第6話「闘獣の戦い方」

 〈水蛇の湖沼〉の中央に広がる、大きな湖。濁った水は灰色で、底を見通すことはできない。岸辺には釣り糸を垂らすプレイヤーがポツポツと並んでいて、時折巨大なナマズのような原生生物なんかが釣り上げられていた。

 このフィールドのボスは、湖沼の底に潜んでいる。“隠遁のラピス”という名前の、白く巨大な三つ首のスケイルサーペント。青眼、赤眼、金眼の三つの頭は、それぞれに特殊な能力を持っている。当然、私一人の手に負えるような相手ではない。でも、頼れるチアガールがいるならば。


「いーーやーーだーーーっ!」

「文句言わないで。〈ウェイド〉に行くには避けて通れないんだから」


 湖沼の岸辺で絶賛座り込みを続ける女の子が一人。何を隠そう、我が相方のレナちゃんである。

 彼女とパーティを組んで1週間と少し。お互いの意思疎通も滑らかにできるようになってきて、二人ならばラピスだって倒せるだろうと自信も付いてきた。けれど、ここまできてレナちゃんの新たな弱点が発覚した。——彼女、カナヅチなのだ。

 それも、ただ泳げないだけじゃない。水に顔が付けられない。特にこんな濁った水など、もし潜ろうものならその瞬間にストレスで強制ログアウトしてしまう。ビビりである。


「ほら、これに入って目閉じてれば、私が引っ張ってあげるから」

「絶対ヤダ! ヤダヤダヤダ!」


 そんな彼女のために、賢い私は考えた。どうすればレナちゃんが水に触れずに水底のボスの元へ辿り着けるか。

 熟考に熟考を重ね、さらに掲示板やwikiでの情報収集をして、何度も検証を繰り返し、そうしてついにその方法を編み出したのだ。


「ほら、ちょっと生臭いだけだから!」

「やーーーだーーーっ!」


 私が持ち上げたのは、この湖沼に生息している巨大なカエルに似た原生生物オイリートードの死体だった。正確に言えば、その生皮だけど。

 オイリートードは表皮に分泌する粘液が面倒な原生生物だけど、それ以外にも厄介な攻撃がある。それは、大きく開く口と長く伸びる舌を使った丸呑みだ。これが結構な曲者で、何百匹と倒している私でもちょっと油断するとすぐ飲み込まれる。カエルの体内は生ぬるくて臭くて、全身を一気に締め付け圧迫され、なかなかダメージも大きい。……まあ、ボキボキと四肢や肋骨のフレームが歪むと生を実感できてちょっと癖になるけど。

 ともかく、オイリートードは調査開拓員を一人丸呑みにできるくらいに大きい。そして、その生皮は脂っぽい粘液で包まれていて、いい感じに水を弾く。

 つまり、この中にレナちゃんを入れて、私が運べば良いという完璧な理論である。


「というわけで、ほら」

「いやだーーー!!!」


 せっかくオイリートードを現地調達して、本来の解体順序から外れて皮をそのまま残すように切ったのに、肝心のレナちゃんがなかなか決心してくれない。早くしないと皮が腐るんだけどなぁ。


「別にダメージ受ける訳じゃないし、大丈夫だって」

「そう言う問題じゃないもん! お姉さんキモいよ!」

「き、きもっ……。レナちゃんのこと考えて、この案を練ったのに……」

「絶対もっといい方法あるよぉー!」


 ついには泣き出してしまったレナちゃん。最初の町に近いフィールドということもあって、近くには私たち以外のプレイヤーも沢山いて、その視線がチクチクと突き刺さる。

 違うんです。別にいじめてる訳じゃないんです。

 一応、他にもプランはいくつか検討した。例えば、ずっと先の方にある〈剣魚の碧海〉という海洋フィールドでよく使われている潜水球とか。というかオイリートード袋もそれを自分なりにアレンジしたものだ。


「なんで潜水球使わないの!? あれでいいじゃん! あれがいい!」

「いや、だってお金かかるし」

「はぁあああ!?」


 問題は、潜水球は有料だということだ。素材持ち込みで、タイプ-フェアリーが一人収まる程度の大きさだとしても、最安値で50kビットから。別に払えないことはないけど、払うと懐から5万ビット去っていく。そんなの、容認できない……っ!

