○○をたべるあくま②

 学校を休んで実來さんと出かけるのは、これで二度目だ。

 私たちはかなり遠出をして、都会に出ていた。平日でも人がたくさんいるのはやっぱり都会って感じで、ちょっと疲れるような、ワクワクするような感じがする。


「実來さん! 見てください! メリーゴーランドです!」


 目的地の水族館に着くと、私はいつものようにはしゃいでみせた。

 実來さんは私の手をぎゅっと握りながら、微笑んでくる。


「ほんとだね。乗ってみる?」

「いえ。それより、今日は色々見て回りたいです」


 実來さんは最近、髪を黒く染めた。色落ちしやすいとかいう話で、元々黒だったから染め直したらしい。


 出会った頃は茶色だったけれど、今の色も好きだと思う。

 ……実來さんなら、なんだって好きだし、綺麗だ。

 黒でも茶色でも金色でも、実來さんの髪ならきっと好き。


「そかそか。じゃあ、見て回る……前に。今日の記念に写真撮っとこう」

「は、はい」


 水族館は平日でもそれなりに人がいる。私たちはメリーゴーランドをバックに写真を撮った。


 肩を抱かれると気持ちがふわふわして、もっとくっついていたくなる。

 実來さんと一緒に写真に写った私は、ぼんやりしていて赤い顔をしていた。誰がどう見たって、恋していますって顔。


 恥ずかしいけれど、嬉しい。愛を知らない私でも恋できるんだって事実もそうだけど、何より、実來さんとこうして二人で写真に写れるのが一番嬉しかった。


 好きな人に肩を抱かれて、一緒に写真を撮るだけで心が躍る。

 館内を歩くと、どこもクリスマス仕様になっていた。雪の結晶みたいな映像だとか星だとかが辺り一面に映し出されていて、夢の中にいるみたいだった。


 実來さんの温度を感じながら歩いていると、どこだって幸せだけど。

 綺麗な景色を共有できるのは、もっと幸せだった。


「……わぁ」


 少し歩くと、そこには幻想的な光景が広がっていた。

 星みたいに輝く照明と、ふわふわ泳ぐくらげたち。


 まるで宇宙にいるみたいだと思う。色とりどりの照明と雪の映像が私たちを包んで、心を浮かび上がらせていく。

 強く実來さんの手を握ると、握り返された。


「綺麗ですね、実來さん」

「そうね。流石、海の月って書くだけある」

「白くてふわふわしてて、可愛いです」

「それ、ホワイトタイガーの赤ちゃんにも言ってなかったっけ」

「そうでしたっけ? でも、白くてふわふわで可愛いのは同じです」

「同じ……でもなくない?」


 実來さんは苦笑しながら、私と一緒に足を進める。

 実來さんの方が歩幅が大きいのに、いつも私に合わせてくれている。そういうところも、好きだと思う。


 不意に照明で実來さんの顔が光って、肩までかかった髪から耳が覗いた。

 そういえば。実來さんはおしゃれには気を遣っているのに、ピアスは開けていない。


「実來さんって、ピアスはしないんですか?」


 そう聞くと、実來さんはすごく微妙な顔をした。


「あー。私、痛いの嫌いだから」

「ピアスって、痛いんですか?」

「穴開ける時、ちょっと痛いらしい。注射とかも苦手だから、無理なんだよね」

「そうなんですか」


 実來さんは強がりだけど怖がりで、痛いのが苦手だ。それはよく知っているけれど、ちょっとした痛みにも敏感らしい。


 注射が苦手って、ちょっと可愛い。

 くすりと笑うと、頬を引っ張られた。


「今馬鹿にしたでしょ。注射が苦手なんて子供ー、みたいな」

「ひてないれふ」


 馬鹿にはしていない。ちょっと可愛いなって思っただけで。

 実來さんの色々な一面を知る度に私はふわふわして、きゅんきゅんして、胸が弾けそうになる。


 何度だって好きだと言いたいし、キスだってしたい。できればもっと深いことだってしたいし、私の存在をもっともっと、もっと実來さんに刻みつけたい。


 私が死んでも、覚えていてくれるように。

 それは、きっと最低なことだ。でも、私は実來さんの恋を食べてまで生き続けたいとは思えない。


 もう時間がない。だから私は、生きているうちにできることをしたいと思う。


「桃はなんか、苦手なもんとか嫌いなもんないの。私だけ知られてるのとか、不公平なんだけど」


 実來さんは私の頬から手を離した。

 もっと痛くしてくれてもよかった。

 私は少し名残惜しくなりながらも、笑ってみせた。


「好きも嫌いも、今まで考えてきませんでしたから」


 好きだとか嫌いだとか、考えたら辛すぎるから。

 でも、今は。


「今好きなものは、実來さんとすること全部です。苦手なものは……実來さんがいない時間です」


 実來さんの手を強く握る。

 私はそっと、実來さんの鎖骨の辺りに触れた。冬服の上から触れる実來さんの体はあまり温かさを感じられなくて、今ここで全部脱がしたらどうなるんだろう、なんて考えてしまう。


