イブリア王国の紫色の魔女

十八話 王国への帰還

 フーゼンでの戦いの後始末は結構大変だった。


 何しろ敵味方合わせて二万人以上が戦う大きな戦闘だったし、範囲も城壁外と港周囲で広かった。捕虜も沢山いてそれを一時収容するだけでも大変だったようだ。この捕虜の扱いについては今後クーラルガ王国が考えるだろう。奴隷に売るなりガルダリン皇国と交渉するなり。


 城壁や港への被害はほとんど無かったが、人的被害はそれなりにあって、特に城外に打って出た部隊には百人以上の死者が出た。作戦を立案して実行を決断した私の責任である。自分の責任で他人が死んでしまう経験は初めてだったので、かなり凹んだ。グレイド様は「王妃様のお陰でこの程度で済んだのだから誇るべきですよ」と言ってくれたが。


 敵味方の遺体は大至急埋葬の必要がある。疫病の元になるからだ。味方の遺体は墓地区域に埋葬し、敵の遺体は違う場所に埋めた。これは死者を弔う墓地区域に敵を埋められないという意味合いと、万が一敵の所属国が遺体を引き取りたいと言ってきた時にすぐ分かるようにするためだという。そのために海賊国とガルダリン皇国の兵士は分けて埋めた。引き取らせる時は遺体の身代金を取るのだそうだ。


 その他諸々の後始末を実際にやってくれたのはフーゼンの代官とその下にいるお役人、守備隊長たちで、それをグレイド様や指揮官率いる各国の兵が手伝った。本来、戦争は終わったのだから帝国軍は引き上げても良いのだが、まだ情勢が分からない状態だったので、私はフーゼンにいる各国の王族と協議し、各地に使者を出して状況の把握に努める間フーゼンへの駐留を続けていたのだった。


 各地に使者を出し情報を集めた結果、どうやらフェルセルム様は海賊国に大勝し、無事に帝都に凱旋しつつある事、ガルダリン皇国からはその後追加での侵攻の兆しは無い事、クーラルガ王国及び帝都ではフーゼンへのガルダリン皇国軍の侵攻に大変驚き、国境の警戒態勢を強化し、クーラルガ王国軍の王都に残された部隊が警備強化のためにフーゼンに向かっているという事が分かった。


 情報を総合した結果、どうやら帝国軍は引き上げても大丈夫だろうと各国の王族とも意見が一致し、戦いから半月後、帝国軍はフーゼンを離れて帝都に戻る事になった。


 帝国軍が隊列を組んで城壁の門を潜ろうとすると、城壁の上、建物の窓や屋根に乗った大勢の市民、更には城外にまで溢れ出た人々が大歓声を上げた。みんな涙を流し「ありがとう!」と叫んで私達を見送ってくれた。それを見て私は、素直にこの街を救えて良かったな、と思った。半分くらいはフェルセルム様が私に向けた悪意に巻き込まれた訳なので、どうも素直に彼らの感謝に応じ辛かったのだが、彼らの喜びに嘘はあるまい。私は馬車の中で本の山に埋もれながらそう思った。


 イブリア王国の三台の馬車は、車軸が曲がる位に本で満杯だった。私の乗る馬車には侍女のポーラが同乗しているのだが、そのポーラも膝に本を数冊乗せている有様である。彼女は完全に呆れ顔だが、私は気にしない。本当は更に騎兵の背中にも本を背負わせようとして流石にグレイド様に怒られて止めたのだ。


 フェルセルム様は「幾らでも」と言ったものね。私は自重せず、フーゼンの公邸にあった本を片っ端から馬車に積み込んだのだ。これくらいやらなければ私の気が収まらない。何しろ私は殺され掛けたのだ。戦場で決断するという心理的負担も強いられた。フーゼンの代官は少し困った顔をしていたが、私がフェルセルム様の許可は貰っていると言うと納得してくれた。「イリューテシア様はフェルセルム様とお仲がよろしいのですね」と言われたのは大変遺憾だったが。


 道中本を枕に寝ながら、私達は帝都に戻った。


 帝都はまぁ、平和そのものだった。それはそうだ。あの戦争の噂は社交界にも広がっていて、夜会に出席するとメリーアン様が飛んで来て私を抱き締めて言った。


「イリューテシア様が鎧を着て戦争に出られたと聞いて生きた心地が致しませんでしたわ!我が国のために申し訳ありませんでした!」


 あははは。私は乾いた笑いを浮かべるしか無かった。この人は何も知らないのだろう。実際には何もかもあなたのお兄様のせいなんですけどね。この人自体は自己顕示欲が少し強いだけの善良なお姫様で根は良い人だ。


