○○をたべるあくま①
私の世界に温度はなかった。
恋魔として生まれてきた私は、愛を知らずに生きてきた。愛を知っちゃいけないって、お母さんは言っていた。
愛や恋を抱いてしまうと恋を食べられなくなって、恋魔としての勤めを果たせなくなるから、らしい。
お母さんは私に恋魔としての心得だけを教えて、出て行ってしまった。
あの時行かないでと言っていたら、何かが変わったかもしれないとずっと後悔している。手を伸ばすこともできず、ただお母さんを見送った私は、その日から一人になった。
愛を知っちゃいけないから、友達とも深く関わらないようにして。愛を知っちゃいけないから、何とも触れ合わず。
このまま自分以外の温度を知らず、愛も知らずに生きていくなんて耐えられない。
そう思いながら、日々をぼんやりと生きてきた。
でも、ある日。
私は道端で、ふと死んだ蝉を見た。辺りでは同じ種族の蝉が忙しく鳴いているのに、目の前にいる死骸は一切動かないし、声も上げない。
死が、目の前に転がっている。
私もいつか、死ぬ。
実感はなかったけれど、そう思ったら怖くなった。
恋魔は恋を食べなければ生きていけない。生まれたての恋魔はまず、最も相性のいい人が自分に向けた恋を食べなければならない。最初はそれしか食べられないのだ。
だから私も、誰かに恋をされる必要があって、その恋を食べないといけない。
それは、怖かった。
恋を知らない悪魔が、人の恋を奪っていいのか。人に恋をすることも、人を愛することも素敵なことのはずなのに、それを奪う権利が私にあるのか。
……でも。
死ぬのは怖い。
命がなくなるのは、何より怖い。愛を知らなくても。生きる意味なんてなくても、生きたい。全部ゼロになって、自分が消えるなんて嫌だ。
やだ。死にたくない。人の恋を食べてでも、生きたい。
恋魔は自分と最も相性のいい人がわかる。
だから私はその人を探して、恋を奪うことにした。
最低だって、わかっているけれど。それでも、生きたいと思った。
実來さんはあったかい人だった。痛みを堪えながら、泣きそうな顔になりながら、それでも私のために頑張って、ひよこに触れるようにしてくれた。
あったかかった。
初めて触れる小さな命は涙が出そうなくらいあったかくて、柔らかくて、ちょっと痛くて。生きているんだって、実感した。
その感触で、死にたくないと思った。
生きたい。消えたくない。私はまだ、何もできていないのに。
「実來さん。今日は、ありがとうございました」
動物園の帰り、私は実來さんにそう言った。
実來さんは私の手を握りながら、ちょっと迷惑そうな顔をした。
その顔が嘘だってわかるのは。なんでだろうと思う。
「別に。あんたのためにしたわけじゃないから」
「桃、です」
「あー、はいはい。桃ね。桃」
桃という名前は、お母さんからもらった数少ないものの一つだ。
お金とか、自由に使えるカードとかも、もらったけれど。私は桃という名前が、一番大きなプレゼントだと思っていた。
だから、名前で呼んでほしい。
私はここにいていいんだって。生きていてもいい存在なんだって、証明するように。
「実來さんは、あったかい人です」
「さっきからなんなのそれ。あんた……桃ってほんと、わけわからんわ」
そう言いながらも、実來さんは私の手を離さない。私から離れていかない。
やっぱり、あったかい人だ。私がしたいことを叶えてくれて、私のために無理してくれる。そういう優しさが何より心地良くて、あったかくて、ふわふわする。
好きって言って、いいのかな。
私は実來さんの感情を、餌にしようとしているのに。
でも、実來さんと手を繋いでいると本当に嬉しくて、心地良くて、胸の中からどうしようもなく感情が湧いてくる。
これって、どういう気持ちなんだろう。
わからなかったけれど、温度がない私の世界が、ふわりと暖かくなったような気がした。
実來さんは日に日に私の中で大きくなっていった。
