四話 イリューテシア姫の婿攫い

 翌日、私はアルハイン公爵に面会を求め、クローヴェル様を婿にすると宣言した。


 アルハイン公爵はそれは驚いた。


「く、クローヴェルでございますか?ホーラムルではなく?」


 私は誤解の余地が無いくらいはっきりと頷いた。


「はい。クローヴェル様と想いが通いました。ご本人の承諾も既に得ておりますれば、クローヴェル様を我が婿にお迎えいたしたいと思います」


 アルハイン公爵はかなり困ったような表情をしていたが、人をやって息子たちを呼び出した。別にクローヴェル様以外の方は呼ばなくても良いのにね。


 慌ててやって来た公爵の息子たちに、私は座ったまま改めて、クローヴェル様を私の婿にすると言った。三人は立ったまま三者三様の反応を見せた。ホーラムル様は愕然。グレイド様は唖然。そしてクローヴェル様は喜色満面。クローヴェル様はすっと跪き、私に言った。


「ありがとうございます。イリューテシア様。必ずやあなたの良き伴侶となり、力を尽くしてイブリア王国のために働くと誓います」


「お願い致しますよ。クローヴェル様」


 うぬぬぬぬ、っと唸る声が聞こえた。ホーラムル様がお顔を真っ赤にして唸っている。そして跪いているクローヴェル様に叩きつけるように怒鳴った。


「クローヴェル!貴様!」


 しかし、クローヴェル様は昨日のホーラムル様に引け目のある態度とは打って変わって、しっかり兄の顔を見上げる。


「兄上には申し訳ありませぬが、私はイリューテシア様を愛してしまいました。そして王女殿下は私の想いを受け入れて下さった。残念ですが、兄上と言えどお譲り出来ませぬ」


「貴様のような軟弱者に王が務まるか!馬鹿が!」


 そしてホーラムル様は私に向かっても叫んだ。


「王女殿下も王女殿下だ!こんな奴の言葉にたぶらかされおって!王国を発展させられるのはこの私しかいないのだ!それが何故分からんのか!」


 私は座ったまま、ホーラムル様を睨み上げた。社交用の仮面を外して本気で睨んだ。私が初めて示す本気の怒りにホーラムル様が思わず黙る。私は彼を睨んだまま、ここ数日のうっ憤を晴らす意味もあってやや大き目な声で言った。


「一体誰があなたに王国の将来を担ってくれと頼みましたか!発展させてくれと頼んだのですか!少なくとも私もお父様も頼んではおりません!我が国民の誰もがそんな事は望まないでしょう!我が国の発展は我が国の問題です。あなたが考えるような事ではありません!そこを勘違いして我が国を好き勝手にしようとする者に王国の将来など委ねられません!あなたは私の婿には不適格です!下がりなさい無礼者!」


 ホーラムル様は私の剣幕に押されて二歩後ずさった。しかし退室はせずにクローヴェル様に向けて怒鳴る。


「クローヴェル!貴様!後悔するなよ!この私に逆らってタダで済むと思うのか!」


 クローヴェル様はジッとホーラムル様を見上げると、ゆっくり言い聞かせるように言葉を発した。


「兄上。このお話は既に母上に報告しています。母上は喜んで下さました」


「な、何!」


 ホーラムル様の顔色が青くなる。アルハイン公爵のお妃様はグレイド様以外の公爵令息の実の母だ。つまりクローヴェル様とホーラムル様の共通のお母上だという事になる。こんなホーラムル様だがお母上には弱いのかもしれない。


