一話 私がお姫様になるまで

 ・・・ずいぶん失礼な歴史家ね。とんでもないわ!


 とりあえず間違いを指摘しておくと、クローヴェル様は私の婿様です。つまりクローヴェル様を選んだのは私なのです。それにクローヴェル様には勇気も知略もお有りになったわ。確かにご健康では無かったし、頑健な肉体とは縁遠かったけれど、ちゃんと子供も残されたし、それなりに長生きしたじゃない。そこは私も頑張ったけれど。


 どうせ本人には分かるまいと思って好きな事言うわよね。歴史家って。生きている内にそんな事を言う奴がいれば私が縛り首にしてやったのに!


 まぁ、ここで怒っても仕方が無いわね。取り合えず私がこれから本当の事を語ってあげようじゃないの。その上で私を「恐怖」だなんて呼ぶのであればご勝手に、って感じだわね。




 私、イリューテシア・ブロードフォードはイブリア王国の王都近郊の農家に生まれた。


 え?いきなりおかしいって?私はイブリア王国王家の姫だった筈だって?まぁまぁ慌てずに。そこは順に説明していくから。


 兎に角、私は農家で産声を上げた。父さんの名前はギード。母さんの名前はシル。私はその二人の三番目の子供として、長女として生まれた。その時付けられた名前はリュー。


 私の生まれた家は王国にしては大きな農家だった。とはいえ当時のイブリア王国は弱小貧乏国。土地も痩せていて、一生懸命毎日毎日土地を耕して頑張って、ようやく何とか食べて行けるような生活だった。私も歩けるようになったら兄さんたちに付いてお手伝いをしたわよ。薪拾いとか、雑草抜きとか、害虫を潰したりとか。


 父さん母さんと兄二人は優しく、私は物心ついた頃から毎日楽しく生活していた。家の手伝いをしながら、近所の子供達と野山を駆け回り、色んな事をして遊んだわ。色々悪さもして怒られたけど、特にとんでもない事はしでかさなかったわよ。本当よ?


 当時のイブリア王国は先ほども言ったけど弱小国で、王都で人口が一万人くらい。国全体でも十万人はいなかったんじゃないかしら。国土は山がちで耕地も山を削って作るからそれ程大きくも出来ず、他に目だった特産品も無い。正直、イブリア王国を含む「帝国」の中でも最下位に近い国力だったと思う。


「帝国」とはイブリア王国を含む七王国を始めとした数十にも上る諸侯領が集まって出来た連合国家の事だ。色んな国が寄り集まって一応一つの大きな国の体裁を成している。七王国と有力諸侯に選ばれた「皇帝」と七つの首を持つ竜の旗の元に連合して、西のガルダリン皇国や東の遊牧民国家に立ち向かう。それが「帝国」だ。


 イブリア王国は帝国の七王国の中に数えられ、その王家であるブロードフォード家は何度か皇帝を出した程の名門であるらしい。凄いわね。それがなんでこんなしょぼくれた国家に落ちぶれてしまったのかしら。


 どうやら百年くらい前に、イブリア王国は皇帝継承の時に揉めて、他の国と武力衝突を起こして負けたらしい。それで国土の良い部分は奪われ、残された山がちな地域に押し込められてしまったらしいのだ。それからというもの、王家に仕えていた貴族も残らず農家になり、懸命に働いて何とか国家を維持している有様なのだとか。私の家もそうして農家になった元名門貴族なのだそうだ。本当はちゃんと苗字もあるらしい。遠縁だが王家とも血縁関係があるそうだ。今や何の自慢にもならん、と笑いながら父さんが教えてくれた。


 私はそんな国の農家で楽しく暮らしていた。家の手伝いをして友達と遊んで、時には悪さをして怒られて。私はそんな風にしてずっと生きて行くんだろうな、と漠然と思っていた。十歳までは。


 十歳になった頃、突然私の家に国王陛下からの使者がやって来た。使者と言ってもただのもさっとしたオジサンだったけど、身なりは少しちゃんとしてたかな。オジサンは父さんと何か話していた。父さんとオジサンは知り合いみたいだった。


