1章 君を幸せにするために来たんだよ①

「!」

 ガタンと馬車がまったしようげきで目が覚める。いつの間にかねむっていたようだ。

 目をこすりながら窓の外を見ると、辺りはすっかり明るくなっていた。どこまでも広がる畑が見知らぬ土地に来たことを痛感させる。

 身の回り品だけめたトランクを持ったコルネリアは馬車から降りた。首都ミュゼルから西に数えて三つ目にあるホーセン村。ここが彼女の新天地だった。

「では、自分はこれで」

 年配のぎよしやはたった一人の乗客を降ろすと素っ気ない一言を残し行ってしまった。残されたコルネリアはため息をついてトランクを持ち直す。

 ホーセン村はほぼ真四角の形をしており、メインとなる道が街中を十字にクロスするように走っている。さびれてはいないが活気があるわけでもない、よくある田舎いなか町といったぜいだ。

 コルネリアは人目をけるように裏道をたどり、東の外れにあるはずの教会を目指す。その胸中ではひそかにある決意を固めていた。

(もうこれからは極力目立たないよう、大人しく生きていこう)

 ぎぬを着せられ、ていよく追い出されたのは腹立たしかったが、正直ヒナコが聖女になるというなら勝手にすればいいと思った。

 元々コルネリアは平民の出だ。高い地位やめいにそこまでしゆうちやくがあるわけではない。たまたま先代聖女がくなった日に生まれた女の子の内の一人だったというだけだ。

 九つの時にエーベルヴァイン家に引き取られ、これまでの半生をはためいわくな運命にり回されてしまった。だが、こうしてえんを切られたわけだし、ようやくこれでつうの生活を送ることができる。地味に大人しく生きて行けば、神さまも悪いようにはしないだろう。

(だからもう忘れよう……)

 胸の内でくすぶる感情に布をかぶせて見えないふりをする。タイミングよく曲がり角の先に教会が見えてきた。



 街の外れに建つその白い建物は、首都のきらびやかな大聖堂を見慣れたコルネリアの目にはみよう可愛かわいらしい物に映った。それでも周囲の家よりははるかに大きく、しようとうのてっぺんに下げられたがねそうするのに苦労しそうだなとぼんやり思った。

 もんを押し開けてしき内に入る。鐘に気を取られていたせいか、ふわりとあまっぱいかおりにおどろいて足を止めた。周囲を見回すと、門から教会に至る道のりようわきにはたくさんの花の植え込みがされている。あざやかな花たちはよく手入れされているようで、赤いレンガのアプローチにはなやかな色どりをえていた。

 花が好きな職員でも居るのかと思っていると、庭のかたすみだれかが立ち上がる気配があった。

「やぁ、おはよう」

 にゆうな笑みを浮かべてかんげいしてくれたのは、うすよごれたまえけを着けたちやぱつの男性だった。年はコルネリアより十歳くらい上だろうか、せんていばさみを手にしたまま、彼はかたにかけたタオルで顔をぬぐった。布がよごれていたのか、その頬にどろがベッタリと付く。

「あれ? あれれ?」

(変な人……)

 近所の農夫が庭師もねているのかと考えたコルネリアは、ていねいな口調でここのあるじ行方ゆくえたずねた。

「こんにちは、本日からこちらでお世話になるシスターのコルネリアです。クラウス神父様はどちらに?」

「ちょっと待ってくれ、道具を片付けてくるから」

 庭師は手近な場所に鋏を置くと、前掛けを外してベンチにかけた。その作業着の下から黒い聖職服が現れてギョッとする。彼は気配に気づいたようで、かたしに振り返るとおだやかに笑った。

「神父が庭の手入れをするのはおかしいかい?」

「いえ、そのようなことは」

 心地ごこちの悪いものを感じながら言葉をにごす。

 まずい。できるだけ無難にやっていこうと決めたばかりなのに、上司となる神父との初対面から失敗してしまった。青ざめるコルネリアを見たのだろう、庭師もといクラウス神父はほがらかに笑いながら手を振った。

「あはは、気にしないでいいよ。村の人たちからもよく笑われるんだ、神父様は威厳がないってね」

「は、はぁ」

 軽く流してくれたことにあんして胸をでおろす。よかった、彼は花をでるし見るからにやさしそうだし、人付き合いが苦手な自分でも上手うまくやっていけるにちがいない。そう己をしたコルネリアは案内されるまま入っていく。

