十四話 帝都へ向かう

 私は帝都に向かう事を決意したわけだが、当たり前だがそれはそう簡単な話ではなかった。まず何より周辺の皆様から大反対を受けた。


「帝都に行くと仰いますがね」


 エングウェイ様が額を押さえながら言う。この人は私がやろうとする事には大体反対する。ただ、私が言って聞かない事はもう分かっているらしく、反対しながら諦めている状態だ。


「時間も費用も掛かりますし、王妃様は現地に伝手も無いでしょう?行ってどうするのですか?」


 ごもっともだ。単に帝都に行っても仕方が無い。社交界に出て王侯貴族の間で交流して情報を得なければならない。いくら私がイブリア王国の王妃だからといって、そう簡単に帝都の社交界に受け入られるとは思えない。


「その辺はアルハイン公爵から紹介して貰えればと思いますわ」


 私がしれっと言うと、エングウェイ様は更に頭が痛そうな風情となった。


「もしかして滞在場所も帝都の公爵屋敷をあてにしておられますか?」


「そうですね」


 エングウェイ様は呆れたように首を横に振った。


「あれは公爵家の資産で購入し、維持管理しておるものです。一応言っておきますが、王妃様でも自由に出来るものではありませんよ?」


「私はクローヴェル様の妻ですからアルハイン公爵一族の端くれでしょう?借りる権利はあると思いますわ」


 もちろん私がああ言えばこう言う女だと知っているエングウェイ様はそれ以上反論しなかった。この人も大分分かって来たわね。


 アルハイン公爵は強くは反対しなかったが、出来ればクローヴェル様と行くべきだと主張した。皇帝候補は私ではなくクローヴェル様で、クローヴェル様が帝都に上洛してこそ、皇帝候補に正式に名乗りを上げる事が出来ると。もっとも、クローヴェル様の身体の弱さで帝都まで旅をするのは難しいとも言って、私一人で帝都に行っても意味が無いのではないかと思っているようだった。


 因みに、皇帝陛下がご病気であるという噂は、やはり公爵が確定情報だと思えるようになってから私に上げてくるつもりだったらしい。


「不確定な情報を上げて王妃様がいきなり行動されても困ります」


 と言った。まぁ、それは私が公爵の立場でもそう思うでしょうよ。


 ホーラムル様は安全面から反対した。


「道中も帝都も王妃様の敵ばかりです。非常に危険ですが、他国を通過するのに大軍を伴う訳には参りません」


 帝都へ兵三百以上を入城させる事は禁止されているそうで、たった三百の兵では道中の王国や諸侯が本気を出して私を討とうとした場合に護り切れないと言うのだ。


 確かに危険ではあるが、帝都に向かわなければならない理由は危険を冒す価値のある事だ。私はホーラムル様を説得し、ホーラムル様は渋々選りすぐりの兵を護衛に付けてくれると言った。


 最後の難敵はクローヴェル様だった。クローヴェル様はやはり危ないからと言って強硬に反対した。そして行くのであれば自分も一緒に行くと強く主張した。


 しかしながらクローヴェル様と一緒に行く訳にはいかない。理由はいくつかある。クローヴェル様の虚弱さでは帝都に無事着いても体調を崩す事は確実で、そうなれば私一人で行動する事になるので一人で行っても同じだという事。そしてそんな虚弱さを帝都の者達に見せ付けたら皇帝候補としての評価が下がってしまうという事。


 後、国内的な問題で言うと、私とクローヴェル様が揃って長期に国を空けるのは良くないという事がある。新生イブリア王国の政治体制はまだ固まっているとは言い難い。私達が留守の間にエングウェイ様辺りが蠢動して私達から実権を奪おうと画策する可能性が無いとは言えないのだ。クローヴェル様には国内の抑えに残って欲しい。


 そして万が一道中や襲撃があって私一人が死んでもクローヴェル様が残ればイブリア王国は安泰だというのもある。まぁ、これを言うと確実にクローヴェル様が怒り悲しんで逆効果になるから言わないけどね。私だってクローヴェル様を残して死ぬ気など無い。裸足で逃げ出してでも生き残る所存である。


