第7話「雪辱を力に」

 〈水蛇の湖沼〉、沼の底の洞窟になんとか辿り着いた。レナちゃんの懸命な応援と包帯のおかげで一命を取り留め、ついにボス“隠遁のラピス”に挑むことになる。あの大蛇がいるのはこの洞窟の奥。そこにいくまでに、できる限りの準備をしておく必要がある。


「というわけでレナちゃん。私をぶって」

「は?」


 濡れた地面に座り込んでいるレナちゃんに、めちゃくちゃ嫌な顔をされた。自分の言ったことを思い直し、言葉足らずを反省する。


「私をバチボコにブチ叩いて」

「お姉さん、本当にキモい」

「ええ……」


 ゴミ虫を見るような蔑みの視線。それはそれでなんかゾクゾクするけど、今は違う。これは正真正銘、ラピス討伐のために必要な事なのだ。それを分かってもらうため、私は地面に両手足をついてお尻をレナちゃんの方に向ける。


「遠慮はいらないから、ほら!」

「——ふんっ」

「あふっ♡」


 ペチンとお尻を叩かれる。しかし全然力が入ってないね。そんなんじゃ気持ちいいだけだ。


「もしかしてレナちゃん、『雪辱の精神』知らない?」

「お姉さんがドMってことは分かったけど?」

「私だって好きで叩かれるわけじゃないよ!」


 とんだ誤解が生まれていることに気がついて、慌てて立ち上がる。レナちゃんは訝しげに私を見ていたけれど、ひとまず話だけは聞いてくれるようだった。


「『雪辱の精神』は〈戦闘技能〉スキルレベル25、〈受身〉スキルレベル20のテクニックだよ」


 wikiに載ってるでしょ、と聞くと、レナちゃんは首を可愛らしく傾げる。


「ああ、これ依頼受けないとデータカートリッジ貰えないから別枠なのか。ええと、ほら、これこれ」


 このテクニックの入手経路が特殊なのを思い出して、wikiの当該ページを開いて見せる。『雪辱の精神』は〈スサノオ〉のとあるNPCから受注できる依頼クエストをこなす事で報酬として貰えるテクニックだ。


「いつの間にそんなの覚えてたの?」

「ちょうど依頼の達成条件が整ってたからね」


 依頼の達成条件は、“油蛙の黒油玉”というアイテムを手に入れること。これは、あのデカいカエルに丸呑みにされて必死に耐えなければならない。私を飲み込んで満腹になって眠り始めなければ、大油玉が手に入らないのだ。あの肉に押し潰されて全身を胃液で徐々に溶かされながら、必死にアンプルと包帯で耐える時間はなかなかスリリングだった。


「で、その『雪辱の精神』なんだけど、効果も書いてるでしょ」

「ええっと……」


 『雪辱の精神』は厳しい状況に長時間晒されながら、それでもしぶとく耐え抜いた先に習得できるテクニックだ。

 敵からの激しい攻撃ならいくらでも耐えられる。大抵の盾訳タンクはむしろ攻撃が強烈であればあるほど、肋骨が全部裏返ったかのような反骨精神を貫くのだ。

 けれど、味方からの攻撃は違う。信頼し、背中を預ける無二の親友。そんな親愛すら抱く相手から攻撃されたら。それは身体的にはもちろん、精神的にも耐え難い苦痛となる。だからこそ、その傷を全て、受け止めることができるというのは、真に完全なる精神の持ち主と言える。

 このテクニックは真に完全な精神を体現するものだ。


「テクニックの発動中に味方から受けたダメージを自身の与ダメージに転化する?」

「そうそう。ヤバいでしょ?」

「ヤバいね」


 レナちゃんも納得してくれたように、このテクニックはやばい。序盤だから、というわけではなく、今後も長く使い続けられる優秀なテクニックだ。

 基本的にプレイヤーからプレイヤーへの攻撃でダメージは発生しない。ただダメージに応じた強さのノックバックを受ける。『雪辱の精神』を使うと、そのダメージに応じた攻撃力補正を受けられる。補正の上限はスキルレベルとテクニックの熟練度によって変わるけど、今の段階だと100程度。少ないように思えるけど、効果時間中全ての攻撃ダメージに100ポイントが上乗せされると考えると滅茶苦茶に強い。


「ちなみにレナちゃん、今の攻撃力は?」

「ポンポンつけると減っちゃうけど?」

「なら素手で」

「それでも3だよ」


 レナちゃんの攻撃力は3。ダメージ計算時にこちらの防御力は考慮されないから、それがそのまま伝わると考えていい。となれば、上限であるプラス100の補正を受けるためには——。


「レナちゃん、私を34回叩いて!」


 ということになる!

