第31話
「実來ー。四限サボって遊び行かない?」
「悪いけどパス。今日は元々サボって人と会う予定だったから」
「えー。なになに、彼氏?」
「んー、恋人の母親?」
「え、何それやば」
「でしょ。行ってくるわ」
「気をつけなよー? あんたなんかうちの子にふさわしくないわ! とか言われるかもだし」
私は友達と別れて、電車に乗った。
地元の駅で降りて、飲み屋街を歩く。プラムさん曰くこの辺の居酒屋は安い割に味がいいとのことだけれど、どうにも似合わないと思う。
プラムさんは銀座とかのたっかい店でフレンチ食べながらワイン飲むのが日常です、みたいな容姿をしている。
それがこんな田舎の居酒屋で日本酒をばかすか開けているのだから、人というものは……悪魔というものはよくわからない。
いつもの居酒屋に行くと、まだ四時前なのにすでにお酒を飲んでいるプラムさんが手を振ってきた。
「実來ちゃーん。こっちこっちー」
「あーはいはい。こんにちは」
「はいこんにちはー。駆けつけ三杯ー」
「いや、私未成年なんですけど」
私はプラムさんの正面に座って、勧められる酒を断った。
新歓で何度か飲んだことはあるけれど、少なくとも未成年のうちは積極的に飲まなくていいかって感じだった。
いや、まあ。
そもそも未成年なのに飲酒すんなって話なんだけど。
大学生って生き物は頭のネジがいくつか飛んでいて、楽しければなんでもいいというのが基本だ。ついていけないってほどではないけれど、まあまあ疲れるのも確かだった。
「いいじゃない。酔ってないと桃と会った時話せないんじゃないのー?」
「……会えるんですか?」
桃とはもう、二年間会っていない。
結局恋を食べられたあの日から、桃とは会えなくなった。何度か彼女の家に行ったり、連絡を何度も入れたりしたのだが、梨の礫だった。
桃が私に会おうとしなかったのもあるけれど、恋魔としての責務がどうとかで、プラムさんにも止められていた。でも、その代わりプラムさんはこの二年間桃の様子を私に教えてくれていた。
「まあねえ。もういいかって感じ」
「何かあったんですか?」
「実來ちゃんが私のお酒飲んでくれたら教えようかなー」
「それ、アルハラってやつですよ」
「悪魔に何言ってるのー?」
「……確かに」
私は仕方なく、プラムさんに注がれた日本酒を口にした。
アルコールが鼻から抜けて、喉が焼けるような感じがした。フルーティっちゃフルーティだけど、度数が高いから飲みづらい。
大学生らしく、もっとカシスオレンジとかそういうのを飲みたい。
うーん。
私も大分、大学という空間に侵され始めているのかもしれない。前だったら酒なんて、勧められても飲まなかっただろうし。
高校という閉じた空間とは違って、大学はそれなりに過ごしやすかった。
ある程度個性を出しても大丈夫だし、好きなものは好きで通せる。仲良くする人も自由に選べるし、高校までの息苦しさが嘘のようだった。
でも、自由になったからって、桃への感情がなくなるわけではなかった。
未だ私は桃のことが好きだ。
やっぱり恋と愛は違くて、恋は食べられたけれど、私は桃のことを愛している。どうしようもなく。
忘れられるわけ、ない。
「で、何があったんですか」
「んー、そうねぇ。桃はやっぱり、恋魔としては欠陥品になってしまったってことね」
「どういうことですか」
「つまり、恋魔なのに恋を食べられない状態になったってこと」
プラムさんはホタルイカの沖漬けをつまみながら言った。
全く似合わない。チーズとかつまんでほしい。なんでこんなにおじさんじみた趣味なんだろう。
そもそもプラムさんって、何歳なんだ。
「私たち恋魔はね、恋を抱いちゃいけないの。自分が恋を抱いてしまったら、人の恋を食べることができなくなってしまう。同情しちゃうのね」
「……それは、駄目なんですか」
「だめだめね。恋を食べないとそもそも生きていけないってのもあるけどね。恋魔は恋を食べることによって、存在を許されているんだもの」
プラムさんからこういう話を聞くのは初めてだった。
私はコップからちびちびと日本酒を飲みながら、どう考えても日本酒には合わないであろうポテトを摘んだ。
酒に何を合わせればいいとかわからないけれど。
アルコール感が少し薄れて、楽になる。
どうして大人はこんな消毒液じみたものを美味しそうに飲んでいるのだろう。酔うまで飲んだこともないし、酔うのが好きって感覚も理解できない。
まだ十九なのにそういうのを知ってしまうのも、どうなのよって話だけど。
「人間にとって不利益になる恋を食べて、人間に利益をもたらす。そういうことができるから、私たちは存在を許されているの」
「……不利益になる、恋?」
「それは色々ねー。まあ、代表的な例で言ったら、身分違いの恋とか? そういうのを食べてって依頼されることもあるわねぇ」
