八話 イカナの戦い

 グレイド様は供を十騎ほど連れていたので、私はそれに加わって戦場に急ごうとした。のだが。


「姫を一人で行かせるわけにはいかない!」「おう!俺たちも行くぞ!」


 と婿攫いの時と同じパターンで衛兵や王都の市民が慌てて私に付いて来てしまったので、図らずも私は歩兵を百人ほど率いる事になってしまった。来なくて良いと言ったのだが、どうしてもと言って皆聞かなかったのだ。私は、必ず王宮で鎧兜と武器を受け取ってから来るように厳命し、武装の無いものの従軍を禁じた。そうしないと鋤や鍬を持っただけの者が来てしまう恐れがあったのだ。婿攫いの時と違って今回は本当の戦場なのだ。誰も無駄死にはさせたくない。


 歩兵が加わってしまったので、進む速度は遅くなり、騎兵だけなら駆け続けて丸一日の所、丸二日掛ってしまった。グレイド様は伝令を先行させ、状況の把握に努めていた。遊牧民族の動きは読み辛く、目を離すと何十キロメートルも移動してしまう事もあるのだとか。今回は国境付近にあるアルハイン公国の勢力下にあるイカナという城壁都市を狙っているという情報があったのだそうだ。イカナはアルハイン公国南東部最大の都市で、この辺りの流通の要であり、重要戦略拠点でもある。ここを陥落させられたら、アルハイン公国の南西部がごっそり切り取られる可能性もある。


 イブリア王国にとっても他人事では無く、そうなればイブリア王国のある山間部への入り口は遊牧民に抑えられてしまうかも知れない。絶対に防衛しなければならなかった。


 イカナに到着すると、街の城門はしっかり閉じられていて入る事は出来なかった。既に完全に籠城の態勢なのだ。アルハイン公国の軍勢は街の外に野営していた。遊牧民達の動きにいつでも即応出来るようにするためだろう。私はイブリア王国軍の皆に野営準備と休息を命じ、私自身はグレイド様に着いて本陣へと向かった。


 本陣に使われている大型のテントに入った途端。


「遅い!」


 という怒鳴り声に迎えられて私は仰け反った。


「遅いぞグレイド!危うく間に合わぬ所だったではないか!じゃじゃ馬姫は説得できたのか!」


 懐かしのホーラムル様が金髪をぼさぼさにして青い目を血走らせていた。私はグレイド様の背中からひょいと顔を出して、ニッコリ笑った。


「じゃじゃ馬姫は来てますよ。お久しぶりです。ホーラムル様」


 すると、ホーラムル様はピキっと固まってしまった。ありゃ?そして数歩後ずさると、ようやくそこで踏みとどまった。額に汗まで浮かべている。一体どういう態度なのか。私、この人をこんなに怖れさせるような事を何かしたかしらね?


「お、おひさしぶりでございます。お、王女殿下」


「もう王太子妃ですけどね。申し訳ありません私の手勢は歩兵ですので遅くなりました」


 本陣にはホーラムル様の他、十名程の鎧姿の方々がいた。見覚えがある人もいるので、アルハイン公国の貴族や周辺の諸侯達、後は騎士の幹部だろう。全員、私の事を驚きの目で見詰め、ホーラムル様の態度に困惑している。それはそうだ。恐らくはこの戦いの総大将であるホーラムル様があんなに動揺しているのだ。何者が来たかと思って不思議は無い。私は進み出て自己紹介をする。


「イブリア王国王太子妃、イリューテシア・ブロードフォードです」


 全員が「ああ」となる。


「「イブリア王国のじゃじゃ馬姫ですか」」


 全員が声を揃えるくらい有名なのその二つ名?恥ずかしいんだけど。


 とりあえず私を知らぬ者はいないようだったし、イブリア王国王族の参戦はアルハイン公国の権威を高める意味で重要な事であるので、私の参戦に異議を唱える者はいなかった。後は私がその「金色の竜の力」とやらを使えるかどうかなんだろうけどね。


