かった。私を受け止めたのは馬を引き倒したのとは別の男で、その男は私を抱き留めると、私の頭から何やら大きな袋を被せたのだ。きゃー!何?混乱している内に私は袋ごと担ぎあげられた。袋は固くて狭く、腕はもう動かせない。同時に馬蹄が響いて浮遊感。そしてお腹に衝撃。ぐへっ!これはどうやら袋に入れられた状態で馬の背中に乗せられたようだ。


「王妃様!」


 ホーラムル様の悲鳴が聞こえたが、その時には馬は既に走り始めていた。ちょっと、止めて!そんな事をしたら、あんた!物凄い勢いで疾走する馬の背中に俯せに乗せられているのだ。しかも身体が保持できない。身体が飛び跳ねて落ちそうになるし、あっちこっちぶつかって痛いし、怖い怖い痛い痛い!ギャー!


 なんて言っている場合では無い。どうやら私はまんまと、遊牧民に拉致されてしまったようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る