二十四話 再び帝都へ
もちろんこの時点で、皇帝陛下からの書状に東北部の小国の情勢までが書いてあった訳では無い。グレイド様からの報告書にも書いていなかった。この時点ではまだまだ東北部の国境に関係のある王国や諸侯の間で話されている事に過ぎなかったのだ。
しかしながら、毎年行われてはいる竜首会議への出席要請が届いた事はこれまで無かった。一応、竜首会議が行われる時期は決まっているので(毎年年初から一カ月以内くらいに行われるようだ)、その時期に帝都に滞在している国王は参加するという感じで行われているようだった。出たくなければ出なくても良いのだが、出ない内に自国に不利な決め事が定められてしまう場合もあるので、出来るだけ出ましょう、という感じらしい。
イブリア王国は先王であるお父様が出なくなってからは、長らく誰も出ていなかった。私が帝都に行っている時期には開催されなかったのである。それでもどこからも文句は言われなかった。それなのに今回に限ってわざわざ皇帝陛下直筆で出席の要請があったというのは、何か重要な議題があるのだな、という事くらいは想像が出来た。
私もクローヴェル様も体調は回復している。クローヴェル様に長旅をさせるのは心配だが、道中しっかり宿を確保し、ゆっくり移動すれば行けない事はないだろう。到着してしばらくは休養が必要だろうが。皇帝陛下からの出席要請があったのだから、特段の理由が無い限りは出た方が良い。
私とクローヴェル様、アルハイン公爵一族で話し合った結果、クローヴェル様と私の帝都行きが決定した。年明けすぐに出発の予定だ。真冬だが、帝都までの道中ではあまり雪は降らないようなので、移動が妨げられる事は無いだろうとのこと。
クローヴェル様の体調が心配なので、炭を使った暖房が入れられる馬車を用意する。事前に連絡して宿の予約もし、クローヴェル様をなるべく冬の冷気に当てないように手配をした。それでも気候の変化に激弱なクローヴェル様を冬に長旅させるのは心配だが、本人が行く事を希望しているのだから仕方が無い。
もう一つの問題はレイニウスの事だ。帝都に行くなら最低でも二ヶ月は会えないという事になる。大問題だ。我が子と二ヶ月も離れ離れになるなんて!私は何とかレイニウスも連れて行こうと画策したが、生まれて一歳にもならない赤子を長期旅行に連れて行くなど無謀だと誰も賛成してくれなかった。
そもそも、王妃がこのように公務で忙しいがために、子供を乳母に育てさせるのだ。良い乳母がいるのだから安心して任せておきなさいと言われ、私はレイニウスを連れて行く事を諦めた。
前回、帝都に行く時には、アルハイン公爵とエングウェイ様に、王国の実権を奪われるのではないかと懸念したものだが、今回は安心して王国を二人に託す事が出来た。クローヴェル様も私も帝国の七王国や大諸侯にすっかりイブリア王国国王夫妻と認められているのだ。今更アルハイン公爵が実権を取り返そうとしたらクーデターになってしまう。
アルハイン公爵も今ではクローヴェル様を認めていて、国王として尊重してくれている。頼りになるお義父様に頼れるならそれに越した事は無い。エングウェイ様はまだ少し不満そうではあったが、クローヴェル様や私に対してはともかく、アルハイン公爵に面と向かって逆らう事は無いから大丈夫だろう。
今回はグレイド様は既に帝都にいるので、書簡で移動する日程を伝え、受け入れの準備をしてもらう。これには帝都郊外の街においてイブリア王国軍の駐留場所を確保する事も含まれる。帝都城内には兵士を三百人以上入れてはならないという決まりがあるが、国王自らの移動の護衛に兵士三百人では足りない。なので今回は騎兵二百と歩兵五百の七百名の護衛を伴う。三百を超えた分は、郊外に駐留させるのだ。
