第25話

 付き合う前から私たちは結構ベタベタしていたから、付き合ったからといって劇的に関係が変わるわけではなかった。


 それでも、愛を込めて「好き」と言い合うようになってから、私は桃のことが前よりもずっと好きになった気がする。


 桃と恋人になってから一ヶ月。

 異なる人間同士が歩調を合わせて生きるのは難しいと、私は改めて実感した。


 友達と一緒にいる時は互いに楽しむことを目的にしているから、深入りすることもないし、されることもない。


 でも、恋人となると話は別で。

 知りたいし、知ってほしい。


 そうは言っても、深く踏み入れば桃との間に築かれた薄氷のような関係は砕けて消えてしまう。そんな気がして、心の最奥まで足を踏み入れることができない。


 それは多分、桃も同じだ。

 私たちは少しずつ互いの心に手を伸ばしたり引っ込めたりしながら、触れてもいい場所を探し続けている。


 全部知りたい、全部教えたいというのは私たちの願望で。

 それを止めようとしてくるのが、私たちの理性であり、心の傷であり、桃が隠しているなんらかの事情だった。


 私たちは互いに心まで裸にしてくっつけ合いたいと願いながらも、最後の一枚を脱ぎ捨てるのに手間取っているのだ。


 それでも。

 それでも、好きという気持ちに変わりはない。


 私は桃が好きで、桃も私が好き。だから本当は焦らなくていいはずなのに。桃が焦っているから、私も少し、焦る。


 付き合うのがゴールなら。この先全部うまくいくって信じられたのかもしれないけれど。


 でも、きっと。好きって言い合って、触れ合うところが私たちのスタートなのだ。


「うーん。やっぱ間抜けな顔」


 私たちはショッピングモールにあるキャラクターショップを訪れていた。友達とここに来た時は入らなかったけれど、今日は店の中に入っている。


 店内はペンギンだらけだ。

 大きいぬいぐるみやらストラップやらがたくさん置かれている。


 間抜けな顔をしたペンギンに埋め尽くされた店内は、楽園というよりはちょっとした悪夢みたいな感じだ。


 熱が出た時、夢でこんな光景を見る気がする。

 いや、そういう感想はどうなのよ。

 好きだけど、やっぱりあばたもえくぼってほどじゃないらしい。


 うん。間抜けな顔したペンギンがたくさんいると、怖い。いや、可愛いんだけど。本当に可愛いんだけど、桃と一緒に行ったお化け屋敷を彷彿とさせるっていうか……。


「確かに、可愛いです。……実來さん?」


 桃は私の様子が変なことに気づいたのか、顔を覗き込んでくる。


「あー、いや。なんだろ、単体で見ると可愛いんだけどたくさんいるとちょっと怖い、みたいな?」

「そうなんですか? 可愛いと思いますけど……」


 今日は平日だから、桃は制服を着ている。

 彼女が肩にかけたスクールバッグには私があげた桜ペンギンがくっついている。私のバッグにも、桃がつけたペンギンがくっついていた。


 お互い繋いだ手とは違う方の肩にバッグを引っ掛けているから、ペンギン同士がくっつくことはない。

 くっついたからなんだって話だけど。


「もしかして、私って意外と怖がりなのか」

「意外というか……普通に怖がりだと思いますよ?」


 桃は何言ってるんだろう、みたいな感じで首を傾げている。

 そういうイメージなんだ、私って。


「普通にって言われるとなぁ。なんか、情けなくない?」

「そんなことないです。可愛いと思います。お化け屋敷に行った時も、可愛かったです」


 桃はにこりと笑った。

 その笑みには、微妙にからかうような色があるような気がした。


「あれ、私が怖がるの見て楽しんでたでしょ」

「半分はそうですね。もう半分は、純粋にお化け屋敷を楽しんでました」


 かつて思っていたほど、桃が純真無垢でないことはよく知っている。

 それでも、好きなんだけど。


「私はどんな姿でも、実來さんのことが好きです。怖がったり、強がったりしてても。本当に心が痛いってときだけは、隠さないでほしいですけど」


 桃はそう言って微笑む。

 そういえば、前にも似たようなことを言われた。痛いのを隠して笑わないで、と。


 どうなんだろう。今は、桃に極力全部見せるようにはしているけれど、強がりなのは元からだ。本音は基本隠して、なんでもないような顔をすることが多すぎるから、自分でも何が何やらって感じである。

 桃にだけ見せている顔ももちろん、あるとは思うんだけど。


「実來さん。……わっ!」


 桃は私に顔を近づけて、少し大きな声を出した。いきなりのことだったから驚いて、体が跳ねる。


 いやいや。

 この程度でビビるって、どうなのよ。

 私は慌てて平静を装ったが、桃は楽しそうに笑っていた。


「ふふ……あはは! やっぱり実來さん、可愛いです」


 蠱惑的というか、嗜虐的というか。

 そんな感じで見られると、体がむずむずする。

 私は桃の頬を引っ張った。


「いきなりすぎ。店でやんないでよ。変な目で見られてるじゃん」

「ふいあへん」


 あんまり反省していない様子である。私は餅みたいに伸びる頬を引っ張って、その感触を楽しみながらも、少し怒ったような顔をしてみせた。


 しばらくそうやってじゃれ合ってから、店内を見て回る。

 こういうショップの商品って、普段使いするには可愛すぎるんだよなぁ。


 かといってぬいぐるみを飾るような歳でもないし、やっぱりカップとかストラップの類がいいのかな。


 そう思っていると、ふとキャラクターが描かれた南京錠が目に入る。

 こんなのもあるんだ。


 そういえば、あの時鐘の近くにつけた南京錠の鍵を、未だに私は持っているのだ。後で調べたら鍵は捨てた方がいいと書いてあったけれど、今更捨てるのもあれだと思い、部屋の机に飾ってある。


