七話 じゃじゃ馬姫の初陣

 結婚したクローヴェル様をお父様は王太子に任じた。簡単な立太子式が行われ、クローヴェル様はイブリア王国の王太子になられた。必然的に私は王太子妃となり、妃殿下と呼ばれる身分になる。


 とはいえ、生活に大きな変化がある訳ではない。私とクローヴェル様は離宮に住み、基本的にはのんびり暮らしていた。クローヴェル様は私が持ってきた王宮の本をどんどん読んで行く。「こんなに毎日新しい本が読めるなんて嬉しいです」と仰っていた。気持ちは良く分かる。


 私も新しい本が読みたいが、王国にある本は殆ど全部読んでしまった。新しい本を買うなど論外だ。本は宝石より高価なのだから。


 お父様のお話によると、帝都の帝宮には大図書室があり、そこには王国の何倍もの本が収蔵されているらしい。おおお、それは凄い。一回行ってみたい。というより、クローヴェル様が皇帝になれば帝都に住み帝宮の主人となるのだから、図書室の本も読み放題だ。その為にもクローヴェル様には皇帝になってもらわねば。


 私がそう言うとクローヴェル様は呆れたように「気が早いですよ」と仰っていた。


 もちろん、気が早いのは分かっている。皇帝どころかとりあえずはイブリア王国がこの山間部の小王国から脱するのが先だ。王太子になったクローヴェル様には王国の機密情報に触れる権利が与えられた。クローヴェル様は王宮に通ってそれらを一通り読んでらした。


 読み終わった結論としては、やはり何をするにも先立って必要なモノはお金だ、という事になった。イブリア王国には資産が殆ど無く、歳入が少な過ぎて現状維持が精一杯で、新しい施策を思いついても何一つ実行出来そうに無かったのだ。


 幸い、クローヴェル様は婿入りにあたって持参金をかなりの額持たされていた。アルハイン公爵に持たされたものの他にコーデリア様もへそくりから持たせてくれたとのことで、この資金があれば何か新たな産業に出来そうな施策があれば実行に移せるだろう。


 お父様は地道に土地の新たな開墾をするのが良いのではないか、と仰ったが、こんな痩せて開墾が難しい土地を削っても収穫はたかが知れている上に、余剰作物が出ても外部に売れる筈も無いから無駄だ。


 それよりも、何か付加価値の付け易い商品か何かを考えるべきだろう。とりあえず私は王都の人々や実家周りに声を掛け、王国領の中に何か変わった鉱物や木、その他何でも良いから面白そうな物を見つけたら報告してくれるように頼んだ。山の上の方にヤギを放牧に行くヤギ飼いや、森に入る狩人など、普段人が入らない所に行く事が多い職業の人には特に頼んでおいた。


 金とか銀とかは期待しないが、何か変わった宝石なんか見つからないかしらね、と私は甘い事を考えていた。クローヴェル様は珍しい木や植物を売れないかと期待していたようだった。帝都に近いあたりでは需要があるらしい。


 しかしいずれも良い成果は得られなかった。それはそうだろう。もう百年くらいに渡って何世代かにも渡って色々な人が試みてきた事だ。私達が探し始めてすぐに見つけようなど虫が良すぎる。私もクローヴェル様も長期戦は覚悟の上だ。私は王都の商人や遍歴の旅人などからも話を聞き、小さな情報を見逃さないように領地の村々を視察して歩いた。


 いや、歩くのは大変なので乗馬を練習しつつ回った。婿攫い騒動でお尻が痛くなったのに懲りてから練習を始めた甲斐あって、結婚式後くらいにはかなり乗れるようになっていた。乗馬姿で毎日領地の色んな所を視察して歩く私の姿に、王国の人まで「じゃじゃ馬姫」と呼び始めたらしい。私、もう結婚したから姫じゃ無いんだけどね。