 一応、出立前にお父様に王家の秘伝とやらを伝授されてはいた。ただ、お父様曰く、お父様自身は金色の竜の力を持っていないし、先代、先々代の王も同じく持たなかったのだそうだ。そのため、ここ何代かは誰も使った事が無く、使い方が正しいのかの確認も出来ていないというあやふやな秘伝だった。


 しかも困った事に、この金色の竜の力は一度使ったら三日くらいは使えなくなるという制限があるらしく、王都で練習してから戦場に駆け付ける訳にはいかなかったのだ。なので使う時はぶっつけ本番になってしまう。大丈夫なのかしらね。そんなので。


 ただ、作戦会議を聞いている限りでは、ホーラムル様はそんなあやふやな力に頼ることなく、何とか自力で勝とうと試みているようだった。流石に騎士としての自分を誇っていただけの事はある。周囲の者の様子を見てもホーラムル様の指揮能力には信頼を置いているらしい事が分かる。本当に能力は高いのだろう。あと、要所要所でグレイド様が発言し、上手く議事をコントロールしているようだ。この兄弟のコンビ、なかなか良さそうね。


 作戦上私とイブリア王国軍に求められた事は二つ。前線までちゃんと従軍する事。後はアルハイン公国軍の邪魔をしない事だった。護ってやる余裕はないから、逃げ回っても良いから自力で自分の身は守れというような事を言われた。要するに私が前線に出るという事実がアルハイン公国にとっては重要なのだろう。後、役に立ちそうなら金色の竜の力を使って下さい、と一応はホーラムル様からもお願いされた。ま、一応やってはみましょう。


 私は王国軍の陣地に戻り、全員を集めて訓示をした。戦ってはダメ。勝てるわけが無い。戦いが始まったら逃げたと思われないようにそっと後方へ下がり、敵が来たら全力で逃げる事。私は馬で全力で逃げるので、皆は散り散りに逃げなさい。無駄死にダメ絶対。というような事をしっかり申し渡した。全員が笑いながら聞いていたからどうだろうね。私を心配して付いて来てくれたような人たちを、こんなところで死なせたくはないのだが。


 私だけ天幕を借り、しかしベッドまでは無かったので毛布にくるまって眠る。何だか子供の頃に戻ったようで懐かしい。友人の家で遊んで泊まる時などは、ベッドが小さくて二人は寝られ無いので、友人と木の床に転がって寝たものなのだ。私はクローヴェル様に「豪胆」と言われた度胸の良さで、明日戦場に出るというのに全く気にせずぐっすりと寝た。


 翌日早朝、私は手勢を率いてアルハイン公国軍の後をついて行った。


 アルハイン公国軍は五千五百。内訳は騎兵が三千、歩兵が二千。輸送部隊が五百である。騎兵の方が多いのは、遊牧民がほぼ全員騎兵で構成されているからで、敵に即応するには騎兵が多い方が良いのだそうだ。


 遊牧民はあまり鎧をきっちりと着込まない軽騎兵が多いそうだ。アルハイン公国も過去の戦訓からか全身鎧の者は少なく、戦場での速度を優先している事が分かる。ただ、それでも比較すれば重武装のアルハイン公国軍、軽装の遊牧民という感じになるようである。私はきっちり全身鎧を着ている。万が一流れ矢に当たったりしたら大変だから、戦闘が始まったら兜も被る様に色んな人に言われた。


 敵の数は良く分からないが七千くらいで、先ほども述べたようにほぼ全て軽騎兵だ。彼らの目的は略奪だが、その戦闘力は高く、長年帝国を悩ませている。百五十年くらい前には大連合軍を形成して攻め寄せ、帝都が半年も囲まれた事がある。