 私の必死の説得に、クローヴェル様はようやく折れてくれた。彼は私をひしと抱き締めて言った。


「くれぐれも無茶はしないようにして下さい。あなたの身が一番大事なのですからね。王国にとっても私にとっても」


「分かっていますよ」


 私はクローヴェル様の肩に顔を押し付けながら言った。うんうん。良い旦那様だ。今回の帝都行きにはこの夫を皇帝に出来るかどうかの命運が掛かっていると言っても良い。必ず良い成果を得てくるぞ!私はクローヴェル様の温もりを身体に覚え込ませながら気合を入れた。


 そうやって各方面と調整を行い、五台に及ぶ馬車の手配、護衛の手配を行って、私は帝都へと旅立ったのである。


 イブリア王都から帝都に向かうにはまずザクセラン王国に入り、そこからオロックス王国を少し通過して皇帝直轄地に入る。そのため、ザクセラン王国とオロックス王国には事前に通過の連絡をして許可を得ていた。正確に言うと諸侯領もいくつか通過するのだが、そういう諸侯にいきなり許可願いを出すのは諸侯の上にいる王国の面子を潰す事になるので、王国を通して許可を貰うのだ。


 ザクセラン王国からもオロックス王国からも問題無く通過許可は下りた。もちろん、許可を出しておいて後から難癖を付けて私を捕えるとか、攻め殺すという可能性はあるが、私は今回あんまりその心配はしていなかった。両国とも皇帝陛下に忠誠を誓っているとはいえ、今や強大な軍事力を持つイブリア王国の王妃を討って戦争にでもなれば大変な事になる。そんなリスクを冒してまで私を殺すメリットは薄いだろう。


 場合によっては両王国から王都に招待を受ける可能性もあるな、と思っていたくらいだ。しかしそれは無かった。両国とも様子見という事なのだろう。私もあえてザクセラン王国の王都を通過しないルートを選択し、少し急いで帝都へ向かった。


 道中を見た感じでは、北に向かうにつれ小麦畑が減り、だんだんと芋畑と葡萄畑ばかりになるのが分かった。だんだん気候が寒冷になり、土地も痩せてきているのだろう。この分だと帝都周りの皇帝直轄地は広さの割に豊かでは無かろうな、と思った。帝都の北側にあるクーラルガ王国などは広さで言ったら現イブリア王国より大きく豊かだと聞いたが、それは海を押さえている事により海上貿易を独占しているからで、農業生産力的にはイブリア王国の方が上なのだとか。なるほど。アルハイン公爵が危険視されるわけだわね。


 そうして馬車でガラガラ揺られながら進む事七日。私は帝国の輝ける都に到着した。


 はー?最初に帝都の内部を見た感想はちょっと、信じられないようなモノを見た、というものだった。いや、あり得ないくらい栄えている町だった。


 イブリア王国の旧都は人口一万人。新王都が十万人。それに対して帝都はなんと百万人も住んでいるのだとか。ちょっと何言っているのか分からないわよね。まず百万人いう人数の想像が付かない。


 巨大な城門を潜ると既に空はもうほとんど見えない。石畳で舗装されている街路の両側には五階建てから七階建ての建物がぎっしりと並び、煙突からもくもくと煙を吐いている。街路を行きかう馬車と荷車と人の多いこと多いこと。王族の馬車であるから私達の馬車が進めば皆避けるのだが、スペースが無いため避け切らずに滞留してしまう事もよくあって、私達の馬車はしばしば停車を余儀なくされた。門を入ってからはしばらく下町を進むのだが、まぁ、汚いし臭いしで凄い有様だった。よくこんな所に人が住んでいるわね。


 市域も広大であるらしく、入城してから貴族街に入るまでには数時間掛かった。その間中周囲から人混みが消える事は無く、建物は延々とびっしりと両側に立ち並んでいた。なんというか、凄いな。本当に。


 貴族街は鉄柵で囲まれた向こうにあった。貴族街は流石に邸宅が立ち並んでいて緑も多く、落ち着いた雰囲気の街となった。静かにもなって街中の騒音に耳が痛くなる思いだった私はずいぶんとホッとした。私は田舎育ちなのよ!ああいうゴミゴミした雰囲気はやはり馴染まない。


