十三話 他国との交渉

 帝国の七つ首の竜とは言うまでも無く七つの王国を意味する。古に女神と竜の間に生まれた七人の子供が王国を建てたとも言われているが、当然嘘よね。帝国の歴史は精々数百年。女神がおわした古は何万年の昔だと聞くもの。


 七つの王国にはそれぞれ旗と象徴が定められている。


 イブリア王国には水色の旗と盾。


 クーラルガ王国には黄色の旗と槍。


 オロックス王国には赤い旗と杖。


 クセイノン王国には黒い旗と剣。


 ロンバルラン王国には緑色の旗とマント。


 スランテル王国には紫色の旗とネックレス。


 ザクセラン王国には桃色の旗とペン。


 それぞれ大事に受け継いで、王家が断絶しても他の王家から養子が行ったり、傍系が継いだりして連綿と続いている。だから今や王国と王家の名前が一致するのはクーラルガ王国だけだ。恐らくその過程で血が薄くなってしまって、金色の竜の力は失われてしまったんじゃないかしら。その割に私は養女なのに発現したのよね。うーん。分からないわねぇ。


 とりあえずそれは兎も角として、新生イブリア王国は、帝国の南端をその領域とする事となった。帝国の領域は時代によっても変動があるけど、現在の領域範囲だと南の端の五分の一くらいの領域を横一文字に切り取ったような状態だ。結構広いように感じるが、これには旧イブリア王国があった山地が相当な割合で含まれているからね。


 ただ、帝国の東の遊牧民との国境、西のガルダリン皇国の両方と国境を接している王国はイブリア王国だけで、帝国の安全保障上非常に重要性が高い位置にあると言える。その重要な地に封じられたのだから、イブリア王国は帝国創建当時には重要視されていたのだろう。何しろ盾だ。外敵から帝国を護る役目だ。


 その王国の北側には二つの王国が国境を接している。正確にはいくつか諸侯領を間に挟むが、どこもイブリア王国か二つの王国の麾下にあるから、接していると言い切っても間違いでは無いだろう。


 西側にザクセラン王国。東側にスランテル王国だ。両国との関係はアルハイン公国時代には「良好と言えば良好」だったそうだ。紛争などの危険性が極めて少なかったという意味では。


 だが、両王国とも格下である公国に対して色々な無理難題を押し付けて来ていて、それに耐え切れずに公国がイブリア王国に領地を返上して併合されたのだ。それは良好と言えるのかしらね?


 そして両王国とも現在の皇帝陛下との関係は悪く無いという。ただ、それを言ったらお父様も皇帝陛下と仲は良かったみたいだけど。皇帝陛下にどの程度服従する姿勢なのかで今後のこちらの対応も変わって来る。故に私がやらかした皇帝批判に対してどういう反応が返って来るか気にはなっていた。


 スランテル王国はあれから半月後、普通に使節を送って来た。イブリア王国の旧領復帰とクローヴェル様の即位を如才なく祝賀し、いくつかの贈り物をくれて、和やかに帰って行った。それを見てアルハイン公爵とエングウェイ様はあからさまにホッとしていたわね。


 対して、ザクセラン王国はやや遅く一カ月後くらいに王都に使節を送って来た。クローヴェル様と謁見に臨んだ私はギョッとした。五人の使節団の先頭中央にいる大男が、全身鎧に身を包んでいたからだ。