(居心地の良さそうな教会……)

 げんかんポーチをけ、身廊と呼ばれる中央の通路を進むと教会の内部が見えてきた。外観は白が基調だったが、内側は暗めの色の木材を多用していてじゆうこう感がある。アーチをえがく高いてんじよう。両脇のステンドグラスが窓からの光を色づかせ床に落としている。整然と並べられたなが椅子いすは年季が入っていたが、よくみがきこまれているのが見て取れた。

「私も数週間前にこちらににんして来たばかりでね、掃除は苦手だから君が来てくれて助かるよ」

 段差を上がった神父は、さいだんの前で振り向いてこちらを見下ろす。温かみのあるブラウンのひとみにぶつかり、ついいつものくせで視線をふいとらしてしまった。

 人の目がこわくなったのはいつからだろう。目が合うたびあいのない子どもだとため息をつかれたせいかもしれない。

 これから少しずつでも変えていけるだろうか。こっそりため息をついたコルネリアは、静かに問いかけた。

「先ほどは神父様ご本人とは知らず失礼しました。あの、ここで働く前に一つおうかがいしてもよろしいですか?」

「一つと言わず、いくらでもどうぞ」

 ひようひようとした返しにまどいながらも、どうにも分からなかったことを尋ねてみる。

「どうして、わたしを引き受けて下さったんですか?」

 ライバルとの聖女争いに負けた候補者が、その後シスターとして生きていくことはよくある話だ。だが、はらい下げられたいわゆる『聖女落ち』は複雑な立場であり非常にあつかいづらく、たいていの神父がけむたがる存在だった。

 ましてや自分は不名誉な資格はくだつ者であり、どこか遠くの──それこそ神父すら居ないような辺境の教会に、建物の管理者として飛ばされるのがオチだろうとかくしていたのだ。

 ところが、目の前の彼は真っ先に名乗りを上げてくれたと言う。世間から後ろ指をさされるのは目に見えているのに、なのか。

「何だ、そんなことか」

 落ち着いた深みのある声がふくいんのように祭壇から降ってくる。この声で行われる説法はさぞ心地ここちが良いのだろうなと、ちがいな考えがふと浮かぶ。

 だがその考えも、次の発言が聞こえてくるまでだった。

「ネリネ、私は君を幸せにするために来たんだよ」

「……はい?」

 なんだその言い方は。まるで天からつかわされた天使のような台詞せりふ──いや、それ以前に、なぜネリネという誰も呼ばなくなったあいしようを知っているのか。

 一度にいくつもかんだ疑問にかられ、思わず視線を上げたコルネリア──ネリネは口をあんぐりと開け固まった。

「口で言っても信じてはもらえないだろうからね、姿を見せるのが手っ取り早いだろう?」

 見つめる先、数秒前までそこに居たはずの神父クラウスは消えていた。代わりに出現していたのはあつとう的な存在感を放つ『人ならざる』者だった。

 赤みを帯びた黒いコウモリのような大きなつばさ。頭の両脇に生えたまがまがしい角。神父服のすそからはとがった尻尾しつぽのぞいてれている。

 身体からだこそ先ほどの男と同一であったが、決定的にまとふんが違った。ようえんを描く口元と、あやしく光るあかいまなざしから視線を逸らすことができない。

 朝の神聖な光が差し込む教会内に彼を中心として赤く光る灰がう。その内の一つがゆかに落ちジュッと音を立てる。そのしゆんかん、ネリネは盛大な悲鳴を上げていた。

「あ、あくぁぁ!!」

「はいどうも、悪魔ですよ」

 パッと手を広げた悪魔は、先ほどの神父クラウスと同じがおでへにゃり、と笑った。

 完全にこしを抜かしたネリネはその場に座り込む。だが我に返ると、いのりの際に使う神具を荷物の中から引っ張り出しりかざした。

「よ、寄るな悪魔め! 今すぐここから出ていけ!」

「あれ、喜んでくれないの? 話は早い方がいいじゃないか」

「なっ、なんの話……」

 わけが分からず目を白黒させることしかできない。ニコと口のはしり上げた悪魔は、手をこちらに差しべると、とんでもない事を言い出した。

「ネリネ、私とけいやくしよう」

「はっ?」

「悪いやつらにばつあたえるんだ。私ほどの悪魔になると契約する相手だって選ぶんだよ。気に入った相手じゃなきゃ姿も現さない。そんな大いなる力を、意のままに使えきしたくはないか?」

 これは悪魔のゆうわくだ。しゆんさとった瞬間、混乱しっぱなしだった意識がサッと引きまる。もつれそうになる舌をなんとか動かし、教会の規則を思い出そうとした。彼らが出現しそうな場所は極力け──ここは教会のはずなのだが──とにかく、ってしまった場合には!

