十五話 空を飛ぶイリューテシア

 皇帝陛下主催の夜会はまだ続いていた。


 皇帝陛下と談笑した後、私は席を離れてホールの中央、ダンスが行われている辺りに行った。主賓の私が踊らないと宴が本格的に始まらないと言われたからだ。私がゆるゆると進み出ると、数人の貴公子が歩み寄って来た。


「一曲お相手をお願い致します」


 私は既婚者で、本来であれば夫であるクローヴェル様と最初の一曲は踊るのだが、夫がいない場合は誰と踊ったら良いのかしらね。数人の貴公子をサッと見て、一番身なりが良い人物に手を預ける。ま、一番お偉い人と踊っておけば大丈夫でしょう。


「クセイノン王国第二王子、ザッカランです。以後お見知りおきを」


 そう名乗った茶色い髪の男性と踊り始める。クセイノン王国は帝都の東に位置する王国で、領域面積は大きくは無いが土地が肥えているのと、その東にあるいくつかの小国との取引で儲けている王国だ。


「あら、王子とご一緒出来るとは光栄ですわ」


「ここにいる者は皆王族ですよ」


 とのこと。まぁ、そうでしょうね。皇帝陛下の私的な夜会なのだそうだから。


 ザッカラン様のダンスは安定感抜群で、流石は良く練習されているわね、という感じだった。踊りながら話をする。


「イブリア王国は東の遊牧民といつも戦っていると聞いております。遊牧民と戦う事が多いクセイノン王国としては親近感を覚えますね」


「年中戦っている訳ではございませんよ。名馬を輸入し、こちらからは岩塩や食料を輸出する場合もあります。遊牧民が飢餓に陥らない年は上手くやっています」


 そう言うとザッカラン様は少し驚いていらっしゃった。国境を直接接しておらず、略奪を受ける以外に付き合いが無い帝都近郊の王国では、遊牧民を野蛮人だと断じているようだった。


 ザッカラン様と三曲ご一緒すると、続けてすぐにオロックス王国第一王子であるモートラン様がいらっしゃったので、そのまま曲に乗って滑り出す。モートラン様は黒髪で茶色い瞳。かなりゴツイ顔で年齢も多分四十代と若くない。しかしダンスは丁寧で表情は柔らかな作り笑顔。


「オロックス王国はそれほどイブリア王国とは遠くない。仲良くして頂きたいものですな」


「そうですね。帝都とイブリア王国を結ぶルート上でもありますから」


 ご機嫌を損ねると帝都への道が塞がる事になるからね。


 モートラン様と三曲踊ったら次はスランテル王国の第二王子のコンガートル王子がすぐにやって来た。また三曲終わると次はクーラルガ王国第三王子ローツェンテ様が・・・多くない?もう三人と最大限の三曲を踊って計九曲だ。普通は六曲くらいで一回休むものだが、何しろ踊りたいと申し込んで来る男性たちは全員王族、しかも王子だ。ちょっと強くは断り難い。


 ふと見ると、まだあと五人くらいの男性が待ち構えているようだった。困惑して踊りながらさりげなく周囲を見回すと、面白そうに私を見ている人々に気が付いた。面白そうというよりはもう少し悪意がある表情だ。


 ああ。私は気が付いた。つまりこの連続ダンス攻勢は嫌がらせなのだ。多分。


 連続してダンスをさせ、疲れた私が踊りをミスすれば失笑でもして私を嘲り、恥をかかせるつもりだろう。そして男性からのお誘いを断れば「○○王国のナントカ王子のお誘いを断るなんて」とこれも非難の理由にするつもりだろう。社交の場ではそういう難癖的な瑕疵が時に命取りになる。これから出続けるつもりの帝都の社交界で詰まらない噂を話されて私の評判を下げられる訳にはいかないわよね。


