三話 病弱公子

 私は三人の公爵令息の挨拶を受けると、最初に一人一人とダンスをする事になった。いきなりダンスなの?と思ったのだが、貴族の男女の出会いはまずダンスからなのだそうだ。


 最初は公爵の次男であるホーラムル様とだ。彼は年齢が十九歳。結構年上だ。というか、十九歳でまだ結婚していないのは男でも珍しい。


「もちろんイリューテシア様のところに婿入りしたくて結婚を控えていたのですよ」


 ゆったりとしたワルツを踊りながらホーラムル様が言った。何でもイブリア王国に王女がいて、そこへアルハイン公国から婿を出す事は数年前から取り沙汰されていたそうだ。それで彼は結婚を先送りにしていたらしい。そんなに王になりたいのかしらね。王国に行ったらがっかりすると思うけど。


 ホーラムル様は鮮やかな金髪を短めにしていて、活動的な雰囲気がある。実際、騎士として鍛えているそうで、踊りながら触れる部分はゴツゴツと硬かった。


 それより印象に残ったのは兎に角自分を強く推してくる事だった。それはもうゴリゴリと。


「私は次男でありますし、公爵家からも引き継げるものが多数あります。それを王国へ持って行けば王国を栄えさせられるでしょう」


「私は騎士としても一流ですから王国の者たちを鍛えて強くする事が出来ます」


「私は複数の隣国に知り合いがいます。その伝手を使えば王国の商業を発展させることが出来るでしょう」


 などなど。自分が如何に王国の役に立てるかを語り、自分の優秀さをアピールしてくる。私はすぐにお腹いっぱいな気分になってしまったが、確かに王国に迎え入れれば役に立ってくれそうな方ではあった。


 とりあえずホーラムル様とは三曲踊って、次は三男のグレイド様だ。年齢は十七歳。


 グレイド様は焦茶色の髪も目も顔立ちも、アルハイン公爵にそっくりだ。痩せているけど。聞けば彼は愛妾の子として生まれ、母が亡くなったので公爵の妃に養子として引き取られたのだそうだ。つまり他の兄弟と母親が違うのだ。ただ、お妃様は公平な方で、実子と扱いで差を付けるような事はなさらなかったと仰る。


 曰く、自分を選んでくれれば嬉しいが。兄のホーラムル様を選んでくれても良いと仰った。やはり正妻の子であり兄であるホーラムル様への遠慮がありそうだ。ただ、自分の実の母親は亡くなっていて、母方の親戚は平民だし兄弟の内で一番しがらみが少ないのではないか、と仰る。しがらみが多ければ多いほど、婿に迎えた後に王国への口出しが増える可能性が増えるわけで、これは馬鹿に出来ないアピールポイントだと言えた。


 最後に踊ったのが四男のクローヴェル様だ。年齢は私と同じ十五歳。くすんだ金髪で顔立ちは女性的。公爵にも兄君たちにも似ていない。紺碧色の瞳は美しいが、兎に角元気が無くて如何にも不健康そうだ。こんなんで踊れるのかしら?と思ったのだけど、さすがは公爵令息。流麗な踊り方で上手に私をリードしてくれた。私が内心でクローヴェル様に謝っていると、彼はニコリと笑って私を見下ろした。


「上手ですね」


 クローヴェル様が私を誉めてくれた。


「そうですか?」


「ええ。足の運びに迷いが無い」


 それはよかったわ。何しろお見合いが決まってからザルズと侍女、たまにお父様まで駆り出して特訓したもの。


「態度も堂々としていらっしゃるし、流石は竜の血筋ですね」


 むう。私はちょっとそれを聞いて不満を覚えた。


「踊りの上手い下手に血筋など関係無いのではありませんか?これは単に練習の成果です」


 クローヴェル様はびっくりした顔をなさった。


「クローヴェル様も苦労して身に付けた技能が血筋が良いから、で片付けられたら不満を覚えるのではありませんか?」


 クローヴェル様は私の言葉を聞いて少し表情を歪めた。多分心当たりがあるのだろう。


「そうですね」


 クローヴェル様は特にご自分をアピールなさらなかった。どうも自分は病弱だし、四男でもあるし、私の婿になれる筈が無いと思っていらっしゃるらしい。というより、公爵家の意向としてはどうもホーラムル様を私の婿にしたいようで、後のお二人は賑やかしか当て馬かというところのようだ。