れ言を! もう一度言う、そつこく退去せよ! 大人しく従わない場合、本部に通達し悪魔ばらいを呼ぶ!」

「あぁ、来るだろうね、そして君もじんもんされる」

「……。あっ!?」

 通常の職員なら通報した後で手厚く保護されるだろう。だがネリネの場合は置かれたじようきようがまずかった。なにせ、つい先日追放されたばかりで、しかもジルをのろい殺すため〝悪魔と契約した〟とまで、一部ではささやかれていたのだから。

 その本人から悪魔を見つけたなどと通報があったら本部が何を思うか。おそろしくて想像もしたくなかった。

「心配しなくても、君に危害を加えるつもりはないよ」

 見る間に青ざめていくシスターに、悪魔は安心させるように微笑ほほえむ。祭壇から降りてきた彼を恐れ、ネリネはしりもちをついたまま後ずさった。ふるえる手で神具を構えながら問いかける。

「ほ、本物の神父は、クラウス様はどこに……?」

「残念だが私が本物のクラウスで、二年前に本部で学を修めかいでんを受けている。何なら聖典でもそらんじてみせようか?」

 もしそれが本当ならば、高位の司祭がだれも気づかなかったということになる。眩暈めまいを覚えてネリネはうめき声を上げた。

 どうして神はこの不届き者にてんばつを与えて下さらないのか、なぜ神聖な場にのさばっている悪魔にてつついを落として下さらないのか。並の悪魔なら教会に寄り付く事もできないはずでは?

 そんなおもいがありありと顔に出ていたのだろう。さらにきよめたクラウスはおびえる子羊の手から神具をひょいと取り上げた。不敬にもそれを口元に当てしんの目を細める。

「たとえ悪魔でもしんこうする者なら神はゆるして下さるようだ。私が教会ここに存在していられることが何よりのしようだと思わないかい?」

 思わないし、思えない。都の災難からようやくげてきたはずなのに、何かとんでもない事に巻き込まれかけている気がする。

 まばたき一つできず固まるネリネのうでつかみ、ひょいと立たせた悪魔は人の姿にもどっていた。

「まぁそれは後でいいか。先にこれから君が生活していく村を案内しよう」


 ゆるゆるとした雰囲気の神父は通りを歩いていく。数歩後ろを付いていくネリネはれられてしまった腕をさすりながら祈りの文言をすさまじい勢いでつぶやいていた。

(どうして悪魔がこんなところに。数週間前に赴任してきたというけど、何が目的?)

 その、どう見てもつうの男性でしかない後ろ姿をにらみつけながら、ネリネは数年前に見た悪魔のことを思い出していた。


    ● ● ●


 その日は教皇から、めずらしいものをらえたから後学のためにも来なさいとジル共々呼びつけられたのだ。聖堂におもむいた少女二人は捕らえられたものに息をむことになる。

 あくりの手によってこうそくされた悪魔は、見るもおぞましいケダモノの姿をしていた。

 大人の男を優にえるきよだいたいに全身緑色の毛がビッシリと生えていて、こちらを見てケタケタと笑うしゆうあくさに総毛立ったのを覚えている。話には聞いていたが、本当に実在したのかと息を吞む聖女候補たちに向けて、悪魔はどこか小ばかにしたようにあわれっぽく話しかけてきた。

 ──ああ、これはこれは聖なるお小さい方々ではありませんか! ねぇ、どうしてワタクシは捕らえられてこのような責め苦を受けているんです? 悪魔っていうのは誰かが契約してくれない限りは、ニンゲン様に手出しなんてできない、とってもとぉっても無害な生き物なんですよ?

