60.公爵邸からの引っ越し

 ソシアス公爵家の貴族籍剥奪が発表され、同時に私はギータ様の婚約者となった。これで実家がなくても立場が確定する。貴族でなくなれば平民だ。私を利用する者が出るのを防ぐ目的があると聞いた。


 実際のところ、利用できないと思う。ギータ様は私を手元から離さない。この状態で手を出したり、口を挟めば、ギータ様の怒りを買うだけだった。


「引っ越し準備はいいか?」


 ギータ様に確認され、部屋の中を見回す。あの白い鍾乳石の神殿で使う物を、この部屋に集めた。中身をそっくり運んでもらう。柔らかな絨毯や寝具、食器、日用品。ドレスや宝飾品も。必要と思える物はすべて集めた。


 日用品が足りなくなれば、ギータ様が調達してくれる。成長すれば、ドレスや靴も用意すると聞いた。私と手を繋いだアデライダは、その胸元にペキを抱いている。気に入った本も積んだし……もう一度最終確認をした。うん、大丈夫。


「揃ってるわ」


「思い出の品でなけりゃ、後で調達出来るけどな」


 そう言われて、肖像画が足りないと思いつく。


「待って! 肖像画が欲しいの」


「ん? 廊下に飾られた絵か」


「ラファエラ叔母様の絵だけ。取ってくるわ」


 アデライダに待っているよう告げて、私は駆け出した。一家の住居スペースに当たる二階の一番奥、突き当たりの部屋の前に立て掛けられている。壁に飾るのではなく、向きを逆にして絵が見えないよう置かれていた。


 前回の私の母であり、今回のアデライダの母ラファエラ。公爵令嬢の地位を捨てて駆け落ちした彼女は、不思議なほど私と似ていなかった。顔や髪色は前回と同じなのに。


 紹介状と退職金を渡して、使用人は全員解雇した。公爵家がなくなるのだから、仕方ない。私やギータ様には必要ないのだから。他のお金になる装飾品や花瓶などは、使用人に分けてしまったけど……あの絵は手付かずだった。


 その額縁に手を触れた時、後ろから伸びた手に目元と口を覆われる。うぐっ、と変な声が漏れた。暴れようとする私を、別の手が縛り上げる。使用人がいない元貴族の屋敷、もしかして泥棒? 誘拐しても身代金を払う人はいない。


 私だと知って攫うのか、それとも売り飛ばすため?


 もごもごと動かす口に布を突っ込まれ、酸っぱい臭いに顔を歪めた。変な臭いだし、くらくらする。心の中でギータ様を呼んだのに、聞こえないのかしら。何が起きているのかわからないまま、私は外へ担ぎ出された。


 乱暴に馬の背に乗せられ、走り出す。腹が馬の鞍に当たり、吐きそうだった。揺れるたびに痛みが走る。ぽつりと雨が降り始め、やがてびしょ濡れになるほどの激しい降りになった。


 走った距離はよく分からないけど、森の中らしい。木製の小屋へ放り込まれる。床には奇妙な模様の布が敷かれていた。その中央に置かれ、男達は出ていく。彼らが扉を閉めてすぐ、床の布の模様が光り……私は意識を失った。

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