 ふん。私は内心で鼻息を荒くした。そっちがその気なら考えがあるわよ。


 私はそれまで丁寧にゆったりとした踊り方をしていたのだが、急に動きを大きくしてステップも早く、男性を振り回すような踊りに変えた。ローツェンテ様が驚きに目を見張る。


「イリューテシア様?」


「同じような踊りで飽きてしまいましたわ。もう少し派手な踊りをしましょうよ」


 そして楽団に目で合図を送る。楽団の指揮者は心得たとばかりに頷き、曲をアップテンポで早い曲に変えてくれた。流石は帝宮の楽団。優秀だわ。私は速い曲に乗って素早く切れ良く身体を回し、ローツェンテ様を引っ張り、振り回し、ステップで翻弄した。ローツェンテ様は少し太めの体格だったから、あっという間に大汗をかき始めた。しかし放してはあげない。私はそのまま彼を三曲拘束した。最終的にはローツェンテ様はフラフラなステップで表情もヘロヘロになってしまった。後々まで社交界で噂になってしまうでしょうね。


 ローツェンテ様を解放すると、私は待っていた貴公子たちの方をニッコリ笑って見た。彼らは目を丸くしている。うふふふ、逃がさないわよ。私は優雅に微笑みながら彼らの方に手を伸ばした。


 結局、私はそこからあと七名、二十一曲を踊り尽くした。楽団を煽って、激しい曲を続けて弾かせて、私も優雅ながらも飛んだり跳ねたりする動きを加えながら、お相手の男性をひたすら振り回した。社交でするようなダンスではなく、ダンスの競技でやるような踊り方だわね。しかし社交でやってはいけないという程ではない。美しいダンスで出席者を楽しませるのも社交ダンスの目的の一つだからね。


 まぁ、お相手させられた貴公子たちには災難だったと思うけどね。今回出て来られた男性方は明らかに帝都育ちのもやしっ子ばかりだった。運動などダンス以外にやった事も無さそうだ。それに対して私は子供の頃は野山を駆け回り、農作業で丸一日動きっぱなしな事も珍しく無かった元農家の娘。王太子妃になってからも馬で王国中を駆け回っていた。基礎体力が全然違うのだ。あれくらいのダンスなら一晩中踊り続けても大丈夫よね。


 踊り終えた男性たちはへたり込んでいる。ああいう醜態もしっかり記憶されて語り継がれるのが社交界というものだ。可哀そうだが私に迂闊な罠を仕掛けようとした罰である。私はお誘いがようやく無くなった事を確認すると、周囲を見回しながら優雅に一礼したのだった。



 沢山踊ったので流石に咽喉が乾いた。私はゆるゆると歩いて飲み物が置かれているテーブルに近付いた。侍女のポーラに言ってスパークリングワインを取ってもらう。あー。咽喉が気持ち良いわー。と満足していたら、数人の女性がゆるゆると近付いて来た。


「お初にお目に掛ります。イリューテシア様。私はクーラルガ王国王女、メリーアンと申します。お噂は兄から、かねがね」


 おや、フェルセルム様の妹君ですか。さっき弟君とは踊ったけれどね、彼女は私を誘って数人の女性や男性が座っている席へと私を導いた。


 私はソファーに座らされ、周囲を皆様に囲まれる。全員王族なのだろう。ごく友好的な雰囲気で、軽食や様々な飲み物も用意される。


「お近づきのしるしにお話しを致しましょう。イブリア王国は帝都から遠いので詳しく知らない者も多いのです。是非、お話をお聞かせください」


 そう言われれば別に否という理由は無い。私はイブリア王国の事を説明しつつ、他の方の語る自分の所の王国や帝都の話も聞いた。


 その過程で「こちら、ガルダリン皇国から輸入された銘酒ですのよ」とか「海の向こうのバーデレン帝国から輸入された銘酒です」とか言われながらお酒を勧められる。私はお酒が好きだ。吞んだことも無いお酒なら吞んでみたい。私は勧められるまま呑んだ。因みに、こういう席で人にお酒や食べ物を勧めた場合、毒見の意味を含めて自分でも同じものを食べたり飲んだりしなければならない。


 私は勧められるままに呑み、あ、あれ美味しかったからもう一杯吞みたいな、と思った場合は「これ美味しかったですわよ。よろしければどうぞ」と他の方に勧めつつ自分も呑んだ。自分一人で呑むのは淑女的じゃないからね。グラスを軽く合わせ、キュッと呑む。いやー。流石に帝都。お酒の種類が豊富だわ。旧王都に住んでいた時はせいぜい蜂蜜酒か芋酒しかなかったからね。


