十話 プロポーズまで クローヴェル視点

 私がイリューテシアの夫になれたのは本当に奇跡的な事だったと思う。


 何しろ私は生まれた時から身体が弱く、子供の頃は成人までは生きられ無いだろうと言われたそうだ。幸い、十五歳の成人までは生きられたが、直ぐ熱を出す。寝込む。日差しを浴びただけで眩暈がして倒れる。剣どころか杖を持ち上げるのもおぼつかない有様で、騎士の家系であるアルハイン公爵家では完全な劣等者扱いだった。


 特に次兄のホーラムル兄は私を「軟弱者」と馬鹿にして辛く当たった。長兄のエングウェイ兄は優しくしてくれたが、私を役立たずと断ずる事はホーラムル兄と同等だった。末兄のグレイド兄は「強くなくても良いじゃ無いか」と言ってくれたが、この尚武の気風濃いアルハイン公爵家で、外にも出られず本ばかり読んでいる私は完全に異端児で一族の埒外に置かれる存在だった。


 私は次第にそれでも良いと諦めるようになっていた。どうせ早死にするだろうし、騎士として役に立たない私は結婚もせず、子孫も残す事は出来ないだろう。父に政治的な役割を期待される事も無い。大人しく屋敷に籠って一生本を読んで暮らそう。


 そう考えていた時に、あのお見合いの機会がやって来たのだった。


 イブリア王国に一女がある事は以前から知られていた。生まれた時に通知が来たそうで、父はその時からイブリア王家に息子の誰かを婿に出す事を狙っていたと聞いた事がある。


 ところが、その王女は一向に婿探しを始めない。王女に限らず、貴族の令嬢が婿、特に入り婿を探す時には、令嬢が幼児死の危険が少なくなる五歳くらいから始めるのが当たり前である。婚約者を決めると入り婿を子供の内に引き取って、自分の家の流儀で養育するのである。でなければ婿の実家の影響が強くなり過ぎるからだ。十歳を越えてもなかなか婿探しを始めないイブリア王家を見て、父はこれは王女は幼くして死んだに違いないと思ったようだ。イブリア王国の国王陛下、マクリーン三世は既に老齢で、他に子供もいない筈だという。父は婿では無く養子を提案しようと企んでいたそうだ。


 ところが、二年ほど前から突然、イブリア王家が商人に書状を託して方々の諸侯や王家に婿の打診をし出したのだった。父は慌ててイブリア王国に使いを送り、婿入りの打診をしたそうだ。イブリア王国はアルハイン公国にとって帝都に対して後背に位置しているから、もしも他の王国や諸侯に乗っ取られるような事態になれば国家の安全上の大問題になってしまうのだ。何度か書状のやり取りがあって、イブリア王国王女、イリューテシア姫が公国までお見合いに来ることになったのだった。


 ただ、この時父は、この王女は相当怪しいと踏んでいたようだった。何しろ十年間以上も存在が知れなかった王女なのである。アルハイン公国は王国に出入りしている商人などから情報を取っていたのだが、どうも王女の存在が王都の市民に知れるようになったのが五年ほど前からだという。結構気軽に王都を歩いているという話も入って来た。父は怪しみ、帝都の伝を辿って竜の手鏡という、王家の血筋の証明が出来る鏡を借りたのだった。


 この手鏡は姿を映すと、王家の竜の血の濃さが分かるという代物だそうだ。アルハイン公国にもかなり多くの各国の王家の血が入っている。私達も手鏡を使ってみたが、確かに鏡面があわく銀色に光った。どういう仕組みになっているかは知らないが興味深い。ホーラムル兄などは「鏡が光ったのだから私にも王になる権利があるのだな!」などと興奮していた。


 父曰く、おそらくは王国内部の近縁の者から養女を取ったのだろう。だから一応鏡は光るだろうが、我々が光らせた程度だろう。そうしたら王女としては不足ではないかと難癖を付け、婿入り時の条件を吊り上げよう、との事だった。どうせ田舎育ちの王族貴族とは名ばかりの芋娘に違いない。養女である事を隠していておどおどしているに違いないから、良いように操れるに違いない、と言っていた。