 どうやらフーゼンの戦いで私がやった事はまたしても誇大に伝わり広まってしまっているらしく「イブリア王国の戦女神」と複数の方から呼び掛けられた。何でも私は金色の竜の力を使っただけでは無く、自ら先頭に立って敵に突入したとか、気合だけで敵を後退させただとか、竜をけしかけて敵船を沈没させたとか、いつの間にか逸話が盛りに盛られていたのだ。


 しかしながら、実際に一緒に見張りの塔に立った各国の王族の方々はそれを否定するどころか「実際にはもっと凄かったのです!」などと仰った。私が竜を呼んで力を授けると、帝国軍ばかりか一般の市民までが力を得て敵軍をあっという間にやっつけてしまったと大興奮で語り、見張りの塔から矢をも恐れず竜旗を翻して味方を鼓舞し続けた私は戦女神の二つ名に恥じない英姿だったと本人を目の前に大賞賛するのだ。こちらは美化はされているが嘘では無いので否定し辛く、こちらを否定しないと盛られた方も否定されず、社交の度に話はどんどんと大きくなっていった。


 私はグレイド様と思わず顔を見合わせた。これはまずいと。こうも話が大きくなってしまうと、何が起こるか分からなくなる。私の力があれば、とガルダリン皇国への無謀な遠征計画なぞが飛び出してくる可能性も無いとは言えない。東の小国への侵略や、遊牧民への懲罰的侵攻を主張している王国や諸侯も多いらしいから、それに担ぎ出される可能性もある。私は夫のクローヴェル様を皇帝にすると公言しているから、それに協力するから引き換えに軍事作戦に協力して欲しいなどと言われると断り辛くなるだろう。


 私はグレイド様と話し合った結果、早々にイブリア王国に帰る事にした。各方面に帰還の挨拶を記した書簡を送付し、返事が届く前に帝都を出てしまう事にした。因みにこの時は既にイブリア王国の騎兵は全て本国に帰ってしまっている(本を満載した馬車も一緒に)。代わりに帰還に備えて千名の兵士が本国から呼ばれて郊外に控えているそうだ。私の名前が有名になり過ぎて、道中何が起こるか分からないから元の護衛だけでは心許ないとグレイド様が心配して読んでくれたのだそうだ。


 唯一、皇帝陛下には直接帰還のご挨拶をした。自国であるクーラルガ王国の主要都市を救ってくれた私に是非直接お礼を言いたいので、帰還前に必ず会いに来て欲しいとお願いされていたのだ。私はご面会を依頼する打診の使者を送ったのだが、即座に翌日のお茶会への招待状が届いた。貴族の社交のお誘いが翌日というのは考えられない速さだ。私がすぐに帰還するというのを考慮して下さったのだろう。


 帝宮に上がると庭園の東屋に通された。日当たりが良い気持ちの良い所で、そこに皇帝陛下と皇妃様がお二人で待っていた。私は挨拶をするとお許しを得て席に着いた。お二人はニコニコといつも通り笑っていたし、私も穏やかな笑みを浮かべていたが、私は物凄く緊張していた。一体何が起こるか分からなかったからだ。


 私を含めた帝国軍はフーゼンの思いもよらぬ危機を救い凱旋した。その事で既に皇帝陛下よりお礼と労いのお言葉を頂いている。のだが、私はあの危機はフェルセルム様の陰謀だと考えている。いや、証拠も無く確信している状態だ。問題なのは、あのフェルセルム様の陰謀を皇帝陛下が知っていたかどうかである。


 皇帝陛下は皇帝としての仕事が忙しく、クーラルガ王国の統治は既にフェルセルム様にほどんど委譲している状態だとは聞いている。そのため、フェルセルム様が自分一人で国境の部隊や警備兵に手配をして陰謀を実行する事は可能だろうと思う。