「それと、イリューテシア様の内諾を頂いた段階で、私は王女殿下の婚約者です。その時点で単なる公爵令息の兄上よりも階位が上になります」


「ま、まさか、そんな馬鹿な!」


「ですから私に何かしでかせば、兄上は王国と公国から罰せられる事になりますよ。父上。そうですよね?」


 私の正面に座っているアルハイン公爵は頭が痛そうな顔はしていたが、頷いた。


「そうだな。そういう事になる」


「ですから兄上。もしも私に危害を加えるつもりならそのつもりで行って下さい」


 クローヴェル様は一度もホーラムル様から視線を外さずに言い切った。うん。この人やっぱり意外と根性があるし肝も据わっているわ。


「は、話にならん!俺はそんな事は認めんぞ!」


 とは言いながら、ホーラムル様は自分の不利を感じたのだろう。身を翻すと足音荒く部屋を出て行ってしまった。


「やれやれ。クローヴェル。あまり兄上を挑発するな。面倒は見ておいてやるが」


 グレイド様が首を振りながら苦笑する。


「申し訳ありません。兄上。宜しくお願いします」


「いいさ。慶事だからな。イリューテシア王女殿下、クローヴェル。婚約おめでとうございます。謹んでお祝いを申し上げます」


「感謝を。グレイド様」


 グレイド様は私達に婚約を寿ぐ言葉を残して部屋を出て行った。


 クローヴェル様は私の前にゆっくり歩み寄った。私は椅子から立ち上がり彼を迎える。クローヴェル様は私の前にゆっくり跪き、私は彼に右手を差し出す。クローヴェル様は私の右手を取り、頭の上に掲げるようにした。


「私、クローベル・アルハインは、何時いかなる時もあなたを愛し、敬い、常に寄り添い、護り、そして命尽きるまでお側にいる事を誓います」


 私はニッコリと笑って応える。


「私、イリューテシア・ブロードフォードは、何時いかなる時もあなたを愛し、敬い、常に寄り添い、支え、そして命尽きるまでお側にいる事を誓います」


 私の誓いの言葉を受けて、クローヴェル様は掲げていた私の手を下ろし、その手の平にキスをした。アルハイン公爵の立ち合いの元に、正式な婚約がこれで成立した。クローヴェル様は立ち上がると、私をそっと抱き寄せた。


「必ずあなたを幸せにします」


「期待しておりますよ」


 私も彼の背中に手を回す。うふふふ。なんだか小説の主人公になった気分。こんな幸せな気持ちで婚約が出来るとは、公国に来る前には思いもしなかったな。


 それから私達はアルハイン公爵と正式に婚姻を打ち合わせた。アルハイン公爵はやはりホーラムル様こそを私の婿にしたかったようで、終始若干渋い顔をしていたが、婚約が成立してしまったものは仕方が無いし、自分の息子からイブリア王国の国王を出すという目標は一応達成されたのだから、まぁ、良いだろうという感じで私達の婚姻を認めて下さった。


 クローヴェル様の準備があるので婿入りは半年先に決まった。王族の婚姻であれば二年ほど準備期間があるのが普通らしいのだが、イブリア王国では盛大な結婚式など無理であるし、出来る範囲の結婚式ならさして準備も要らない。私のウェディングドレスは例によって歴代王妃様がお使いになったものから選んでリメイクする予定だし。それなのに二年も開ける意味は無いので、半年後になったのだ。


 因みに王国はあまりに遠いので、公国のご家族は誰も結婚式には出席出来無いだろうという。そりゃ、公爵の家族が総出で公国を空にする訳にはいかないだろう。なので数日後に婚約を寿ぐ宴を開いて結婚披露宴に代える事にした。ありゃ、それは困ったな。披露宴に相応しいドレスなんて持って来ていないわ。私が少し困っていると、アルハイン公爵が私にドレスを贈ってくれると言ってくれた。正式には婚約者であるクローヴェル様名義で贈って下さるそうだ。


 そのドレスだが、この直後に呼ばれてお会いしたクローヴェル様のお母上、つまりアルハイン公爵夫人、国主の妻なので公妃様が張り切って準備して下さった。公妃様は輝くような金髪の方で、お顔はびっくりするほどクローヴェル様に似ていらした。年齢は四十代前半くらいだが若々しくて驚いた。これで四人の母なのだそうだ(クローヴェル様には姉上がいらっしゃる)。


 公妃様のお部屋に入ると既に仕立て屋さんが待ち構えていて、挨拶もそこそこに私の身体を測り始め、生地はどうのデザインはどうのと大騒ぎして「大急ぎで仕立てますから!」と言い残して去って行った。そんな二三日で仕立てられるものなのかしら。


