二十三話 クローヴェル様の活躍

 クローヴェル様を送り出してから、私は正直生きた心地がしなかった。


 何しろ少し無理するだけで熱を出すクローヴェル様である。行軍三日も掛る戦場に辿り着けるかどうかも怪しいでは無いか。それならそれでクローヴェル様が戦場に出る事は避けられるから悪く無いのかという気もするが、しかしそれではイブリア王国兵やザーカルト様からのクローヴェル様の評価が下がってしまう。


 戦場に出られたら出られたで、それはそれで心配だ。馬には乗れると言ったって、戦場を駆け回るのは乗馬遊びとは訳が違うし、剣を振るって戦うような事はあの人には絶対に出来まい。


 一応、絶対に前線に出て戦うような真似はしない。無理そうなら途中で帰ってくると約束してはくれたのだが、クローヴェル様は責任感は強いし国王としての強い自覚もある。必要とあらば無茶をするだろう。絶対。


 そんなわけで私はもうハラハラ落ち着かない気分で戦地からの連絡を待っていた。確かに、私が戦地に行っている時にはクローヴェル様は毎回こんな気分だったのだろう。まして遙かに遠くて勝利の知らせが届くまでに援軍派遣から三ヶ月も掛かったらしいフーゼンの戦いの時の心配度合いはいかばかりか。私はもう心の中でクローヴェル様に謝り倒すしかなかった。


 しかしてクローヴェル様が出征して二十日後、戦地からの早馬がイブリア王国ザクセラン王国連合軍の捷報を届けてきた。王宮は勝利に沸き、クローヴェル様もホーラムル様もご無事だということで私も一安心だ。詳しい事情は帰還してからという事で事情は何も分からなかったが、私はとりあえず心を落ち着けて政務や子育てに励むことが出来た。


 イブリア王国遠征軍が帰ってきたのは勝利の報告が届いてから五日後だった。先触れの早馬で到着時間が分かっていたので、私とアルハイン公爵一族は総出で王宮前庭で遠征軍の凱旋を待った。


 やがて大歓声の中を遠征軍が王宮の門を潜って入ってきた。先頭は騎乗のホーラムル様。そしてその後ろにクローヴェル様が乗っているだろう馬車がいた。実際に無事に帰ってきた様子を見て私は心からホッとした。


 のだが、馬車が止まりドアが開いてもクローヴェル様は降りてこない。私が慌てて中に乗り込んでみると、なんとクローヴェル様はぐったりと座席で倒れていた。


「クローヴェル様!」


 助け起こして額に手を当てると、案の定ひどい熱を出している。私は慌てて侍従を呼び込み、クローヴェル様をお部屋までかつぎ込んでもらった。それの様子を見ながらエングウェイ様がホーラムル様にやれやれといった様子で尋ねた。


「あれでクローヴェルは戦地で役に立ったのか?ホーラムル」


 すると、ホーラムル様はうーむ、と難しい顔をした。私も興味のある質問だったからホーラムル様を見てしまう。


「いや、クローヴェル、いや、国王陛下は立派に戦ったぞ。うむ。思っていたよりもな」


 ホーラムル様は勝利の宴の席でイブリア王国とクローヴェル様の戦いぶりを話してくれた。


 今回戦いが行われたのはローマルズという街の近くの平地だそうで、いわゆる街道の交差する要地なのだそうだ。平地とはいえ周囲を低い山に囲まれていて、林や森も多く兵を伏せるのに向いた場所だったのだそうだ。


 ただ、この場所はガルダリン皇国との戦いが何度も行われた場所で、連中の考える事は分かっているとザーカルト様は自信を持っておられたそうだ。


 今回のザクセラン王国の主将はやはりザーカルト様だったが、どうやら軍監として誰やら王族の方が付いていたらしい。これまでホーラムル様が見た戦いには居なかったので驚いたと仰っていた。ザーカルト様は不満そうな様子だったとか。やはりザーカルト様への国王の警戒心が上がってると思えるわね。しめしめ。