 のだが、問題はあの陰謀の核である海賊国とガルダリン皇国の連携の手配は、どうもフェルセルム様だけでは無理なのでは無いか、という事だった。何しろ国境を越えた働きかけが必要なのだ。各王国でも独自に外交を行ってはいるが、基本的に帝国の外交は皇帝陛下の担当だ。それはクーラルガ王国は長年両国と戦って来ているから、その過程で気脈を通じている相手はいるだろうが、そういうルートもまだ皇帝陛下が持っていらっしゃると思うのよね。皇帝としての外交にも使えるもの。


 そう考えると、皇帝陛下が陰謀に関して完全に無実だと考えるのは楽観的過ぎるだろう。そう。目の前でこうして朗らかに笑っていらっしゃる皇帝陛下が、実は私を殺そうと企んだ一味かも知れないのだ。そう考えれば私の緊張感は分かってもらえると思う。陰謀の失敗を隠ぺいするために、この場で私を始末しようとしているかも知れないのだ。


 念のためこの場には護衛の兵士三人と、グレイド様が来て下さっている。グレイド様は相当強いらしいけど、皇帝陛下が万が一私を絶対に殺すと決意していたら、護り切れるかどうかは分からないだろう。


 そんな訳で内心で身構えながら臨んだお茶会だったが、皇帝陛下も皇妃様も穏やかに、まず私に改めてフーゼンの事のお礼と労いを下さり、私の帰還を惜しみ道中の安全と祈っていると仰った。


「イリューテシア様から頂いたイブリア王国の陶器は中々良いものだと評判になっていますね。今後、帝宮でも使いたいので発注させて頂きますわ」


 と皇妃様は仰った。帝宮で使われれば宣伝効果は莫大だ。喜ぶと同時に何か裏があるのではと不安になるのは私の考え過ぎだろうか。


 心配をよそにお茶会は和やかに続き、さて、そろそろお暇を、という時間になった。そのフッと油断したタイミングを見計らったように、皇帝陛下はさらりと言った。


「今回のフーゼンでイリューテシア様が活躍して下さって、フーゼンでは王族や帝国への敬意がかなり高まっているという。これだけでもイリューテシア様にお礼を言わねばなるまい」


 少し引っ掛かる発言だった。私は何食わぬ顔を意識しながら尋ねた。


「どういう事でしょうか?」


「うむ、フーゼンではこの所、貿易で経済力が高まった事を背景に、王国、帝国から独立して自治都市になろうという動きがあったのだ」


 なんと!?私はびっくりして目を丸くしてしまった。


 なんでも、海賊国、ガルダリン皇国等にある複数の貿易都市が連合を組んで、自治都市連合みたいな物を作ろうとしていたらしい。裕福な貿易商が中心となっての計画だったそうだ。その方が王国へ莫大な税金を上納せずに済むし、貿易の自由度も高まると考えたのだろう。


 勿論、クーラルガ王国としてはそんな動きを認める訳にはいかないが、どうやら海賊国が強力に支援していたらしい。海賊国としては貿易都市連合の軍事的後ろ盾になれば海の覇権を握る事が出来て利益が大きい。貿易都市連合としても海賊国の襲撃に怯えなくて済むようになれば貿易がより盛んになり儲かる。お互いに利があるのだ。


 その動きが活発化したのを察知したクーラルガ王国は、海賊国を叩くことを決定し、同時にフーゼンを威圧する意味もあって帝国軍を進駐させたのだそうだ。


「イリューテシア様が金色の竜の力を使ってフーゼンを護って下さった事で、フーゼンの者達は帝国の偉大さを思い知った事だろう。後ろ盾となる筈の海賊国は大きく被害を受けているし、自治独立の動きは潰れたと思う」


 私は呆然とした。私はフェルセルム様が私を殺すための陰謀だとしか思っていなかったが、同時にそんな事情が隠れていたとは。


 なるほど。それならば皇帝陛下がフェルセルム様の陰謀に加担した事にも説明が付く。私がフーゼンで戦い、金色の竜の力を発動させる事で力を有する帝国への求心力を復活させる。そのためには私が行かなければならないし、フーゼンはピンチに陥らなければならない。あれほどの事態にならなければ私は金色の竜の力を使う気は無かったからね。そのためにガルダリン皇国を引き入れる事までした。あれにはフーゼンの者達に「敵は海からだけ来るものでは無いのだぞ」という警告も含まれていたのではなかろうか。


