1章 君を幸せにするために来たんだよ①
「!」
ガタンと馬車が
目をこすりながら窓の外を見ると、辺りはすっかり明るくなっていた。どこまでも広がる畑が見知らぬ土地に来たことを痛感させる。
身の回り品だけ
「では、自分はこれで」
年配の
ホーセン村はほぼ真四角の形をしており、メインとなる道が街中を十字にクロスするように走っている。
コルネリアは人目を
(もうこれからは極力目立たないよう、大人しく生きていこう)
元々コルネリアは平民の出だ。高い地位や
九つの時にエーベルヴァイン家に引き取られ、これまでの半生を
(だからもう忘れよう……)
胸の内でくすぶる感情に布をかぶせて見えないふりをする。タイミングよく曲がり角の先に教会が見えてきた。
街の外れに建つその白い建物は、首都の
花が好きな職員でも居るのかと思っていると、庭の
「やぁ、おはよう」
「あれ? あれれ?」
(変な人……)
近所の農夫が庭師も
「こんにちは、本日からこちらでお世話になるシスターのコルネリアです。クラウス神父様はどちらに?」
「ちょっと待ってくれ、道具を片付けてくるから」
庭師は手近な場所に鋏を置くと、前掛けを外してベンチにかけた。その作業着の下から黒い聖職服が現れてギョッとする。彼は気配に気づいたようで、
「神父が庭の手入れをするのはおかしいかい?」
「いえ、そのようなことは」
まずい。できるだけ無難にやっていこうと決めたばかりなのに、上司となる神父との初対面から失敗してしまった。青ざめるコルネリアを見たのだろう、庭師もといクラウス神父は
「あはは、気にしないでいいよ。村の人たちからもよく笑われるんだ、神父様は威厳がないってね」
「は、はぁ」
軽く流してくれたことに
(居心地の良さそうな教会……)
「私も数週間前にこちらに
段差を上がった神父は、
人の目が
これから少しずつでも変えていけるだろうか。こっそりため息をついたコルネリアは、静かに問いかけた。
「先ほどは神父様ご本人とは知らず失礼しました。あの、ここで働く前に一つお
「一つと言わず、いくらでもどうぞ」
「どうして、わたしを引き受けて下さったんですか?」
ライバルとの聖女争いに負けた候補者が、その後シスターとして生きていくことはよくある話だ。だが、
ましてや自分は不名誉な資格
ところが、目の前の彼は真っ先に名乗りを上げてくれたと言う。世間から後ろ指をさされるのは目に見えているのに、
「何だ、そんなことか」
落ち着いた深みのある声が
だがその考えも、次の発言が聞こえてくるまでだった。
「ネリネ、私は君を幸せにするために来たんだよ」
「……はい?」
なんだその言い方は。まるで天から
一度にいくつも
「口で言っても信じては
見つめる先、数秒前までそこに居たはずの神父クラウスは消えていた。代わりに出現していたのは
赤みを帯びた黒いコウモリのような大きな
朝の神聖な光が差し込む教会内に彼を中心として赤く光る灰が
「あ、
「はいどうも、悪魔ですよ」
パッと手を広げた悪魔は、先ほどの神父クラウスと同じ
完全に
「よ、寄るな悪魔め! 今すぐここから出ていけ!」
「あれ、喜んでくれないの? 話は早い方がいいじゃないか」
「なっ、なんの話……」
わけが分からず目を白黒させることしかできない。ニコと口の
「ネリネ、私と
「はっ?」
「悪い
これは悪魔の
「
「あぁ、来るだろうね、そして君も
「……。あっ!?」
通常の職員なら通報した後で手厚く保護されるだろう。だがネリネの場合は置かれた
その本人から悪魔を見つけたなどと通報があったら本部が何を思うか。
「心配しなくても、君に危害を加えるつもりはないよ」
見る間に青ざめていくシスターに、悪魔は安心させるように
「ほ、本物の神父は、クラウス様はどこに……?」
「残念だが私が本物のクラウスで、二年前に本部で学を修め
もしそれが本当ならば、高位の司祭が
どうして神はこの不届き者に
そんな
「たとえ悪魔でも
思わないし、思えない。都の災難からようやく
「まぁそれは後でいいか。先にこれから君が生活していく村を案内しよう」
ゆるゆるとした雰囲気の神父は通りを歩いていく。数歩後ろを付いていくネリネは
(どうして悪魔がこんなところに。数週間前に赴任してきたというけど、何が目的?)
その、どう見ても
● ● ●
その日は教皇から、
大人の男を優に
──ああ、これはこれは聖なるお小さい方々ではありませんか! ねぇ、どうしてワタクシは捕らえられてこのような責め苦を受けているんです? 悪魔っていうのは誰かが契約してくれない限りは、ニンゲン様に手出しなんてできない、とってもとぉっても無害な生き物なんですよ?
アーチ状に並んだ五つの赤い目が、にんまりと弧を
──なぁそこのアンタ、殺したいほど
ひぃっと悲鳴を上げた職員が飛びのき、それを見た悪魔は満足そうに笑い転げる。
結局、その時の悪魔は
向こうから手出しこそしてこないが、
先ほど彼は、自分を幸せにするためにやってきたと言った。だが待って欲しい。この場合の幸せというのは果たして人間基準なのだろうか? 〝悪魔的な〟幸せではないか。たとえばそう、
「ネリネ、そこ段差があるから気を付けて」
背中をジッと睨みつけていると、ふいに振り向かれてビクッとしてしまう。足元を見れば確かに、
「き、気安く呼ばないで下さい、わたしにはコルネリアという名があります」
「でも、悪評の印象が強いコルネリアよりは、しばらくそちらで通した方がよくないか?
「ぐっ……」
ごもっともな意見に言葉が詰まる。それでも
「その前に、どうしてその名前を知っているんですか!」
ネリネという
すると
「さて、なんでだと思う? 当ててごらん」
「……?」
まさかネリネがそう呼ばれていた当時を知っている? いやでも、悪魔になんて
思考をめぐらせていたその時、少し先のパン屋の
「おはよう神父サマ! ちょいと
「おはようドナ。いつもありがとう、頂きます」
「こっちこそ悪いね、こんな余り物を
おかみはここでようやくネリネの存在に気づいたのか、おやと
「彼女はネリネ。今日から私の
「あ、あぁ、そうなのかい……それはまぁ、よろしく」
「あ……あの…………はい」
「とても信心深く清らかな心の持ち主です。悪い
ニコニコと笑う神父からの補足に顔が
その後、
「神父さまー」
「おや、おはようございます」
クラウスは手近に居た一人の頭にポンと手を置いた。それを後ろで見張っていたネリネはヒッと息を吞む。
「今度の日曜はどんなおはなししてくれるの?」
「お
「えーっ、ドラゴンか悪魔をやっつけるのがいいよ!」
「探しておきましょう」
悪魔が……悪魔が子どもの頭を
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