十一話 誓いの裏事情  クローヴェル視点

 イリューテシア姫から婚姻の承諾を受け、父の前で正式に婚約して、更に婚約披露宴をしてイリューテシア姫がイブリア王国に帰るまではあっという間だった。


 婚約者となったイリューテシアは私に気安い態度を見せるようにもなり、凛とした部分だけではなく可愛らしい女性の部分を見せるようにもなった。私は会うたびに話す度に彼女が愛しくなり、彼女の伴侶になれる喜びを噛み締めていた。


 私はこの時、想い人を射止めた事に浮かれており、父や兄たちが渋い顔をしていることにほとんど気が付いていなかった。


 特にホーラムル兄は納得がいかない表情を見せていた。しかしながらもう正式に婚約までしてしまったのだ。ホーラムル兄が何を考えていても、婚約は本人達の了承がなければ破棄出来ない。もちろん、私には何があろうと破棄するつもりはなかった。


 うっすら涙ぐみながら「早くお出で下さいね」と言い残してイリューテシアが帰国すると、半年後の婿入りに向けて準備が始まった。


 イリューテシア曰く王国には社交も無く、気取った服装はほぼ必要無いとの事だった。なのでいわゆる普段着を用意した。特に母が「王国は寒いから」と心配して、暖かな服装を大量に準備してくれた。


 本来であれば家具なども持ち込むはずだったのだが、これも王宮にはもう物が入らないからと言われたので何も持って行かない事にした。本も同じ本が王国にほとんどあるとの事だったので、数冊の気に入った本だけを持って行くことにする。


 私が準備の際に最も時間を掛けたのは、公国とその周辺の情報を集める事だった。私はアルハイン公国では半端者で政治的な仕事はほとんど何もしていなかったので、公国についてや周辺諸侯、それに帝都について知らない事がたくさんある。


 イブリア王国に行った時に最も役立つのは、山間部に閉塞しているが故にほとんど近年の情報を持たないだろう王国に、最新の大量の情報をもたらす事だと思ったのだ。私は可能な限りの手を広げ、時には父や兄にしつこいくらい付き纏ってまで情報を集めたのだった。


 ちょっと張り切りすぎたのだろう。半年経つ頃には私は熱を出してしまい、出発は一ヶ月延期された。早く来てくれと言われたのに。私は罪悪感に苛まれた。


 そしてようやく熱も下がった夏の終わりに、私はアルハイン公国の国都を旅立ったのである。


 私の身体の弱さを考慮して、路程は慎重に定められた。そのため、通常よりもゆっくりとした旅になり、その街に着いた時には国都を出て六日が過ぎていた。ここまで来ればイブリア王国まで後一日だ。私はかなり疲れてはいたが、もうすぐイリューテシアに再会出来るかと思うと疲れも気にならなかった。


 ところが、その町の宿に入り、私が部屋で休んでいると表で騒ぎが起こっているのが聞こえた。町の者ともめた?あるいは野盗の類だろうか。だが私は護衛に騎兵を二十名も付けられていたから、あんまり心配はしていなかった。


 しかしながら相手が悪かった。ドカドカと床を踏み鳴らし、従僕の静止も無視して私の部屋に入ってきたのは、何とホーラムル兄だったのだ。ホーラムル兄は騎兵隊の隊長だ。護衛の騎兵達には逆らえない相手だった。驚く私をホーラムル兄は剣呑な目つきで睨んだ。そして叫んだのだ。


「今ここでイリューテシア姫との婚約を破棄しろ!」


 私は驚いたが今更そんな事が出来る筈がない、と言うしかなかった。しかしホーラムル兄は自信満々に言った。


「お前が自ら婚約を破棄するのなら、私が代わりに婿入りしても構わないと父上も兄上も仰ったのだ!」


 私の脳裏に渋い顔をしていた父やエングウェイ兄が浮かんだ。彼等にとっては弱い私などよりも、多少強引なホーラムル兄の方が国益に叶うように見えるのだろう。ホーラムル兄をそそのかしたとまでは思わないが、ホーラムル兄の行動を黙認するくらいの頃はするだろう。


 兄は大きな声で私を馬鹿にし、強圧的に私に婚約破棄を迫った。しかし、あれほど恐ろしかった兄の怒声が、私にはもう怖く無かったのだ。


 イリューテシアが私に教えてくれた。視点を変えるのだと。ホーラムル兄の強さは別の方向から見ると弱さにも成り得る。私はもうその事を知っていた。私はホーラムル兄を見据えて言った。