 敵の数の方が多いのだから、いくらアルハイン公国軍が精強とは言え、苦しい戦いになるだろう。本当はここに帝都からの援軍が来る筈だったのに。フェルセルム様の馬鹿者め。昨日の軍議を聞く限りにおいては、ホーラムル様は敵を有利な戦場に誘導し、そこで短期決戦で打撃を与えて敵を追い返そうと考えているようだった。アルハイン公国にとっては遊牧民がアルハイン公国に深く侵入しなければ良く、完全に撃滅したり撃退する必要は無いそうだ。


 グレイド様が仰っていたが、公爵領都には公爵と次期公爵が率いる一万の軍勢がまだおり、最悪の場合はその軍勢で領都だけは死守するとの事。ただ、そうなるとアルハイン公国の面目は丸つぶれとなり、おそらく帝都から何らかの処分が下るだろうとのこと。勝手な話だが、アルハイン公国は帝都の南東の護りを任されているのだから仕方が無いのだという。


 戦場は低い丘が連なる地域で、遊牧民を迎え撃つ時は大体ここの辺りで迎え撃つ事になるのだそうだ。全くの平原だと、遊牧民の機動力について行けなくてアルハイン公国軍の勝ち目が薄くなるので、地形変化を利用して敵の動きを少しでも抑えたいとの事だった。ホーラムル様が軍議で仰っていた感じだと、こちらは出来るだけ高所を占位し、敵を低地に押し込めて、チャンスがあったら突入するというような作戦のようだ。


 さて、戦域に進入する前に、いきなり私の出番がやって来た。アルハイン公国軍が整列し、その前にホーラムル様とグレイド様が騎乗で出て、そこに私も歩いて付いて行く。鎧は着ているが、兜は脱いでいる。下馬したのは、馬上で儀式が出来るか分からなかったからだ。お父様に教わった時は立ってやったので。ホーラムル様が大きな声で言う。


「こちらは、イブリア王国の王太子妃殿下、イリューテシア様だ。これから我々に竜の力を分け与える儀式を行って下さる!全員、王太子妃殿下に捧げ剣!」


 五千人の軍団が一斉に抜剣して顔の前に掲げた。剣が鞘から抜かれるジャキンという音が揃って聞こえたのだから、動きが揃っている証拠だ。良く訓練されているのだろう。全員、真剣な顔で身動きもしない。ざわめき一つ聞こえても無い。うーん。これはやっぱり出来ませんでしたでは済まないのでは?私はちょっと真面目な顔を意識する。せめて見た目と動作はそれらしくして失敗しても何食わぬ顔で、ちゃんと儀式はしましたよ、と言うために。


 私は進み出て、両手を真っ直ぐ上に上げた。手の平は上に向け親指の付け根同士が触れる感じ。顔も上を向けるが、目は閉じる。


「おお、我が祖でありその源である七つ首の竜よ。我が戦士に力を与えたまえ。戦士たちに勇気を与えたまえ、戦士たちに力を与えたまえ、戦士たちに幸運を与えたまえ。その剣は鋭く鎧は堅牢で、その腕はたくましくその脚は疲れを知らぬ。おお、七つ首の竜よ。その末裔たる我らに勝利を与えたまえ!」


 祝詞を唱えると、私はくわっと目を開いた。


 ・・・のだが、どうなのかしら。これで良いのかしら。お父様に教わった手順と祝詞なんだけど。やっぱり私には無理なんじゃないの?


 と思いながらもその姿勢をキープする事しばし。突然、天に向けていた私の両掌からピカーっと金色の光が迸った。光は天に向かって真っすぐに上がって青空に吸い込まれて行く。え~!?