 階の下に控えているアルハイン公爵一族も驚いていたけど、ちょっと驚きの種類が違うようだった。特にホーラムル様がずいぶん驚いた顔で言った。


「ザーカルト様ではごさいませんか!」


 全身鎧に身を包んだ赤髪の偉丈夫は、ホーラムル様を見てニヤリと笑うと、跪く事無くクローヴェル様を見上げながら大音声で言った。


「ザクセラン王国王子、ザーカルト・カルマリン!イブリア王国の新国王即位の祝賀にまかり越した!」


 なんとまぁ。私も流石に目を丸くした。ザーカルト様と言えば、ザクセラン王国の第三王子の筈。まさか王子が来るとは思わなかった。一体どういう思惑があるのやら。


 しかし、ザーカルト様は挑むようにクローヴェル様を睨み上げていたが、すぐに失望したように顔を歪めた。


「なんだ。覇気の無いお方だな。其方が王になった方が良かったのではないか?ホーラムル」


 私は即座に席から立ち上がって叫んだ。


「無礼者!」


 ザーカルト王子が目を丸くする。私は階の上から指を突き付けて言った。


「其方が王子だろうが王国の国王の方が上位です!控えなさい!そして謝罪しなさい!さもなくば其方の所業はザクセラン王国からの宣戦布告と見做します!」


 慌てたのはアルハイン公爵とエングウェイ様だ。


「王妃様!それは!」


「ザーカルト王子は・・・」


「黙りなさい!貴方たちには聞いていません!」


 ザーカルト王子は目を丸くしたまま私とアルハイン公爵を交互に見ていたが、やがて顔を面白そうに緩め、終いには声を上げて笑い出した。


「失敬失敬。確かにその通りだ。謝罪しよう。御無礼の段許されよ。王妃様」


 そして鋭い目付きでいながら面白そうに口を緩めながら言う。


「しかし、謝罪はしても臆したわけではないぞ。このザーカルト、アルハイン、いや、イブリア王国と戦になろうとも引きはせぬ」


 私は胸を張って放言した。


「その時はこの私が陣頭に立ち、其方と対峙するとしましょう」


 私の言葉に、ザーカルト王子はまた哄笑した。


「いや、失敬。なるほど貴方が噂のじゃじゃ馬姫、イブリア王国の戦女神か。所詮噂だろうと思っていたが、なかなかどうして・・・」


 ついに隣国の王子からまで二つ名で呼ばれたわよ。どういう話の広がり方をしているのやら。


 謁見の間からホールに場所を移して、ザーカルト様の歓迎の宴が開かれた。立食パーティであまり畏まっていない。王子が来るとは聞いていなかったからだ。ザーカルト王子は気にした様子も無く、鎧を脱いで紺色のコートと白いズボン姿だ。ザクセランの象徴色の桃色のタイを首に巻いている。


 クローヴェル様は深緑色のコートでやはり我が王国の象徴色の水色のタイ。私は急遽薄桃色のドレスを選択した。ザクセラン王国に敬意を払う意味で。


 ザーカルト王子は私を見ると目を細めた。


「おう。こうして見ると美しい女性ではないか。性格が惜しいな」


 あら、意外に女性が褒められるタイプなのかしら。一言余計ですけど。


 続けてザーカルト様は改めてクローヴェル様をジッと見つめていた。クローヴェル様の方が背が低い。見下ろされる形になる、だが、クローヴェル様は臆する事無く微笑んだままザーカルト様を見上げている。後で知ったが二十歳のクローヴェル様に対し、ザーカルト様は二十七歳と年上だ。


「・・・国王陛下、貴方は皇帝を目指していると聞きましたが、本当ですか?」


 ザーカルト様は唸るような低い声で言った。クローヴェル様は躊躇無く頷いた。


「ええ。そうですよ。次の皇帝は私がなります」


 ザーカルト様はそれを聞いて少し顔を怖くしたが、クローヴェル様の微笑みには一つの陰も差さない。柔らかに笑っている。


「・・・前言を撤回しよう。良い覇気をお持ちだ」


 ザーカルト様は言ってニヤッと笑った。


 それからは普通に雑談となった。ザーカルト様は三男だけに後継の目は無く、騎士の道に進み、軍事でザクセラン王国に貢献するつもりなのだという。アルハイン公国にも何回も視察に来たことがあるそうで、それでホーラムル様と旧知なのだ。


 後でホーラムル様に聞いたけど、非常に強い騎士で、ホーラムル様とほぼ互角の武勇なのだとか。軍の指揮能力も高く、ガルダリン皇国との戦で何度も勝利した英雄なのだとか。それは凄い。


 そのため国内でも人気が高く、軍に関わりの深い諸侯からはザーカルト様を次期国王に推す動きもあるらしい。ほうほう。


 ザーカルト様は気持ちの良い性格で、打ち解ければクローヴェル様とも楽しげに会話を楽しんでいた。同じ武人タイプでもホーラムル様より所作が丁寧で、その辺は流石に王子様だな、と思った。


 クローヴェル様は疲れてしまい、先に引き上げたが私は残り、お酒を呑みながらザーカルト様と話を続けていた。宴はもうすぐお開きという時間だから、私もザーカルト様も既に相当呑んでいて、二人とも顔が赤い。