 さて、クローヴェル様は案の定、三日に渡る行軍でやはり若干体調を崩されたようだ。ただ、陣地の中では辛そうな顔をしていても、作戦会議の席ではまったく何食わぬ顔をして笑顔でいらっしゃって、ホーラムル様を驚かせたそうだ。そして勿論ザーカルト様を含めたザクセラン王国軍はイブリア王国国王の参陣に驚いたらしい。特に面識のあるザーカルト様は驚き喜んだそうだ。


 クローヴェル様は作戦会議ではニコニコ笑っているだけで発言はせず、形式上ホーラムル様が許可を求める場合にも間髪入れず了承したそうだ。特に考えている様子も無かったのでホーラムル様はちょっと呆れたそうだが、分からないのに変な提案をされても困るからそれで良いのか、と思ったらしい。


 今回、イブリア王国の兵は七千。騎兵がその内三千。ザクセラン王国の兵はやはり七千。騎兵は二千。対するガルダリン皇国の兵は偵察で確認した限りでは一万二千。騎兵は二千で他は歩兵という編成だった。味方の方が多いし騎兵の機動力も生かせる戦場設定なので、まず勝利は動かないだろうとホーラムル様は考えたそうだ。うーん。それにしても、一万二千の軍勢がやって来る事が確実なのに、七千の兵士しか用意しなかったザクセラン王国は大丈夫なの?と思ってしまう。それはザーカルト様もしきりに怒って、ホーラムル様に援軍の大感謝をしていたそうだ。これもやはりザクセラン王国国王のザーカルト様冷遇の表れかしらね。

 

 敵の動きを偵察で確認しつつ移動して、今日は戦いになるだろうというその日の朝、ホーラムル様はクローヴェル様と話をしたそうだ。ホーラムル様は勿論陣頭に立って指揮しつつ戦うが、国王であるクローヴェル様は立場的にも能力的にも最前線に立たせるわけにはいかない。だが、馬に乗って戦場に出ないと臆病者の国王という評判になってしまう。戦場の後方に待機する様に。護衛は百人ほど付けておくから。と、ホーラムル様が言うと、クローヴェル様はニコニコと笑いながら意外な事を言ったそうだ。


「ホーラムル兄。護衛は三百にして下さい。それと、兵種は軽騎兵が良いです」


 ホーラムル様は驚いたそうだ。それは、軽騎兵というのは遊牧民の戦法を参考に、鎧をほとんど着用せず、騎乗しながら弓を放つという、高機動弓兵といった感じの兵種で、ホーラムル様が数年前から実験的に育成している兵種なのだそうだ。ホーラムル様はその兵種をクローヴェル様が知っている事にまず驚いた。そしてそれを三百騎欲しいと言われたのだが、そもそも軽騎兵はまだ三百騎しかいないのだ。どうやら数まで知っていると驚いたのだ。


 軽騎兵は貴重な兵種で、ホーラムル様はただの護衛に裂きたくないと悩んだらしいが、国王たるクローヴェル様が要望したのだから仕方が無いか、と了承したらしい。


 戦いの前、整列した兵達の前にホーラムル様とクローヴェル様が出て、竜の力を授ける儀式を行った。ホーラムル様はクローヴェル様から、竜旗を使って金色の竜の力を授けると聞いて、そんな事が出来るのかと驚き、では次は自分にやらせてもらおうとワクワクしていたらしい。


 クローヴェル様は兵達の前で水色の竜旗を翻した。そして朗々と祈りの言葉を唱えた。


「おお、我が祖でありその源である七つ首の竜よ。我が戦士に力を与えたまえ。戦士たちに勇気を与えたまえ、戦士たちに力を与えたまえ、戦士たちに幸運を与えたまえ。その剣は鋭く鎧は堅牢で、その腕はたくましくその脚は疲れを知らぬ。おお、七つ首の竜よ。その末裔たる我らに勝利を与えたまえ!」


