二十六話 ホラ吹きイリューテシア

「は?港?」


 エルミージュ陛下が目を瞬かせた。意味がさっぱり分からなかったに違いない。私は懇切丁寧に説明してあげた。


「私、フーゼンに滞在して海が好きになってしまいまして、イブリア王国にも港があれば良いなぁと思っていましたの。良い機会ですわ。此度の東征で東北部に領地を得た暁には、海沿いの領地を頂きたいと思います」


 本当は海などちっとも好きではない。変な匂いはするし船はひどく揺れて気持ち悪くなったしね。神殿領の海みたいに綺麗な色をしているなら兎も角、北の海は色も灰色だし。


 私の言葉に呆然としていたエルミージュ陛下だったが、私の言葉の意味を理解した瞬間、顔を真っ赤にした。


「そ、それは納得出来ません。海沿いの土地はクセイノン王国に隣接しております。優先権は我が国にあります」


「あら、陛下は先ほど、望んだようにとおっしゃいましたわ?」


「げ、限度があります!近接した土地を取られては何のための東征なのか!」


 私はうふふっと笑った。


「帝国としての東征でしょう?王国としての利害は捨て置くべきではありませんか。イブリア王国の飛び地がクセイノン王国の東にあれば、クセイノン王国は小国の雑音に悩まされる事は無くなりますでしょう?良い事ではありませんか。そうですね。ついでに東方との交易も代行して差し上げましょう」


「は?」


「ふふふ、夢が広がりますね。港を手に入れれば海賊国と結んで海上交易に乗り出すのも良いかもしれません」


 これには僅かに皇帝陛下も眉を動かした。海上交易はクーラルガ王国が現在独占している。クセイノン王国はクーラルガ王国と親しく、その海上交易構想はおそらくクーラルガ王国と共同もしくは強い協力関係で構築される予定なのだろう。


 しかし、イブリア王国が海上交易に乗り出すなら、クーラルガ王国なんぞと組みはしない。現在弱体化しているという海賊国と共に、海上支配に乗り出すのも面白いだろう。


 エルミージュ陛下は真っ青になった。


「お、お待ちあれ、イリューテシア様!」


「待ちません。そうですね、そういう面白い話だと思うと、帝国軍を編成するまでもない気がしてきました。イブリア王国単独で攻め込んで、とりあえず港だけでも奪ってしまいましょうか」


 まぁ、そんな事が出来る筈がないけどね。そんな風に無理矢理遠征したって占領地が維持出来ない。七王国の領地を通過しないと行けない飛地領地を維持するなんて、あくまで帝国として併合し、帝国の支援があって初めて成立する構想だもの。逆に言うと帝国の事業として東北部の小国群を併合した場合、私の構想に帝国は協力しなければならなくなるということでもある。


 私の放言に各国の国王陛下、王妃様はかなり呆然としている。口を出してこない。私はそれを良い事に更に言った。


「イブリア王国が単独で占領すれば全部イブリア王国の物に出来ますものね。どうせならイブリア王国から飛び地にならないように全面的にあの辺を占領した方がいいかしら?」


 スランテル王国国王陛下とロンバルラン王国国王陛下が驚愕する。イブリア王国が海沿いの土地まで飛び地にならないように領地を伸ばすという事は、両国の国境沿いの地域をイブリア王国が占領するという事だからだ。自国に組み入れるのに躊躇するような土地でも、帝国の他の王国が占拠してしまうのは安全保障上の大問題になる。帝国の王国同士は味方でありライバルであるという複雑な関係だ。お互いに矛を交えた歴史はいくらでもある。


 いくら何でもそんな事は許容出来ないだろう。ハナバル陛下とコルマードル陛下は私ではなく迂闊な事を言ったエルミージュ陛下を睨んだ。


 エルミージュ陛下は青い顔をしていたが、首を振って何とか正気を取り戻すと言った。


「そんな事が出来る筈がありますまい。イブリア王国軍が強いと言ったって限度があります」


「そんな事はありませんわ。私の金色の竜の力を持ってすれば兵士たちに恐れも疲労も感じさせずに戦わせる事が出来ますもの。大した人口もいない小国群を打通して港まで占領するくらい簡単ですわ」