 馬車はしばらく進み、一軒の邸宅に入った。アルハイン公爵所有の帝都屋敷である。


 実はイブリア王国もお父様が帝都に毎年通っていた時代には帝都に邸宅を保有していたらしい。その頃はお父様は一年の内の半分は帝都に滞在していたのだとか。何でも他の王族出身のお妃様が帝都に住みたがったからだそうで、そんな無茶をしたせいで王国の財政はかなり困った事になっていたのだそうだ。お妃様が死んでお父様が帝都に行かなくなってからそのお屋敷は売ってしまったので、今はもう無い。


 アルハイン公爵のお屋敷は緑豊かな庭園に囲まれたかなり豪華なお屋敷だった。流石に財政潤沢なアルハイン公爵家。アルハイン公爵家はイブリア王家に王都と宋主権は引き渡したが、公爵家伝来の領地はそのまま保有していたし、溜め込んだ財産もある。恐らくは今のイブリア王家よりもよほど金持ちだ。イブリア王家も王都周りの直轄領を返されているし、山間部の領地はそのまま保有しているから、昔に比べれば物凄くお金持ちにはなっているけれども。


 馬車を降りて公爵屋敷に入ると、公爵家の家臣が出迎えてくれた。流石に草臥れた私はホッと一息吐く。今日はそのままお部屋に入ってお風呂に入って休み、明日から活動方針を考えよう。と、思っていたのだが。お屋敷の執事が私に言った。


「王妃様に色々な方からお手紙が届いております。その、お疲れの所を申し訳ありませんが、至急確認をして頂きたく存じます」


 本当に申し訳なさそうな顔で言われた。どうやら余程急ぎの返事がいる書簡らしい。私は仕方無く、お部屋に入るとその書簡を持って来させた。


 その数二十通。机の上に積まれた書簡の山を見て私は目を瞬かせた。なにこれ。一通を手に取って見ると、それは何と皇帝陛下からの書簡だった。はー!?どういう事?他の書簡の差出人を慌てて確認すると、それらは全て王国の国王や王族からの手紙である事が分かった。フェルセルム様の名前もあったわよ。なるほど。執事が疲れている私に大至急の確認を求める訳だ。


 私は一通一通封蝋をナイフで剥がして中身を確認して行く。内容は全て同じだった。招待状だ。夜会、昼食会、晩餐会、お茶会などの社交に私を招待したいという打診の書状だ。・・・アルハイン公爵家の紹介なんていらなかったわね。特に大問題だったのは、最初に見た皇帝陛下からの帝宮で行われる夜会への招待状だった。しかも大々的な夜会ではなく、私的な夜会に招待したいとの事。


 参ったわね。私は唸った。皇帝陛下にいきなりご招待を受けるとは流石に思っていなかった。皇帝陛下がご病気だというのは嘘だったのかしら。


 それにしても、まさか断る訳にはいかないわよね。他の方々も全て王族だ。断れない。着いて初日に重要社交の予定がぎっしり詰まってしまった。私は慌てて予定を確認しながら、皇帝陛下のご招待を最優先として他の方へもご招待に応じる旨返信を書いた。二十通も書いたから夜中まで掛かったわよね。


 翌日に使者に持たせて返信すると、即座に社交の日時を指定した使者がやってきた。それに対して了承の返事を書かなければならないからこれもかなり大変だった。返事を書いてやれやれ、と安心している場合では無い。皇帝陛下主催の夜会に出る日は何と三日後だ。即座に準備を始めなければ間に合わない。


 ドレスや宝飾品は王都から運んできてはいたが、まさか帝宮に上がる事は想定していなかったので、恐らく格が足りないと思われた。慌てて公爵家と懇意の仕立て屋や宝石商を呼ぶ。ドレスは一から仕立てたらとても間に合わないので、手持ちのドレスを格に合うようにリメイクしてもらう事にした。宝石はネックレスを一つ購入した。恐ろしいお値段がしたが、帝宮に上がるにはそれくらいの宝石を一つくらい着けて行かなければ失礼にすらなるらしい。


 それから私はポーラや公爵邸の侍女に協力してもらってお作法とダンスの復習をした。イブリア王国の王都でも社交には出ているが、長い間に帝都とは若干違いが出てしまっている部分があるそうだ。そこを帝都風に直す。私が子供の頃から教わったのはそもそもが帝都風なので、違う部分を指摘してもらって戻すだけで済んだ。


