十九話 神殿領へ

 大女神アイバーリンを始めとする神々への信仰は、帝国は勿論ガルダリン皇国や海の向こうのバーデレン帝国でも信じられている。遊牧民も部族によっては信仰しているらしい。正に世界的な広がりを持つ信仰である。


 その聖地がイブリア王国山間部を抜けた先にある大神殿である。そこへの巡礼は盛んで、そのルート上にあるイブリア王国が巡礼者の落とすお金で潤っているというのは何度も説明したわね。その大神殿からの書簡には大変面倒な事が書かれていた。


 神殿領はイブリア王国の山間部を抜け、かなり険しい峠道を越えた先にある。山麓に広がっていてそれなりに広い。気候も温暖らしい。元々は帝国領だったが、かなり大昔の皇帝が神殿に寄進して神殿領となった。神殿領は半島状に海に突き出していて、その先は広い海だという。海の向こうにはやはりいくつか国があるそうだ。


 神殿領は軍事力を持たない。神の祈りのために全てを捧げているからだ。神殿と周辺都市を含めて十万程の人口があるようだが、その防衛は昔から帝国が担ってきた。特に領地を接しているイブリア王国が。イブリア王国が没落してからはアルハイン公国が要請があれば駆け付けていたらしい。


 神殿領を狙う勢力は色々いるが、やはり遊牧民の非信仰部族が一番の脅威らしい。遊牧民の支配領域と神殿領は低い山に隔てられているだけだからだ。イブリア王国の方が余程高い山脈を挟んでいる。遊牧民は飢えると帝国か神殿領への侵略を企むのが定番で、前回イブリア王国に撃退されたからか、今回はどうやら遊牧民は神殿領への侵略を企んでいるらしい。


 その情報は遊牧民の女神信仰部族から伝わったそうで、遊牧民は幾多の部族に分かれているからこういう時に情報が秘匿出来ない。イブリア王国もアルハイン公国時代から友好的な遊牧民の部族から情報を得ているしね。


 とにかく、大神殿は遊牧民の侵攻を察知したので、イブリア王国に防衛を依頼して来たのだ。それ自体は今までも何度となくあった事なので粛々と対応すれば良いのだが、問題なのはその書簡に「できればイリューテシア王妃に来てもらいたい」とあった事だ。


 ?なぜ私が名指しで?と思ったのだが、書簡を運んできたのは大神殿帰りの巡礼者で詳しい事は何も聞かされていなかった。これでは何も分からない。これは困ったね。


 大神殿は大きな権威を持っているが、軍事力が無い事からも分かるように政治的権力はほぼ皆無だ。そのため、軍事的対応だけして私の招待の件は無視してしまっても大きな問題にはならないと思われる。大神殿の神殿長の署名が入った正式な呼び出し状でもない。あくまでも援軍依頼の文書についでに記されているだけだし。


 ただ、気にはなる。それは私の金色の竜の力に関わる事だった。それで私は迷ってしまったのだ。


 大神殿は女神信仰の聖地であると同時に、遥かな昔は、古の帝国の都でもあった。


 古帝国というのはもはや伝説上の存在で、どのような国家だったのかも良くは分かっていないのだが、とにかく現在の帝国の領域だけではなくガルダリン皇国の領域も、遊牧民の領域も全て含んだ広大な領土を誇っていたらしい。そればかりか海の向こうにもどんどん領域を広げていたというのだから凄い話だ。


 その古帝国の創設の伝説に七つ首の竜が出てくる。現在の帝国の地を支配していた七つ首の竜は、ある時大女神アイバーリンが座していた大神殿の地を欲し、大女神に戦いを挑んだ。


 戦いは激闘になり、ついに決着は着かずに和平を行う事となり、アイバーリンと七つ首の竜は結婚して子供を作った(この辺が良く分からないが、伝説とか神話とかは大体そういうものだろう)。その子供が古帝国の初代皇帝であり、現在の竜首の七王国の王家の大祖先だと言われている。


 もっとも、古帝国は一度完膚無きまでに滅亡していて、大神殿のあるところにあったという古帝都には遺跡しか残っていないそうだ。古帝国の滅亡から現在の帝国の創設までに何千年ものブランクがあると言われている。それなのに現在の七王国の王家と古帝国の帝室を結び付けるのには無理があるんじゃ無いかなぁ、と私は思うのだ。