 そうやって勧められ、勧めてドンドン呑んでいたら、次第に周囲から人が減って行った。あれ?気が付いて周囲を見回すと、私の周りから離れた人がソファーで引っくり返ったりテーブルにうつぶせになって潰れている。私の周囲に残っている人たちも真っ赤な顔をしてフラフラだ。私は言った。


「あら、皆さま吞み過ぎではございませんか?ご無理をなさらない方が宜しいですわよ」


 すると、まだ頑張って私の横に座っていたメリーアン様が怪物でも見るような目つきで私を見た。


「あ、あなたが一番呑んでいるではありませんか!どうして酔わないのですか!」


「酔ってはいますよ。気持ち良く」


 私は給仕に言ってグラスを二つ持って来させた。


「メリーアン様はまだいけそうですね?ではこれでまた乾杯いたしましょう」


「か、勘弁して下さいませ!」


 遂にメリーアン様は口を押さえながら逃げるように席を立ってしまった。・・・どういう事なのかしらね。すると私の背後に立っていた侍女のポーラが呆れたように言った。


「王妃様、皆様は王妃様を酔い潰そうと企んでおられたのですよ」


 へ?そうなの?ポーラ曰く、お酒を何人もで次々勧めれば、私だけがその人数分のお酒を呑むことになる。つまり私だけが飛び抜けて沢山のお酒を呑むことになるのである。そうして私に呑ませて酔い潰して私を笑い者にしようと企んでいたのだろうとの事。なんとまぁ。


「でも、今日は、ザーカルト様と呑んだ時ほどは呑んではおりませんよ?」


「ザーカルト様もとんでもない酒豪で他の誰も付いていけなかったではありませんか。王妃様とザーカルト様が呑み過ぎなのです」


 そうなのか。私には全然自覚は無かったのだが、どうやら私は相当な酒飲みらしい。誰も指摘してくれなかったから知らなかった。そういえばクローヴェル様にも王都を移ってから呑み過ぎだと注意されたわね。気を付けましょう。そう思いながら私は手に持ったままだったグラスをキュッと飲み干した。



 そんな感じで宴は進行し、皇帝陛下ともまたお話をして、時間となりお開きとなった。私は皇帝陛下ご夫妻にご挨拶をして退場する。侍女二人、護衛三人を引き連れて帝宮の廊下を歩いて行く。先導の侍従に付いて歩いて行くと、前方に人がいてこう言った。


「申し訳ございませんが、こちらは通れません。別の廊下へ行ってください」


 先導の侍従は困惑したようだったが、踵を返し、違うルートを通ってエントランスへと行こうとする。しかし、また人が立ち塞がって道を変えろと言う。それが数度繰り返された。私達は段々と帝宮の奥へと入らされているようだった。シャンデリアは無くなり、廊下は暗くなる。侍従の持っているランプだけが灯りになってしまった。うーむ。これはまずいのでは。先導の侍従に聞く。


「この辺はもう帝宮の中でもずいぶん奥に入ってしまっているのではない?」


「さ、左様です。程無く内宮区画に入ってしまいます。困ります。内宮にお客様を立ち入らせたら問題になってしまいます」


 なるほどね。それが狙いっぽいかな。


 つまり私を皇帝陛下のお住いの内宮に入り込ませ、非礼であると問題視する。かなりの醜聞だ。私は罰せられるかどうかは別として社交界での評判を落す事になるだろう。なかなか姑息な計画よね。私が帝宮内部に詳しくない事を見越しているのだろう。ただ、侍従が計画を知らないらしいことから考えても、計画を立てたのは皇帝陛下では無いでしょう。皇帝陛下なら侍従に命じれば良いのだものね。


 どうも私の社交界での評判を貶めたい人がいるようね。自分で手を下すのではなく、他人の手を借りて他人の責任で計画を実行しようというやり方が、どうも一人の人物のいけ好かない顔を思い起こさせるのよね。


