九話 引っ越し

 イカナの戦い以降、巡礼に来る旅人が更に増えた。単純に道中で遊牧民に襲われる危険が減った事と、どうも戦いでの私とイブリア王国軍の戦いが誇大に喧伝されているかららしい。


 何しろ私を神像か何かの様に拝んで行く人がいるのだ。なんですかそれは。一体どういう噂の広がり方をしているのか。


 ただ、季節はすぐに冬になり、冬になれば巡礼路は雪に閉ざされて通れなくなるので巡礼の旅人はいなくなり、多くの商人は王国を離れて行く。そうすれば妙な噂も落ち着くと思うけど。


 冬は王国の泣き所で、冬は経済活動も人の動きもほとんど止まってしまう。個人的には暖炉の側で暖まりながら一日中本を読む冬の生活も嫌いではないが、国家としては弱点でしか無いだろう。


 私はこれを解消するために、王都が移転出来ないか考えていた。


 アルハイン公国に土地を譲ってもらい、山を降りた所に新たな王都を造るのだ。そうすれば冬の間も経済活動を止めずに済む。


 しかしクローヴェル様は賛成しなかった。


「それは無理ですよ」


「どうしてですか?」


「まず、王国の山間部出口あたりの土地はアルハイン公国内ではありますが、コーブルク子爵に与えられています。勝手に切り分ける訳にはいきません」


 イカナの街の大守だった人ね、あの人なら今回の戦いで大分恩を感じてくれていそうだったから、お願いすれば聞いてくれそうだけど。


「リュー、領地持ちの土地に対する執着を甘く見過ぎです。彼らはそこが使いようの無い泥湿地でも、自分の土地は人に譲りたがりません」


 そ、そうなの?王国には貴族がいないのでよく分からないが、確かに農民同士で境界争いを起こしている話はよく聞くわね。


「それと、王都がここを離れた場合、山間部に広がる領地を統治し難くなります。陶器制作事業の監督もし難くなりますよ。それに、巡礼者は今の王都があそこにあるから、あそこで山越えの準備を整えるのです。麓にあっても素通りするだけ。つまり商人も居着かないでしょう」


 クローヴェル様に私の案がダメな理由を整然と並べられて、私はしょんぼりと凹んだ。クローヴェル様は苦笑しながら仰った。


「確かに、この王都ではこれ以上の発展が難しいのは確かですが、焦ることはありません。ここで力を蓄えて、時を待つべきですよ」


「待つって、何を待つのですか?」


 私が首を傾げると、クローヴェル様は少し遠くを見る様な目付きで仰った。


「今回の事で、アルハイン公国は帝国を見限ったと思います。これまでも様々な無理難題に耐えてきましたが、今回の援軍拒否は流石に度を超えていますからね。父も兄上達も帝国からの独立を考えていると思います」


「帝国からの独立?」


 びっくりするような話が飛び出してきた。


「珍しい話ではありませんよ。帝国の力が弱まれば諸侯は独立して、帝国の力が強まるとまた七つ首の竜の旗の下に集まる。帝国の歴史はそういう歴史ではありませんか」


 確かに私は歴史でそう習ったのだけど、それを今の時代に当て嵌めて考える事が出来ていなかったのだ。


「ヴェル、凄いわ!」


「私よりずっと凄い貴方に褒められるとどうしようかと思いますね」


 クローヴェル様は苦笑していたが、私としてはクローヴェル様は私に思い付かない事をいつでも思い付いてくれる凄い人なのだ。


「皇帝陛下に従う理由は、いざという時に帝国に支援を求められるから、という一点にあります。今回、それを断られたのですから、それなら帝国から独立して帝国とは関係無くやって行こう、となるのは当然です。その時、鍵になるのはあなたです」


「私?クローヴェル様ではなくて」


「そうですね。私とあなたです」


 クローヴェル様が仰っている事は分かる。アルハイン公国が帝国から離れて独立するには、権威が必要である。アルハイン公国に限らず、大諸侯領というのは直轄地と配下の小諸侯領の集合体だ。今回、アルハイン公国が帝国と離れようとしているのと同じ理由で、アルハイン公国の求心力が下がれば配下の諸侯が逃げて行ってしまう可能性がある。それを防ぐには第一にアルハイン公国が諸侯を従えられるくらい強い事。そして、色々なモノに裏付けられた権威を持つ事だ。