「大丈夫ですよ。王女殿下。必ず間に合わせます」


 お妃様は微笑んで言った。私も微笑む。


「イリューテシアとお呼び下さい。私はお妃様の義理の娘になるのですから」


「あら、それは嬉しいわ。では私の事もコーデリアとお呼び下さいな」


 私達はサロンに移動してお茶をしながらお話をした。


「どうしてまた、ホーラムルでは無く、クローヴェルを選んだのかしら?どう見ても男としてはホーラムルの方が上ではなくて?」


 コーデリア様は言ったが、表情はどことなく含みがあるというか、私の事を伺っているようなお顔だった。私は正直に言った。


「私にはホーラムル様は合わないと思ったからです」


「国にとってはホーラムルの方が役に立つのに?」


 確かに、私が国家の改造と強化を志しているのなら、あのやる気だけは十分なホーラムル様は役に立ったかもね。


「そうとは思いません。ホーラムル様は我が国の王になりたいのであって、私の夫になりたいわけでは無さそうでした。あれではあの人が我が国に来たら、国民と軋轢が生まれるだけだと思います」


 昔は兎も角、我が王国は今ではすっかり田舎の農耕牧畜国家だ。平和そのものでよその国との付き合いもほとんどない。そんな国でいきなり勢力拡大だの戦力の強化だの言い始めても、国民が素直に話を聞くとは思えない。そしてホーラムル様の性格では話を聞かない国民は強圧的に処断すると言い出すだろう。


「我が国に必要な王は、お父様と同じように国民の意見を受け入れて、国民と共に国を運営していけるような人です」


「クローヴェルならそれが出来ると?」


「クローヴェル様は人のお話に耳を傾けられる人だと思いました」


 私が言うと、コーデリア様は感心したように頷いた。


「ほんの短期間で良くそれが分かったわね。あの子の良い所に気が付いてくれて嬉しいわ」


 まぁ、というよりホーラムル様があまりに人の言う事を聞かな過ぎなんですよ。私が内心思っているのを知ってか知らずか、コーデリア様はそれは嬉しそうに微笑んで下さった。


「良かったわ。あなたがちゃんとクローヴェルの良い所に気が付いて婚約したのなら安心。クローヴェルは身体が弱いから、ちゃんと気遣ってくれる女と結婚させたかったのよ」


 コーデリア様は末っ子のクローヴェル様を大変可愛がっておられるらしい。親として息子の結婚相手をきちんと見極めたいというのは当たり前の事だろう。どうやら私はコーデリア様に認められたようだった。


 一週間後、私とクローヴェル様の婚約披露宴が開かれ、私は見事間に合った白と薄黄色の華麗なドレスを着て出席した。クローヴェル様も濃紺のスーツ姿で、二人並ぶとほとんど婚礼衣装に見える。その状態で出席者から婚約を寿ぐ挨拶を受けるのだから確かに事実上の結婚披露宴だ。近隣諸侯がこぞって出席していて、その数は数十人に上った。アルハイン公国の勢威の大きさを物語るわね。


 私とクローヴェル様の婚約は近隣諸侯からも公国の貴族からも概ね好評のようだった。単純にアルハイン公国からイブリア王国へ婿が出た事を祝っているというのが大きな理由のようだったが。彼らにしてみれば私の婿はアルハイン公爵の息子であれば誰でも良いわけだからね。アルハイン公爵家の者がイブリア王国国王なれる事が大事で、その結果アルハイン公爵がイブリア王国の名代として周辺諸国や帝国そのものへの影響力を拡大出来るのであれば何でも良いのだろう。


 クローヴェル様は私の事を見てとても嬉しそうに微笑まれた。


「まるで女神のようですね。イリューテシア様。こんな美しい方が私の婚約者だなんて、夢でなければ良いのですが」


 この人の褒め言葉は語彙に工夫が無く直球だ。それだけ素直に思った事を口に出してしまっているのだろう。貴族としてはどうかと思うが、個人的には好ましい。裏を感じないからだ。私は素直に受け止めて言った。