 後は手土産だが、一応社交に出る事は想定して王都から手土産に仕える品は色々持って来てはいた。が、流石に帝宮に持ち込み皇帝陛下に献上する品に相応しいものは持って来ていない。私は考えた末、イブリア王国旧都から先日送られてきた、試作の陶器を献上品に選んだ。磁器では無いが、質の良い陶器が出来て来ていた。来年からは生産数を増やして輸出する予定なのだ。皇帝陛下に献上すれば絶好の宣伝になるし、新産業の試作品なので品としての格は無視出来る。


 そうやって準備を整えて、私は帝宮の夜会へ向かったのだった。



 貴族街の奥にごく低い城壁があり、門を潜った先が帝宮だった。・・・もう驚くのも面倒くさい。昔、今住んでいる王宮を見た時も呆れ果てた記憶があるけど、帝宮は王宮と比較にならない程の規模を誇っていた。何倍くらい大きいとかパッと見では分からない。イブリア王国の旧王都は多分帝宮の範囲内にすっぽり収まってしまうわね。


 高い尖塔が夕日に輝き白壁と青い屋根は鮮やかで、そこここが金で装飾されている様はまるで物語に出てくる幻想の国のようだった。広大な車寄せで馬車を降り、静々とエントランスに入る。そこにとんでもない人物が待っていた。


「ようこそ。イリューテシア王妃」


 そう言って出迎えてくれたのは長身の中年の男性だった。赤茶色の髪でグレーの瞳。豪奢だがシンプルで趣味良いスーツを着ている。・・・既視感を覚えるわね。なんか見た事がある。でも誰なんだろうねこの人。


 と思ったのだが、私の斜め後ろに控えていた侍女のポーラがガタガタと震え出した。そして小声で言った。


「皇帝陛下です!」


 なんですと!?私は男性を二度見した。にこやかに笑う男性。勿論初対面だが、私はこの人の息子に会ったことがあるのだ。フェルセルム様。彼はこのお方の息子さんである。それが既視感の正体だろう。そう思って見ればあちこちに面影がある。


 それにしても皇帝陛下自らのお出迎えとは。私は驚き呆れながらも彼の数歩前にまで近付き、すっと跪いた。他人の前に跪くのは久しぶりだ。子供の頃にお父様に跪いてご挨拶をした事を思い出しながら、挨拶の口上を述べる。


「大女神アイバーリンの代理人にして七つ首の竜を束ねる者であり、大陸の守護者にして帝国の輝ける都の主人である皇帝陛下にご挨拶を申し上げます。ご機嫌麗しゅう」


 皇帝陛下。ファランス三世陛下はにこやかに頷かれた。


「イブリア王国王妃、イリューテシア殿。よくぞ参られた。お顔をお上げください」


 皇帝陛下は物凄く丁寧な口調で仰った。なんというか、威圧感が全く無い。私は立ち上がり、じっと皇帝陛下を観察した。


 表情は貴族らしい作り笑顔で全く読めない。この辺は流石よね。フェルセルム様が少し動揺すると仮面が剥がれたけど、皇帝陛下のそれはちょっとやそっとじゃ崩れなそうだ。立ち姿、歩く姿にはおかしい部分は無い。ご病気だと聞いたけどどうやら重大な病気、少なくとも今日明日にどうにかなる病気では無かったのだろう。


 皇帝陛下と並んで歩き、夜会の会場へと向かう。恐らくは異例の事なのだろう。ポーラ以下私の随員は顔から汗をダラダラ流し、皇帝陛下の周囲の者も驚愕を隠し切れていない者が多数いた。どういう意図があるのだろうか。だが、皇帝陛下は楽な調子で私と雑談に興じている。


「イブリア王国の旧領復帰に際し、祝賀が遅れて申し訳無かった」


「いえ。恐縮でございます。逆にお叱りを受けるのではないかと危惧しておりましたわ」


「いや、公爵が力を持ち過ぎるのは良くない。竜首の王国が上に立ってくれるのであればそれが一番であろう」


 どうやら本気でそう思っている口ぶりだ。確かに公爵は諸侯であり、諸侯の力が王国の力をしのげば帝国の権威の順番としては良く無い。帝国は基本的には七王国の連合だ。王国の王は皇帝に選ばれる可能性がある。そのため、王国がどれほど勢力を伸ばして拡大しても、帝国自体から離脱独立してしまう懸念はほぼ無い。ところが諸侯は皇帝になれないから、王国を上回る権勢を持ってしまえば独立を企むようになってしまう。アルハイン公爵が危険視されたのはそのためだ。