 考え過ぎかも知れないが、このにこやかに笑っている皇帝陛下ならやりかねない。何しろこの人はフェルセルム様のお父様だ。


 私は必死に笑顔を浮かべつつ言った。


「そのような事情があったなら、私が戦った甲斐がありましたわ。ですが、もしもあそこで帝国軍が敗れていたら、逆効果になってしまったのではないかと思えるのですけれど」


 皇帝陛下は不思議そうに首を傾げられた。


「ご謙遜を。イリューテシア様のお力があれば万が一にも敗れる事などありますまい」


 言葉だけ聞けば絶対的な信頼だが、裏を返せば負けて私が死んでもどうにでもなるという意味だろう。フーゼンは大きな被害を受け、その後クーラルガ王国が奪還するから自治都市計画はやはり潰れただろう。私がいなくなればフェルセルム様の計画通りでもある。どこへ転がっても皇帝陛下とフェルセルム様の思い通り。


 危なかった。私は背中にだらだらと汗を流していた。どうやら私は思っていたよりも危険なところまで足を踏み込んでいたようだ。そしてやはりこの皇帝陛下は油断ならない。うっかり信用すると大変な事になりそうだ。


「イリューテシア様とは帝国のために、是非協力していきたいものだな」


 帝国のためにいつでも利用されろ、という意味ですね。分かりますよ。ごめん被りますけどね。・・・などとは言えない。私は殊更ニッコリ笑って言った。


「もちろんですとも。イブリア王国も私個人も、帝国の栄光のためには如何なる協力も惜しみませんわ」


 ・・・という事で、帝宮から逃げるように退出した私は、次の日には帝都を発った。これ以上帝都にいるとあの恐るべき皇帝に何をさせられるか分かったものでは無い。馬車に帝都で読むために残していた本を積み込み、大慌てで帝都を出る。城壁の門を潜ってホッとした。いやー、帝都って恐ろしい所だわ。


 馬車の横にぴったりと貼りついて護って下さっていたグレイド様もあからさまにホッとした顔をなさっていた。


「はぁ。しばらく帝都には来たくありませんよ」


「あら、そうは行きませんよ」


 私が言うと、グレイド様は嫌そうな顔をした。


「何を企んでおいでですか?王妃様」


「企んではいませんが、皇帝陛下や王族の方々から注文を受けた陶器がありますでしょう?それを届けてもらう必要があります。まさか商人に委託する訳にはいきませんし、皇帝陛下に直接お渡しするならやはりグレイド様に行ってもらわねば」


 それに帝都での情報収集はこれからはもっと重要になって来る。それには人当たりが良く話術に長けたグレイド様が適任だと思う。


「私は愛する妻の所にいたいんですがね?」


「なら奥様と一緒に行けばよろしいでしょう?奥様もお喜びになりますよ」


 そういうとグレイド様は虚を突かれたような顔をなさった。社交に出るには妻同伴の方が良いし、女性の社交界で情報を収集するには奥さんがいた方が良い。グレイド様にはご夫婦で帝都に常駐してもらっても良いかも知れない。


 帰りも特に何も起こらなかった。ただ、スランテル王国からは王都に寄らないかという打診があったが、私は早く帰りたかったので断った。ザクセラン王国を抜けてイブリア王国に入り、私はようやく半年ぶりくらいにイブリア王国王都に帰還した。まぁ、この王都にもまだ完全に馴染み切ったという程では無いから、帰って来た!という感動は薄いんだけどね。


 王宮に入り馬車を降りる。あー、腰が痛いわー、と思いながらも静々とエントランスに入ると「お帰り」という言葉が掛かった。私が一番聞きたかった言葉、そして声だ。


「クローヴェル様!」


 私は反射的にお作法を忘れて駆け寄り、ドーンと抱き着いた。クローヴェル様は押されて後ずさりながらもなんとか踏みとどまって私を抱き留めてくれた。


「帰りを待ちわびていましたよ。大活躍だったそうですね」


「大したことはしていませんわ」


 はー。帰って来たわー。という実感がようやく湧いて来た。やっぱりこの人の所が私の本来の居場所なんだと安心する。何しろ今回の帝都行きは予想外のフーゼン行き、戦争まで起こって盛りだくさんだったからね。愛しの旦那様に癒されてしばらくゆっくりするんだ!とニマニマしていたのだが・・・。


