第27話


 小さい頃から、私の人生はモノクロだった。

 幼い頃はそれなりに、両親に期待されていたと思う。でも幼稚園の受験に失敗して、小学校の受験にも失敗して、段々と両親は私を見放していった。

 両親は頭がいい人たちだから、私にもそうであることを望んでいたんだろう。


 私だって、結構頑張った。

 今では想像できないくらい毎日必死に勉強していたし、両親に褒められたい一心で日々を生きていた。


 でも、妹ができてからそれが変わった。

 あれは確か、六歳の頃。


 双子の妹が家に来た時、私はこんなにも小さくて力強い命があるんだと感動した。


 妹の名前は、紗夜と千珂。本当に可愛くて、私はいつも二人と一緒に遊んでいた。両親は仕事が忙しい人だったから、妹たちを遊ばせたり、可愛がったりするのは私の仕事だと思っていた。


 それから私は、妹たちのことを第一に考えるようになった。

 自分が愛されなかった分、妹たちを愛したかったのかもしれない。


 思えばあの頃が一番、充実していたと思う。

 家政婦が来られないときは全部私が家のことをやっていたし、妹たちは私に懐いてくれていた。


 歯車が狂い始めたのは、いつだったか。

 妹たちが受験に成功して、小学校の成績も両親の期待を上回り始めてから、だろうか。


 確かそれは、私が中学生の頃だった。

 あの頃私はクラスメイト全員と友達で、充実した毎日を送っていた。

 ……実際は、そう思ってるだけだったんだけど。

 全てが変わったのは、ある日のこと。


「実來さぁ。最近私たち以外と仲良くしすぎじゃない?」


 友達のそんな一言がきっかけだったと思う。

 私はそれまで特定のグループに所属しているという意識がなかったから、友達の言葉を聞いて驚いたのを覚えている。


「あんまり他のグループの女子と仲良くしないでほしいんだけど」


 所属するグループの人以外とは、関わらない。

 それが普通だと知らなかった私は、友達とぎくしゃくするようになった。


 どうやって人と接すればいいのかわからなくなって、でも仲良い友達とは仲良いままでいたかった。


 だから友達たちとどうにか今まで通り付き合おうとしたけれど、それがいけなかったのだろう。


「実來は私たちよりあっちの方がいいんでしょ。話しかけないでよ」


 仲が良かったと思っていた友達からそう言われて、私は絶句した。

 誰が一番とか、どっちがいいとかじゃなくて。


 皆好きだし、皆と仲良くしたい。そんな子供のようなことを思っていたから、私は友達から無視されるようになっていった。


 好きなものは取捨選択しなきゃいけないと知った私は、どうにかまた自分の居場所を探して、うまくやっていこうとした。


 そんな矢先のこと。

 妹たちと遊んで心を休めようと考えて、私はその日、急いで家に帰った。


 珍しく玄関には両親の靴があって、妹たちの靴もあった。そして、リビングから話し声がしていた。


 また学業について話しているのだろうと思い、自分の部屋で待機しようとしたとき、偶然その会話を聞いてしまった。


「だから、実來と関わるのはもうやめなさい」

「どうして?」

「実來は不良なの。ああいう子と関わっていると、あなたたちも馬鹿になってしまうのよ」


 両親に期待されていないことは知っていた。

 でも、妹たちと関わらせたくないと考えるほど、いらないものとして認識されているとは思っていなかったのだ。


 あの時私は、かなりショックを受けた。

 でもそれ以上に。

 両親は妹たちの前ではいい親の顔をしていたから、私は憤りを感じた。


 親が無償の愛を信じさせてあげないと、千珂と紗夜はきっと、まっすぐ育つことができない。