 驚く私だが、動いてはいけないのは何となく分かる。我慢して動かずにいると、ほんの数秒で私の手から噴き出す金色の光はかすれるように消えた。な、なんだったんだろう。今のは。


 しかし安心するのは早かった。次の瞬間天より、打ち上がった光の何十倍もの金色の光の奔流が、バシャーンと落雷のように軍団の上に落下してきたのだ。落雷と違うのは無音だった事だ。しかしながら突然の光の豪雨に軍団の兵たちは「うおお!」と叫んで大慌てになる。しかし光はやはり数秒で止み。終わった。


 ・・・私は天を見上げた姿勢で固まっていた。何ですかあれは。あれが金色の竜の力なのだとすれば、何ともはや派手な事だ。事象としては凄かったが、あれは何の役に立つのだろうか。


 私が固まっていると、ざわざわとアルハイン公国軍の兵たちがざわめき出した。私は漸く我に返り、手を下ろすと兵たちが何に騒いでいるのか確認しようとした。


 兵たちが目を輝かせて見ているのは私だった。え?私!?五千人もの人間がキラキラした目で私を一心に見つめているのだ。幾ら私でも動揺を禁じえない。彼らは口々に「凄い!」「竜の力か!」「力がみなぎって来る!」「身体が薄っすら光っているぞ!」とか言っている。ほうほう。やはり何らかの効果があったようだ。兵士たちは興奮し、今にも私の所に殺到してきそうだ。そこへ、ホーラムル様が馬を進めて大音声を上げた。


「皆の者!これが竜の力だ!帝国を護る聖なるご加護だ!我々には竜の力を操る聖女が付いている!勝利は疑いないぞ!」


 軍団がどおおお!っと地響きのような雄たけびを上げる。ホーラムル様は頷くと、剣を高く掲げた。


「行くぞ!前進!」


 ホーラムル様が叫び、私は慌てて軍団の前面から避けた。全員が胸に拳を当てる騎士礼をしながら私の前を行き過ぎる。全員が目を輝かせているのが何とも怖い。私の所にグレイド様がやって来て馬から飛び降りると、跪いて深々と頭を下げた。


「期待以上でした!ありがとうございます妃殿下!」


「い、いえ、あれで良いのでしょうか?」


「確かに力がみなぎり身体が軽くなっております。間違い無く伝え聞いていた金色の竜の力と同じです。何より、お力を受けて軍団の士気が天井知らずに上がっております。これなら何とかなりそうです!後は我々の仕事です。殿下はお早く後方におさがり下さい!では!」


 グレイド様はそう言うと馬に飛び乗り、軍団を追い掛けて行った。呆然とそれを見送っていると、イブリア王国の兵が私の所に集まって来る。彼らも竜の力を受けたらしく、目を輝かせている。そういえば確かに薄っすら身体が光っているわね。


 後方へ下がれと言われたし、先ほどまではそのつもりだったのだが、どうも私が竜の力を与えたせいでアルハイン公国軍は恐れを知らぬ集団になってしまったようだ。そのせいで兵たちが無用な戦いをして死んだら、何となく私のせいみたいで嫌だな、と思ってしまった。どうにも戦場が気になったので、私はこの辺りで一番高い丘に登る事にした。そこも後方といえば後方だし。兵百人を連れて移動する。


 丘を登り切るとそこは灌木が僅かに生えているくらいで見通しが良かった。かなり前方の丘の上にアルハイン公国軍がいて、丘の下にいる者たちと戦っているようだった。あれが遊牧民たちか。私はこの時初めて遊牧民を見た。


 遊牧民は全体的に黒髪の者が多いようだった。私も黒髪なので親近感は湧くわね。確かにあまり重そうな鎧は着ておらず、服装も赤を多用した色鮮やかなものだ。全員が馬に乗って弓を持っている。丘の上のアルハイン公国軍に向けて次々と矢を射かけていた。しかしアルハイン公国は手慣れた感じで盾を翳し、その矢を防いでいる。


 そして遊牧民達が効かぬ矢に苛立って接近してきた瞬間、ホーラムル様が何か号令すると、アルハイン公国の騎兵達が一斉に槍を翳して丘を駆け降りる。そして一気に遊牧民の隊列に突入した。


