第5話「湖沼を突破せよ」

「『獣の咆哮』ッ! がおおおっ!」


 大きな声を上げて、ヌメヌメしたカエルに飛びかかる。全身の分泌腺から脂のような体液を流すオイリートードは、打撃に対して強い耐性を持っている。けれど——!


「『断裂爪』ッ!」


 両手から伸びる長い付け爪が、カエルの表皮を容易く切り裂く。

 〈格闘〉スキルで基本となるキックやパンチは打撃属性だけど、爪武器と呼ばれる装備を使えば、刺突属性や斬撃属性に変わるのだ。


「ふっはっは。どうだ、見たかほぎゃっ!?」


 一撃入れて得意になっていたら、オイリートードの長い舌が勢いよく私の下腹部を突いてくる。ドスン、とボクサーに殴られたような衝撃を受けて、くの字に曲がって中を舞う。


「ぬわああっ!? ぎゃっ、ぐえっ」


 薄く水の張った沼地に落ちて、たちまち全身泥だらけになる。前髪から泥水が滴り落ちてきて、気持ち悪い。クラクラとする視界にLPを見れば、さっきの一撃だけでかなり削れていた。


「ほーら、お姉さん。頑張れ♡ 頑張れ♡」

「くぅ。分かってるよ!」


 少し離れたところから、レナちゃんが声援を送ってくる。テクニックを使わない純粋な声だけなので、当然LPは回復しない。けど、私は膝に手を置いて勢いよく立ち上がる。


「へん。こっちは追い詰められるほど強くなるんだよ!」


 どうだと言わんばかりに睥睨するオイリートードを睨み返す。首に掛かった“奮迅の首飾り”の効果はすでに発動している。全身に力が湧き立つのを実感する。

 私は爪をシャキンと伸ばして、勢いよく走り出した。


「うおおおおっ!」



「えっへへー。私たちも〈水蛇の湖沼〉を結構行けるようになったね」


 白い腹を天に晒して無様に倒れる巨大蛙にナイフを差し込みながら、思わず堪えきれず笑みを漏らす。


「レナはお姉さんの戦い方がどんどん野蛮になってくのが気になるけど。町では恥ずかしくないようにしててよね」

「分かってるよう」


 近くの倒木に腰掛けたレナちゃんが口を尖らせる。そんなに私の戦い方は野蛮だろうか。ちゃんと文明の利器である武器も使うようになったのに。

 レナちゃんとパーティを結成して、本格的に活動を始めるようになって1週間ほどが経った。私たちは〈はじまりの草原〉から〈猛獣の森〉、そして〈水蛇の湖沼〉と順当に歩みを進めることができていた。この先にある〈鎧魚の瀑布〉に行ければ、そこに第二の都市ウェイドが待っている。

 これまでの戦いを通じて二人とも順当に鍛錬を重ね、スキルや装備にも変化が現れた。

 レナちゃんはどこぞのチアガールのような白地に青のラインとハートの描かれたへそ出しミニスカコスチュームへと装いを替え、両手に黄色いポンポンを着けている。

 私はというと、腰は〈猛獣の森〉の狼の毛皮を使った腰巻、胸も同じく毛皮の胸当て。足は一見裸足のようだけど、足首に革のアンクレットが巻かれている。動きを阻害せず、身軽で、なおかつ素手系統の攻撃の威力が底上げされ、さらに猛獣系に対する特攻まで付いた優秀な装備なのだけど、初めて見たレナちゃんには原始人と言われてしまった。