 成績がいいから愛されているだけだなんてわかったら、今まで無償の愛を信じてきた彼女たちが傷ついて、歪んでしまう。それは嫌だった。


 成績が悪くなったら愛されなくなるとか。そんな心配、二人にはさせたくない。

 私はその晩、両親たちに詰め寄った。


「なんで千珂たちにあんなこと言ったわけ!?」

「盗み聞きしていたの。相変わらず下品ね」

「んなことどうでもいいから。千珂と紗夜の前ではいい親演じてよ。頭の出来で子供の扱いを変える親だとか、二人に感じさせないで」


 子供には親の愛情が必要だ。

 どんな親にせよ、子供はそこから生まれてきたのだ。だから、妹たちはまだ親に愛される必要があって、無償の愛情を信じさせてあげないといけない。

 だから私が両親と仲が良くないことは、二人には隠してきた。


「だったら二人に関わるのはやめなさい。あなたは二人にとって邪魔にしかならないの」


 それが親の言うことか。

 反発したくなる気持ちはあったけれど、私が馬鹿なのは、間違いなくて。


 そのせいで二人が傷つくようなことがあったら、私は両親以上に、自分のことを許せなくなる。


「……わかった。二人に関わるのはやめるから。ちゃんと二人を愛してあげてよ。あんたたちみたいな親でも、二人にとっては大事な家族なんだから」

「あなたに言われるまでもなく、考えています」


 母は冷たくそう言った。

 その日、私は久しぶりに泣いた。


 色々なことが胸に突き刺さって、どうにもならなくなったのだ。人と関わったって、結局は辛いことしかないのかもしれないなんて悩んだ。

 そして、次の日。


「お姉ちゃん、今日は何して遊ぶー?」


 いつものように話しかけてくる紗夜に、私は言った。


「……もう、あんたたちとは遊ばないから」

「……え。なんで?」


 呆然とした紗夜の顔は、今でも覚えている。私は痛む心を無視して、彼女に言葉をぶつけた。


「私はもう、あんたたちと遊んで楽しい歳じゃないの。ガキじゃないんだから、いい加減あんたたちに付き合うのも疲れたの。だから、遊びたいなら二人で遊んで」


 二人のことを本当に想っていたのなら、もっといい言葉で関係を終わらせられたと思う。


 でもあの時の私には余裕がなくて、自分が一体なんなのかもわからなくて、紗夜を傷つけてしまった。


 あの時の紗夜の悲しそうな顔を、私は一生忘れないだろう。

 結局私は、どうしようもなく不器用で、何をしたってうまくいかない。好きな人と楽しく時を過ごせればそれで良かったのに、それができないのは。

 私がきっと、馬鹿だからなんだろう。




 久しぶりに昔の夢を見た。

 以前は昔の夢を見る度に泣いていた気がするが、今は特に涙は出ない。

 そんなことよりも、桃はどうしただろう。


 隣を見ると、桃は昨日と同じ格好のまま眠り続けていた。どうやら、まだ一度も目を覚ましていないらしい。


「桃。朝だよ」


 体を揺すってみても、起きる気配がない。

 頬を軽く叩いてみても、無駄である。胸に手を当ててみると、ちゃんと心臓は動いている。呼吸もしている。ただ、起きないだけだ。


 どうしよう、と思う。

 彼女の不調の原因がわからない以上、何もできない。昨日救急車を呼ぶのを止めてきたということは、人間的な不調ではなく、悪魔的な不調なのかもしれない。


 私は桃の頬に手を添えた。

 私にしかできないことが、何かないだろうか。恋人なのに何もしてあげられないというのは、もどかしい。


 そう思っていると、玄関の方から音がした。扉が開いて、誰かが部屋に入ってくる。私はスクールバッグを手に持った。


 こんな時に、泥棒?