 高い所から低い所への突撃なのでアルハイン公国軍の攻撃力がはるかに優ったようだ。遊牧民たちの隊列はその一撃で大きく乱れた。おお、凄い。しかし、ホーラムル様は深追いせず、すぐに丘の上に戻ってしまう。そしてまた敵を待ち受け、遊牧民達が接近すると突撃して、一撃して離脱。なる程。数が少ないアルハイン公国軍を集中させて使い、有利な接近戦のみを挑み、相手を消耗させる作戦なのだろう。


 遊牧民は好戦的だが、彼らの目的は戦争では無く略奪だ(戦闘さえも敵の死体から戦利品を剥ぎ取るためなので略奪の一環らしい)。自分達に損害が多くなり、割に合わないと思えば撤退して行く。故に全滅させる必要はなく、割に合わないと感じる損害さえ与えれば良い。事前の軍議で聞いていた通りの作戦だ。ホーラムル様は確かに優秀な前線指揮官だ。何となく脳筋で突撃しか能が無いのかと思っていたが、そんな事はなかった。ごめんなさい。


 だが、お見合いの時に感じたのは、やや調子に乗り易い事と、視野が狭い事だった。物事が上手く行っている時の方が危ないタイプだったわね。私は周辺に目を凝らす。すると、アルハイン公国軍が陣取ってる丘の後ろにごそごそと何ががうごめいていた。良く見ると、それは身体に木の枝や葉っぱを張り付けた人間で、どうやら遊牧民の戦士たちのようだった。なんと、馬を降り、偽装をして密かにアルハイン公国の背後に接近中なのだ。


 遊牧民にとって馬に乗るのは誇りであるとさえ聞いている。それ故、遊牧民の戦士が馬を降りて戦うなどとは誰も考えない。ホーラムル様もグレイド様も予想もしていないと思われる。敵の偽装集団は進んで丘の麓に取りついた。アルハイン公国軍が気付いた様子は無い。危ない!


 私は思わず、手に持っていた王国の紋章旗、竜の紋章が描かれた水色のその大きな旗を馬上で頭の上に掲げて大きく振った。二度、三度と振ると、アルハイン公国の兵たちが気付いたようだ。こちらを見る者が多くなる。私は十分注目を集めた事を確認すると、旗で丘の麓、アルハイン公国軍に襲い掛かって来つつある遊牧民の偽装兵たちを指し示した。


 それで漸く、アルハイン公国軍も気が付いたようだ。恐らく後方を警戒していた騎士の指揮官が慌てて動き、歩兵の槍兵が一斉にその偽装兵の所に突入して行くのが見えた。おお、間に合った。良く見ると、同じような偽装兵の集団が何組か見える。私は旗でそれらの集団を指して、アルハイン公国軍に対処を促す。偽装兵の集団は数もいないし、対処すれば脅威にはならないだろう。やれやれ。


「姫!敵が来ます!」


 イブリア王国の兵士が叫ぶ。見ると偽装兵の集団の一つがこちらに向かって来るのが見えた。大変だ!


「逃げるわよ!全員!後方へ脱出!全力で!」


 私は馬を駆けさせたが、王国の兵は金色の竜の力の影響か、馬にも負けない速度で付いて来た。これは凄いわね。確かに身体能力が大きく向上しているわ。元々精強なアルハイン公国軍なら大きな助力になった事だろう。私たちは敵の追撃を振り切って逃走に成功した。



 このイカナの戦いはアルハイン公国イブリア王国連合軍の大勝利となった。ホーラムル様率いるアルハイン公国軍は遊牧民の軍団に何度と無く突入して一方的に打ち破り、また、伏兵も歩兵で排除して大きな損害を与えた。捕虜三百名を得て打ち倒した者は数知れず。対して味方の死者は百人に届かなかったそうで、自軍より多数の敵と戦ってこの損害なら軽微であると言って良いのだそうだ。諸侯や騎士には死者は無かったそうだし。


 戦場から引き上げてきてイブリア王国軍と合流したアルハイン公国軍は意気軒高。戦場の興奮がまだまだ治らない様子だった。・・・そういえば、金色の竜の力にはこういう興奮を治める儀式もあるんだよね。今は力を使ったばかりだから出来ないけど。


 お会いしたホーラムル様は馬から飛び降りると跪き、深々とお辞儀をした。


「王女殿下のおかげで大勝利でございます!見事な儀式、見事な指揮!感服いたしました!」


 指揮?指揮したのはホーラムル様だよね?