「兄上。兄上には無理です。私が婚約破棄してもイリューテシアは貴方を王国に受け入れる事は無いでしょう」


 幼い頃から自分が怒鳴れば泣くか謝るかだった私の豹変にホーラムル兄は驚いていた。私は冷静に続ける。


「貴方にはイブリア王国もイリューテシアも見えていません。そんな事では兄上をイリューテシアが選ぶ事などあり得ません。婚約者を発表した場でイリューテシアから言われたのに分からなかったのですか?」


 ホーラムル兄はうぐっと唸った。イリューテシアから鋭く叱責された事を思い出したのだろう。しかし振り払うように頭を振り、怒鳴った。


「お前が辞退すれば、イリューテシア姫は必然的に私を婿にするしか無い!脅してでも私を王として迎え入れさせる!」


 ああ、やはりこの人にはイリューテシアの事が全然見えていない。私は彼女が兄上を選ばなかった理由を痛切に理解していた。私もこの辺りに気を気を付けなければあっという間に彼女に愛想を尽かされるだろう。


 それからホーラムル兄は恫喝したり宥めたり空かしたりしながら執拗に私に婚約を破棄するという文書を書かせようとした。「公国の総意として決まっている事を貴様の我儘で覆すつもりか!」「病弱な其方の身体を案じての事だ」「冷静になって考えよ。其方に王が勤まると思うのか?」等々。私は一顧だにしなかったが。


 しかしながら狭い宿の部屋に監禁されたせいで私の身体は衰え、ついには熱を出して寝込んでしまった。このまま監禁が長引けば死ぬかもしれない。私も危惧したが、流石に弟をこんな事で死なせたらタダでは済まないホーラムル兄も慌てたらしい。これ以上の交渉は無理だと考えたようで、遂には父からの文書の偽造に踏み切ったそうだ。


 その事は知らなかった私はその日も従僕に看病されながら宿で寝込んでいた。すると、窓の外で騒ぎが起こっているのが聞こえた。また何か起こったのか?国都からホーラムル兄の手勢の補充でもあったのかもしれないな。そう朦朧とした頭で考えていた私の耳に鮮烈な叫びが飛び込んできた。


「私はイブリア王国王女イリューテシアである!我が婚約者であるクローヴェル様をお救いすべく参上しました!道を開けなさい!」


 聞き間違いようが無い。あの声はイリューテシアだ。仰天した私は何とか身体を起こした。イリューテシアの声が続けて届く。


「私の婚約者はクローヴェル様だけです!クローヴェル様を返しなさい!」


 その言葉を聞いて、私は涙が出るほど嬉しかった。私は這いずるように窓まで辿り着き、板戸を押し開けた。眼下に、百人程の兵士に囲まれた騎乗の人物が見えた。全身鎧に身を固めてはいるが、兜は被らず紫掛かった黒髪が夕日に美しく輝いている。


 私を見上げ私の姿を確認すると、ほっとしたような表情をした。そして歯を見せてニヤッと笑う。その瞬間の彼女の満足そうな顔を、私は生涯忘れる事は無いだろう。



 そうして私はようやく王国にやってきたわけだが、聞きしに勝る田舎さ加減に当初は私も驚いた。しかも、連れて行かれたところが丸太小屋の「離宮」だ。私の身体のためには石造りで風通しの悪い王宮ではなく、丘の上で日当たりも良いここの方が良かろうと思ってイリューテシアが考えてくれたのだそうだが、それまで宮殿暮らしだった私には衝撃的な住まいだった。


 だが「離宮」は確かに気持ちの良い住まいで、藁のベッドも慣れると草の香りが快適で、何より高原の清涼な空気が素晴らしく、私はすぐにここが気に入った。何よりイリューテシアが看病をしたり本を王宮から運んだりしてくれるなど甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、私と彼女の距離はあっという間に縮まった。


 ここに住み始めてすぐの頃は、私は環境変化に付いて行けず体調を崩す事も多かった。移動してすぐに結婚の予定は先送りされ、秋の終わりにギリギリ間に合うかというタイミングで結婚式の予定が組まれた。私が熱を出すとイリューテシアが看病してくれて、同時に近隣の住民が入れ代わり立ち代わり食べ物を差し入れたり薬草を持って来てくれたりした。イリューテシアと近隣の住民の関係は物凄く気安く、確かに小国だから国民との距離は近いのだろうが、不思議に思える事もあった。