 イブリア王国は超弱小国家だが、かつて皇帝を何人も輩出したという王家の家柄の権威だけはこの大陸でも有数レベルなのだ。そのイブリア王家にアルハイン公国が婿を出した。その婿がイブリア王国の王になればアルハイン公国は外戚となり、イブリア国王の代理人として振舞えるようになる。他の王家からの命令をイブリア王家の意向だとして拒否する事も出来るようになる。そうなれば帝国から分離独立してもほとんどの麾下の諸侯は従うだろう。


「特に今回の戦いであなたは王家にも珍しい金色の竜の力を示しました。その力が戦場で大きな力を発揮する事は帝国では広く知られているようですから、あなたがアルハイン公国に味方するという事は、大きな軍事的抑止力になるのですよ」


 確かにそれはその通りだ。何しろ実質倍くらいの敵を撃ち破ったもんね。あの時のアルハイン公国軍。あれが味方に無く、敵が自在に使えると思えば軍事的なちょっかいを出す気も無くなろうというものだ。それはフェルセルム様がわざわざこんな山奥まで帝都から二週間も掛けてやって来て、結婚直前の私に横恋慕プロポーズかましてまで味方として手に入れようとするのも当然というものなのだ。


 クローヴェル様曰く、血筋的な権威、金色の竜の力、巡礼路として重要な意味を持ち始めた土地。それらを持つ王国自体をアルハイン公国が丸ごと手に入れる事をアルハイン公国は狙っていて、自分の婿入りでほぼ達成出来ているとの事。私がアルハイン公国に加勢するために出陣したのが象徴的な出来事だという。確かにお父様が戦場に出た事は無いそうだし、アルハイン公国に特別な便宜を図った事も無かったそうだ。イブリア王家とアルハイン公爵家の関係が劇的に親密になっていると帝国中に知れ渡る出来事だっただろう。


「だから、アルハイン公国、父上や兄上たちはその路線を推し進めるしかないのですよ。そう考えれば、父上たちが次に考える事も見えてきます」


 え?それは何?と私は思ったのだが、クローヴェル様は面白そうに笑うだけで「仮定の話で外れたら恥ずかしいから」と教えてくれなかった。仮定でも良いから教えて欲しかったんだけど。


 しかしながらそのクローヴェル様の予想が当たったと分かる出来事は、比較的早く訪れた。山間部の厳しい冬を乗り越え、雪が溶けて国境から王都までの街道が通れるようになり、気の早い商人たちが王都に集まり始めた早春。私とクローヴェル様は馬車のお迎え付きで王宮に呼び出された。またか。また戦争でも起こったのかしら。そう思いながら急ぎクローヴェル様と王宮に駆け付けると、そこに意外な人が待っていた。前回のグレイド様も意外だったが今回はもっと意外だった。


「アルハイン次期公爵!?」


「兄上!?」


 私のお見合い相手に唯一ならなかったアルハイン公爵の長男。次期アルハイン公爵であるエングウェイ・アルハイン様が、王宮のサロンでお父様と向かい合い、優雅に長い脚を組みソファーでお茶を飲んでいらした。


 フワフワした金髪と濃い青の瞳はお母様のコーデリア様譲りのようだ。非常に長身で、体格も良く、脚はご覧の通り長い。顔立ちもキリリと端正。このご兄弟は美男子揃いだが、一番女性受けは良さそうという容姿だった。エングウェイ様は私達がサロンの入り口で立ち尽くしているのを見て、優雅に立ち上がると、私達の前に来て跪いて礼をした。


「お久しぶりでございます。王太子殿下、妃殿下」


 私も驚いていたがクローヴェル様の驚きはそれどころではない。


「あ、兄上、兄上がこのような所にまで何をしにいらしたのですか?」


「おいおい。このような所とは失礼だろう」


 いや、別に失礼でも無いと思いますけどね。クローヴェル様から以前に伺っていた事によると、エングウェイ様は次期公爵として大変忙しくしていらっしゃっているそうで、ご兄弟なのに滅多に会えない程だったのだという。次兄のホーラムル様よりも関係は良かったようで、クローヴェル様はエングウェイ様を慕っているとも聞いた。