「ホーラムル様こそ見事な指揮ぶり、お見事でございました」


「ありがたきお言葉!全て王女殿下のおかげでございます!」


 ホーラムル様は感激の面持ちだし、周りの諸侯や騎士達も目がキラキラ顔を紅潮させて私を見つめている。ちょっと怖いくらいだ。そもそも私は王太子妃で、王女と呼ばれるとちょっと微妙な感じがする。


「此度の勝利はアルハイン公国の勇名を高め、その強さは帝都にまで聞こえたでしょう。我がイブリア王国も親戚として誇らしいですわ。我が夫、クローヴェル王太殿下もお喜びになるでしょう」


 私はクローヴェル様の名前を強調した。ちゃんと結婚しているんですよ、と。


「クローヴェル様の祖国でもあるアルハイン公国とはこれからも手を携えて行きたいですわね」


「ありがたきお言葉!アルハイン公国は竜のお力を持つイブリア王国をけして裏切りませぬぞ!」


 ホーラムル様は再度頭を下げてそう仰った。まぁ、ホーラムル様はアルハイン公爵ではないし、次期公爵でもないから確定した約束にはならないだろうけど、アルハイン公国がイブリア王国との関係を重視してくれるようになるのは好材料だ。クローヴェル様を皇帝にするためにはアルハイン公国の協力が不可欠なのだから。


 この後数日、アルハイン公国軍とイブリア王国軍は周囲に偵察隊を出しながら遊牧民の再度の侵入に警戒を続けたが、遊牧民の損害はやはり大きかったらしく、軍団を解散して部族ごとに散っていったそうだ。これならもう心配は無かろうということで、イカナの街の城門が解放され、アルハイン公国軍とイブリア王国軍はイカナの街に入城した。


 そりゃもう大歓迎を受けたわよね。遊牧民族は結構な大集団だったので、攻撃されれば落城していた可能性が高かったらしい。そのため、街の人は恐怖に震え、我々の勝利を心から祈っていたのだ。


 大きな拍手と歓声の中、私たちは街の中央通りを練り歩いた。いや、王都よりもよほど大きな街で、人口も三万人くらいと最近増えつつある王都よりも多い。そんな大勢の人々が涙さえ流して私たちの勝利を喜んでくれる。気分は良いし高揚もする。私は微笑んで上品に手を振りながら馬を進めた。


 イカナの大守はコーブルク子爵だったが、ホーラムル様とグレイド様には歓喜の抱擁をし、私の前に来ると跪いて、頭が地面に付くくらい深々と頭を下げた。


「何もかも妃殿下のおかげでございます!このケイマン・コーブルク、御恩は生涯忘れませぬぞ!」


 子爵の屋敷で勝利を祝う宴が開かれ、そこでも私は従軍した諸侯や騎士、街の有力者などから感謝されまくった。こんなに感謝されるようなこと何かしたかしらね?