 おんなじ目的のための手段で片や50,000ビット、片やタダ。だったらどっちを選ぶかなんか自明でしょう。


「ほら、さっさと入って」

「もごごっ!?」


 このままでは埒が開かないので、三角座りでテコでも動かない覚悟を見せるレナちゃんの頭に、オイリートードの生皮を被せる。


「もがーっ! もががーーっ!」

「はいはい。楽しいねぇ」


 ぐいぐいと奥へ押し込み、皮を調整する。余ったところは束ねて紐で括り、自分の手首とつなげる。こうすれば、たとえ水中で戦闘になっても離れない。


「お、女の子が女の子を誘拐してる……」

「これって通報した方がいいの?」


 けど周囲の視線が痛いね。何にも悪いことやってないのに、赤GMまで呼ばれそうな空気だ。私は不審者じゃないですよ、と愛想のいい笑みを振り撒きながら、レナちゃんがちゃんと収納されているのを確認する。

 よし、じゃあ、いくか。


「ほいっ!」

「もごーーーっ!?」


 オイリートードの皮(レナちゃん入り)を湖沼に投げ込む。縄がスルスルと落ちていくのを見るに、順調に沈んでいっているようだ。私は大きく息を吸い込むと、レナちゃんの後を追って飛び込む。

 濁った水の中は驚くほど視界が悪い。それでも、オイリートードの皮はしっかりとその影を捉えることができた。それを小脇に抱えて、下へ下へと潜っていく。レナちゃんは抵抗が無駄と悟ったのか、身じろぎせず大人しくしてくれていた。強制ログアウトも受けていないようだし、このまま順調に行けば二人でラピスに挑めるだろう。


「っ!」


 しかし、そう上手くトントン拍子で事が進むわけではない。湖畔に並ぶ釣り人たちは、頑丈なワイヤーのような糸を垂らして、3メートルはあろうかという大きなナマズを釣り上げていた。つまり、ここにはそれが悠々と泳いでいる。

 濁った水の奥から、突然大きく口を開けたナマズが飛び出してくる。私は咄嗟に拳を突き出し、ナマズの柔らかい眉間を殴る。


「〜〜〜!」


 レナちゃんが何か察した様子で、再び動き出す。大丈夫だよ、と彼女をカエルの生皮越しに撫でて、身を翻し再びやってきたナマズに向き直る。

 ナマズと言っても、ナマズではない。大きく開いた口には、びっしりと無数の鋭い歯が並んでいる。あれに飲み込まれたら、スクラッパーに入った材木のように木端微塵になるだろう。


——いいね!


 水もろとも飲み込もうと襲い掛かるナマズの口内に向かって足を突き出す。そんな無防備な動きを嘲笑するように、ナマズは私の下半身をぱっくりと飲み込んだ。


「——〜〜〜〜っ!!!!」


 ゴリゴリと下半身が削られる。まるで荒い鉄やすりで擦られているかのような感触だ。スキンが瞬く間に剥げ、人工筋繊維がブチブチと千切れていく。フレームが歪み、ブルーブラードの青が濁った水に広がる。


——ああ、私、生きてる! この激痛、この圧迫感! ジリジリと減っていくLP! これが無くなった瞬間、私は死ぬ。だからこそ、生きたいと思う。心の底からもがきたくなるこの焦燥感!!!


「ごぼぁっ!」


 LPが猛烈な勢いですり減り、危険域に達する。赤く危機感を煽る色に変わった瞬間、下半身に全身全霊の力を込める。振り上げた足の、伸ばした爪先が、ナマズの口腔を突き破る。まさかの反撃にナマズが全身を震わせる。


逃がさないごぼぼぼあ


 ニィ、自然と笑みがもれる。口から貴重な酸素が泡となって漏れ出していく。私の今の〈水泳〉スキルでは、5分の潜水が限界。ラピスのいる洞窟に辿り着くまで、真っ直ぐに進んでも3分は掛かる。時間をかけていられない。


「——らぁっ!」


 ナマズの口内にある膝と、自由に使える膝を打ち合わせる。間に挟まったナマズの小さな脳が衝撃に震え、大きな目が白く裏返る。致命的な隙を見せた相手に、容赦はしない。

 ナマズの大きな鰭をむんずと掴み、力任せに千切る。赤い霧のように血が噴き出し、水中に鉄っぽい匂いが広がる。

 傷口に指を突っ込み、皮を掴む。


——てめぇの皮も剥いでやろう♡


 バリバリバリっと勢いよくナマズの表皮を引き剥がす。声にならない悲鳴をあげて、ナマズが激痛に身をくねらせる。私の下半身を吐き出し、逃げるようにこちらに背を向けるが、逃すわけがない。

 タダで私を喰えると思うなよ。

 尻尾を掴み、引き寄せる。むしろ私が引きずられそうだったけど、咄嗟に爪を肉に突き立てて怯ませた。


——けど、手が足りない!