 このお見合いに一番やる気だったのはホーラムル兄でお見合いの話が持ち上がった二年前から「私は王になるのだ!」と叫んでいた。そのため、決まり掛かっていた縁談を蹴ってまで王女とのお見合いに望んでいたのだ。恐らく長兄のエングウェイ兄への対抗心からだと思う。私もグレイド兄も父にお見合いに出るように言われたが(選択の余地が無いと王女が断り易くなるからだそうだ)ホーラムル兄があのやる気では無理にしゃしゃり出ると後で兄に何されるか分からないし、グレイド兄は他に想い人がいるし、私は結婚する気が無い。まぁ、普通にホーラムル兄が婿入りする事に決まるだろう、と、この時の私は思っていた。


 そうしてイリューテシア姫がやって来る日を迎えた。宮殿の大謁見室。大扉から入場して来たイリューテシア姫を見て私はあれ?っと思った。父が養女だろうと言い、山奥の田舎からやって来たという先入観があったのだが、真っ直ぐ続く絨毯を踏んで歩いてくる姿はその先入観を打ち消すくらい堂々として気品に溢れていたのだ。


 紺色のやや古いデザインだがしっかりしたドレスを着て、真っ直ぐに正面を見ている。髪の色は紫がかった黒髪で、赤毛寄りの遊牧民の黒髪とはまた違った気品を讃えていた。それを後頭部に半分だけ結い、そこに繊細な金細工の見事な髪飾りを着けている。胸元にも金のチェーンに大きなエメラルドのネックレス。耳にも赤い宝石のイヤリング。流石に王族という質の高い装飾品だった。


 そして、勝気そうな顔立ちに優雅な微笑みを浮かべ、その大きなアメジスト色の瞳を輝かせている。その鮮烈な美しさに私は思わず目を奪われた。美しい貴婦人は公国にも多いし、何度も間近で接した事があるが、どこか貴族令嬢のそれとは違った美しさと雰囲気を漂わせていたのだ。何だろうと考えた結果、気が付いたのは、彼女に硬くなった様子がまるで無いという事だった。他国の宮殿に乗り込んでくるという誰でも緊張するだろう状況にいながら、イリューテシア姫の様子には緊張も気負いも無いのである。


 イリューテシア姫はあまりにも堂々と進み、父の座る椅子の前にやって来て、我々を睥睨した。思わずこちらの首が下がりそうになる程の迫力がある。私の横に立っていたホーラムル兄が「なんだあれは」と鼻白むように言うのが聞こえた。


 父が入場するという呼び出しの声が聞こえたので、私達は胸に手を当てて礼をしたのだが、イリューテシア姫は頭を下げる様子すら無い。「なぜ跪かぬのだ?」という声がそここから聞こえた。やがて父が入場したのだが、傲然と佇むイリューテシア姫を見て悔しそうな顔をした。後で聞いたが、本来王国の姫の方が上位であるので、姫の入場を公爵である父は跪いて迎えなければならなかったのだという。それを逆に姫に跪かせようとしたのだそうだ。そうすれば生涯姫に対して上位に立てるからである。しかし、イリューテシア姫はそれを看破して父に対して完全に上位として振舞ったようなのである。


 どうにもこうにも、恐ろしく肝の太いお姫様であるようだ。始めて来る他国の宮殿で、噂によれば王宮とは名ばかりの砦に住み、社交の経験など皆無であろうと思われていた姫が、誰よりも堂々と公国の謁見室で宮殿の主人である公爵に頭を下げさせたのだ。それは見ている者達に王国の威厳というものを思い知らせるような態度であった。


