二十一話 懐妊

 それにしても、なんでまた大女神像に動く機能なんかが付いているのだろうか。


 そもそもあの大女神像は、人々の祈りを大女神アイバーリンに届け易くするためのモノで、古帝国の皇帝と大女神様が協力して制作したらしい。同時に結界を発生し、古帝都を護る機能も持たされた。


 そしてかつて古帝都で行われていた例大祭や戦役の凱旋式において、大女神像は動かされ、古帝都の街を練り歩いたのだそうだ。・・・そのために動く機能付けたの?と思ってしまうのは時代が違うからかしら。


 それにしても、金色の竜の力を奉納すると大女神様と大女神像は繋がるので、動く大女神像と大女神様は半ば一体化している筈である。つまり大女神様は大女神像として街を練り歩いたという事だ。実は大女神様もお祭りを楽しみたかった疑惑というか、大女神様ってなかなかお茶目な性格をしているんじゃないかしらね。


 そもそも大女神像を操る時にも大女神様のご意志に反する事はさせられないらしい(例えば人殺しはさせられない)。という事は、昔の皇女が帝宮を破壊した時も、私が神殿をちょっと壊した時も、大女神様が結構ノリノリでやったという可能性があるのよね。真相は大女神様に聞いてみないと分からないけど。


 まぁ、そんな謎機能だがお陰で私は助かったのだから文句を言ってはいけない。流石は大女神様と古帝国の皇帝。という事にしておこう。


 大女神様と古帝国の皇帝が協力して大女神像を造ったという事から分かる通り、金色の竜の力を有していた古帝国皇帝は大女神様と意志を通ずる事が出来た。つまり金色の竜の力とは大女神様、竜といった異界の存在と繋がる事の出来るだという事である。異界の存在、つまり神々に祈りを届け奇跡を起こすことが出来る力が「金色の竜の力」と呼ばれている私の持つ力なのだ。


 その力で繋がり、呼び出し、兵士たちに力を与える存在が「金色の竜」であるだけで、本来は私の力が繋げられるのは金色の竜だけでは無いようだ。たまたま力を使うと金色の光が出る事と、呼び出される竜が金色なので結び付けられ誤解されてそう呼ばれるようになっただけで、かつては単純に「力」とか「神への祈り」とか呼ばれていたようだ。


 それを知って私は少しホッとした。私は実は、私の力は人々を戦争に駆り立てる力だと思っていて、あまり良い気持ちでは無かったのだ。私の力が戦争限定の力では無いのなら、力を持っている事を気に止む事は無い。


 それにしてもどうして、力が金色の竜を呼びだす事に限定の力になってしまったのか?どうやら、古帝国が滅び、現在の帝国が再興する時に、金色の竜の力が多用されて戦いを有利に進め、遂に帝国が成立した事で「力=金色の竜」という図式が成立したようだ。各王国の旗印も竜になり、遥かな昔より存在した七つ首の竜と女神の伝説が七王国と結び付けられて、建国の逸話になったようである。この辺りは正確に記録が残っている訳では無いから良く分からないが。


 つまり現在でも金色の竜の力の持ち主は、大女神を始めとした神々や竜などの異界の存在に祈りを捧げてその力をお借りする事が出来るのだ。それは凄い。


 ただ、それにはその神々を知って存在を強く感じるか、大女神像のような神器を依り代として使用する必要があるらしい。そりゃ、良く知らない神々には祈りは届けられないわよね。実は私が戦いの場で掲げているイブリア王国の竜の旗は金色の竜の神器で、イブリア王国の象徴である帝国の盾は大女神様の神器でもあるらしい。あれを使うと竜や大女神様に祈りが届き易くなるようだ。


 神々の神殿や色んな存在のお社は帝国他の各地に存在するから、機会があればそういう所を回って色々な神々を知って祈りを届け易いようにしておけば、色んな神々の力をお借り出来るようになり、この先に色々役に立つかも知れないわね。