「ありがとうございます。クローヴェル様。あなたもその衣服はとてもお似合いですよ」


「そうでしょうか。私は痩せていますから、何を着ても似合わなくて」


「そんな事はありませんよ。クローヴェル様は素敵です。自信をお持ちください」


 私は彼の腕に手を絡めながら言った。


「ありがとうございます。イリューテシア様」


 私達が挨拶を受けたりダンスをしたりしている様を、ホーラムル様は厳しい顔とキツイ目付きでずっと睨んでいた。そりゃ、結婚を先延ばしにしてまで狙っていた王国の婿の座を、土壇場で軽く見ていた末の弟に攫われたんだから穏やかでは無いだろう。しかしながら婚約は正式に決まってしまったし、こうやって周辺諸侯や貴族達にも認知されてしまったのだから、諦めてもらうしか無いわね。


 そうして婚約披露宴をした三日後、私はイブリア王国に帰る事になった。馬車の前で見送りに来たクローヴェル様と抱き合って別れを惜しむ。婚約以来ほぼ毎日一緒にいたせいで、何だか別れが物凄く寂しい。


「王国でお待ちしています。なるべく早くお出で下さいませね?」


 クローヴェル様も少し瞳を潤ませて言う。


「半年後には必ず王国に参ります」


「王国までは遠うございます。お気をつけていらしてくださいね」


「姫こそお気をつけてお帰り下さい」


 そうして別れ難きを振り切って、私は王国への帰途へ付いたのだった。この時私は「アルハイン公国には当分来ることは無いわね」と思っていた。しかしながらその予想は予想外の出来事により完全に外れる事になる。




 また大変な思いをして王国に帰って来た訳だが、王宮に辿り着いて、アルハイン公国宮殿とのあまりのギャップに私は頭が痛くなった。あの豪壮華麗な宮殿に暮らしていた癖に、こんなしょっぱい王宮でここに移ったばかりの国王は良く我慢出来たものだ。クローヴェル様も絶対驚くわよね。騙されたって憤慨なさらないかしら。


 婚約が調ったという報告をするとお父様は大層喜んだ。


「それは良かった。気に入った者がおったのだな?」


「ええ。とっても。お父様も気に入って下さると思いますわ」


 喜んだお父様は早速家臣たちに結婚式の準備を進めるように命じた。私も侍女にウェディングドレスを、保管してある物の中から身繕ってくれるように頼む。結婚式は王都の神殿で行う予定で、神殿にもその旨を連絡しなければならない。もっとも、こんな山奥まで諸国の来賓が来るはずがない(式の予定が決まってから一応は招待状は出した)ので王国基準でも大した規模の結婚式にはならないだろう、と私は思っていた。


 婚約については実家にも知らせた。父さん母さんは驚いたが喜んで、特に母さんは結婚衣装を用意するのは母親の義務だからと、ウェディングドレスの修繕を買って出てくれた。母さんは私の婚約者であるクローヴェル様とお会いするのをずいぶんと楽しみにしてくれて「早く孫が見たいわね」と気の早い事を言っていたわね。


 そして王宮にクローヴェル様のお部屋を用意したのだが、その時に私はちょっと考えた。クローヴェル様の健康についてだ。クローヴェル様は病弱だというのだが、特に持病がおありとかそういう事は無いらしい。幼少時より病気がちであまり外にも出られず、運動もしなかった事で体力が付かず、必然的に引き籠る事が多くなり本ばかり読んでいたら、更に動けなくなったという事らしい。そんな状態ではすぐに風邪も引くし熱も出るだろう。


 いきなり運動させようとしても無理だろうし、陽の光に当たる事も厭うようでは外に出す事も難しい。だが、この王宮のお部屋に引き籠らせては一生改善しないし、あの体力のままでは流行り病でもあればイチコロだ。せっかく貰ったお婿様に死なれては困る。少しでも健康になってもらわねば。


 私はお父様に相談し、許可を貰うと、父さんの所に行った。久しぶりの実家で父さんに言う。


「離宮が欲しいの」


「離宮?」


 大層な名前に父さんは目を剥いたが、何の事は無い。要するに私とクローヴェル様の新居を、王都郊外であるこの実家の近くに建てたいという相談だった。あんな谷底にあり日当たりの良くない王宮に居るより、自然たっぷりで日当たりが良い丘の上のこの実家の近くに住んだ方がクローヴェル様の健康には絶対に良いと思う。王都まで私なら走って一息に行けるくらいの距離だし、慣れればクローヴェル様でも歩いて王宮まで通えるだろう。