私を受け止めてくれて、危ない時は庇ってくれて。ぶっきらぼうだけど何よりも優しくて、私のことを思ってくれて。元気がない時は、不器用に励ましてくれる。
そんな実來さんのことを、私は好きになっていた。
私は愛を知らない。恋も知らない。与えられたことのない感情をどう胸に抱けばいいのかは、わからない。
でも、実來さんに恋しているんだって、私は胸を張って言える。
だって、実來さんといると心が弾けちゃいそうなくらいドキドキして、ぽかぽかして、好きって気持ちが溢れてくるんだから。
この気持ちが恋じゃないなら、恋なんてこの世にはないんじゃないかってくらい。
実來さんのことが、好き。
実來さんもまた、私に段々と恋をしてきているのがわかった。私たち恋魔は人の恋を見ることができる。
だから実來さんの心の中で徐々に育っていく恋も、私にはわかっていた。
その恋を大きくしたくて、強引なことをして、気に入られそうなことをしようって思って、そして自己嫌悪に陥る。
実來さんに愛してほしい。
そんな思いで媚を売るみたいに行動する私はきっと、最低だ。
最初は実來さんの感情を食べるためだけに近づいたくせに。
子供みたいに大好きだなんて言ってみて、実來さんの気持ちを言葉で確かめようとして。本当は醜いくせに、無垢な自分を作って、気に入られようとして。
でも、好きなんだ。
好き。好き、好き。
好きだから、嫌われたくない。実來さんの胸に生まれつつある恋を捕まえて、大事に育てて、大好きだって言い合いたい。
きっとこれが、最初で最後だから。
「実來さん」
「何、桃」
名前を呼び合っているだけで幸せだった。
でも、私にはもう時間がないことも、わかっていた。
数年前から徐々に自分の力が弱くなっていくのを感じていた。日に日に存在自体が薄れていって、自分が消えていくような。
恋を食べないと死んでしまうとわかっている。
でも、今は。実來さんの恋を食べたくない。こうやって名前を呼び合って笑える日常がなくなってしまったら、私はもう生きていけない。
この関係を失うくらいなら。
死んだ方がいいと思う。
全部実來さんのせいにして、キスをした。
私は、最低だ。
実來さんが受け入れてくれないと、キスもできない。嫌なら突き飛ばしてと言ったけれど、本当は受け入れてくれないと嫌だった。
私の全部を受け入れてほしい。拒まないでほしい。好きだって言ってほしい。
そんな思いばかりが胸の中に渦巻いて。
大好きだって気持ちがどうしようもないくらいに溢れて。もう止められないくらいに、実來さんが欲しくなった。
でも、私は恋魔だ。
好きとか愛してるとか、言っていいとは思えない。
だから私は、キスしながらも好きと言えずにいた。
でも、ハロウィンのあの日。
私は自分が恋魔だということも忘れて、実來さんに好きだと言った。溢れ出した恋を抑えることができなくて、恋人になってほしいと願って。
それが実來さんに受け入れられた時、もう死んでもいいってくらい幸せだった。実來さんさえいれば、他には何もいらないと思った。
……でも、この関係がそう遠くない未来に消えることも、私はよく知っていた。
もう時間がない。
早く恋を食べないと、私は死んでしまう。
最近は、それでもいいなんて考えるようになった。実來さんと恋人でいられる時間が何よりも大切で、それ以外はもう何もいらない。
死んでしまってもいい。
あの時埋めてあげたスズメみたいに、冷たくなって硬くなっても、いいと思う。私は実來さんと恋人になって、死ぬよりも嫌なことがあると知った。
もっとキスしたい。
もっともっと、好きって言いたい。
好きって言ってほしい。
実來さんが好きって言ってくれるなら、明日死んでもいい。
だから、実來さん。私をどうか、離さないでください。
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