「レナちゃん、へそ出し平気なの?」

「もろ出しのお姉さんに言われたくないんだけど」

「だ、大事なところは隠れてるでしょ! ビキニよりは露出度低いよ!」

「比較対象が際どすぎるでしょ」


 年長者としては、まだ若そうなレナちゃんの露出度の高さが気になるのだけど、それに言及すると即座に鏡を渡される。まあ、私も似たようなもんだけどさぁ。


「お姉さんこそ、前衛なのにそんな軽装破廉恥痴女装備でいいの?」

「軽装破廉恥痴女装備ってなに!? ——私はいいんだよ、こっちの方が動きやすいし。下手に防御力上げたら、“奮迅の首飾り”の効果発動させにくくなるし」


 ジト目を向けられ慌てて胸を腕で覆う。わ、私だっていい歳してこんな装備で大丈夫か? と思わないわけじゃない。でも、実用性を考えてこれに行き着いたわけだし、仮想現実だからと言い訳できる。コスプレ勢などのプレイヤーなら、もっと際どいものを着てるセクシーなお姉さんだっているわけだし、なんならビキニアーマーを着て街中を威風堂々と闊歩するおじさんもいるのだから。

 一応、FPOは12歳以上だったかの年齢制限も掛かっている。それに、そもそもが仮想現実なので大事な所は晒せないようになっているし、オイタが過ぎると即座にGMが飛んでくるという噂もある。レナちゃんのようなお子様でも安心して楽しめる安全なゲームなのだ。


「お姉さん、何かシツレイなこと考えてない?」

「そんなことないよぉ」


 ま、実際のところレナちゃんのが何歳くらいなのかは定かではない。タイプ-フェアリーはデフォルトでかなり小柄だし、童顔に見えるからね。私は顔も声もほとんどスキャンしたものをそのまま流用しているけど、プリセットも豊富にあるし。


「それよりも、私たちもゆくゆくはここのボスに挑戦しないといけないよね」

「うっ。……ソウダネ」


 私たち二人、順調にスキルを鍛え装備も充実させて、強くなったはず。現に〈水蛇の湖沼〉を徘徊している通常エネミー程度なら、問題なく数体を一度に相手できるほどになっている。

 となれば、次に見えてくるのはボスの討伐だ。このフィールドの中央にある、大きな湖沼、その水底から通じる洞窟の奥で静かに待ち構える、“隠遁のラピス”。三つの首を持つ白鱗の大蛇で、これまでのボスとは違って特殊な能力を使ってくる、最初の関門。


「やっぱり怖い?」


 ラピスのことを口にすると、レナちゃんは決まって肩を強張らせる。〈猛獣の森〉のボス、“剛腕のカイザー”も大柄だったけど、それでも立ち上がって2メートルと少し。どこぞの山椒魚のように洞窟から出られなくなってしまったラピスはそれを優に超え、5メートル以上。それと対面するのを想像しただけで足がすくむのも分からないわけじゃない。


「大丈夫だよ! レナちゃんには絶対ダメージ受けさせないから!」

「あ、当たり前! 私、痛いの無理だもんっ」


 ドン、と胸を叩いて言うと、レナちゃんはぷんぷんと怒る。想像を絶するビビりのせいで、LPへのダメージに関係なく少しでも攻撃が掠った瞬間に強制ログアウトを受けてしまうレナちゃんは、絶対に被弾できない。これまでの戦いでも私が頑張ってヘイトを集めて攻撃を一手に引き受けていたけれど、それでも度々彼女へ攻撃が向いてしまって大変だったのだ。


「ていうか、デッカい蛇は別に平気だよ」

「え? そうなの?」


 てっきり大蛇にビビっているものだと思っていた私は虚を突かれる。なるほど、よくよく考えてみれば、レナちゃんも蛇みたいなキツい目付きしてるもんね。


「また変なこと考えてるでしょ」

「そんなことないよ! でも、ラピスが平気なら何がダメなの?」

「えっ? ええと、それは……」


 追及をさらりと避けて質問を投げ返すと、レナちゃんは途端にしどろもどろになる。ラピスとの戦闘で、あの図体以外になにかビビる要素はあっただろうか。


「石化の眼?」


 ラピスの使う特殊能力、それは睨みつけた対照を石化させる魔眼だ。ピット器官に類するものが独自に発達した結果、特殊な電磁波を放って、それが機械人形の人工筋繊維に干渉して云々という理屈があった気がするけれど、要約すればまさしく蛇に睨まれた蛙になってしまうのだ。