 一応、私に選ばせるというのが建前として大事なのだろう。私が選んだ婿なら、結婚後に何をされても、王国も文句を言い辛いから。逆に言うと、ホーラムル様を婿にしてアルハイン公国は王国に対して干渉する気満々だということになるわよね。


 そう考えるとホーラムル様の言った、公爵家からの財産を王国にもたらすとか、騎士として王国の兵を鍛えるとか、諸国に知己が多いとかのアピールポイントも違って聞こえてくる。王国へこうやって干渉します宣言だよね。これ。


 一応三人と踊り終えたが、この時点で私が一番「無いな」と思ったのは、実はクローヴェル様だった。何しろ見るからに青白い顔した不健康な方だったんだもの。私は子孫繁栄のために婿を取る訳なのだから、健康は大事だ。クローヴェル様の感じでは下手をすると王国までの旅路で息絶えそうだ、とか酷い事を考えていた。


 やはり一番評価せざるを得ないのはホーラムル様だった。自分で言うだけあって能力は高そうだし、アルハイン公国の意向にも沿うのなら別にこの人でも良いのかな?という気がする。アルハイン公国からの干渉が煩そうという事に関しては、それは半ば覚悟してアルハイン公国から婿を取るのだから、王国にあんまり酷い不利益が無ければ構わないだろう。


 グレイド様はどうやら自分よりホーラムル様を推す感じで、あまり自己主張をしてこなかった。ただ、話した感じでは頭の回転は良さそうだし、性格も良さそう、はっきり言ってあまりにも自分推しで暑苦しいホーラムル様より、人格的には好印象だった。


 その日の宴は令息三人と踊ったりお話ししたりして親睦の切っ掛けくらいを掴んで終わった。私は数日は公国に滞在するので、その間に親睦を深め、誰を婿にするか決めるのだ。私はとりあえず宮殿に用意された私の部屋に入り、流石に疲れ果てて倒れるように寝てしまった。見た事も無いくらい豪奢な部屋で、お風呂も家にあるようなシンプルなものではなく飾りが沢山付いている上に何故かバラの花が浮かんでいる豪華なお風呂だったんだけど、疲れ果てていた私はそれどころではなかった。


 翌日は朝からホーラムル様とお会いした。まず宮殿の庭園で歓談し、それから宮殿をお散歩しながら語り合うという、まさにお見合いという感じのスケジュールだ。正直、あの暑苦しいホーラムル様と丸一日お会いするのかと思うとうんざりする気分だったが、私がここに来た理由がお見合いなのだから仕方が無い。というか、ホーラムル様と結婚すれば毎日会うのだから慣れておいた方が良いのかもしれない。


 庭園の東屋で待っていて下さったホーラムル様は濃い青の上着と白いズボンでという爽やかな格好で、昼の光の中で見ると確かに体格が良いのが分かる。家の近辺で見かける農家や職人の体格の良さとは違う身体つきで、なるほどこれが騎士の身体か、と思ったわよね。


 お茶を飲む所作や笑顔の浮かべ方は、流石に侯爵令息。実に優雅で、精悍なお顔もあいまってなかなかの美男子ぶりだった。多分貴族女性をキャアキャア騒がせているのではないだろうか。


 だがしかし、口を開けば昨日感じたのと同じ通り、俺が俺がのアピールタイム。自分が如何に勉学で優秀だったか。騎士として優秀で三年前の初陣では手柄を立てたとか。頻繁に他国へも使者や使節として向かい、帝都にも何度か行った事があるとか。公爵にこのような献策をして褒められたとか。いや、確かに大したものだと思う。実際優秀な方なんだと思う。でもねぇ・・・。