ホーラムル様はしきりに同行したがったが、王国軍の要であるホーラムル様を長期に渡って王国から離れさせる訳にはいかないので諦めてもらった。その代わりホーラムル様推薦のブルックリンという騎士が護衛部隊を率いてくれる事になった。
色々準備をして、年初のお祝いを皆で楽しんだ数日後、私とクローヴェル様はアルハイン公爵たちの見送りを受けながら帝都へ旅立ったのである。
最優先事項はクローヴェル様を無事に帝都に到着させる事だったので、隊列はゆっくり進んだ。なるべく良い道を選び、余裕を持った日程にして場合によっては宿に二日泊まる。途中でザクセラン王国や諸侯領から招待もあったのだが、社交に出てクローヴェル様に疲労が出ると困るので丁重にお断りした。
慎重に慎重を重ねた甲斐あって、クローヴェル様は少し疲れたご様子であった他は熱を出される事も無く、十日後に帝都に到着した。
クローヴェル様は現王都育ちの都会っ子だが、それでも流石に帝都を見て驚いたようだ。それはそうよね。人口が十倍だもの。煩いし汚いしで私もあまり貴族街の外には出たくない。貴族街に入り、アルハイン公爵邸に入ってホッとした。そういえば、アルハイン公爵の私邸をまた使うのだけど、イブリア王国として屋敷を構えた方が良いのかしらね?維持管理の手間を考えると勿体ないから、このまま公爵邸を使いたいんだけど。
「いらっしゃいませ。国王陛下。王妃様。長旅お疲れ様でごさいました」
グレイド様とフレランス様が並んで出迎えて下さった。フレランス様は明らかにご機嫌で、これは多分、帝都での社交界を楽しまれているのだろうなと想像出来た。グレイド様はお疲れのご様子だった。これはいつもの事だからヨシ。
四人でサロンに入り、今後の事を少しお話しする。竜首会議は一ヶ月後くらいになるだろうと予想されている。私たちの到着を連絡し、まだ来ていない国王がいればそれを待って日程が決定されるだろうとのこと。やはり今回は重要な議題があるようだ。この時初めて、グレイド様から東北部の小国の情勢が不安である旨を聞かされた。まだ噂に近い話であるが、おそらく竜首会議の議題はそれだろうとグレイド様は言った。
「ヴェーセルグとやらの勢力は大した事はありませんが、放置すると脅威になりかねません。今の内に叩き潰してしまおうという事でしょう」
となると、竜首会議で帝国軍の派遣が決定した場合、イブリア王国も遠征軍を派遣する事になるのかしら?
「どうでしょうね。イブリア王国はあまりに遠いです。普通は援軍を派遣するのではなく、戦費を負担する事で済ますのですがね。普通はね」
既に遥かに遠いフーゼンへの援軍派遣に対応してしまっているから、もしかして軍の派遣を要請されても断り難いかも知れないとグレイド様は匂わせた。
確かに、私の力を当てにしていた場合、戦費ではなく軍の派遣を要請される可能性はある。その場合は今いる七百名では足りないだろうから、追加で軍を呼び寄せなければならないだろう。
「その辺りは竜首会議で皇帝陛下と各国の国王と調整してください。その前哨戦というか事前調整のための社交の招待状が届いております」
前回と同じように、各国の王族や有力諸侯からの招待状が山のように届いていた。前にも見た事がある私はさして驚かなかったが、クローヴェル様は目を丸くしていた。
「皇帝陛下からの招待状もありますね」
「前にもありましたよ。どうしてもそれを最優先にしなければなりませんね」
私がなんという事も無く言うと、クローヴェル様が愕然となさっていた。何でしょう?
