56.ソシアス公爵家はもう不要です

 ギータ様の魔力がふわりと私の髪を揺らす。物理的に作用するほど大きな魔力を使った彼は、にやりと笑った。


「もう一度、引導とやらを渡してやれ」


 意地が悪いですね。混乱した様子で「嘘だ」だの「こんなことが」と騒ぐ、公爵夫妻へ私は同じ言葉を繰り返した。


「本日限りをもって、私はソシアス公爵家を除籍します。理由はもうお判りでしょう? 幻想でも嘘でもなく、前回のあなた達は私を殺したのですから」


 一度言葉を切り、深呼吸する。最高の笑顔で締め括りたいわ。


「ソシアス公爵家の名を高めるため、可愛いアデライダが王家に嫁ぐため、お前は竜の生贄になれ。でしたか? 私が実の娘でないことが気に入らないなら、養女に出せばよかった。何も理解できない赤子のうちに殺せばいい。どちらもせず、お祖父様の顔色を窺って……最低なタイミングで私の手を放したのよ」


 婚約破棄は王子イグナシオの心変わりだと思った。いつも着飾って可愛らしく甘えるアデライダが好きになったのだと……でも裏でお金が動いたなんて。釣られた王家は今回滅びた。次はあなた達の順番だわ。


 怒りのあまり高ぶった感情が流そうとする涙が許せない。ギータ様の指先が、頬を撫でるフリで涙を消した。心で感謝しながら、彼らに突き刺さる言葉を探す。


「今回、あなた達に育てられた私は前回の記憶がありました。分かりますか? 虐待し死ねと命じた二人に愛される気味の悪さが……触れることも嫌だった。今でも吐き気がします。でも安心してくださいね。私はアデライダを虐めたりしないわ。あの子はギータ様の加護も受けた、私の家族だから」


 私がこっそり飼った子猫を殺したくせに、新しい子猫で釣ろうとした。それも許せない。愛してないくせに、私に王子妃教育を強いたことも。お祖父様が亡くなった後、食事すら満足に得られなかった。あの渇きと空腹を……今度はあなた達にプレゼントします。


「ギータ様、ソシアス公爵家はもう不要です」


「ふむ、そのようだ。我が花嫁がそれを望むなら」


 慌てて何かを口にしようとした夫妻は、しかし反論を許されなかった。涙を流す公爵夫人の口が「ごめんなさい」と動いたのを、私は冷めた目で見つめる。今さら……そう、今さらよ。あの日、生贄として突き落とされる時、その言葉が聞けていたら。その涙を見ていたら。


 私はあなたを許したでしょう。


 でも……「だったら」「ならば」は存在しない。過去は過去として、前回のあなた達の行いは現実だった。私を犠牲にして自分達だけ繁栄を享受しようとしたの。


 項垂れた公爵の頬を伝う涙にも、絆されない。凍り付いたように感情が動かなかった。ギータ様の指示を受けた神殿の者が駆け込み、夫妻を拘束して運び出す。それをぼんやりと眺めた。


 終わった? これで終わりなの? こんなにあっさりと、私の痛みは流されてしまうのかしら。


「あの二人の声を封じた。今日から平民以下の暮らしになる……貴族には辛いだろうな」


 ギータ様の声にゆっくり振り返ろうとした私の目元を、彼の温かな手が覆った。視界を塞がれて、動きを止めた私の耳に、柔らかな許しが聞こえる。


「もういい。泣いてしまえ、楽になれる」


 その言葉を待っていたように、私の頬を涙が伝った。最初はしとしと降る雨のようだったが、徐々に感情が荒れて嵐になり、洪水と同じで止まらなくなる。声を上げて泣き、意味のない何かを叫び続けた。頭が痛くなる頃、ギータ様は小さな声で何かを呟き、目蓋が重くなる。あの二人と縁が切れたんだわ。

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