 私の話を聞いて納得した父さんは、近所の人に声を掛けて、あっという間にサクサクと丸木小屋を一棟建ててしまった。場所さえ貸してくれれば王宮で手配しようと思ったのにその暇も無かった。「家の娘の旦那のためだからな」と父さんは笑っていた。近所の人も幼少の頃より可愛がっていた私の結婚なので、無料で一肌脱いでくれたそうだ。


 そういえば、私は本当は養女なのだ問題はどうしようかな?クローヴェル様の事だから事実を知っても怒るような事は無さそうだけど、流石に昔のご近所さん沢山なここに住んだら誤魔化し切れないと思う。・・・ま、何とかなるでしょう。


 そんな感じで結婚の準備を進めて、半年が過ぎた。クローヴェル様がそろそろやって来る頃だ。準備は終わったので、私はクローヴェル様が出発なさったという知らせを楽しみに待っていた。


 しかしこれが、一月ほど待っても来ない。何だろう。クローヴェル様が体調を崩されたのかしら?そう思いながら更に一カ月経ってしまう。これはおかしい。何かあったに違いない。私は人をアルハイン公国に派遣して状況を調べようと考えた。その人選を進めていた矢先の朝早く、アルハイン公国から使者が来て書簡が届いたのである。


 まことに嫌な予感がした。しかして封を切り書簡を読んでみると・・・。


『クローヴェルは体調を崩してそちらには行かれない。どうやらやはり婿として国王の任にも耐えられないと言っている。なので婚約は解消し、やはりホーラムルを婿として送りたい云々』


 などと書かれていた。一応はアルハイン公爵の印章が使われているわね。


 この書簡を読んで。


 私は激怒した。


 周囲にいた侍女や衛兵、書簡を持って来た使者が引くほどの表情だったらしい。しかし私はそれどころではない。私は書簡を握りしめ、使者を睨み付けた。


「なんですか!これは!」


 使者が身の危険を感じたか思わず立ち上がって後ずさる。


「い、いえ、私は書簡を持って来ただけで・・・!」


「私のクローヴェル様に何をしたのですか!一体誰がこんな書簡を出したのですか!あなたは誰にこの書簡を頼まれたのですか!返答次第によってはただでは済ませませんよ!」


 私は衛兵に命じて使者を拘束した。


「な、何をなさる!」


「拷問します!真実を吐かなければ命は無いと思いなさい!」


「わ、私は公爵からの正式な使者なのですぞ!」


「それが本当なのであれば、王国と公国の戦争になります!私の大事な婚約者を奪おうというのですからね!その覚悟があっての虚言なのですか!」


 私は叫ぶと、衛兵から剣を受け取る。剣など持ったことは無いが、鍬を一日中振っていた事もある農家の娘の力である。両手で剣を振り上げる事くらいは容易い。


「まずは右腕を切り落とします!その上で虚言が吐けるならやってごらんなさい!」


 私が冗談を言っている訳では無い事は良く分かったのだろう使者は真っ青になり、泣きながら叫んだ。


「わ、分かりました!言います!言いますとも!私は本当はホーラムル様の家臣です!公爵閣下の使者だというのは嘘です!」


 白状した使者の言う事には、クローヴェル様は確かに予定より少し遅れて国都と出立したのだが、ホーラムル様の手の者に阻まれ、途中の町に閉じ込められてしまっているのだという。そしてホーラムル様はこの使者を向かわせ、私に婚約解消させようとしたのだそうだ。本当はクローヴェル様から婚約解消をさせようと、書簡を書くように迫ったらしいがクローヴェル様は頑として同意せず、結局公爵からの書簡を偽造する事になったらしい。


「クローヴェル様はご無事なのですか!」


「だ、大丈夫です。ちゃんと宿に泊まって頂いておりますし。お母上が可愛がっている末の弟に何かあったら大問題になってしまいますから、ホーラムル様も直接の危害は加えられないと思います」


 私は一まず安心したが、同時に怒りの炎がメラメラと湧き上がってくるのを感じた。


 許せん!私の大事な婚約者、しかも身体も弱い彼を慣れない宿屋に一カ月も閉じ込めるなんて!彼の身に何かあったらどうするのか!ホーラムルめ、もしもクローヴェル様にもしもの事があったら、地の果てまで追い込んで復讐してやるから覚悟しなさい!