 別にどこを叩かれてもいいけれど、タッチとビンタにも違いが出るし、力は最大限発揮して貰えると嬉しい。となれば、一番被害が少ないのはお尻だ。


「はい、お尻叩いて!」

「お姉さん……」


 なんかかわいそうな目で見られてるけど、これはボス攻略に必須のことなんだよレナちゃん。さあ、早く。


——パァン!


「おふっ」


 お尻に走る鋭い痛み。『雪辱の精神』発動中は普通に痛みは感じるらしい。いや、これはデメリットじゃない。むしろ、戦意を高揚させる。


「あと33回!」

「んんっっ!」


 スパァン! スパァン! とビンタの音が洞窟に響く。レナちゃんは私の要望通り、力強く叩いてくれた。おしりが波打つたびに攻撃力が3ずつ高まっていく。支援職の彼女は攻撃力が低い、だから数を稼がないといけない。私は別に平気だけど、時間がかかるのは大変だ。この戦いが終わったら、レナちゃん用の武器を用意した方がいいかも知れない。


「さあ、もっと!」

「とりゃっ!」


 10回を超えてくると、レナちゃんもだんだんと乗ってくる。リズムよく私のお尻を叩く姿も堂に入っている。洞窟内にビンタの乾いた音が響き渡る。


「このっ! お姉さんめ! 叩かれて喜んでるの?」

「力が漲ってくるよ! その調子! もっともっと!」


 お互いに声を掛け合いながら、叩き叩かれる。

 ボスに挑む前の最後の準備だ。それに熱中した私たちは、気づかなかった。


「——ふぅ、やっと着いた」

「息ギリギリだったぜ」

「うおっ……」


 ここはボスに続く道のど真ん中。水の中から、ラピスに挑むプレイヤーがやって来る。

 酸素ボンベを背負って水面下から現れたパーティの目の前で、四つん這いになってレナちゃんにお尻を叩かれる私。


「あ、その。どうぞお構いなく」

「——っす」


 3人の青年たちは、硬直する私とレナちゃんから視線を外し、そそくさと洞窟の奥に消えていった。


「お姉さんのバカッ!」

「んおっふっ!?」


 その直後のビンタは、今までで一番力が篭っていた。


━━━━━


「すごいよ、全身に力が漲ってる!」

「もうイヤ……」


 34回のビンタを受けた私は、新たな段階に立っていた。全身が熱く、まるで生まれ変わったかのような気分だ。ステータスを見ると、ダメージボーナス+100の表記が燦然と輝いている。

 私たちを追い越していった3人組も無事にラピスを討伐して帰ってきたので、次こそ私たちの番だ。手で顔を覆って蹲っているレナちゃんの腕を引き、洞窟の奥へ進む。


「待たせたね、ラピス!」


 そこでとぐろを巻き、待ち構える三つ首の大蛇。“隠遁のラピス”とついに邂逅し、私もレナちゃんも臨戦体勢を取る。


「ここからは普通に応援すればいいんだよね?」

「うん。任せたよ」


 レナちゃんもポンポンを両手に装備して準備万端だ。とはいえ、『雪辱の精神』の効果時間は残り5分程度。あまり時間がないことには代わりない。その上、準備の時間でLPが回復してしまって、“奮迅の首飾り”の効果も消えてしまった。早めにそちらを点灯させて、さらに攻撃力を高める必要もある。


「それじゃ、行くよ!」


 レナちゃんと目を交わし、遮蔽物となっていた岩陰から飛び出す。ラピスは三つの首を持ち上げ、赤青金の目を光らせる。あれに睨まれたら、一瞬で終わりだ。

 けれど、第二域のボスは完全に行動が分析されて、wikiにも載っている。しかも、ボスフィールド上にはいくつもの岩が転がっており、どうぞ使ってくださいと言わんばかりだ。

 私は一定時間睨まれないように、次々と岩陰に飛び込んで視線を切りながら近づく。


「頑張れ♡ 頑張れ♡ はっしっれっ♡」


 レナちゃんも移動速度を上げる応援でアシストしてくれる。


「うおりゃあああっ!」


 そして、私は白蛇の懐に飛び込んだ。


━━━━━

Tips

◇【至高のスープを作るため】

依頼者:スープ屋ヘンリー

条件:“油蛙の黒油玉”の納品

内容:

 オレはスープ屋のヘンリー。調査開拓員のために日夜美味しいスープを研究してるんだが、最近はちょっと手詰まりでね。そんな時、〈水蛇の湖沼〉にいるオイリートードから取れる黒油玉ってのが滋養強壮に良いって話を聞いたんだ。それを取るにはかなりの“我慢”が必要らしいが、強い忍耐力があるアンタなら余裕だろ? ちょっと取ってきてくれないか?

報酬:テクニックデータカートリッジ×1


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