「其方の顔を見に来た、と言いたいところだったのだが、そうではない。王国と王家に頼みがあって来たのだ」


「頼み・・・、ですか」


 クローヴェル様の表情がきゅっと引き締まった。私達は二人そろってソファーに腰を下ろし、エングウェイ様と向かい合った。


「前置きは無しにしましょう。アルハイン公爵家としては、イブリア王家に我が国都へ移住してもらいたいと思っているのです」


 衝撃の発言に私もクローヴェル様も咄嗟に反応出来ない。固まっていると、お父様が髭を撫でながら言った。


「それは、我が王家に旧王都を返してくれる、という意味だと思ってよろしいかな?」


「そうです。イブリア王家に王都と領地をお返ししますので、全体を新たにイブリア王国として治めて頂きたい。我がアルハイン公爵家はその下で王家に尽くさせて頂きます」


 とんでもない発言だった。


「父上はご存知なのですか?」


「クローヴェル。私が父上に無許可でこのような話をするわけが無いだろう?当然ご存知だ。公国の諸侯も当然承知の上だよ」


 この時、私は冬前にクローヴェル様が予想していらっしゃったのがこの事だと分かった。そう。アルハイン公国がイブリア王国の権威を利用する上でネックになるのが、アルハイン公国よりもイブリア王国の方が大きく強く、他の国から見ればイブリア王国を山間部に閉じ込めているようにも(かつては事実だったし)見える事だ。その状態でイブリア王国の権威を利用し過ぎると「アルハイン公国はイブリア王国を傀儡にしてる」と言われてしまう事になる。場合によっては帝国や他の王国からイブリア王国の開放を大義名分に戦争を挑まれたり、無茶な要求をされかねない。


 それを防ぐには、イブリア国王を主君として迎え、その下でアルハイン公国が実権を握る形に変えた方が良い。そのためにはイブリア王家に王都と領地を返して、私達を取り込む必要がある。私達が現在のアルハイン公国の都に行っても、もう百年以上もアルハイン公爵一族がしっかりと治めて把握していた都と領地を実効力を伴って治める事は出来まい。アルハイン公爵がそのまま事実上は治める事になる。それならば名目上の宗主権に拘る必要は無いとの考えだろう。


 この方策には私達にもメリットが多数ある。まず何よりも領地と都が返還される事によってイブリア王家は旧領と都を取り戻す事になる。これはイブリア王国が百年ほど前の政変以前の状態に復する事を意味する。他の王国、帝国全体に与えるインパクトは大きい。そして一気に臣下の諸侯も増え、予算規模は拡大し、他国への影響力も拡大する事になる。これらはクローヴェル様を皇帝に押し上げるためには非常に重要な事だ。私が本来何十年も掛けて手に入れようとしていたモノだ。それが一夜にして手に入る。


 勿論、デメリットもある。最大のデメリットはイブリア王国がアルハイン公爵に完全に牛耳られる可能性が高い事だろう。当たり前だが、アルハイン公爵は私達の思う通りの政治をさせる気なんて無いだろうからね。私達にはお飾り以上の事はやらせる気は無いだろう。現在のイブリア王国の領域での巡礼路や陶器製造事業も事実上奪われる可能性が高い。


 長年アルハイン公爵家は公国を運営し、帝都や他の王国と渡り合ってきた海千山千の大諸侯。こっちは戦争とも政争とも縁のない山奥でやってきた田舎王族。しかも農家育ち。対抗しようとするのが間違っているとさえ言える。


 クローヴェル様とお父様はエングウェイ様に色々質問をしていらっしゃる。王都を移転した場合、王国の家臣達の扱いはどうなるのかや、他の王国や帝都から異議が唱えられた時はとうするのかなど。それに対するエングウェイ様の返答を聞くと、アルハイン公国がこの件について非常に深く検討した事が分かる。


 どうするか。私は少しだけ悩んだ。この山の中は私の故郷だし、愛着もあるし大事な物も人も沢山ある。しかしながら、ここにいたら前に、クローヴェル様を皇帝にするという目標に向けて進む事は出来ないだろう。そう。いつかは故郷を捨てなければならない事は分かっていた事だ。それがいつになるかが分かっていなかっただけで。