 父さんは何だか大いに驚いていたけれど、しばらく考え込んだ後、私を呼んで言った。


「父さんと王宮に行こう」


 王宮?私は首を傾げた。家からさして遠くない王都。たまに農作物を市場に売りに行くから何度も行った事はある。が、流石に王宮には行った事は無かった。


 王都は城壁に囲まれていて、その城壁を潜り、更に行った所にもう一つ城壁がある。それが王宮だ。ただ、それほど規模は大きく無い。今考えればだが。その当時の私には「おっきなお屋敷!」だとしか思えなかったが。


 王宮は石造りで概ね三階建。お屋敷というかお城だ。飾り気は全然無く無骨な外見だった。これは王都をここに移した時に以前からここにあった砦を王宮に転用し、それを囲むように王都を形成したかららしい。手入れはあまり行き届いておらず、外壁は蔓草や苔でビッシリ覆われていた。


 大扉から王宮の中に入る。流石に中は王宮らしく美しく仕上がっていた。壁には白い漆喰が塗られ、床には紺色の絨毯が敷かれている。そこここに絵が飾られていたり、花が飾られていたりする。今考えれば質素。悪く言えばしょぼ過ぎる王宮だ。だが、当時の私には十分華麗な王宮に見えた。


 そして通された普通の部屋。別に勿体ぶった謁見室でもなんでもない小さい部屋にその人は待っていた。


「おお、よく来てくれた。ま、座りなさい」


 白い髪は長く、頭の後ろで縛っていた。前髪に埋もれて目がよく見えない。白い髭もダラリと長く、つまり顔全体のほとんどが白い毛で覆われている。頭に小さな王冠を乗せ、一応は白いマントを羽織って格好を付けていた。


 マクリーン三世。この国王様だった。私は流石に緊張しながら頭を下げた。


「初めまして。リューです!」


 すると国王様は少し驚いた様子を見せた。


「おお、小さいのによく出来た娘ではないか。ギード」


 すると、父さんは苦い物でも噛んだような顔をして言った。


「私の娘ですからな。それより王様。一体あれはどういう事なんですかい?」


 父さんは勧められた席に座りもせず、国王様に詰め寄った。


「うむ。どうもこうも無いであろう。ザルズに伝えさせた言葉通りの意味だ」


 父さんはそれを聞いてむむむっと唸った。


「つまり?」


「そこの其方の娘を私の養女に欲しいのだ」


 ・・・えー⁉︎


 私は声も出ないほど驚いた。


 国王様が説明してくれた理由はこうだ。


 なんでも国王様には歳の離れた奥さんがいらっしゃったそうだ。三人目の妻だったらしい。その奥さんが妊娠されて、女の子を産んだのだが、その年の内に母子共に亡くなってしまったらしい。これが十年前。つまり私が生まれた歳の話だ。


 国王様は嘆き悲しまれたが、事はそれだけでは済まない。国王様には前の奥様との間を含めて子供が居られなかった。つまりこのままでは王家の血が絶えてしまう。歴史ある名門王家であるブロードフォード家の血が絶えてしまったら、帝国全体に関わる大問題になってしまうそうだ。


 そこで王様はやむなく養子を迎える事にした。それで白羽の矢が立ったのが私という訳だった。??なんで私?


「実は死んだ子が生まれた時、周辺諸国に通知を出してしまのだ。だからその子が生きている事にするには同じ歳である必要がある」


 養子にすると言うより、死んだ実子の身代わりを立てるという方が近いらしい。どうやら養子だと、血縁関係のある周辺諸国から跡を継ぐ際に横やりが入りかねないかららしいのだ。なので、同じ歳の女の子でなければならないのだとか。


「それにしてもなんでリューなんですか?他にも十歳の女の子はいるでしょうに」


「それはギード。其方の家が我が王家の近縁だからじゃよ。其方の祖母は王家の出だ。つまりその子は王女のひ孫じゃ。それに其方の妻も比較的濃い目の王家の血を継いでおるはず」


 父さんは遠縁だって言ってたけど、意外に近縁だったらしい。後で聞いたら国王様と父さんは親戚だけに昔からよく会っていたのだそうだ。道理で話す口調が気安い筈だわね。それにしても王家のお姫様が既に農家だった我が家に降嫁なさったという事ではないか。我が国の零落ぶりに涙を誘われるような話である。