「アルハイン、いや、イブリア王国の強さは馬なのだ!」


 ザーカルト様は悔しそうに仰った。


「遊牧民と取り引きして、名馬を揃えられるからな!ズルいではないか!」


「ズルいと言われましても、別にザクセラン王国でも購入すれば良いではありませんか」


「伝手が無いのですよ。王妃様。アルハイン公爵一族は遊牧民に同盟者がいるから買えるのです。そんな伝手は一朝一夕では出来ません!」


 なるほど。イカナの戦いで随分と遊牧民の動きが分かるのだな、と思っていたのだけれど、遊牧民の中に同盟者がいたのか。


「良い馬は本当に貴重なのですよ。良い馬さえ揃えられれば、我が国の軍ももっと強くなるのだがなぁ!」


 ザーカルト様はボヤいた。どうも良い馬を買いたいのだが、ザクセラン王国からの許可が下りないらしい。ザクセラン王国はあまり軍の強化には熱心ではなく、軍を預かるザーカルト様にはそれが不満らしい。まぁ、ザクセラン王国の象徴はペンだしね。これは内政を意味する。


 私はザーカルト様にドンドン呑ませ、自分でも呑みながら話を続ける。


「軍の強化がしたいのは、やはりガルダリン皇国と対決するためですか?」


「そうです!ガルダリンの奴らは弱い所に噛み付く狼みたいな奴らなのだ!逆に言えば強い所には攻めて来ない。実際、アルハインには来ぬではないか!ザクセラン王国は舐められておる!それが悔しくてならぬ!」