 すると、竜の旗がカッと光を放ち、光が渦巻いた。兵士たちはどよめき、ホーラムル様も驚いた。


 ・・・のだが、それだけだった。光が天に飛び立つ訳でも無く、光が落下して兵士たちに光が宿るでも無かったそうだ。ただ、竜旗はぼんやりと光を放っていたらしい。


 しょぼっ!なんだ!旗が光るだけか!ホーラムル様は呆れたそうだ。私の力で竜のご加護を授かった時のように力が湧いてくるでも、気分が高揚するでも無かった。やはり王妃様が直接儀式を行わなければ駄目なのだな、とホーラムル様はがっかりしていたのだが、儀式を行ったクローヴェル様は堂々と光る旗を掲げながら叫んだ。


「儀式は正しく行われた!我が妃イリューテシアの金色の竜の力は発動し、其方達には竜の加護が与えられた!さあ!戦って敵を打ち破るが良い!」


 すると兵たちは大歓声でそれに応えた。どうやら士気を高揚させる効果はあったようだ。それはそうだ。国王陛下が儀式で光を放ち、不思議な金色に輝く旗を振りながら「成功した」と断言したのだもの。自分たちは不思議な力を授かったのだ、と思いこんだのだろう。


 それを見てホーラムル様は舌を巻いたらしい。戦争の時は兵士たちの、特に普段は戦闘とは縁の無い徴募された兵士の士気を高めるのが大変なのだ。兵士たちのやる気のない状態で戦闘に突入すると、恐れた兵士たちが逃げてしまう。そのため、ホーラムル様は毎回難儀していたのだが、今回はクローヴェル様が私の力を借りたとはいえ、いとも簡単に兵士たちの士気を最高潮にしてしまったのだ。


「では、後は宜しくお願い致しますよ。ホーラムル兄」


 そう言っていつも通り笑うクローヴェル様に、ホーラムル様は胸に拳を当てる騎士の敬礼で応えたのだった。


 

 この戦争はあくまでザクセラン王国の戦いなので、作戦自体はザーカルト様が立てた。街道を前進して来る敵を左右からイブリア王国、ザクセラン王国で迎え撃つのが基本的な作戦で、機動力に勝る帝国側は歩兵同士の戦いの隙を突いて後方に回り込んで包囲するつもりだったらしい。帝国側の方が数も多いし騎兵も断然多い。ガルダリン皇国軍の歩兵の強さは脅威だが、騎兵が機動力を生かして翻弄すれば大丈夫だろう。ホーラムル様はそう皮算用したらしい。クローヴェル様は最後方に軽騎兵三百と共に待機だ。


 ガルダリン皇国はむしろ無造作に前進して来た。ガルダリン皇国は兵士の強さに自信を持っていて、実際歩兵同士では相手に分があるらしい。どうしてかはよく分からないが、兎に角強いのだという事だった。そのため、正面からぶち当たる戦い方を好む。


 帝国側は左右に分かれて包囲の構えなのだが、正面の敵を完全に放置するわけにはいかないので、イブリア王国の歩兵部隊がこれを受け止める。激しい衝突になったが、士気が上がっているイブリア王国軍は精強なガルダリン皇国軍の突進を受け止めた。


 その隙に帝国側の騎兵隊が回り込んで後方を狙い、側面からはザクセラン王国の歩兵が攻撃を加える。ガルダリン皇国軍は焦って正面のイブリア王国軍の歩兵を突き崩そうとするのだが、イブリア王国の歩兵はよく耐えた。遂にザクセラン王国軍はガルダリン皇国軍の側面に突入し、その陣列を乱す。このまま側面を突破して、敵の前半分をイブリア王国歩兵と共に包囲し、敵後ろ半分は騎兵隊が包囲する、とういうのがザーカルト様の作戦だったようだ。


 ホーラムル様は作戦が上手く行っていると感じており、騎兵隊はガルダリン皇国軍の後方に回り込み、そこで隊列をしっかりと組み直して突撃した。


 騎兵隊の攻撃力は早さと馬も含めた重量の相乗効果で生まれる。こればかりはどれほど歩兵が強くても受け止め切れるものでは無い。槍先を揃えて突入するイブリア王国騎兵隊に、ガルダリン皇国軍は矢の雨を降らせてきたが、騎兵隊は馬にまで鎖帷子を着せた全身鎧姿である。矢などほとんど通らない。騎兵隊は一気に接近してガルダリン皇国軍の陣列に乗り込み、蹂躙した。