 ただ、古帝国の皇帝にも竜の力があったそうで、その事から考えると、全く無関係でも無いのかなという気はする。私が今回迷っているのはそこだった。


 私は自分に宿っている金色の竜の力について、もっとちゃんと知りたいと思っていた。何しろあれは恐ろしい力だ。人々に力を与え、戦闘意欲を増進させ、戦場に駆り立てる事が出来る。ちょっとまともな力ではない。


 それなのに私はこの力について何も知らない。お父様に秘伝をちょっと教わったくらいであんな恐ろしい力を使っているのだ。出来ればもう少し力について詳しく知りたい。


 ところが、これだけ本を集め読んでも、金色の竜の力については碌な情報が集まらない。せいぜい神話か伝説か程度。帝都の図書室には期待していたのだが、全く収穫は無かった。


 皇帝陛下なら詳しく知っているかもしれないが、ちょっと聞き辛いわよね。本当の事を教えてくれるかも怪しいところだし。


 そういうわけで私は金色の竜の力についての詳しい情報を欲していたのだが、色々考えた結果、大神殿にならその情報がありそうだ、という結論に達していたのだった。何しろ、古帝国の帝都があったところだし、金色の竜の力が古帝国の皇帝の力、女神と竜の子の力だというのなら、女神を祀る神殿には何か手がかりがありそうではないか。


 今回の要請は大神殿に行き、金色の竜の力について調べる絶好の機会だった。忙しい王妃の身で大神殿には簡単には行けないからね。


 ただ、私も少しは学習した。自分一人が動いたつもりでも、王妃という立場の人間が動けば必然的に多くの人を巻き込むのだということを。それが戦闘を伴う行為であれば命の危険さえを強いるのだということを。なので私は今回は決断する前に相談する事にした。巻き込まれざるを得ない人達に。


 まず最初に相談してみたのはクローヴェル様に対してだった。夫は、いつもならこうすると決めました、と言ってくる妻が決断前に相談してきた事に驚いていたが、説明を聞いて至極あっさりと「行ってくると良いですよ」と言った。


「確かに、今後の事も考えればリューの金色の竜の力について詳しく調べておく事は大事だと思いますし、大神殿とリューに繋がりが出来るのも良い事です」


 もう一人の金色の竜の力の持ち主であるフェルセルム様が帝都に恐らくは伝わる力についての伝承を知る事が出来るのに対して、知る事の出来ない私は一方的なハンディを負っている訳だから、それが解消出来るかも知れない事は重要だとも仰った。


 夫の許可が出たので、今度は義父に相談する。アルハイン公爵も私が独走しなかった事に驚いていたが、相談には真面目に対応してくれた。


「行くのは構いませんが、王妃様の大神殿行きと神殿領への援軍は分けた方が宜しゅうございますな」


 理由はやはり軍事作戦の度に私が出向くと、周辺各国に金色の竜の力を乱用していると見られるだろうという事だった。あれだけ乱用しているなら、我が国のためにも使って欲しいと軽々しく頼み易くなるというのである。一理ある。


 あと、アルハイン公爵も金色の竜の力は強過ぎるし、頼り過ぎてはいけない力なのではないかと言った。私も同感だ。イブリア王国軍が私の力無しに戦えなくなっても困る。


 アルハイン公爵と話し合った結果、神殿領への援軍五千は遊牧民の支配領域を通過して神殿領に向かい、私は百人ほどの護衛を連れてイブリア王国山間部を超えて大神殿に向かう事になった。


 援軍の総大将はホーラムル様。そして私の護衛にはお馴染みのグレイド様が来てくれる事になった。


「勘弁してくださいよ」


 グレイド様は嘆いたが、こればかりは仕方が無い。王妃である私の護衛隊長にはそれなりの身分や格、強さが必要なので、どうしてもグレイド様の出番になってしまう。


 あんまり嫌がるので事情を聞くと、どうやら奥様が「王妃様とずっと一緒なんて、王妃様とデキているのでは?」と激しく悋気を出して疑っているとの事だった。いやいや、無い無い。あり得ない。


