第3話天才は間違いを犯さない。天才の間違いは意図によるもので、閃きへの入り口だ 〜ジェイムズ・ジョイス〜
「はぁ....はぁ....はぁ....っ!」
仙國は膝に手をつき、荒い息を吐く。後ろを見るもそこは壁。右と左は、カップルが大勢いるので通過できない。
無論、強行突破という手はあるだろう。だがその間に包囲され、自滅の道に追い込まれることは必定だ。
「クソ....ッ!」
人間にとって選択肢がない状況は苦痛を伴う。
仙國が悪態を付きたくなる気持ちは至極当然のこと。
「右も左も、後ろも前も壁。果たして....次はどこに逃げるというんだ?」
俺はゆっくりと歩を進める。俺が一歩進むと仙國は一歩退き、もう一歩進むとまた一歩後ろへ下がる。
「安心しろ。俺は仙國に危害を加えない」
半分まで来て、足を止めた。両手を上に挙げて敵意のないことをアピールする。
言葉で信用をつかめないなら、行動で信用を掴めばいい。
「....なぜ、テメェは俺を追いかける?」
警戒心はまだ解けていない。当たり前だ。ストーカー紛いの行動をやっておいて早々、警戒を解けるはずがないだろう。
「仙國、お前に興味があったんだ。ただそれだけだ」
「興味だと? ふざけるなっ! テメェに俺の何がわかるんだ?」
「殆ど白紙の状態、としか答えられない」
俺はまだ仙國について、殆ど何も知らない。いま、ようやく門に足を踏み入れたレベル。
「....白紙に点をつけるため、俺は今お前とこうして話している」
「俺と話す意味なんてあるのかよっ!」
近くのゴミ箱を右足で蹴り飛ばす。2回、3回バウンドして俺の足元までコロコロ転がってきた。
中身は空っぽだ。
俺はゴミ箱の面を足で押さえた。
「あ? サッカーでもすんのか? おい!」
仙國はゴールキーパーのように腰を低く落とし、両手を斜め下に構える。
「....それも悪くない」
俺は小さく笑うとゴミ箱を片手に、再び歩み始めた。
「....はぁ? な、何だよ!」
ジリジリと距離は縮められていく。仙國は壁を背に首を左右に動かしていた。あわよくば、この状況でも逃げられると思っているのだろう。
「....っ!」
仙國はギリっと歯を噛み締める。
その直後、左に方向転換した。
まさか、大衆の中に飛び込む気か?
この辺りを彷徨いているカップル勢は、俺が忠誠心を与えた、言わば家来のようなもの。
たとえ向かってきたとしても、普段通りの態度でいろと命令を下している。
「うおぉぉぉぉぉぉぉ....!」
仙國が拳を小さく構えながら、咆哮する。
そして───
「
拳は無数の光の粒子に輝く。反射的に瞼を閉じてしまいそうなくらいの眩しさ。
だが仙國の異能はそれだけの代物ではないらしい。
一直線上に拳を振り放ち、周囲に爆風が巻き起こる。カップルたちは立っていられず、無抵抗で地面に振り倒された。
「目眩し、からの爆風か....」
様々なシュチュエーションに応用が効きそうな異能だ。
基本的に単独行動の方が真価を発揮するタイプだな。....あれでは味方も巻き込みかねないが。
仙國は一瞬だけ後ろを振り向く。
「見くびるなよ。これは
それだけを言い残し、路地通りに走っていった。
「....カップルたちも舐めるなよ。奴らは何人いると思ってる?」
俺はポケットからスマホを取り出し、メールアプリ『line』を開く。
忠誠心を植え付けたカップルとlineで状況のやりとりをしている。
グループチャット名は『スリー』だ。.... まぁ、そんなことはどうでもいいか。
『今、仙國に一番近いのはカップルDだ。対象に迷わず突っ込め』
『次点の、カップルAEは商店街通りの雑貨店に待機。状況を中継しろ』
『カップルUとカップルHは商店街通りの出口、カップルSとカップルA、カップルACは商店街通りの入り口に待機。前者は口喧嘩で通行人を邪魔するように』
.... とチャットに打ち込む。その間に俺は回り込むようにして和菓子屋前に移動する。商店街通りの道のりは長いので、それなりに時間がかかる。到着時間は俺の方が僅かに早い算段。
人々は入口から出口へと移動する。つまり仙國は流れの逆方向に向かっている。
出口は口喧嘩によって、堰き止められ、大勢の人が屯う。
....となれば入り口に向かう方が得策だと判断するはずだ。人は追い詰められている時、思考が単純になりやすい。
ピロン、と通知の音が鳴ると同時にスマホ画面を一瞥する。
カップルAEからの中継情報だ。
『対象は、ものすごいスピードで入り口に向かってます』
入り口のカップルに命令を下す時間はない。
俺はここから全速力で和菓子屋前に移動して、仙國を向かい打つ。
仙國は流れに逆らっている。つまりそれだけ時間がロスされる、というわけだ。
大丈夫だ。十分間に合う。
通知音が鳴ったので、スマホ画面に視線を落とした。
『突破されました』
....まじか。どうやら仙國の突破力は尋常じゃないらしい。
猪が放し飼いされているようだ。
入り口付近の人たちが蜘蛛の巣を散らすように、逃げていることが確認できる。
俺の洗脳に遭っていない人たちは、やはり仙國を恐れて逃避行動を選択した。
和菓子屋まであと少し。和菓子屋は商店街の入口から100メートルほど離れた位置に存在する。そこまで移動するのにかかる所要時間が6m秒として考えると、残り1秒地点で俺たちは対峙することになる。
この付近は人通りが多い。万が一、俺の顔を生徒に見られると少し面倒だな....。
その時はその時だが。
「さて、次はどこに向かう?」
ちょうど和菓子屋に着いた。
仙國は肩で息をしており、あまり体力がないことが窺える。
体格の割に意外だ。
「......予測している」
息が荒いせいで前部分は聞き取れなかった。だが何となく意味は伝わる。
「お前が死ぬ時まで」
そう言うと、仙國の半ば潰れた瞼は見開かれた。
「テメェ....。冗談、に聞こえねぇぞ」
途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
体力を回復させるか、喋るか。どちらかに専念してもらいたいものだ。
あっ、俺が答えるからいけないのか。
「くろ....ッ!?」
問答無用で鳩尾に拳を打ち込み、気絶させた。
「....じゃあな」
白目を剥いた顔を見ると、吐き気を覚えたので、瞼をそっと手で閉じる。
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