 この人はこれほど熱烈に自分を推しては来るのだけれど、一向に私をどう思っているのか、私にどうして欲しいのかは言って来ないのである。簡単に言えばお見合いであるのに私の事を一言も褒めない。というか言及もしない。私は置物のように彼の前に置かれ、延々と彼の自慢話を聞く係だ。私で無くても良さそうだな。これ。


 ただ、私の婿になって王国の王になりたいのは本当らしく、自分が王になったら王国を強くして、次期公爵である兄とも協力して王国の勢威を昔のように大きくしたいと目をギラギラさせながら語っていらっしゃった。それは良いのですが、そこに私はいるのでしょうか、という感じだ。


 何とか一日中、昼食晩餐も含めてお付き合いしたが、私は相槌以外ほとんどしゃべる事も無く、ひたすらホーラムル様の俺がオーラに当てられてしまって、非常に疲れた。だめだこれは。あれはもしも結婚しても変わらずあの調子のままだろう。あの調子でお婿に来られて、田舎の王国を私のいう事も聞かずに引っ掻き回されたら国民全員から総スカンを喰うだろう。私まで巻き添えで王国を追い出されかねない。私は心の中でホーラムル様に大きなバツ印を付けた。


 次の日はグレイド様とお会いした。昨日と同じ東屋にいらしたグレイド様は濃いグリーンの上着に紺のズボン。ただ、上着には華麗な金糸の刺繍が入っていて、お顔も端正なので色合い程地味ではなく華やかな印象を受けた。


 相変わらず控えめな口調と話しぶりで、私に「何か聞きたい事はありませんか?」とおっしゃってくれて、私が訪ねた公国の様々な事についてしっかり答えてくれた。ご自分の事も話されたが、公国の東の国境は遊牧民の襲来が多い地域なので、将来はその地域の代官になって、国境の警備に力を注ぎたい、などと仰っていた。王国に婿入りして王になる事には全く意欲も展望も無いようで、話を振っても考えた事も無いと苦笑していらした。


 そしてこの人も私については何も問わない。褒めない。私にまるで興味が無いことは明白で、お見合いなのにそれはどうなのよ、と私はかなり萎えた。いや、褒めろっていうのではなくて、私個人に興味が無いのにお見合いするな、と言いたいのだ。それは私の価値のほとんどが王国の唯一の姫であり、竜の血を引く者であり、婿になれば王国を継承できる点にあるのは仕方が無いとしても、幾らなんでも私自身を無価値のように扱われては良い気分はしない。


 とりあえず、グレイド様は私にも王国にも興味が無さそうだったので、私はグレイド様にもバツを付けた。実は後から聞いたがこの時点でグレイド様には想い人がいらしたそうで、それは私になんて興味を向けなくても仕方は無い。それならお見合いも断って欲しかったが。


 残るはクローヴェル様しかいない訳だが、私はあの病弱で覇気の無い公子は最初から無いな、と思っていたので、この時点で既に困ってしまった。クローヴェル様が駄目ならこのアルハイン公国からの婿取りを諦めるか、どうにも気に入らないのを承知で誰かを婿にするしかない。お父様はアルハイン公国からの話を断っても良いと仰ったが、断って一番近い隣国であるアルハイン公国の機嫌を損ねても王国には良く無いだろう。他の国にもっと良い相手がいるのかどうかも分からない。


 私は困ったなぁ、と頭を抱えながらクローヴェル様がお待ちになっている庭園の東屋に向かった。


 クローヴェル様は本を読んでお待ちになっていた。紺色の地味な上着と白いズボンで控えめな装いだった。私が近付くと本を閉じ、立ち上がって優雅に礼をした。


「これはイリューテシア姫。ご機嫌は麗しゅうございますか?」


「ごきげんよう。クローヴェル様。本を読んでいらしたのですか?」


 私は本が好きなので何を読んでいらしたのかに興味が湧いた。


「はい。私は身体を動かす事が苦手ですから本ばかり読んでいます」


「私も本は好きですよ。身体を動かすのも好きですけど」


 するとクローヴェル様は嬉しそうに微笑んだ。そして私が本を見ているのに気が付くと、表紙をスルッと撫でながら言った。


「詩人エッキクの詩集です。少し感傷的な詩ばかりですから、兄には『そんな女子供が読むようなものを読むな』と怒られます」


「あら、エッキクの詩は私も読みましたけれど、感傷的ですが強い決意を示すものが多くて私は好きですよ?」


 私の言葉にクローヴェル様は目を丸くなさった。


「イリューテシア様も読んだのですか?」


「同じ詩集であるかは分かりませんが、家の図書室にあるものは読みましたよ。『大海原に舟一艘が浮かぶ。覆すには僅かな風でも足りるかも知れぬが、その船乗りの想いは嵐でも覆せぬであろう。おお女神よ船乗りに祝福を!』でしたか?」