 そうやって領地の村の一つを視察していたある日、例によって村の人たちと話をしていると、女の子が一人、木の板に何やら絵を書いているのに気が付いた。白い石で一生懸命何やら描いている。興味を引かれた私は彼女に近付いた。


「何を描いているの?」


「お母さん!」


 ほうほう。なるほど。なんか牙みたいの生えてる気がするけどお母さんなのか。家も母さんが怒ると怖かったもんね。それより私はその娘が持ってる白い石に心惹かれた。


「それ、見せてもらっていい?」


「良いわよ!」


 女の子が元気一杯に見せてもらった石は白く、やや柔らかい。木の板に擦り付けると線が引ける程度に。手触りは何だかぬるっとしている。面白い石だな。


 話によると、近くの崖にこの白石の層があるそうで、この辺りでは昔からこうして何か書く時にインクの代わりに使っているらしい。インクは高いからね。これも上手くすればお金儲けの手段になるかもしれない。私は白石を一つ譲り受けて離宮に持って帰った。


 別に大きな期待もせずクローヴェル様に見せたのだが、クローヴェル様は真剣な表情でその白石を見て呟いた。


「これ、陶石かもしれませんよ?」


 陶石?私は驚いた。良い質の陶器を造るには特別な石を砕いて作った粘土が必要で、その石を陶石と呼ぶ。この石が取れる場所はそれほど多くは無く、その場所は陶器の産地としてどこも栄えている。


「しかもこの白さ。この間読んだ本では、磁器は真っ白な陶石から造るとありました。もしかしたらこれがそうかもしれません」


 磁器といえば、その昔は遠い海の向こうから輸入しなければならなかった高級品で、現在でもガルダリン皇国でしか造れない貴重品である。


 もしもそれが造れて販売する事が出来れば強力な商品になる。それは凄い!


 興奮する私をクローヴェル様が嗜めた。


「リュー。これが確かに磁器も造れる陶石だったとしても、何の知識も経験も無い王国の民では磁器は造れませんよ」


 当然である。現在王国で造られている陶器は、川沿いの粘土を捏ねて造られる、陶器というより土器で、日常生活で使われるものだ。そういう土器しか焼いた事がない職人に磁器が焼ける訳がない。


 しかし、諦めるには惜しいし、これが本当に陶石なのかどうかも気に掛かる。私は次の日から王都に向かい、片っ端から住民に陶器製作に詳しい者がいないかどうかを尋ねて歩いた。


 すると、どうも露天商の一人が昔陶器を焼いていたと、酔っ払ってこぼした事があるという話が聞けた。私は喜び勇んでその露天商に話を聞きに行った。


 その露天商は五十代くらいの男性で、丸い鼻と垂れ目が特徴的だった。癖の強い黒髪を掻き回しながら、彼は店先に胡座をかいたまま面倒臭そうに言った。


「はぁ、確かに大昔に焼き物を焼いちゃぁいましたがね。それがどうかしましたか?」


 私は彼に白石を見せた。その瞬間、男性の表情に力が戻った。


「こ、こりゃあ!一体どこで!」


 私は彼にこの石の発見の経緯と、本当に陶石なら焼き物を生産して、販売して国庫を富ませたいのだと言った。男性(ケールと名乗った)は石を見たまま唸り、石を擦り付けたり少し舐めてみたりしながら考え込んでいた。


「どうですか?」


「まぁ・・・。確かにこれは陶石ですがね。しかしですな、石だけあっても窯がありやせん。石を粘土にするのも大変で設備が要ります。お金も人手も必要ですぜ」


 ケールは私を上目遣いで見た。私は躊躇無く叫んだ。


「やりなさい!」


 ケールが思わず立ち上がって直立不動になる。


「お金は出します!人手も用意します!あなたの思う通りにやりなさい!何もかも私が責任を取ります!」


 あれだけ色々探しても他に見つからなかったのだ。もうこの白石とケールに賭けるしか無いだろう。私はこの陶器製作事業にクローヴェル様の持参金全てつぎ込むことを即決した。