 まぁ、嘘だけどね。そんな力は金色の竜の力には無いし。単に進撃するのではなく占領するには、占領地域を確保する人員が必要なのだから、進撃する軍勢よりも多い人員が必要なのだ。そんな人員を本国から割くなんて無理に決まっている。


 しかしながら、ここにいる皆様はある程度私を知っている。ここにいる皆様には、私は金色の竜の力の持ち主で、山奥にいた筈がいつの間にかアルハイン公国を併呑してイブリア王国を大国として復活させ、イカナの戦いやフーゼンの戦いで金色の竜の力を奮って勝利を呼び寄せ、じゃじゃ馬姫とも戦女神とも讃えられている女だと思われているのだ。甚だしい誤解が含まれているがそうなのだ。


 つまり、口だけの女だとは思われていない。何をしでかすか分からない。そういう人間だと認識されている。その私の大放言だ。そんな事出来る訳が無い。ホラに決まっている。そう思いつつも、こいつなら本当にしでかす事が幾分かでも混じっているかも知れない、と思わせられればしめたものである。


 実際、エルミージュ陛下を含め、この場の皆様は私の放言を戯言として聞き流せなかったようだ。


「そ、そんな事は許されません。そんな好き勝手は帝国が、この竜首会議で決める帝国の総意が許しません!」


「そんな事を仰っても良いのですか?この竜首会議で決められなければ戦争が出来ないなどと定めたら、クセイノン王国だって困るでしょう?」


 クセイノン王国は小国群としか国境を接していないが、遊牧民が小国群の領地を通過して襲って来る事もあるし、河を遡って海賊国が攻めてくる事もあると聞いている。


「ぼ、防衛は別でしょう!」


「あら、私の企みも防衛ですよ。積極的防衛。脅威を事前に排除するのが一番効果的な防衛策ではありませんか」


 無茶苦茶な事を言ってる自覚はある。が、そんな事は構わない。私は理屈の通じない訳の分からない事を言う女としてエルミージュ陛下を追い詰める。


 進退極まったエルミージュ陛下は私のすぐ側に救いの神を見出した。私からあえて目を逸らし、エルミージュ陛下はクローヴェル様に向けて言った。


「く、クローヴェル陛下。陛下はイリューテシア様のご意見はご承知なのか?」


 お前の嫁だろ!何とかしろよ!と言いたい所であったろう。しかしながら、クローヴェル様は熱が出てきたらしいぼんやりとした表情で言った。


「もちろんですとも。全て私も承知ですよ。イブリア王国は必ず我が妃の言った通りにするでしょう」


 エルミージュ陛下の表情が無になってしまった。その様子を見ながら、クローヴェル様は苦笑しつつエルミージュ陛下に助け舟を出した。


「ですが、イリューテシアもエルミージュ陛下も急ぎ過ぎではございませんか?まだ何も決まってはおりますまい。そうでしょう?皇帝陛下?」


 クローヴェル様に話を投げられて皇帝陛下は笑顔のまま数秒動かなかったが、やがて重々しく頷くと言った。


「そうだな。帝国として東征するともしないとも、イブリア王国に協力を求めるとも求めないとも決まっていない」


「こ、皇帝陛下・・・」


 エルミージュ陛下は愕然とした顔をなさった。皇帝陛下はわざわざ竜首会議前に帝国として東征して領土を獲得する事を各国に根回ししていたくらいだから、東征に対して積極派だった筈だ。この会議上でも最初は東征が実現するように誘導していた。


 それがここに来て中立のような事を言い出した。おそらくアノ男と謀ってこの東征を企んだエルミージュ陛下としてみれば、味方の筈の皇帝陛下に梯子を外されたような気分になった事だろう。


「慎重に東征が帝国全体のためになるか考えなければなるまいな。イリューテシア様もそれでよろしいか?」


 私は何食わぬ顔で言った。


「もちろんでございますわ。イブリア王国は帝国全体のためなら幾らでも戦いましょう。それなりの報酬は頂きますけど」


 つまり、東征が行われた場合、海沿いの土地の領有を主張する事を取り下げないという意味だ。これで皇帝陛下は完全に諦めたようだ。もしもイブリア王国が海沿いの土地を領有し、私の言ったように海洋交易に乗り出すような事があれば、クーラルガ王国の権益が侵される。帝国軍として東征し、報償として領地を分配したなら、皇帝陛下は私の行動を止められなくなる。