 ホーラムル様は騎兵隊の指揮に関しては既に熟練している。前進力を保ったままガルダリン皇国軍を追い散らし、そのまま突き抜ける。騎兵隊を止めてしまうのは悪手だからだ。突進力を失った騎兵など歩兵の良い餌食になってしまう。


 イブリア王国騎兵が乱した敵の陣列に、今度はザーカルト様率いるザクセラン王国の騎兵隊が突入しようとしていた。ザクセラン王国騎兵隊は二千。ザーカルト様が嘆いたようにイブリア王国の騎兵には馬も兵士の能力も劣るが、十分に大部隊だし敵は乱れてもいる。この後ろ半分の敵を早く無力化し、イブリア王国歩兵が受け止めている前半分を後方から襲って倒さないといけない。イブリア王国の歩兵が突破されると今度は帝国側が包囲の危機に瀕する。


 ところが、先頭に立ったザーカルト様が槍を振って合図をし、突撃を開始しようとした正にその時、ザクセラン王国騎兵の側面の山からガルダリン皇国の歩兵部隊がいきなり現れたのだ。それを見てホーラムル様は仰天した。ガルダリン皇国軍はそういう伏兵を使うような事を嫌ってあまりしないからだ。しかしながらそこに兵を伏せ、前方に意識を完全に集中させているザクセラン王国騎兵隊を襲うのは効果的だった。騎兵隊というのは側面からの攻撃に弱いし、咄嗟の時の対応力はやはり低い。


 しかも先頭のザーカルト様は側背から襲い掛かって来るガルダリン皇国軍に気が付いていないようだった。危ない!ホーラムル様は救援に向かいたかったが、敵陣を突破したばかりのイブリア王国騎兵隊は隊列を組み直している状態でまだ動けない。ここでザクセラン王国騎兵隊の突入が遅れると、イブリア王国歩兵隊が保たないかも知れない。ホーラムル様が緊張したその時。


 突入しつつあったガルダリン皇国の伏兵部隊の側面からザっと音を立てて矢が降り注いだ。ガルダリン皇国伏兵は前しか見ていなかったから盾で防ぐなどの対応が出来ない。痛撃となって足が止まってしまう。


 ホーラムル様が見ると、それは何と最後方にいた筈のクローヴェル様率いる軽騎兵だった。軽騎兵は騎乗で走らせながら弓を引いて攻撃する部隊だ。それがガルダリン皇国軍に一気に接近して矢を放ち、直ぐに離れて行き、また突入しては矢を放つ事を繰り返していた。ガルダリン皇国軍伏兵部隊は混乱し、ザクセラン王国騎兵に突入する前に前進が止んでしまった。その隙にというか、伏兵に気が付かないままザーカルト様は突撃を指令し、ザクセラン王国騎兵隊は、ガルダリン皇国軍のただなかに突入して行った。


 金色に輝く竜の旗を翻すクローヴェル様に率いられた軽騎兵は、ザクセラン王国騎兵の突入を見ると、これで仕事は終わりとばかりにサッと引き上げていった。当然、混乱したまま残された敵の伏兵部隊はホーラムル様が率いるイブリア王国騎兵隊が突入して追い払った。ホーラムル様は感心したそうだ。あのクローヴェル様の働きは、恐らく伏兵の危険性を察知して警戒していたからこそ出来たのだろうと。確かに伏兵を置くには向いた地形ではあるが、ガルダリン皇国軍がそういう作戦を好まない事と、我が軍の方が数が多いからという油断がホーラムル様にはあったのだそうだ。クローヴェル様はだからこそ機動力のある軽騎兵を所望し、警戒していたのだろう。


 伏兵を排除すれば後は作戦通りだ。敵の後半分は帝国側の騎兵部隊が撃ち破り、そのまま前半部の部隊に後方から襲い掛かる。そうなればいくら精強なガルダリン皇国軍でもたまらない。完全に包囲されたガルダリン皇国軍は大混乱となり、遂には降伏を余儀なくされたそうだ。