 ケールは目を白黒させていたが、私の熱意に押されたのと、そもそも陶器製作職人を自分の希望では無く辞める羽目になっていて、職人として未練があったらしく、結局私の依頼を引き受けてくれた。


 私は領地を駆け回り、希望者を募って陶器製作事業の人員を用意し、釜の設置場所や陶石採掘、粘土作成場所を確保した。


 ケールは優秀な職人で、全く何も無い状況からたったの三年で陶器の製作に成功し、翌年には販売出来る品質と数の陶器を製作してみせた。そして更に磁器の製作にも五年で成功してみせたのである。この陶器と磁器の販売はイブリア王国の非常に重要な財源となり、私とクローヴェル様を大いに助けてくれる事になる。


 しかしながら、それはかなり先の話である。その時はまだ人と金を喰い始めた駆け出しの事業に過ぎず、私も成功の確信こそあったが、お父様に「本当に儲かるのか?」と聞かれて「分かりませんわ」と答えたくらいの見通ししか持っていない。


 まぁ、事業には投資と準備と我慢は絶対に必要だ。私はお金と人を準備する以外はケールに口出し一つしなかった。


 それはそれとして、私は陶器製作事業の準備が一段落すると、再び領地の視察を続けた。新規事業は一つでは足りない。他にも何か、小さな事でも見逃さずにお金儲けに繋げたい。


 王国にやってくる旅人は少なかったが、王都で旅人から多く耳にしたのはやはり、山越えの巡礼路は通れないのか?という質問だった。


 神殿領の聖都の大神殿への巡礼は、大女神信仰の信者にとっては一生の夢だ。死ぬ前に聖都の大女神の巨像の前でお祈り出来れば、死後に大女神の楽園に招かれるのだという。


 しかしながら、現在聖都に行くには、帝国の東に広がる遊牧民国家の支配領域を通る必要があり、危険を伴うのだそうだ。そのため、イブリア王国の中を抜けて帝国の支配領域の中で完結する巡礼路の確立は、帝国の大女神信仰の信者の全てが求めている事なのだそうである。


 そうは言われてもね。私は王国の最奥である巡礼街道も視察したが、確かに崖に張り出すように築かれた桟道が崩落していて、どう見ても修復出来なそうだった。古の帝国の連中はどうやってこんなモノ造ったのかしらね。


 しかしながら、要望が強いという事は、街道を通せれば利用者が多いという事になる。利用者、巡礼者が多ければ多いほど、通過点である王都やそれ以外の村にも宿泊や買い物でお金が落ち易くなるだろう。何とか再開通出来ないかしら。


 私は数日、うんうん唸って考えたが、あんな神業的な工法で築かれている桟道を修復する方法などどう考えても思い付かない。諦め掛けていたその時、横で本を読んでいたクローヴェル様がポツリと呟いた。


「他にルートは無いのかな?」


 え?ルート?


「聖都に行くのに、その旧街道を使わなければならない法は無いわけですよね。なら、どこか違う山道を越えて聖都に向かルートは考えられないのでしょうか」


 私は顎が外れかねない程口を大きく開いてしまった。


「そ、それだ!」


 確かにその通りだ。昔街道がそこを通っていたからといって、街道をそこに限定する必要など無いのである。


 慌てて領民に尋ねると、別の高い山を越えて神殿領に至る峠道はちゃんと存在する事がすぐに判明した。ただし、旧街道に比べてかなり遠回りになる上に険しい山道なので越えるのは大変だとの事。それを厭った古の帝国が神業を使って桟道を通したのだろう。


 構わない構わない。どうせ越えるのは私ではなくて巡礼者だ。多少大変な方が巡礼の有り難みが増すというモノではないか。と私は酷い事を考えた。私は人を集めて、その峠道を多少通り易くするように整備させた。