「妃殿下がいらっしゃらなければ、この勝利はあり得ませんでした。敵は我が軍より多数だったのですよ?普通に戦えば負けていました。妃殿下の下さった竜のお力は本当に凄いものでした」


 グレイド様はそう仰って下さるが、実際戦ったグレイド様やホーラムル様、騎士や兵士の皆様の方が凄いと思うのだ。私はなんだか皆をけしかけて死地に送り込んだような感じがしてスッキリしないのよね、あの力はあんまりたちの良い力では無い気がする。あんまり多用はするまい。


 ようやく全てが終わった私達イブリア王国軍は、イカナの街の人の盛大なお見送りを受けてイブリア王国への帰途へ就いた。


 帰り道は上り坂である事もあり丸三日掛かった。だが、あの遊牧民の軽快さからして、これくらいの距離はなんということもないだろう。アルハイン公国軍が負けていればイブリア王国も本当に危険だったのだ。私は改めてフェルセルム様への怒りを覚えた。私怨の為に国民を危機に陥れるような奴を皇帝にするわけにはいかないわよね。


 そうして私達はようやく王都へ帰還した。ほっと一息だ。私は兵士たちに改めてお礼を言い、そして後日給金を払うから王宮に来るようにと言っておいた。


 王宮に入ると侍女達は泣いて喜び、侍女長のザルズも涙を流し、お父様も目を潤ませて私を抱擁してくれた。私はよく働いた馬を労い、厩に繋ぐと、歩いて離宮へ帰った。王都の人たちは兵士たちから戦地の話を聞いたからか、私に歓声を上げながら手を振ってくれたわよね。


 さて、離宮に帰ると侍女のポーラは出迎えてくれたが、クローヴェル様の姿は見えない。あれ?私はポーラに尋ねた。


「クローヴェル様は?体調を崩されでもした?」


 するとポーラは苦笑して言った。


「王太子殿下は妃殿下をご心配なさっておられたのですよ」


 ?どういう意味だろう。私は首を傾げつつ離宮の中に入った。離宮の寝室に入るとベッドに向こうを向いて寝そべるクローヴェル様の姿が見えた。私はホッとした。なんだ、いるじゃない。


「ただいま戻りましたよ、ヴェル」


 私はそう声を掛けたのだが返事が無い。どうしたのかしら。流石の私も半月以上も戦地にいて、戦場も見たし、色々あったので疲れていた。早く最愛の旦那様の顔を見て癒されたいのに。


「ヴェル?ご気分でも悪いのですか?」


 すると、クローヴェル様が小さな声で仰った。


「私は、自分が情けない」


「へ?」


「私が強ければ、みすみす貴方を戦地に向かわせるような事は無かった。貴方を戦わせるような事はしないで済んだのに」


 どうやらクローヴェル様は本来戦いに出る筈が無い妃である私が戦地に向かった事を、自分の責任のように感じて落ち込んでいるらしい。私はベッドに腰を下ろして、クローヴェル様の肩をポンポンと叩いた。


「仕方ありませんよ。今回は私の竜の力が必要だったのですから。それより、金色の竜の力は凄かったみたいですよ。あの力があれば、クローヴェル様を皇帝にするのに役に立てると・・・」


「リュー!」


 クローヴェル様はガバッと起き上がると、細い身体で私を精一杯の力で抱き締めた。ああ、クローヴェル様の匂いがするわね。


「貴方の無事が何よりです。貴方を失う様な危険を犯すくらいなら、私は皇帝になどなりません!貴方が戦う必要など無いのです!」


 私はクローヴェル様の髪に頬を擦り付けながら、なんというか、やっぱりこの人と結婚して良かったな、と思った。今回は誰もが私を金色の竜の力の持ち主として扱い、讃えてくれたのだが、それはなんと無く腑に落ちない気分にさせる事だったのだ。あんな力は知らない内に自分の身に宿っていたもので、それこそ自分で望んだものでもない。


 こうしてクローヴェル様が私自身を見てくれて、私を心配してくれる。そうしてくれて私はようやく肩の力を抜く事が出来た様だった。私は彼の頬にキスをすると微笑んだ。


「ご心配をお掛けいたしました、ヴェル。無事に戻りましたよ」


「お帰りなさい。リュー。本当に貴方が無事で良かった」


 ようやくクローヴェル様も笑顔を見せてくれた。彼の紺碧色の瞳が細められるのを見て、私は初めてようやく今回の戦争が終わった気がしたのである。



 


 


 

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