 しかし父も負けてはいない。ここで切り札を出して来た。竜の手鏡である。


「姫様がもしも万が一偽物だと困るからですよ。イブリア王国の国王陛下は随分長い事お子が生まれませなんだ。それがようやく生まれたと十五年前に聞きましたが、その後とんと音沙汰が無かった。それがここ二年ほど、突然婿取りの動きを始められた。少しおかしいと思っても不思議はありませんでしょう?」


 父がそう言ってにやりと笑っても、イリューテシア姫は眉一つ動かさない。冷然とした怒りを込めて父を睨む。


「そのような疑いを王女である私に掛けるなど無礼でしょう」


「もちろん申し訳無く思っております。しかし、王家同士の婚姻ではこの手鏡を使って血統の証を立てるのが普通だと聞きます。ですからどうか、一度この手鏡を使っては頂けませぬか?」


 あえて父が低姿勢にお願いしたのが分かった。どんなに偉そうな態度を作っても、養女である以上竜の手鏡をはっきり光らせる事など出来ないだろう。化けの皮を剥がして、反撃はそれからでも遅くは無い、とでも思ったのだろう。するとイリューテシア姫は軽く溜息を吐くと、父に優雅に手を伸ばした。


「わかりました。その手鏡をここへ」


 全く動揺した様子も困った様子も見えない。単純に不快そうな顔をして、イリューテシア姫は手鏡を父から受け取った。


 イリューテシア姫はむしろ無造作に鏡に顔を映した。僅かに間があって、そして次の瞬間、鏡から物凄い光量の金色の光が噴き出したのである。自分が手鏡を使った時とのあまりの違いに私は驚愕し、周辺の貴族達も呆然としている。誰より驚いたのがイリューテシア王女が養女であると信じていた父だったろう。流石に光に驚いたらしいイリューテシア姫が手鏡から顔を外し、光が収まると、父は額が地面に付くくらいの勢いで跪いて頭を下げた。


「ま、間違い無く竜の血筋!紛れも無く王女殿下!疑いを掛けるような真似をして申し訳ございません!まさか金の光を放たれるとは・・・!」


 イリューテシア姫は当然ですよ、という顔をしていた。養女だなんてとんでもない。私は王族と公爵の違いをあの光ではっきりと見せつけられた思いだった。


 父も興奮していた。どうやらイリューテシア姫が単に鏡を光らせただけでは無く、金色に光らせたのは大変に珍しい事だったらしく、父は「必ず我が家から婿を出すのだ!」と叫んでいた。


 とはいえ、私はおまけというか一応お会いしてみるだけだ。かなり気楽な気分でいた。ただ、あの金色の光を見た瞬間から、私の中にイリューテシア姫への興味が生まれていた事も事実だった。どんな人物なのだろう。


 その日の夕方から開かれた夜会。舞踏会において私達は初めて対面した。勿論一人でではない。兄達と三人並んでだ。私は自己紹介した。


「クローヴェル・アルハインです。アルハイン公爵の四男です。初めまして。王女殿下」


 その時のイリューテシア姫の反応たるや、興味無しを体現するような態度だった。社交的な微笑みを浮かべ「よろしく」と言っただけでそれ以上の反応は無かった。当然か。私はさしてガッカリする事も無かった。


 それから、ホーラムル兄から順番にイリューテシア姫とダンスをする事になった。イブリア王国には社交など無いと聞いていたのに、ホーラムル兄と軽快に回るイリューテシア姫の踊りっぷりは見事なものだった。表情にも余裕がある。


 確か、彼女は私と同じ歳の十五歳の筈。それなのにあの堂々とした態度はどういう事だろうか。やはり王家の血筋の誇りというものだろうか。私は彼女を見ながら兄達に感ずるのと違った劣等感を覚えていた。


 そして私の番がやってきた。イリューテシア姫は先ほどと同じ紺色のドレスのスカートを広げて優雅に礼をすると、私に手を預け、音楽と共に滑るように踊り出した。


 私も社交のために必要だとして体力が無いながらダンスは練習をさせられた。むしろ他の運動が出来ないのだからダンスくらいは出来るようになれと言われたのだ。そのためかなり頑張って練習してそれなりのレベルに達していると思う。