 私は持ったままだった剣を思い切り床に叩きつけた。木の床に剣が突き立つ。正面に跪いていた使者は情けない声を上げて引っくり返った。私は構わず叫んだ。


「具足を持ってきなさい!」


 流石に侍女が驚く。


「具足ですか?」


「そうです。私用の鎧兜を持ってきなさい!今すぐ!」


「落ち着いて下さい姫様!鎧など着て何をなさるおつもりですか?!」


 私は決然と顔を上げ、叫んだ。


「知れた事!兵を率いてクローヴェル様の所へ向かい、彼を助け出します!」




 怒り狂った私は侍女やザルズが止めるのも聞かず、保管してあった鎧の中から小柄な者用の鎧を選んで身に付け、衛兵を招集して出撃の準備を進めた。お父様が慌てて飛んで来た。


「お、落ち着け!リュー。何があった!」


 私は鎧に身を固め、馬にまたがった状態で叫んだ。


「ご安心をお父様!必ずやクローヴェル様を助け出してここへ無事に連れてまいります!」


「そ、そうではなくてだな・・・」


 私は剣を抜いて高々と天に掲げた。


「大丈夫です。正義は何処にあるか大女神アイバーリンはご存知です。竜の一首に恥ずかしい戦いは致しません!安んじてお待ちください!行くわよ!」


 私は馬を歩かせて出撃した。私の乗馬技術では走らせるのは無理なのだ。衛兵が数人慌ててついて来る。鎧を着て馬に乗って王都を練り歩く私を見て、何事が起きたのかと王都の人たちは驚嘆したらしい。だが、私が婚約者を奪還に行くのだという話は付いて来た衛兵からあっという間に知れ渡ったそうだ。


「そりゃ大変だ!姫様一人では行かせる訳にはいかねぇ!」


「おう、俺たちも行くぞ!」


 と、王都の人たちも王宮で鎧兜を借りて身に付け、急いで私の後を追い掛けて来てくれた。おかげで一行の人数はすぐに百名近くになった。馬車も追い掛けて来て、私は馬車に乗せられた。乗馬は子供の頃にほんの少しやった事しか無くて、少し乗っただけでお尻が痛くなってしまっていたから助かった。


 そして出来る限りの速度を出し、山を下って国境の境を抜け、アルハイン公国に入った。これで国境にアルハイン公国の衛兵でもいたらひと悶着あるところだったわね。私達は街道を丸一日急ぎ、陽が沈む前にはその町に辿り着いた。因みにこの街には前回のお見合いの時の道中では二日目に泊まった。それだけ今回は急いだのである。


 その町は街道沿いのそれ程大きくは無い町だった。平和な所らしく町を囲む柵なども無い。そこへ半分くらいは鎧兜を着ていないとはいえ、百人もの武装した集団がやってきたのだ。町は大騒ぎになったらしい。


 私は町の外で馬車を降り、馬にまたがって町へ入った。宿屋の位置は分かっている。石畳に馬の蹄の音を響かせながらどんどん進む。目的地の宿屋の周囲には兵士と思しき者達が十人ほどいた。おそらくホーラムル様の手の者だろう。彼らは私達を見て驚いたようで、宿の中に声を掛けて仲間を呼び出した。出て来た者は十数名。ちゃんとした兵士だろうから、ほとんどがただの王都のおじさんたちという我々よりも数は少なくても強いかもしれない。


 しかし私は構わない。私は指示を出してホーラムル様の手勢を押し包むように我が方の兵士を展開させた。人数はこちらの方が多い。ホーラムル様の手勢は突然の私達の来襲に驚愕しており、寄り集まって宿の入り口近くで戸惑うだけだった。