「リュー。あなたは前回来た時に、皇帝陛下と社交でお会いしたと仰っていましたが、ご招待だったのですか?」
「そうですよ?」
「皇帝陛下から名指しでご招待を受けるというのは大変な事なんですよ?」
「知っていますよ。前回も色々大変だったんですから。大丈夫です。今回は出来の良い陶器の製品を沢山持って来ましたし、献上品に相応しい品もあります」
私が言うと、クローヴェル様は額を押さえて呻いた。
「リュー。あなたは豪胆過ぎる」
社交の予定を立てる前にクローヴェル様を休養させる必要がある。幸い、クローヴェル様は大きくは体調を崩されなかった。クローヴェル様の事が良く分かっているグレイド様が手配して下さって、お部屋を暖かく過ごし易いように用意して下さった事もあり、三日もお休みするとお元気になられた。私は招待状に返事を書き、社交の予定を決めて行った。
全ての社交にクローヴェル様が出るのは体力的に無理なので、半分は私一人で出るか、グレイド様夫妻に一緒に来てもらう事になった。しかし流石に皇帝陛下と竜首の王国の国王との社交はクローヴェル様にも来てもらわなければいけない。万が一直前に体調を崩されて出席出来ないと困るので、社交の間隔は大きく開けておいた。
竜首会議の予定はすぐに決まり、丸一ヶ月後となった。それまでに皇帝陛下との夜会を含め、社交で色々情報を集めておかなければ。ふんふんと気合を入れている私を見て苦笑していたクローヴェル様だが、ふと、こんな事を仰った。
「しかし。東北部の小国の事案で私たちイブリア王国にまで竜首会議の出席要請が掛かるというのは意外ですね」
あれ?そうでしょうか?結構な大事になっているのだから、不思議な事でも無いと思うのですけど。私は首を傾げたのだが、クローヴェル様は紺碧色の目を細めて考えながらゆっくりと仰った。
「東北部の国境で混乱があっても、南部のイブリア王国や西部のザクセラン王国などにはほとんど関係がありません。そのような国に援軍を要請して、断られたらどうします?帝国の不和の原因になりますし、皇帝陛下の権威に傷が付きます」
確かに、元々軍事力の行使に積極的でないザクセラン王国などは援軍を要請されたら断る可能性が高いだろう。イブリア王国も本来なら遠過ぎる事を理由に断っても構わない事案だろと思う。皇帝陛下の要請は尊重すべきだが、国益に叶わないなら断るのが普通だからだ。
「ならば軍事的な編成は関係各国で決めてしまい、戦費を後で他の国に要請して賄った方が良いでしょう。それなら良くある事です」
王国や諸侯は、皇帝陛下から帝国の事業の何かに金が掛かったからという理由で、負担金の支払いを要請されることがある。アルハイン公国などは王国では無いのに裕福だったため、これを頻繁に要請されて断れずに困っていたらしい。
「そうせずにわざわざ国王を遥か遠くより召喚して、全国王立会いの元定めるのです。単なる援軍の要請や戦費の負担を定めるだけの会議になるとは思えませんね」
前回お会いした時の皇帝陛下の鉄壁の笑顔が思い浮かぶ。そうね。あの人なら表面上は東北部国境の問題の会議だと思わせておいて、とんでもない思惑をぶっ込んでくるような事は普通にするかも知れないわね。確かに気を付けるに越した事は無い。
「とりあえず、皇帝陛下との夜会でその辺りを探ってみましょうか。一筋縄ではいかない人だから難しいとは思うけど」
「あなたがそう言うのだから相当な難物のようですね」
クローヴェル様は苦笑した。
皇帝陛下との夜会の日、私はベージュのドレス。クローヴェル様はグレーの夜会服を着た。ドレスは完全冬仕様で露出が少ないもの。クローヴェル様もオーバーコートを着て、懐には温石を忍ばせる。流石に北の方にある帝都の冬は王都のそれよりずっと寒い。流石の帝宮でもエントランスや廊下は暖房されていない。私はなるべくクローヴェル様に寄り添って彼を温めるようにした。