 しかし、諦め切れないエルミージュ陛下は言った。


「イブリア王国の希望が叶えられるのは、イブリア王国が最も功績を上げた時ですぞ?イブリア王国にその自信がお有りか?」


 私はふんぞり返って答えた。


「もちろんですとも。もしもクセイノン王国のご協力が無くとも、イブリア王国はヴェーセルグとやらを平らげてみせましょう」


「イリューテシア様が懸念されておられた弓兵への対策はどうなさる?」


 そんな見た事も無い部隊の対策なんて分からないし、そもそも私は東征に参加する気も無い。なのでここぞとばかりに言い放った。


「そんな対策は三つも四つも思い付きましたから全く問題はございません」


 遂に沈黙してしまったエルミージュ陛下を尻目に、改めて東征について意見交換が行われた。皇帝陛下が中立になってしまった今、クーラルガ王国も中立になってしまった。ザクセラン王国も中立である。残るイブリア王国は賛成だが海沿いの領地を貰えないなら参加しない。クセイノン王国は賛成(だがイブリア王国に海沿いの領地を取られる事には難色を示す)。スランテル王国、ロンバルラン王国、オロックス王国は明確に反対。


 反対派が優勢になった上に、私は口だけは賛成ながら内心は反対派である。必死に東征による帝国の利を説くエルミージュ陛下を全く弁護しないばかりか、上げ足を取る有様だった。


「ヴェーセルグの勢力は大して強くないというのなら。どうして帝国挙げての東征が必要なのでしょうね?」


「近年、豊かになっているという割に、国力は大したことが無いというのは矛盾しているではありませんか」


「森林が多く沼沢地が多いのに、遊牧民と連合してもあまり効果は認められませんね。騎馬隊を育成しても馬が育てられ無いでしょう」


 終いにはエルミージュ陛下はお作法をかなぐり捨てて、物凄い目で私を睨むようになってしまった。ちょっと苛め過ぎたようだ。


 結局、話し合いの結果、東征は否決された。実際問題として利益を得られそうな国がクセイノン王国しか無いのでは、皇帝陛下の強力なご意向による後押しでも無ければ他の王国を説得出来ないのだ。妥当な結論だと言うしかない。


 ただ、ヴェーセルグを放置しておくのは望ましくないのは確かな事であったから、使者を出し朝貢させるように促す事になった。農耕生産力の低い地域を領有しているヴェーセルグは、安定した食料供給先を求めているだろう。帝国が食料を売ればそれが叶う。帝国にヴェーセルグが依存するような関係になれば、エルミージュ陛下が懸念していた貿易や海賊国や遊牧民、ガルダリン皇国と連合して帝国を脅かすという事態は起こらないだろう。


 使者は、クセイノン王国が出すと、意図的に煽ってヴェーセルグを怒らせる懸念があった(というか私がそう主張した)ため、オロックス王国から出す事になった。オロックス王国は東征に反対の立場だから、穏便に事を済ますのに尽力するだろう。


 こうして、竜首会議は終了した。計画を潰されたエルミージュ陛下のお怒りは並大抵では無く「あのホラ吹き女め!」と叫んでいたそうな。「ホラ吹きイリューテシア」という二つ名が誕生したわけである。他の二つ名よりもしっくりくる名前で私は気に入ったけどね。




 「ちょっと面倒な事になりましたね」


 公爵邸に引き上げて来たらやはり完全に高熱を出してしまったクローヴェル様は寝込んでしまい、私が看病して熱が下がるまでに三日も掛ったのだが、ようやく身体を起こせるようになるとそうおっしゃった。


「面倒ですか?」


「完全に皇帝陛下のご意向を覆してしまいました。これは少しフォローしておいた方が良いと思います」


 私はクローヴェル様の首筋を拭いて上げながら首を傾げた。


「東征を潰したのはまずかったでしょうか」


「いや、あんな遠征に付き合わされたら、イブリア王国の国力が傾きます。中止になって良かったのですが、どうも皇帝陛下としてみれば、そのイブリア王国の国力を削減する事が東征の目的だったと思われるのです」