 しかしグレイド様の奥様はとある伯爵家の有名な美女で、惚れ込んだグレイド様が日参して口説いて妻に迎えたという方だった。それほど愛している妻に愛を疑われるのは堪え難いのだろう。


 私はグレイド様の奥様のフレランス様をお茶会に招き、懇切丁寧に私が如何にグレイド様に興味が無いかを説明して差し上げた。特に私とグレイド様のお見合いの席で、グレイド様が私に全く興味を示さなかったのはフレランス様を既に激しく愛していたからだ、という話をしたらフレランス様は目に見えてご機嫌を直された。


 やれやれだ。帝都やフーゼンで英雄扱いされたグレイド様は大分モテていたのだがその事は言わない方が良さそうだ。私はフレランス様にもその内に陶器を売る商談と帝都への情報収集にご家族で行ってもらう事になるかも知れないと言っておいた。


 実はグレイド様と私がセットで方々に行く事にヤキモチを焼いていた人がもう一人いる。ウチの旦那様だ。クローヴェル様はグレイド様が私の護衛として行くと聞くと「自分も行く」とごねた。クローヴェル様に長旅は無理だと諭しても、それなら旧王都までは行くと言い張った。どうやら私とグレイド様の仲を疑っているようだと分かったので、クローヴェル様のご機嫌が直るまで暇さえあればベタベタと引っ付いてあげて、愛していると言い続けて差し上げた。愛を疑われると悲しいが、同時に愛されている事を実感して顔がにやけるのだから女というのは困った生き物よね。


 そうしてクローヴェル様のご機嫌が直るのを待って、私は大神殿に向けて出発した。援軍の方は国境に出している偵察隊や遊牧民の協力部族からの情報が整い次第出るとの事である。


 今回は供は百名と少なく、騎兵も十騎。ほとんど国内を行くのだから安全だろうとこういう編成になった。国境の峠越えが噂によると結構大変なので、馬は減らした方が良いと判断された事もある。


 旧王都までは普通に行って七日だが、私はこの際だからと国内の行ってみたい所を視察する事にして、あちこちに寄り道した。イブリア王国を支える穀倉地帯や灌漑設備も見てみたかったからね。こういう時予定を組むのが上手く説明上手なグレイド様は頼りになるので、やはり来てくれて良かった。


 そうして寄り道をしながら十日ほど掛けて、私は懐かしの旧王都に到着した。まぁ、色々あったから長く感じるけど、まだ離れてから丸一年と経ってないんだけどね。


 旧王宮に入るとお父様が出迎えてくれた。


「お父様!」


 思わず涙が出てしまう。抱き付く私をしっかりと抱き止めてくれるお父様は相変わらず白髪と白髭で顔はほとんど見えないが元気そうだ。


「良く来たな。リュー。其方もクローヴェル殿も元気かな?」


「元気よ。子供はまだですけどね」


 そう、そろそろお父様に孫を抱かせて上げたいのだけどね。結婚してもう四年。出来ないなぁと、私は最近少し焦り始めてはいた。


 この日は旧王都で一泊する事になっていたので、私は久しぶりに王宮の自室に泊まった。この部屋に住んでいたのはクローヴェル様と離宮に移り住むまでだったから、ここで寝るのは随分と久しぶりだ。


 寝るのは懐かしの藁のベッドだ。私が来ると聞いて新しい藁たばに替えてくれたそうなので、太陽と大地の香りが沢山した。何もかもが懐かしかったが、住んでいた頃には部屋を埋め尽くしていた本が無いのは、ちょっと寂しかったわね。


 夜に実家の父さん母さん、兄さんたちとその家族がやってきた。流石にグレイド様に養女の事がバレるとまずいのでこっそりとだ。皆元気そうで安心した。少し顔を見なかっただけで父さん母さんが少し老けたように見える。私は二人に甘えつつ、少し泣いた。


 翌朝、出発まで王都周りを散歩する。ああ、懐かしいなぁ。王都の人たちは私に気が付くと駆け寄ってきて嬉しそうに「姫様!」と声を掛けてきてくれる。何しろ子供の頃から知っているから遠慮など一切無いので、護衛の兵たちが困惑していたわね。