 それが今なのだろう。そう気が付けばもう迷いは無かった。


 私は決断した。


「クローヴェル様。このお話をお受け致しましょう」


 クローヴェル様は紺碧色の瞳を見開いたが、どうやら私がそう言うのを予想していた様であった。


「・・・良いのですか?」


「木に登らねば木の実は得られません。行きましょう。貴方を皇帝とするために!」


 私が言うと、エングウェイ様が面白そうに笑った。


「クローヴェルを皇帝に、ですか?」


「ええ。私が必ずクローヴェル様を皇帝にして差し上げます。こうなったらアルハイン公爵にも協力してもらいますからね!」


 エングウェイ様は苦笑なさっておられたが、この時はまさか自分がガッツリ巻き込まれるとは思っていなかったのだろうと思われる。この方は今回の件の首謀者とも言える方だったのだが、後々「誰だあのじゃじゃ馬姫を世に解き放ったのは!あんなトンデモない女は山奥に閉じ込めておけば良かったのだ!」と事あるごとに叫んでいたそうだ。


 こうして、イブリア王家の旧王都帰還が決定した。




 王都の引っ越しは春になるのを待って行われる事になった。ただ、移動するのは私とクローヴェル様、そして侍女数人だけという事になったので、準備はそれほど大規模なものにはならなかった。本を持って行くので馬車がその分必要なくらいだ。


 そう、お父様は残ることになったのだ。


「ワシはここで生まれ育ち、老いたからな。色々思い出もある」


 そう仰って、この地で引き続き王国の山間部を治めてくれる事になったのだ。確かにずっとこの山間部を統治していたお父様がそのままここに居てくれれば助かる事は助かる。


 だが、そうなると私はお父様と離れて暮らす事になる。馬車で七日も掛かる距離だ。お父様はまだまだお元気とはいえ老齢である。何かあっても駆け付けるのも容易ではない。何より、離れて暮らすのは私が寂しい。私がお父様の手を握りながら弱音を吐くと、お父様は私の頭を撫でながら言った。


「何を言うのか。クローヴェル殿が皇帝になれば帝都に住むのじゃぞ?遠さは旧王都の比では無いぞ?」


 お父様は髭を震わせて笑った。初めて会った時からお父様はずっと変わらない。白い髪と白い髭でほとんど顔が見えない。だが、その下で私をいつも優しく見守ってくれている事を私は知っている。


「こんな田舎は年寄りに任せて、行くが良い。我が娘。必ず其方の目的を果たすのじゃぞ」


 私は涙ぐみながら頷くしかなかった。


 お別れと言えば、実家の皆と近所の幼なじみともお別れだ。実家は元王家の側近の貴族だったが、今は完全に土地に根付いた農家だ。まさか新しい王都について来る訳にはいかない。


「まさかこんな事になるなんてねぇ」


 と母さんは嘆いたが、父さんは娘を嫁に出すというのはそういう事だと何食わぬ顔をしていた。実家は二男一女で兄さん達二人は結婚して子供もいる。だから私がいなくても寂しくは無いだろう。と、言ったら上の兄さんに怒られた。


「お前が出陣した時、父さんがついて行くって騒いで大変だったんだぞ!」


 との事。ごめんなさい。後で聞いたが父さんは兄さん達に畑を譲って私について行きたがったらしいが、逆に迷惑になると説得されて諦めたらしい。


 近所の幼なじみ達も寂しがり、餞別を沢山くれた。近所のおじちゃんおばちゃんも泣いて別れを惜しんでくれた。そんなに簡単に帰って来る事が出来る距離では無いから、もう二度と会えない人もいるだろう。寂しいが、私はもう、前に進むと決めたのだ。クローヴェル様を皇帝にするために。


 引っ越しの前に、重要な儀式が行われた。譲位式である。


 アルハイン公爵にとって、迎え入れるのは王でなければならない。お父様が行かれない以上、クローヴェル様に王位を譲っておかなければならないのだ。クローヴェル様は驚き、辞退した(王太子でも十分な筈だと言って)が、お父様と私に説得されて、結局譲位を受ける事になった。


 王宮の小さな礼拝堂。珍しく正装に身を包んだお父様と、紺色のスーツに身を包んだクローヴェル様が向かい合う。私は紺色のドレスを着て、手に王家を象徴する旗と盾を持って見守る。