 足音が段々と近付いてくる。

 床の軋む音と、軽い足音が部屋に向かってきている。


 扉の前で待機していると、扉がゆっくり開かれた。その向こうから現れた人影を見て、私は息を呑んだ。


 背中までかかった金色の髪。アイシャドウで彩られた、青い瞳。微笑みの湛えられた表情は、よく似ている。

 誰にって、それは。


「あら。意外と進んでいたのね」


 妙齢の女性は私の横を通り抜けて、桃の頬に触れる。

 その手つきは、捨てようとしているおもちゃを拾い上げるような、ぞんざいな感じだった。


「ちょ、ちょっと!」


 女性が私を振り返る。桃に似ているのに、この女性の瞳は驚くほど冷たい。


「星野実來ちゃんね」


 にっこりと笑いながら、彼女は私の名前を呼ぶ。


「私のことはプラムって呼んで。よろしくね、実來ちゃん」


 プラムさんはそう言って手を私に差し出してくる。少し迷ってからその手を握ると、ぐいと引っ張られて、そのまま抱き寄せられた。

 桃とは違う甘い香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。


「……!?」


 離れようとするが、離れられない。

 力が強い、だけじゃない。桃のより少し太い尻尾が私の体に巻きついている。

 悪魔だ。

 桃以外の悪魔を、私は初めて見た。


「かわいー。あなたの恋、私が食べちゃおうかしら」


 わけのわからないことを言いながら、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。

 桃とは違う、大人の柔らかさだった。


 でも別に、私は女が好きってわけじゃない。だから抱きしめられても何も感じないし、そもそも今はそれどころではない。


「なんの話ですか。今は桃が……」

「あー、桃ね。あの子、このままだと死ぬわよ」

「……は?」


 平然と放たれた言葉に、絶句しそうになった。

 しゅるりと、尻尾が解かれる。

 私はプラムさんと距離をとって、その顔を睨みつけた。


「どういう、意味ですか」

「あら、桃から何も聞いていないのね。まあ、それもそうか」


 プラムさんは小さく頷きながら、ベッドに腰をかけた。


「私たち恋魔はね、人の恋を食べないと生きていけないの」

「こい、ま?」

「そう。恋を食べる悪魔。それが私たち。恋魔はね、まず自分と最も相性のいい相手の恋を食べることで、他の人の恋も食べられるようになるの。つ、ま、り」


 蛇のような瞳が、私を見ている。

 私は体が凍りつくのを感じた。


「実來ちゃんが桃に向けている恋は、離乳食兼母乳ってとこね。あなたの恋を食べないと、桃はこのまま死ぬ。あなたの恋を食べるまで、他の人の恋を食べることはできない」


 頭が揺れる。

 わかっていた。桃が本当は、ロリコンのエネルギーを吸う悪魔なんかじゃないってことくらい。

 何かを隠していたことだって、痛いほどよくわかっていた。

 ……でも。


「恋を食べられた人間は、どうなるんですか」

「当然恋を失う。同じ相手に二度と恋をすることはできない」

「……何、それ」


 この関係がなくなるくらいなら、死ぬ方がいい。

 桃の言葉を思い出す。


 そういうことだったのか。恋を食べられたら、私たちは今のままではいられなくなる。だから、桃は最近いつも不安そうにしていたのだ。


 私との関係を変化させるか、死ぬか。

 その二択で、桃は死を選ぼうとしている。


 全部が繋がった。桃が命との触れ合いで変化した理由も、好きと言うのに手間取っていた理由も、私と最初、深く繋がろうとしなかった理由も。

 だからって、現状が何か変わるわけじゃない。


「恋を食べさせる以外に、桃を生かす手段はないんですか」

「うーん、ないわね。私たちはそういう種族だもの」

「……桃は、あとどれくらい生きられるんですか」

「そうねぇ。一週間くらいかしら。死なせたくないなら、決断は早くした方がいいわね」

「……」


 色々聞きたいことはある。

 プラムさんはまず間違いなく、桃の親だ。愛とか恋とかその類を知っちゃいけないって掟は一体なんなのか、とか。


 なんで桃を置いていったんだ、とか。

 でも、今は。


「桃は、起きるんですか」

「そのうち起きるわよ。体を生かそうとして機能が暴走しているだけだから」

「そう、ですか」


 私は桃の頭を撫でた。

 寝顔は安らかだ。

 あと一週間で死ぬなんて、考えられないほどに。

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