 それは兎も角、何とかしなければならない。踵を返して通せんぼしている者を王族の権力で強圧的に排除しても良いが、それ自体が帝宮で強圧的に振舞ったという私の醜聞にされるかも知れない。帝宮に詳しい侍従でも迂回出来ないのだから抜け道は無いのだろう。私は考え込んだ。


 今いるのは帝宮の二階の廊下だ。庭園に面しており、窓の外には芝生と灌木で美しく整備された庭園が月光に照らし出されている。私の方向感覚によれば、車寄せからはそんなに離れていないと思う。そう。庭園に降りて建物外周に沿って歩けばすぐだ。


 良し。私は決断した。


「ここを飛び降ります」


 は?随伴の者達が目を点にする。


「ここから庭園に飛び降りて、庭園を歩いて馬車に向かいます。あなた、ここから飛び降りる事が出来ますか?」


 護衛の一人に声を掛ける。その兵士は困惑した顔で廊下の外を見ていたが「まぁ、大丈夫ですが」と言った。流石ホーラムル様が付けてくれた選りすぐりの護衛。


「よし。ではあなたと私はここから飛び降りて車寄せに向かいます。他の者達は『イリューテシア様がいなくなったので探している』と嘘を言いながらエントランスに向かいなさい。そこで合流しましょう」


 ポーラが慌てたように言った。


「き、危険です!王妃様!」


「大丈夫よ。この程度の高さから飛び降りるのは故郷でさんざんやったもの。一人で行ったら危ないかも知れないけど、護衛も着けるし。お願いね」


 私はそう言うと、廊下のガラス窓を開けて窓の縁にヒョイと上って腰を下ろした。そして靴を脱ぐ。ヒールの付いた靴では流石に着地が不安だ。


「王妃様!」


「大丈夫大丈夫。それ!」


 私はお尻を滑らせて窓の外に身体を躍らせた。ドレスのスカートがうわっと広がり、半分結ってある黒髪が靡く。建物の二階だからそれ程高くは無い。子供の頃から木や岩の上から度胸試しに飛び降り慣れているから、このくらいの高さなら怖くも無い。すぐに着地の衝撃があり、私は衝撃を緩和するために身体を横に転がしてサッと立ち上がる。うむ。散々踊ったから身体の切れも良いし絶好調だわね。


 髪飾りやネックレスなんかが落ちてしまっていないかを確認する。お高い物だから無くしたり壊したりすると大変だ。ドレスも破けていない。大丈夫ね。私は靴を履き直すと上を見上げて合図を送った。見下ろしている者達の顔は本気で呆れ果てている表情だったが、直ぐに護衛が軽やかな動きで飛び降りて来た。


「無茶苦茶ですよ王妃様」


「あら、お褒めにあずかって光栄ですわ」


 私はうふふっと笑って、彼を引き連れて庭園をゆっくり歩き出した。月の光に照らされて青白く輝く帝宮の庭園は幻想的に美しく、私は思わず少し遠回りをして散策を楽しんでしまった。


 そして、明るい車寄せに庭園側からスルスルと近付く。とんでもない方向から現れた私達に車寄せを警備していた兵たちが仰天する。兵士たちは慌てて駆け寄ってきて、私達に槍を突きつけつつ誰何した。私は無論堂々と名乗った。


「イブリア王国王妃のイリューテシアですわ。庭園が美しいので散策を楽しんでいましたの。驚かせてごめんなさいね」


 本日の夜会の主賓の登場に、兵士たちも案内の侍従たちも、そして車寄せ周辺になぜか大勢残っていた貴公子貴婦人達も仰天した。私は悠然と歩いて車寄せからエントランスに入って行く。そこにいたメリーアン様がこの上無い程驚いた顔で叫んだ。


「ど、どこから外に出たのですか!どうやっても一階には降りられないようにしておいた筈なのに!」


 あらあら、あなたの仕業なんですか、などとは言わない。どうせ首謀者はメリーアン様では無いのだろうから。私はニッコリと歯を見せて笑いながら言い放った。


「おや、知らないのですか?私は空も飛べるのですよ」


 それを聞いてメリーアン様はへたり込み、周囲の貴公子貴婦人達はブルブルガタガタと震え出した。いや、私はこの時酔っ払っていたからね。それでこんな事を言ってしまったのですけれどね。まさか信じるとは思わないじゃない。