 お父様の前にクローヴェル様が跪く。お父様が自分が被っていた王冠を取り、掲げながら朗々と祝詞を唱えた。


「大女神アイバーリンと七つ首の竜の名の下に、イブリア王国の王たる権能の全てを私マクリーンより汝クローヴェルに譲る。イブリア王国の土地と民は大女神と竜より与えられし物。汝は女神と竜の代理人としてこの地を導き良く治めなければならない」


 それに応じてクローヴェル様が頭を下げたまま誓いの言葉を述べる。


「私クローヴェルは大女神アイバーリンの代理人として竜の一首を担い、イブリア王国を良く導く事を誓います」


 お父様はそれに頷くと、クローヴェル様の頭に王冠をそっと載せた。


 この瞬間、クローヴェル様はイブリア王国国王クローヴェル一世となられた。同時に私もイブリア王国王妃イリューテシアとなった。私もクローヴェル様も二十歳だった。


 譲位を受けたクローヴェル様と私は、王都の人達に惜しまれながら盛大に見送られ、王都を旅立ったのである。季節は春。遠ざかる王都の背景に見える山々にはまだはっきりと雪が残っていた。



 今回はアルハイン公国より立派な馬車を連ねた迎えが来ていて、非常に快適な旅になった。護衛も騎兵だったので歩みも早く、泊まるのも町の宿だったので、クローヴェル様が体調を崩されることも無かった。


 余裕を持って進んだにも関わらず、六日目の昼には到着した。ふむ、これなら早馬をリレーさせれば三日くらいで結べそうね。実際、東の国境地帯とはそれくらいで連絡が取れるらしい。最短二日だと後で聞いた。


 ずっしりとした城壁に護られたアルハイン公国の都。いや、今日この日からイブリア王国の新王都。この都の主は今日からクローヴェル様なのだ。そう思いながら見るとなかなか感慨深いわね。


 新王都の城門を潜り、新王宮になる城へ入城する。城門の前には数十騎の騎兵が槍をかざして立ち並んでいた。馬車はその間をゆっくり進む。そして更に鎧姿の兵士が五百人くらい整列したその前に、アルハイン公爵一族が勢揃いして待っていた。公爵夫妻、次期公爵夫妻、ホーラムル様と多分奥様、グレイド様とあれも多分奥様ね。クローヴェル様のお姉様はいらっしゃらないわね。多分、お嫁入りされて一族を外れたんだわ。


 私がクローヴェル様のエスコートを受けて馬車を降りると、その八人の着飾った男女が一斉に跪いた。


「イブリア王国王家のご帰還をお祝い申し上げます。クローヴェル様、イリューテシア様。我ら一族が謹んでお二人をお守りさせて頂きます」


 流石に自分のご両親や兄君達に跪かれてクローヴェル様は戸惑っていらっしゃる。私は彼の背中をポンポンと叩いた。それでクローヴェル様は何とか我に返って言った。


「宜しくお願いする。アルハイン公爵」


「御意」


 私は進み出て、微笑んだ。


「私からもお願い致しますね。アルハイン公爵。皆様」


「有り難きお言葉です。イブリア王国の戦女神をお護り出来るとは、騎士として光栄の極みであります」


 ・・・は?何だか聞き捨てならない呼び名で呼ばれたような気がするんですけど!?


「な、なんですか!?その二つ名は!?」


「イカナの戦いに参加した者は皆そう呼び、讃えていますよ。金色の竜の力を操り、戦場においては竜の旗を振るって的確な指揮をし、軍の窮地を救ったイリューテシア様は戦女神だと」