 ザーカルト様はそう吠えると顔をテーブルに突っ伏した。大分酔ったようだ。私は何食わぬ顔でサラッと言った。


「ならば、貴方が王になり、ザクセラン王国を変えれば良いではありませんか。ザーカルト王子」


 すると、ザーカルト様はピタリと動きを止めた。そして、ムクっと身体を起こすと酔いが飛んだような据わった目付きで私をにらみつけた。


「失礼な事を言わないで頂きたい。イリューテシア様。私は国王陛下に忠誠を誓う者。そして王太子殿下に忠誠を誓う者です。その忠誠を疑われるのは心外です」


「あら。それはご無礼を致しました」


 私は微笑んで謝罪したが、ザーカルト様は厳しい顔を崩さない。


「不愉快だ。失礼する」


 と言い残して、席を立ち、慌てる随員を引き連れて会場を出て行ってしまった。ホーラムル様やエングウェイ様が青い顔で私を詰問する。


「な、何をしでかしたのですか!王妃様!」


「ザーカルト様を怒らせるなど!ザクセラン王国を敵に回すおつもりですか!」


 私はグラスに残っていた蒸留酒をクイッと飲み干して、フフフっと笑った。


「酒席のじゃれ合いですよ。ザーカルト様も私も大分呑みましたからね。明日には忘れているでしょう」


 私も会場をでて王宮に戻る。居間に入ると、クローヴェル様がソファーに座り、本を読んでいた。


「あらあら。お先にお休みになって下さっていても良かったのに」


「貴方が帰ってくるのを待っていたのですよ」


「あらあら。もしかして、私が浮気をしているんではないか、と心配して待っていらしたのですか?」


 するとクローヴェル様は少し唇を尖らせた。


「そんな心配はしていませんよ。・・・少ししか」


 あらあら。私は嬉しくなってクローヴェル様に抱き付いた。


「少しは心配して下さったのですね!ありがとうございます。大丈夫ですよ!私はクローヴェル様一筋ですから」


「お酒臭いですよ。リュー。貴方はこっちに来てからお酒の呑み過ぎです。それで?ザーカルト様は私達の役に立ってくれそうなのですか?」


 あらあら。一言もそんな事言っていないのに。この人は本当に油断ならないわ。流石私の旦那様。私はうふふっと笑って言った。


「どうでしょうね。かなりお国に不満は溜め込んでいそうだけど。あれはでも、ザクセラン王国からも相当警戒されていますわね」


 酔っ払った上での戯れ言でも処分されかねないくらいにね。


「あからさまに唆すのは逆効果、ですか。どう煽るつもりですか?リュー」


「『フェルナンド王の伝説』で行こうと思います」


 クローヴェル様は少し考え、ああ、と頷いた。私達は二人で同じ本を読んでいるからこれで通じる。


「面白いですね。やってみて下さい」


 理解のある旦那様で良かったわ。私はクローヴェル様のくすんだ金髪にグリグリと頬摺りした。


 二日後、ザーカルト様がお帰りになる事になり、クローヴェル様と私、後ホーラムル様とエングウェイ様がお見送りする事になった。


 王宮の門で対面したザーカルト様は表情が未だに固かった。本気なのか演技なのかは知らないけどね。私は一切気にせずザーカルト様に話し掛けた。


「是非またおいで下さいませね。ザーカルト様」


 ザーカルト様はムスッとして黙っている。私はニコニコと笑いながら、ホーラムル様をチラッと見る。ホーラムル様は頷くと、後ろを向いて合図をした。


 すると馬丁が馬を十頭ほど引き連れて進み出て来た。ザーカルト様が目を丸くする。私はにこやかな顔を意識しながら言った。


「王宮で飼っている名馬ですわ。友好の証に差し上げましょう。ザーカルト様に」


 ザーカルト様は驚愕も露わに叫んだ。


「き、気は確かなのですか!これほどの名馬をこんなに?売れば城が建ちますぞ!」


 私はおほほほっと笑う。


「ザーカルト様との友好にはそれくらいの価値があると思えばこそですわ」


 ザーカルト様は物凄く怖い顔で私を睨んでいる。私は知らん顔で視線を受け流す。


「お国に献上するも良し、ご自分で使われても良し。ザーカルト様にお任せ致しますわ。私はザーカルト様に贈るのですから」


 ザーカルト様は唸るように言った。


「・・・貴方は、恐ろしい人だ。イリューテシア様」


 そうでしょうかね?歴史上の故事である、フェルナンド王の伝説からのパクりなんですけどね。これ。


 古の王国の伝説的な王、フェルナンド王はある時、手強い敵国に手を焼いていた。そこでフェルナンド王はその敵国の将軍に、一方的に豪華な贈り物を送りつけたのだ。


 将軍は困惑したが欲望に負け、贈り物を受け取ってしまった。すると敵国の王はフェルナンド王からの贈り物を受け取った将軍を疑うようになる。国内に不協和音を生じた敵国はフェルナンド王の侵攻に一致して対処出来なくなり、滅ぼされたのだった。


 あれほど名馬を欲していたザーカルト様だ。喉から手が出るほどこの馬が欲しいだろう。馬は繁殖させられるし、自分たちの馬を改良するのにも使えるからね。十頭もいれば何年か後には自国の馬をすっかり良くする事も出来るだろう。


 しかしながら、この馬を受け取るとザーカルト様は私達と強固な、強固過ぎる結び付きを作ってしまう事になる。少なくとも周囲からはそう見える。その事自体はザクセラン王国がイブリア王国とが友好関係である限りは問題にならないし、望ましい事ですらある、のだが。


 ザーカルト様がザクセラン王国の国王や次期国王から危険視されていた場合、ザーカルト様とイブリア王国の個人的結び付きは果たしてどう思われるか。まぁ、国王や次期国王は警戒心を高めるだろうね。


 ただ、ザーカルト様は既にかなり警戒されているようだし、馬匹改良はザクセラン王国の国益にも叶う。これ以上警戒されても今更だとザーカルト様が思い、名馬を手に入れるのは国益にも叶うのだから構うまい。と、ザーカルト様が思ってくれればしめたものだ。


 実際、ザーカルト様は沈思黙考の末、慎重な口調で仰った。


「・・・受け取った後、私が国王陛下に献上しても構わないのですな?」


「どうぞどうぞ。ザーカルト様のお立場なら当然の選択でしょう」


 ザーカルト様はまた考え込んだが、やがてしっかり頷いた。


「分かりました。有り難く頂戴致します」


 私は思わずニンマリと歯を見せて笑ってしまった。


「喜んで頂けて嬉しいですわ。ザーカルト様。末永くよしなに」


 そうして、ザーカルト様は名馬を引いて帰って行った。エングウェイ様が呆れたように言った。


「本当によろしかったのですか?王妃様。あれほどの名馬をタダでくれてやるなど、いくら何でも大盤振る舞い過ぎでは?」


 ホーラムル様も不満そうだ。


「左様。ザーカルト様が名馬を手に入れたらザクセラン王国が強くなって手に負えなくなるかも知れません」


 私は知らん顔で笑っていた。


「ザーカルト様には失礼な事を言ってしまいましたしね。それにザクセラン王国が強くなるのは良い事です」


 二人は私の楽天的な意見に呆れた顔をしていたが、クローヴェル様は苦笑していた。クローヴェル様には私の悪辣さがバレているのだろう。


 あの名馬のプレゼントにはもう少し意味があるのだ。


 まず、馬匹改良には設備と時間が必要で、それには投資が必要だという事がある。ザーカルト様は喜び勇んで連れ帰った名馬を繁殖させる許可を国王に求めるだろうが、果たして名馬の購入に首を縦に振らなかった国王が、ザーカルト様にその許可を出すかしらね。あの口振りではザクセラン王国は軍事力強化に理解が無さそうだった。それでザーカルト様が王国に更なる不満を抱く事が期待出来る。