「凄いです!確かにエッキクの詩の一つです!覚えていらっしゃるなんて素晴らしいですね」


 クローヴェル様は目を輝かせ、それからしばらく私達はエッキクの詩やその他の読んだことがある本についてお話をした。確かにクローヴェル様は読書家で、様々な本を読んでいらっしゃるようだった。ただ、読んだ本の数自体は私の方が多いようだった。クローヴェル様は不思議がった。


「何故でしょうね?」


「聞いた感じですと、多分王国の方が蔵書が多いのですよ。王国の本は王国が縮小される際に全部持って来たと聞きましたから」


 本は宝石よりも高価なものだし、書いてある知識は正に国家の財産だ。そのため王家はあんなに落ちぶれても、宝石の類は大分手放したと言っていたのに、本は手放さず溜め込んでいたのである。落ちぶれても元は竜の一首を担った王家なのだ。その蔵書量は帝国でも屈指である事が想像される。


 私がそう言うとクローヴェル様は心底羨ましそうに溜息を吐いた。


「確かに私は宮殿の本は全部読みつくして、何度も読んでいる状態です。良いですね・・・。王国の本。是非読んでみたい」


 私のお婿になって王国に来れば読み放題ですよ。とは言えないが、言わなくても分かるだろう。


 私達はお散歩しましょうと庭園に出た。私には当然日傘が掛かったが、クローヴェル様も従僕に日傘を差し掛けられている。陽光を浴びると眩暈がするそうだ。やはりかなり病弱らしい。そのクローヴェル様は私の事をじっと見ている。なんだろう。


「お美しいですね。そのドレスも良くお似合いだ」


 私は頬が熱くなるのを感じた。と、突然何を言い出すのか。だが、クローヴェル様はニコニコと笑いながら無邪気に私を褒め続ける。


「先日も思いましたが、黒髪の艶は夜空のようだし、瞳もアメジストのようで美しいです。姿勢も堂々としていらっしゃる。その山吹色のドレスも良いですが、先日の紺色の物も良いドレスでしたね。それに・・・」


「お、お待ちください!」


 確かに私はホーラムル様やグレイド様に「ちょっとは褒めろ」と思ったけれど、これほどあからさまに褒め称えられると流石に恥ずかしくて居たたまれない。


「あ、あなたはいつもそのように、女性を軽々しく褒めるのですか?」


 クローヴェル様はキョトンとした顔をしている。


「どういう事でしょう?」


 無自覚か。無自覚女たらしかこの人。私は内心クローヴェル様への警戒心を強くした。


 庭園のお散歩はクローヴェル様にはきついという事で、クローヴェル様の提案で宮殿の図書室に行く事になった。私ももう三度目の庭園散策で飽きていた事もあり、その提案に喜んで同意した。


 宮殿の図書室はかなり大きい部屋だったが、書架には空きが目立った。これは確かに部屋の大きさは全然負けているが、蔵書は王国の方が遥かに多いわね。クローヴェル様の説明を受けながら蔵書を確認した限りでは、ここにある本は王国にも大体ある事も分かった。


 これは、あれだわね。多分、王国がこの地から引っ越す時に蔵書はみんな持って行ったのだけれど、同じ本が二冊あった場合は荷物を減らすために一冊を置いて行ったのだろう。まったくの想像だけど当たっていると思う。それがアルハイン公国に引き継がれてそのままなのだ。本はあまりに高価だし、価値が分からない人は購入しようとしないから、そう簡単には増やせないし増えない。