 そしてアルハイン公国に使いを出し、巡礼路の復活を伝えた。アルハイン公国は随分驚いたらしい。しかし、巡礼路のイブリア王国ルート再開は帝国中にあっという間に広まったらしく、王国には翌春から聖都巡礼の旅人が押し寄せて来るようになった。するとその巡礼の人々目当ての露天商もやってくるし、その露天に品物を卸す商人も沢山やってくるようになる。


 こちらの施策は即効性があり、イブリア王国の国庫は大いに潤うことになった。露天を出すにも登録料と税金が要るし、入国のための通行料も徴収するようにしたからね。そのお金を陶器製作事業に注ぎ込み、更に後々陶器が販売出来るようになったら巡礼者目当てにやってきた商人に売って広めてもらうという好循環にもなった。


 王都の人口も増加。新街道沿いの村も活気付き、結婚の二年後には巡礼者のお陰でイブリア王国はかなりの活況を呈したのだった。私はすっかり感心した。街道の再整備も陶器製作事業もクローヴェル様のお手柄だ。私がそう褒めると、彼は嬉しそうに紺碧色の瞳を細めながらも言った。


「実際に行動したのはあなたでしょう?リュー。私はきっかけを与えたに過ぎません」


 実際、国民の間では巡礼路も陶器製作事業も「じゃじゃ馬姫のお手柄」として語られていて、私はそれが悔しかった。クローヴェル様のお手柄なのに。


「大事なのは結果ではありませんか。まして私と貴方は夫婦。貴方の手柄は私の手柄でもあります。貴方が讃えられるのは私も誇らしいです」


 クローヴェル様はこれ以降もそう仰って、ご自分が提案した事が私のやったことにされても一切意に介さなかった。お陰でクローヴェル様は無能で惰弱な、妻に何もかもやらせた王とまで言われてしまうようになる。人の語る他人の評判とはかくも無責任なものなのだ。




 巡礼路が開通して巡礼者が押し寄せ、かなり国庫が潤うようになってはきていたが、未だに陶器製作事業はまだ試作にもたどり着かなかった頃、つまり結婚二年後の秋の事だ。私とクローヴェル様は共に十九歳である。


 私たちにまだ子供は出来ていなかった。その、する事はしているのだけど、出来ていないのだ。うーむ。私はちょっと困っていた。お父様も父さん母さんも楽しみに待っているのに、二年経ってもまだ出来ないのだ。私はする事をすれば子供などポコポコ出来ると羊やヤギを見て思っていたので意外な思いだった。


 ただ、私もクローヴェル様もまだ若いし、クローヴェル様は王国の気候にも慣れたからか、この所熱を出すこともかなり少なくなった。クローヴェル様が健康になられれば、そのうち出来るだろうと私はあんまり心配していなかった。


 二人の関係は結婚二年経っても良好だ。クローヴェル様の発想に私の行動力があればこその新事業である。それが実を結んで段々国が栄えて行くのはなかなか感動的な事だった。二人で力を合わせて王国を発展させているという実感がある。この調子でクローヴェル様を皇帝に押し上げるのだ。


 そんな事を思っていたある日、王宮から大至急の呼び出しがあった。なんと馬車が離宮にまで送られて来て、それに乗ってクローヴェル様と一緒に来いとの話である。只事では無い。因みに馬は私の馬で、いつもは王宮で飼われていて、こういう時は馬車も引いてくれる。


 少しは国庫が潤っているとはいえ、王族が贅沢出来る程ではないので、全く変わりない小さな王宮に到着してクローヴェル様とサロンに入ると、そこにお父様と、意外な人物が待っていた。