 更に馬が十頭というのにも意味がある。ザーカルト様は十頭全部を国王に献上するだろうか?これが一頭や二頭ならするだろう。しかし十頭なら、一頭二頭は自分が取っても良いのではないかと考えると思う。馬乗りなら名馬を所有し乗り回す事への誘惑を断ち切る事は難しいと思うからね。しかし、国王としたら全てを献上せず、自分で良い馬を取ったザーカルト様に不快感を覚えるのではないだろうか。


 それだけではない。今回のザーカルト様の訪問には恐らく、ザクセラン王国の思惑がある。わざわざ有能な将軍であり王族であるザーカルト様を寄越したのには、皇帝陛下への反抗心を露わにし、次期皇帝への野心を明らかにしたイブリア王国を威圧する意味があったと思う。だから最初にザーカルト様は鎧姿だったし、クローヴェル様を侮辱するような事をしたのだ。


 その威圧に行った使節のザーカルト様が、名馬を贈られて上機嫌で帰国したらどうか。ザーカルト様はイブリア王国に懐柔されたと周囲は見るだろう。ザクセラン王国としたら、現皇帝陛下への忠誠を示す意味合いで送った使節が懐柔されたら皇帝陛下への面目が立たなくなる。ザーカルト様はこの時点で国王の意向に逆らってしまった事になるのである。


 まぁ、あんな武人然として表裏が無いタイプのザーカルト様を、腹芸が必要な外交の使者に起用するのが間違いなのだが、いずれにせよザーカルト様が国王の期待を裏切った事は間違い無い。ザーカルト様は二度と外交には起用されないし、ザーカルト様はその事で冷遇されていると不満を抱く事だろう。


 と、まぁ、あの名馬の贈り物には様々な悪意が潜ませてあるのだ。ただ、効果があるかどうかも分からないし、どのような効果がいつどれくらい生ずるかも今はまだ分からない。だから説明はしない。私は煩く文句を言い続けるエングウェイ様をあしらいながら、将来に期待してほくそ笑んでいた。



 私は政務の間に社交にも精を出していた。


 精力的に出たのは女性のお茶会である。女性社交の代表とも言うべきお茶会にはいくつかの種類がある。まず、私が王宮にお客様を招くお茶会。これに出席するのは大変名誉な事だと見做されるから、私は定期的に開催しては有力な貴族婦人たちを順に招いていた。


 次に、有力貴族が自邸で行うお茶会。私がこれに足を運ぶ事もステイタスになるので、私は偏りが無いように順繰りに色んな貴族の屋敷に行った。


 最後に、諸侯が自領の屋敷で行うお茶会。諸侯領の中には王都近郊にあるため日帰りが可能な場合もある。そういう諸侯はアルハイン公爵の縁戚で近臣である場合が多い。そのため、そういう諸侯が領地で開いたお茶会や夜会に招かれた場合も可能な限り出席する事にしていた。


 その日も私は王都から数時間の所にあるサンデル伯爵の領地屋敷を訪れていた。私も政務などで色々忙しいので、丸一日掛かりとなるこういう社交は中々出られないが、今回はサンデル伯爵夫人のお招きなので多少無理をして参加をした。


 サンデル伯爵はアルハイン公爵の弟で、アルハイン公国=イブリア王国の中でも有数の実力者だった。もっとも、伯爵自身は温厚で、騎士一族のアルハイン公爵家の中ではどちらかと言えば文人寄りの方である。実はそれが、私が今回招きに応じた理由だった。


 お屋敷に到着すると、お茶会の前に私は案内を受けてお屋敷の中を歩いた。それ程豪壮なお屋敷では無いが、庭はよく整備され、屋敷の中もきれいだ。私は侍女に案内されてその部屋に入った。