 私がそう言うと、クローヴェル様はがっかりした顔をなさった。


「王国に行って、本を読みたいです」


 そのために私の所にお婿に来ますか?とは言えない。私は同じ読書好きという事でクローヴェル様にかなり親近感を覚えるようになっていたし、この兄弟の中ではちゃんと女性に気を遣い褒めることが出来るクローヴェル様に少しずつ好感を覚え始めてはいたが、何しろ歩くだけで息を切らしてしまうような病弱さ加減である。私は婿にすぐに死なれでもしたら結婚が無駄になる、とか酷いことを考えていた。


 図書室でしばらく過ごし、昼食の時間になったので食堂へと案内される。廊下をクローヴェル様のペースでゆっくり歩いていると、前からホーラムル様が侍従や侍女を引き連れて歩いていらした。ありゃ。せっかくクローヴェル様とゆったりと過ごしているのに、あの暑苦しい人とは会いたくないな、と思ってしまう。


 案の定、ホーラムル様はキラキラした笑みを浮かべ、私の所にやって来た。


「これはイリューテシア様!どうでしょう!三人の内、誰を選ばれるかは決めて頂けましたかな?いや、もうお決めになったとは思いますが」


 そう言いながらクローヴェル様を見る。あからさまに馬鹿にしたような目付きだった。


「こんなまともに歩く事も出来ぬ奴に、王国の王の重責は担えませぬでしょう。お会いするだけ時間の無駄ですぞ。どうでしょう?これから私と昼食を摂りながら私達の将来についてお話しいたしませんか?」


 勘弁して下さい。とはまさか言えない。私は微笑みながら受け流す。


「今日一日はクローヴェル様と過ごす事になっておりますの。ホーラムル様とはまた後日お会いしましょう」


 私の言葉にホーラムル様はあからさまに顔を歪めた。俺に逆らうとは生意気な女め、という態度見え見えの表情だ。すっかり私を手に入れた気でいるようね。結婚相手は自分しかいないと思い込んでいるのだろう。うん、やっぱりこの人はダメね。却下。


 ホーラムル様はクローヴェル様の肩を強めに叩いた。そしてクローヴェル様を睨み付けると唸る様に言った。


「おい!クローヴェル!分かっているのだろうな!」


 そして鼻息も足音も荒く歩き去って行った。やれやれ。私はホッと息を吐いた。


 しかし、クローヴェル様は表情を暗くして俯いていらっしゃる。下唇を軽く噛み、目つきが鋭くなっていた。私はその様子を見て、思わず声を掛けていた。


「・・・悔しいのですか?」


 クローヴェル様が思わずといった感じで私の事を意外と鋭い目で睨んだ。すぐに気が付いて柔らかな微笑みを浮かべたが、その一瞬浮かべた覇気のある表情は私の印象に強く残った。


「馬鹿にされて悔しいと思うのは悪い事ではございませんよ」


「いえ・・・。仕方が無いのです。私は病弱ですし、剣を振るう事も出来ません。あのように強い兄上には弟として不足に感じる事も多いのでしょう」


 私は向き直ってクローヴェル様を正面から見据えた。彼も居住まいを正して私の事をその輝く紺碧色の瞳で真っ直ぐに見てくれた。ふむ。この人、思ったより胆力はあるし、人のいう事を真剣に聞ける人なんだわ。


「人の強さには色々あるものでございましょう。私は剣など持った事もございませんが、ホーラムル様より自分が弱いなどとは思っていませんよ」


 私がそう言うとクローヴェル様は目を見開いて驚かれた。私は彼をじっと見つめながら言う。


「私はホーラムル様とは違う知識を色々持っていますし、あの方より頭も良いと思います。あの方に負けるとは思いません。腕力で勝てなくても他で勝てば良いのです」


 クローヴェル様の表情が真剣になる。


「クローヴェル様も同じでしょう?沢山本を読んでいらっしゃるのだから、知識は負けないし、他の人を褒められるという事は他人を良く観察出来るという事でございましょう。それはホーラムル様には無い美点ではございませんか」