 この日以降、帝都中の王侯貴族にこの日の噂があっという間に広まってしまい、私には「空を飛ぶイリューテシア」なる二つ名が付けられてしまう事になる。いや、飛んでませんよ飛び降りただけだもの。



 まぁ、帝宮での夜会での噂や空を飛ぶという二つ名が広まったおかげで、その後の社交は大変楽になった。


 社交にお招き下さったのは各国の国王や王妃様、次期国王やそのお妃様、その他の王族の方々だった。それが十九人だ。招待客が複合する場合もあり、何度も顔を合わせる方もいた。当然だが帝宮での夜会にいた方も多くて、そういう方から私の噂は広まったようだ。


 帝宮の夜会に出た方は、色んな嫌がらせを正面突破した挙句に空まで飛んで見せた私に完全に一目置いており、お会いした際には震えながら非常に丁寧に私を扱って下さった。そのため、それを見ていた他の王族や有力諸侯の方々もどうやらあれはとんでもない女らしいと考えたようだ。結果、私は帝都の社交界で尊重される存在に成り上がったのだった。


 元々、私を招待してくれた方々は私が皇帝批判を繰り広げた事を知って、その私がどんな人物であるか見極めるために私を社交に招いたらしい。しかしながら私が早々の皇帝陛下の夜会に出席し、皇帝陛下と友好的な関係を築いた事、そしてその夜会で名を轟かせた事である意味安心したようで、普通に友好的に私を扱って下さった。


 イブリア王国に近いスランテル王国の国王陛下、ハナバル様などはイブリア王国前国王のお父様と親しかったそうで(というかお父様のお妃様の兄上に当たる方だそうだ)お父様との思い出を懐かしく語って下さり、娘である私にも好意的に接して下さった。その割には即位してすぐの使節は好意的ながら事務的だったので、これは恐らく私が皇帝陛下との関係を修復した事で好意的になったのだろうと思う。恐らくスランテル王国は皇帝陛下への忠誠が厚い国なのだ。スランテル王国も遊牧民の領域に接しているからね。遊牧民に攻められた時に帝国からの支援が受けられなくなるのは困るのだろう。


 各国の王妃様も私を可愛がってくださった。私がまだ二十歳で、王妃にしては若い事と、帝宮での夜会に出た方々、特に皇帝陛下の娘で社交界の華を自認しているらしいメリーアン様が、私を見ると大人しくなるのが面白がられたようだ。お茶会などで色々良くして下さり、帝都のドレスや宝飾品の流行も教えてもらって、お礼に私は今度イブリア王国で生産する陶器をプレゼントして宣伝しておいた。おかげで翌年に生産を開始した陶器は帝国各地から注文が殺到する事になる。


 そうやって社交をこなして、予定されている最後の社交の日がやって来た。その日の社交の主催者はあの方だ。


 流石に豪華で壮麗なお屋敷の門を潜り、車寄せで馬車を降りると、赤茶色の髪の長身の男性がにこやかに歩み寄って来た。相変わらず嫌味なほどの美形。そしてオーラを振りまいていた。この威圧感が多分、漏れだした金色の竜の力なんだろうね。私も他から見たらこんななのかしら。嫌だなぁ。


「お久しぶりですね。イリューテシア様。再会が叶いまして嬉しく思います」


 いけしゃあしゃあとフェルセルム様が言った。良く言うよ。多分メリーアン様に命じて私に嫌がらせをしてくれたくせに。とは私もおくびにも出さない。ふんわりと微笑んでスカートを広げる。