 そういう事が色々分かったのだから今回の神殿行は有意義だった。フェルセルム様が力についての様々な事をどれくらい知っているかは分からないが、私だけが知らないといった状況を脱する事が出来たのだから。


 と、私は満足していたのだが、駆け付けてきてくれたグレイド様は頭痛を堪えるような表情をしていた。私は彼には戦地からそのまま帰国するように命じたのだが、護衛も無しに私を帰らせるわけにはいかないと大神殿に戻ろうとして、結界に阻まれて神殿領に入れなくなってかなり焦ったそうだ。どうにか入ろうと試行錯誤していたら、恐らく私が大神像を動かした事によって力が消費された事によって結界が消えたため、神殿領に入る事が出来るようになって駆け付けて来てくれたらしい。


「・・・まぁ、王妃様がご無事でようございました・・・」


「あら、ご心配下さってありがとうございます」


「・・・それにしても今度は一体何をしでかしたのですか?街の騒ぎが尋常ではありませんよ?この宿の周りに集まる大群衆はどういう事なのですか?」


 そうなのだ。例の事件から丸一日経つのだが、私の泊っている宿は現在、大女神信仰の信者(まぁ、街にいる人は皆信者だが)に十重二十重に囲まれてしまっている状態なのだ。最初は神殿をちょっとだけ破壊した事で皆が怒っているのかと思ったのだが、そうでは無く「聖女様」「魔女様」と言いながら誰もが私の泊っている部屋に向けて祈りを捧げているらしい。私は板戸を締め切っているから分からないのだが。


 魔女と言うのだから忌み嫌われているのかと言えばそうでは無く、超自然的な力を使う存在としてどうやら畏怖のような思いを表して「魔女」と呼ばれているようだ。それなら火あぶりにされる可能性は薄そうね。


「ちょっと大神像を動かして神殿を壊してアウスヴェール様を脅しただけなのよ」


「それのどこがちょっとなのですか!」


 グレイド様は叫んだが、私としては仕方が無かったのだと言うしかない。緊急避難だ。


 グレイド様は頭を抱えつつも大神殿に使いを出して善後策を協議して下さった。その結果、私が一度大神殿に行き、人を大神殿に集めた隙に裏口から逃げだす事になった。どうやらアウスヴェール様が大女神像に力を与え直すようにと懇願して来たらしい。貸し出す本(返せるのが何時になるか分からないので実質貰って行くような物だ)を五十冊にしても良いと言ってきたそうだ。必死である。


 大女神像に溜め込める力はかなり多く、私が三回くらい全開で力を奉納してようやく満杯になるくらいだ。大女神像を少し動かしたから減ってはいるがまだ少し残っているにしても、もう一回くらい奉納したくらいでは満杯にはならないだろう。だがその程度入っていれば巡礼者の祈りは大女神様に届き易くなるし、しばらくは遊牧民の略奪集団を結界で阻めるくらいの事は出来る筈だ。


 イブリア王国としても今回のように遊牧民が来る度に防衛してあげるのは負担だし、巡礼者の祈りが届き易くなって評判が上がり、巡礼者が増えればルート上のイブリア王国にもお金が落ちる。そのためだと思えば力を奉納して上げるくらいは止むを得まい。力が再び使えるまでもう少し掛かるので、三日後に大神殿に向かう事にする。


 三日後、大群衆をかき分けるように馬車に乗り、無理やり進ませて大神殿に向かう。物凄い熱気で、祈りの言葉が重なってわんわん空気が唸っている。私に祈ったって大女神様には届きませんよ。力を奉納しておくから大女神像に祈りなさい。と言ったって聞いてはくれないだろうな。


 大神殿に入り、アウスヴェール様の出迎えを受ける。アウスヴェール様はガタガタと震えながら跪いた。彼女がこの調子なのだから他の巫女などは真っ青な顔で震えながら顔も上げられない有様だ。そんなに怖がらなくても良いのにね。