「イブリア王国がしっかり帝国の南を護ってくれれば帝国は安泰だ。イブリア王家には帝国の盾のお役目を全うしてもらいたい。そのための支援は惜しまぬよ」


 アルハイン公国の援軍要請を断った事を言っているのだろう。公爵からの要請は断ったが、イブリア王国からの要請なら断らないと言っているのだ。どうやら私が演説で援軍を出さなかった事を責めた事への回答らしい。やはり私の皇帝批判は帝都にしっかり届いているようだ。


 私は皇帝陛下のエスコートを受けながら夜会の会場に入場した。途端、会場中がかなりの音量でどよめいた。この調子だと異例も異例、あり得ないくらいの異例な事態なのだろう。私も皇帝陛下も既婚者同士で、私が夫を伴っていないので皇帝陛下が一瞬だけ代理を勤めて下さった訳だが、格上の皇帝陛下が王国の王妃のエスコートをするなんて前代未聞の事なのだと思う。


 この夜会自体が私が帝都に来たことを歓迎するための夜会で、そもそもそんな夜会が開かれる事自体が前代未聞の事であったとは後で知った。


 皇帝陛下は上機嫌で私を会場の皆さまに紹介し、私はスカートを広げてご挨拶をする。そしてそのまま皇帝陛下のお席のすぐ横に設えられた席に案内された。主賓の席だ。皇帝陛下の左隣には皇妃様の席があり、そこには金髪で緑色の瞳が印象的な美人が座っていた。皇妃ローランツェ様。彼女も友好的なニコニコした笑顔で挨拶をしてくれた。


 何というか、ここまでは皇帝陛下も皇妃様も友好的過ぎて怖いくらいだ。好感度が高過ぎる。私は少なからず皇帝陛下を批判し、次代の皇帝陛下にクローヴェル様を高らかに推した筈だ。皇帝陛下としたら気に入らないだろうし、息子であるフェルセルム様を皇帝にしたいのなら、私を排斥する構えでもおかしくないと思うのだが。


 そういえば。私は気が付いた。フェルセルム様がいない。クーラルガ王国第一皇子であり皇帝陛下のご長男であるのだから、皇帝陛下主催の夜会には居てもおかしくは無い筈。そういえばフェルセルム様からの招待状は別口で届いていたわね。


「そういえば、大分前の話になるが、其方の結婚式に際してはフェルセルムが失礼したね」


 丁度フェルセルム様の事を考えていたので思わず肩がびくっと反応してしまった。


「結婚式に出席しに行ったのに、イリューテシア殿に求婚した挙句に断られた腹いせに出席しないで帰ってしまったと聞いている。ちゃんと叱っておいたので許して欲しい」


「いえ。もう済んだ事ですから。気にしてはおりません。陛下が謝罪なさる様な事でも無いと思いますし」


 おかげで結婚式が延び延びになって大変だったし、その後も色々大変だった事は陛下の謝罪に免じて水に流すとしましょうか。あっちがどう思っているかは分からないけど。


「されど、金色の竜の力が其方に発現したという話は当時帝都でも話題になったからな。その力を山奥に留めておくのは惜しいと誰もが思ったのだ。フェルセルムはその思いが強過ぎたのであろうよ。あれはやはり力の持ち主だからな」


 皇帝陛下は真剣なお顔で仰った。


「イリューテシア殿は金色の竜の力がどのような力だか知っておるのか?」


「戦いの際に味方の能力と士気を上げる力だと伺っております」


「ふむ。それでも間違いでは無いが、正確にはそれだけではない。力の持ち主は力を使わなくても周囲に影響を与えるものなのだ。その言葉に説得力を与え、臣下や民衆に強い影響を与え、率い、導く力を持つ。正に王の力。それが金色の竜の力なのだ」


 どうやら力の持ち主は物凄いカリスマ性を持つようになるものらしい。


「戦いの際の力だけに限っても、数千の軍が数万の軍と同等の力を得ることが出来るのだ。ガルダリン皇国や遊牧民、海賊国家との戦いが増えている現状では金色の竜の力の持ち主は一人でも多く欲しい。今はフェルセルム一人しか使い手がおらぬ。イリューテシア殿が加われば助かると思ったのだろうな」