 イリューテシア姫はその私に余裕を持って付いてくる。体力も私より全然ある様だし、バランスも良く指先に至るまで美しい姿勢を維持しているそのセンスも良い。何より、動きに迷いが無い。自信に満ちている。私は思わず言っていた。


「上手ですね」


「そうですか?」


「ええ。足の運びに迷いが無い」


 するとイリューテシア姫は誇らしそうに笑った。それを見て私はどうもよく分からない劣等感を刺激されたようだ。つい余計なことを言った。


「態度も堂々としていらっしゃるし、流石は竜の血筋ですね」


 するとイリューテシア姫は明確に機嫌を損ねた顔をなさった。そういう顔をすると思ったより幼い印象がある。


「踊りの上手い下手に血筋など関係無いのではありませんか?これは単に練習の成果です」


 私は驚いた。何に驚いたのかというと、その自分の努力を当たり前に肯定する態度に驚いたのだ。そういう態度は私の常識には無い物だったからだ。


「クローヴェル様も苦労して身に付けた技能が血筋が良いから、で片付けられたら不満を覚えるのではありませんか?」


 イリューテシア姫の言葉に私は息が詰まる思いがした。そう。思い当たることが多々あったからである、ダンスにしてからがそうだ。懸命に頑張って身に付けても周囲は公爵令息なら当たり前だ、と言う。剣を振れないことは騎士の家系なのに情けないと言われる。本を読んで教養を身に付けても、公爵令息なら当たり前で騎士の家系なのだから本を読むより剣を振るべきだと言われる。


 何をしても公爵の息子であり騎士の家の男子であるというレッテルがついてまわる。父や兄の望んだようになれない劣等感から自由になれない。そういう鬱屈を抱えていた私にとって、自分の努力を当たり前に誇り、貼り付けられたレッテルに怒るイリューテシア姫は私とは全然違う生き物にすら感じられた。


 その存在は眩しく、一体どうやったらこんな人物になれるのだろうか、という憧れさえ抱かせた。私はこの時から、彼女に惹かれ始めていたのである。


 数日後、今度はイリューテシア姫と一日を一緒に過ごす事となった。私の前にホーラムル兄とグレイド兄が同じ事をしていて、ホーラムル兄はもう自分で決定だと家族にも吹聴していた。私もそうなるだろうと思っていたので、イリューテシア姫と過ごす日に特に大きな期待をしていた訳では無かった。庭園の東屋で待ちながら、私は持ってきたエキックの詩集を読んでいた。もう何度か読んだ詩集だが、詩というのは自分の気分によって新たな感じ方が出来るので、何度か読み返すべきものだと私は思う。


 そうして待っていると、イリューテシア姫が侍女に日傘を差し掛けられながら静々と現れた。山吹色のドレスを身に纏い髪には銀と琥珀の髪飾り、胸には小さめのルビーのブローチを着けていた。夜会で見るよりも日差しの下で見た方がより美しく映るのは、黒髪が陽光を浴びて艶やかに輝くからだろうか。


 挨拶を交わすと、意外な事にイリューテシア姫は私の持つエキックの詩集に興味を示した。私は兄から馬鹿にされていた事もあり、恥ずかしい気持ちで詩集を紹介した。ところがイリューテシア姫はこう仰った。


「あら、エッキクの詩は私も読みましたけれど、感傷的ですが強い決意を示すものが多くて私は好きですよ?」


 私は目を見張った。それは私の感想と一緒だったからだ。お話を伺うと、イリューテシア姫は読書家で、しかもイブリア王国の王宮には我が宮殿にあるよりもよほど多い本が収蔵されている事が分かった。