案内された帝宮のホールは今回も小規模だった。またか。おそらくは前回と同じく内々の集まりなのだと思われる。こういう小規模な集まりだと、皇帝陛下とがっつりお話をしなければならない。あの二重にも三重にも裏がある皇帝陛下と長話をすると、今度はどんな罠を仕掛けられるか分かったものではないから嫌なんだけど。
その辺りは事前にクローヴェル様と打ち合わせをして、出来るだけ警戒し、言質を与えず、不利な状況になったらクローヴェル様の具合を理由に逃げてしまおう、という事になっていた。
「イブリア王国国王クローヴェル陛下。王妃イリューテシア様。ご光来!」
侍従の紹介と共に入場すると、場内が拍手で包まれた。私とクローヴェル様は軽く手を振って応える。すると一人の女性が嬉しそうに寄ってきた。
「イリューテシア様!お久しぶりでございます!」
「あら、メリーアン様。お久しぶりでございます」
私たちはスカートを広げてお互いに挨拶をした。メリーアン様は相変わらずピンクの華やかなドレスを着ていらっしゃる。流石に帝都のファッションリーダーを自認していらっしゃるだけはあるわね。
「メリーアン様。こちらは私の夫であるイブリア王国国王、クローヴェル様ですわ」
私が紹介すると、メリーアン様は躊躇なく跪き挨拶をなさった。流石は皇帝陛下の娘ね。
「大女神アイバーリンの代理人にして七つ首の竜の一首を担いし偉大なるイブリア王国の国王陛下にご挨拶を申し上げます。ご機嫌麗しゅう」
クローヴェル様はニッコリ笑って応じる。
「ご丁寧な挨拶痛み入ります。メリーアン様。お噂は妻から伺っています。妻と仲良くして下さってありがとう」
すると、メリーアン様は顔を赤くして照れた。まぁ、この人、最初は私に嫌がらせなぞしたんですけどね。その事は無かった事になっているのだろう。
「こちらこそ、イリューテシア様には色々良くして頂いております。イリューテシア様、素敵な旦那様で羨ましいですわ」
そういえば、メリーアン様だって既婚の筈だが夫を社交で見た事が無い。あまり夫婦仲が良く無いとチラッと聞いた事がある。おそらく社交界で遊び歩くメリーアン様が夫に快く思われていないのだろう。
それから私たちは私の旧知の方の所を回って再会の挨拶と、クローヴェル様の紹介をした。やはりこの場にいるのはほとんどが王族ばかりだ。だが国王はクローヴェル様だけだった。この夜会はやはりクローヴェル様と私と狙い撃ちで話をするための夜会だと思われる。
やがて、侍従の声が響いて皇帝陛下が入場なされる。前回は私をエスコートして下さりながら入場されたのだが、あれは異例も異例の事だ。今回は普通に皇妃様をエスコートなさっている。
「皇帝陛下。皇妃様。ご光来!」
私たちも拍手をする。皇帝陛下は紺の夜会服。皇妃陛下は臙脂色のドレスという出立ちだった。お二人は真っ直ぐに私たちの所までやってきた。私とクローヴェル様がさっと跪くと、皇帝陛下が「まぁまぁ」とお止めになった。
「畏まった場では無いのだから跪く事はない」
しかし、クローヴェル様は首を横に振った。
「大女神アイバーリンの代理人にして七つ首の竜を束ねる者であり、大陸の守護者にして帝国の輝ける都の主人である皇帝陛下にご挨拶を申し上げます。ご機嫌麗しゅう」
しっかりと挨拶をすると頭を下げたまま付け加えた。
「初めての拝謁の機会でございますれば、ご容赦を。お会い出来て光栄でございます。皇帝陛下」
そしてそのまま頭を下げ続けている。皇帝陛下は少し戸惑ったように言った。
「う、うむ。ああ、許すゆえ、もう立つが良い。そもそも国王は本当は跪く必要は無いのだぞ?」
するとクローヴェル様は立ち上がるとニッコリと微笑んだ。
「どうしても皇帝陛下に尊敬の気持ちを表したかったものですから」
皇帝陛下は怪しむように目を細めた。
「貴殿にそれほど尊敬されるような事を私はやったかな?」