 陶器の製造工場にも行き、ケールを始めとした陶器職人を激励する。量産出来る体制は整いつつあるそうで、後は大量の粘土を作れば良いのだが、それが大変手間の掛かる作業で簡単には行かないのだそうだ。量産は来年からになるだろうとの事。


 他にも故郷の味であるチーズやバターを沢山食べるなどし、そうして一しきり故郷を堪能してから、私たちはいよいよ王国の最南部、帝国と神殿領を隔てる峠越えに挑んだ。


 ・・・私はかつてこの峠越えのルートを街道として再開する時に思ったものだ。どうせ私が通る訳じゃない。巡礼なんだから少しくらい険しい方がご利益がありそうってもんじゃない、とか。その時の私の頭を叩いてやりたい気分だ。


 馬でも辛うじて登れるとは聞いていたのだが、それは騎乗で登れる事を意味しなかった。馬を引いて押してなんとか登らせられる意味だったのだ。良かったわよ。何十頭も馬を連れて来ないで。私まで馬のお尻を押して上あげながら必死で峠を乗り越える。


 馬も大変だが人も大変で、鎧を着た兵士はキツい峠道を汗だくで登って行った。季節は晩秋だから、こんな高地まで来たらもうかなり寒いんだけどね。私の着替えだとかその他荷物、神殿への贈り物や捧げ物は、旧王都までは馬車で持って来たのだが、旧王都で人を雇ってそこからは担いで貰っている。これは身分高い巡礼者は皆同じように人を雇うので、今では王国の農民の良い副業になっているらしい。


 それにしても成程、古帝国の人々が超技術を使って崖に桟道を通した訳だわ。そして良くもまぁ多くの巡礼者がこの峠を越えて巡礼に行くものだわね。信仰の力って凄いわ。自力でこの峠を越えられない人向けに背負って登ってくれる職人までいるそうだが。


 私が正真正銘のお姫様だったら、その背負ってくれる人を雇うところだったが、幸い私は大分鈍ったとはいえ元山育ち。なんとか自力での峠越えに成功した。それにしてもあんまり何度もやりたい事では無いわね。どこかに古帝国の技術書でも眠って無いかしら。そうすれば桟道を修理して使えるようにするのに。


 ようよう峠を乗り越えると、神殿領に向けては距離はある上に少しの上り下りはあるが、全体としてはなだらかな下りで、騎乗で移動が出来た。私は馬に乗せられてゴツゴツ岩の出た道を進んだ。この峠は朝早く出れば峠を越えてその先の村までその日の内にたどり着く。その村に一泊し、そこからまた丸一日進むとようやく神殿領だ。


 小さな峠を登り切ると、眼下に神殿領が見えた。弧を描く海岸線の周りにかなり広い平地が広がり、その周りは高い山に囲まれている。海の色はフーゼンで見た海の色と明らかに異なっていた。フーゼンの海の色は紺に近い青だったが、こちらは緑に近い。噴き上げてくる風は今の季節にしては随分と暖かい。


 海に近いところに港らしきものがあり、少し離れたところに城壁に囲まれた大きな都市。その中央部の高い丘の上に白く輝くなんだか凄いモノが建っていた。あれが大神殿だろう。


 山を降り切った私たちは山の麓にある関所で検問を受け、ようやく神殿領に入った。日が暮れてしまったので、そこにあった小さな町で一泊。そして次の日、ようやく大神殿のある大きな都市に入る事が出来た。


 大神殿のある都市はなかなかの賑わいを見せていた。帝国の都市よりも暖かい地域だからか窓も大きく建物の高さは低い。何だか建物が白っぽいのが印象的だった。私達は宿を確保(ここまでは旧王都以外では私以外は野営だったが、ここでは兵士にも宿を確保する)した後、私はドレスに着替え全員身なりを整え、大神殿に向かった。


 大神殿は街の中央に聳え立つ丘というより岩山の上に立っていた。いや、帝宮を見た時も呆れたけど、 それとはまた違った驚きがあったわよね。


 外周に三人掛かりでなければ手が巡らせられない円柱を巡らせた巨大な神殿。華麗な色彩が施されており、数々の彫刻で飾られている。そこここに花が飾られ、香が香り、音楽が奏でられるなど非常に華やかだ。帝国各地にも神殿はあるが、これほど大きな神殿は見たことが無いし、華麗な神殿も無いだろう。帝国では大女神信仰はどちらかと言えば静かな祈りのイメージがあるが、本来はこういう風に賑やかなものだったのかも知れない。