 とりあえず私は図書室で借りて行く本を選んだ。当初の予定通り二十冊。五十冊借りたって良いのだが、残念ながら馬車に積み切らない。なので当初の予定通りの本を借りた。そして、アウスヴェール様を従えて大女神像の足元に行く。離れた所の一般向け礼拝室は黒山の人だかりで、神殿の巫女や警備の者が必死にこっちに来ないように止めている。うーん。長引くとこっちに殺到してきそうだ。早く済ませましょう。私は大女神像の前で両手を高く掲げた。


「全知全能にしてこの世界の母たる大女神アイバーリンよ。我が力を受け、この地を護り、人々の願いを叶えたまえ。我は御身の繁栄と永遠の平穏を願いて祈り捧げる者なり」


 私がそう祈ると、両手から金色の光が飛び立ち神殿を突き抜けて消えて行った。そして少しの間があって、今度は神殿の天井を突き抜けて光の渦が落下して、大女神像に直撃した。


「おおおお!」


 一般礼拝室の大群衆がどよめく。大女神像はまばゆい輝きを放ち、そして光が止んでもじんわりと神々しい光を放ち続けていた。人々は次々と跪いて祈りを捧げ始める。そこへアウスヴェール様が歩いて近寄り、両手を広げて演説を始めた。


「皆の者!今ここに『紫髪の聖女様』により大女神像に再び力が与えられた!」


 アウスヴェール様は自身に注目を集めつつ、私を美麗字句で賞賛し、大女神像に力が戻ったからには大女神信仰はこれより一層の発展を見せるだろうと演説している。その隙に私は、私のドレスと似たようなドレスを来た巫女とさりげなく入れ替わった。そして私はマントを被り、そーっと大女神像の足元から離れ、裏口に待たせている馬車に向かう。だが、私は部屋の入り口で一度足を止めて大女神像を見上げた。まだ近過ぎて顔も分からないのだが、私はそこで大女神様に真剣に祈った。


「そろそろ私とクローヴェル様に子が出来ます様に」




 大神殿を出ると馬車はグレイド様が率いる護衛と合流して一目散に遊牧民の領域方向へと向かった。馬車では峠道は越えられないし、なんだかんだやっている内に冬が来てしまっていて峠越えは難しくなってしまっていたからだ。故郷にまた寄りたかったのに。残念。


 国境にある砦で一泊して、遊牧民の支配領域を大急ぎで駆け抜けてイカナの街まで辿り着く。朝早くに出てほとんど駆け続けて夕暮れ直前に着いたのだからギリギリだ。かなりの強行軍に疲れたのか私は少し体調を崩した。なのでイカナの太守であるコーブルク子爵のお屋敷で三日ほど静養した。コーブルク子爵は以前の戦役の恩を忘れておらず、私を最上級の部屋に泊めて丁重に扱ってくれた。


 因みに今回私は、旅路の厳しさを考えていつも来てくれるポーラでは無く、若い侍女を二人付けて来ていたのだが、彼女たちは山越え前の旧王都までの旅で既にへばってしまい、急遽旧王都の王宮の侍女を一人だけ付けて以降は行動していた。やっぱり都会育ちはダメね。その侍女はもう子供もいる中年女性だったのだが、平気で山登りをこなしてくれ、強行軍も大騒動もこなしつつここまで付き合ってたのである。その旧王都から連れて来た侍女とはここでお別れで、ここからは旧王都に残してきた二人の侍女が来てくれて交代する事になっていたのだが、別れ際その侍女が、首を傾げながら変な事を言った。


「王妃様良いですか?ご無理をなさってはいけませんよ?お腹を打ったり冷やしたりは厳禁です。馬にも乗らないように」


 ?何の事だろう。私はこの時は全く理由が分からなかった。


 さて、私達はイカナの街を出て王都へ戻ろうと旅を続けたのだが、私の体調はどんどん悪くなってしまった。眩暈がしたり吐き気がしたりする。食欲も出ない。おかしいわね。私は元気が取り柄で碌に風邪も引いた事が無いのに。もしかしたら大神殿で力を使い過ぎたせいかしらね。