するとクローヴェル様は涼しい顔でとんでもない事を言った。
「陛下は、私の前の皇帝陛下です。次代の皇帝となる私にとっては親も同じ。尊敬して当然ではありませんか」
突然の爆弾発言に皇帝陛下の頬が流石に引き攣った。皇帝陛下の笑顔の仮面が揺らいだのを私は初めて見た。しかし一瞬で立ち直った皇帝陛下は柔和な笑みを浮かべながらクローヴェル様に言う。
「そうか。しかし、まだ貴殿は次代の皇帝になると決まっているわけではないから、私が息子として扱うわけにはいかぬな」
「当然でございましょうね」
二人は爽やかな笑顔で笑い合った。その様子を見て、周囲の者はクローヴェル様が冗談を言ったのだと思ったようだ。もちろんあれは冗談ではない。クローヴェル様の、いわば宣戦布告だ。皇帝陛下に向かって自分は次代の皇帝になると宣言するなど、下手をすると反乱宣言とでも取られかねない過激な発言である。
しかし、それほどの過激発言だったからこそ皇帝陛下の仮面がひび割れたのだ。おそらくクローヴェル様の狙いはそこだと思われる。皇帝陛下のペースに巻き込まれない為、皇帝陛下の本音を引き出すために、皇帝陛下を驚かせた。意図しない感情の動きを引き出すのは議論や交渉における技術の一つだ。それを糸口にして相手の本音を引き摺り出すのである。
流石はクローヴェル様だ。私は嬉しくなった。この方はいつでも私の期待を超えて下さる。自慢の旦那様なのだ。
しかしながら皇帝陛下は流石である。全く動揺など無かったような顔で私たちを席へと導いた。皇妃様もニコニコと座っている。私達はテーブルを囲んで座ったのだが、さり気なくクローヴェル様に暖炉に一番近い席が用意され、全員に膝掛けが用意された。気遣いに驚くと共に、クローヴェル様の病弱さを当たり前に知ってらっしゃる事に感心する。
用意された飲み物も、あまり酒に強くないクローヴェル様に合わせて酒精の入っていないものだった。やはり皇帝陛下は情報収集能力も高いのだわね。
皇帝陛下は笑顔でクローヴェル様とお話していらっしゃる。
「クローヴェル陛下は婿だという話だったな」
「さようでございます。縁あってイリューテシアと結ばれまして、イブリア王国を継がせていただきました」
「ふむ、マクリーン先王には昔、何度もお世話になった。あの偉大な王の後を引き継ぐのは大変であろう」
あら、お父様が褒められてるわ。以前に帝都に来た時にも何人かからお父様の話は聞いたけど、まさか皇帝陛下がお褒め下さるとは思わなかったわ。
「責任に身が引き締まる思いでございます。しかし、それを言ったら、皇帝陛下の跡を継ぎなさるフェルセルム様はもっと大変でごさいましょう」
クローヴェル様の言葉に、皇帝陛下は笑顔のまま妙に冷たい事を言った。
「アレなら、適当にやるだろうよ。私がいなくなってからな。成功も失敗もあやつの物だ」
あら?何だか不機嫌そうな響きがあるわね。あまりお仲がよろしくないのかしら?そういう噂は無かったように思うけど。確かに皇帝陛下とフェルセルム様が社交でご一緒するのを見たことが無いのよね。
「イリューテシア様はお子が生まれたそうですね。おめでとうございます」
皇妃様のお言葉に思わず頬が緩む。
「ありがとうございます」
「しかも男の子だとか。これでイブリア王国も安泰ですね」
「そうだな。クローヴェル陛下とイリューテシア様のお子なら聡明なお子であろう。アルハイン公爵も嬉しかろうな」
ここでお義父様の名前が出てくるところが皇帝陛下よね。
「その王子が王位に就けば、アルハイン公爵は外戚だ。その地位はまず安泰と言える。イブリア王家に領地を返上した甲斐があるというもの」
この言葉には「アルハイン公爵は王子を即位させた方が権力を振るい易い。クローヴェル王を退位させて、幼い息子を即位させる事を企むのではないか」という示唆が含まれている。
確かにそれは考えられなくもない。アルハイン公爵は兎も角、エングウェイ様辺りは考えていてもおかしくはない。