「・・・そんな風に考えた事はありませんでした・・・」


 うん。この人良いわ。人の話を聞いて気付きを得られる人というのは、実はそんなにいない。その気付きを使って自分の欠点を改められる人はもっと少ないけれど。少なくとも人の話を聞ける人というのはそれだけで人間的価値が高いと思う。


 私は期待を込めて言う。


「クローヴェル様はホーラムル様には負けていませんよ。色んな部分で上回っていると思います。後は、クローヴェル様のお気持ち次第なのではありませんか?最初から負けていると思いこんでは絶対に勝てません。勝つ気がなければね」


 私の言葉にクローヴェル様は考え込まれてしまい、昼食の時もその後のサロンでのお茶の時も上の空で言葉少なだったが、私は黙って彼を見守っていた。


 そしてその夜。私はベッドに入る前に窓際の椅子で図書室から借りて来た本を読んでいた。珍しく最近入れたらしい、私の読んだ事の無い本があったからだ。窓際にランプを置いて、その灯りを頼りに文字を追う。内容は灌漑農業の研究書みたいで難しくて面白味は無いが、読んだ事の無い本を読むというだけで楽しい。


 と、窓に何かが当たる音がした。気のせいか?と思って読書に戻るが、二度三度と音が聞こえる。私は窓の外を見た。・・・何か人影があるような。


 護衛の者を呼ぼうかと思って、呼び出しのベルを手に取ったが、思い直す。窓をそっと開き、下を見る。私の持つランプと月明かりにうっすらと照らされて、僅かにその人物が判定出来た。光に僅かに光るくすんだ金髪。格好は夜着のようで白いひらひらした服だった。クローヴェル様が窓の下から私の事を一心に見上げていた。因みに私の部屋は三階である。


「イリューテシア様!」


 クローヴェル様がパッと微笑んだ。お作法の作り笑いではない、歓喜の笑顔だった。私は驚きながらも納得していた。この人はこういう事をやりそうな人だ。


「どういたしましたか?クローヴェル様。夜風はお身体に悪うございますよ」


 しかしクローヴェル様は笑顔のままじっと見上げている。そして、ゆっくり跪いた。右手を胸に当てるのはお作法通りだが、左手を上に、私の方に向ける。顔も上に向けたままだ。そして歌うように言った。


「あなたに心を奪われました!私と結婚して下さい!」


 ・・・うふふふ。私は思わず気持ち悪いくらいご機嫌な気分で笑ってしまった。そうなのだ。私は実はこういう風にプロポーズされたかったのだ。


 そりゃ、私が政略結婚する事は当たり前で覚悟していたとはいえ、齢十五の乙女なのだから、恋愛小説のような恋愛やプロポーズに憧れなかった筈は無いのである。自分で恋愛をした事は無いが、恋愛小説や恋愛詩は沢山読んだからね。ただ、政略結婚に愛が無いのは付き物だし、実際にお見合いをして見たら誰も私自身について語らないししっかり見もしない。なので物語のようなプロポーズなどすっかり諦めていたのだが・・・。


「これはあれでしょう『シューベルタン物語』あれの剽窃ですね?」


 私が笑いながら言うと、クローヴェル様も笑いながら言った。


「私はあの物語が好きなのです。いつかプロポーズする時はこのようにしようと思っておりました」


「私も好きですよ」


 私はすっかり嬉しくなってしまった。この人は何というか、私に合うと思う。好きになれそうだ。政略結婚なのだから熱烈な大恋愛は無理かも知れないが、想いをこのように示され、私も彼が好きになれそうなのだ。それ以上を望むのは贅沢というものだろう。


「クローヴェル様、王国に来て本を読んでみますか?」


 するとクローヴェル様は初対面の時の覇気の無い顔が嘘のように瞳を輝かせて言い切った。


「本など無くても、イリューテシア様の婿になるために、イブリア王国へ参ります!」


 私は大きく頷いた。


「あなたを、私の婿に。よろしくお願い致します。クローヴェル様」


 窓から身を乗り出す私と、跪いて満面の笑顔で見上げるクローヴェル様を月明かりが照らしていた。物語そのままのロマンチックな一夜。全ては、このプロポーズの夜から始まったのだ。

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