「お疲れの所、感動の再会に口を挟んで申し訳ないんですがね」


 言葉とは裏腹に、ちっとも悪いと思ってい無さそうなエングウェイ様が腰に手を当てるという「お説教ですよ」というスタイルで、私に声を掛けて来た。


「早速ですが、帝都での出来事の報告をして頂きたい。どうやら幾つもとんでもない事をしでかしてきてくれたそうではありませんか?」


 私は渋面になってしまう。


「えー?今からですか?明日に出来ませんか?私は疲れているのです」


「ダメです。父も母も私も、王妃様のお帰りを待ちわびていたのですよ」


 待ちわびるの意味合いがクローヴェル様のそれとかなり異なるような。私は仕方なくクローヴェル様と腕を組んで王宮のサロンに向かった。アルハイン公爵とコーデリア様、ホーラムル様は既にお待ちで、私とクローヴェル様はソファーに並んで座り、エングウェイ様とホーラムル様は公爵夫妻の後ろに立ち、グレイド様は旅で疲れているのが考慮されたのか、それとも彼にも聞くことがあるからか椅子が用意された。


「お帰りなさいませ。王妃様。一応報告は受けておりますが、やはり直接お話を伺いたくお出でいただきました。お疲れでしょうがご容赦下さい」


 むぅ。私はフーゼンで政治軍事の責任の重さを少し理解したところだ。公爵の抱えている責任の重大さを思えば、新鮮で正確な情報がどうしても一刻も早く欲しいのだろう。疲れたから休みたいと駄々も捏ねにくい。


 仕方なく私は公爵に問われるまま、帝都での出来事を説明していった。フーゼンに行ってからの出来事はグレイド様が補足してくれる。彼は特に話を美化するでも無く誇大に私を褒め称える事もしなかったので良かった。それでもホーラムル様は「ああ!私もその場に立ち会い、王妃様のお力を受けて戦いたかった!」と嘆いたが。


 一通り話し終えた私はお茶を飲んでクローヴェル様を見てニコッと笑った。お話しが終わったのだからお部屋に帰ってゆっくりしましょうね、と。だが、クローヴェル様は難しい顔をして天井を見上げていた。見ると、公爵は目をつぶり、コーデリア様は額を押さえ、エングウェイ様は眉間を押さえて俯いていた。ホーラムル様は興奮気味に目を輝かせ、グレイド様は苦笑している。おや?なんでしょう。


「王妃様」


 アルハイン公爵が目を開けて私を見ながら言った。


「王妃様はしばらくご病気になって頂いた方が宜しいですな」


 は?私はこれこの通り、健康でぴんぴんしていますけど?


「王妃様がクーラルガ王国に協力した事が知れ渡れば、王妃様のお力を借りたいと考える王国や諸侯が必ず現れます。多分、すぐにでも」


 え?でも、私は帝国軍として他の王族の方々と一緒に行ったのよ?イブリア王国としてではなく。


「より不味うございます。『帝国のために』と言われたら断り難くなりますからな」


 そんな勝手な、とは思うが、確かに自分で使ったあの力の効果を見てしまえば、戦争が起こった時にあの力を使いたいと思う者が出てもおかしくはないと思う。確かに私もが帝都から逃げ帰って来たのもその懸念があったからだ。公爵の考えは理解出来る。


「それに既に妃殿下と国王陛下にご挨拶がしたい、贈り物がしたいと各国の使者がたくさん来ております。ガルダリン皇国の使者さえも一度来たのです。これにいちいち付き合っていたら大変です。国政が麻痺してしまいます」


 なんと!ガルダリン皇国とアルハイン公国は比較的関係が良く、貿易を行ったり、イブリア王国を抜ける神殿領への巡礼路が使われるようになってからはガルダリン皇国からの巡礼者を受け入れたりしているので、友好の使者がたまに来るらしい。私がガルダリン皇国の軍隊をやっつけてしまったのは問題にならないのかしらね。


 各国の使者の相手をして歓迎の宴を開いてお礼の書簡や贈り物を持たせて送り出すのは結構大変で、これが毎月何件もあったら確かに国政に支障をきたす。しかも内容がイブリア王国と私に戦争での援助を求めるものだったら迂闊な扱いが出来ない。返答に苦慮する事になる。


「そのために、そうですね。一カ月くらいは王妃様は臥せっている事にして、使者が来たら『臥せっているので』で追い返しましょう。軍事的な要請もそれで躱します」


 アルハイン公爵の提案を聞いて私は考え込んだ。本来であればせっかく帝都で名前と顔を売って来たのだ。本国でも使者にちゃんと応対して各国との強固な繋がりを造った方が良い。しかしながら、今回の私はちょっと派手にやり過ぎた。帝国軍として遠征した実績があるのだから「我が国にも」という要請を断固として断ってしまうと、逆にその国との関係が悪化しかねない。