 つまり我が家は農家だが、元名門貴族だけに王家の血が濃く、血の濃さが重要視される王家の跡継ぎにするのに、私は適当だという事らしい。


 父さんは腕を組んで唸っていた。国王様の仰る事は分かるが、自分の娘を王家の養子にする。しかも婿取りをさせて国王様の跡継ぎにするなどという事に、咄嗟に判断が付きかねたのだろう。無意味に私の頭を撫でながら考え込んでいる。国王様は縋るような様子で言った。


「勿論、その子はちゃんと王家の子として育てる。何しろ跡取りにするのじゃからな。きちんと教育して王家の姫に相応しくなるよう教育するとも。だが、其方と会う事を禁ずるような事もせぬ。実の親と引き離すような可哀想な事はせぬとも」


 必死だ。とても臣下に向かっての要望をしているようには見えない。懇願である。それほど国王様は切羽詰まっていたのだろう。その必死さ加減に父さんは言下に断りかねたようだ。苦し紛れに私に尋ねた。


「・・・どうする?リュー?」


 そんな判断を十歳の子供に丸投げするなと言ってやりたいが、当時、純真無垢な私はそんな事は思いもしない。父さんを見て、身を乗り出して私を見つめる国王様を見る。私にわかったのは国王様は大変困っていて、私に助けを求めている事だけだった。そして父さんは私にどうするのかと聞いたのだ。私がどう答えても怒る事は無いだろう。父さんは困った人がいたら助けるものだと言っていたしね。


「いいよ。私、養女になるよ」


 流石に養女が何だかは知っていたわよ?近所の農家には子供を育てられなくて子供を養子に出す例もあったから。ただ私はこの時、王家が何なのか、ブロードフォード家の養女になるというのがどういう事なのかは一切理解していなかった。


 父さんは驚き、国王様は大いに喜んだ。この後、父さんと国王様が話し合った結果、結局私は国王様の所に養子に行くことになったのだった。




 私が養女になる事にさして抵抗が無かったのは、近所で比較的気軽に養子に出したり取ったりが行われていたからでもある。これは年により収入事情に変動が大きい農家では、作物の実り具合によっては子供が育てられない場合が出てくるからで、そうした場合は子供を簡単に養子に出し、余裕がある家が引き取るのだ。この場合、養子に出されてもその子は実家と縁が切れる訳では無く、普通に実の親に会いに来ていたし、収入具合が改善すれば実家に戻る事もあった。


 なので私も別に名前だけ国王様の娘になるだけだ、と思っていたのだ。国王様が親戚でお父様と気安い関係だったのを見て、親近感が湧いてしまったから、国王様がどんな存在なのか忘れてしまったせいでもある。


 実際、私は国王様の養女となり、名前がイリューテシア・ブロードフォードに変わったのだけれど、相変わらず周りはリューと呼んでいたし、住んでいるのも父さんの家だった。畑仕事の手伝いは変わらずして、友達とも遊びまくっていた。何にも変わらない。なので私本当に養女になったのかな?とさえ思っていた。


 ただ、一つ変わったのは、最初は週の内二日。王宮に行って教育を受ける事になった事だった。


 実家からテクテク歩いて王宮に行くと、まず国王様、もといお父様にご挨拶をする。この時から既に教育は始まっている。


「大女神アイバーリンの代理人にして七つ首の竜の一首を担いし偉大なる国王陛下にご挨拶を申し上げます。ご機嫌麗しゅう」


 まずこのご挨拶の台詞の暗記が一苦労だった。挨拶の速度、抑揚も決まりがある。そしてお父様の前に出る時の歩き方。跪き方。右手を胸に沿え、左手を腰の後ろにする姿勢。身体を前に倒す角度。全てが厳密に決まっているらしい。


 これらは王宮に仕える侍女のおばちゃんやおばあちゃんが教えてくれた。侍従長(とはいっても侍従は一人しかいない)のザルズが教えてくれる場合もあった。


 お父様にご挨拶をしたら誰かしら付いて、続けて礼儀作法の教育だ。立ち方。歩き方。言葉遣い。スカートを広げてお辞儀をする淑女の挨拶。笑う、眉を顰める、優雅に怒るなど表情の練習。などなど。