 え?イブリア王国の国力を削減?なんでまた。


「イブリア王国はあなたのお陰で強くなり過ぎました。色んな事業が進んで利益を出し始めていますし、神殿領、ザクセラン王国、スランテル王国と隣国との関係は改善し、遊牧民もガルダリン皇国も撃ち破っています。帝国の安定のために竜首の七王国の均衡と安定を望んでいる皇帝陛下にしてみれば、イブリア王国の首が伸び過ぎるのは避けたいのでしょう」


 なるほど、おそらくは東征を企んだフェルセルム様の考えに、あんまり仲が良さそうでも無い皇帝陛下が乗ったのが不思議ではあったのだが、そういう意図があったのか。


「だからここで皇帝陛下のご機嫌を取っておかないと、手を変え品を変えイブリア王国の国力を減らすべく画策される危険性があります。何とかした方が良いでしょうね」


 ふむ。確かに皇帝陛下を現状で敵に回すのは確かに面倒だ。皇帝陛下は有能で人望も高く、七王国で特に皇帝陛下に強く反抗姿勢な国もないようだ。あからさまに私達だけが反抗すれば印象が悪くなり過ぎる。


 それに皇帝陛下がイブリア王国を危険視しているという事は、七王国の国王陛下も少なからず同じように考えていると考えるべきだろう。


 クローヴェル様が皇帝になるには他の王国の支持が不可欠であるし、警戒された挙句、難癖を付けられて何カ国か合同で攻め込まれでもしたら目も当てられない。またアノ男の暗躍を許す事にもなるだろう。


 私は考え、クローヴェル様と話し合った。そして数日後に開かれたオロックス王国国王、カイマーン陛下主催の夜会に出掛けた。クローヴェル様は療養中なので、グレイド様ご夫妻を伴った。


 カイマーン陛下はまだ四十代なので、現在の皇帝陛下が崩御なさるか引退なさるかのタイミングによっては次の皇帝に担がれる可能性は無いとは言えない方だった。だが、本人には全くその気は無さそうだ。茶色の髪と立派な口ひげが特徴的な方で、少し細身だが身体つきは良い。騎士っぽく、実際騎士として若い頃は戦場に出ていたらしい。


 この方はクセイノン王国国王エルミージュ陛下と歳が近く仲が良いらしいのだが、今回の東征の件に関しては完全に意見を異にしていて、東征の計画が潰れた事を喜んでいらした。


「エルミージュの奴も、自分の分不相応な野心を持たない方が良い。帝国のためにも国のためにもならぬだろう」


 そう言いながら、ご自分はガルダリン皇国への侵攻計画を持ち、熱心に私に協力を持ち掛けてくるのだった。熱弁を振るうカイマーン陛下の話を頷きながら聞いていた私は、しばらくしてニッコリと笑うと、こう言った。


「陛下のお考えは分かりました。そうですね。イブリア王国としてはご協力するに吝かではございません。しかしながら、イブリア王国からオロックス王国は遠く、兵士を派遣するのは難しゅうございますし、王妃である私が向かうのも難しゅうございます。それはご理解ください」


「しかし・・・」


「ですが、陛下のお力になりたいと思う気持ちは本当でございます。ですから、今回は戦費をご支援するという形でご協力出来れば、と思いますわ」


 カイマーン陛下は驚いたような顔をした。


「戦費ですか?」


「そうです。陛下の計画の費用を一部負担して、兵での支援に代えさせて頂きたいのです。何しろ夫があのように病弱なもので、私はそれほど長く国を離れられないのです」


 フーゼンだの神殿領だのに飛び回っていた癖に良く言うよという感じだが、私はホラ吹きイリューテシアの本領を発揮して、カイマーン陛下を丸め込んだ。カイマーン陛下としては本当は兵員を派遣して欲しかっただろうが、戦費を無償で負担してくれるというのもかなり魅力的な提案だったのだろう。結局は私の提案に同意してくれた。


 次の社交ではエルミージュ陛下とお会いした。竜首会議であれだけやり合ってどの面下げて会うのか?という感じだが、そんな事では王族同士の社交は出来ない。私もエルミージュ陛下も何食わぬ作り笑顔で挨拶をする。そして私はエルミージュ陛下にある提案を持ち掛けた。