 このナマズはそのうち倒せる。出血はもはや致命的だ。けれど、時間を掛ければこちらも危ない。できるだけ早く倒さないと。

 けれど、足はもう使い物にならない。水から上がって包帯を巻かなければ。片手はレナちゃんと繋がっているから使えない。空いた手もナマズを捕えるのに精一杯。となれば。


「がむっ!」


 噛み付けばいい。私にも鋭利な歯があるのだ。

 逃げようと身をくねらせる大ナマズの背中に思い切り歯を突き立てる。生臭さとゴムのような食感を感じながら、顎に力を込めて肉に食い込ませる。


「むがぁっ!」


 ブチッと音がした気がした。

 ナマズの背中に、私の歯形が付いていた。肉がえぐれ、私の口の中にある。


——なんだ、やればできるじゃん。


 〈格闘〉スキルは手足での攻撃を行うための技術だと思っていた。けれど、正確にはそうじゃなかった。〈格闘〉スキルは、だ。

 殴れば、骨を砕く。蹴れば、肉を裂く。それだけじゃない。組み付けば動きを拘束できる。それだけに留まらない。

 〈格闘〉スキルは己自身を武器にする。当然、歯も立派な武器だ。


——ああ、どうして気づかなかったの。


 獣の武器は、爪と牙。それを、私が使えないはずがない。

 ガブリとナマズの背中に歯を突き立てる。ぐにゅりと皮を破り、肉を噛む。そして、首の動きでちぎり捨てる。

 噛む。千切る。

 噛む。千切る。

 噛む。千切る。


——楽しい! 私、生きてる!


 食らうことは、生きること。今私は、獲物を食らって生きている!


『ちょっと、お姉さん!? 大丈夫なんですか!』

「はっ!」


 無我夢中になっていた私は、レナちゃんがTELを飛ばしてくるまで一心不乱にナマズを食い千切っていた。気が付けば、ナマズはほとんど骨が露出して、随分とグロい感じになっている。それに、私の酸素も残りわずかだ。


ごめんごぼっ! ちょっと戦ってたぼばばぶぼあっ!」

『いいから早くしてよ!』


 レナちゃんに急かされ、慌てて泳ぐ。もちろん、目指すは水底だ。戦闘中も少しずつ沈んでいたようで、距離は稼げている。それでも、酸素は足りない。


『酸素がなくなりました。ただちに地上へ戻ってください』


 ついにはアラートまで鳴り響く。

 LPが徐々に減っていき、寿命が擦り減っていく。それでも私は諦めず、底に向かって泳ぎ続ける。レナちゃんの入ったオイリートードの生皮が風船のように膨らんで浮きになっているけれど、それを引っ張りながら懸命に泳ぐ。

 もはや、地上の戻る余裕すらない。


「——〜〜〜〜っ! ぷはっ!」


 そうして、私は、ギリギリ間一髪のところで首の皮一枚で繋がった。

 ゴツゴツとした岩肌の、暗い洞窟。そこに、流木のように倒れ込む。オイリートードの皮袋がモゾモゾと動き出し、中からピンク髪の女の子が顔を突き出した。


「し、死ぬかと思った……。ってお姉さん!? し、死んでる……」

「しんで、ないよぉ」


 下半身がズタボロで、顎も半壊状態の私に気がついたレナちゃんが飛び上がる。彼女は慌てて皮袋から出てくると、黄色いポンポンを両手に握って応援を始めた。


「がんばれ♡ がんばれ♡ 負けるな、お姉さん♡」

「へへ……。生きてるって素晴らしいや……」


 レナちゃんの懸命な応援のおかげで、出血が止まりLPが回復に転じる。応援ってすごい。改めてそう思った。


「とりあえず、包帯巻いてくれると嬉しいです」

「そ、そうだった!」


 私がよろよろと手をあげて言うと、レナちゃんはわたわたとインベントリから包帯とアンプルを取り出した。


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Tips

◇オイリートードの生皮袋

 オイリートードの内蔵や骨を抜き出し、外皮だけにしたもの。血生臭く、ベトベトしている。


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