 食事の時も講習はある。カトラリーの使い方から上品なスープの飲み方、パンの食べ方。食べ難い食べ物を食べる方法。お茶の飲み方。お菓子の上品な食べ方。などなど。


 更に社交に必須なダンスの練習。更に教養として文字の読み書きや計算の勉強。などなど。


 覚える事が多いので、大変な事は結構大変だった。ただ、五人いた侍女たちもザルズも優しかったし、丁寧に何度も教えてくれたので別に教育は嫌では無かった。お食事もお菓子も美味しかったし。お勉強も慣れると面白くなった。ある程度文字が読めるようになると、王宮の図書室で色んな本を読めるようになったのでより楽しくなったわね。やっぱり知らないことが分かるようになるって面白いわよね。


 そんな感じで私は十歳から十五歳まではそうやって実家と王宮を往復しながら生活していた。だんだん教育の頻度が増えて、その内王宮に私の部屋が用意されて、ちゃんとベッドまで用意されて(普通のベッドでマットは実家と同じ藁だったけど)、たまに泊まるようにはなったけれど、基本的には実家から王宮に通う生活は続いた。


 通っている内に、私が国王様の娘である事は王都の人たちに知れ渡ったようで、王都を歩いていると「おう!姫様!」「姫様元気か!」「姫様これ持って行きな!」とかいうように気軽に声が掛かる様になった。誰が姫様か。ちょっと恥ずかしかったわよね。


 十三歳になる頃には一通り基本の教育も済んで、お作法の講習もハイレベルになっていた。目線で相手に意図を感じとらせる方法だとか、手の動きで自分の機嫌を周囲に悟らせる方法だとか。ダンスの際に相手に意地悪をする方法だとか。こんなんどこで使うんだろうね。お勉強も結構高度な事をやらされた。帝国や周辺諸国の歴史や地理。ちょっと難しい計算。周辺諸国の言語など。あんな顔してザルズは博識で、分からない事には何でも答えてくれた。


 図書室の本もあらかた読みつくし、お父様が私室や別室に保管していた難しい本も読んだ。本を読むのは楽しくて、本を読みたいためだけに王宮に泊まる日がだんだん増えた。農繁期にそれやると父さんが怒ったけど。


 十三歳になると、お作法の講習はドレスを着てやるようになった。このドレスは歴代の王女が着ていたものらしく、それが侍女達の手によって丁重に保管されていたものらしい。それが私の身体に合うように詰められて私に着せられた。さすがに女の子だから綺麗なドレスを着るとテンションが上がったわよね。自分が本当にお姫様になったような気分がした。


 ・・・いや、私もうこの時点で十分お姫様になっていたのだ。十三歳の頃には私はもう七割くらい王宮で暮らし、実家には農繁期に手伝いに帰る位の状態になっていたのだから。ドレスこそ中古だったが、普段着はお父様が仕立て屋さんに頼んでくれていたから綺麗な服を着るようになっていたし、侍女がお風呂に入れてくれて髪や肌も手入れしてくれて、お化粧も少しずつしてくれるようになった。あまり実家に帰らないのだから友達と野山を駆け回る事も無くなったし、お作法が身に付いたから歩き方も姿勢も上品になってしまい、実家の周りに居るとかなり存在が浮いているらしかった。


 周囲も私を完全に王家の姫君と認識し始めたらしく、王都を歩いていると丁重に挨拶されたり礼を施される事も増えた。こうなると気軽に出歩いて買い食いもし難くなるので困ったのだが。お姫様が串焼き咥えて歩いていたら体裁が悪い。つまり私自身もそういう事を考えるようになっていたのだ。実家も十五歳になった頃に完全に私を手放す覚悟を決めたらしく、農繁期の手伝いにも来なくて良いと言われた。お姫様を農作業にこき使っていたら外聞が悪いと。私は農作業もそれなりに好きだったのでちょっと寂しかったが、私が手を汚したり擦り傷を作ったりすると侍女達が悲しんだので、確かにもう農作業はしない方が良さそうだった。


 もっとも、お姫様とは言ってもあくまでもイブリア王国のレベルでのお姫様だったのであって、普段着はブラウスとスカート(胸が出て来てからはボディスが加わったけど)だし、靴は普通の革の靴。食べ物も実家と大差無いものだった(食べ方が物凄く上品なだけ)。相変わらず私は王都を気軽に歩いていたし、王国にはこの当時貴族がいなかったから社交も無く、訓練した社交スキルを発揮する場面など無かった。単に王都の人からちょっと敬われる存在になっただけで、私自身がそんなに変わった訳では無いと思っていた。


 そうして完全に王家の姫君となってしまった十五歳の私は、お見合いの日を迎える事になる。

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