 特に近隣の住民の一人であるシルという婦人とイリューテシアの関係は不思議に思えた。この二人は特に距離が近く、イリューテシアはシルに甘え、シルの方は時にイリューテシアをお説教するような事をしていたのだ。明らかに普通の関係ではない。しかしてその関係が明らかになったのは、私の看病中にイリューテシアが口を滑らせたためだった。イリューテシアはシルを呼ぼうとして「母さん、じゃなくてシルさん」と呼んでしまったのだ。


 私がそれを指摘すると、イリューテシアはバツが悪そうに自分とシルとの関係を白状した。この辺りの潔さはイリューテシアらしい。彼女はシルの実の娘で、王家には養女として入ったのだそうだ。私はかなり驚いた。彼女が養女であろうとはアルハイン公国でも予想していた事だったが、竜の手鏡を光らせた事でその疑いは解消された筈だったからだ。何でもこの近隣の農家は元々王国の貴族だった家が多く、王家とは血の繋がりが濃い上に、家同士で婚姻を結び続けているから王家の血が色濃いのだろうとの事。それにしても竜の手鏡をあれほど盛大に輝かせた彼女が養女だとはにわかには信じ難かった。しかし、竜の手鏡を光らせる以上に王家の血を証明する方法は無い。彼女の王家を継ぐ正当性を否定する事は誰も出来無いだろう。


 体調がある程度回復すると、私とイリューテシアは王宮へと向かった。長閑な坂道を下りて行くと程無く王都に着く。王都は谷底に有り、低いが一応城壁で囲まれている。中央にこれも石造りの低い防壁で囲まれた小さな王宮がある。帝国の七つ首の竜の一首とは思えない簡素さだ。王都の人口は一万人いるかいないかだと聞いた。住民はイリューテシアを見ると丁重に頭を下げて挨拶をし、私を見ると同じように礼をしてニコニコ笑っている。イリューテシアが婚約者だと紹介すると驚いて口々に祝福してくれた。


 王宮に入り国王マクリーン三世と初対面とする。マクリーン三世は小さな謁見室で正装して私達を待ち受けていた。イリューテシアは「格好付けていますね」と苦笑していた。だが、公国にはない階の上の玉座に座り私を見下ろす国王陛下には流石の威厳が漂い、私は緊張しながら挨拶をした。


「大女神アイバーリンの代理人にして七つ首の竜の一首を担いし偉大なる国王陛下にご挨拶を申し上げます。ご機嫌麗しゅう」


 ただ、打ち解けると国王陛下はお人柄が気持ち良い方で、イリューテシアの事を溺愛されている事も分かった。イリューテシアも国王陛下の事を愛し信頼していて、見ていても一切養女である事など感じさせない。私もすぐに国王陛下に親愛の情を抱くようになった。


 ただ、長年国王をやっていらっしゃる方で、若い頃は竜首会議に出るために毎年のように帝都に出向いては他の王国の国王と渡り合ってきた方でもあるので、油断は禁物だと言えた。この時もリラックスし始めたタイミングでサラッと国王陛下は仰った。


「ところで婿殿。其方はアルハイン公爵から何を言いつかってきておるのかな?」


 身構えていたところでこの質問を受けたのだったら、父から命じられた事をいくらかは隠したかも知れない。しかし、油断していたところだったので私は咄嗟の判断が出来ず、結局正直に私は全てを話す事にした。


 同時に、私は王国にやって来てからの感想から父からの要望の実行は無理だと判断している事も話した。父は特に軍事力の強化については、イリューテシアの金色の竜の力の関係もあって強く命じられたのだが、王国に来てみれば人員を集めるのも容易ではなく、馬も少なく、そもそも予算が無いのは明白であって、即座に無理だと判断するしか無かったのだ。


 私は当面は準備している、やっていると誤魔化しつつ、同時に王国で出来る事をやって王国を強化して行こうと言い、国王陛下もイリューテシアもそれで納得してくれた。


 ただ、この時言わなかったのだが、アルハイン公国はこの時点で私が国王になったら王国に軍を進駐させる事を考えていた。王国を実質的に占領し、行く行くはアルハイン公国が併呑し、最終的には私からエングウェイ兄に譲位させる事でアルハイン家に王権を移す事を考えていたのだ。その事について父も兄もはっきりとは私に言わなかったが、色々情報を集めていれば分かる事だった。実は、王権が違う家に移った例は過去にもある。実際、イブリア王国の王家もイブリア家から傍系のブロードフォード家に移ったから国名と家名が違うのである。血の繋がりさえあれば(竜の手鏡が光れば)問題無い筈だ。他国からの横やりの心配はあるにしても。


 アルハイン公国の勢威とイブリア王国のそれを比較すれば、公国が王国を完全に取り込んで取って代わっても恐らく他国から強い異論は出ないだろうというのが父や兄も考えだったようだ。イリューテシアへの婿入りはその計画の一環だったのである。