 なので馬車をゆっくり進ませ、酷い時は宿にもう一拍しながら旅をして、イカナから十日後、私はようやく王都に帰還した。


 王都に帰還してホッとしたからか、私は馬車からすぐには降りられない程ヘロヘロになってしまっていた。驚いたグレイド様が抱き上げて馬車から降ろしてくれる。出迎えてくれたクローヴェル様もアルハイン公爵たちも驚き、私は大急ぎで自室のベッドに寝かされ、医者の診察を受ける事になった。医者に診てもらうなんていつ以来だか記憶に無いくらいだわ。そう思いながら医者の問診を受け、医者の奥様から触診を受ける。心臓の音を聞かれたり、熱を測られたりした。


 そして医者の出した結論が。


「どうやら、王妃様はご懐妊なさっておりますね」


 というものだった。


 は?懐妊?妊娠?本当に?私は呆然とした。喜ぶよりびっくりだ。


 医者曰く、どうも妊娠して二ヶ月くらいとまだ初期も初期の段階らしく、はっきりとはしないし流れ易い時期なので、まだ完全に妊娠したとは断言出来ないらしいが、可能性が非常に高いのだという。


 なんとまぁ。確かに月経は遅れていたけど、旅をして大神殿で騒動をやらかしていたからそのせいだろうと思っていたのだ。どうやら旧王都の侍女の別れ際の台詞はこの事を薄々察していたからだったようだ。一応、忠告通り気を付けていて良かったわ。


 それにしてもお祈りしたらすぐに妊娠するなんて、流石に霊験あらたかだわね。流石は大女神像。まぁ、二ヶ月だと、お祈りした時には既に妊娠していたという事だけど。


 医者が退出して、クローヴェル様が心配顔で入室してきたので、私は喜び勇んでクローヴェル様に妊娠を報告した。なにしろ結婚して五年もしての初めての妊娠である。私は嬉しかったし、クローヴェル様も嬉しかろうと思ったのだが。


 どうもクローヴェル様の表情が微妙である。一応は喜ぶような事を言って私を気遣う発言はしたが、どうもはっきりしない。思ったより嬉しそうでは無い。なんだろう?私が不満がっていると、クローヴェル様が退出した後にポーラがこそっと私に囁いた。


「王妃様はこの一年、あちこちに出掛けていたでは無いですか。グレイド様と一緒に。ですからご自分の子では無いのではないか?と疑っているのですよ」


 なんと!私は大ショックを受けた。ちょ、ちょっと待って!私は誓ってクローヴェル様以外とシタことはありませんよ!確かにグレイド様とこの一年かなり一緒にいて、かなり仲良くなり気心も知れたのは確かですけど、全然そういう関係じゃありませんから!神殿領に向かう前に散々説明して分かってもらった筈なのに!


 二ヶ月くらい前と言えば、丁度帝都から帰って来て久しぶりのクローヴェル様とイチャイチャ仲良くしていた頃では無いか。心当たりは沢山あるわよ。私的には疑い無くクローヴェル様との子なのに・・・。


 私はがっくりして、そもそも悪阻のはしりである体調不良もあり、寝込んでしまった。ところがしばらくしてクローヴェル様が飛んで来た。私の枕元に来ると私の手を握って謝罪してくる。


「すみませんでした。リュー。突然子が出来たと言われてちょっと動転していたようです」 


 私は布団を被って顔を隠していた。今更謝られてもすぐには許してあげる気にならない。無実の妻の不貞を疑うなど最低の行為では無いか。


「グレイド兄に怒られました。『王妃様は其方のために帝都でも大神殿でも頑張っていたというのに何事だ!』と」


 まぁ、私の無実を知っているグレイド様ならそう言うし、私との仲を疑われたら奥様であるフレランス様の悋気が大変な事になるから怒るでしょうよ。


 クローヴェル様はひたすらに謝り倒してきたので、どうにか私は気分を立て直す事にした。これから長い妊娠期間が始まるのに、夫と仲たがいしているのは辛過ぎる。クローヴェル様は賢い人だから、これ以降は疑ってはいてもおくびにも出さずに私と子供を愛して下さる事も分かっている。まったく納得は行かないが仕方が無い。