 そこは図書室だった。流石に旧王都から根こそぎ運んで来た王宮の蔵書程では無いが、かなりの数の本、しかも最近の本が本棚に整然と収まっていた。おおお、素晴らしい!サンデル伯爵もその婦人も読書家で、帝都に行っては少しづつ本を買い集めているのだそうだ。王宮の本は全部読んでしまったし、古い本が多いのだ。近年、しかも帝都で作られた本が読めるなんて!私は踊り出しそうな気分で本を物色した。


 サンデル伯爵夫人は三十代後半の茶色いウェーブした髪が美しい貴婦人で、本を選んでから向かったサロンでニコニコしながら私を待っていた。


「お気に召した本がありまして」


 私は興奮し過ぎないように気を付けながら言った。


「ええ!見た事が無い本が一杯で嬉しかったですわ!ありがとうございます。夫人!」


「うふふ、良かったですわ。私も王宮のご本を借りましたもの。お互い様ですわ」


 そう。王宮のお茶会でお話しをしていて本の話になり、お互いの蔵書について話していたら二人とも目の色が変わってしまったのである。サンデル伯爵夫人は最近の本は買って読んでいたが、むしろ古い本は読む手段が無い。一方、私は古い本は一杯読んでいたが、新しい本を手に入れる手段が無い。お互いの利害が一致した結果、私が王宮の本を貸して、私が今回新しい本を借りる事になったのだった。


「大事に読ませて頂きますね」


「ええ、お互いに」


 本は専門の職人が手書きで書き写すものだから、貴重で、宝石よりも高価なのだ。


 私と夫人はしばらく本について話をしていたが、ふと、サンデル夫人がやや真剣な顔をして私を見た。私も居住まいを正す。


「そういえば、私と夫は本を買いに、年に一度くらい帝都に伺うのです。実は先日行ってきたばかりなのです」


 それは豪気な事だ。帝都まではこの王都からは大体一週間くらい掛かる筈。その旅費と本の購入費用たるや大変なものだろう。


「その時に社交に出た時に聞いた噂を王妃様にお伝えしておこうと思います」


 ああ、そうか。恐らくサンデル伯爵はアルハイン公爵に命じられて帝都まで情報収集に行っているのではないかと思われる。本の購入はついでだろう。本は市場に売っているようなものでは無く、基本的には貴族が自分で元本を借りるか何かしてその写本を職人に作らせるか、その作らせた本を買うかしかないから、サンデル伯爵夫妻は情報収集の社交がてら本の購入の交渉もしているのではないかと思う。


 サンデル伯爵夫人は少し身を乗り出して、私に言った。


「皇帝陛下がご病気だという噂です」


 ・・・意外な重大情報だった。まだアルハイン公爵からも聞いていない。わざと私に伝えていないのか、それともこれから伝える気でいたのか。微妙よね。ただ、伝えるのに躊躇した理由は分かる。


「それは確かなのですか?」


「分かりません。噂でございます。ですが、出る夜会全てで密かに囁かれておりました」


 それはかなり真実性が高い噂ではないだろうか。しかしながら、皇帝陛下がご病気だとしても、どの程度のご病気なのかは分からない。単に臥せっているのか、それとも死に至る病なのか。


 現皇帝陛下であるファランス・クーラルガ様は確かまだ五十二歳。若くは無いが、まだ老いたと言える年齢でもない。ファランス三世陛下の次代をクローヴェル様が狙うにせよ、おそらくは十年から十五年後の事になると私は予測していた。


 もしかして陛下が死病に囚われたのなら、その予定を大幅に早めなければならない可能性がある。悠長にやっていたのでは代替わりに間に合わない可能性が出てくるからだ。しかしながら、陛下の病が死病では無いのなら、ここで慌てて焦って動いたせいで拙速となり、クローヴェル様を皇帝にするという目標に到達出来ないかもしれない。


 私は頭脳を高速回転させながら悩んだ。しかしながら、結局情報が少な過ぎる、という結論に達せざるを得なかった。無理よね。何しろ帝都からの情報を複数ルートから入手しているだろうアルハイン公爵が、私達に全ての情報を開示してくれないのだから。おそらく公爵としては、自分で確信が持てるくらいの情報確度になってから私に伝える気なのだろうと思う。しかし、待っている内に手遅れになってしまうかも知れないのだ。この状況のまま皇帝陛下が崩御されて、準備不足のまま選帝会議が開かれたらクローヴェル様を皇帝にするなど不可能になってしまう。


 方法は一つしかない。いつかはやらなければならない事だ。私は決意した。


 帝都に行こう。と。

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