「戦費を?」


「ええ。クセイノン王国が単独で小国群への侵攻を企画するのでしたら、イブリア王国が戦費をご援助しようと思いまして」


 エルミージュ陛下は緑色の目を丸くして驚いた。


「どうしてそんな事を?」


「いえね。竜首会議では陛下の面目を潰してしまったのではないかと気になっておりまして。せめてもの罪滅ぼしですわ」


 本当は全然気にしていないけどね。


 私は兵員は出せないし私が向かう事も出来ないが、クセイノン王国が侵攻するなら戦費の一部を負担すると言い、もちろん見返りは求めない。返済も必要無い。とまぁ、大盤振る舞いをした。


 エルミージュ陛下は驚き私が何か企んでいるのではないかと怪しんでいたが、確かに戦費をイブリア王国が負担してくれれば侵攻に踏み切り易くなる。結局私の提案に感謝の意を表明した。


 相次ぐ他国への戦費の援助という散財に、グレイド様は驚き怪しんだ。


「何を考えておいでですか?王妃様」


「何ね、最近イブリア王国は稼ぎ過ぎだという噂が届きまして、他の王国が不満に思っているそうなのですよ。ですから、他国への援助に使ってしまおうと思いまして」


 まぁ、理由は本当はそれだけじゃ無いけどね。嘘ではない。


 イブリア王国が大盤振る舞いしたという噂は瞬く間に帝都の社交界に流れたようだ。それを聞いた困窮している諸侯が、社交の場でそれとなくお金を無心してくる場合もあり、私は喜んで援助を約束した。もっとも、イブリア王国の予算は裕福ではあるが無限ではない。きちんと出せるお金の範囲は見極めて援助を約束したわよ。でないと本国で予算のやりくりをしているお義父様に怒られるもの。


 後日、帝宮の社交でお会いした皇帝陛下は、イブリア王国が各国に援助をしている事を褒めて下さった。


「帝国の繁栄のために、自国の富を振り分けて下さるとは。心から称賛したい」


「帝国の繁栄、安定はイブリア王国にとっても大事ですもの。当然の事ですわ」


 私はおほほほ、っと笑ったが、皇帝陛下は少しだけ懐疑的なご様子だった。そう皇帝陛下としてはイブリア王国が散財して他国を助け、自国の富を消費して国力を低下させるのは歓迎すべき事だったろう。ただ、私が何を考えているのか分からないのは困った筈だ。国力を消費し低下させる事でイブリア王国への皇帝陛下の警戒心を下げてもらおうというのがこの散財の目的の一つである。その意味で皇帝陛下から称賛された事で目的は達せられたと言える。


 だが、目的はそれだけではない。今回の大盤振る舞いの目的は色々ある。


 まず、最大の目的は、予測される出費を先回りして払ってしまう事である。


 即ち、オロックス王国のガルダリン皇国侵攻も、クセイノン王国の小国群への侵攻も、おそらくは既に両国の中では決定事項だと思われる。そして侵攻が実際に行われる際には、各国に援軍や戦費の援助を要求してくるに決まっているのだ。皇帝陛下の要請が無ければ帝国軍とはならず、帝国は戦費を負担してくれない。そういう場合でも各国の繋がりを使って援軍の要請や戦費負担の相談は行われるのが普通である。


 クローヴェル様と私は今回、帝都で社交に出て各王国や諸侯と繋がりを作っている。その繋がりを使って援軍や戦費負担の要請が来た場合、言下に断ると後日イブリア王国が困って援助が欲しくなった際に対抗措置として断られて困ってしまう。故になかなかそういう要請は断り辛いのだ。


 今回の場合、オロックス王国もクセイノン王国もイブリア王国に援軍を要請してくる可能性が高かった。まぁ、あれだけやり合ったクセイノン王国はエルミージュ陛下のプライドに賭けて要請しなかった可能性はあるけどね。そのどちらも国境を接しない王国であるから援軍派遣には莫大な費用が掛かる。だが、オロックス王国はイブリア王国から帝都へ向かう時に通過しなければならない国であり、上洛の事を考えると仲良くしておきたい。クセイノン王国とは既に揉めてしまったのでこれ以上の関係悪化を避ける意味から援軍を断り辛い。