 私は布団から顔を出してクローヴェル様の顔を見た。そしてびっくりした。


「どうしたのですかその顔は?」


 クローヴェル様の麗しいお顔、その目の下あたりに青い大きな痣が出来ている。そう。誰かに殴られたような跡だ。クローヴェル様は痣を痛そうに指で触れながら仰った。


「グレイド兄に殴られました。『其方がしっかりせぬからこんな噂が立つのだ!』と」


 どうやら私の妊娠の情報はあっという間に社交界に広がって、そして子はグレイド様との子では?という噂までも早くも広がっているらしく、フレランス様の耳に届いてやはり悋気が大変な事になり、彼女は実家に帰る帰らないの騒ぎを起こしているそうだ。そこへノコノコとクローヴェル様がグレイド様の所に行って噂の真偽を確かめようとした為に、本来は温厚な筈のグレイド様もさすがに切れてしまったらしい。国王陛下をぶっ飛ばすなど本来は大逆罪でもおかしくない。


 兄の中では比較的優しい方のグレイド様にぶっ飛ばされて、あの怒り狂いようではどうやら私との不貞は本当に無かったようだ、とクローヴェル様は判断したようだ。


「あなたが私を信じなかった罰ですよ。ヴェル。いい気味です」


「全くです」


 私はクローヴェル様の痣を撫でながら思わず苦笑してしまった。仕方が無い。私はグレイド様の怒りとクローヴェル様の青痣に免じて許してあげる事にした。


 ただ、後でポーラにはお説教された。そもそも私が悪いと。


 夫がいる女性が夫は違う同じ男性を連れて方々へ行けば、それだけでも浮気と見做されても不思議ではない。まして常に同行して社交界にも出て、護衛だから間近を離れず一緒にいて、義理の兄だかたと何かというとエスコートまで受けていたらそれは誤解される。兵士たちは私をグレイド様が身を挺して守った場面も見ているし、気安く話している事も知っているからそこからも噂が出ていたそうだ。そして挙句に今回私はグレイド様に抱き上げられて馬車から降りて来た。それはもう誤解しない方が難しいくらいでしょう。とポーラは言った。


「クローヴェル様は元々イリューテシア様にご負担を掛けていると悩んでおられますし、帝都へも神殿領へも同行出来無かった事に忸怩たる思いを抱いておられます。そこに、この一年碌に一緒にいなかった妻が、五年も無かった懐妊をしたのですから、それは疑いますよ」


 ・・・言われて見れば一々ごもっともだ。これについては私が元々農家の娘だったという事は言い訳にならない。農家の奥さんだって他所の男とばかり働いていたらそれは噂になるだろうからだ。確かに配慮が足りなかった。私はクローヴェル様と結婚するまで恋愛関係は無かったし、現在でも男女関係のゴシップへの興味が薄いから、どうやらそういう普通の男女関係への配慮が足りないようだ。気を付けねばなるまい。


 とりあえず私は少し体調がマシな時にフレランス様の所に出向き、誤解させたことへの謝罪と、今後は噂にならないように配慮をする事を約束した。そして彼女を同席させた上でグレイド様に正式に帝都へ行ってくれるよう依頼した。


 私は妊娠してこれからしばらくは動けない。この期間に帝都の皇帝陛下やフェルセルム様が何をしても急には動けないのだ。そこでグレイド様に帝都に常駐してもらい、社交界での情報の収集、場合によっては工作を行ってもらう。それには妻同伴の方が何かと都合が良いからフレランス様にも一緒に行って欲しいのだ。


 その話をするとフレランス様の表情が目に見えて華やいだ。貴族女性にとってやはり帝都の社交界は憧れだからだろう。伯爵相当の扱いになっているグレイド様だが、今回はイブリア王国の国王代理としての駐在になるので帝都では王族に準ずる扱いになる。より高い格の社交に出られるわけで、それもフレランス様には魅力に映ったようだ。