 けれど、それに対してもレナちゃんは冷静に否定する。


「石化の眼はもう対処法が確立されてるでしょう」

「そりゃまあ」


 ラピスの魔眼は、鏡を用意すれば防ぐことができる。むしろ、相手の動きを阻害させることもできるため、討伐時にはマストなアイテムの一つだ。

 明確に対処法が分かっている脅威についてはビビらないのか、レナちゃんは落ち着きを払っている。

 それでは、何に対してビビっているのか。色々と考えた末、ひとつ思い当たる。


「——水」

「っ!」


 ピクリとタイプ-フェアリーの笹型の耳が揺れる。どうやら当たったらしい。思わず口元が緩むのが抑えられない。


「もしかしてレナちゃん、泳げなかったり?」

「そ、そんなわけないじゃん! レナ、泳いでアメリカ行ったことあるし! アスリートだもん!」

「アスリートってよりサイボーグじゃん」


 実際、太平洋を単独遠泳横断した人は何人かいるけどさぁ。

 あれは専用に特注された強化装具を着けたサイボーグのやることだ。見た感じ、レナちゃんはまだ生身だと思うし、はったりだろう。


「ま、泳げないのは恥ずかしいことじゃないよ」

「泳げるもん!」

「それに、FPOなら〈水泳〉スキルさえ上げたらなんとかなると思うよ?」

「泳げるって言ってるでしょ!」


 ほっぺたを膨らませたレナちゃんがグーパンを繰り出してくるが、頭を抑えると腕の長さが足りなくて届かない。こうやってるとかわいいなぁ。

 しかし、カナヅチと来たか。レナちゃんに言ったように〈水泳〉スキルを上げるというのも一つの手だ。ラピスを突破するためだけなら15レベル程度あればいいし、実際そのためだけに一時的に浅瀬で泳いでレベルを上げるのも常套手段の一つとして知られている。

 ちなみに私は行動系スキルを一通り揃えたいと思っているので、〈歩行〉〈跳躍〉〈受身〉と並行して〈水泳〉スキルも少しずつレベルを上げているところだったりする。

 でも、レナちゃんはそもそも泳ぐことが苦手みたいだしなぁ。


「多分市場マーケットに行けば水着とかシュノーケルとかも売ってると思うよ?」

「うぅぅ……」


 一時的に泳げるようになりたいだけなら、装備に頼るというのも選択肢の一つだ。〈料理〉スキルを一時的に上げるエプロンのように、水着やシュノーケルといった潜水具を装備すれば水中での活動がしやすくなる。

 けれど、それすらレナちゃんは気が進まない様子。


「どうしたものかなぁ。どうせ、いつかはラピスを倒して〈ウェイド〉に行かないといけないし」


 第二の都市〈ウェイド〉へ向かうなら、ラピス討伐は必須だ。戦闘能力のない生産職のために討伐ツアーが開催されてたりもするけれど、その場合も泳いで沼の底に向かう必要はあるし。

 腕を組んでうんうんと唸り、レナちゃんをどうにかして沼底に引き摺り込む算段を考える。


「——レナちゃん、顔に直接水が付くのが苦手なの?」

「えっ? それはその、ちょっとキライ、かもだけど……」


 どうやら、彼女は水中で目を開けたりすることに抵抗があるタイプらしい。


「それなら……」


 私はなんとか捻り出した苦肉の策を、レナちゃんに伝えた。


━━━━━

Tips

◇黒鉄の獣爪

 素手武器。必要〈格闘〉スキルレベル15。

 手首に固定する長い黒鉄鋼製の爪。非常に鋭利で、皮や肉を容易く切り裂く。

 腕部〈格闘〉系テクニック使用時、攻撃が斬撃属性になる。

“獣の気持ちになれ! さあ、心のまま吼えろ! そして、その両腕の鋭い爪で獲物を狩れ!”——とある数奇な格闘家


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