「こちらこそお会い出来て嬉しいですわ。フェルセルム様」


 社交は所詮化かし合いだ。私とフェルセルム様はうふふふっと笑い合いながら会場へと入った。


 もっとも、フェルセルム様主催の夜会で今更私への嫌がらせがあるわけが無い。私はここまで無難に社交をこなし、他の王国の王家の方々とは良い関係を築き上げている。そこでフェルセルム様が嫌がらせをしでもしたら逆にフェルセルム様の評判が下がってしまう。何しろこの夜会の席に出ている方々もほとんどが王族で、特に若い方々はあの帝宮での夜会に出ていた者達ばかりだ。彼らは私に一目置いているし、あれから色んな席で私が友好的に振舞ったから、今ではすっかり良いお友達ばかりである。私が近寄ると大歓迎して下さったわよ。


 メリーアン様もあれから私が積極的に話し掛けた結果、私に懐いて(彼女の方が年上らしいけど)すっかり良いお友達だ。私が近寄ると嬉しそうに微笑み、兄であるフェルセルム様を見て気まずそうに顔を反らした。


 フェルセルム様としては、帝宮の夜会からここまでで私に嫌がらせをして評判を下げ、ここでの再会で優位を占めたいとの意図があったのではないかと思うのよね。だから帝宮の夜会に出なかったし、別口でこの夜会の招待状を、日程を離して送って来たのだ。それが、私が逆に帝都社交界で名を上げながら来たものだから、予定が完全に狂ってしまった。妹でさえ私の友人になってしまっている。


 おそらくは私に完全優位に立った状態で、自分が皇帝になるのだから私の夫であるクローヴェル様は皇帝になれない事を知らしめようとしたのだと思うのよね。ところが私に友好的な若い王族がこんなに増えてしまっては、クローヴェル様の皇帝即位は兎も角、私が皇妃になる事については後押ししてくれる人はかなり増えていると思う。結果的にクローヴェル様が皇帝になれるのなら私はそれで良いのだ。


 因みに、私はたまに「女王になって女帝を目指せばいい」と言われる事があったのだが、私はそんな事は考えもしなかった。王は男がなるものだし、私はクローヴェル様が王に、皇帝に相応しいと思っているからね。


 夜会は無難に進み、私は席についてフェルセルム様、メリーアン様を含めた皆様と談笑していた。この日はそれほど呑んでいない(私基準では)。そうしてお話ししていると、フェルセルム様がふと仰った。


「イリューテシア様は本がお好きなのでしたね」


 あら、よくご存じですね。って、これまでの社交で誰かに話しましたかね。


「ええ。ですからこの帝都滞在中に一度は帝宮の図書室にお邪魔させて頂こうと思っておりますの」


 お父様曰く、王族なら入れるという事だったからね。私が内心ホクホクしていると、フェルセルム様がニッコリと笑ったまま仰った。


「帝宮の図書室も良いですが、もっと本がある場所があるのですよ」


 え?帝国最大の図書室は帝宮の図書室だと聞いていたのに。それは一体?私は目を輝かせてフェルセルム様を見てしまう。フェルセルム様は目を細めた。


「クーラルガ王国の港町、フーゼンです。フーゼンにはガルダリン皇国やバーデレン帝国、その他色んな国からの貿易品が集まるのですが、その中に本があるのです」


 本は帝国でも作られるが、どうやらガルダリン皇国やバーデレン皇国からの輸入も多いらしい。フーゼンではその輸入された本を写本して増やす産業が盛んで、そのため最新の本が色々揃っているのだとか。何それ凄い。私がはーっと感心していると、フェルセルム様がさり気ない調子で仰った。


「行って見ませんか?フーゼンまで」


 は?クーラルガ王国の港町まで?私は驚き、周囲の者達もびっくりする。メリーアン様も驚いて兄を問い質す。


「何を考えていらっしゃるのですか?お兄様!」


 フェルセルム様は社交的な笑顔を崩さずに、私に言う。


「イリューテシア様には色々ご迷惑をお掛けしましたからね、そのおわびです」


 それはそれは。でも、それだけでは無いのでしょう?私がそういう意図を込めて首を傾げると、フェルセルム様は我が意を得たという感じで頷いた。


「勿論、それだけではありません。ちょっとイリューテシア様の力をお借りしたい事があるのですよ。金色の竜の力をね」


 フェルセルム様はそう言っていつも通りの胡散臭い笑顔を私に向けたのだった。


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