 読書など軟弱な趣味だ、と断じられる騎士一族にあって、本の感想を話せる機会など無かった私はイリューテシア姫との会話を楽しんだ。庭園を散策して、続けて私は姫を図書室にお連れした。空きの目立つ本棚を見て、イリューテシア姫は本来この部屋にあった本の殆どがイブリア王国縮小の時に持ち出されたのであろう、と仰った。私はまだ見ぬイブリア王国の図書室に思いを馳せると共に、本の話をする時はお作法の笑顔よりも自然に笑うイリューテシア姫にどんどんと惹かれ始めていた。


 しかし、昼食の時間になり二人で食堂に向かう途中、ホーラムル兄と行き合ってしまった。兄は私を見るとあからさまに馬鹿にした顔をした。


 兄は私を無視してイリューテシア姫に話し掛けていた。ただ、それに他するイリューテシア姫の反応は冷淡だった。どうも姫は兄がお気に召さなかったらしいと私は感じた。それならば私にもチャンスがあるのではないか?と思ったその矢先、兄の威圧感のある大きな声が響いた。


「おい!クローヴェル!分かっているのだろうな!」


 私は反射的に背中をびくつかせた。子供の頃から兄に虐められていた事による悲しい習性だ。


 そう。一族の意向としても兄の希望としても、イリューテシア様の婿になるのはホーラムル兄だ。こんな病弱で弱い私が厳しい環境と聞くイブリア王国の王になれる筈がない。


 しかしながら私は同時に憤りを覚えてもいた。イリューテシア姫は明らかに兄を厭っていた。それなのにホーラムル兄をアルハイン公国の都合で押し付けるのか。それは今考えれば嫉妬に近い憤りだったのかもしれない。しかし私など、姫にはふさわしく無かろう。葛藤、苦悩、憤り。そういう感情がぐるぐると頭を巡っていたその時、スッとイリューテシア姫の言葉が耳に滑り込んできた。


「・・・悔しいのですか?」


 私は顔を上げて思わず姫を睨んだ。図星だった。そう。悔しいのだ。何もかも色んなものが悔しい。馬鹿にされるのも、身体が思うようにならないのも、手に入れたいモノが手に入らないのも悔しい。イリューテシア姫に指摘されて、私が長年抱いていた感情は初めて一言に集約されたのだった。


 イリューテシア姫は何故かニンマリと、満足そうに笑った。


「馬鹿にされて悔しいと思うのは悪い事ではございませんよ」


「いえ・・・。仕方が無いのです。私は病弱ですし、剣を振るう事も出来ません。あのように強い兄上には弟として不足に感じる事も多いのでしょう」


 私が言うと、姫は立ち止まり、私に正面から向かい合った。表情から笑顔を消し、真摯な紫色の視線が私の心の中まで届くくらい真っ直ぐに向けられている。息を呑むほど美しかった。


「人の強さには色々あるものでございましょう。私は剣など持った事もございませんが、ホーラムル様より自分が弱いなどとは思っていませんよ」


 衝撃的な考え方だった。私にとって、いや我が一族にとって強さとは剣の強さを意味した。故に剣を持てぬ女子供は弱く、同様な私も弱いのだ。と私はこれまでずっと考えていた。


「私はホーラムル様とは違う知識を色々持っていますし、あの方より頭も良いと思います。あの方に負けるとは思いません。腕力で勝てなくても他で勝てば良いのです」


 兄ならば詭弁と切って捨てそうな考えだが、イリューテシア姫の自信満々な表情で言われると違って聞こえてくる。私の心の中から熱いものが湧き上がってくる。


「クローヴェル様も同じでしょう?沢山本を読んでいらっしゃるのだから、知識は負けないし、他の人を褒められるという事は他人を良く観察出来るという事でございましょう。それはホーラムル様には無い美点ではございませんか」


 イリューテシア姫は私をそう言って褒めてくれた。その私の家族は優しい母ですら言ってくれない褒め言葉は私の心に深く染み通った。私が真剣な顔で頷くと、イリューテシア姫は再びニンマリと満足そうに笑った。そういう、歯を見せて笑う彼女の本当の笑顔は、彼女が本当に喜んだ時にしか見られない笑顔なのだと、私は後に知る事になる。