それが存在意義だとしたら、恋魔というのは悲しい存在なのかもしれない。恋を知ることも許されず、人に利益をもたらさなければ生きることも許されない。
果たして、それは。
どうなんだろう。
「でも、厄介なもので恋と愛は別なのよ。実來ちゃんみたいに、恋を食べても愛が残ることがある。愛と恋の違いなんて、わからないけどね」
私はコップを傾けた。
多めの日本酒が、喉に流れ込む。
少しだけ、頭がくらくらした。
「桃は恋魔としての責務を果たせない。だからもう、しょうがないわね。桃が恋魔として機能するようなら、実來ちゃんとは会わせない予定だったんだけどね」
「桃はこれから、どうなるんですか?」
「どうもならないわよ? 責務を果たさない恋魔には監視がつくけれど、それは私がやるつもりだし。実來ちゃんから食べた恋だけでも数十年は生きられるだろうしね」
それを聞いて安心したような、そうでもないような。
ただ桃とまた会えるというだけで、心が躍る。
今私がこうして、ある程度自由に生きられているのは。生活環境が変わったおかげでもあるけれど、何よりも、桃のおかげだと思う。
桃がいなかったら、私はきっと今も前みたいに心を閉ざして生きていた。好きなものを好きと言えるようになって、自分を多少愛せるようになったのは彼女のおかげなのだ。
だから、お礼を言いたい。
桃に会いたい。
たとえ桃が私のことなんてもう好きじゃないとしても。
「はい、これ」
プラムさんは鍵を渡してくる。
それは、桃の部屋の鍵だった。
前に一度見たことがある。私はそれを受け取った。
「色々ありがとうございます、プラムさん」
「ううん、平気。でも、できたら二年間桃のこと教えてきたお礼に実來ちゃんの恋を食べさせてもらいたいなー」
「同じ相手に恋することができないなら。私はもう二度と、恋なんてできませんから」
「愛されてるわねー、あの子」
プラムさんはそう言って、くすくす笑った。
成熟した大人らしくない、子供っぽい笑みだった。
「しょうがない。今日は飲み明かすわよー」
「え、私もですか?」
「いいじゃない。それが今までのお礼ってことで」
プラムさんはそう言って、追加で大量の日本酒を頼み始めた。
一本、二本、三本と日本酒のボトルがテーブルに並べられて、私は少し引いた。
悪魔じゃなかったら許されない完全なるアルハラだ。
いや、悪魔だからって許されるわけじゃないけれど。
逃げることもできず、私はプラムさんと飲むことになった。
「プラムさんって、なんで私に桃のこと教えてくれたんですかぁ?」
ふわふわする。
酒にはそこそこ強い体質だったみたいだけど、プラムさんと一緒に何本も何本も日本酒を開けたから、流石に泥酔しているらしい。
「あなたが個人的に好みだったのもあるけれど、そうねぇ。責務を果たせない恋魔が生まれた時のための、保険かしら」
「ほけん〜?」
「あなたがいなかったら、多分桃は一生孤独だろうしねぇ」
「あー、いい親ぶってる。桃のこと捨てたくせにぃ」
タクシーで揺られながら、私は自分でも何言ってるのかわからないってくらい変なことを言った。
「まあ、そうね。私たち恋魔が最優先すべきは責務。そのために、桃には愛を教えなかったし、これからも教えるつもりはない。私も、愛を知るつもりはないわね」
「それってつらくないんですか?」
「別に? 愛とか恋とか、そういうものを知らなきゃ楽しく生きられないなんてルールはないしね」
「そうですかー。うーん」
恋魔って、なんなんだろう。
どんな思いで生きているんだろう。わからなくて、頭がぐるぐるする。
「悪魔のことなんて、理解しなくていいわ」
「そうですか?」
「そうよ。あなたは、あったかい人なんでしょう? 悪魔のことを無理に理解しようとしたら、壊れるわよ」
あったかい人。
桃がよく言っていた言葉だ。
なんで知ってるんだろう。
桃が言ったのかな。
桃。桃に会いたい。
「桃は悪魔失格だから、あの子のことだけ考えていればいいわ」
「そうですねー。ももー」
「いい、実來ちゃん。恋魔のことはもう忘れなさい。悪魔は常識から外れた存在。これから私は、あなたにも桃にもよほどのことがない限り接触するつもりはないわ。監視はするけどね」
プラムさんは言う。
つまり、これから先は恋魔と人間じゃなくて、私と桃の個人的な問題になるということだ。
そっちの方がわかりやすくていい。
恋魔の存在意義とか、愛を教えなかった理由とか、そういうのは私にはわかりそうにない。
難しい問題はさっぱりだ。
ただ、今は桃に会って話をしたい。
この二年間話せなかった分、全部。
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