 

 神殿の門番に来訪の意を告げると私とグレイド様は神殿の奥に通された。護衛の同行は許されなかった。普通の巡礼者は神殿の正面入り口を入ってすぐの所にある巨大な礼拝堂で、大女神アイバーリンの像の足と上の方に見えるお顔だけを見ながら気が済むまで祈るのだそうだ。私達はその横をすり抜けて廊下を進んだ。そして案内の巫女が扉を開くと、そこに金色の巨大な足がドン、と現れた。


 思わず私もグレイド様も目を丸くしてしまう。するとクスクスと笑う声がした。


「大きいであろう?あまりに大き過ぎてここからはお顔が拝めぬのじゃ。何も意地悪して巡礼者達を遠い礼拝室で祈らせている訳では無い」


 振り向くと、朱色に色という鮮やかな服を身に纏った女性が立っていた。髪は黒髪。瞳も黒。帝国には黒髪黒目もいる事はいるが、多くは無い。私も黒髪なので勝手に親近感を覚えてしまう。年齢は不詳。あでやかに笑う美人だが、どうも素直に賞賛出来かねるところがあった。胡散臭いというか嘘くさいというか。


「其方がイリューテシア王妃か?」


 いきなり名乗りもせずに無礼な事だが、この女性の正体が私の思っている通りの人物であったなら彼女には私にぞんざいに話し掛けられるくらいの権威がある事になる。帝国における竜首の王国の王族よりも権威が高い者などそれ程はいない。皇帝陛下と皇妃様と、後はもう一人。


「あなたが神殿長のアウスヴェール様ですか?」


 私がじっと目を逸らさずに彼女の黒い目を見ながら言うと、彼女は面白そうに微笑んだ。


「如何にも、私がこの大神殿の神殿長にして筆頭巫女、大女神の最もお側に仕える者にして神の声を民に伝えし者。聖名をクルージュ。俗名をアウスヴェールじゃ。良く知っておるのう」


 それは事前に調べましたからね。不思議な事ではございません。

 

 大女神信仰において、神のお側に仕えるのは必ず女性で、出来れば未婚か未亡人が望ましいらしい。本当は既婚女性でも問題無いらしいのだが、既婚女性が家を出て亜族を捨てて神殿に入ってしまったら問題だもの。理由があって結婚出来無かった、夫を失ってしまったなどという理由のある女性を神殿が助けるという側面もあるのだろう。


 そのため、大神殿にいる神殿関係者はほとんど女性ばかりで、これは帝国各地の神殿でも同じだ。貴族平民問わず、親に命じられた結婚を嫌がった場合は神殿に駆け込んで巫女になる事が多いらしい。あるいは何か問題を起こした貴族令嬢が親に神殿に放り込まれる場合もあるという。それ以外にも、教養や行儀を身に付けるために結婚までの間神殿に入っている場合もあるそうだ。


 このアウスヴェール様は元々は帝国のどこかの王族だか諸侯の姫だったかという出で、巫女として出世してこの大神殿の神殿長にまで上り詰めたのだ。巫女としての優秀さは私には良く分からないが、どこかフェルセルム様を思わせる胡散臭い微笑からは、彼女が優れた政治家もしくは策略家であろうと感じさせるものがあった。


「如何にも私がイブリア王国王妃イリューテシアですわ。お初にお目に掛ります。神殿長」


 私はスカートを広げて礼をした。私達は権威の上ではアウスヴァール様の方が上で、階位としては私の方が上であるという面倒な関係である。ここで遜った態度をすると、その事で上下が確定しかねない程微妙な関係なのだ。私は意識して顎を上げて傲然と振舞った。アウスヴェール様は面白そうにふふんと笑った。