 妻が乗り気なら愛妻家であるグレイド様がこれを断る事は出来ない。グレイド様なら私の代理として帝都に出向き、色々な折衝や交渉をするというのがどれほど面倒な事なのかは分かる筈だが。彼は仕方無さそうな表情で了承してくれた。苦労を掛けるわね。でもこれでグレイド様がご夫婦仲良く王都を離れれば、つまらない不貞の噂も消えるでしょう。


 それから私は妊娠期間中に政務に携われない事を考慮して、クローヴェル様の負担を減らすためにアルハイン公爵とエングウェイ様に国王権限の幾つかの部分の委譲を行った。頑なに権限の委譲を認めなかった私がこれを行った事には二人とも驚いていたが、クローヴェル様が王国中の貴族からすっかり国王として認知され、私が王妃として帝国中に名を轟かせている現状では、もはや私達国王夫妻を飾り物にして実権を奪う事はもう出来ないだろうという判断だ。実際、エングウェイ様ももうそんな事は企んでもいないらしく、逆に「今更面倒な所を押し付けられた」と不満を言っていたそうだ。


 そういう手配を色々してから、私は本格的に妊娠生活に入った。幸いだが私の悪阻は軽く、具合が極端に悪くなることも食欲が減る事も無かったため、私はこの一年で方々から集めた本を読んで食っちゃ寝するだけの極楽妊娠生活を楽しむ事になった。


 ・・・のだが。そうやって社交にも出ずに王宮でゴロゴロしていると、同じように社交界から敬遠されているために暇を持て余しているあの女を呼び寄せてしまう事になるのだ。


「あらー?王妃様?妊娠中だからってそんなに寝てばかりいると太りますわよ?」


 うぐ・・・。また来た。そうクローヴェル様のお姉さまであるムーラルト様だ。彼女は「初めての妊娠である義理の妹が心配だから」と来てくれるのだ。いや、来なくても良いです、とは言えない。この人の行動は基本善意だ。


「本ばかり読んでもお腹のお子には届きませんよ?やはり良い音楽や良い香りを届けてあげなくては。楽団を呼びましょう!」


 などと仰って王宮の楽団を勝手に呼んで演奏させ、まずご自分が優雅に楽しまれていた。私は本を読んでいる方が良いんですけどね。音楽はあんまり良く分からないし。そもそもお腹の子に音楽なんて聞こえるのかしら。


「お菓子ばかり食べてはいけませんよ?ちゃんとお腹の子の身体を作る食べ物を食べなくては!」


 と、私の食べていたお菓子を取り上げ、食事の時間でも無いのに料理人に作らせた料理を食べさせようとする。いや、悪阻が終わるとお腹が空くけど、真昼間から肉なんか食べたらそれこそ太る。子供の前に私が。


「お腹の子が安定したら歩かないと!ほら、本ばかり読んでいないで!」


 と庭に追い出される。いや、その、お散歩の時間はちゃんと取っているので、と言っても聞いてくれない。それ以外にもマッサージ師を寄越してみたり妙な香りのお香を焚いてみたり、赤ん坊が生まれたら必要だからとオムツを縫わされたりした。いや、オムツは侍女達が沢山縫ってくれているのだから必要無いと言っても、お母さんが手ずから縫うのが大事なのだと力説されて断れなかった。


 私と私のお腹の子供を心配しているのは間違い無く、何かと世話をしてくれる事も大体間違った事を言っている訳では無いと侍女達も言うので、文句も言いづらいし断れ無いしで、私はホトホト参ってしまった。最終的にはクローヴェル様がムーラルト様の夫である伯爵に言って、彼女を伯爵領の屋敷に送って私の出産までは王都に返さない措置をしてくれた。少し罪悪感はあったが、私はかなりホッとした。


 冬の初めに妊娠して、冬を越えて春になり夏になる頃には私のお腹はかなり大きくなっていた。いよいよだわ。私は二十二歳になっていた。


 




 

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