「グレイド様?」


「兄上?」


 何とクローヴェル様のお兄上であるグレイド様だった。焦茶色の髪と瞳。端正な顔立ちは間違いようが無い。しかし何だかこの時は疲れ果てたような顔をしていらした。


 私とクローヴェル様がソファーに座るのを待ちかねたように、グレイド様が仰った。


「援軍が欲しいのです」


 随分物騒な単語が出てきた。何なんですかそれは。私も驚いたが、クローヴェル様も眉を顰める。


「どういう事なのですか?兄上」


「東の遊牧民達が大規模な略奪にまたぞろやってきたようなのだ」


 グレイド様の説明では、東の遊牧民国家は秋になると、収穫した実りを狙って毎年の様にアルハイン公国に侵入して来るのだという。それ自体は毎年の事なので驚く事では無いのだが、今年のそれは商人や巡礼者のもたらす情報から考えるに、ちょっと規模が大きいようなのだという。


 遊牧民達は普段は分散して生活しているし、あまり国家という概念を強く持たないから、略奪もそれ程大規模にはならないのだが、何らかの理由で遊牧民達が飢えると、連合してたちまち大規模な集団、軍団を形成して帝国に侵入してくる。今回もそういう軍団が侵攻して来ると思われるのだそうだ。


 アルハイン公国は遊牧民国家の支配領域に定期的に偵察も出しているから侵攻の雰囲気はいち早く察知して、ホーラムル様とグレイド様が急ぎ軍団を率いて国境付近を警戒すると共に、帝都に早馬を出して援軍を求めたのだそうだ。


 帝都に援軍を求めるのは初めてでは無く、それどころか、このような大規模侵攻の時は通常の手順なのだという。それはそうだろう。もしもアルハイン公国の防衛が失敗したら、遊牧民達は北に攻め上がって他の王国や諸侯領を蹂躙し、帝都を脅かすかも知れないのだから。


 ところが帝都からは「援軍は出せない」という驚きの返答が返って来たそうだ。なんでもガルダリン皇国に備えなければならない、とか、遊牧民の北上に備えたいとか訳の分からない理由を並べ立てたそうだ。なんでまた。アルハイン公国が敗れて帝国に良い事など無いと思うのだが。


「どうやら、フェルセルム様が援軍を出すことに強く反対したようです」


 は?何だか今や懐かしい名前が出て来て、私は目を瞬かせた。


「どういう事なのですか?」


 私が首を傾げると、グレイド様は流石にイラッとしたように眉を逆立てた。


「どうもこうも有りませんよ。恐らく妃殿下への嫌がらせですよ。アルハイン公国を負けさせて、それを理由にアルハイン公国に処分を下すつもりでしょう。アルハイン公国の勢力を弱めれば、間接的にイブリア王国が困るという寸法です」


 は?何それ。何してくれてんのあの横恋慕王子!?


「他に理由が考えられませんでしょう。貴方のせいですよ、妃殿下」


「考え過ぎではないの?あれから三年も経っているのよ?」


「フェルセルム様は執念深いとの評判です」


 マジか。私はフェルセルム様のイヤミな位の美麗顔を思い浮かべる。すっかり忘れていたし、あちらも忘れていると思ったのに。何しろクローヴェル様はやはり長旅には耐えられないという事で竜首会議には出ていないのだ。私も忙しかったし。だからフェルセルム様にはあれっきり関わってさえいない。三年も会わなければ忘れると思うでしょう?普通。


「こうなっては仕方がありません。アルハイン公国単独で遊牧民を撃退するしかありません。つきましてはイブリア王国にも援軍の出兵をお願いしたい」


 私とクローヴェル様は顔を見合わせる。援軍と言われても・・・。


 イブリア王国には軍隊など無い。この一年、巡礼者が沢山やってくるようになったので、衛兵は増やし国境にも衛兵を置くようにしたが、それだって合計せいぜい百名。交代要員を含めても二百名くらいだ。全員が歩兵、というか単に鎧を着た若い市民で、他の仕事の合間にアルバイト感覚でやってくれているような人達なのである。