 アーチ状に並んだ五つの赤い目が、にんまりと弧をえがく。そこでないしよばなしでもするかのように声をひそめた悪魔は、かたわらに居た職員の一人に囁いた。

 ──なぁそこのアンタ、殺したいほどにくいヤツはいないか? いいんだぜ、後でこっそり来てくれても……。

 ひぃっと悲鳴を上げた職員が飛びのき、それを見た悪魔は満足そうに笑い転げる。



 結局、その時の悪魔はじようの手順をむ前に、ある日こつぜんと消えせた。自ら逃げ出したとも、あるいは契約を結ぶために誰かが持ち出したとも言われているが本当のところはわからない。

 向こうから手出しこそしてこないが、ことたくみに弱みに付け込んでは契約を結ばせる。人々をらくさせ、意のままにあやつり、そしていずれは契約者自身もめつの道へと落とす。それが悪魔だ。そんな教会きっての宿敵が、数歩先をのほほんと歩いている。

 先ほど彼は、自分を幸せにするためにやってきたと言った。だが待って欲しい。この場合の幸せというのは果たして人間基準なのだろうか? 〝悪魔的な〟幸せではないか。たとえばそう、とされた元聖女候補を利用して何かたくらんでいるとか……。

「ネリネ、そこ段差があるから気を付けて」

 背中をジッと睨みつけていると、ふいに振り向かれてビクッとしてしまう。足元を見れば確かに、そうくずれてレンガが何カ所かき出ていた。おかげで転ばずに済んだのだが、悪魔に真っ当な注意をされたという失態で反発心がき上がる。

「き、気安く呼ばないで下さい、わたしにはコルネリアという名があります」

「でも、悪評の印象が強いコルネリアよりは、しばらくそちらで通した方がよくないか? うそはついていないんだし」

「ぐっ……」

 ごもっともな意見に言葉が詰まる。それでもなおに認めるのがくやしくて、再び話のほこさきらした。

「その前に、どうしてその名前を知っているんですか!」

 ネリネというあいしようはエーベルヴァイン家に引き取られた時点でふういんされたものだ。自分でさえもう忘れかけていたというのに。

 するとあくは、どこか楽しそうに目を細めた。人差し指を顔の前に立て、まるでなぞかけを出すようにはぐらかす。

「さて、なんでだと思う? 当ててごらん」

「……?」

 まさかネリネがそう呼ばれていた当時を知っている? いやでも、悪魔になんてせつしよくした覚えは……。まさか、こちらのおくを読み取っているとかでは──、

 思考をめぐらせていたその時、少し先のパン屋ののきさきからおかみが出てきた。ふくよかな身体からだらした彼女はこちらを見つけるとがおで寄ってきて、いきなり神父のかたをバシッとたたいた。あっ、と声を上げそうになるが、二人はなごやかに会話を始める。

「おはよう神父サマ! ちょいとげちまったパンがあるんだけど持ってくかい?」

「おはようドナ。いつもありがとう、頂きます」

「こっちこそ悪いね、こんな余り物をささげちまってさ」

 おかみはここでようやくネリネの存在に気づいたのか、おやとげんそうな視線を向けてくる。言葉に詰まっていると、クラウスがすかさずしようかいをしてくれた。

「彼女はネリネ。今日から私のをしてくれることになった教会付きのシスターです」

「あ、あぁ、そうなのかい……それはまぁ、よろしく」

「あ……あの…………はい」

 あいさつをされても、ネリネはの鳴くような声しか返せない。なぜならおかみのえんりよのない視線が全身に突きさるのを感じていたからだ。恐らく彼女の頭の中では、先日、聖女候補を降ろされた『コルネリア』と目の前の女のとくちようを照らし合わせているにちがいない。

「とても信心深く清らかな心の持ち主です。悪いむすめではないので良くしてやって下さいね」

 ニコニコと笑う神父からの補足に顔がゆがみそうになる。その言葉自体はありがたいが、なぜに悪魔から「悪い娘ではない」と言われなければならないのか。みような心境が表情筋をピクピクとけいれんさせているのが分かる。

 その後、かみぶくろいっぱいにパンを受け取った神父は店から出た。そのたん、通りに居た子どもたちがワッと近寄ってきてうれしそうに彼を取り囲んでしまう。

「神父さまー」

「おや、おはようございます」

 クラウスは手近に居た一人の頭にポンと手を置いた。それを後ろで見張っていたネリネはヒッと息を吞む。

「今度の日曜はどんなおはなししてくれるの?」

「おひめ様が出てくるのがいいな」

「えーっ、ドラゴンか悪魔をやっつけるのがいいよ!」

「探しておきましょう」

 悪魔が……悪魔が子どもの頭をでている。あまりにもきつな光景にかたを吞んで見守る事しかできない。

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