 ところが、イリューテシアは竜の手鏡を金色に光らせた。これで計画の色々な所が狂い始めたのである。金色の竜の力はそもそも七つ首の竜の王国の王家には必須の力であったものが、今ではごく稀に王家の中に発現する程度になってしまっている大変珍しい力であるらしい。この力を示したイリューテシアは正真正銘の王族の姫君として(養女だったわけだが)あっという間に帝国中に知れ渡る事になるだろう。この今や珍しい王家の力を見せつけた姫君の婿から、力を持たない公爵が王位を譲り受けるのは難しくなってしまった。金色の竜の力こそ王家の力だと見做されるからだ。当然その血を引く者が王になるべきだと帝国も他の王国も言うだろう。


 おまけにイリューテシアはあの気高い性格で、公国に全く遜らず譲らない態度を滞在中示し続けた。脅しや懐柔が通じる相手では無さそうだと父もエングウェイ兄も思ったようである。挙句にホーラムル兄が私を監禁して、それをイリューテシアが取り戻した事で父はイリューテシアに借りを作ってしまった。イリューテシアがアルハイン公国の意向に唯々諾々と従う事は絶対に無いことも分かっただろう。この状態で王国にアルハイン公国が強引に進駐しようとしたら、イリューテシアは国民全員を率いて王国を焦土と化しても徹底的に抵抗するに違いない。王国と公国が戦争をすれば公国が絶対に勝つが、それは反逆であり王位の簒奪になってしまう。帝国全体を敵に回す事になってしまうだろう。


 公国はもう皇帝陛下や他の王国からの要求に従い続ける事への不満が限界に達している。しかし公国がただ帝国からの分離独立を叫んでも、麾下の諸侯が付いて来ないし他の王国からの格好の攻撃理由になってしまう。それを防ぐにはイブリア王国の取り込みがどうしても必要だ。しかしながら王国を力で併呑する事がイリューテシアのせいで出来なくなってしまった。婿である私の性格的にもイリューテシアを夫としてねじ伏せて(彼女をねじ伏せるなどホーラムル兄でも無理な事だったが)王国を主導するなど出来ないと父もエングウェイ兄も分かっている。ではどうするか。


 おそらくだが、形式的にアルハイン公国をイブリア王国に献上するだろう。そして王国王家をアルハイン公国の国都に迎え入れて、実質的な主導権はアルハイン公爵家が持ち続けて手放さない。そういう形で帝国と他の王国や有力諸侯に対抗しようとするだろう。私はこの時点で既にそう予測していた。


 王宮からの帰り道、私はイリューテシアと話をした。彼女は、私にアルハイン公爵家の意向に従わなくて大丈夫か?と尋ねた。彼女はアルハイン公国の本当の狙いは知るまい。いや、彼女の聡明さなら薄々は感じている部分があるとは思うが。私は言った。


「良くはありませんよ。実家とはいえアルハイン公国は王国よりも何倍も大きく強い国です。あんまり逆らっていると攻め込まれて強制的に私はリューの婿を辞めさせられるかも知れません」


 それだけではなく強制的に国王陛下が退位させられるかも知れない。もちろん私はそんな事をさせるつもりは無かった。


「ですが、私は決めたのです。貴方の婿になり、この国の王になり、父上や兄上たちに勝とうとね」


 私はイリューテシアに、彼女に教えられたことを考えて、決断した事を語った。


「貴方と結婚し、王国の王になれば私は兄上たちの上の身分になる。それどころか、王国の王になれば皇帝になれる可能性さえ出てくる。そうなれば私は兄上たちに勝ったと言っても過言ではないでしょう」


 この時、私は決意を示そうとイリューテシアに「皇帝になる」と言ってしまった。勿論だが、この時点で私は本気で皇帝になれると考えていたわけでは無い。本気で目指そうと思っていた訳でも無かった。心意気、イリューテシアに対する強い思いの表明の意味で言ったのだ。


「ですから私は兄上たちに勝つ為に、私の為に、王国を発展させ強くしたいと思います。行く行くは皇帝になるために。私はそのために貴方の婚約者になったのです」


 ところが、私の言葉にイリューテシアは目を輝かせた。この時、私は彼女への慕情だけで王国へ婿入りしたわけでは無い。自分なりの野心があって婿入りしたのだと言ったのだ。イリューテシアはがっかりするか、怒りでもするかと思ったのだが逆だった。それどころか彼女は勢い込んで言った。