 どうやらフェルセルム様は一人で帝都周辺の戦いで金色の竜の力を使って、帝国の軍事力を支えているらしい。それは大変だろう。私が帝都に来てくれれば楽になると思ったようだ。単なる横恋慕ではなかったのか。


 ただ、皇帝陛下曰く、イブリア王国が旧領復帰した現状では、金色の竜の力がイブリア王国にあるのは大きな意味を持っているので、私はイブリア王国で帝国を支えて欲しいと仰った。ただ・・・。


「クローヴェル王が皇帝を目指すのは自由で、皇帝になった暁には妃であるイリューテシア殿が帝都に住まうのは当然の事だ」


 なんと皇帝陛下はクローヴェル様が皇帝になる事は問題無いと仰った。どうやらどうしてもフェルセルム様を後継者にしたい訳では無さそうだ。七つ首の竜の王国の国王から公平に皇帝が選ばれるのが大事なのだ、とも仰った。そうしないと王国同士の結束が崩れるから。帝国の維持には王国同士の結束が大事なのだそうだ。


 何ともイブリア王国で考えていたのとまるで違う現状に、私は意外な思いを禁じ得なかった。やっぱり帝都に来ないと、皇帝陛下に直接会って見ないと分からない事はたくさんあるものだわね・・・。


 そこで私はようやく気が付いた。私は慎重に言葉を選んで言った。


「そう言えば、皇帝陛下。ご病気の噂はどこから流れたのでしょうかね?」


 皇帝陛下は笑顔を変えないまま首を傾げた。


「何の事かな?」


 ・・・やられた。そうか、そういう事か。


 つまり、皇帝陛下のご病気は、私を帝都に呼び寄せるための嘘だったのだ。


 クローヴェル様を皇帝に推そうという私にとって、代替わりに繋がるかもしれない皇帝陛下のご病気は聞き逃せない重大情報だ。それが不確定なあやふやな状態で耳に入ったら、皇帝陛下は私が必ず確認のために帝都にやって来ると踏んだのだろう。サンデル伯爵の出る社交で重点的に噂を流したのに違いない。


 そんな策を弄してまで私を帝都に呼びたかったのは何故か。イブリア王国との関係を修復したかったからに違いない。皇帝陛下はアルハイン公爵の力は削ぎたかったが、イブリア王国が王家の元にあるなら力を持っていても構わないのだ。皇帝陛下との関係が良ければだが。皇帝批判を繰り広げ、クローヴェル様を皇帝にすると息巻く私を放置すると、イブリア王国は皇帝陛下と遠いと思われて他の王国との関係に支障が出たり、場合によってはガルダリン皇国から懐柔を受けたりしかねないと考えたのだろう。王国同士の結束の乱れは帝国を瓦解させかねない。


 そのため、私を帝都に呼び寄せて、あり得ない程の厚遇をしてイブリア王家は皇帝陛下との関係が親密であるとアピールする。そうすれば他の王国とイブリア王国の関係は自然に良くなるし、帝国としての結束をアピール出来る。イブリア王家、私としてもクローヴェル様を皇帝にする事に皇帝陛下が異議を唱えないのであれば、皇帝陛下に楯突く理由は無いのだ。


 ただ、当初考えていた、クローヴェル様を現在の皇帝陛下へ不満を抱いている者達の受け皿にし、支持を集めるという構想に、皇帝陛下との関係修復にはマイナスになってしまう。恐らく皇帝陛下はそこまで考えて私をここまで厚遇して見せたのだろう。フェルセルム様の横恋慕についての謝罪までして。そうまでされれば私だって皇帝陛下に好意的にならざるを得ないからね。


 なんとも、意外にというべきか、やはりというべきか。いや、流石は皇帝陛下だわ。私は正直感服していた。崩れない皇帝陛下の作り笑顔がだんだん不気味なものにさえ覚えて来て私は背中がゾクゾクした。


 この海千山千百戦錬磨な皇帝陛下に権謀術数で勝てないようでは、クローヴェル様を皇帝に押し上げる事などとても出来まい。私はにこやかに談笑を続けながら、内心で闘志を燃やしていた。


 望むところだ。どんな敵が立ち塞がろうが、どんな障害があろうが、私は諦めない。必ずクローヴェル様を皇帝にして見せるんだからね!


 

 

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