「クローヴェル様はホーラムル様には負けていませんよ。色んな部分で上回っていると思います。後は、クローヴェル様のお気持ち次第なのではありませんか?最初から負けていると思いこんでは絶対に勝てません。勝つ気がなければね」


 イリューテシア姫は私をそう激励してくれた。その瞬間から私の心に中には様々な事が芽吹いたのである。


 まず何よりもイリューテシア姫を兄に譲るわけにはいかないという思いだった。


 私の心にはこの瞬間からイリューテシア姫への恋情が燃え上がっており、私はどうしても姫の伴侶になりたくなっていた。だが、この時の私にはイリューテシア姫が私に振り向いてくれる確信など無い。明日にも開かれるだろう父の前でのイリューテシア姫の婿取り選択の発表で、私の名前が姫の口から出るとは到底思えなかった。どうしても彼女に私を選んでもらいたい。私は考えた。


 同時に、私は姫が言った、兄には無い私なりの強さで兄に勝つ事について真剣に考えた。私は力も技も無く、体力は極小だし健康でさえない。勇気もあるとは思えず、並外れた発想があるとも思えない。


 だが、本を読んで溜め込んできた知識はある。この知識を最も活かす方法はなんだろうか、このまま公爵家の中にいて飼い殺しになっていたのでは何も活かすことは出来ない。やはり外に出て、ここでは無いどこかで知識を活かして活躍する。そして兄が剣をもって出す以上の成果を上げる。そうすれば私は知識を持って兄の剣に勝ったと言えるだろう。


 その活躍の場所がイブリア王国であればどうか。アルハイン公国がイブリア王国を取り込んで行くのはもう既定路線である。帝国や他の王国からの要求は厳しく横暴になる一方だ。父や兄はどうしてもイブリア王国の権威が欲しいのである。ホーラムル兄が婿に行けば、強引な手段を使ってでもイブリア王国をアルハイン公国に吸収しようとするだろう。


 しかしながら、私はイリューテシア姫の事を思い浮かべる。あの彼女がいる限りそんなに話が簡単に進むとは思えない。王国に仇なす者として彼女なら簡単にホーラムル兄を放逐してしまうだろう。というかそもそも彼女はホーラムル兄を選ぶまい。下手をするとアルハイン公国から婿を取るという選択自体をしない可能性がある。


 それを防ぐには私を選んでもらうしかない。私をイリューテシア姫の婿に選んでもらい、私がイブリア王国に行き、王国の発展のために力を尽くす。王国が力を付ければ父達は王国を単純に取り込む事は出来なくなる。王国自体に力があれば、王国や王家を尊重した形で合併せざるを得ない。私がその時イブリア王国の王になっていれば、私は王として、父や兄の上に立つ存在としてこの都に帰還する事になるだろう。


 夢想かも知れない。しかしそれでも良いのだ。イリューテシア姫が言ったではないか。私の気持ち次第だと。私はこの時から、諦めるのを止めて願う事に、更には行動する事にしたのだ。


 部屋に戻っても私は懸命に考えた。何よりまず、イリューテシア姫に想いを捧げる事だと。そう考えた瞬間、私の脳裏に昔読んだロマンチックなラブストーリーが浮かんだのだった。宮殿の図書室にあった本は大体読んだ事がある、と姫は言っていた。ならばあの物語も読んだ事があるはず。


 時間は既にかなり遅いが、イリューテシア姫は確か本を一冊借りていた筈。読書好きなら借りたばかりの本は読まずにいられない筈だろう。多分起きて読んでいる。イリューテシア姫がお泊まりの客間は分かっているし、私の部屋からそう遠く無い。庭園を歩けばすぐだ。


 私の部屋は一階だ。私は決心すると窓を勢い良く開き、室内履きのまま庭に出ると走り出した。彼女の部屋に向かって。愛しの姫に精一杯のロマンチックなプロポーズをするために。


 

 

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