 馬鹿。

 そういうのを考えるところが、最低なんだ。


「……そっか」


 実來さんは少し、痛そうな顔をした。

 でもそれは一瞬で、すぐに普通の顔に戻るから、もしかしたら錯覚だったのかな、なんて思う。


 私は少し迷ってから、少し背伸びをした。

 周りの人が見ていないタイミングを見計らって、そっと実來さんの唇にキスをする。


 実來さんの唇はいつだって柔らかくて、温かくて、気持ちいい。だから私はキスするのがすっかり癖になって、すぐに彼女の唇が欲しくなってしまっている。


 もっと、ほしい。

 全部私だけのものにしたい。でも、恋心だけは。彼女の恋心だけは、私のものにしたくない。


 風船みたいに膨れ上がって、中にはふわふわしたものが入っていて、感じているだけで心がふんわりしてくるもの。それが実來さんが私に向けてくれている恋だ。

 死ぬまでずっと、それを感じていたいと思う。


「実來さん。上、行ってみましょう」

「そうね」


 私たちは手を繋いでエスカレーターに乗る。

 上の階に行くと、ちょうどイルカのショーをやっているみたいだった。海みたいな匂いがふわりと香ってきて、実來さんと海に行ったことを思い出す。


 私たちはしばらくイルカが泳いだり飛び跳ねたりしているのを眺めた。

 眩い光を受けて泳ぐイルカたちは、どこまでも輝いていて綺麗だった。


 でも、私の目に一番綺麗に見えるものは、一生変わらない。私はイルカの動画を撮っている実來さんの横顔を写真に撮った。

 かしゃ、という音がして、実來さんがこっちを向く。


「私じゃなくて、イルカ撮った方がいいんじゃない」

「私はイルカを撮ってる実來さんを撮りたいんです」

「何それ」


 夢中になってイルカを撮る実來さんの表情は生き生きとしていて、いつまでも眺めていたくなる。


 私に向けられるものとは違う、純粋な楽しみだけが満ちた表情。そういう顔もやっぱり好きだ。私だけに向けられる表情は写真じゃなくてこの目に焼き付けたいけれど、楽しそうな表情は写真に撮って、ずっととっておきたいと思う。

 死ぬ間際でも、見られるように。


「次、行ってみませんか?」


 私は実來さんの手を引いた。


「え、もう? もうちょいイルカを……いや、うん。わかった」

「ありがとうございます」


 実來さんは何かに耐えるような表情を浮かべている。

 やっぱり、悟られているのかもしれない。私がもうすぐ死ぬということを。それでも何も言ってこないのが、実來さんの優しさなのだろうか。


 私たちはそうして館内をゆっくりと回っていく。

 クリスマスのイルミネーションみたいに綺麗な水槽で泳いでいる魚を見て、あの魚はなんなんだろうとか言い合って、地面に突き刺さっているみたいな変な魚を見て笑い合って。

 そうしているだけで、幸せだった。


「私、実來さんの横顔が結構好きなんです」

「横顔?」


 トンネルの真ん中で、私は止まった。上を見ると、大きなマンタが泳いでいるのが視界に入る。


 ふわり、ふわり。

 私が空を飛ぶ時、あんなに優雅で楽しそうな様子でいられているだろうか。私は微かに目を細めた。

 実來さんの目に映る私が、いつも輝いていたらいいのに、と思う。


「私に向けられる顔とは違って、その時々によって違う。楽しそうだったり、何か考えてそうだったり、ちょっとだけ、痛そうだったり」


 視線を実來さんに向ける。

 実來さんはいつも、私を愛おしそうに見てくれる。それが嬉しくて、すぐにその胸に飛び込みたくなってしまう。


 きっと、千回大好きと言っても足りないと思う。私はそっと実來さんの胸に飛び込んだ。前みたいに、無垢を装って思い切り飛び込むことはできないけれど。それでも、実來さんは優しく私を抱き止めてくれる。


 やっぱりあったかくて、柔らかくて、なんだか視界が滲んでくるような感じがした。


「今日も、明日も。色んな顔が見たくて、知りたい。心をあなただけでいっぱいにできたらって、いつも思います」

「桃」


 ずっと、名前はお母さんからのプレゼントだと思っていた。

 でも、多分違うんだと思う。


 お母さんからもらった桃って名前は確かに大切だ。だけど、こんなにも心地良くて幸せな気持ちになれるのは、実來さんが呼んでくれているから。

 名前はきっと、実來さんからのプレゼントなんだ。


「いっぱい欲しい。実來さんが、実來さんの気持ちが……」


 瞼が重くなる。

 目を閉じると、なぜだか涙が瞳からこぼれて、実來さんの服に吸い取られていくのがわかった。


 私自身のことも、そうやって実來さんのものにしてくれたら、と思う。

 いっぱいになった恋心の中に私を飲み込んで、ずっとその中に閉じ込めてくれたら。きっと私は、幸せだと思う。


「桃。私は……」


 実來さんの声が遠い。

 このまま死ぬのかもしれない。そう思ったけれど、不思議と嫌じゃなかった。


 好きな人の胸の中で死ねるのが、きっと一番幸せだ。

 ぱちんと電源が切られるみたいに、私は眠りに落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る