 私は一人馬に乗ったまま進み出て叫んだ。


「クローヴェル様はどこですか!」


 連中は戸惑ったように私を見上げた。私の事を知らないのだろう。私は持って来ていた旗をバサッと広げ、見えるように振った。


「私はイブリア王国王女イリューテシアである!我が婚約者であるクローヴェル様をお救いすべく参上しました!道を開けなさい!」


 その時、宿の入り口に慌ててやってきた大柄な人影が見えた。恐らく部屋で休んでいたのだろう、シャツ一枚にズボンという砕けた格好をした金髪の男性。つまりホーラムル様は、宿から出てくると周囲の有様に唖然として立ち尽くした。


「な、何事だ!これは!」


 私に気が付いてもいないようだ。私は彼が気が付くようにもう一度旗を大きく振って、彼に向けて怒鳴った。


「ホーラムル!」


 呼び捨てられて驚いたホーラムル様は、その馬上の人物が私だと気が付いてこれ以上無いくらい驚愕したらしい。私は兜を被っていないし、黒い髪も靡かせているのですぐに分かっただろう。


「我が婚約者を奪ったのは其方ですか!あまつさえアルハイン公爵の書簡を偽造するとは許し難し!そこへなおりなさい!」


 ホーラムル様は口を大きく開けたまま後ずさった。


「お、王女殿下・・・!?」


「如何にもイリューテシア王女である!自分の器量も弁えられず、視野も狭い其方など私の夫になれるわけが無いでしょう!私の婚約者はクローヴェル様だけです!クローヴェル様を返しなさい!」


 ホーラムル様は啞然とし、脂汗を流しながら私を見上げていたが、どうにかこうにか何かを納得する様に頷くと、叫んだ。


「こ、こんな野蛮なトンデモじゃじゃ馬王女こっちから願い下げだ!帰るぞ!」


 そして手勢を促すと這う這うの体で逃げて行った。宿屋に荷物とか置いていないのかしらね。それにしても野蛮なトンデモじゃじゃ馬王女とは失礼な。そう思ったのは私だけだったようで、後ろに居る者達は「ああ、間違いねぇ」「上手い事を言う」などと言っていた。解せぬ。


 その時、宿屋の三階の板戸が開いた。私が振り仰ぐと、そこに麗しの私の婚約者が姿を現した。おおお!私は馬上で身体を仰け反り過ぎて落ちそうになったわよね。


 くすんだ金髪は前より少し伸びている。服装は水色の部屋着。少しやつれた様子は見受けられたが、特に大きな傷も無さそうで一安心だ。クローヴェル様は下を見て、軍勢が居るのに驚き、更にその先頭で、馬上で旗を持っているのが自分の婚約者だと気が付いてその紺碧色の瞳を見開くと、思わずと言った感じで笑った。


「イリューテシア様。その勇ましい格好はどういう事なのですか?」


「あら、奪われた婚約者の奪還に来たのですもの。ドレスでは格好が付かないではありませんか」


「それは王子の役目なのでは?」


「昨今は女性も強くなりましたからね」


 私が嘯くと、クローヴェル様はククククっと本当に面白いものを見たという風に笑った。


「お手数をお掛け致しました。イリューテシア様」


「よくお兄様の要求を跳ねのけられました。ご立派ですよクローヴェル様」


 私は馬上で左手を伸ばす。プロポーズの時と立場が逆だな、と思いながら。


「さぁ、参りましょう。王国へ。私の大事な婚約者様」


 ・・・この時の出来事の顛末はこの町の人たちからあっという間に周囲に広がったらしく、程無く吟遊詩人が「イリューテシア姫の婿攫い」という題名で面白おかしく歌うようになったたそうだ。何でも結婚に反対されていたのに自ら兵を率いてアルハイン公国に攻め込んで、三倍の敵を撃ち破ってまでクローヴェル様を攫って婿にしたとかいう無茶苦茶な話になっているらしい。尾ひれが付くにも程があるわよね。


 そして同時に「イブリア王国のじゃじゃ馬姫」という二つ名も広まってしまったらしい。これがこれから幾つも付く事になる私の二つ名の、記念すべき第一号となる。





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る