 全く訓練などしていないし、戦場に連れて行っても役立つとは思えない。というか頼んでもついて来てくれないだろう。


 私達が困惑していると、グレイド様が厳しい顔で仰った。


「兵がいないなら仕方がありませんが、いよいよとなれば妃殿下だけでも来ていただきます」


 私?私が戦場に行ってどうするの?それこそ何の役にも立たないわよ?しかしグレイド様は首を横に振った。


「妃殿下は金色の竜の力をお持ちです。金色の竜の力は戦場において、軍隊の能力を飛躍的に向上する力があると聞いています。そのお力をお借りしたい」


 へ?金色の竜の力って、そういう力なの?全然知らなかった。だってどの本にも書いて無かったから。すると、それまで黙っていたお父様が唸るような声で仰った。


「竜の力については王家の秘伝じゃからな。書き記す事は無く、口伝で伝えられる。もっとも、ワシには金色の竜の力は発現せなんだから、父から聞いた事しか伝えられぬが」


 とりあえず後でイブリア王家に伝わる竜の力についての秘伝を教えてくれる事になった。それは兎も角、どうもグレイド様は私を戦場に連れて行く為にわざわざいらしたらしい。使者で話を済ませなかった事から考えて、絶対に私を参戦させるという決意を感じる。これは断れないかな。


 と私は思ったのだが、クローヴェル様は猛然とグレイド様に食って掛かった。


「兄上、イリューテシアは騎士ではありません。戦場に出た事もありません。彼女を戦わせるなんて無理です!」


「そんな事は分かっている。しかしながら、今回の戦役の勝敗如何によってはアルハイン公国、ひいてはイブリア王国の存亡に関わる。勝利の確率は少しでも上げておかねばならぬ」


 グレイド様も引かない。アルハイン公国も不確かな金色の竜の力に頼らざるを得ないくらい追い込まれているのだろう。確かにアルハイン公国が敗れればイブリア王国に遊牧民が殺到してくるかも知れない。他人事では無いのだ。


 私はクローヴェル様の腕に手を添えて言った。


「クローヴェル様、私、行きますわ」


「リュー!貴方は戦場を知らないでしょう!危険すぎます。貴方にもしもの事があったら私は・・・!」


 私だって怖くはある。しかし。


「大丈夫です。これから貴方を皇帝にするためには幾たびも戦いを乗り越えねばならないでしょう?丁度良い初陣ですわ」


「・・・貴方は豪胆過ぎる」


 淑女として豪胆は褒め言葉なのかどうなのか。しかし、クローヴェル様を皇帝に押し上げるには、戦争がおそらく不可欠なのは事実だ。私はとっくにそう覚悟していた。ならば、ここで恐れてばかりはいられないだろう。


 私はクローヴェル様を説得して、結局グレイド様に付いて一人で戦場に向かうことになった。ポーラ以下の侍女たちは真っ青になり「おやめ下さい!」と叫んだが、今更止められない。私は彼女たちも説得して、鎧の用意をしてもらった。


 グレイド様も私を戦力として期待している訳ではなく、金色の竜の力とやらで支援出来るか試してもらうのと、イブリア王国の権威で動揺している味方の諸侯を安心させて欲しいとの意向だった。なので私は一応剣は佩いたが、抜く気は無かった。抜いても馬上では振り回せまい。馬から転げ落ちるのがオチである。


 代わりに、戦場でもよく目立つような、大きなイブリア王国の紋章が入った旗を持った。七首の竜の王国にしか許されない竜の紋章である。これを掲げればアルハイン公国にイブリア王国の権威的裏付けがあると分かるだろう。


 戦場まではさして遠く無く、馬であれば丸一日もあれば着くらしい。私の乗馬技術もかなりのものになっているから、一日駆けさせるくらいなら何とかなる。


 私は鎧を身に纏い、しつこいくらいに引き留めようとするクローヴェル様と半ば無理やり抱擁して出立の挨拶をすると、皆に「行ってきます!留守を頼みます!」と叫んでグレイド様の後について出陣したのだった。


 これが私の初陣、初めての戦場となる。

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