 ・・・なんという話を流布してくれるのか。私はホーラムル様とグレイド様を睨んだ。戦いに参加した者と言えばこの二人に決まっている。


 グレイド様は少し肩を竦めたが、ホーラムル様はむしろ目をキラキラと輝かせて私を見詰めている。私は思わず仰け反ったが、ホーラムル様は勢い込んで言った。


「イリューテシア様のご指揮をまた受けられるとは光栄の極み。イブリア王国の戦女神の元、私以下アルハインの騎士は命を賭して戦いますぞ!」


 いつ誰が指揮などしたのかと思うのだが、ホーラムル様の中ではどうやら私が伏兵を指摘したあれが指揮だという事になっているようだった。


 ま、まぁ、有能な前線指揮官であるホーラムル様が忠誠を誓ってくれるのは悪い話では無いわよね。そういう事にしておこう。


 私達は公爵夫妻に案内されて王宮に入った。のだが、公爵は本館を素通りして庭園を突っ切り、その奥の瀟洒なお屋敷に向かった。


「お二人はこちらをお使い下さい」


 私は首を傾げた。青い屋根に薄いピンク壁の可愛いお屋敷だが、王は普通王宮本館に住まう筈。


「クローヴェル様のお身体の事を考えるとこちらの方がよろしいと思いまして」


 なる程。確かにクローヴェル様のためには庭園に囲まれ、陽当たりも良く、風通しも良いこのお屋敷は良いだろう。私も同じ事を考えて婚約した時に離宮を建てたのだから分からない話では無い。


「本館は誰が住むのですか?」


「現在、私達が住んでおりますので、お許しを頂ければそのまま住まわせて頂こうかと」


 私は少し目つきを鋭くして言った。


「ダメです」


 公爵が驚きに目を丸くした。


「王宮の主は今日からクローヴェル様です。本館には主が住むものです」


 私はキッパリ言った。公爵の考えは見え透いている。私達を本館から離れたこの離宮に隔離して、外廷から遠ざけるつもりなのだ。自分達が本館に住み続けて、王国内に自分達が実質的な王なのだとアピールする狙いもあるのだろう。


 そんな事を認める訳にはいかない。私はお飾りの王妃になる気など毛頭無かった。


「しかしですな、私は政務をする関係上、本館に住み続けた方が都合良く・・・」


「これからはクローヴェル様や私が政務を行うのですよ?私達の都合はどうしてくれるのですか?」


「長年住んでおりますから荷物も多く引っ越しも大変で・・・」


「何なら荷物は置いて行ってもよろしいですわよ?私達は家具一つ持ってきておりませんからね」


 私は抵抗する公爵を強圧的にねじ伏せて、本館からの退去を認めさせた。公爵は困ったようにクローヴェル様を見て助けを求めたが、クローヴェル様は知らん顔していて下さった。


 公爵は三日間で引っ越すと約束したので、その間私達は本館の客間に滞在した。その間だけでも離宮に入っては?という打診は却下した。どうせそのままなし崩しに離宮から出られなくなるに決まっている。


 観念した公爵は自分達が離宮に引っ越した。その後、本館の整備を行い、私とクローヴェル様は到着から五日後に王宮本館に入ったのだった。


 後日、公爵夫人であるコーデリア様は私とお茶会をした時に嘆いたものだった。


「だから貴方をここに招くなんて止めろって夫や息子には言ったのよ?貴方達の手に負えるような娘じゃないって。案の定だったわ」


「何だかすみません」


「良いのよ。貴方の処置は間違って無いもの。貴方を甘く見た家の男共が悪いのよ」


 私達は本館に入ると、直ぐに外廷に家臣や麾下の諸侯を呼び集めた。王宮の大謁見室。以前には無かった高い階が設置され、その上に玉座が据えられている。


「大女神アイバーリンの代理人にして七つ首の竜の一首たる偉大なるイブリア王国国王、クローヴェル様。王妃イリューテシア様。ご光来!」


 そう呼び出しの侍従が大きな声で私達の入場を告げる。私とクローヴェル様は専用入り口からゆっくりと階の上に現れた。服装は旧王都から持ってきた王と王妃の重厚で古臭い正装だ。古臭さも威厳に繋がるから馬鹿に出来ない。輝く王冠、王妃冠も被り、クローヴェル様はイブリア王国を象徴する複雑な象嵌をほどこされた盾、私は王国の竜の旗を持っていた。


 眼下の全員、アルハイン公爵一族を含めた今や王国麾下となった数十人の諸侯、それ以外の貴族、家臣が胸に右手を当てて頭を下げている。クローヴェル様と私は階の端まで進み出る。クローヴェル様は私に盾を渡し、両手を広げて精一杯の大きな声で言った。


「私、イブリア国王クローヴェルはここに、アルハイン公国の併合を宣言する。同時に王都をこの地に移し、王都の名を『マクリーン』と改める事とする」


 お父様の名前を貰って王都の名前にしたのだ。その事と、アルハイン公国を「併合」という表現にする事についてはアルハイン公爵や次期公爵からかなり難色を示されたが、私がゴリ押しで押し通した。「イブリア王国の復活を帝国や他国に印象付けるにはこうしなければならない」と。