「皇帝になる。素敵な目標ではありませんか。目指しましょう!一緒に!」


 私はイリューテシアが私の思いを分かってくれて非常に嬉しかった。そのため気が付いていなかったのだ。


 イリューテシアが私の漠然とした目標、心意気を本気で実現可能な目標として受け取ってしまった事を。彼女はこの時から「私を皇帝とするために!」と事ある毎に口に出し、全力でその目標に向けて邁進するようになってしまったのである。彼女はその目標のためなら自分で戦場に向かう事すら厭わなくなったし、どんな事でもするようになった。


 私は後々、自分が「皇帝になる」などと軽々しく言ってしまった事を何度も後悔する事になる。




 結婚式の日取りが決まり、準備が進んでいた冬が始まり掛けていたある日、帝都から客人が来たという話が飛び込んできた。結婚式に列席してくれるために来てくれたという客人はなんとクーラルガ王国王子フェルセルム様だった。私でも知っている大物の来訪に私は仰天した。イリューテシアとも話し合った結果、結婚式前には私は合わぬ方が良いだろうとの事になり、イリューテシアは慌てて王宮に向かって行った。


 一体全体、次期皇帝の呼び声も高いフェルセルム様がどうしてまたこんな田舎の山奥の王国の結婚式に来たのだろうか。理由は一つしか考えられなかった。イリューテシアの金色の竜の力の噂が帝都まで届いたのだろう。それくらい竜の手鏡を金色に光らせたというのは重要な事なのだ。


 フェルセルム様は何をしに来たのか。もしかしたら金色の竜の力は王族の力であるから、公子との結婚はまかりならん、という話なのではなかろうか。だとしたらフェルセルム様自身がイリューテシアとの結婚を考えているのかも知れない。彼はもう結婚している筈だが、離縁をしてイリューテシアと結婚し直すつもりなのかもしれない。それくらいの大事なのだ。イリューテシアが金色の竜の力を持っているというのは。


 私はソワソワと心配しながらイリューテシアの帰りを待っていた。


 帰って来たイリューテシアは何だか微妙な顔をしていた。口元が笑いながらもちょっと怒っているという顔で、不安を抱いていた私は彼女を問い詰めた。するとイリューテシアは微妙な表情のまま言った。


「フェルセルム様からプロポーズされました」


 驚く私にイリューテシアは、フェルセルム様がやはり金色の竜の力を欲しがって、彼女に私と別れて自分と結婚する様にと迫って来た事を語った。どうやら、断ったらクーラルガ王国が軍事的圧力を使ってでも別れさせる事を匂わせたらしい。


 それに対してイリューテシアは彼女一流の度胸を発揮して一蹴したらしい。王族の姫らしい奥ゆかしい女性であれば有効だった脅しもイリューテシアには通じまい。私にはその事が既に良く分かっていたが、フェルセルム様には恐らく、貴族令嬢の枠内にすら収まらないイリューテシアが理解不能な生き物に見えた事だろう。


 どうやら次期皇帝と噂されるフェルセルム様に向かって、イリューテシアは「自分は夫を皇帝に押し上げて見せる」と言い切ったらしい。とんでもない事を言ってくれたものだ。私は内心冷や汗をダラダラとかいたが、イリューテシアはずいぶんと誇らしげだった。私が皇帝になると言った事は予想以上に彼女にとって誇るべき事となったらしい。彼女の夫になるならそれくらいの気概を求められるということなのだろう。


 同時にイリューテシアは脅されながらプロポーズをされた事がお気に召さなかったらしく、頬を膨らませながら言った。


「私は言ってあげたのです。『プロポーズはもっとロマンチックにやらないとダメですよ。女性はロマンを求めているのですから。そうしないと意中の女性を射止める事など出来ません。あなたよりクローヴェル様のプロポーズの方が何倍も素敵でした』ってね!」


 私は思わず大笑いした。私のあの必死のプロポーズはイリューテシアのお気にずいぶん召したらしい。私は彼女を抱き締め「流石はリューですね」と言った。


 この誰よりも気高く、誰よりも度胸があり、それなのにロマンチストな所もある彼女と、私は一生一緒に行こうと思ったのだった。この素晴らしい彼女と一緒に居たいのであれば私もそれに相応しい人物になる必要があるだろう。


 そう。彼女の夫になるのなら、皇帝にくらいはなってみせなければならない。イリューテシアが私をフェルセルム様に勝る男だと評価してくれたのなら、私は彼に打ち勝って皇帝にならなければならない。


 私はこの時から、本気で自分が皇帝になる事を考え始めたのだった。

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