 各国が欲しがっているのは私の力による援助なので、肝心の私が病気だとすれば無理強いは出来ないし、その病の理由が金色の竜の力の使い過ぎによる、という事にすれば要請を断り易くもなる。心身の負担が大きいので乱用は出来ないのだ、という事にするのだ。


 私は了解して頷いた。


「分かりました。では私は一カ月くらい、王宮に引き籠ります。幸い新しい本が沢山あるので好都合です」


 エングウェイ様が頭が痛そうな表情を隠さずに言った。


「その本ですがね。あんな途方も無い量の本を貰ったら、クーラルガ王国の要請を断り難くなりはしませんか。援軍の報酬としてはあまりにも過大ですよ」


 エングウェイ様にはさすがに私が陰謀で謀殺され掛けた事は伝えてはいない。そのため、あの本が陰謀の代償だとはエングウェイ様は知らない訳だ。私はフェルセルム様と皇帝陛下の顔を思い浮かべながら、額に青筋を浮かべつつ言った。


「クーラルガ王国からの使者など来たら追い返して結構です。二度とあの国には援軍など出しません!」


 怒りの笑顔を浮かべた私の迫力にエングウェイ様は驚きつつコクコクと頷いた。


 という訳で、私は帰国から一カ月、病気という事にして王宮の中に引き籠った。散歩も人目に付かない中庭の庭園でしか出来なかったので窮屈ではあったが、何しろ新しい本が当分は読み切れないくらいある。読書三昧の毎日に思わず頬が緩む。ああ、なんかダメな方面に堕落しそうだわね。


 その間の政務はクローヴェル様がしっかりやって下さった。クローヴェル様は公爵と協力しつつ、少しづつ独自の政策を提案したり実行したりしているそうで、その鋭い視点には公爵もエングウェイ様も驚いて感心しているそうだ。今までは病弱な弟としてしか見ていなかったんだろうから驚いたのだろうね。私としてはクローヴェル様の鋭さと視点の斬新さを知っているから今更だ。


 クローヴェル様も新しい本には大いに喜んで、お休みの時や一緒にいる時間は並んで本を読んいた。クローヴェル様も少しは外国の言葉が分かるが私ほどでは無いため、外国の本を読む時には分からない所を私が教えて差し上げた。それでクローヴェル様もどんどん外国語が分かるようになったのだが、ある日、クローヴェル様が仰った。


「ここある外国語の本を翻訳して販売しませんか?クーラルガ王国はそうやって儲けているのですよね?」


 そう。クーラルガ王国は輸入した本で有用な本は翻訳して、その写本を帝国で売る事で大きな利益を上げていたのだ。しかしながら、フーゼンの公邸に保管されていた本で実際に翻訳されていたのは三分の一くらいだと言っていた。翻訳は大変だし、写本造りには時間も手間も膨大なものがいる。余程売れそうな本しか翻訳しないのだと聞いた。それでも大きな利益が出ているのだ。翻訳をイブリア王国の産業にするのはありかも知れない。イブリア王国もガルダリン皇国、神殿領、遊牧民と外国勢力と交易する事は多いのだから、その気になれば本は輸入出来る。


「それは良いですね!そうすればまた新しい本が手に入りますしね!」


「そういう本音は隠しておきましょうよ。リュー」


 ただし、この翻訳事業は、外国語が出来る者を探すところから始めなければならず(流石に私が翻訳したり教育する暇は無い)、写本や製本の職人から何から一から育てねばならないため、そう簡単に始められなかった。そのため実際に翻訳した本が販売出来るまでにはかなりの時間が必要だったのである。しかしこれも上手く動き出してからは大きな利益が上がる事業になり、イブリア王国の経済を大きく潤す事になったのだった。因みに、この事業に物凄く積極的に参加し、外国語の教育にも関わってくれたのはサンデル伯爵夫妻で、事業のために外国から本が公費で輸入出来ると大喜びだった。


 そんな感じで一カ月も引き籠った私はようやく公務に復帰したのだが、復帰早々にちょっと面倒な事態への対処に頭を悩ませる事になる。それは、神殿領から届いた一通の書簡が発端だった。

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