「そう、美男の旦那の前だからと張り切らないでも良い。私には俗世の階位など意味の無いことじゃ」


「違います」


 私は慌てて否定した。


「この方は私の夫ではありません。義理の兄のグレイド様です」


「なんと、浮気相手を連れて大神殿に来るとはなかなか豪気な女じゃの?」


 違う!と叫びたいところだったが、私は丁寧に説明して分かってもらった。どうもやはりこのような誤解が多いのなら、やはり以降はグレイド様とは別行動を心掛けた方が良さそうね。やっぱり帝都にご夫婦で行っていてもらおうかしら。


 面白そうに笑うアウスヴェール様は分かってくれたのかどうだかは知らないが、近付いてきて言った。


「それは兎も角じゃな、其方を招いたのは他でもない。其方にやって欲しい事があったからじゃ」


 招いたという程正式な招待じゃなかった気がしますけどね。それにやって欲しい事とは?どうも胡散臭いこの女性の言うなりに依頼を受けたら何か大変な事になりそうな気がする。


「何でしょうか?私は王妃ですから、本国の陛下の許可無く金色の竜の力は使えませんよ」


 しかしアウスヴェール様は構わずに私の背中を右手で押すようにして、私を導いた。彼女の方がかなり背が高い。


「まぁまぁ、そう大した事ではない。ただ単に・・・」


 そう言いながら彼女はぐいぐいと、私を金色に輝く巨大大女神像の足、右脚の小指の所に押し出した。


「女神のおみ足に触って欲しいのじゃ」


 ・・・え?これに?私は女神像を見上げる。いや、あまりに巨大であるため、間近に立つと本当にお顔も見えないし全体像が分からない。そもそも小指にしてからが私の胸くらいまでの高さがある(サンダルを履いているからその分高くなっているけども)。


 それは兎も角、多くの信者がわざわざあの過酷な峠越えをしてまで拝みに来ている大女神像だ。ずいぶん離れた向こうに見える礼拝堂では現在進行形で皆が祈っている。その霊験あらたかな大女神像に触っても良いのだろうか?というか、何のために触らなければならないのか。


「其方の金色の竜の力を知るためじゃ。其方の目的にも叶うと思うのじゃがな」


 ・・・私が何のためにここに来たのかはバレているようだ。流石は神殿長ね。


「危険は無いのでしょうね?」


「さぁな。私は触った事が無い故、何が起こるかは分からぬ」


 そんな無責任な。とは思うのだが、神殿長も触った事の無い女神像に触らせてまで、アウスヴェール様が知りたい事には興味が湧く。自分の力についての事なら猶更だ。私がうーむと考え込んでいると「王妃様!」っとグレイド様が注意を促して来た。そうそう。危ない危ない。私が迂闊な行動をすれば、イブリア王国に迷惑が掛かるのだ。私の一存で何が起こるか分からないような事をしてはいけない。


 私は断ろう、と、したのだが。


「まぁまぁ」


 とアウスヴァール様が胡散臭い笑顔のまま、私を軽く押した。同時に足を引っ掛けた。え?


 私はバランスを崩し、手を突いてしまった。・・・女神像に。金特有のひんやりした感触。


「な、何をするのですか!」


 そう叫んで慌てて女神像から手を離そうとした、その瞬間。


 ぞわっと手の平から身体の中の物を吸い出されるような感触がした。「!」私は慌てて手を女神像から離す。ただならぬ私の様子を見て、グレイド様が飛んで来て私を抱き寄せ、女神像から引き離してくれた。


「王妃様に何を!」


 しかしアウスヴェール様は私達の方を見ていなかった。ジッと黄金の女神像を見ている。睨むように見ている。何だろう。私も女神像を見てしまう。その場にいる一同が女神像を見上げた瞬間だった。


 女神像が突然、金色の光を放ったのだ。カッと炸裂する閃光に、思わず目を閉じる。グレイド様が私を庇うように覆い被さった。しかし、別に暑さも何も感じない。ただ巨大な大女神像が全身を輝かせているだけだ。すると、アウスヴェール様の歌うような声が響いた。


「ああ、幸せでございます!大女神アイバーリンよ!今ここに御力を取り戻した事をお祝い申し上げます!」


 女神像の放つ金色の光に照らされながら、神殿長アウスヴァールは狂気と恍惚がないまぜになった、歓喜の表情を浮かべていた。

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