こういうさり気ない言葉で疑心暗鬼を生じさせ、イブリア王国に不和の種を埋め込もうというのだろう。イブリア王国が強くなり過ぎるのは、帝国七つの王国の均衡と安定を旨とする皇帝陛下の考えからすると良くないのだ。
この所、神殿領を事実上屈服させ、ガルダリン皇国を打ち破ってザクセラン王国に大きな恩を売ったイブリア王国は、ちょっと派手に勢力を伸張させてしまっている。皇帝陛下がこんな事をおっしゃると言うことは、他国からも警戒されているという事だろう。気を付ける必要はあるわね。
ただ、皇帝陛下の仰った事をそのままにしておくことは出来ない。ちゃんと打ち消しておかないと、噂が各国に広がって変な働き掛けが為されるかも分からない。
「今でもアルハイン公爵の地位は安泰ですわ。何しろ既に国王陛下の父ですもの。頼りになる義父ですから、今回も安心して国を任せておけます」
アルハイン公爵と私たちの間に不和など無いですよ。と強調しておく。エングウェイ様はちょっと怪しいなどとは言わない。
その後は軽食を食べたり少し踊ったり(今回は最初にクローヴェル様と踊り、他の数名と大人しいダンスを踊っただけ)ご婦人方とお話をしたりした。そして最後にまた皇帝陛下ご夫妻と同席する。そしてお別れの挨拶の直前。どうも皇帝陛下はこの少し気を抜くタイミングで仕掛けてくるのが得意なようだ。今回は私も少し身構えていたが。
「そうそう。今回の竜首会議の件だが。東北部の事は聞いているかね?」
ここまで竜首会議の話は一つも出なかったので、実際の会議までこの話はしないのかと油断していたところにこれだ。クローヴェル様は微笑んだまま頷いた。
「ええ。少しは伺っております」
「ふむ。小国風情に面倒な事だが、ここで叩き潰しておかねば海賊国のように増長する事になるからな、イブリア王国にも協力してもらいたい」
その協力が何を意味するのかが問題なんだけど。クローヴェル様は軽く頭を下げて応える。言質を与えないために発言はしない。しかし皇帝陛下は続けてとんでもない事を仰った。
「うむ。今回の戦役では東北部に領土を拡張するつもりだ。そうしたらイブリア王国にも拡張した領土の一部を与えたいと思う」
なんと⁉︎私は思わず口を手で覆った。
帝国はここ百年くらいの間、領土拡張に熱心では無かった。と言うのは、西は強力な国家であるガルダリン皇国が存在し、東南には遊牧民が割拠して帝国を脅かしており、東北部は前述したように貧しく魅力の薄い土地だった。領土の拡張は難しかったのである。確かにこのところ小国群の土地は豊かになり始めているとは聞いた。それで帝国に加えようという話になったのだろう。
しかし、小国群のどのくらいを併合するのか、そして併合した土地をどのように各国や諸侯に割り振るのか。それは確かに七王国の国王が一堂に会して話し合うべき大問題だ。もしも揉めれば王国同士が相争う事態にもなりかねない。
もしも他の王国が新たな領土を獲得して強大化した場合、イブリア王国の安全が脅かされかねない。逆にイブリア王国が新たな領土を獲得した場合、他国からそのように警戒されるだろうという事でもある。
ただ、新たな領土を得るには相応の負担を強いられる事にもなるだろうし、おそらく飛地になってしまう新領土をどのように治めるのか、様々な整備や開拓をどうするのか、という問題も生じるだろう。
更にこの事が、クローヴェル様を皇帝にする事にどのように影響してくるものか。
考えなければならない事が山のように出てきてしまった。そして果たして他国がどのような思惑を持っているものか。竜首会議の前に社交で読み取らなければなるまい。
皇帝陛下にお別れの挨拶をしながら、私はフル回転で思考を巡らせ始めていた。
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