 長く大きな声でしゃべると息が切れてしまうクローヴェル様に代わって、続けて私が大きな声で演説する。


「これよりこの地は再び竜の一首たるイブリア王国の旗の元に入る事になります。イブリア王国はかつて帝都の横暴に抗い立ち向かった王国です」


 負けたけどね。


「今また帝都の者達はこの南の地の者達を軽視し、横暴にも我々からの援軍の要請を断りました。我がイブリア王国はそのような横暴に対して断固抗議し、立ち向かいます。皆様、私達に力をお貸し下さい!この南の地から帝国を変えましょう。帝都の者達に我らが怒りを思い知らせ、我々のために帝国を取り戻そうではありませんか!」


 私が叫ぶと、眼下の者達からどよめきが起こった。内容の過激さに驚いたのもあるだろうけど、自分たちの不満を私が拾い上げてくれたと思ったからだろう。私は右手の旗を広げて軽く振り、左手に持つ(ちょっと重い)王家の盾を見せつける。


「大女神アイバーリンの代理人にして七つ首の竜の一首を担います我が夫クローヴェル様を皇帝にすればそれが叶います。我がイブリア王家は帝国の盾。帝国を守護する者です!」


 本当は盾は外敵から帝国を護るという意味なんだけどね。


「帝国の危機に立ち上がるのは盾を任じられたイブリア王家の宿命です!帝国を護るのは古より我が王家に定められた聖なる使命です!クローヴェル様が帝国の危機に立ち上がるのは当然です!」


 私は右手を天に突き上げ、水色の竜の旗を見せつける。


「大女神アイバーリンと我らが源の竜よご照覧あれ。我が夫クローベル様が皇帝となって帝国を護ります。皆様もお祈り下さい。大女神アイバーリンよ、我らをお守り下さいませ」


 私の気合に乗せられたか、全員が一斉に「「アイバーリンよ、我らをお守り下さいませ」」と唱和してくれた。よし。これでみんな共犯だからね。ちらっと見ると階の一番近くに立っているアルハイン公爵とエングウェイ様が目と口を丸くして絶句していらした。無理も無い。ここまでやるとは言っていなかったからね。


 何しろ帝国、特に帝都の皇帝陛下に向けての明確な反抗宣言なのだ。アルハイン公爵としては実際には私が演説したような事を思っていたとしても、それを公言してあからさまに帝都に歯向かってしまうと、他の王国や有力諸侯をはっきりと敵に回してしまう事になる。なのでこの併合の宣言の場ではそれとなく帝国を批判するくらいの演説で済ませる筈だったのだ。


 それを私がぶっちぎった訳である。しかも宣言しただけではなく諸侯や貴族も巻き込んだ。これで後戻りはもう出来ない。アルハイン公爵が単独で処理出来る事態を明らかに超えてしまっただろう。ましてその横に立っているホーラムル様のように熱狂的に私を讃えて拍手をしてくれる諸侯もかなりの数いる。それだけ帝国に対する不満は大きかったのだろう。これで私達をお飾りにして仕舞っておく余裕は無くなってしまったと思われる。


 ふふふふ、これでイブリア王国は挙国一致でクローベル様を皇帝に押し上げるしかなくなった。竜首の王国の国王が皇帝を目指す事は不遜でも何でもない事で、当然でさえある。しかし、国王が皇帝陛下に反抗するのは大問題だろう。私はだから帝国、皇帝陛下への反抗と同時にクローヴェル様の皇帝へ立候補をセットにしたのだ。これがセットになっていると皇帝陛下であってもイブリア王国を罪に問い難い。反抗も皇帝になった時の決意表明のように見えるからだ。


 両方を取り下げる事は既に出来ず、クローヴェル様を皇帝にしない選択をすると皇帝陛下への反抗だけが残ってしまう。それを防ぐにはイブリア王国はクローヴェル様を皇帝に推し続けるしかないのだ。


 イブリア王国が旧領であるアルハイン公国を併合したという衝撃のニュースは、国王クローヴェルの皇帝立候補宣言と、イブリア王国による皇帝陛下への強烈な不満表明という激震を伴って帝国中に広がる事になるのだった。

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