 この「ローマルズの戦い」は結局イブリア王国ザクセラン王国連合軍の大勝利となった。ガルダリン皇国軍は壊滅し、討ち取った敵兵は数知れず、捕虜の数は二千以上。敵の将軍は辛くも脱出して逃げて行ったそうだ。こちらの損害も無しとはいかなかったが、それでも作戦通りに事が運んだのでそれほど多くは無かったそうだ。特に最初から最後まで激戦を戦った割にイブリア王国歩兵の損害が少なかったようで、ザーカルト様は「流石は金色の竜の力だな」と驚いていたようだ。ホーラムル様は複雑な気分になったらしい。


 伏兵の件を後で報告されて、ザーカルト様は大いに驚き冷や汗をかいていたらしい。確かにあそこで騎兵隊が打撃を受けていたら、敵への攻撃が不十分になって、戦況がどうなったか分からなかっただろう。それをクローヴェル様が率いた部隊が助けた事を知り、ザーカルト様は驚き喜び、クローヴェル様を抱き締めて感謝したという。クローヴェル様はザーカルト様の英知と勇敢さを讃え、勝利を祝福し、こう言ったそうだ。


「あなたの勇気に感動しました。ザクセラン王国一の勇者と戦えて私も嬉しいです。ザーカルト様とは末永く共に戦いたいと思います。イブリア王国はいつでもあなたに味方いたしますよ」


「ありがとうございます!イブリア王国、クローヴェル陛下への御恩は必ずいつか返させていただきますぞ!」


 ザーカルト様とザクセラン王国の騎士たちは跪いて深く頭を下げた。うん。完璧だろう。ザーカルト様はこれでクローヴェル様に深く恩を感じたようだし、彼はクローヴェル様が皇帝を目指している事も知っている。信頼出来る味方になってくれるだろう。


 ザーカルト様はこの戦いで更なる勇名を高め、イブリア王国との関係も深まった。ザクセラン王国の国王も首脳部もザーカルト様への警戒心を新たにする筈だ。そこを上手くつついて火種を大きくしてあげれば、ザーカルト様が王国に抱く不満は大きくなるだろう。イブリア王国が支援すると唆せば、ザーカルト様が王位を望むようになるのではないか。


 そこまで行かなくても、イブリア王国とクローヴェル様はザクセラン王国に大きな恩を売った訳だから、頼めばクローヴェル様の上洛に協力してくれるかも知れないわね。どっちに転んでも良い結果だ。


 ホーラムル様がクローヴェル様を褒めるのを聞いて、エングウェイ様は疑わしげだった。


「偶然では無いのか?クローヴェルには戦場の経験が無い。そこまで的確な判断が出来るものか?」


「うむ、国王陛下も『最後方にいても落ち着かなくて督戦に出て来たらたまたま伏兵を発見した』と言っていたがな・・・」


 だが、ホーラムル様はそのクローヴェル様の言葉を信じていないようだった。たまたま敵を発見したにせよ、絶妙のタイミングでクローヴェル様が攻撃を指令した事は確かだったし、深追いをせずに引き上げたのも鮮やかだった、と仰った。


「流石にアルハインの血筋だ。国王陛下には司令官としての才能がおありになる」


 ホーラムル様はどうしても病弱な弟だと侮っていた、クローヴェル様への評価を新たにしたようだった。エングウェイ様はまだ懐疑的なようだったが。そもそもクローヴェル様の鋭さと決断力、いざという時の勇気を知っている私にしてみれば、これくらいの事は驚くに値しない。流石は私の旦那様だ。私は鼻高々だった。


 まぁ、ご本人は寝室で寝込んでいるんですけどね。やはり相当無理をなさったようで、クローヴェル様の熱はなかなか引かなかった。それに普段ほとんど運動をなさらないのに戦場を馬で駆け巡ったせいで腰から肩から傷めてしまった上に、全身が筋肉痛で身じろぎしただけで激痛が走るらしい。