「実來さん。何買うか決めました?」


 桃はいつの間にか掌サイズのぬいぐるみをカゴに入れていた。

 桃も意外と、可愛いもの好きなのかな。


 少し迷ったけれど、私はぬいぐるみじゃなくてキャラの描かれたクッキーを買うことにした。


 好きなものは好きでいい。桃の言葉が思い返される。

 うーん、でも。


 部屋にぬいぐるみを飾るほど好きなわけではないと思う。ストラップくらいが限界かな、多分。


「これ。後で一緒に食べよう」

「はい。……あの、後でこのぬいぐるみにキスしてもらってもいいですか?」

「ん? 別にいいけど、なんで?」

「寂しくなったら、実來さんだと思ってこのぬいぐるみにキスしますから」


 桃は恥ずかしそうな素振りを一切見せず、そう言い切った。


 いや、まあ。

 恋人なんだし、これくらいのことを言うのは普通、なのだろうか。普通の恋人がどんな会話をしているのか、あまり詳しく知らないから、少し困る。


 しかし、桃の望みはなるべく叶えてあげたいし、何より今の桃の可愛い要求は、拒むほどのものじゃない。


「そかそか。じゃ、いっぱいキスしちゃおっかな」

「はい」


 半分冗談だったんだけど。

 桃は微笑んでいるけれど、その目はちょっと真剣だ。


 これは、桃が見ている前でペンギンに何度もちゅっちゅとキスしなきゃいけない感じだ。桃にキスするより恥ずい気がする。自分がキスしているところを桃に客観的に見られるって、どうなの?


 そう思ったけれど、今更引けない。

 意地を張っているとかじゃなくて、桃の期待を裏切れないからだ。桃のためなら多少の恥ずかしさくらい、耐えられる。


 会計を済ませて、私たちは一度カフェに寄った。

 桃とパンケーキをシェアして、二人で食べさせ合うだけで楽しくて、時間の流れをひどく早く感じる。


 それからショッピングモールをぶらぶらして、ちょっと服や雑貨を見ていると、いつの間にか時刻が午後七時を超えていた。


 桃と二人だとついつい長く遊びすぎてしまうので、普段はこのくらいの時間に別れるのを暗黙のルールにしているのだ。


 外に出ると、刺すような冷たい風が吹いてきて、思わず身震いした。

 モール内では互いの体温を感じるために手袋を外していたが、流石に寒いから手袋をもう一度つけて、離れた手を繋ぎ直す。


 寒さで思わず息を吐くと、吐き出した息が真っ白に染まる。

 街灯に照らされた息はタバコの煙みたいにぼんやり空に登っていって、消えていく。


 マフラーに顔を埋めると、冬って感じがした。

 もう十二月だから、寒いのも当然か。ぼーっと色々なことを考えながら、浮かんでは消えていく息を眺める。すると、ふと空から白いものがふわふわ落ちてきているのに気がついた。


「……あ」

「雪、ですね」


 田舎だから十二月初旬でも気温が低くて、初雪が降るのも早い。

 こんな田舎に住んでいるのだから雪なんて嫌というほど見てきているはずなのに、桃は見るのが初めてみたいな顔をして、私の一歩前を歩き始めた。


「綺麗です!」


 桃は手を離して、ステップを踏む。

 桃はいつも、見るもの全てが新鮮みたいな顔をするから、見ていて飽きない。


 そういうところも、愛おしいと思ってしまう。

 少しずつ勢いを増していく雪の中で舞う彼女の姿は、悪魔というよりは妖精みたいだった。雪が金色の髪に舞い降りて、ゆっくりと溶けていく。


 溶けた雪が髪の煌めきを際立てている。

 きらきら光る彼女の髪は、その瞳と同じで、吸い込まれそうなほどに綺麗だった。思わず息を呑むと、桃に笑いかけられる。


「実來さんと見る、初めての雪です」

「そうだね。……可愛いよ、桃」

「雪の感想、言わないんですね」

「雪の綺麗さよりも、桃の可愛さの方が、私の目にはよく映るから」

「……ズルですよ、そんな言葉」


 桃はそう言って、目を伏せた。

 私は桃の代わりに笑って、彼女の前まで歩いた。


「ズルってことは、桃の心に響いたってことだよね。……ほら、桃。電車止まる前に、帰ろうよ」

「……」


 桃の手を握る。

 その手は、小さくて弱々しく感じられた。


 それが錯覚であればいい、と思う。私はそのまま彼女の手を引っ張って、駅に急いだ。

 駅に着く頃にはすっかり雪の勢いが強くなって、今日は積もるなぁ、なんてことを少し思った。

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