 援軍は費用も掛かるし国の生産力が出征中は落ちてしまうし、人的被害が大きければ国力が激減するかも知れない。出来れば避けたい。


 そこで私とクローヴェル様は謀って、援軍を要求されるより先に戦費の支払いを提案する事にしたのだった。


 要求されてから支払うよりもこちらから提案した方が相手の心証が良いし、戦費を無償で負担すると言っているのに援軍を更に要求する事には相手だって遠慮をする。そして何より要求もされていないのに戦費を持ってくれるなんて太っ腹だ、という評判を得る事が出来る。


 イブリア王国としては援軍を出すより格安で他国に恩が売れる上に、単にお金を払うよりも評価が上げられる。良い事しかない。おまけに国力の消費で皇帝陛下の警戒心を下げさせられれば万々歳である。ついでに帝都の社交界に出入りする程の有力諸侯の困窮を助けておけば、クローヴェル様が皇帝を目指す上で助けが期待出来るしね。


 そんな訳で私と体調が回復して社交に復帰したクローヴェル様は「太っ腹なイブリア国王夫妻」と呼ばれたのだった。ケチと言われるより太っ腹と言われる方が気持ち良いし居心地も良いに決まっている。この作戦はなかなかの成功を収めたのだった。




 ある社交で、私とクローヴェル様の前に一人の男性が跪いた。こういう風に臆面も無く遜れるというのがこの人の恐ろしさよね。


「大女神アイバーリンの代理人にして七つ首の竜の一首を担いし偉大なる国王陛下にご挨拶を申し上げます。ご機嫌麗しゅう。クーラルガ王国王太子、フェルセルムにございます」


 フェルセルム様はクローヴェル様のお許しを得て立ち上がると、胡散臭さ全開で微笑んだ。いや、私の目にはもうこの人を見る時は偏見フィルターが掛かりまくっているからね。どんな美麗笑顔も胡散臭くしか見えない。


「あなたがフェルセルム様ですか。お噂はかねがね。妻が何度かお世話になったそうですね」


「おや、どのようにイリューテシア様に噂されたのか、少々恐ろしいですね」


 ちゃんと横恋慕して、二度も離婚して自分と結婚しろと言ってきた件についてはクローヴェル様も御承知ですからね。


「そう言えば、クローヴェル様も皇帝の座を目指しておられるとか」


「そうです。あなたも、でしたよね」


「さようでございます。私と陛下はその意味で、いや、色んな意味でライバルという事になりますね」


 フェルセルム様は冗談めかして笑い、クローヴェル様も笑ったが、妙な緊張感がバリバリと漂っていた。なんですか色んな意味って。もう子供も生まれたんですからそろそろ諦めて下さいませんかね。この人。


 その後は如才無い話をして、お二人は和やかにお別れになったが、流石に旦那と横恋慕男の対面に同席するのは草臥れた。そして、クローヴェル様はフェルセルム様と離れてから妙に不機嫌になってしまった。この人が不機嫌になるなんて珍しいな、と思っていると、クローヴェル様はポツリと呟いた。


「気が付きましたか?あの男は終始金色の竜の力で私を威圧していました。ああやって威圧感を出して相手を無意識に屈服させるのがあの男の人心掌握術なのでしょう。何とも性質が悪い」


 あら、そうなのですか?そう言えば前にお会いした時もそんな威圧感を漂わせていたわね。


「ホーラムル兄がかつて何かというと威圧して私を屈服させようとしていた事を思い出して不快な気分になりました」


 ああ、昔の乱暴者だったホーラムル様はクローヴェル様に酷い態度だったものね。今は違うけど。


「じゃあ、よくヴェルは金色の竜の力の威圧に耐えられましたね?普通の態度を保っていたではありませんか」


 私が言うと、クローヴェル様はようやく笑って、私の頬を撫でた。


「私は怖い嫁さんにいつも脅かされていますからね。慣れているのです」


 まぁ!私は頬を膨らませた。


「私がヴェルを脅かした事など一度でもありましたか?」


「じゃあ、あれは私に対する愛情なのですか?いつも怖いオーラなのですがね」


 クローヴェル様はおどけ、私は思わず声を上げて笑ってしまったのだった。

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