「これからは少しは運動した方が良いですよ?ヴェル」


「こっちに来てからは、旧王都にいた時に離宮と王宮を往復したような、歩く機会もありませんからね」


 クローヴェル様は熱で赤い顔をしながら笑った。その笑顔はどこか誇らしげだった。私も嬉しくなる。なのでつい甘やかして額にキスなどしてしまう。


「でもご無理はいけませんよ?次の戦いは私にお任せください」


「リュー。あなたも今回、待つ身の辛さは味わったでしょう?あれもなかなか辛いものなのです」


 それは分かる。私はクローヴェル様を心配しながら、これならやはり自分が行けば良かったと何度も後悔したのだから。しかしながらそれは、心配する役目をクローヴェル様に押し付ける酷い行為なのだ。反省である。


 クローヴェル様も無事帰って来て、私の産後の身体も心も回復した。レイニウスはいよいよ可愛くなり、私は朝夕だけでなく執務の間に子供部屋に駆け付けては息子の成長を愛でていた。イブリア王国の状況は安定しているし、帝都でも大きな動きは無いらしい。ガルダリン皇国とザクセラン王国の補償交渉は続いていて、ザクセラン王国国王からはクローヴェル様宛に援軍を感謝する書簡が届いていた。


 私と漸く回復したクローヴェル様は平和な時間を楽しんだ。ちょっと王都移転してから大忙しだったからね。少しは休んでも良いでしょう。そんな事を思いながら私は呑気に過ごしていたのだが、実はこの時期、広大な帝国の東北部では大きな問題が起こり始めていたのだった。




 帝国の東北部、クセイノン王国とロンバルラン王国がある辺りは、その東を幾つかの小国と接していた。この辺りは寒くてあまり豊かな土地では無く、人口も多くない。そのため国力が上げられず、大国が成立せず、小国が乱立することになったのである。帝国はこの辺りの国を直接征服する事は避けていた。あまりにも見返りが少ない土地だと思えたからだろう。小国と条約を結んで朝貢を受ける位で済ませていた。時には何かの問題で戦争が起こる事もあったが、帝国軍の強さは圧倒的であり、常に帝国が勝利していたのである。


 ところがその辺りの小国に変化が起こる。まず、寒冷地に強い麦や芋が発見され、帝国北部を含めてなのだが、この辺りの食料生産力が上がって来たのだ。そうなると人口が次第に増え始める。すると、小国の国力が上がり始めるのである。


 このタイミングで小国の一つに一人の野心溢れる男が登場する。ヴェーセルグという、ある小国の王は、野心を抱いて近隣の他の小国に攻め込み、あるいは脅して自国に吸収して、急速に領土を拡大していた。帝国としては強力な隣国の誕生は安全保障上の問題になりかねないから歓迎出来ない。それで、ヴェーセルグに対抗させるべく帝国寄りの立場を取る国を支援したのだが、これがどうやら上手く行かなかったらしい。逆にヴェーセルグを怒らせてしまったようだ。彼は帝国への対抗姿勢を鮮明にして、どうやら先の戦役で国力を衰弱させていた海賊国と手を結び、更にあろうことか遊牧民の幾つかの部族と結んだらしい。


 このままヴェーセルグの勢力が拡大を続けると、帝国の東に強力な敵国が出来上がってしまう。海賊国、遊牧民の力まで加わると、帝国のどこから攻め寄せて来るかも分からなくなってしまう。警戒心を深めた皇帝陛下と各国の国王は、ヴェーセルグに対抗するために帝国全体で対処する必要があると結論したようだ。大帝国軍を結成してヴェーセルグを討とうというのだ。


 一国二国が連合したり、帝都周辺の国だけで帝国軍を結成するなら皇帝陛下の要請や内々の打ち合わせでも済むが、帝国全土を上げて帝国軍を結成するとなればそうもいかない。皇帝陛下を七王国の王が一堂に会して検討する必要があるだろう。毎年形式的に行われている竜首会議ではあるが、特に今年の会議にはそういう重大な議題が生じたのだった。


 それである日、帝都から皇帝陛下からの書簡が届く。イブリア王国国王クローヴェルと、王妃イリューテシアに対する竜首会議への出席要請である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る